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2024-05-28 44:49

精神分析の理解のために【GMV 991】

無意識は意識できないとはっきりさせる。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
5月28日火曜日、7時29分ですね。
雨がザーザーです。
相変わらずお知らせがすぐには、
あ、そうだ、えっとですね、
全校告知メーター確保になってしまうんですけれども、
いや、でもまだ告知段階に入れないですね。
はい、えっと、というわけでする、
100日チャレンジのですね、第9期が、
今、なんていうんですかね、検討中であります。
これは、私は、どっちかというとタスクシュートのですね、
何かちょっとイベントごとと、
なんていうんですかね、
イベントごとがあるたびに、
そのイベントにも乗っかるよっていう趣旨でもあると思うんですよ。
もちろんその先送りゼロを、
1人でやるよりはコミュニティで合いものをやった方が
うまくいくっていう方はいっぱいいらっしゃるはずなんで、
そういう場の提供という意味がもちろんメインですけれども、
例えば今回で言えばおそらくタスクシュートクラウドの2ですね、
こちらのお披露目とブラッシュアップの過程そのものに参加されたい。
こういうイベントもセットになっていたりして、
これをですね、6月のおそらく下旬スタートぐらいになると思うんですけど、
まだ日にしも確定ではありませんか。
その辺を考えていこうと。
で、今思い出したんだけど、
6月23日の日曜日にタスクシュート手帳術の会ですね、
第2回を開催します。
これはですね、場所をちょっと今度は神田付近から移しまして、
渋谷になります。
で、ちょっと会場をゴージャスにしてですね、
なんとかこうやっぱりアナログの手帳になって、
リアル会場をもう少し、
毎回だいたい4人ずつぐらいいらっしゃっていて、
しかもそこに任亭さんと私がいるから、
なんだかんだ10人ぐらいはいるんですけれども、
もうちょっといてもいいんじゃないかなというところで、
ぜひですね、6月23日の日曜日、
まだ告知開始しておりませんけれども、
100チャレンの方も告知開始しておりませんが、
いずれも意識していただけると、
まあいいかなと思っております。
ただこれですね、
今ここで告知してもですね、
これを聞いている方はおそらく、
Good Vibesに興味がある方か、
精神分析に興味がある方で、
しかもタスクシュートは知ってるよっていう方なので、
終わりとですね、
なんていうのかな、
03:00
こうした細々としたイベントには、
やっぱりちょっと違うところに、
告知していかなければですね、
ならないとは思います。
併せてこの、私今考えているのが、
もうこれ991回目で、
間もなく3ライン、
そして1000回を迎えるわけですけれども、
なんかもう少しやっぱりちょっと、
これはこれですごいなと、
ある意味思い始めてっていうか、
ずっと思ってたんだけど、
考えてみると毎朝毎朝、
1時間近い番組を130人前後の方に、
聞いていただけているというのは、
すごいなと思うんですよ。
レーティングの評価もですね、
20近くいただいていて、
まあこれはあんまりレーティング低いんだったら、
しないと思うんで、
そこそこ平均値高くなると思うけど、
4.8頂いてますし、
なんかよくわからないけど、
いいみたいだっていうね。
そう考えてみて、
もうちょっと再生回数が、
常時200ぐらいはあっても良いのではないかと、
まあそれはつまり、
どうすればっていうのがないんですけど、
スタンドFMでやろうかなとか、
でもスタンドFM、スタイフでやったから、
なんだって気もしないんですよな。
ちなみに、
これはスタイフに映したからといって、
それはあくまでも、
撮るためのツールがそうなるというだけであって、
いずれにしてもSpotifyには出していきますので、
皆様には多分、
もしかすると、
これをやってしまうと、
何かを変更しなきゃならないかな。
ならないようだったらやらない気がします。
なんか違う施策を打とうと思います。
別にスタイフにすることによって、
人が急増するみたいに思う訳ではないので、
はい。
今はどっちかちとこのAnchorも、
Spotifyに吸収される形になっていて、
こっちの方が勢いある感じはしますよね。
何なのかな。
タイトル変えるとかはちょっとあってもいいかなと。
Good Morning Voiceってほぼ意味不明ですからね。
Good Morning Vibesもほぼ意味不明だったと思うんですけれども、
しかも朝に限定すらしていないという。
でもね、難しいですね。
まあまあ、いいや。
ここはもう私のこういう日々の告知活動と、
プラス大筋カウンセリングの話をひたすらしていく、
そして3ヶ月チャレンジにできれば、
少なくとも興味を持っていただくといったところになっている訳ですけれどもね、
もう少し活動の幅というのか、
活動の活動力というのかな。
そういったものを、
まだ元気なうちにやっていきたいとは思ってはいるんですよ。
思ってはいるんですが、
何すりゃいいのかがよく分かっていないというか、
あんまりもうですね、
何すればいいのか、
私にしかもう私のことは分かんないかもなって思うようになりました。
最近は。
これは大船に通うようになって、
ますます分かってきたことなんですね。
06:01
私はどう考えても、
自分が向かないとかやりたくないと思ったことは、
どうせ絶対やらない人間なんで、
先日ね、
ケンスさんとの教材セミナーでも、
ケンスさんがわざわざ私に、
佐々木さんはこうすればすぐですよみたいな、
個人コンサル受けたら、
うまえんとするものを、
何か好意でさらっと教えてくださっていて、
これはすごいありがたいと思ったんだけど、
やってないしね。
いかに僕がそういうことを、
やろうとしない人間かというのが、
よく分かるんですね。
よく言うじゃないですか。
いいアドバイスをもらっても大抵の人はしない。
まさに僕なんですよ。
だから私は自分のやり方しかできないなっていう、
これはもう今さら感満載かもしれませんけど、
でも私は結構そういうのができるぐらいに思っていたんだけど、
今思うとできないんですよね。
そういうことも、
50過ぎて分かった感じがします。
だいたい50になる前にの、
信長の時代とか、
亡くなってしまう人がほとんどなので、
気づくまで生きてられてよかったなとは思うんですけど、
そんな感じで、
とりあえず私コンサルは、
基本私がやるしかないなっていう、
その仕事の進め方みたいなのとか、
選択みたいな話ではですね。
今のところ、
今やってるのは一番しっくりきていて、
これを拡大していこうと考えるから、
また悩むのであってですね、
悩むというか迷うのであって、
拡大しなければ、
これで済む話でもあるんですけれども、
とりあえず、
3ヶ月チャレンジと100日チャレンジが、
今は私の軸で、
あとはちょいちょい本のお仕事、
これは入るともうすごい、
実はすごい集中してやるんだということが、
最近分かったんですよ。
だからこれはもう入るのを、
祈って待てばいいんだなっていう感じ。
ここは一生懸命ですね、
量感運動的に頑張るところでは、
もはやないと思いますので、
扱いにくいと思うんですよ、
やっぱり出版社さんからしてみてもですね、
今で言えばそうだな、
私が書くんだったらちょっと分厚めにして、
タスク管理大全とか書いてほしいと思うんですよね、
わかんないですけどね。
もうそれ流行りじゃないかもしれないんだけど、
あるいは仕事が早い人は何とかかんとか、
みたいなのがいいんじゃないかと思うんですけれども、
私が書きたがるものって、
仕事術をどうやって精神力動で回すか、
みたいな話じゃないですか。
これってまず、
当の企画をする人自身が、
説明を要するなって思っちゃうと思うんですよ。
第二に、仮に説明して企画を通すことができても、
それで売れるのかっていう、
もうハードル高いですよね。
でも私はこれしか今、
信じられるものがある意味ないのでね、
自分が信じられるものをやろうという感じですね。
こういうことを喋ってるうちにですね、
09:01
一旦これ、
一旦中断しなければならない時間がやってくるんですが、
多分今日は中断を合わせて、
もうこれももう完全に開き直ってるんですけど、
このポッドキャストほぼ1時間っていうことになってるんですね。
ほぼ1時間、僕の中では。
1時間を超えなきゃいいぐらいな感じ。
40分から1時間の間で、
この種の話をだらだらとすると。
そしてできれば、
300人ぐらいの方が聞いてくれるといいなみたいな、
これはただの妄想に近い何かですけどね。
130ってのもすごいなと。
不思議なんですよね、130って。
多くないですか?
セミナー会場だったらすごいですよ。
130なんて滅多にすることはないんで、
無料だとしてもないですよ。
130名の方いらっしゃらないんで。
これはもちろんアーカイブでトータルでって話なんですけど、
スタイフはリアタイで聞けるんですよ。
そこがちょっとこのホットキャストオンリーとは違うんだけど、
でもこれリアルタイムじゃなきゃいけない理由あるかっていうと、
ない気もするんですよね。
だって質疑応答を取るとかいうもの、
それだったらセミナーになっちゃいますからね。
しかも多分時間に縛られないからいいと思うんですよね。
僕もうノー編集なんで、ある意味これ完全に生なんですよ。
聞いていただいてるものとリアタイで聞いても何も変わらないんですよね。
そこが割とむしろいいところだと思うんで。
だって私TwitterのXか、クラブハウスみたいなやつ一切やらないじゃないですか。
だから多分私は無料でセミナーっぽいことまでやりたいとは思ってないんだと思うんですよ。
損だと思ってるわけじゃないんですよね。
ただあれだったらもうちょっとカチッとやりたいなっていう風になるところはあるんですよね。
その辺の塩梅も私自分の反省があって、
そこからはみ出たくないところはあるらしいわけです。
今ちょうどいいわけですね。
本題に入りましょう。
今日は精神分析というのはなぜ理解しにくいのかという話にしてみたいと思うんですね。
というのは私自身がめちゃくちゃこれは理解しにくくって、
理解ようやくできてきてみると、
なぜこんなに難しいと感じてたんだろうと、
よく分かんないと思ってたんだろうと、
よく分かんなかったんですけれども、
本当ようやく最近ですね、
ウィニコットは昔は難しいと思ってあんまりいなかったんですけど、
でも面白くないなって思ったんですよね。
今は面白いなって思うんだけど、
この違いは何なんだと。
あとビオンはさっぱり分からなかったと、
クラインは一層分からなかったんですけど、
今はそういうことはないんですよ、さすがにね。
フロイトは昔から分かるような気がするところはいろいろあったんですけれども、
分かんないところが多かったですね。
で、いずれにしても分からん理由、これははっきりしてるんですよ。
12:02
無意識という言葉の概念の理解が全く間違っていたからなんですね。
これはですね、現代用語における無意識という言葉の使われ方の問題ですね。
僕は最新分析の分かりにくさの最大のポイントはここにほぼ集中するんではないかと。
他にもいくつかありますけど、今日はその話をしたいんですよ。
この無意識って言葉、後でももう一回同じようなテーマで出すと思うんですけど、
何しろほら中断が入ったんでね。
何がいけないか。
それはですね、無意識がまるで潜在意識か、もっと言うと深く潜っている全意識のことを無意識と呼んじゃってるんですよ。
私たちは現代人はですね。
あの無意識でやっちゃいましたよとかって言うじゃないですか。
つい無意識のうちにハンドル右に切って道に迷いましたみたいな、そういうことを言うじゃないですか。
これ結構興味深いんですけどね。
無意識のうちにあの人を避けてる。
そりゃ意識してるでしょうっていうことなんですよ。
そういう使い方を普通にしているだけだと、精神分析ってわけわかんないものになってしまうんですね。
無意識ってのは無なんですよ。
全然意識できないから無なんです。
無意識のうちにあの人避けてますって言っている人は無意識でもなんでもないわけですよ。
それはよく考えてみれば明らかに意識して避けてるわけです。
そういうふうに考えるんですね。精神分析では。
というかそういうふうに考える考え方を精神力動的っていうか精神分析的っていうんだと思うんです。
だからここのところがどう考えても無意識じゃないものまで無意識にしてしまうともう精神分析っていうのはほとんど意味をなさなくなる。
だからわかりにくいんですね。
我々の日常用語になってしまっているこの無意識が精神分析で言う無意識と違うから。
そして致命的に違うんですよ。
意識できてるものを無意識と言っちゃいけないんですね。
だから精神分析の用語に潜在意識って言葉は絶対出てこないと僕は思っているんですよ。
これすごい大事なことだと思うんですよね。
潜在意識というこの無意識だか無意識でないかわからない領域を作り出しちゃうともうこの話はさっぱりわからない。
ここでバッサリ線を引くんですよ。
無意識は意識できないんですよ。全然。
それは心の内と外みたいな、ここのところずっと話しているこの概念がないと話にならないってことなんですね。
心の内と外という概念がないと、それはもう精神病水準と言っていい状態になってしまう。
なぜなら心の中では何でも空想できるじゃないですか。心の内ではね。
心の内では何でも空想できるけど心の外はそういうことは起きないじゃないですか。
だから精神分析っていうのは無意識のその扱い方と並んでオカルトを許さないんですよ、実質的に。
オカルトというような現象を許してしまったら、もう無意識の出番はなくなるんですね。
15:02
これもすごい大事なんです。
要するにおばけは出てこないってことですね。
おばけは無意識が作り出すものなんです。だから怖いんですよ。
意識しておばけ作ってるんだったら怖くないじゃないですか。
要するにあれですよ。ホンテッドマンションを作ってる人は絶対ホンテッドマンションが怖くないだろうって話でしかない。
意識しているってことは分かってるってことなんですよ。
分かってないから怖いんですよね。
分かってないからおばけだかおばけ。
つまりおばけっていうのは、おばけかおばけじゃないかが分かってないから怖いんですよ。
何だか分かんないから怖い。何だか分かんないものをフロイトはこう考えたんですね。
見させてると。ただし本人は自分が自分に見せてることに気づいてない。
これを無意識と言うんですよ。
無意識におばけ作り出しちゃったよとかっていう言い方はしないはずなんですよね。
そしたらそれはおばけじゃないんですよ。プラスチックか何かなんですよ。
つまり霊的なものでは全然ないってことですよ。
だからほら、肝試しとかみんなそうじゃないですか。
いかにもわざとらしい演出ばっかりが次から次へとやってくるからつまんないわけですよ。
よほどそれに乗れる人でない限りは怖がりようがないんですよね。
ホラー映画も見てる人は怖いかもしれないけど作ってる人は恐らく怖くはないはずなんですよね。
そういう話。やっぱりゴムホースでしかないものはゴムホースでしかないわけですよ。
いくら真っ赤に塗ってあろうとなんであろうとゴムホースでしかないわけですよね。
ところが我々はそういう使い方を無意識についてしないんですね。
先ほど言ったように潜在意識と無意識が同じような水準で使われているから、
なんだかよくわからないもの。これこそ一番精神分析の考え方にとって邪魔なものはないと思うんですね。
結局、例えば私の身体化っていう症状がまさにそうなんですけれども、
そうだったんですけどね。身体からジンマシンが吹き出しましたと。
この吹き出したというのは外にあるものだから、これは明らかに何らかの理由で赤いポツポツいっぱいあったから、
蚊に刺されたやつの少し濃い色のやつです。
あれが身体の多くの箇所から吹き出しているわけですね。
これはなんだかジンマシンという表現をとりますし、目に見ることもできますよね。
だからオカルトじゃないですよね。これは幽霊とかじゃないですよね。
でも原因はなかったんですよ。ここが大きな問題なんですよね。
で、私は医者に行ったわけですよ。それは行きますよね。
大体内科にまずは行きますよね。で、胃腸器系を調べられることになる。
で、医者が見てもジンマシンは見えるわけです。これ大事ですよね。
これがもし完全に私にしか見えないんだったら相当大問題なんですよね。
だけど、あゆい。そして少々痛い。気分も悪い。で、手にいっぱい出てる。
18:06
手にも足にも出てる。で、見せる。ここ大事なんですよね。
何にも特に何か思うことはないけど、見せるってことは見えるってことですよ。
で、見てくれる人がいたからなんだかんだ胃カメラまで飲んだわけですよ。
内視鏡検査もしたわけですよ。つまり、医者も目に僕のジンマシンを見たわけ。
これが物理的な現象じゃないですか。これ2人とも妄想を見てたってことになったら大大大問題じゃないですか。
まずここまでが非常に大事ですよね。
でですね、まずいなと思い始めているんですよ、私。
今の話をして。暑くなってきたんですね。まずい。
この夏がやってきて、つい先日ね、ここでやるとちょうどいいとか言っていた矢先にもうこの、
なんか熱中症くるんじゃないか状態が。だからあれを首に巻いてきたんですけれども。
半日も早いですよね。まだ5月ですからね。
日が思いやられますよね。6、7、8、9ぐらいまでずっとこの厳しさの中でやっていかなきゃならないとかと思うと、
日長いなって思いますが、まあまあ。
冬よりいいかどうか、大変疑わしく最近本当になってきましたね。
で、無意識ですよ。つまり無意識は意識できないから無意識なんですね。
潜在意識とか全意識とかでは全然ない。
思い出そうとしても思い出せないし、意識しようとしても意識できないし、何やってるのか扱い知らない。
そういうところは私たちいっぱいあるじゃないですか。
自分の血液がどう流れてるのかなんて一時全部意識してる人いないですよね。
ほとんどのことを僕らは自分の身体については意識せずに生きているわけですね。
だからこのイカメラ飲もうが、ビオヘルミ飲もうが治るはずがない。原因も出てこない。
それは無意識がジンマシンというような症状を作り出しているにすぎた。
そこにはフロイトが昔々指摘した通りで疾病利得ってやつがあったわけですよ。
得することがあった。ただこの得がそんなにわかりやすいわけじゃないですよ。
ジンマシンできたから会社休めるわ、ラッキーだわみたいなそういうんじゃないですよ。
それほどわかりやすいんであれば無意識なんて概念いらないんだけれども、
ここに例のもう一つのややこしいやつが出てくるわけですよ。
サイキックリアリティってやつね。
心的現実があるわけですよ、私自身の。
こういう厳しい情勢があるっていうですね、これが事実と無関係であればいいんですけど、
事実というものがきっかけになっちゃってて、事実と無関係じゃないんですよね。
21:05
だから、例えば小麗ドーラ有名ですけども、
ドーラがどういう目にあったのか、彼はどういう、彼女はどういうことが嫌だったのかっていう、
言ってる通り正直かどうかわかんないところがあるんだけど、
まるまる嘘なわけでもないと思うんですよね、あのお話も。
お父さんが浮気してるのが嫌ですっていうのだって、
お父さんが浮気してるのが嫌だというのは多分嘘じゃないと思うんですよ。
お父さん浮気してますってのも多分嘘じゃなかったと思うんですよ。
わかんないですけどね、あの時代の話なんて、もう今さら。
だけど、私はお父さんが好きだから浮気相手じゃなくて私を見て欲しいんですってことになってくると、
彼女必ずしも正直に言ってない部分があったわけじゃないですか。
でも彼女は多分そういうふうには思ってなかったと思うんですよね。
プロイトの指摘通りだと思うんですよ、実際は。
お父さんは訳のわからん女じゃなくて、
慶夫人だったっけ、私のことをもっと愛するべきだって思ってるのかもしれないけど、
いやお父さんが浮気してるのは許せないんですって言うじゃないですか、
あの年頃の女の子であればね。
そして本人もそうだと思ってるじゃないですか。
ここに猜疑クリアリティっていうものの難しさがあるわけですよね。
でも無意識じゃないですか。
これ大事ですよね。
無意識な自分への嘘ほど、その本人にとって強い作用を及ぼすのは確実ですよね。
だって、例えば自分でお墓に何かお化けのフィギュア持ってって、
うわ怖え!って言ってたら、その人、おかしくないですか。
あの人は健忘かなんかのような感じがするでしょ。
つまり自分で仕掛けたことを忘れてるってこと。
これ無意識じゃないですか、結局のところ。
無意識と同じじゃないですか。
無意識というのは、よく考えれば意識できる話ではないんです。
完璧に忘れてるからいいんですよ。
いいっていうか、影響力が大きくなる。
意識してるようでは影響力がなくなっちゃうわけです。
だからローラは病気になっちゃったわけですけれども、
それはやっぱり自分がお父さんのことで嫉妬しているということに、
無意識だからこそ、気を失うところまで行けるわけですよ。
私も自分の怒りなり、怒りの対象ね、
なぜそう怒ってたのかということに、かなり無意識だったから、
自覚がなかったから、やべえジンマシンできた。
昨日食べた肉が悪かったのかもって思えるわけです。
健忘でしょ、これ。ある意味で。
あるいは何かを取り違えてるじゃないですか。
原因を取り違えてるわけですよ。だから内科とか言っちゃうわけですよ。
100%自分が、自分の無意識が、ある意味その病気によって何か得することがあって、
意図的に、意識的にじゃないですよ、
24:00
意図的にこの症状を作り出してるんだと信じることができれば、
もうそれは無意識じゃないですよね。
絶対内科になんか行かないですよね。
だって肉じゃないことは明らかなんだから。
どこかわからないから行ってみるわけですよ。
でもさすがに10軒くらい行って、一向によくもならない。
10軒くらい行くってことはもう1年くらい経ってますから、
1年間その症状続いてるわけですからね。
で、しかも内視鏡を見ようと、あ、超綺麗ですねとかって言われる。
全然原因がわからない。
潜在意識とか全くないです。
無意識なんですよ。全く心当たりがない。
なんでこんなことが起きてるのかがわからない。
この2つの現象は、しかもリンクしてるんですね。
無意識が症状を作り出している。1。
2は、無意識は私にそれを意識の上には教えてくれない。
隠してるわけですね。
隠蔽ですよ。否認って言ったりもしますけどね。
隠蔽なんですよ。隠されてしまう。
これを探しに行きましょうねっていうのが精神分析ですよね。
この辺に分析的なところがあるのかもしれないですね。
あの名称は誤解を招く名称だと思うんですけど。
つまり精神分析っていうのはカウンセリングなんですよ。
このことも僕らは精神分析について学び始めるというか、
知り始めた頃は実はよくわかってない気がするんですよ。
ドロイトって倫理とか哲学とかに出てきちゃうじゃないですか。
彼はやっぱり医療の人なんですね。
だから精神分析はカウンセリングなんですよ。
そういう感じいまいちしなくないですか。
ドロイト式カウンセリングっていう感じがしないじゃないですか。
精神分析ってなんだかよくわからないけど、
特殊な考え方みたいな感じがしますよね。
でもあれはカウンセリングなんですよ。
そうしてみないと何のこと言ってるんだよくわからなくなっちゃうと思うんですね。
あれは常にどちらかというと病理の人を相手にその人を見ていくという中で出てきた心のモデルであって、
心のモデルを解明するためにドロイトという哲学者が哲学をした結果ではないんですよ。
多分そういうふうに思われているうちはあれはさっぱりわけがわからないものになってくるんですね。
なぜ病気が起こるのかっていう観点であれを見ていかないとわからないところがいっぱいあるわけですよ。
どうでもいいような話がいっぱい出てくる感じがする。
小霊ドーラみたいな話もあれだけ漠然と今のような海を一切無視して読むと、
ヒルメロですよね。
なんかよくできたウィーンのヒルメロみたいに見えちゃうと思うんですよ、昔のね。
その話とあの例の長直がどうしたとか、ペニスセンボーがこうしたとかいう話を混ぜると、
もうわけわかんないじゃないですか。
ヒルメロにペニスセンボーかよみたいな。
だからわけわかんない感じしかしないんですけれども、今のような話を前提に考えていくとわけわかるんですよ。
わけわかる話しかしてないんですよ。
27:01
ドーラという少女が困っていて、ほぼ人生相談をしにフロイトのところに来ていて、
フロイトはこれはつまり症状というものが出てるけど、体が悪いわけじゃないんだと。
そして本人は必ずしも全ての話を正直に喋ってるわけですらないんだと。
でも嘘をついてるってわけじゃない。
だから見望に近い何かをそこに見ていくより他ないわけですよね。
で、フロイトにはもうここにちょっと人生相談っぽさってあるんですよ。
こなれてるから、おじさんだからわかるわけですよ。
この女の子は要するにお父さんに振り向いてほしいのねと。
なんならちょっと性的空想もそこに入ってるのかもしれないねっていうことはわかるじゃないですか。
そんなおじさんになってくれば。
でも少女であるドーラにはわかんないわけですよ。
そんなこと考えたこともない。
気持ちが悪いぐらいのノリなわけですよ。
だから自分で自分のその気持ちを否定してしまうので、
否認してしまうので意識できないわけですよね。
意識できないんですけれども、無意識は何か手を打たなきゃと思ってる。
そしてならばドーラは怒ってますからね。
ここに怒りってものが出てくるんですよね。
で、お父さんを振り向かせるためには、私うんと重い病気になってみたら、
お父さんすごい昔のように看病してくれるし、
あんな変な女の子に行かないかもしれないって思ったりするじゃないですか。
無意識には。
これを意識的に思うと怪病になっちゃうんですよね。
だから思いっきり無意識の方に力がかかって、
力が無意識の方からかかってくる。
これ潜在意識とかではないわけですよ。
なんかこう祈りまくってたらね、お父さんが別れるかもみたいな、
その祈りの力みたいな、そういうオカルトじゃないってことですよ。
むちゃくちゃ合理的なんですよね、ある意味。
だから線がズバッと引かれてるわけですよ。
意識が全くできない領域に入り込んでる。
で、それはオカルトじゃない。
我々意識が全くできない領域のことはいっぱいあるじゃないですか。
例えば心臓の動きとか、日々ほぼ意識してないんですよね。
いろんなところで私たちの無意識ってものは機能しているから、
無意識が存在するっていうのは別にオカルトなわけじゃないわけですね。
これはカウンセリングの技法なんですね。
カウンセリングのメソッドなんですよ。
そうやって見ないと分かんないんだけど、
そうやって見るように作られてないから、解説されてないからやっぱりよく分かんないですね。
もう一つよく分からなくなっていた要素が僕はあると思うんですね。
これは時代の拝見もあったかもしれない。
私が学生だった頃、まだ2000年になってない頃には、
精神分析というのは分かっちゃいけないものだ的な風潮ってあったんですよ。
この辺のことはですね、僕が大好きな山崎孝明さんの本を読んでいただくと、
あの本が好きってことで分かると思うんですけれども、
でも彼は僕よりはだいぶまだ若い、お若いわけで、
30:04
彼の書いているよりもなお一層あの風潮は強かった気がするんですね。
精神分析とは素人が分かってはならないものっていうようなね。
だから分からなかったわけですよ。
例えば、この種のことってよくあるんですけど、
例えば相対性理論ってようやく分かってきたよとか下手に口走ると、
めっちゃ詳しい人がすぐマウント取ってくるとかあるじゃないですか。
お前にはまだ何も分かってねえよみたいな。
あれね、イギリス文学でもよくあるんですよ。
シェイクスピアが本当の良さは分かってないとかって言い出す人いっぱいいるんですよ。
大学院生とか。
本当ね、大学生とか、そういう竹の石でイランマウントを取られる。
別にシェイクスピア本当に分かりたいわけじゃないしっていうね。
そういうことがありますからね。
その大学院の人はシェイクスピアのことばっかり研究してるから、
本当にどうたらっていうことがすごい大事かもしれないけど、
ほとんどの読教に来ている学生はシェイクスピアって読みたくもないわけですよ。
だから本当に分かってないとか、うんそうですかって感じで生ビールとか飲んでるわけですね。
で、この最たるところに精神分析ってあって、
精神分析ってのは分かっちゃダメなんだよぐらいなところにあるわけですよ。
もう分かるという段階でマウント取れなくなるから、
とにかく分かっちゃダメみたいな。
そういう秘技中の秘技みたいなところがあって、
そしてそもそも分かりやすいものではないから、
分からんものになったわけですよ。
で、こういうことをやっているとですね、シェイクスピアもそうだけど、
伝えますよね。
大学生とかがサークル活動とかに勤しみたい大学生が、
いやお前は本当のフロイトは分かってないって言われても、
興味持たないじゃないですか。
別に分かりたくないしってことで終わっちゃいますよね。
僕みたいにやや特殊に悩んでるような人間でない限りは、
まあ、そうですか、じゃあねって感じになっちゃうわけですよ。
だから分からなかったわけだと僕は思うんですよ。
この縛りが意外と効いてて、
そうでなくても分かりにくいものに対して、
こういう風潮が上からのしかかってきていたために、
もう分からなくてもいいです的な、
というか分からないほうが普通ですっていう感じになって、
いや分かる奴はおかしいですみたいに、
だんだんそういうですね、
なんかノリになっていた気が僕はするんですよね。
このことが私がですね、
結局はトゥラゾノさんのGood Vibesに触れるまで、
精神分析というものがついによく分からないまま、
40歳以上に、考えてみればもっと前に、
ある程度は理解できていてもよかったはずなんですよ。
この種の内容と私の性格のマッチングを考えてみると、
マッチしてるなって思うんですよ、今思うと。
これがずっと分からないまま、
40歳を迎えてもまだ全然分かってなかったところが、
私のちょっと悲惨なところだったわけですね。
もっと早くに分かっておけば、
33:00
もう少し楽だったろうなとは思うんだけど、
さっき言ったような事情が3つぐらいあって、
全然分かんないまま来ちゃっていたわけですよ。
フラドノさんがおっしゃっていたのは、
結局ある側までいいって話じゃないですか。
ある意味では、ベッドバイブスって、
ものすごく徹底的に、
罪はないし罰はないし、
あるべき姿も一切ないし、
過去もすでに全く存在せず、
未来はもちろん全然なくて、
今ここしか現実がなくて、
1歳から解き放たれているっていう意味では、
かなり仏教的なんですよね。
1歳から解き放たれているって。
1歳、海育から1歳から解き放たれるみたいな。
1歳が好きですよね。
そういう考え方。
つまり、
この人はあるがままであるのが一番いいのみならず、
そもそもあるがままでしかありえないんだ。
あるがままじゃなかったものっていうのは、
どうせ過去の記憶か何かか、
過去の記憶から派生した、
自分の理想像みたいなものであって、
そういうものはないんだ。
かつてあった試しもないし、
本人材絶対永遠にないんだっていうのを、
倉賀野さんは現代風に非常に上手にですね、
しかもかなり徹底的に言うわけですね。
で、私はそれを聞いて、
例えばそのうちの1つを聞いて、
つまりその人魔神っていうのは、
作り出されたものであって、
本当はないんだと。
で、身体というのはニュートラルなものであって、
中立なものであって、
善も悪もないし、
罪も罰もないんだ。
だから身体に罪はないってことですね。
で、不思議なことに、
これを聞いただけて消えていくんですよね。
で、このことを体験してからというものですね。
私がまず全く疑わなくなったのが、
無意識の存在です。
あ、意識できない、
しかし私っていうものは確かにあって、
つまり、私はあんなにユングだ、
フロイトだを読んでた割には、
心の底ではそれを信じてない部分があったわけですね。
この話はしましたけどね。
結局自分が全く制御もコントロールも、
及んでない範囲に自分ってものがあって、
そいつが何かをするっていうのは、
もう疑いようがないなと。
消えちゃったんでね。
ついでにアドフィンまで消えちゃったんで。
あ、あの無意識がしてたんだ。
何のつもりか知らんけど。
まあ、徳があったんですよ。
で、その徳も意識できるようになったんですね。
で、その徳がどんな徳かを意識できるようになったら、
ますます病気から遠遠くなったわけですよ。
これ無意識の方で理解したわけですよ。
あ、これにしても別に徳にならないんだな。
ここを無意識に理解させるのが、
ある種困難を要するんですね。
意識できない領域だからね。
でも、意識の上でも真を持つようになると、
無意識の方でも信じてくれるようになるみたいな、
そういうプロセスがありまして、消えていくんです。
というか作り出さなくなるんですよ。
こういった方が正確ですね。
消えたんじゃないんです。
作り出すのをやめれば消えるんですよ。
もともとはないもの。
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なくていいもの。
で、これを言うとどうすればいいんですかって話になるんだけど、
信じるしかないっていうところ。
だから宗教って困るんですよね。
信じるしかないんですよね。
結論を言ってしまうと。
内実を言うとこういうことなんですけど。
で、私はでも今日は話先に進めますけど、
あるがままでいいという話が始まり、
無意識というものを私が信じるようになったときに、
私が目を向ける先はフロイトですよ。
他は考えられない。
だって彼はある意味この無意識が存在し、
力を発揮して無意識自体を発見したわけじゃない。
無意識って言葉はフロイト以前にもおそらくあったと思うんですが、
彼が言いたかったのは、
意識できてない領域が相当のことをやってるよっていうことなんですね。
病気にもするし、仕事ができないようにもするし、
何なら起きれないようにもするし、
とにかくいろんなことをするよ。
恋にも陥らせるしね。
で、離婚させたくもなる。
喧嘩もさせるし。
全部無意識がやってるんだよって彼は言ったわけです。
そしてそれは確かにあるんだよって彼は言った。
これは完全に私が興味を持つべき領域そのものです。
だから不興味を持ったんですよ。
だからそのときに、
グラノーさんの言っていたあるがままでいいというか、
あるがまましかないっていう話を聞いて、
それを受け入れるということはですね、
あ、私はフロイトにまっしぐらに向かえばいいんだ。
これやってたんじゃお金にならないし、
仕事にならないし、
労働に迷うかもしれないし、
家族困るし、
タスクシュートの話とも、
相入れないかったら困るしとか考えるんですよ。
考えなくていいんだと。
要するに、無理しなくていいんだ。
やりたいようにするっていうのともちょっと違うんですけど、
本来自分がそうであるような生き方を黙ってしとけばいいんだ、
みたいな感じですね。
そうすると自分はタスク管理大全とかじゃないなと。
それをかけるような言い方にして書くのは別にいいけれど、
それをしなきゃならないから、
別にフロイトはやめておこうみたいなんではないなと。
まっすぐ向かうっていうことが大事なんですね。
そういうふうに無意識の発見みたいなのが僕の中であったってことも
大きく手伝ってるんですけど、
あるがままの自分で言いたいことを言いたいように言うとなると、
他のことを一切考えないわけです。
つまりこれなんです。
整合性を例えば取るとかね。
かつてお前行動科学的なことばっかりしか言わなかったじゃないかとか、
そういうことですよ。
あるいは逆算は言ってなかったけど、
逆算めいたことも指示してたじゃないかとか、そういうことですよ。
でも過去はないんだ。
他の人がどう思うとかどう言うといったことも最後は必ずいいようになる。
これはあるがままを信じるというのはそういうことになりますからね。
あるがままでいいのに、他の人は言いたいことも言えないっていうのはおかしいじゃないですか。
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他の人が佐々木賞後にいっぱい手帳をつけたい、それがあるがままですって言うなら、
それはいいことに違いないんですよ。
そう思わないとまた自分のアトピーを振り返すような話になるじゃないですか。
自分があるがままになったら、つまり、
肌が肌のいいようにしているっていう状態、
私は私のいいようにしているっていう状態、
何か病気にわざわざなってですね、
病気って本来が健康だとするなら、
私は一応本来が健康だと思ってたわけですけど、
本来が健康だとするなら病気っていうのはやむを得ずなる。
例えば火が火、炎をかぶったから火傷をしましたっていうのは、
これはやむを得ずなってますけど、
わざわざ無意識が作り出した病気に、
外在する理由もなくなるってことはですね、
腐った肉食べたわけでもないのにジンマシンでいっぱいだっていうのは作り出したわけですよ。
あるがままじゃないわけですよ。
なんであるがままじゃないかっていうと、
この現実が気に食わないからあるがままじゃなくなって、
つまりドーラと同じなんですよ。
お父さんの不倫が許せないわけです。
それがどういう理由であれ許せないんですよ。
この現実をねじ曲げてやる。
そういうことですよね結局ね。
だって不倫するのはしょうがないじゃないですか。
よくないかもしれませんよ。
でもお父さんは自然現象のように不倫しちゃってるわけじゃないですか。
やめさせるってことはできるかもしれないし、
そのほうがいいかもしれないけど、
自分に壮大な嘘をついて、
ありもしない病気をでっち上げて、
やめさせるっていうのはまずいことなわけですよ。
ねじ曲げてるわけですね。
まずくはないかもしれないけど。
ある種の独特の権力の奮い方をしてるんですよ。
僕もそれと全く同じことをしてたわけです。
やり方は違ったけど、目的も違ったけど。
で、やめようということは、
つまりあるがままでいいっていうことにするしかないわけじゃないですか。
現実をねじ曲げるのやめようってことですよね。
これだけだったら皆さん納得してくださると思うんですよ。
でも私の次のようなこと、
例えばAmazonで星1ついてるのは現実の現象なわけですよ。
でもこれは気に入らないし許せないから、
ねじ曲げたいってなってくると、
なってくるじゃないですか。
これを受け入れられないって話を始めるんですよ。
でもこういうのってもう、
私はアトピーってつらいんで。
やっぱりジンマシンもつらいんで。
トータルで考えると、
いやこれは受け入れられないなって思うんですよ、
そのアトピーの方。
あるがままの方がいいなと。
だったら他の人があるがままであるのはもうしょうがないよね。
ドーラにお父さんのフリを受け入れなさいっていうのは無理があるけれども、
やっぱりあるがままの現実を強引に、
なんかペンチかなんかでグイってやるようなことをやるってことになってくると、
そのコストと払うべき犠牲ってでかいんですよ。
ってことを僕は身をもって知ったんですね。
文字通り身をもって知ったわけです。
だから、いいというか、
もうしょうがないということですよね。
Amazonで星1つけたい人がいるんだら、
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どうぞおつけくださいとか。
たぶん未来は良くなるでしょうみたいな。
こんな感じなんですよ。
たぶん未来は良くなるっていうか、
たぶん現実はそれによって悪くはならないでしょう。
私のことも含めてですね。
そう思っておかないと、
結局は無理のあるやり方で、
自分に無理をさせ、
無意識の力を借りて、
訳のわかんない病気にかかって、
ってことを始めちゃうんですね。
これが精神分析に向かった、
おそらく理由と、
理解しつつあるプロセスなんですね。
その途中にGoodVibesがあったのは、
この精神分析を理解しちゃダメなの。
これもまさにあるがままじゃないじゃない。
だって精神分析の本ってそこら辺に出てる。
フロイトの本も全部と一定ぐらい訳されていて、
それを読む人はいるじゃないですか。
分析家じゃなくても読むじゃないですか。
理解できてもできなくても読むじゃないですか。
読む人はね。私がそうであったように。
そうするとあるがままに変化。
これを理解したい人はあるがままに読む。
しょうがないんですよ、これは。
良いとか悪いとか言っても始まらないってことですよね。
これもまた、
本来のありようみたいな話なんですよね。
無理やりねじ曲げないってことですね。
この辺から、
ようやくですね、
何かから解き放たれて、
理解できるようになったわけですよ、結局ね。
これは私は良いことなんじゃないかと思っているので、
方々に振りまいているわけですね。
だからこれを理解するということによって、
多分、別にやること変わらなくてもいいんですよ。
認知行動療法で治すのでも、
薬で治すのでも、
分析の知識っていうのは多分、
その人にとって有用だと思うんですね。
私は仕事術の人間なんですけれども、
仕事術やっているっていう人が、
それとは直接関係なかったとしても、
分析っていう考え方を、
つまり無意識っていうものは、
意識できない領域で、
そいつの影響を猛烈に受けまくってるから、
例えば、上司が怖かったり、
朝はうまく起きれなかったり、
あるいは土日に復業してみたくなったりする、
少なくともそれについて、
検討してみる必要ってある、
そんなような話を3ヶ月チャレンジ、
というところでは集中的に、
3ヶ月間は少なくともですね、
集中的にやっていきましょう、
といった話なわけです。
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