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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
こちらの環境の方が良いという声が、はっきり言ってほぼ圧倒的でありましたので、
なんとかそういう方向にしていこうと思って、ついに機材名単を買ってしまいました。
この機材数百円だから、千数百円か。
これを買うのにそんなに躊躇するというか、そこまで慎重になるのかと言われますと、
今そういう経済情勢の中でやっていると、
これはこれで私はもうそこそこ楽しいなと思うようになったので、
アスレチックみたいなもんですね、ファイナンスアスレチックみたいな、
綱渡りってやつですけれども、そこそここれは楽しめるもんだなと思えるようになってきたので、
いいんですけれども、もうちょっとなんとかそれでもしないと、
家族はさぞこの実態を知ったら恐ろしいだろうと思うので、
もうちょっと考えてはいこうと思っています。
早速だからCMを毎度打っているわけですけど、
9月の私と60分1対1対話をするというのを今9月絶賛募集中です。
それでも数名の方にすでにお申し込みいただいていますので、
8月の枠はもうそもそも日付から考えてほぼないと、残り3日くらいですもんね。
9月枠はまだ数枠ございますので、
これもですね、埋まっちゃったら増枠すればいいって感じもあるんだけど、
それもやっぱり予定にもよるじゃないですか。
これ1対1ですからね。
ので、もしお考えの方がいたら速やかに申し込みいただくととてもありがたいですね。
予定が今の段階が一番空いてますから。
今日は、先ほどノープランの話を100日チャレンジというところでやってきたんですけれども、
そっちの話しようかなと思ってたんですけど、
不意にですね、ノートで書いた話がもうちょっと書き込まなければいけないこともあるし、
まず喋っておこうと思いまして、どういう話かというとですね、
要は過去を切れって話なんですね。
私、タスクシュートなんかがそうですけど、記録記録言ってるから、
どうしても過去の記録というものがですね、過去の記憶ですね。
結びつけばつくほどいいみたいに思われると思うんですけど、
そんなことはないんですよ。
これもどうなんだろうなと思ってたんですね。
そういうことがない方がいいことは確かにあるよなと。
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つまり記憶なんかがあるからやりにくくてしょうがなくなることってたくさんあるよなと思っていたところで、
例のいつも通りのここのところのパターンである倉田の圭三さんが、
過去を手放すと。要するにイリュージョンだからって話なんですけどね。
して、いきなり決定打になるわけですね。
つまり私はいつもそういうところが、この件に関してはそういうパターンがあって、
こういうほうがいいんじゃないだろうかと、うすうすすごく思っていたことを
GOODBIOSでほとんど決定打を打ち込まれると。
それで急に確信見えたことをしゃべり出すという、
そういうのが今私がしゃべっているパターンなんですね。
過去を手放すというのは、私が今日言いたいのはですね、
引き出しの整理って話をノートには書いたんですけど、
要するに、過去がひも付いているばっかりに、
なくてもいい重荷を背負うっていう話なんです。
これはですね、特に、何だろうな、
虐待的な話と一番結びつきが強くてですね、
対外の人はそこまで行かないから、この話がそこまではピンと来ないし、
逆にそこまで行っちゃった場合、容易には捨てられないから、
やっぱり簡単な話ではなくなってしまうという、
そういうジレンマがあるんですね。
あるんですけども、やっぱりこう、
昔親がひどかったといったコミックなりエッセイなり、
今は非常に多くで回っていますから、読んでいくと、
やっぱりですね、ここをどうにかするのがどんなに難しくても、
ここをどうにかするよりはしょうがないし、
どうにかなっているというだけでも幸せだというのであれば、
つまりそれは、過去と無理、意味もなく結びつけない。
それほど過去にひどいことがなかったなら、
あるいはあったにしてもですね、
ここの紐を解くという努力がとても有益だなと思うんですよ。
私はかなりそれをここの2年間でやってきているんですね。
いるんですよ。
それは非常に有効だったと、
だからGood Vibesには大変ここは感謝しきりなんですけれども、
他にもいろんなアプローチがあるんですけども、
過去を紐を解くというか、結びついてしまった過去というものを
切り離すというかですね、その結びつきを解くんですね。
今さっき紐を解くと間違って言っちゃったのはそういう意味なんですよ。
ここの番組にもしばしばご登場いただいている
新井キロヨさんという方が書いているかなり深刻な方のコミックに
虐待父がようやく死んだというタイトルだけでも
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ものすごく深刻なタイトルの中にですね、
息子に嫉妬するというシーンが何度か出てくるんですね。
どうして嫉妬するのかというと、非常に分かりやすいんだけれども
分かりにくい心理でして、要するに息子は恵まれていると。
自分だったらあの段階でもう殴られちゃうんですね。
殴られていたと。そういうシーンを何度か見ると
怒鳴りつけたくなるんですね。この心理というのは
倉津野圭三さんがその罪と罰の話をつまびらかにされているところで
よく出てくる話と完全に同じ構造なんですけど
要するにこういう時には罰された。私だったら罰されたんだから
この人も罰されるべきだというふうに人は考えるんですね。
言うならば長寿がってそういうふうに働くんです。
本当はこの構図って奇妙なんだけど、ルールは私より偉いんですね。
だから私が罰されたというのはルールによって罰されたんですよ。
ルールによって罰されたということは、同じことをやった人はみんな一様に罰されるべきなんですね。
多分こういう心理構造を人が持ってなかったら
人間社会でここまで法律ってものが力を持たなかったという感じがしますよね。
法律ってもちろん後ろに警察がいたり国家権力があるから守ってるって面もあるんですけれども
そういうものがなくたって人って法律を割と守るじゃないですか。
そういう心理的傾向みたいなものがあると思うんですよね。
必ずしもその法律を今すぐ破ったからといってどうこう思う必要はないんですけど
例えばこれは人にもよるとかなり思うんですけどね。
広い道路で、広くなくてもいいんだね。
道路で車一台も来てないと。
で、信号赤ですと。
渡るという行為をする分には人に迷惑がかかるわけじゃないと思うし
誰かに見とがめられるというわけでもない場合、守らなくても別に差し支えはないですよ。
こういう時に合理的にスパッと割り切る方もいらっしゃるとは思うんですけど
結構多くの人はこれを渡るのに罪悪感を持つと思うんですよ。
これが私はやっぱり人の心には長寿がというものが機能するようになっていて
機能しちゃうんですよね、きっと。
で、結構こういうのって小さな子ほどカチッと守ろうとするんですよ。
うちの子なんかの場合、3、4歳の頃はすごく最大ピークで
もうやめなよ渡っちゃダメだよっていう風になっていたのがマックスだったんですよね。
合理的に切り捨てられないんですよね、3、4歳の頃って。
じゃあうちってすごくそういうことを厳しく言ってたかというと全然なんですよ。
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全然なんですよ。親は平気で割と車来てないし、特に僕なんかそうなんだけど
ダメなんですよね。うちの子はそれが非常に苦しいわけですよ。
あんまり苦しそうだから、かわいそうだからやっぱり車来てなくても
一緒に待ってあげてたっていう時期の方が長かったんですね。
ということは多分フロイトはその辺は非常に正しくて
これはもうインストールを親とか先生なり、3歳児だから先生はいないんでね。
うちはその頃の子1個は行ってないから先生っていないんですよ。
守んなきゃダメだよって誰も言わなくてもすごく守るようになるんですね。
これ小さい子の方がユーズ効かないですよね、どっちかっていうと。
そういうシーンいっぱい見ている人多いと思います。
大人になってくるとユーズ効くようになるんですよ。
つまり大人になってくると長寿がというのがだいぶ相対化されてくるってことだと思うんですね。
長寿がっていうのはそういうものなんですよ。親とイコールじゃないんですよね。
親がいなければ子はならないんじゃないかなと思うんだけど
正義っていうのは親とイコールじゃないんですよね。
親が破ろうとするとそれを咎めようとするっていうのはもうルールっていうのは私より偉い。
私より偉い。親よりも偉い。
だからギャンギャン泣くっていうのは殴られたんだから、そういうルールなんだから
ギャンギャン泣いたやつは殴んなきゃいけないっていうふうに葛藤を覚えるんですね。
新井さんの漫画の内容を信じるならば新井さんのお父様っていうのはすさまじいところがあって
もう完全に上級してるなというレベルだったので
新井さんがそういうふうに息子さんに対してこの子は甘えすぎだって思うのは当たり前なんですね。
でもそこでむしろ葛藤が起こるわけですよ。
そのお父さんが正しかったとはとても思えないので
非常に強い葛藤。私はこの虐待された人が子供を育てるのに非常に苦労するっていうのは
近いことはいっぱい起こるんだけど、この種の葛藤だと思うんですよね。
正しくもない長寿が自分の中でものすごく力を持ってしまう。
結局親が正しいと思ってないんだけれども、正しさっていうものが長寿がとして強く機能してしまうので
そのまんま振る舞おうとすると親そっくりになってしまう。
でもその親のことをとても嫌いだっていう、こういう葛藤が起こるんだと思うんです。
これを薄めたような葛藤を僕ら結構持ってるなと。
その一つの事例として僕は引き出しを挙げたわけなんですよ。
引き出しの整理と。多くの人がタスクシュートの100日チャレンジみたいな
あってもなくても同じなんですけど、先送りを減らしましょうとか
タスクを実行できない意思疑いが弱い自分とか、自己肯定感とかいう話が出てきてるときに
いっつも話題になっているのは実はこれで
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長寿がの理想を自分は守りたいって思うんですね。
新井さんのような非常にお父様が極端で
言ってみれば無茶苦茶な人であった場合の方が僕らの参考になるんですね。
どう考えたって正しくないというのは新井さんの目にも明らかなわけですね。
つまり私たちが簡単に長寿がの理想に屈してしまって
これぐらいは当然部屋の掃除しなきゃダメだろうとか
このぐらいは引き出しがきちんとしてないとダメだろうとか
これぐらいはタスクシュートちゃんとやらないとダメだろうとか
言ってるのは全部実は無茶苦茶なんですけれども
はっきり言って全部無茶苦茶なんですけれども
それでもこれぐらいはできるようにならないとダメだって思ってしまうのは
長寿がというものがいかに私たちの中で
しっかりと力を言ってしまえば権力を振るってしまうかということだと思うんです。
親が無茶苦茶であっても
あんなのだったら絶対にその通りにするのは正しくないんだからと思ってても
そうせずにはいられないと思うほど葛藤するということは
親がそこそこ普通の人であった場合は
この理想は守って当然だと思って当然なんですよ。
ついつい我々はそれはイリュージョンだって言われても
そんなはずはないだろうって思うんですよ。
イリュージョンなんですよ。どう考えても。
だって片付けてない机と片付くべき机って
どっちが幻想かっていったら
片付くべきって脳内で思ってる方がイリュージョンですよ。
この話に今私のフォトキャストを聞かれているような方は
納得されるかもしれませんが
まずこの話は納得されません。
それじゃ理想というものがどうなるんだとか
目標がなければどこにも行けないじゃないかとか
スルッと出てきます。スルッとね。
その根拠は議論すれば議論はできると思いますよ。
1時間ぐらい議論する内容にはなるかもしれないと思うんですけど
つまり私が自明に正しいとは思いませんけれども
でもその根拠がパッと出てきもしないのに
その結論がパッと出過ぎじゃないでしょうかっていうぐらいは
僕は絶対言えると思うんですよね。
本当に部屋をきれいにすることはそんな大事ですかっていう話ですよ。
でもすごい大事ではないかもしれないけれども
部屋をきれいにした方がいいのは確実だって思ってるときの根拠ってのは
QOLじゃないんですよ。要するに私が言いたいのは。
QOLっていうものもそういうものかもしれないけど
クオリティじゃないと僕は思いますね。
人生を良くする、より良くするってことでも
価値を上げることでもないんですよ。
長寿がを満足させたいです。
この説明の方がよほどスッキリします。
車も来ない朝信号をきっちり守って歩行者は赤なんだから
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オーナーほどの前で待ちましょうっていうのは
子供の頃ほどきちっと守りますよね。
ここに根拠はいらないんですよ。
あえて根拠って言うなら長寿がって言っておくのが正しいと思うんですよ。
親というのもおかしいと思うんです。
親じゃないんですよね。
心の中にはそういう機能が多分あるんですよ。
あるから地骨幹みたいなものが人間は作り出すことができるんですね。
つまりそこには何の根拠もいらないんです。
部屋はきれいな方がいい。長寿がはそう言いました。
だから部屋をきれいにしなきゃいけない。
それができません。
罪悪感を持つんですよ。長寿がを満足させられないから。
この時お父さんがむちゃくちゃでない方が
その長寿がに逆らうのは難しいです。
お父さんお母さんはとてもいい人で
いいご両親で物分かりもよくて
ちょっとぐらい部屋汚くて気にしなくていいじゃないって言ってる方が
部屋をきれいにしなきゃいけない。
そういう理想を守んなきゃいけないっていう声はですね。
逆らいにくいと思うんですよ。
だってむちゃくちゃなこと自分で何も言われてないのに
そしてそうした方がいいということができないわけだから
そこでの罪悪感は
むしろある意味かっちり持つ可能性がありますよね。
だから自己肯定感が下がるんですよ。
親が厳しすぎても下がるだろうし
別にそうでなくても下がるんですよね。
この構造があれば。
だからやめた方がいいと思うんですね。
僕は絶対それでQOLとか上がらないと思うんです。
結局これは自分の中の車が来ていない時に
赤信号をがっちり守るっていう
それ以上の意味はない。
守ったって別にいいと思うんです。
僕もそうよく言うじゃないですか。
タスクシュートにがっちり計画立てて
その通りにやったっていいと思うんですよ。
部屋をきれいに片付けて
引き出しもきっちり片付けてもいいと思うんですよ。
ただそれによって満足されるものっていうのは
自分の中の心の長寿がっていう部分
自分の中の理想的な法律みたいなもの
それを守っていれば間違いないよと言っているんだけども
全然間違っているかもしれないもの
それを満足させる以上の意味は多分ないんですよ。
車が全く来ないところで赤信号をしっかり待つという
以上の意味はないんですよ。
その方が多分子供の場合安全でしょうね。
だからその方がいい年頃もあると思うし
それ自体が悪いことでも何でもないとは思うし
守った方がいいのかもしれません。
でもそれ以上の意味はないと思うんですよ。
そういうものだと考えて
先送り云々を考えてみたときですね
そういう今のような前提を踏まえて
先送り云々を考えたとき
一番やっぱり真っ先に捨てるべきは
自分以外の誰をも満足させないタスクだと思うんですよ。
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これをやったところで
自分の心の中の理想像みたいなものを満足させる以上の
何の発展も多分得られないと思うんですよね。
人との約束だったら
長寿画の言う通りにしておいた方が
おそらく人間関係のためでもあるし
自分の仕事を失わないとか
そういったいろんな発展が考えられるから
その方がいいと思うんです。
何を満足させるにしても
結局自分の長寿画を満足させておけば
他人が満足するっていう
この構図が成立する限りにおいては
それをやっといた方がいいと思うんですけれども
自分の長寿画を満足させてみても
満足するのは自分だけですって言った場合
これは実はどこにも向かわない力だと思うんですね。
そこで苦しむことはないと思うんですよ。
ここで苦しむっていうのは
いかにもおかしいじゃないですか。
一番寒くさいですよね。
実は自分の満足以外は
何も満たすことができないのに
なのに自分が苦しまなきゃいけない
っていうことほど
倒作したものはないと思うんですよね。
これ多分将来のためとかにはならないと思うんで
部屋きれいにしたからといってですね
将来の自分の絵の投資にはならないと私は思うんですよ。
今の構造から考えても
むしろ過去の何かの自分を満足させていると
言ってみたほうがいいと思うんですね。
だから奈良インピロイさんも書かれてたんですけれどもね
お父さんここに父親というものを持ち込まなくなっただけで
ガラッと育児が楽になった。
これも漫画なんで
本当にどの程度どういう展開があったのかまでは
私にはわかんないんですけど
でももしこれができたらそうだろうなって思うんですよ。
別にここで自分の父親なら自分を殴ったシーンでも
別に怒鳴ることすらしなくていいと思えるようになったら
実に楽だと。
そんなのは畑目から見れば
あるいはそれほどひどい目にあってない人からすれば
ごく自然、常識的な振る舞いだとは思うんです。
が、意外とこの種の長寿がっていうのは
そういうふうに機能してしまうんですね。
私もよく思いますね。
こういう状態で
自分が例えばですけれども
あんまりお金にもならない仕事というものを
奥さんにやれやれと言われると
これと全く同じようなことを口走ってたら
自分だったら母親にずいぶん怒られただろうなと思うと
奥さんに腹が立つんですよ。
こういうふうに機能するんですね。
でもそのようなことが
全く同じシチュエーションってありえないじゃないですか。
どう考えても。
だからそういう理由で
母親に本当に具体的に怒られたことはないんですね。
やっぱり私の心の中で
正義というものが抽象化してですね。
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長寿がとして機能するようになっちゃってるんですよね。
で、これなんかもそうなんですよ。
でも完全に自分の母親というものを切り捨てれば
ここが大事なんですよね。
つまり母親というものを
自分から反対するとか
母親は正しくなかったと考える必要もなくて
ここでわざわざ母親のことを思い出さなければ
面白いことの長寿がというのはですね
無機能にはならないんだけれども
ものすごく機能を弱めるんですね。
それまでの力が10ぐらいだったとすると
0.1ぐらいになるんですよ。
ほぼ機能しなくなるんですね。
だから長寿がっていうのは面白いなと思うんですね。
親が言った通りじゃないんだけど
何らかの意味で親というものの成分が
重大なファクターを担ってはいるんです。
だから過去を手放すんですね。
そうすることで
奥さんと喧嘩しなくて済むわけですよ。
ここは私が新しく判定すればいい。
本当は常識的にはそうなんだと思うんですよ最初から。
でもですね
昔自分だったらこういう扱いを受けたっていうのは
その時不意になぜか上がってきちゃうんですよね。
倉園さんはこれをですね
自分が腹が立った時は
どんな正しさにこだわっているのかを
内観してみるといいみたいなお話をされるんですね。
内観という言い方は彼は使いませんので
自分をよく観察してみるといいみたいな
もう少し開いた言い方をされましたけど
そういうことですね。
で
私の感じではつまりそれは
長寿画というものの機能を停止させればいいわけです。
停止させられるんですよね。
停止させてさえしまえば
一番簡単な話になるんですよ。
で、その時に
必ず自分は過去を紐づけている
はずなんです。
ほとんど親ですけどね。
とにかく過去ですよね。
未来ってことはありえないから
過去を紐づけている。
その場にないものを持ってきているってことですよ。
いないわけじゃないですか。
自分の母親とか
自分の父親とか
あるいはその時なんか読んだ
私ね、あの
ちょっと最近
恥ずかしくて言いにくいんだけど
最近わかったんですよ。
僕の長寿画にいくらか関与している
漫画の
漫画がいくつかあって
その作品の大半は
車田正美さんなんですよ。
僕はあの人のセリフを
いい大人がですね
モラルのベースにするのは
本当にどうかと思うんで
これは偏見も入ってますけれども
でもあれは絶対小学生向けだと
僕は思うんでね。
いくらかは幼稚園向けですよ。
一番僕がむさぼるように読んだのは
小学校の低学年だったから
確実にその年に向かってはいるんですけれども
これがですね
やっぱり自分の正しさに
だってあれ
木刀とか振り回している
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美少年が木刀とか振り回して
月の上で決闘するとか
そういう話ですからね。
そういうものに
なんていうんですかね
自分の正義感みたいなのが
左右されてるから
やっぱり正義感って
やばいよなって思うんですよね。
それで自分仕事とかしちゃっていたら
本当に始末に悪いっていうのは
まさにこういうことを
言うじゃないですか。
言うと思うんですよ。
親とかはまあしょうがないと思うんですね。
親に正義感を多少委ねちゃう。
でもやっぱり
政権戦争とかにね
政権の剣は刀ね
に正義委ねるのは
やばいなって僕は思いますね。
これももう価値観なんで
なんでもいいんですけれども
まあよしといた方がいいだろうなと
そこに漫画持ち込むのは
やめといた方がいいなと
でもあるんですよね。
むさぼるように読んじゃったから
その時は楽しくて読んだんだから
いいんですけれども
それはそれっていう話だと思うんですよ。
だから結局今ここってことに
してしまってもいいんですけれども
過去をとにかく
その時の判断基準に
過去を持ち込まない
ということですよね。
そしてその過去を持ち込むという時には
自分の長寿が機能が強まるんです。
過去を持ち込むことによってね。
子供の頃の方が長寿がって強いですから。
確かに。
運を言わさないところありますからね。
今今の判断であれば
別に全然オッケーだよ
そんなことするのはっていう
新井ピロヨさんのような例っていうのは
そのような意味で
非常に分かりやすいわけですよ。
長寿ができるというふうに判断するのは
容易なわけですから。
それでも断ち切れないっていう部分に
難しさがあって
でもある意味断ち切ってさえしまえば
極めて正常に
ごく普通に子供と接することができる。
つまり起こることすら
必要ないというシーンで
一歩間違うと殴り出しかねない
っていうような
そういう課題
それを多分僕らは
かなりマイルドにした形とはいえ
持っていて
早ピカピカにするとか
いうことに
やたらと時間費やさずに済むし
ピカピカになってないということで
罪悪感を持ったりをして
仕事を進められないっていう事態を
招いたりもせずにすると
そういうことですね。
ラジオの声というか
テレビの声だったりするわけなんですけど
この辺、年配の方が多い季節とはいえ
閉め切ると厳しいんですよね
この空間は
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後ろの声入ってたら申し訳ないんですけど
今は窓閉めたんで
テイク6はもう避けたいんで
このまま行こうと
本当にね、今回は
難算ですよね
ハドルがいっぱいあります
でもまあ、これも遊びなんですよ
これ大事なことだと僕は思うんですね
遊べなくなるっていうのは
本当にいいことでもなくて
私が今、先送りという問題でですね
先送りって一人一人全く違うんですよ
だからセミナーというもので
先送りの話をするっていうのは
すっごい難しいところがあります
これもあんまり深刻に考えすぎちゃダメなんだけど
私は先送りの本で
ヒットした人間なんですよ
20万部くらいシリーズで行ったわけですけど
いかに人の先送りという問題を
今過度に深刻に捉えているかと
ある意味そういう証拠でもありますし
あの本によると
先送りの話をする人は
先送りの問題解決しました
ありがとうございます
というお話がいっぱいいただいて
ありがたい限りなんですけれども
じゃあ解決しなかったっていう人との違いは
何なのかというと
私はそれはもう
説明できない話だなって
つまり、いろんなのがあります
例えば、ゴミ箱問題になるというのか
ゴミを出せないという
聞く人に知らない人に
知らない人に
聞く人にしてみると
すっごい不思議だと思うんですよね
そんな問題はいいから
私の問題の方が
深刻ですよという人も
絶対聞いてて出ちゃうと思うんです
でも、ゴミ出せないって深刻じゃないですか
だから私は
これを例えばタスク管理に
毎週月曜ゴミ出しって入れておいて
出せるって言うんであれば
それが一番いいんですけれども
それは対策じゃないですよね
それは忘れる対策でしかない
出せないというのは
大体の人は言うんですけど
維持力が弱い
維持力いらないんですよ、ゴミ出すときは別に
つまり、ここに維持力が弱い
という話をしたんでは
私は全然ダメだなって思うんですよ
ダメってことはないんだけど
物足りない
多分物足りない人はいるだろうなと
一番物足りない人の方に
寄っていくうちに
グッドバイブスに
僕の場合は行き着いているところがあって
寅園さんがそうではないって
言われるかもしれませんけど
私の中ではそういうアプローチになってて
その周辺で精神分析だったわけですよ
この話をしても
もっとテクニカルなって
言われるかもしれない
もしこの精神分析の話までは
いらないというのであれば
その人は何とかできるはずで
絶対に
だけれども私はその人が嫌で
テクニカルなことをやっていくうちに
うまくいきそうなんだけど
あるいはその人が聞きたいんだけど
精神分析の話を聞いていても
ピンときませんというのであれば
30:00
これは私の説明の仕方が悪いか
そもそも話だから
精神分析は話したらダメなんですよ
将棋の話を聞いて
将棋ができるようにはならないように
あるいは演劇のスクリプトを読んで
演劇を見たことにはならないのと同じで
受けなきゃダメなんですよ
さすがに僕はごみ出せませんから
精神分析受けました
受けましたという話には
今の日本では到底ならない気がする
この辺はシステムの不備だと思っています
そういうカウンセリー経費
あるいはですね
よく書いてあるんですよ
その通りだろうと思うんだけど
例えば精神分析の資料とか読んじゃダメだと
でもそんなことを書くならば
私に言わせれば
この話も時々してますけど
そんなことを書くならば
本出すなよって言いたくなるんですね
だって受けられない種類ですか
受けられもしません
お金もめっちゃ高いです
そもそもどこでやってるか分かりません
というかそもそもどういうものなのか
分かりませんでしたというようなものですよね
精神分析というものは
素人は手を出してはいけません
一般書を書いてみました
この一般書は一体何のためのものなんだろう
って思いますよね
つまりそれは何か卑怯の秘密
北斗試験ですよ
一時送電で他の人は一切使っちゃいけないんだけど
本に書きました
何かそれもおかしいじゃないですか
たぶん僕は
そういうふうなことが
いろいろあってもなお
書いている
著者さんの言うことは
正しいんだろうなと思うんだけれども
正しくても正しくなくてもいいから
私たちはこれについて
知ってたほうがいい
というのが今の私の
立場でというのが
理見なのですよね
間違っててもこの際
いいから
これじゃないと
先送りが思いますね
絶対解決できないところがあるな
って思っています
タスクシュートじゃ全然無理だって
僕は正直思っています
でもタスクシュートで
先送りを解決できたという人は
出てくるかな
使っているのかな
この辺はタスクシュートだけでは
説明できないんですよ
私の考えは
精神分析を使って初めて
一応説明できるところまで持っていけるんですよ
だから先送りが
どうなるかというと
そうはいかないんだけれども
でも説明はつくと困っているので
その説明をしているつもりなんですよ
できればタスクシュートだけで
僕も解決したいんですよね
そのほうが絶対いいです
ある意味では
どうしてもゴミを出しに
行こうとしているんだけれども
ゴミ袋が部屋に大量に
溜まってきているんですよね
あるいは
なんかあるじゃないですか
大層みたいなところに便利グッズがあって
いっぱい便利グッズが
こういう人本当にいらっしゃるんですよ
買ってきて
33:00
なんとかゴミをしようとしているんだけど
気がつくと便利グッズで床が埋まっちゃいました
私はこの種の問題を
タスクシュートで解決しようというのは
アプローチとして
筋が悪すぎると思うんですよね
タスク管理でもいいんですけど
タスク管理でライフ隠れ
ある意味もうライフ隠れ
解決しようとされていますよね
便利グッズっていうからでは
便利グッズがゴミの山に
なるだけだと思うんです
この説明をライフアップからするのは
無理だと思うんですよ
この説明は精神分析からしかできない
カウンセリング系に行っていただいたって
いいんだけど
行かない可能性が結構ありますよね
行くお金ないですと
でも便利グッズ買うお金はあるんだよね
こういう問題は
ややこしいというのも
そんなに
いけないんですよね
こういう問題って
ここに行き着く前に
だとしても
精神分析のような話を
知っておいて損はないと思うんです
ので
子役の職は取りたいわけですね
不器用に決まっているし
すいすいは行かないんですよ
だって私自身受けたことがあるわけじゃないし
分析家なわけじゃないから
だけど私が受けたことがあって
分析家だったとしても
今よりうまくはしゃべれるんでしょうけど
話してないと
なんとかなるというレベルとは
限らないんですよね
なので
それは分からないんですけど
一人一人違うという心理が
極めて強い場合に
そこでタスク管理に何ができるか
復習計画が出るのか
そうではないと思うんです
そのように聞く人にとって
この話はあんまり意味がないんですよ
復習したいというよりは
先送り
部屋をゴミ屋敷にすることで
復習をしたいんだという
その話をパッと投げかけた時
ピンとくる人はいるんですよ
残念ながらといっては
怒られるかもしれませんが
いらっしゃるんですよ
そういう人には可能性があると思うんですね
読むだけじゃダメかもしれませんが
お金なければ読むしかないじゃないですか
だからとりあえず読んでみて
なんとかゴミを出す
その時には
ネットワイルスのような考え方のほうが
いいかもしれません
復習を手放すというね
でもこれはもう
こういう場合本を読むのがいいのか
話が聞ければ
これはクラスムスに
お話いただいたりしたらいいと思うんだけど
そういう気持ちになれないかもしれないし
直接会うことができる場所には
いないかもしれないですよね
いろんな所条件があると思うんですが
なぜ復習になるのかとは
これはもういくらでも考えられると思うんですね
例えば
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親は子供を
そんな風に育てた子はなかった
という
その親の育て方に
ものすごく私は異論がある
だからあえて
こういう育ち方になってやった
この復習を
タスク管理で
ゴミ出しの費用をきちんと決めておけば
出さないんですよね
出したくないんですから
だけれども
この復習心は
本人だけが困っちゃうんですよ
ここが辛いところなんです
ゴミの山になってますと
本当は出したいんだよ
こういう風に育てた人に
光を当てていくわけですよ
これあくまでも一例です
全く違う理由で
ゴミを出せないという人が
いっぱいいるんですよね
だからフロイトは
そこのところをすごく強調して
失策行為は無意識の意思
という話を
あんなに一瞬で明記されたわけですよ
そんなにこなれてないかも
でもあの当時としては
実にこなれてたと思うんです
政府発足も全くなかったわけですから
人間物を投函する
リメンバーザミルクですよ
牛乳を忘れず買ってくる
新井ペロヨさんもやってましたよね
新井ペロヨさん
新井ペロヨさんは
確実にお父さんに復習したかった
虐待父が予約死んだ
という漫画が書かれている中を読めば
それを誰が見たって
そりゃそう思うよなって思いますよね
ただ彼女はそれを
男性に投影しちゃうわけですよね
そして男に復習
という漫画なんですよね
世の男はひとりとして
お父さんじゃないから
その復習が満たされることはないんですけど
でもだからといって
そんなに割り切れるなんてないんです
例えば夫に牛乳を買ってくる
リメンバーザミルクですよ
だけどなぜか
とっても人の良さ
そうなってから人いいんだけど
人格者の塊みたいな夫は
牛乳を買ってくるのを忘れるわけですよ
そうするとブチ切れる
牛乳を買ってきてくれない夫への
怒りが全て混ざって
もうむちゃくちゃ切れるわけですよね
こういうことが起こるわけで
ところがすごく面白いのは
彼は買ってこないから
こういうことがこういうところまで
わかるわけですよ
買ってくるのを忘れることによって
リメンバーザミルクが
ミスることによって
あの人は本当にこれにとって
どこのところからここまで
見通せるっていうのがおかしい
見通しちゃいないと思うんだけど
39:02
夫は別に意識的に
忘れているわけではないんだけど
あれはやっぱり忘れて正解なんですよね
忘れるんじゃないですか
ブチ切れるんじゃないか
何度も何度もブチ切れて
新井さんはそれを自分で読本に取っておいて
後で聞いてすげえ落ち込むと
ルーツポジションの話を
再現されているような感じですけど
この人がリメンバーザミルクをミスると
失策行為ですね
意識的なものなのかどうかというと
意識的だとは誰も言いたくないと思うし
ご主人あの夫は絶対に
意識的に忘れているわけではない
って言うと思うんだけど
だから無意識なんですよね
ああいうことが起きた
何度も何度も牛乳の話出てくるんですよ
新井さんにとっては
よっぽどこれが効いてるんですよ
でも牛乳でじゃないですか
たかだか牛乳じゃないですか
自分の父親がやったことに比べれば
はるかにはるかに
罪はないって
倉田さんがお話ししたときに
罪は軽いじゃないですか
そうすると
なのに同じように起こる
得られるじゃないですか
しかもそんなことで
そんなに切れてるのに
あのご主人結局別れたり出て行ったり
殴り返したりしないんですか
そういうことも分かるじゃないですか
忘れないと分からないですよね
もちろんあの話の中で言えば
忘れなくても他のネタで切れるんだと思うんだけど
一切一切
新井さんが満足とかしていたら
新井さんの怒りというのは
完全に派遣国が表現する術を失って
多分なんですが僕は
あの関係は絶対破綻すると思う
つまり忘れないと破綻するんですよ
一見忘れてしまうから破綻するように見える
忘れたから破綻しなかったように
私には止まらないような気が
つくづく思うんですよね
これがグッと言いながら
技が対峙されてるわけですよ
パーフェクトだったら新井さんは
確実にやんじゃったらと思ってますよ
そういう意味でライトバックって
限界があるんですよね
これは普通の話じゃないですよ
異常な話だから
異常な話ですけども
でも限界があるんですよ
こういうゲースにおいては
パーフェクトではない
誰もパーフェクトではないですからね
例えタスクシュートでバッチリやっても
バックダウンはできない
だけれどもグッと言いながら
つまり北山さんに寄せると
普通なんですけど
まさにあれが普通ですよね
普通というよりは
ある意味出来すぎてるなって思うくらい
42:01
出来すぎなんですけど
でも普通ですよ
ないようがないんですよね
北山さんが言う通りなんですよ
普通って何ですかって言われると
困ってしまう
普通っていうのは
急に忘れる男なんですかって言うと
忘れない人も普通ですよね
でも忘れる人も普通ですよね
普通の人なんですよ
ああいう時に切れられたら
切り返してしまいそう
でも切れる人に対して
切れちゃうのも普通ならば
切れる人がいたとしても
切れちゃっても
ある意味普通じゃないですか
普通の人を受け入れられるかどうか
問われているわけですよね
非常に大事なんですよね
その普通って何っていうのは
分からないわけですよね
普通じゃないのが何ならば
分かるんですけどね
そういう話を全部
織り込んでいってみると
何が足りないかっていうと
遊びがそこに足りてないんですよ
急に忘れてしまったというのが
笑い話にすぐできるような話
あそこまでしたら
深刻になってしまうので
それは意味が固定しているんですよね
好きではないっていう風に
何度も言っている人だろうが
そういう意味づけに
完全に固定されているわけですよ
好きならば忘れないとかね
そんなはずはないじゃないですか
好きだろうとなんだろうと
その人のそのものを忘れるというのは
多々あるので普通のことですよね
でも意味が一つに固定されるんですよ
固定されやすいんです
固定されればされるほど
私たちは神経症水準から
ボーダーラインに向かって
逃れられなくなる感じがします
つまり意味が固定されるというのは
ままごとで言うとですね
このプラスチックのお茶碗は
お茶碗だからね
ということに固定しちゃうんですよ
そういうことで感触を起こしやすい
子どもの場合
この種の固定がすごく多いんですよ
これは多分経験上
多くの人は知っていると思うんですよ
お茶碗だよ
ちょっと牛乳瓶にしようみたいな
平気で応用にやれる子って
多分楽なんですよ
これは意味付けというのは
脱資で自由になっていると
でも一旦それに意味をつければ
その意味に基づいて
動くことができると
そういうことができるのが
遊びなんですけれども
ここまでいくと非常に楽なんですけれども
多分できないです
なので先送りというものを繰り返す
そしてそのことで本人が困っているのに
なお繰り返す
反復ですけど
そういう時にある人
そういう状態にある人っていうのは
45:00
意味付けがすごい固定されている
例えばですけど
ペットボトルを折りたたんでおかないと
ゴミに絶対出しちゃいけない
そう書いてありますよ
確かに
だけれども折りたたまないで出す人がいて
解消もされますよね
これが遊びなんだと
僕は思うんですよね
例えばある種の人見てて
私いつも感動するんですけど
同じ向きで見てるんですよ
そういう人が私の地域に
一人いらっしゃるんですよ
毎回見ていて思うんですよ
しかも全部同じ形なんですよ
だって飲むものは違うはずなのに
全部同じ形って
おかしいじゃんって思うんですよね
非常に脅迫的なものを感じますけれども
つまり遊べるかするか
この人はそれでも出せてるから
少しバランスがチックだけど
出せてるからいいんでしょうけど
そうしないといけないと思うから
出せなくなりますって人も
いっぱいいるんですよ
この世の中には
これはさっき話した違いますよね
出さないことに復習したいというのとは全然違う
でも意味づけが固定されてしまっている
ということではよく見ています
そして出せなくなっていく
どこに立つだろうか
立たないわけじゃないんですよね
もしのようにできるグッズとか
あるいは全く同じ方向に
揃えるための何かとかを
考案できないわけじゃない
ただ問題はそこじゃないと思うんですよ
問題は遊べないということに
あると思うんですよ