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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月の、今日は6日?6日曜日、朝11時20分です。
昨日はとてもよく降ったらしく、
今日、外でミーティングする予定だったのを、急遽オンラインに切り替えてみたりもしたんですね。
もう大丈夫かもしれないなと思うんだけれども、
ちょっと無理をするほどの天気じゃないなという、珍しいですもんね、ここまで関東で降るというのは。
1年以上ぶりなんじゃないかという気がしますし、
さすがに僕ちょっとその辺、うちの周りは全然降ってないんですよ。
ここら辺って割とそうなんですよね。
よっぽどのことがない限りここが雪雲に覆われるってことはなくて、
若干みぞれが降ったかなぐらいで終わってしまうんですよね。
雨でざんざん降ってましたけど、雪はそんな言うほどは降ってなくて、
都心とは全然多分景色が違うんで、
色々調べないとですね、都心の状況とかは分からないので、
ここからだと、そういうところに住んでおりますんでね。
知らないっちゃ知らないんですけれども、
昨日はね、夜すごい降ってる光景はいっぱい見たし、
八王子とか新宿とか渋谷付近とかもすごかったんで、
まあまあ今日はこれで良かったかなと思ってます。
これしかなかったんじゃないかな。
不要不急の外出言ってましたしね。
不要じゃないんですけどね。
不急ぐらいは言えるかなという感じで。
そんなところで、
今日はそういうわけでですね、
ちょっとゆっくり目になったんで、
何の話をするっていうのも、もともとスキップするつもりでもいたんでですね、
何の話をするか悩んでいるところなのではあります。
で、短めにしようかなとも思っているんですけれども、
今日は3ヶ月チャレンジで少し話題になった話題に、
3ヶ月チャレンジというのを、
3ヶ月ずつ参加者の皆さんの週に1回のグループセッションと、
週に1回の私とのオンラインセッションというのの組み合わせでやっておるんですけれども、
それ3ヶ月で1機なんですね。
今5機目に入っているわけですが、
少し話題になった話題に触れようかなと思っています。
いつもとあんまり変わらない話題に聞こえるかと思うんですけど、
具体例が全てというか、実践例が全てというか、
でも私たちのこの3ヶ月チャレンジは、
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カウンセリングでも精神分析でも一応ないという、
一応というかないんですね。
精神分析でないのは明らかなんで、
定義上精神分析とはとても言えないものなので、
話題にするんですよね、我々は。
これはもう我々はというか、私の方のセッティングですね。
悩みというもの、
自分の悩みそのものでなくても良くて、
自分の悩みをアレンジして話題にすると。
それをカウンセリング的であれ、
言語的であれ、精神分析的であれ、
構わないから、最近はもっぱら精神分析的ですけれどもの、
そのなんていうんですかね、
なんていうんだろうな、
そういうフレームワークで見てみることですね。
そういうの自体が批判される目線というか、
ポジションもあるとは思うし、
それもよくわかるんですけどね。
でも私は、これはそれなりに、
僕らのような精神構造の人間には有効だと実感しているので、
この路線でしばらくというか、
やれる限りはやっていきたいなと思っているわけですね。
実例ではなくて、
私はこれもやっぱりなんていうんだろうな、
一つの構造だと思うんですけれども、
割とよくある話でですね、
自分が楽しみにしていた計画、家族の計画みたいなのかな、
ここ簡単に言うと、
みんなで今日休日だからイベント行きましょうみたいな、
そういう計画が不意になんていうんですかね、
諸事情あってキャンセルになる。
今日はあれですよ、会ったミーティングがオンラインに切り替えるみたいな話でもありますね。
例えば延期にするとか、別の日に同じかするとか、
それこそオンラインにするっていうのは家族のイベントだとちょっと無理だと思うんですけどね。
例えば子供が楽しみにしているディズニーランドは取りやめにして、
うちでゲームをやって、でも楽しかったよね、
この方が良かったよねみたいな話にされてしまうというのかな、
そういうのの話。
で、これも実はこの背景はすごい色々あると僕は思うんですよ。
それこそグッドワイブス的に持って考えるというのもいいと思うんですよ。
ただまあ私は3ヶ月チャレンジの主催者でもあるので、
やっぱりこれを、なんだろうな、
精神分析的にやりたいってわけじゃないんですよね。
直感に割と従ってるんですよ、僕は。
これは行動療法がすぐに頭をよぎったら、行動科学的に考えたいと思うんだけど、
よぎらないんですね、今や。
行動科学で考えようと思えばできます、これも。
認知科学的に考えることもできます。
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できますけど、なんかこう、無理やりそうしてるっていうのか、
あえて頑張ってそうしてる感じになるわけですよね。
これをかわいい早尾さん流に考えることはもちろんできます。
それはあんまり無理はないですね。
ただそれはやっぱり無理はないにしても、
遠くにあるものを持ってきて、遠くにあるコップを持ってきて、
手近にあるコップはちょっと下げて、みたいなことをやってる感じはするんですよ。
何のためにそうするのかなって感じになってしまうんですよね。
たぶん倉園さんがGood Vibesをサッと取るのも、
倉園さんだからなんですよ、これは。
非常にそういうところはあるんですよね。
倉園圭三さんが他の韓国に持ち込む理由って別にないわけですよ。
あれは特に倉園圭三さんの考案に近い。
まあ、考案だからね、Good Vibesは。
いや、それ禅と変わらないじゃないですかっていうのは、
その話と近いんですよね。
禅の坊さんだったらそうでしょうねっていう話なんですよ、これはきっと。
何に引きつけて考えるかっていうことですね。
僕は精神分析をこれを使って考えたくなる、今は。
特に精神分析だって学科がやたらあるわけだから、
やたらあるし相互には矛盾してたりしますからね。
だから、今はすごく盛んに外でお心当たりの方をずっとやってるし、
これはとてもいい方法だと思うんだけど、
長いなーって、やっぱこうやって活動してると思いますよね。
ずっとこれ聞かされてると長いなーって感じがしちゃいますね。
しょうがないっていうか、このような地区では特にね、
非常に大事ではあるんですけど、
もうなかなか大変だなという感じを聞こえてないかもしれませんけどね。
で、やっぱり解釈ってまず考え方をとりますね。
この、なんだろうな、ディズニーランドに行きたかったのに、
うちでマリオをやることになり、しかもそこそこ楽しんでしまったといった場合ね。
これはですね、やっぱりまず僕は、今というかその時もそうなんですけど、
まずこの話、それ自体を聞いた時は楽しかったっていう前提が大事なんですよ。
だから似たような話っていうのは結構似てなくて、
似たような話では全然違うものが連想される。
それこそ似てるんだけどGood Vibesの方が遥かにこれはいいと思ったら、
僕はもう躊躇なくGood Vibesの話しちゃうんですね。
これは倉須野さんと一緒にしようとさせてもらってるから、
そういうこと平気でできるっていうのと、しやすいってことは当然あります。
だからやっぱりさっきの禅の坊さんなら禅だろうとか、
ジョン・カバトジンならマインドフルネスだよねっていうそういうような話と近い。
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でもまあ全部が全部マインドフルネスの人だからって、
マインドフルネスしか喋れないなんてことはないわけじゃないですか。
多分世の中の世間の常識みたいなのを喋ることだって当然あると思うんですね。
僕だってどんな時でも対象関係論の話がしたいですってわけでは決してない。
別にそこはライフワークでいいじゃんっていう時もあるわけですよ。
で、楽しかったというのが大事ってどういうことかというと、
やっぱり僕はですね、赤ちゃんを本当はアタックしてほしいのにミルクを飲まされましたっていうニュアンス。
ただしここで大事なのは、その時お腹いっぱいでしたっていうのと、
その時空腹でしたっていうのは全然違うと思うんですね。
空腹だったらこれは前提で、ミルク飲んだらミルク飲みたかったんだよって思っちゃうという、
この転換がですね、ここでの起きている出来事を比喩として僕が考えるポイントなんですね。
そして大事なのはフロイトは性にこだわりすぎってあれなんですけど、
ここには身体感覚がすごく入ってきているっていうところなんですよ。
大人になっちゃうと、ディズニーランドがゲームになります。
特にゲームっていうのはバーチャルの世界に近いんで、
ていうかバーチャルの世界なんで、あんなのは本当にやったら困りますからね。
バーチャルの世界じゃないですか。身体感覚がないように思っているわけですよ。
もっぱら精神的なやり取りであるというふうに思っているんだけど、
そこをちょっとね、ぐっと頑張って身体感覚が入ってきてるんだっていうことを思い出すべきだと思うんですよね。
べき?べきではないかもしれないけど、思い出さないとこの問題は見えてきにくい、
すごく見えてきにくくなるというところを感じる。
だから僕はフロイトは性にこだわりすぎって言われちゃったんでる、
言われてしまってると思っているんですよ。
身体感覚、スキンシップみたいなもの、それも割とベタベタのね、
そういうものがここに滞在しているって考えると、
割とこう、ぐっと来るものが出るんですよ。
なんてことないじゃないですか、別に。
いや、そのね、用事があったんだから、あるいは雪が降ったんだから、
ミーティングがオンラインに急遽になりました。いいじゃないですか、それで。
これはそれこそですね、これも3カ月チャレンジで時々話題になるんですけど、
この深刻な不幸をありきたりの不幸に変えるという話なんですよ。
美容によってはありきたりなんですよ。美容によらないとありきたりじゃないんですよ。
こっちのポイントが、つまりこれは体に関わったらありきたりでは進まないということなんですよ。
だって赤ちゃんにね、寒い、これは身体的ですよね。
うううってなってると寒いっていう概念がないから、これね、つらいと思うんですよ。
ここに身体性ってものを考えたいんですね。
今、地震とか被災者の方の避難生活で雪降るとつらいじゃないですか。
これは身体に僕は関わるというところが、私たちの深刻さというものとリンクしてると思うんですね。
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赤ちゃんは寒いって言葉を手に入れれば、だいぶ寒さは軽減されると思うんですよ。
ここは僕はすごい大事なポイントだと思うんですね。
逆に言うと赤ちゃんだったから我々は全員、みんなこの感覚は響いたと思うんですよね。
トラウマというものは特定の人だけが経験するものじゃないというのが、
僕はなんとなく現代のカウンセリングとか精神分析に通定する考え方だなって思うんですよね。
本当はアフロイトは批判的だったし、この意味もよくわかるんですけど、出生外症っていう言葉がありますよね。
オットランクの本のタイトルだったと思うんですけれども、お腹の中から出てくるっていうのはつらいことだったんだよっていうね。
あれは僕は、これを言うべきか言うべきでないかって本当微妙なラインだなって思うんだけども、
でも身体感覚であることは確実だと思うんですね。
間違いながら身体勢に直接関わっていた。
で、やっぱり死を連想した、でも死という言葉もないからね、赤ちゃんには。
だから死を連想した可能性は大きいと思うんですよね。
だって世界が崩壊してますからね、あれね、完全に。
それまで世界だと思ってたところは、実は世界じゃなくなりました。
今度からこっちで行きますっていう、あれはもう本当に、ある意味死後の世界的なね、世界転換が起きているわけじゃないですか。
で、そこまでいかないんですよ。
寒い、寒いのがどうしようもないっていうこの感じが、寒いって言葉もなく実感されるのは厳しい。
なのにミルクで満足してしまうっていうのは、いいのかっていう気持ちが残り、残らないと思うんだけど、残りますよ。
ここでミルクで満足してやったら死んじゃわないっていう、そういう恐怖感と共に満足がやってきますよね。
共にっていうのがやっぱりここも大事なんですよ。
つまり、昨日も言いましたけど、量化的ってやつなんですよね。
アンビバレントなんですよ。
愛しくて憎たらしいみたいなあれですよね。
困るんですよ、これは非常に。
どうすりゃいいんだか分かんなくなってしまうから。
だから、私はやっぱり葛藤とは全てそういうもんですけどね。
これは素晴らしいけど最悪だみたいな。
こういう問題が僕らの実生活では問題になりやすい。
問題が問題になりやすいっていうのはしょうもない言い回しですけども、そういうふうになっていると思うんですね。
だからここには気抜けって言葉がどっかで出てきてたんだよね。
ごまかされるとかそういう話なんですけれどもね。
そうなんですよ。
それが嫌なんですよね。
ある種の、そういうことばっかりされてきている人にしてみると、
それがやってくるという、ここがよく分からないというか、うまい表現がない。
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なぜならば言葉以前の体験だから。
うまい表現がないんですよ。
だから、恋愛とかって言ってるんだと口が愛するとかね。
オーラル期とかって頑張って言ってると思うんですよ、精神分析の世界ではね。
言葉がないんですよ、これは結局。
良いおっぱいと悪いおっぱいでは、良いおっぱいに吸い付き、悪いおっぱいは噛みちぎって後で後悔するとか。
そういう話はウリオワルの話にも今話題になってるじゃないですか、実写化で。
一巻の最後の方で出てくるわけですよね。
まことさんという同棲している男の人と、同棲したんだから恋人なわけですよ。
でも相手の練習のことで暴言を吐きまくって、まことさんは物全部持って出ていくと。
それもどうかと思うんですけどね。
これは完全に良いおっぱいと悪いおっぱいと、噛んだらお母さんがいなくなった問題そのまんまじゃないですか。
つまり妄想分裂ポジションから欲打つポジションなわけですよね。
あの作者さんは物語展開上手な上に性格が良いというか、人生経験豊富なのかなとよく思うんだけど、
この話をハッピーエンドにしてるんですよね。
良い作者だなって思ったわけですよ。
これ絶対実話だったらハッピーエンドにはなんないと思うからね。
だからここから先がここまでが大事だって大概思われるかもしれませんが、
そうなんだけどね、恋愛では。
そういう暴言を吐かないで関係を壊さないようにしましょうというのが大事だけど、
僕はやっぱり精神分析的に見ちゃうんで、ここからが大事だって思うんですよね。
ここからがやっぱり大事なんですよ。
まことさんはまことさんの物を全部持っていったんじゃないですか。
これだって僕どうかと思うんですよね。
まことさんの物と相手の物の共有物はどうするんだよっていう話が、
そっから勘になりました。
まことさんの物だけがなくなってますっていうのは無理がないかっていう気もするんだけど、
これは漫画なんでね。
問題はそっからなんですよ。
それってつまり何が起きたか。
何も起きてないと言えるじゃないですか。
でも絶対そうじゃないですよね。
もう起きたこと、それによって彼女はすごいめちゃくちゃ欲打つ的になって、
階段で転んだりしてましたから、
身体勢が関わってくるからだね。
欲打つ的な状態なわけじゃないですか。
ここに凌駕的なものがありますよね。
まことさんのことが大好きでなければ、
このいなくなったということによって、
こんなに心理的にボロボロになるほど落ち込む理由は全くないわけですよ。
ところでもともといなかったわけですよ。
そこにあったものも全部自分のものではないんだから、
彼女は何も失ってないとも言えるわけですよ。
そんな風に言う人は、あの場面では誰もいないでしょうけど、
でも彼女は何も失ってないとも言えるわけですよ。
これは不在論なんですよね。
良いおっぱいがなくなったというのは、
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悪いおっぱいが登場したものがないんですよ。
でも彼女の心の中では既に対象喪失が起きているから、
悪いおっぱいに自分はもう攻撃されているぐらいな感じになってしまうのが、
非常に欲打つ的な状態を生み出すんですね。
悪いものがそこにあるんですよ。
まことさんがいないという悪いものがある。
本当はそういうことはないわけじゃないですか。
こういうものがまず起きるはずなんですね。
寒い。寒いとはどういうことか。
寒いという悪いものがあるわけじゃないんですよ。
暖かいというものがないだけの話なんですよね。
赤ちゃんにそれを言っても無駄ですよ。
無駄ですが、しかもミルクで誤魔化されてしまうということは、
つまり本当は寒いというのは大した問題じゃないかもしれないんですよ。
もちろんこれも赤ちゃんにとっては無駄ですよ、そんなこと言ってもね。
ディズニーランドに行けなかったというのは、
悪いことが起きたのかっていう話がここにまず一つあるわけですね。
それはもどもど無かったものなんじゃないのっていう話ですよ。
今日のミーティングもそうで、
これは別にディズニーランドみたいに前々からワクワクしててね、
みたいなそういうのではないから、
ありきたりの風みたいな話で済むんだけど、
この場合ちょっと難しいんですよね。
何が難しい?雪があるから。
いや、ミーティングがないっていうのは、
何かがあるわけじゃないでしょっていうのはそうなんだけど、
でも雪があるからなみたいになるんだけど、
雪が降ろうとなんだろうとですね、
もともと無かったんじゃないのかそれって。
実際もともと無かったんですよ。
ここはライフワークの人たちが、
もっともっと抽象度を上げていける部分だと、
僕はよく思うんですよね。
仕事術でもビジネス書でもいいですよ。
あそこに書いてあったものがやれないんですよっていう話を聞くたびに、
おかしなこと言うなーっていうところが、
僕はちょっとあるわけですね。
まるでね、それでは株価が5倍になった株が、
5日後に手に入ることになってたんですよみたいな、
5倍に上がるはずだったんですよこの株はっていう話を、
延々聞かされてるような気になるわけです。
いくらその株が将来有望であることが確実されていて、
5日後には5倍になるのかも知れなかったけれども、
実際なんなかったわけでしょ。
なんなかった株の5倍になった話を、
100回しても1000回してもダメなわけじゃないですか。
それはないんですよね。
でもそのご当人にとってはもうあることになっちゃったから、
でもタスク管理で計画と言ってるものは全部そうなんですよ。
全部そうに決まっているわけじゃないですか。
この日にやれたはずだとか、
3ヶ月後には間に合うはずだったとか、
こういう風にしておけばやれたんだとか、
いう話を1万回しても、
いやそれはそういう現実はなかった。
そこに何も問題はないはずなんですよ。
もともとなかったものが実際なかった。
その通りなわけですよ。
ただし我々の頭はあまりにも、
この種のところで混乱するんですよね。
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あるっていうものがあるはずだっていうものが、
あるに変わってしまうんですよ。
まことさんはいるに決まってるわけですよね。
いなくなったというのは、もともといなかったんだから、
あるいは永遠に続けるという保証は、
そんな人間はいませんからね。
永遠に続けるという保証は存在しないんだから、
ないという事態は、
何か悪いことが改めて発生したわけじゃない。
本当はないんですよね。
でもあのシーンを見てそう思う人は誰もいないですよね。
だから我々はそういう身体的な問題を含む、
特に恋愛って身体的な問題は必ず含むので、
身体的なもの、つまり悪いおっぱいがあるという誤解をしてしまったら、
それは物理的にもあるぐらいに思うのはしょうがない。
いけたはずだと今日ミーティングはあったんだと、
心がそういう混乱に落ちるのもしょうがないんですね。
当然そういうことは起こる。
起こるんだけれども、ここからが大事なんですよ。
ここまでが大事じゃないんですよ。
ここからが大事なんですよね。
タスク管理なんかですらそうなんです。
ここまでが大事だと思っちゃうんですよ。
いや、もっと前から確定申告を日々やっておけばみたいなこと、
この前に私を持って行っちゃおうとするんですよ。
あの時、誠さんに年収のことで暴言を吐かなければとかね、
この雪の日にセッティングするじゃなくて晴れの日にセッティングしておけばとかね、
そういうことを言い出しちゃうんですよ、僕らはね。
赤ちゃんが、いや、あのお母さんがちゃんと最初からぐるぐる巻きにしといてくれればって言わないけど、
そういうのと変わらないんです。
そうではないだろうと思う。
ここからが大事なんですよ。
いなくなったところからが大事なんです。
いないという問題は、改めて悪いものが登場したんではなくて、
もともとなかったんだから、私は何にも失ってないんです。
この辺でグッドバイオスのクラウドの刑事さんのお話が、
言葉がよく出てきますよね。
何を失ったんですかっていう質問は、これを意味している。
私たちの心は何かがないっていう事態と、
ないものがあるっていう事態を混乱している。
もうこういう表現しかできないんですよね。
あの、毒のミルクを飲まされてるみたいな、
あるいは寒さにブルブル震える何か毛布を着させられているみたいな、
そういうですね、赤ちゃんの観念に戻って考えてねっていう意味ですよ、これは。
身体しかなかったらこういう観念を、つまり、
僕らはないっていうのは抽象概念だから。
基礎中の基礎の抽象概念ですから。
だからいないいないばーって言うんですから。
あの、基礎中の基礎の抽象概念ですよ。
ないというものを理解しろと。
つまり僕らないっていうことがわかってないって言ってるわけですよね、
精神分泉医の世界ではね。
悪い酔っ払いがあるんだ、ではないんですよ。
マコトさんがドローンして私に罰を与えている。
絶対そう思うんだけど、あの人はね、いなくなることで意地悪をしているんだっていう風に考えるし、
現にそういう側面もあるんですけど、
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でもでもでも、元々いなかったんだよと。
で、いつか必ずいなくなるんだよと。
つまり、あなた自身という存在がマコトさんがいるかいないかによって、
いないいないによってですね、
出てきてくれるまでは元に戻れない存在ではないんですよという話なんですね、これはね。
だから先の見通しを立てて、
それがリアルである、現実である、実在するものなのであるっていう考えに
自分を慣らさないほうがいいっていうことなんですよ。
抽象概念を我々は扱えるのに、扱えない自分というものを作り出しちゃうわけですよね。
それをやめない限りは、この抑鬱ポジションの一番入り口のところの
抑鬱でどっぷりっていう時代から脱することができません。
最初の喪失は最初はそこから始まるわけですね。
なんでいなくなったんだと言って怒り出す。
それから悲しみ出す。
めちゃくちゃどっぷりと辛くなる。
そうしてこうしてああして、
要するに終焉というものを迎えて、
あ、もともとなかったんだという抽象概念、
つまり具体的な実態を抽象的なものだという風に捉え直す。
これが現実を見に行くってことなんだけど。
そうすることができれば、
何も今日〇〇があるはずだったというところに
固着しなくて進むってことなんですよ。
あ、今日はバーチャルなゲームを楽しむという日だ。
それだけになった方がよっぽど自分の生活は楽になるわけですよね。
ただここにいわゆるミルクの誤魔化しみたいなものが入ってしまうと、
話は一段とややこしくなるわけですよ。
だから空腹はミルクで満たす。
寒さはまた後で何らかの形で満たせばいいわけですよね。
ただ赤ちゃんはそういう風には物事を整理して考えることはできない。
ただし我々はできるわけですよ。