セルフケアセミナーの詳細
おはようございます。 人生相談のための精神分析的ラジオ第1134回をお送りします。
2月10日月曜日7時45分です。 はい、お知らせがあります。
3月15日の
3月15日だからほぼ1ヶ月後なんですが、1ヶ月後の土曜日ですね。 3月15日土曜日の18時から
渋谷のですね、スポットだったかな。 なんかその
光江の方から、光江だったと思うんだけどね。 まあ適当に
適当ではないつもりなんですけど、あの
から行けるところで、あの なんだ
えー 渋谷です。駅から近いです。
スポットストリームサイドってところなんですけれども、 そちらで3月15日土曜日18時から
21時までの3時間。 ちょっと長いタイトルなんですけど、セミナーやります。
なぜ5分でできる、なぜ5分でできる自分のケアすら、 セルフケアですね。なぜ5分でできる自分のケアすら先送りにしてしまうのか
について、心の専門家に尋ねる3時間のセミナー。 心の専門家というのが山崎孝明さんという
臨床心理師ですね。公認心理師でもいらっしゃいます。 私とですね、こちらの3ヶ月チャレンジにご参加いただいていた
新井さんという方と、あの3人で金枝をしていき、 その中で今のようなテーマでですね、今のテーマだけではないんだけど
今のようなテーマで お話ししていくというセミナーです。
コードのきばを使っていただくと、オンラインでもやります。 オンライン、オフライン、開催までの間は動画配信の予約もできます。
このいずれかをコードのきばでですね、1000円引きとなりますので、 会場参加5000円、オンライン参加か動画は4000円となります。
動画配布しますよっていうことを強調しておかないといけない。 後で強調しておこう。
心理学と生活習慣
というわけで、
どしどしご応募くださいと言いたいわけですけど、 テーマがですね、絶対この話をしますとは言えませんが、
金枝の中でしたい話として、まずですね、診療内科に行くのがいいのか、 カウンセランリングに通うのがいいのか、問題みたいなのをちょっと話したいかなと。
あとはですね、規則正しい生活っていうのは、 心理的に心にはいいのって、悪くはないと思うんですけどね、という話。
あと、ライフワークで成果を出したら不安は消えるのか。 あとですね、これが最初のタイトルにしたいと思ってたぐらいのテーマに、
給食するじゃないですか、会社休む。 心、メンタル不調で会社休むとしますよね。
副職日から逆算して、今日の体調を考えることは可能か。 もうちょっと言うと、いつになったら私は副職できるんでしょうという質問がね、
多分カウンセラーの方はしょっちゅうされると思うんですね。 この質問に答えられるのか、答えられないとしたらどうしてなのかということについて、
お話ししたいかなと。まあ余裕があればね。 あと心と体のアプローチ、これは私がしょっちゅう散々言ってるやつですね。
行動へのアプローチでもいいし、心へのアプローチでもいい。 その流れの中で、できればできないかもしれませんが、
ライフワークにとってのパーソナリティ障害との関係。 先送りというものをですね、そもそも私、告知文の中でも取り上げたんですが、
リンダ・サパティン博士のですね、書いた、 グズの人には訳があるという先送り対策本があるんですよ、古典的な。
まあ僕の中では古典的な。文春文庫今プラスから出てるかな。 まあちょっとさらに変わったかもしれませんけど、とにかく文春系の文庫なんですね。
で、このグズの人には訳がある。 プログラスティネーション症候群とか言ったりするんですけど、
その先送りグゼといったものをですね、そもそも2000年よりも前からすでに パーソナリティ障害の分類の中で扱おうとしていた
心理学者さんが、まあ海の向こうにせよいたわけですよ。 その後も人格障害とか愛着障害といったのが
定期的に、かなりの頻度でビジネス書界隈を実はにぎわせてきました。 記憶に新しい人だったら、新しくはないけど記憶にある人は結構いらっしゃると思いますよ。
あの性格分類みたいなやつをね、フランスの精神科医の人たちも書いた。 2人で書いたのかなという本もあったんですよ。
難しい性格のなんたらかんたらみたいな本だったと思うんですけどね。 そういったものがあったということはつまりパーソナリティ障害という
概念からビジネス書にアプローチしてきた時代もあったということになりますよね。 それを話したいかなと思ってます。
男性性と社会的期待
まあこの番組ではおなじみのテーマです。 この辺について3時間かけて、とっくりと精神分析のある聞き方を書いた
最近では当事者と専門家という本を書いたりされている山崎孝明さんに
談議していきたいなとそういう内容になりますね。
はい、ということで3月15日 当日参加が難しくても、現地参加が難しくてもオンライン参加可能ですし
それも難しくても動画配信はいたしますので ぜひよろしくお願いします。
はい。 というところから今日はちょっとですね
これは大事なお知らせだったんですが今日はその ちょっとチャレンジングなテーマに
テーマというかテーマはいつも通りなんだけどチャレンジングなことを考えて 喋ってみようかなぁと
まあ無謀なことを考えているわけですが あの
そうだなどっちから行くべきなんですかねこれはいいややるだけやってみましょう まず長寿がっていうところから行きますね
あのこれは3ヶ月チャレンジを始める前から考えてたことなんですけど 現代の人というのはとにかくこのですね
私の感じているところでは相互的長寿がまあこれはその対処関係の中によく出てくる しばしば出てくる
概念なんですが あのというものにやられてるなぁというまあ私も含めてそうやられてるなぁと思ってたんです
とにかく長寿ががある意味好きだよねと あそうそう最近その新井さんという方と話している中であのアイスバスというね
氷風呂です youtube 見ていただいてアイスバス男磨きとか 検査かけるとバンバン出てきますけど
まあマッチョな人がですね朝っぱらからこの寒いのに今日も大変寒いんですが私の住んでる ところすら氷天下なんですよ
よついさっきまでねえこの中 氷の水風呂に入ろうというその発想がよくわからんのですけれどもまあそういう
ね発想があるわけです昔この番組でも油風呂という 先駆け男塾というまでは漫画なんですけどね完全にしかもほとんどギャグ者ギャグなんじゃないか
っていう感じがするような漫画なんだけど まあ油風呂に入るわけですけど油風呂は本当に死んじゃいますよね絶対
でも氷風呂死にはしないわけですよ 死にそうな気がするけどその氷風呂にまこり風呂というか氷の水風呂ね
だから ゲンランチュの理論上0度以下にはならないはずですよね
0度の水に入るとそういうことですよね まあねあのサウナの横によくある水風呂だって16市とになってますからね
0度とか本当正気の沙汰とはとても思えないんですが僕なんかからするとね 16室が入れますよそりゃ18度ぐらいならね
まあこの年になっても入りたくはないけど入れなくはないですね 気持ちいいと言ってられることもありますが0度はダメだろって感じがしますね
でそのあの 氷風呂みたいなものは一体何のためにアイスバスか何のためにあるものなのか
というとやっぱり僕はこれはね長寿がというものを鍛えることで現実を乗り切ろう という風に対象関係論側から側じゃないけど
僕の対象関係論の知識からすると感じられるんですよ別に自我心理学にも あの長寿がありますからフロイト以来古典的な精神分析の概念ですね
自我に対してこうしろあーしろと端的に言うとそういうことなんですよ お父さんですね
エディフスコンプレックスでいうところのお父さんですよ ちゃんとしなさいちゃんとしなさいですよ
あの なんちゅのかな官僚機構には必須のものみたいな感じが僕なんかにはしますね
とにかく上のものには上のものの命令を聞けみたいな あの軍隊では必須ですね軍隊では必須ですね
何そのかなぁ まあ男のまあ男とは限らないんだけど
まあ男性型社会の組織ではもうこれは非常に あの欠かせないとこれまで考えられてきた私はそれに対して非常に強いアンチ
テーゼをある意味打ち出しているのがそういう言い方は絶対しないけど あの強いアンチテーゼを僕は打ち出して見えるのがクラゾン計算のグッドバイオス
まああれは正しさを手放すというのが早々に出てくる概念なので 正しさ絶対必須じゃないですか長寿が概念はこうするのが正しいんだっていうわけなんでね
正しいことをやりなさいというでその正しいことをやるのは簡単ではないから例えば 朝8時に会社に来なさいそれが正しいんですってなってくると僕なんかは6時に
起きなきゃならなくなるわけですよ 6時起きれねえってなりますよね毎日毎日6時に起きれないじゃないですか
つまり正しさを手放すというのはそういうことなんですよ 1分でも遅刻するやつはダメだみたいなのってつまり正しさが非常にこう担保されないと
ダメですよね力づくでもその力づくで正しさを担保するときにあのお前ここで言う こと聞けないとちんちん切るからねみたいなつまりお前は男じゃないからねっていう
まあこれ非常にジェンダー的な問題があるけどもっと言うとこの組織ではやっていけ ないからねってそういうことなんですよね
組織の一員ではなくするぞ だからあのお母さんとイチャイチャしていると家族から放り出すぞっていうのも虚勢ですよね
虚勢というのはそういうふうに正しさというものとはワンセットなわけですよ 絶対なんですよ
だからあのウィリアムテルは非常に無茶苦茶応募なんでえっと息子の頭の上にリンゴ乗っけ て俺の弓の腕を見せてやろうみたいな
お父さんはそれぐらい応募でもいいわけですよ正しい ただしここにはスキルとか力とかのあの
なんて言うんですかね後ろ盾というのはあって見事リンゴを射抜くわけじゃないですか そしてウィリアムテルが賞賛されるもうこの犠牲者は割とどこまでも犠牲になれる
わけですよ だっておでこに矢が当たったら死んじゃうな子供だけどリンゴに矢が当たったら褒められるのは
ウィリアムテルなんだから要するに息子をただただ犠牲になる可能性を大量に秘めてる だけで何もいいことはないですね
このこの応募さというものが8でもお前そのそこでリンゴやって立ってないと 王様にウィリアムテル殺される言ってるしこれもだから王様は父親の更なる父親
なんですよ このようにして官僚機構というものは成り立っているわけですね
でまぁね息子の立場からしてみればもはや あのお父さんはどうせねそのやだ立ってたくないとか言ったら家から出なきゃな
けなんないしあの時代家から出たら死んじゃいますからねやっぱり立ってるしかない わけですよ
非常に理不尽だこの理不尽さというのはあの会社でお馴染みの まあ少なからぬ方があのいつも感じでいる理不尽さと全く同じような理不尽さ
わけですね だから鍛えるわけですよ
何をどう鍛えてるのか予感わかんないけどまぁこの子もね こんなね大変なことやってられないんだけどやらなきゃなんないからせめて心を強くせ
ねばということでアイス風呂に入ったりするのかもしれないですよ アイス風呂に入れるぐらいになればあのもしかするとこういうね理不尽さにも耐えて
いけるのかもしれないじゃないですか でまぁいずれにしてもあのそれだけでいいことが起きるというわけではないけれどもまぁ現代は
ね少なくともリンゴの頭の上に乗っかって矢が来るの待ってたりはしなくて済みます んでね
またリンゴに当たるのをひたすらひたすら祈るよりほかないですもんね あの
つまりお父さんのスキルにここでなんだかんだものすごい期待するしかないというこの 理不尽さこそがですね
あのこの大方なお父さんが素晴らしいお父さんなんだと思う以外いいことは何もない あのよく言われているブラック企業に勤めるというのはつまりそういうこと
なんですよ あの最悪かもしれないし理不尽かもしれないしとんでもないかもしれないがでもその結局会社
が大量に設けて自分の給料が高くなるのが一番ベストですよね 一番ベストじゃないかもしれないけどとりあえずのベストです
そういうことがこれが長寿がというそして虚勢不安という その組織にいるのはとても辛くて厳しいが
適応するのは大変だが結局は適応できずに追放されるのを最も恐れているというこの あのアンビバレントなお父さんに対するですねアンビバレントな状態
あれですよあの なんだっけ
あっちったけなぁ夜 夜じゃないな
うんといや夜だったような気がする夜と霧じゃない方の夜ね あのやれもユダヤ人で子供の時にお父さんと一緒にあの強制収容所に入れられた
あの青しびたの夜と霧じゃないプランプランクルじゃない方のやつですね ちょっとエリージェではないと思うんだけどそういうような名前の人が書いているやつで
父親への依存と自由
あれもですね言うまでもなく重々しい話なんですけどそれでもですね僕がやっぱり可愛い早尾 さんも書いてましたけど衝撃を受けたのは強制収容所の中でお父さん死んじゃうんですよね確か
でもその時あのものすごい辛いしだって強制収容所で唯一の頼りになるお父さんがいなく なるってこれほど心細いことはないと思うんですよ
でも 心の中に喜びがあるの自分は見逃せなかったみたいなこと書いてていやこの人すごい人
だなって思ったんですけど子供の時の話ですもんね つまりお父さんが目の前で死んでいってああ良かったと思ってるわけですよ心のどっかで
をこれでお父さんから解放されて自由になれるぜってわけなんですよ だってもうそしてしばらくして自分も死んじゃうかもしれなくてもそしてお父さんと別れる
のは明らかにものすごい悲しそうなんだけどそれでも心の奥底には喜びがあった っていうこの
話がですね私はものすごくですね忘れられないものになったんですけれども 父親の応募あのユダヤ人社会っていうのはね
人そうなんですよ応募なんですよきっと過不調整が厳しくてでもまあそうは言ってもね このような自分の心の影は見逃します見落としますよね
普通に すごいやっぱりこうよくよく自分の内面について詳しい人だなと思うんですよね
この感覚まあ非常に影が濃いとも言えなくはないですよね 非常に幸運
なんていうのかな闇が深いと言いますかそういうところも 言おうと思えば言えると思うんですよ
とにかく長寿がというものはそれだけ人の心に影を指しているということは間違いない かな
長寿がと社会的期待
命かかってたり昔はしましたからね今はさすがにまあちょっとねでもねいろいろあります からね
まあとはいえ私はその辞めた方がいいと思うんですよね いかなる理由にせよこの長寿がが
きつくなっていいことは僕は何もないんじゃないかと思うんですよ ましてこう会社っていうところはこの
なんていうのかな体育会系ましぐらでいける会社っていうのもあるのかもしれない んですけど
私のこうこれまでの経験だというほどは全然ないなと 単にマウンド取りたいという気持ちの方がのさばりやすいだけであって
いうほどこの男性昔でいうところの不調男性主義みたいなもので ものがですね組織を非常に強くするかっていうと非常に疑わしいなというふうに
最近は特に思いますねちっちゃな組織で動いている人間としてはですね あのこのお父さん主義というもので乗り切れるほど
世の中単純にできてないですよねやっぱり私が思うには ましてそれを心は水風呂では鍛えられないと思うんでいくらかは違うかもしれません
でもどっちか中でやっぱり朝起きてスッキリみたいな気持ちになれるのがまあ 身体的な機能可能あの身体的な影響の方が強いなと
で何よりも僕がやっぱり思うのはですね あのこの長字が機能というもの
プロイトが書いているということの中にそれほど明快じゃないですよ 明快に読めるように思って読んでたんだけど
そんなにはっきりと長字がとは定義上こここうだみたい書いてありますけど あのそんなに確信を持って書いてるっていう感じがやっぱりしないんですよね結構
理論あの後期中期とかって言うんですけど 入ってる時期によっていうことが微妙に変わってきますし
まあ僕もタスクシュートのことについて書いてるうちにそういうことがよくわかるよう になってきたんですよ
そんなに最初に考えたオリジナルで考えた人っていうのは あのいろいろとやっぱり試行錯誤してるんですよね
長字がとはこうであるみたいな見てきたようには書けないじゃないですか見えるもの じゃないし
このウィリアムテルの話みたいなあのわかりやすい物語の時はまだしも結局のところ 弓の名人の話だから体育会系というよりは軍事系の話ですから
ここは確かにお父さん的世界っていうのが猛烈に出てきますけど 我々の時代まで来てみるとこのお父さん的世界の限界というのはあちらこちらで
しょっちゅうお目にかかりますし 何よりも体を鍛えるスキルを鍛える結局ウィリアムテルも弓のスキルでしたけど
8これは何を意味してるんだろうとなんでここで犠牲になってる子供が出てきてるんだ これやっぱ知っなんですよね
お父さんだけで何かを乗り切ってきた物語っていうのは何かマフィア映画みたいです だと本当にそんな感じになるんだけど現実はそうは決していかなくて
現役剤がみたいなのですらこのテーマ実はありますからね あの
実は我々はお父さんヒーローものみたいなものは好きですけれどももうちょっとでも複雑 になれば直ちにですね
いや立場上私たちはお父さんじゃなくないっていうのが出てくるわけですよ この子供の方なんじゃないいつもはっていうねお父さんにただ小突き回されている
長寿がテーマっていうのはそういうテーマがあるわけですよ 私これあのいつ昔は不思議だったんですけれども
ものすごいお母さんが王号でいつものなってばっかりいて凝ってばかりで要するにお母さん がファルス的長寿がなんですよね
そういうファルスを持った長寿がお母さんこういう人は昔の日本の昭和ではむしろ多かっ たかもしれん
お父さんが強いているお母さんが強いお母さんがまあお父さんが弱いからってよく言わ れてるんだけど
あのお父さん役も兼ねちゃってだけどこういうお母さんにしがみついているなんかこう 弱々しい感じの女の子とかね特によく僕は見ていやなんかお母さん
王房で嫌いって言ってなかったっけ君っていうような人をよく僕は不思議に思っ たんですよ
なんかそういう王房なお母さんの8足にしがみついている子ってちょいちょい見かけ たんですよね
あれ僕多分自分幼稚園か小学校低学年だったんですけどすっごい気になっていつもですね 興味深い
自分は絶対にお母さんの足にはしがみつかない子だったんで あの興味深いなんでなんだろう
のお母さんをなんか確かにあの外で見たって方法ない方法でこのお母さんが大好き っていうのは考えにくいんだけど
そのお母さんにこういう子はしがみつく謎だって思ったんだけど今ならよくわかる いやウィリアムテルの子なんですよねあれはつまりある意味
長寿がとヘルプレスネスよるべない この辺やっぱり非常によく指摘されているのも藤山直樹さんで長寿がというテーマを出した
時にヘルプレスネスっていうのはセットじゃないとあんまり意味がないんですよ 我々にとってはね
さっきもいいあの出てきたのですらそうじゃないですか ブラックに近い企業で働くと言った場合意外とその企業にしがみついちゃうじゃない
心の分裂と内面の葛藤
ですか 自分他に行くところねみたいなまあ
いつの時代もそういうものところってありますけどね入った組織が少々まずくても あの入った時は結局いろいろしてくれるんでブラック企業まし裏だったらまた別ですけど
ブラックっぽい企業とかこの話って dv っぽい夫みたいな話にもそのまま入ってくるんですよ つまり
長寿がうんとか俺のこう体を鍛えるぞそれによって心持って言うそういう話として 見るよりもこのヘルプレスネスの方に着目した方がいい気がするんですよね
私は人間にはこの種の分裂は必ずあると思うんです 昔もまあ意識をしましたけれども最近はの youtube でその
あらいさんとにあの紹介いただいた水風呂を見ていてもですね いやそうじゃないんだろうなとやっぱりこの人たちですら
あのご機嫌なマッチョみたいであの めでたい感じがして見ていると楽しいんですけど
多分まあこの人自身はともかくとしてこういう世界ですらもやっぱり自分の弱さっていう ものを意識してるんだろうな
そいつを克服したいんだろうなっていう感じがつまり分裂してるんですよね マッチョなだけに外から見ると肉体1個しか見えないから
肉体を見ると一貫してるんだけど心は乱れるんだろうな2つに割れるんだろうなと 分裂するんだろうなって感じがするんですよ
この分裂している弱い方こっちを見ないとあんまり意味ないなと あのなんだっけな
アチェベだっけなアフリカ文学にあのたたれたキズナっていうこれも有名な小説があるんです けれども
あのその主人公のお根香っていうねまあアフリカではすごいヒーロー 的なあのキャラクターらしいんですけど
でもあのお根香って人はやっぱ分裂なんですよね あのさすがにあの世界的に有名な小説だけあってお根香はすごい
たくましくてあのね マッチョな戦士なんだけど確かにそうなんだけどでもすっごい内面は分裂してるんですよ
いつもそういう悩んでるんですよね あの自分はなんて弱々しいんだって言ってちょっとでもその片鱗が見えるとはもうダメだ
ダメだみたいなってうつっぽくなっていくんですよ すごいよくかけてるんですよその辺がやっぱり世界どこでも同じなんだねっていう
感じがするんですよそういうこうね あのある意味ブッシュマンみたいな世界でしかもブッシュマンの中でも一番強いような
格闘家でね強いような男性ですら内面ではどんなにこの弱さっていうものに悩んでいる のかと
そのねすごい部族でもトップクラスのまあレスラーであの なんていうのかな戦争って言うんですけどもあの戦いになってもこうどんどん敵を殺して
いくみたいなそういうすごいあの マッチョな黒人の人なんですよ
なるほどこれが人気になるのはよくわかると思うんだけどでももう 特にこうなかなかひどい話が出てくるんですけど
捕虜として生け捕りにしたあの男の子ねその後期 妙に気に入っちゃったんですけどその男の子を自分が殺さなきゃなんなくなるってシーンがあって
これ非常にエリプス的な話ですよねそれで自分で殺した後にもうすっかりうつっぽく なるという
これは非常に面白い話だったんですよね私にはね この2人が我々の心にはこの長寿がっていうテーマが出た時は常に同居している
お父さんに殺されてしまいかねないこのヘルプレスな子はお父さんを頼りにして 生きていくしかないという分裂を抱えている
これ何にどうしてこういう話が必要かというと 実はしょっちゅうセッションの時に意識させられるんですよ自分自身も意識させられるんです
結局自分の長寿が指示に出るとこれがよく言われるところの介入的だしアドバイス的 なんだけど
長寿が指示的に出ていやもう朝早く起きてガンガン バリバリ仕事していきましょうみたいな長寿が指示的に出ると一見良さそうじゃないですか
それでうまくいけば社会適応がうまくいくんだから 精神分析がどうだとか対象関係学校だとかぐじゃぐじゃ言ってないで
タスクシュートにバチッとそれで逆算でもいいから書いて朝6時に起きるんです みたいなことをやれば良さそうに思うかもしれないけど
我々の心は僕は絶対にどんな人でも1個の心を持った人間なんていやしないと思う 人間は最低でも2つはもう2人ってことは絶対なくて
ない内面には10人から20人ぐらいないし内力対象がいる世界で生きてると僕は思うん ですけど
でもその2人はいて 夜上ないんですよ片方だから長寿がを強化していてうまくいってる時はいいけど
あんなお根っこみたいな人ですらえっと ねえその大変な出来事ではありますが
曲のところ自分のその強さというものがむしろあだとなるような場面に遭遇しては どーんと落ちていってあのなんでお前はそんなまあ
ジェンダー的にアレなんだけどアフリカの昔のアフリカの話ですから あの植民地になる頃のね
ナイジェリアかな植民地にされる前後なのかなった後なのか前なのかわかんないです けど
あの白人が自転車に乗ってるっていうシーンが出てくるんですけど それでこう
いやのもう自分は弱々しい女のようになってしまったんだみたいにそうやってこう うつうつとしていくわけですよ
これが起こるということは我々にこれがないはずがないと思うんですよ つまりこの
ヘルプレスですね長寿が頼みにしている方の えっと自我はどうするんだってことなんですよついていけなくなった時について
いけなくなりそうになっているって話がしょっちゅう出てくるのに 長寿が長寿が長寿がで行くとどんどん分裂が酷くなっていくじゃないですか
長寿がの方で行こうとすればするほどついていけない方はただただ長寿がからあの 排除されるのが恐ろしくてつまり自分の心の中に強い部分と
やたらビクビクしている部分が同居しているという状態 しかもその分裂が激しくなっていくという状態を生み出すわけですよ
だから長寿が指示というのはあの よっぽど調子が良くなっている時ですら
あの見守るというのがせいぜいでおよそ高支援そこを支援していくというわけにはなかなか いかないと思うんですよね
これが臨床の臨床とかセッションの場面でまず意識させられることの一つなんですよ 同時にって言ったのは同時に長寿が指示にしたくなるというのは気持ちの上ではあるわけですよ
どんなアドバイスしている側にもありますよ今調子ですねそのまま行きましょうみたいな これすら長寿が指示だと思うんだけどその時やっぱり
心の分裂と葛藤
気弱になっている自分というものを意識しないわけにはいかないんですよ まあ調子いいけど調子悪くなったらどうすんどうすんのみたいな
この この分の反動の分後で何とかできるみたいなのが自分の心の中で聞こえてくるわけですよ
それは私の要するに8グッドファイブス流に言うと恐れと不安ですよね それと不安を手放しましょうっていうあの恐れと不安ですよ
なんで恐れと不安がここで上がってきたのかというとやっぱり自分の心の中の分裂が あるわけですよ
ウィリアムてるとその息子なんですよ私の心の中でてるの方はいやいや俺のスキルに任せて おけみたいな感じなんだけどでもさそのお父さんスキルだってやっぱり
やでリンゴじゃなくておでこさせちゃうこともあるんじゃないみたいなこれが恐れと不安 じゃないですか
そのスキルで失敗して相手の長寿が支援してる指示してるのはいいけれども このね目の前の女の人がやタスクシュート無理ですってなったときなんて言う
たいのでそういうことってあるわけですよ この分裂を意識する以上やっぱりこう
どこまでも自分は弓の名人だからいけるぜっていうわけにはいかないんですよ 現実なそんなにシンプルにはできてないと
だったらじゃあそのじゃあその子供の方の抱えてみたらいいんじゃないかって考え方が 逆にありますよね
いやいやあの今はもうそんなウィリアムてる万代の時代じゃないから あの今大丈夫だからあのあれですよね弱くなっている子供の指示に回るっていう
自我主義的な8 はちょっとロジャーズっぽく感じられるような
心理療法これはもう誰もが考えつくこっちもねその介入アドバイスはいけませんと あのとにかくラポールを大事にしましょうとか
8このラポールてどっちを意味するんだろうなって時々思うんですけどまぁそういう ことですよね
その 母親のようにこう心に寄り添いましょうってやつですよ
共感して寄り添いましょうって言ってるときはまあ感覚的にこれを意味してるんだと思うん ですよね
弱々しくなっている方のあのその悲惨な目にあっている方のし自我を元気にしていってそう して欲打つ状態を乗り切っていくっていうようなそういう人欲打つ的にしない
そういうやり方だけどこれをやるとこんな長寿が不安になる 長寿が不安ってことはもあるんだけどこれが意味するのはそのまんまかわかりませんけど
あまりにもこれをやってるとどうしてもこう まあ要するにカウンセラーに依存するってやつなんですけど対抗が進行するわけですよね
まあ子供になるわけだから子供っぽくなっていくわけですよ まあ時間が守れなくなるとか
あの会社に行くのが辛くなってくるとか現実的ようが下がっていくじゃないですか 長寿が現実的をしているんであれば長寿がに頼り切っているその分裂気味の
弱々しい方はその弱々しい方っていうものを支持するっていうのは結局のところ 自分が弱々しくなっちゃうとそしてあのある意味
セッションで何もしてる気がしなくなるんですよね今度はね会社に行けないんですって言って 大丈夫ですからとか言ってすげー無責任な感じになっていくんですよ
これはこれでジェットを薄ればいいんだってことになるじゃないか で長寿がについて考えるときにはこの2つの分裂というものをなんとかこう
結局持ちこたえるって話になるんだけど結局のところこの分裂が過剰に進行しないように 気を配りながらある時はこっちある時はそっちっていうのを考えていくわけですけど
そこはでもまああのやる人のパーソナリティでると思うんですよね 長寿がが履歴宿やってるのが好きだぜっていう人もいればどちらしとお母さん的に
を自我指示的に言ってその流れの中で何とかちょっと長寿がに頑張ってもらってみたいな そういうですね
図式的に言えばですよそんなこと考えてないですけどそういうことを考えもしますよね 考えるっていうか図式的には説明できますよね
でここまでだったらまあ自我心理学的だし 視者心理学的だしまあそれこそ人生相談の息を出ないわけですよ
なぜ対処関係論という話になってくるのかといったところで えっとここで話がガラリと母親
母親の不在と心理療法
不在の母親論みたいにあわっていくんですよこの2つを統合して考えようとしたのが 冒頭で言ったもうは忘れかもしれませんが私のチャレンジングだと今回やってる
ことなんですよ 喋ってることを統合して考えていくことが大切なんだろうなぁと思いつつ
ここを統合しようとして今ちょっと詰まってるわけですね 別々に話すことはできるししてきたんですよこれまでもね
できるっていうかそれも人の方もただ喋ってるだけなんだけど できるし一応ただこれを統合的に話すとなってくると結局これって何やろうとして
るんだろうというか登場人物変わるんだよねって感じがするんですよね あの不在の母親ということになっていくと思うんだけど
やっぱりですねここで次元というのか水準が 変わっちゃうんだろうなって思いますね
先日グループセッションで不在論久しぶりに3ヶ月チャレンジと グループセッションで不在論をまんま取り上げてみたんですね
であの松木さんの事例松木国宏さんが少なくとも2つの本で書いている事例が私は やっぱりインパクトあって松木さんにもインパクトあったんだろうと思うんですけど
あの録音機の幻覚を見るってやつがあるんですよね つまり女性がこの部屋には録音機があったんですね私が喋ってることは
筒抜けなんですねみたいなことを言い出すんですよ これ幻覚ですよねで松木さんが非常に
ザワザワしてきて恐ろしくなってくるとつまりだってこれは まあ言ってみれば精神病が進行しているというしかも急速に進行しているっていう
一つのこう あの
なんていうか現象なんで心理現象でやばいって感じがするわけじゃないですか 私の喋ってることは全部筒抜けなんですねってこれを確信してしまったら多分その人
一言も喋んなくなってしまいますよね その場では何も喋れなくなってしまいますよね
したらも治療はあのマウとかじゃないかもしれないけど松木さんなら何とかされるのかもしれない けど非常に泥の罠感が出るじゃないですか
非常に危険だって思ったわけですよそこをなんとか乗り切る話なんですけれども その中で
えっとなんでそもそもこの録音機とか言い出したのかってことなんですよね それはですね
調子が良くなってきたからなんですよこの話の背景にあるの つまりその女性調子が良くなってきたからもうこれで精神分析は終われるんだみたいに
まあ長くかかるわけだからやっぱりお金もかかるし時間もかかるし 最初に申し上げましたけどいつ復職できるんですかみたいな
恋がしょっちゅう出るように終われるんだって思うじゃないですか 思ったわけですよ調子が良くなってまあ松木さんのきっと診療が良かったわけですよね
けどもそうなってくると不安になりますよね でも私あのこんなに長いこと精神病でやめて大丈夫なんだろう
周りの人は特にそう思いますよいやいやいやまだまだ続けないとみたいに 反対されたわけですよ
で周りの人はもっと続けなさいみたいに言うと でそうなってくるとすぐ心配になるじゃないですか
山月先生もきっとまだまだ時期焦燥だって言ってるに違いないと この気持ちはネガティブなものですよね
そもそも何が統合失調とか等の問題かというと精神病の問題かというと言うようは フラストレーションというものに耐えられないわけですよ
これ旗から言うとなあんかねしょうもないこと言ってんなーって聞こえるかもしれ ませんけどそんなことはないんですよ
僕らみんなこれで困ってますよねみんなこれですよはっきり言って 幻覚を見るレベルじゃないかもしれないけどみんな幻想の世界に引きずり回されているじゃないですか
彼女の彼女は不機嫌になったんじゃないかとか奥さんは不機嫌なんじゃないかとか あの恋人の彼氏をねこの間ああいうこと言っちゃったからあの私にもうあってくんないん
じゃないかとかそんな幻想ばっかりじゃないですか 会社の上司はこのミスをした私をもうこんなやつなんで会社にいるのかなと思ってるに
違いないとかね この種の幻想ばっかりですよね僕ら悩んでるもの重要な成分
だからそういうものを弱々しくやらないためにも何にでも立ち向かえるために 朝の5時半から水風呂に入ろうとか思ってるわけじゃないですかね
知りませんけどそういうことなんじゃないのかなと思うんですよ はっきり言って8我々とこの患者さんの間に何の違いがあるんだろうと思うんですよね私は
松木先生は私の 治療というもの私がこの治療やめるには時期焦燥で勝手に止めようとしている私をダメな患者
たのかえっとまだやめちゃダメだって少なくとも思ってるんだろうなと もう確信してるわけですよほとんど完全に
松木先生はまだやめちゃダメだと思ってると治療中集結に反対していると この思いが恐ろしい恐ろしいてかつらいんですよねすごくつらい
えっと私は松木先生の良い患者でありたい 松木先生はもちろん良い先生だとつまりこういう風にしてえっとすごい自分は
フラストレーションをためている すごいストレスでつらいと反対してるからねみんながね自分はやめたいわけですから
つらいこの辛さがある一方で周りの人は皆良い人ばかりであると いい人いい人松木先生はすごい偉大な良い先生みたいに思ってるわけですよね
優秀な良い先生みたいに思ってるわけですよ この
自分の中のフラストレーションの起き所がないんですよ 松木先生は反対している私も治療やめたいこれが本音なんだけどこれを思ってしまうと
でも辛くなって精神分析に行くたびに嫌な気持ちになるわけですよ こういうことってでもよくあることなんですよ
なんちゅうのかなあの デートしててもね
相手の男の人は私のことなんかもうどうせ本当は別れたいと思ってるんだろうなと思い ながら浮気してるとかじゃないですよ
相手の男性はいい男性だと思いたいわけですよ 別れたくないからこういうのがフラストレーションなるわけじゃないですか
相手は別れたいと思ってるけど私は付き合っていたいとこの状態って辛いですよね ただを一方的に自分が一緒にいたくて一緒にいてねって言ってるんだけど
相手は本音では一緒にいたくないと思う この状態が辛いわけじゃないですかだから喧嘩になるんですよきっと
だから一人でも生きていけるっていうふうに思って思いたくて水風呂に入るわけですよ つまりここを長自我的に乗り切ろうとしちゃうってことなんですよね
まあ音心の中のお父さんなりが言うんですよ そんな男に頼って生きていくなとお前一人で自分の足で立てみたいなそういうことを言う
わけですよそれがさっきの長自我論法なんですよ 今回は次元が変わったわけですよでも
彼氏のこのこの表面に見えている笑顔の裏にあるものが私を苦しめる 裏にあるものはあることにもなったんでねでも彼氏はそんなにひどい人ではないんだと
松木先生はそんなにひどい先生ではないんだと 松木先生はこれをやめろとあのまだ続けなさいと言っているそういうそういう先生
だということになっちゃうと松木先生というのは結局のところ自分がやめたいという のに反対する
悪いお父さんですよね横暴なお父さんになってしまう そうは思いたくない松木さんはいい先生なんだといい先生であるだけなんだと
ほとんど思いたい こうなってきて自分のフラストレーションがあるとでもこれをやめたいというふうに思って
いる自分がいるこれも無理だと これも認められないだって自分がやめたいと思っているということは自分は悪い患者
になってしまいますから いい治療なんだからやっぱり行きたいと思っていたい
で 松木さんはそれをやめたいと思っている自分のこのやめたいに反対しているというその裏側を
持っていて欲しくもないものすっごく状況が矛盾してきているじゃないですか そこで発明されてしまうんですよね
その心理療法に行くことのできない理由言っていては良くない理由 ここには6分期がある
それ松木さんが置いた以外誰が置くんだって感じなんだけどそうじゃないですよもう こうなってくるとほとんど魔法のようなもの
そこには6本機が唐突に出現するわけですよ だから自分はこの治療をやめることもできないがここで8どんどん以前のように
自由連想し続けることもできないというこの独特の心理的な状態を 性なんていうのかな正当化っていうのも変なんですけど
いかにも理にかなったものにするための小道具として 直ちに直ちにそもそも自分の言ってることが世界中にばらまかれる6本切って変な
もんなんですけど今ならありそうですけどねそういうものを作れば用意すればできる と思うんですけどねスマホとか
まあそういうものが頭の中で発明されてしまうこれが幻覚なんですよ だから我々がやってる我々のは幻覚はいかないから幻想だと思うんですけど
幻覚と幻想の心理
ことも延長線にあるものと理解できるわけですよね で私はここに不在の母親論というものがあるわけですよ
要するにこの 自分に良くしてくれる存在というものが我々にとってはいつもいてほしいわけですよね
いてほしいわけですいいおっぱいですなんだけどとにかくあってほしいわけです 赤ちゃんにとってやっぱり空腹になったら直ちに直ちに
活発入れず持ちこたえられないですよそのフラストレーション だって赤ちゃんは自体をよくわかってないからいつかはっぱいくるだろうなんて思ってないから
このままダメになってしまうっていうその恐怖にとられてるわけヘルプレスですの極致 みたいなもんですよね
その時いいおっぱいが来るっていう風に8というか来ないので作り出すんですよ この状況に持ちこたえるためのいいおっぱいを作り出し
時間も同時に悪いおっぱいも作り出してしまう私を苦しめる悪い これは
要するに外に追い出そうと6本木外に行ったじゃないですか自分のこれなんですよね 悪いものは良いものと悪いものを分け
しかも悪いものは外に追い出すんですよ 松木先生の外にもこうして良いものを守るんです
究極的にも僕らがやりたいことはこのヘルプレスネスな自分 寄るべなくて弱々しい自分を守りたいからいろんなことを心の中でやるんですよ
私はその一環に水風呂が見えるから その一環として心の心の弱い分を守るための小道具としての
えっと外外的には発明された水風呂というものは非常に安全ですかねえっと 合理的には合理的な存在には見えにくくなっているわけです
僕の観点を通すとね別にそれが全然今のような文脈をわざわざ通す必要はないし あんなる私の盛大な誤解なのかもしれないんだけれども
私の観点を通すとこういうふうになっていくわけですね その時にこの不在のものというもの
本来存在していないものですよね例えば空腹が空腹なわけであってお腹を減らすために何か栄養 を搾取していく悪いおっぱいとかが体内にあるわけじゃないんだけど
赤ちゃんの空想なんでそういうことも可能になってしまう で僕らはそれにそれにこうするものとしていいおっぱいとかを作り出しちゃうんですよ
でもこれもしょっちゅう僕らやると思うんですよね あの月さんはその
印象でいろいろ書いてくださってましたけどももっともっと健常な水準で例えば朝 ですよね
朝なんかこう布団にいつまでも触っているとかあるいはなんかこう 夜とかなんかこう夜食をもぐもぐと食べるとか
それは良いおっぱいというものを具体的に再生させる鼓動具として 一つ使えるわけですよ
フラストレーションが溜まりやすい状態でこの弱々しくなっている自分を守るために良い おっぱいが必要になるわけですよだって
そりゃそうですよねウィリアムテルの息子だってこんなね そんな世の中ってそういうものなのかもしれないけど自分の頭の上にリンゴ乗っ
てて向こうではお父さんが矢を明らかに自分の顔に向けて 狙いを定めてきていて
絶対耐えがたいじゃないですか 空想の一つや二つできるんだったらしたくなるじゃないですか
朝ね ものすごく寒くて氷点下2度の中でまだ暗い暗いのね
8起きたくないですよね単純に弱々しい自分とここで長寺が的な自分に分裂するじゃない ですか
ビシッと起きて頑張っときて会社に行くんだみたいな そういう長寺が的なお父さんといやいやいやいやあのもう今日は休んで寝て
ようよみたいな感じでこの分裂の中でね その一方ではすっごくフニャーとこう
柔らかーく包んでもらうような幻想を持ったまま 持ったままですね
会社に行けたらいいじゃないですか すなわち体が2個に分裂していくような感じ気配ってものがここに出現しますよね
だから水準が下がるんですよ一つ ヘルプレスネス水準の方に下がって今度は不思議ではなくてボシーの方に話が
映ってるわけですよ でいやいやもしかしたら今日はそもそも会社って休みだったのかもしれこれが万能空想です
よね魔術的思考ですよ でなんかこうホットミルクでもねこう寝ながら飲みながら
お母さんに受入していた頃の感覚というものをそんなもそんなのに強く認識はして ないでしょうけれども
ちょっと体のどこかを触れながらねえっとそれは静的に少し刺激しているのかもしれないし 分かりませんけど
まあ私だったら静的にありますけどやって触れながらね なんかこうすべてがうまくいってるような感覚というものを持っている
でもこれは幻覚じゃなくて幻想なんであの目覚ましがもう一発なると目が覚めるわけですよ これが目が覚めるってやつなんですよ
夢から覚めるわけですよ 万能空想の世界にいても現実は1ミリも動きゃしないんですよ
現実が1ミリも動かないような世界じゃないですか 幻想だとか幻覚だとかいう世界は現実には存在しないものなんて
悪いものとの対峙
これが不在ってことなんだろうなと思うんですよね 理想のおっぱいを作り出し存在しないんですよ
そして悪いおっぱいも作り出す でその悪いおっぱいのせいで
自分は酷い目にあってるからこの理想のおっぱいと一緒に 魔術的な夢の世界に入っていきたいということをやっているうちに
現実には機能できないという存在に自分が成りかねないと ここで超自我がどれぐらいどんなふうに役立てられるかってことだと思うんですよね
もちろんガバッと起きるというのも一つの考え方だし 冷たいシャワーを浴びるとかいうのも一つの考え方なんだろうと思うんですけれども
私はそこまでいらないんじゃないかと思ってるんですよね そうじゃなくてやっぱりこの弱々しい自分と強い自分の分裂を極力解消して
魔術的思考というものを自分の中に 必要な要素を極力やっぱり少なめに抑えておく
そのための小道具を使ってしまうと今度は身体 身体搾取みたいな言い方なんだけど
身体の方が苦労するじゃないですか だって浅っ腹からホットミルク飲まされるじゃないですか
結局何でもいいんですけどそこでカステラ食べるのでもチョコレート食べるのでも でも結局は体に
体にツケが回ってくるわけですよねそれこそツケですよねこれはね 体お願いやっといてみたいな
この幻想を維持するために体使われてますからね まあそれがフェティッシュってことになるんですけどね
フェティシズムなんですよこれは結局 体の一部を触って気持ちいいみたいな
赤ちゃん状態に一旦戻ってこの時この事態の過酷さというもの あの向こうからお父さんが弓で狙ってきてますからみたいな
この絶対到底受け入れられないような理不尽なもの そこにはものすごく悪いものがあるわけですよ
ちょっとした会社で行ったね5期でなんか5期 あの5時脱児が2個ありましたとお前何やってるのあの幼稚園行き直せばみたいなことを
言うというね この非常に悪いお父さんみたいな8上司が
でもそれはただそう言われただけなんですよその後に起きていることというのは 要するに自分に苦痛をもたらしたもさっきの松木先生がまだ精神物質続けなさいと
それはすっごい嫌なことなんですよやっぱりその人にとってみればね だからそのすごい嫌なことをたとえ自分のためとはいえ言ってくる
悪いお父さんというものをそこに見ちゃうと は悪いおっぱいというものを作り出してしまうんですよね
そして反対してるに違いないと月先生は別にはその時反対してなかったわけですから こういう誤解って僕らいくらでも作り出せるじゃないですか
ものすごく簡単にしかも作り出せるじゃないですか 山月先生は本当は絶対反対してたし反対とは言わなかったけど反対してたからみたいだって
そういうことをみんな言うじゃないですか 私がこういうことを書くときっとどこかで x では長生する人が出てくるとか
長生してくる人が出てくるはるか手前の段階でもすでに長生してくる人が出てくる っていうのは確信になってしまいますよね
そういうこと僕らいくらでもやるじゃないですか この幻覚の録音機を見た女性というものは不思議だって思うかもしれないけど
その割には僕らはいもしない人のありもしない心理ってものを8 兵器でどんどんどんどん作っていきますよね
で僕が思うそれを作った上で自分の長時間を鍛えて頼ろうっていうのは順番がおかしい っていうことだと思うんですねここまで喋ってきてようやくなんとなくわかってき
たの ここでウィリアムテルのお父さんというものとの戦いに挑むっていうために体を鍛える
とか 8困難というものに弱音を吐かない自分を作り出すと言った話は順番がおかしいと思う
タスクシュートを学ぶそういうスキルを学ぶことによって 5時脱児を二度としない自分になると言った話ってやっぱりどこか
8順序が狂ってる気がしたんですね 問題なのはフェティシズムの方だと思うんですよ
自分にはフェティッシュはないって思われるかもしれないけど同じことだと僕は思うん ですよね
その良いおっぱいの幻想と悪いおっぱいの幻想を作り出すということをしてしまっている 以上
そこの問題はす常にまず8対抗した自分の心の問題であって 決して体が解決するべき問題ではないように思う
そういう話なんだなとまあでもやっぱりいまいち 統合しきれたかっていうとつまり長寿が問題ヘルプレス問題と不在の母親問題と
理想の万能的思考の魔術的な問題 ただ一つ明らかに感じられることがありますね
私たちはこれによって良い対象と悪い対象を分けたところ そしてその良い対象というものを守ろうとしています
他のものを混ぜたくないように悪いものを混ぜたくない 悪いものを混ぜたくないからどこかに悪いものを集約させてしまうんですよ
上司なり企業なりあるいは自分自身なりに悪いものを全部集約させてそうすること によって何か自分の持っているその内的世界ですよね結局それは自分のことなんだけど
どこまで行ってもそれは自分のことなんだけど自分の内的世界の良いもの 良い対象というものを守ろうとしている
混ぜるということがとても恐ろしいんです あまりにも長寿がなり攻撃なりが破壊的すぎて混ぜてしまうと多分関係が崩壊したり
会社に行けなくなったりねあるいは恋人と別れなければならなくなる 夫婦離婚しなければならなくなるあるいは8もっと何かひどいことが起きてしまうあるいは
自分が引き起こしてしまう そういった破壊から守りたくてヘルプレスレスな何かを守りたくて
要するに寄るべない何かを守りたくてこのような手の込んだいろんなことをいろんな 水準でやってみているんだろうなと
そういうことをその対象関係論というものを通じてなんとなくわかるわけですよ 自分が悪いお父さんにされてみたり
あのあの例えばまあ私あんまりそれはないんだけど セッション中にスタッキーさんやっぱり言うことが厳しすぎますよねみたいなそういうでもあり
よるよねそういうことでいくらでもね 言ってなくたって厳しすぎると言ってたとして
そこには多分誤解成分が含まれているんだと思うんですけれども それはやっぱりその人にとっての何らかの守りたい良いもの
いい対象から守りたくて悪いものというものが分けられる わけで外に出されいいものからなんていうのかな
排除っていうんでしょうけど抽出みたいな感じが僕はちょっとするんですけど 抽出移動させられるそして全部悪いのは私ですからとか
全部悪いのは何ないですからとか あるいはまあ佐々木が悪いってことになり
そうするとこれが中断の浮き目を見るんだけどこれやっぱり いくらかそういうことを通さないとですね
その人が持っているその悪い対象ってどんなもん 自分が悪くさせられてみて遠遠遠いなんだけど
悪くさせられてみて初めてえっと自分に なんていうのかな思い当たる節が出てくるわけですよ
こういう感覚知ってるなっていうようなそういうものが出てくるわけですよ そういうものが出てこないと
ただ図式だけでこれを考えていてもですねそれこそ考えていても えっと実感が湧かないですよねその人は一体
悪いものとはどんなものでどれぐらいそれを恐れているんだろう そしてそれはどういう悪さをするんだろう
会社に行って上司の8悪い態度を見るとか 録画した動画を見せてもらうというわけにはいかないじゃないですか
自分がそれをその役を振られてみて初めて こういうのに苦しめられていて苦しいんですねっていうことがわかってくる
この辺がこの話の対象関係的なところなんだろうなというふうにも思いますね やっぱこれは定義の話ですね