異常気象とラジオのあり方
おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1357回をお送りします。
6月4日木曜日7時40分です。 非常に非常にですね、正常化された感じがありますね。
昨日の台風、台風直撃したらほぼ直撃感がありました。 まぁちょっと会場にそれて、まぁそれだけでも全然違うんですけど、
会場にそれたんで、まぁ6月の後台風というのはやっぱり 最初どんなに勢力を保ってても予想以上にやっぱり急速に勢力がしぼむんで、それはこう近づいてきた時には
一安心って感じで、まぁそうなるかなとは思ってたんですけど 温度がね、やっぱ海水温が絶対いくら高くなったとは言ったって
6月なんでまだ、やっぱり低いわけですよ。だからあの 日本列島に上陸する頃になってくるとずいぶん北上してるわけだから
フィリピンを引くとかから考えると、だからまぁまぁまぁなんとかなるんだけど、とはいえ5月に発生した台風が
こうだということになってくると、これは7月、8月、9月、10月はなかなか厳しいだろうなと。
まぁ毎年毎年のことにこれからなっていきますけどね、それにしても5月に台風が来るっていうのは
まぁ尋常じゃないですよね、ということは感じますね。毎年、年を追うごとに温暖化が厳しくなっているというか温暖化の影響が
でかくなってきている感じはしますね。これはもう少なくともしばらく人類はこの問題多分解決できないでしょうから
耐え忍ぶしかない感は若干ありますけれども、私は暑いんですよね、なんかもう光年気障害ってやつで
すごい頭がぼーっとするような感じになるので、そっちにも気をつけつつやっていこうと思います。
はい、いろいろ最近サブスタック等が出てきて動かしているんですけどね、その辺のことについて喋りながら
本題の話もお祝いしていくというような感じでやっていこうと思うんですけど、これはですね、とにかく
スタンドFMですね。スタンドFMはしばらくこの形のものをやっていこうと思っております。
サブスタックからは、スタンドFM上げたよっていうのをつなげば十分かなと。それに対して今までよりは
直後は無理なんですけど、今までよりは上げ方が分かってきたので、一言二言添えてと言いますか、テキスト添えて
つなぐというのが一番いいんじゃないかなというふうに思うようになったんで、そうしようと思っています。
リスムスタイルもありますからね。リスムスタイルだけもありますからね。
精神分析の定義とフロイトの影響
あそこで勝手に文字起こししてくれるんで、あれを適当に読みながら、あれを読んでる時ぐらいには、今喋ってることについて
ほぼ昼には全部忘れてしまう。本当に普通に起きるんですよ、そういうことが。覚えてることもあるぐらいな感じで、覚えてることもあるけど
ほぼ忘れるというですね。ついでに言っときますと、これが佐々木翔吾の、佐々木翔吾っていう名前が一定のアイコンになったから
使ってるわけですけど、精神分析的ラジオというのはですね、これの何が精神分析的なのかというと、週4回以上やるよっていうことがまず一つ精神分析的で
カウチに寝てこそ、カウチに寝ながら喋ろうかなって思ったこと何度もあるんだけど、ちょっと今のところまだ実現できないんですよね。
カウチに寝ながら喋ったらいいなっていうのと、あとは毎週4回、これは言ったね
また精神分析のことばかりについて喋りたいというのが一つと、基本的に後になったら全部忘れるというね。
その時だけに全てが今ここに集中してるわけですよ。ちなみに今ここっていうのはあまり知られていませんが、ネガティブケイパビリティとかナルシシズムと同じですけど
精神分析で最初に言い出した話ですからね。マインドフルネスとかではないですからね。
マインドフルネスは仏教の影響も強く受けてますけど、精神分析は仏教の影響を受けているとはちょっと言い難い感じがしますが、とにかく今ここというのはですね、多分に精神分析ではかなり早い段階で言われていたことなので、ものすごく多いんですよ。そういうことって精神分析期限のものっていうのはね。
オリジネイティとか精神分析にあるものって本当にこのいわゆる心理臨床的な世界、メンタル的な世界ではですね、ものすごく多いなと。
今更そんな話をしてもしょうがないなと思うほど多いなという感じがします。
そもそもデプレッションが鬱痛だとか、分裂病がなぜ分裂病というかとか、ボーダーラインはなぜボーダーなのかとか、懐理性はなぜ懐理性なのかという話はすべてここから来ているということになっているので、というか実際そうなんで、ナルシシズムとかですね。
この言葉は多分フロイトが流行らせなければ今頃我々は誰も使ってないんじゃないかという感じがするぐらい、そうは多分全然思われてないと思うんですけどそうなんですよ。
だから僕エリプスだってエリプスさすがにフロイトがここまで流行らせなくても我々知ってたと思うんですけど、でもこんなに普通に知られてたと思いませんかね。
だってインドではこれをよく似たものがアジャセコンプレックスですけど、アジャセ王の名前はだいたい手塚治虫さんのおかげっていうところも大きいですけど、あのブッダのアジャセ王を知ってるじゃないですか、知ってるけどアジャセコンプレックスなんて言わないじゃないですか。
やっぱりエリプスコンプレックスって言っちゃうじゃないですか。いかにフロイトの影響がでかいかということですよね。
そうなんですけども、彼はね、ある意味自負人すごい人間ですからね。だってダーウィンとコペルニクスと自分を横に並べるんだから、自分自身で。そんなことやる人いないじゃないですか。ダーウィン、コペルニクス、佐々木将王って言ったら頭おかしい人みたいじゃないですか。
だから、彼の自信って実は絶大だなって思うんですけど、後世の人が並べるのはわかりますよ。でも自分で並べないですよね、そんな人たちと。それに被験するってのはわかるけど、もうある意味あれですから、ニュートン・アインシュタインお礼ぐらいな感じですからね。普通はやっぱりそういうことしないと思うんですよね。ちょっと普通じゃないなって感じを感じさせられます。まあいろんな意味で普通の人ではないですけどね。
で、まあ掘り当てた筋肉が非常に太かったっていうことが言えるとは思うんだけど、だから精神分析的ラジオっていうのもなかなか古代な表現なんですけど、僕はラジオと精神分析って実に相性いいと思ってるんで、このタイトルは結構大事だなとは思っているんですよ。とはいえ精神分析やってるわけではないから敵なんですけどね。この敵が大きな問題なんだが、まあそれはいいでしょう、このぐらいのことはね、とは思ってやってます。
セミナー開催と出版業界への考察
それで、6月27日に精神分析的心理療法課である山崎孝明さんをセミナーにお迎え、イベントにお迎えしてですね、私対談イベントやるんですけど、これは結構所属が良くてですね、もう間もなく10名に達しようとしておりますが、ということは普通の統計上の感じで言うと40から50は行くって感じなんですけど、会場はちょっと狭くてですね、もし本当に多くの方がいらっしゃったら
ちょっと広い会場を取り直そうと思っておりますが、今のところ会場かなり狭いんで、残り4名といったところです。なので、もし会場参加されたいという方はですね、会場参加っていう枠は用意してないんですが、オンラインでお申し込みをいただいた上で、私になりあそこのメールなりにDMをいただければ、会場参加枠をどんどん確保していきます。
多分埋まっちゃうと思うんで、これはさすがに。だって残り4名ですから、ただ今本当イベントセミナーはオンラインでいいですっていう人がほとんどなんで、あえて会場というものを用意してもだいたい無駄になっちゃうんですよね、多くの場合。
集まることに意義がある。例えばライブみたいなやつなら別なんですけど、ちょっとね会場を埋めるというのは難しい時代になりつつあるんで、ちょっと今また変わってきたんですけど、風向きが。このオンラインしか枠は用意しないで、オフラインに来たい人は私に直接何らかの形で連絡くださいという形にしております。
お値段は同額にしておりますんで、別に会場でもオンラインでももう買えないことに私だいたいしたいなと思っております。それも確定事項じゃないんだけど、とりあえずそういうことにしてありますんで、よろしければDMくださいと。で、このDMが10とか20とかに達してしまった場合には会場を変えようと思っております。
はい。この話に合わせてですけど、その山崎隆明さんのいろんなのを読んだり、公開されているものですよ。読んだり見たり聞いたりしていて、私もだんだんだんだんすごくそのことを考えるように、今まで全然考えずにきたことなんですけどね、今日はその話をしながら、静止分析的ラジオもセミナーの話も珍しく守備よくできていますんで、10分足らずで。
そのまま本題に入っていきますと、ノートを再開したいなっていうのもちょっと欲をこいてるというか、欲をこいてるわけじゃないんだけど、ノートっていいなと思ったんですよね。サブスタックやってみてわかったんですよね、これは。サブスタックはすごく欧米向けの今のところサービスで、日本でこれが流行るといいと思うんだけども、私はインフルエンサーの方々と違ってこれを流行らせる力とかは自分にはないと思うんで、
みなさま頑張ってくださいませって感じなんですけど、これはやっぱり持ちは持ち屋ってやつでね、言い方によっては邪の道は蛇なんですけど、それはちょっと問題発言なんで、持ちは持ち屋さんで頑張っていただくっていうのが一番いいと思うんですね、やっぱりね、それらの行動を、アクションをですね、やっぱり変に揶揄するっていうのは良くないと、今しちゃったような気がするんだけど良くないと思うし、だからといって、じゃあ自分やるぜっていうのも、それはそれで結構万能的な感じなんですよ。
そうはいかないんですよ、自分がやってることの方が大変なんだって思うからといって、それは思うんですよ、多くの場合、人はね、あるいは自分がやってることの方が意味があるんだって思うんだけど、どうであれですね、自分がやってないことをやるって難しいことなんですよね、これは長らくやってみてつくづく思うことなんです、子供のやってることをバカにしちゃいけないなって感じなんですよ、子供の方がゲーム上手いなんてザラじゃないですか、普通に起こることじゃないですか、
どんなに年幅のいかない感じの子であっても、この子ゲーム上手いなっていうのに敵わないじゃないですか、今はね、もう振動みたいな人がそこら中にいるんで、小学生がプロ騎士に勝つ時代ですから、もちろん藤井壮太レベルですけど、そういうことが起きるということになってくれば、侮れないとかは当然としてもですね、でもやっぱり分かんないことって色々あるわけですよ、分かんないことというのはね、
だから、そういう意味で精神分析的ラジオというのはですね、僕はいいタイトルだと思ってるから、これに固定したいわけで、ここまでに7点抜刀ぐらいしてるんですけど、あれ結局苦し紛れだったってことですね、で、このノートをやりたいなって思うようになったというのは、ノートは絶対有料にしようと思ってるんですけど、無料だったらもう多分僕絶対続かないと思うんで、
これは、えっとあれですね、紙の本というものは今後多分生き残ると思うんですよ、最近思うようになったんです。このことを僕はすごく精神分析的に考えるという癖がついてるんで、精神分析的に考えてるんですけど、まだ今一つまとまりがつかない。ただ、おそらく生き残るであろうということを考えた時に、私のような人間が紙で本を出す意味は極めて少ないと。
ゼロにすることはないと思うんです。リクエスト来たらなるべく頑張ろうと思っておりますけれども、もうノートでいいと、Kindle出す意味もあんまりない気がするんですね。だからノートに、編集者さんという存在は絶大で、彼らが編集をしなくても構成をしなくても、編集者さんの存在って重要なんですよ。
これは僕は確実に言えることだと思うんだけど、これもなかなか伝わらないんですよね。だから出版業界、出版社、編集者さんは、お金取りすぎだという論はわかると思うんです。そこは何かしらすりむかしていかないとうまくいかないと思うし、編集者さんがもっと副業に精を出すっていうのもありだと思うんですけど、でも彼らがいないとやっぱり本は出てこなくなると思うんですね。
ただ点数は絶対減らさないとまずいと思うんですよ。並びもしない本がどんどん出されるっていう、あるいは並んでも2週間で片付けられるなんて論外で、そんなんじゃどうしようもないんですよね。本を紹介するとか、紙になってる本のレベルはもっと高いというのは望ましいと思います。
レベルが高いというのは本当にいい加減な言い方なんですよ。本当にいい加減な言い方で、さっきの話そっくりなんですけど、でもやっぱりもうちょっと水準を上げてもいいだろうなと思うんです。紙にわざわざするなら。だってこんなに温暖化ですし、そういうことなんですよ。紙の本の質が低くちゃいけないっていう話じゃないんですよ。エネルギーとコストとリソースと資源を使ってるからには、人間そこまで贅沢している余裕はないんじゃないかと。
今後Eインクですよね。反射型の液晶という技術がぐっと伸びるんで、そっちはそっちで地球環境を傷つけるかもしれないけど、でもそっちに行ったらデジタルコンテンツの質とかはどうでもいいんですよ。ある意味。
なぜならばそれはタブレットを作るためにはリソース使っちゃうかもしれないけど、そこに乗ってくるコンテンツはもうリソース食わないんでほとんど。どんなレベルのものでもいいと思うんですよ。はっきり言ってラフ書きでもいいと思うんです。
それは私はそのメディアの質がどうこうっていう議論って基本的にもうナンセンスになったと絶対思うんですよね。ただ物質を使うんであればなんかもうちょっとやっぱり最低保障線を立てておかないと人類はちょっと結局他の生き物ですから何らかの形で多くの場合、やめといた方がいいと思うんですよね。やめといた方がいいっていうか考えた方がいいと思うんですよ。
そうしても別に表向きに損害はないんですよ。なぜならどうせ並んでない本だから。だからその中に質の高い本もあるんですよ。だから今やってることって相当無駄なことをやってるんですよ。本当に目にしてない本っていっぱいあるんですよ。
全体の40%ぐらいは全く目にされることがほとんどなくそのまま裁断されるだけっていうケースが今ちょっとどうなってるかわかんないけど多分あんまり事態は良くなってないと思うんですよね。なぜならば物理的に並べるスペースがないぐらいの本が実際には印刷されてしまっているのが実情なんでこの数減らすだけで十分なんですよね。
でこの数減らす合理的な理由は山ほどあるんでこの数減らしても我々にとっての実害はゼロなんで。なぜなら目にしない本の数が減るだけだからゼロなんで。やめといた方がいいと思うんですよね。その無闇にするっていう。私も昔はだからそういうこと言うと非常に不公平だと思うんですけれども。
でも今は代わりにどうしても出していければKindleで出せますから。紙はただの絹付けですからはっきり言って。しかも絹に大してつかないですから。ちょっと熱くきますよ。それはちょっと熱くけど思い描いているほどでは全然ないから絶対E-inkの方でいいと思うんですよね。読まれればいいんですよ。
だって明らかに僕なんかは数相当出してる方ですけど明らかに私はKindleで儲けてる人たちよりは全然儲けてないですからね。何にも得しないんでこれ紙で本出したということそれ自体によってではね。このことをどうやって精神分析的に説明すればいいのかというのがまだちょっと混乱中です。混乱中なんだよな。考えがまとまってないんですよ。
心身症と精神分析の関連性
でもその周辺の話からいくんですけど精神分析というのは知識をつけるだけでも十分役に立つから知識をつけましょうねという運動を僕は特にサブスタックを中心に展開していきたいと思っているわけですね。
ノートの方はさっき言ったようにビジネス書の代わりとして使っていきたいというのがあるので最初から精神分析の話ばっかり言っていくわけにいかない。やっぱりLifehackとかタスクシュートの話はしばらくは中心にしていって徐々にですね徐々に書けていったら精神分析のこともどんどん書いていこうとは思っているんですね。
テンは結局ビジネス書で私が出したいものを出すからなんですよ。ただしそういうリクエスト来ないですよね。リクエストの来ない本を出していくって何かビジネス書界では間違ったことなんですよ。僕が思うにね。やっぱり僕基本的にはビジネス書というのは人に頼まれて出すものであるというふうに思うんで、あれは出版社が設けるためのシステムですから。
で、それを中心に出版業界は動いているので間違いなく。残念ながら書店さん中心じゃないですよ。このバランスはAmazonが大きく変えたんですけど、Amazonはそもそも出版業界を兼ねているような機能としてはですね、編集という機能がないんだけど、それは非常に問題があると思うんですけどね僕はね。でもしょうがないんですよね。
でもAmazonは明らかに出版業界の独特ですよね。あの形態をね。書店とは到底言い難い。ですがそれによってパワーバランスが大きく変わったんですよね。でもそれはもう仕方がないことなんですよ。そうしちゃったんだから。我々が、我々がなのか分かりません。今Amazon Japanもあるんだから我々がとか日本がとかいう言い方は間違ってると思うんだけど。
とにかくそういうことになったんですから、それに合わせていくのが当然だと思うんですけど、こういうことにおいてはですね。ここに私は父親的なものを見るんだけど、一旦それは置いておきましょう。精神分析なんですよ。結局は僕はそれを広げていきたいと。
タスクシュートもいいと思うんですけど、タスクシュートはどちらかというと僕は教会が広めるべきだと思う。個人で頑張るっていうのはもう失敗したというか少なくても大成功はしなかったんだから教会に任せるべきだと基本的には思っております。
それは必ずしも少なくとも僕がノートを有料にしたぐらいでは今よりずっと広まるぜってことは起こらないからそれはもう確実だと思うんですよね。ノートには書いていくけどノートにそれだけを書くっていうことはやめておこうと思います。それはもう完全に万能感の世界に入って、俺がやればうまくいくぞみたいな思うんですよ人間。何度も失敗してるくせにそういう愚かなことを思っちゃうんですよね。
それは全くのナンセンスだと思うんで、20年やってきて大したにはかばかしい成果が上がったとは、自分一人がそこそこ食えるところまで行けたから全くまるまるの独りよがりではないんだけど、考えてることの古代妄想ぶりからすると現実はそんなに大きくはなかったと。
チームの力は大事ですねっていうことですね。たぶんこれがね、なかなか野球界とかでもそうなんだけど、野球界とかってすごい選手ばかりじゃないですか。絶対俺の力だって思ってるんですよ。あれがチーム力になった時は強いんだけど、なかなか難しいんですよね。人間これを実現するのは難しいと思います。
この辺に精神分析が入れるなとは思うんですけど、出版業界で働いたことはないから、主戦は下向けの著者なんで、その目からしか見えないんですよね。残念ながら。
だからそこが分かっていないから分析的な執行が進まないのか何なのか分かりませんが、精神分析的に考えると良いことがありますということは確実だと思うんですね。
例えば私の場合はアトピーがアトピーだと思ってたものが実はアトピーじゃないということが分かったら治ったみたいな話ですね。これは心身症なんですよ。あるいは神秘症って世界ですね。要するに病は気からってやつなんだけど、本当にこれは病は気からというレベルではないんですよ。
自分のアトピーが真のアトピーにできてしまうというほどすごいものなんですね。これをまず精神分析という知見なしに理解するのは理解できるかもしれないけど、すごい無駄な気がするんです。
それはですね、野球を見ずにプロ野球を理解するみたいな、そういうしなくていいことをしている感じなんですよ。心身症を理解するなら僕は精神分析に限るなと。少なくともお医者さんとかは別ですよ。一般人の立場からすると心身症は精神分析を学ぶのが一番早いと思うんですね。
だから心身症なのにそのことがなかなか理解できないというのは多分私は精神分析がよくわかんないからだと。精神分析ってよくわかんないものだけど、精神分析が十分に理解できれば私は心身症が治るとは言いませんが、理解できないってことは起こらないと思うんですね。
私の中でやっぱり名言があって鳥畑春信さんの東京無職日記ですね。あの中に自分が今回会社に来れなかったのは重度のけびょうです。あれがまさに心身症なんですよね。彼は本当に布団から出られなくなっているんですよ。でもけびょうだってことは知ってるんですよ。これがまさに精神分析で説明されていたことなんですよね。
小麗ドーラ以来ですよ。小麗ドーラは非常に中途半端ではありますが、小麗ドーラ以来フロイトの考えていることは正しいんだと思うんですよね。やっぱりね。重度のけびょうなんですよ。重度のけびょうというのは、ハリウッドの恋愛映画に出た人が本当に結婚しちゃうのと同じで、人間はやっぱり自分の、これは誰が言ってたのかな。ローレンスタインっていう人がはっきり言ってるんですけど、心理学者。あの人も心理カウンセラーですね。
精神分析家ではなかったかもしれないけど、いわゆるアメリカの本格的なクリニックで働いているような人なんだけど、彼女が言ってたんですよね。人間は芝居とリアルを区別する能力がとても乏しいと。それは社会心理学がはっきりと示したことだというふうに書いてたけど、全くそうなんですよね。別に社会心理学じゃなくてもいいんですよ。あの辺もすごいんですよね。
社会心理学では非常に私はそう言うとちょっと語弊があるか。だから言わないけど、セルフハンディキャッピング。でもあれは私はフロイドがとっくにもっと遥かに深く明らかにしたほどだと思うんですよね。セルフハンディキャッピングは。
面白いですけど、統計学的にそれを社会学的に示すことができたっていうのは面白いですけど、あのやっぱりドーラにも及ばないなって、症例ドーラにも及ばない感じがするなっていう感じはしますね。とにかく人はあの毛病を使ってるうちに病気になっちゃうということです。
サイコパスの心理と「ニード」
で、それは毛病というのは自分のメリットのために使うとみんな思うんだけど、そうではないんだということ。もちろんそうなんですけども、深い意味では。でも本人はそこに何のメリットがあるのか、例えば私はアトピーをあんなに治そう治そうとしてたのに、結局治せなかった。
もうなんだかわけわかんない油飲むとかね、ほとんど民間療法でもうちょっとで焦げた胃もりを食いそうになってるわけです。てかまあ食ってるわけですよ、ほとんどね。胃もりは食ってないけど、食っちゃいけないようなものを食ってるわけですよ。そんなに辛いんですよ。で、でもあれは毛病なんですよ。
じゃあ一体それは何のためにそんな馬鹿なことをやってたのかというと、これが全然理解できないわけですよ。自分に何のメリットがあるんだけど、だからセルフハンディキャッピングってのはやっぱ甘いと思うんですよね。それは明らかに畑目から見ればどんなメリットがあるかわかるわけですけど、例えば今日のプレゼン失敗しそうだなって何のために言ってるのかは、本人はともかくとして周りの人は知ってるんだけど、
例えば学生にやたら言うじゃないですか、もう全然勉強してないんだよって中間テストの前に絶対言うじゃないですか。まあ僕は絶対言ってたんだけど、これは何のために言ってるのか先生とか親とかにはもうあまりにも明らかなわけですけど、それがセルフハンディキャッピングの言ってることの私は指し示せている領域としての限界だと思うんですけど、
ドーラが速投しちゃうのはそんなレベルでは説明できないし、まして私のアトピーはそんなレベルじゃ全然説明できない。私だってわかってるんですよ。今日全然勉強してなかった。本当に勉強してないんだけど、これをわざわざいっぱい吹いちゃうしたくなるのは自分でもわかってるけど、何でアトピーなのかは自分じゃわからなかったんで。やっぱこのレベルの差はありますよね。
で、このセルフハンディキャッピングから言って、重度のけびょうで無意識のけびょうになっていくという、最初から無意識のけびょうなんですけど、これを例えば日常生活の中で、これはちょっとね、また語弊はあるにせよですね。
あえてこういう言い方をすると、いわゆる人格障害というのはわかってやっているんだっていうようなことが対象関係論でも言われているんだけど、それはまあ嘘だとは思わないですよね。確かに全意識にあることだとは思うんです。無意識になっていたら精神病だが、全意識にあるものだったら、奥深い全意識にあるものだったら、ボーダー水準だっていうのは自我心理学的ですけど、わからなくはないんですけど。
でも、私はそれよりももっと重大な問題として、我々日常生活で精神分析が役に立つのは、一見したところでは人格障害ですらないぐらい健常に見える人の精神病を扱えるところっていうことなんですよ。部分精神病みたいな言い方ですね。
で、これの一番扱いあぐねていて有名な事例が僕はサイコパスだと思うんですよね。一時は流行りましたよね、サイコパスサイコパス。で、サイコパスっていうのは私はそこまで広範に見られる事情じゃないと思うし、三ヶ月チャレンジなんかにも今のところサイコパスっていう感じの方が、だってサイコパスって本人困ってないからね。
多分困ってないと思ってるんで。だからサイコパスの人っていうのはどこか本当になんとかこれしなきゃまずいなと思った時に、結構本格的な精神分析のところにサイコパスの人が言っている事例って結構読むんですけど、これはやっぱりどっかあるんだろうな、そこのところがって。
で、精神分析科がすごいやっぱり困惑している。私はボラスの例が一番いいと思うんですよね。虚言者っていう章に出てくるんですけど、これはやっぱり重大な事例だなと思うんですよ。で、ボラスのやっぱりいいところはビオンとかと違って統合失調症とサイコパスは違うんですよね。サイコパスの人は全く正常な感じしかしないという異常性なんですよ。
僕はいつもそのこと思うんです。いたんですよ。大学時代に少なくとも一人。あれはサイコパスだと。でね、サイコパスの人の特徴というのは一番最大の特徴だと僕が感じたのはその時N少ないんで、アメリカでも間違いなくアメリカにはいやや多いかなって気がするね。二人に出会ってあった気がしますね。
いやアメリカでは本当恐ろしいですよ。自分も身ぐるみ剥がされても文句言えないぐらいのところに引きずり込まれるんで。あの辺がやっぱアジア人は甘いのかもしれないっていう。なんか本当にねアメリカの都市伝説にあるじゃないですか。なんか気がついたら肝臓取られてましたみたいな。ノリがそういうノリなんですよね。だから怖いんですよ。やっぱり。なんかアジア人にあのレベルの人は少ないの。いやそれは僕が甘い世界に生きてる。だからこの甘い世界ってやつなんですよね。
サイコパスの人の僕は特徴というのはホテルのコンシェルジュみたいなんですよ。そこに若干の異常性を感じるんですね。あまりにもこの人は人柄がよく見えすぎるという。あの正常すぎる異常性みたいな。あの全然違うんだけど。ウィニコットのいうパーフェクトマザーみたいなののパーフェクトっていう病理を考えさせられるんですね。大学の時代もそうだったんですよ。
なんかあまりにも出来の良い嘘をつくので。周りがみんな騙されるんだけど。そして本人だって。本人は間違いなく騙してるつもりはあるんですよ。これがいわゆるこうなんていうのかな。いわゆるヒッセリーの人とは違うんですよ。いわゆる怪異的な問題。怪異的なものはそこにあると思うんですけど。
ボラスがその辺のことを微妙に。あの人は詩人らしいんですけどね。厳密性を描く表現をしている気がするんですけれども。そういう意味ではウィニコットと似てないんだけど似てるんですが。ボラスっていう人はやっぱりこう一番僕はのそうですね。あのなんていうのかな。現代のなんか星一さんとかが描きそうなことですけど。現代人は少しどこが狂ってるみたいなところを説明させたらボラスはピカイチだなって思うんですよね。
明らかに美音が描き出す方々というのは精神病院じゃないと出会わさないだろうという普通の場合。私の場合はその身内がそうだからもっと身近なんだけど。統合失調症の人ってやっぱりサイコパスとは全然違うんですよね。
サイコパスの人っていうのはやっぱりいやそれおかしいでしょとは思うけど。だからといってあの気が狂ってるかっていうとそうは見えない全く。むしろあなたちょっと正常っぽく見せすぎてないみたいなそういうなんかこう今青木に行ってスーツだからね男性って感じがちょっとまずするんですよね。
それはまた僕が甘いところなのかもしれないけどスーツビシッと着ていてイギリス人紳士ですみたいな。ただし人を完璧に騙してなんなら肝臓持ってきますみたいな。明らかにおかしいじゃないですか。でこういう感じのするタイプなんですよ。私が大学で出会った人もそうなんですよ。
例えばめちゃくちゃいい奴でバイトとか一緒に行って。いや、正午の分も全部やっておくよみたいな。俺こういうの好きだからさとか言って。しかもそういうのが上手いんですよ。めちゃくちゃ納得感が高いんですよ。でバイト代は全部持ってくと。しかもバイト代全部持ってくんだけどバイト代が欲しくてそれやってんのかっていうぐらいお金持ってたりするんですよね。その人はそうじゃなかったけど。
虚言を出してある意味だから人が生きている世界というもの全体を極力虚偽にしてしまいたいみたいな。私が理解できる範囲内での言い方だとそうなんですよね。みんなは要するにマトリックスを生きているっていうことにしてしまいたいみたいな。そういうニュアンスなんですよね。ここにあるのはその人も梅津和夫さんの愛読者でもあったけど梅津和夫さん的でもないんですよね。
人顔を向けば人間はみんなゾンビだみたいな。ああいう世界観であるじゃないですか。あれと似てるんだけどあれはあれでなんかこうゾンビ界はリアルだみたいな。そこがちょっと倒作気味なんですけどみんな醜いんだとかみんなおぞましいんだとかみんな腹黒いんだとかみんな怪物なんだっていうそういうニュアンスはあるけどそこにあるのは実態はあるんですよね。
変な実態だけどなんかドロドロ人間みたいな人間だけど実態はあるんですよね。でもサイコポスの人っていうのはこの世界はそもそもないんだみたいなニュアンスなんですよね。全部嘘なんだみたいな。だから腹黒い世界との近似地はある感じがするんですけど腹黒いんじゃなくて腹がないんですよね。そこにあるのは影なんだみたいな感じなんですよ。
精神分析とサイコパスへのアプローチ
だからみんなが呆然とするみたいな感じが結末というのがやっぱりボラスも書いてますけどクリストファーボラスですね。みんなが呆然とする。私も呆然としましたもん。その人に何度も騙されて何度も騙されるところが自分らしいんですけど近づかないことしかできないんですよね。ある意味では。
必ず絶対騙しにかかるんで。で何のためにそれをやってるのかがつまり正常人にはわからないわけですよ。でもその人はもちろんその小テストとかではほぼ満点取るし受験もサクッと乗りこなすし適応度が極めて高いから本人が望まない限り心理臨床とか精神病院に行くとか絶対ないんですよ。
周りに無理やり行かされるかさもなくば本人が本当に何かそこに危機的なものを感じて基本危機的なものを感じる理由何もないじゃないですか。本人はすこぶる健康的には。ちなみに体育会計の部活とかに入ってるんですよ。信じられないじゃないですか。何そのちゃんとやってるかっていうか何がやりたいんだろうねっていう感じがするんですよね。
でも多分なんですけどその体育会計の中でもすごい上の方の責任者の方に行って金とかちょろまかすんですよ。でも多分それもお金が欲しくてじゃないんですよね。でめちゃくちゃ実直にやってる感じしかしないから周りの人は多分最後まで気づかないんですよね。でも多分ですけど最後は気づかせるんじゃないのかなって感じもちょっとするんですよね。それはやりたいんですよね。
すごい複雑なんですよ。ある意味。
で、これは何でなのかというとやっぱり僕はモラスが近いと思うんですけど。
つまり何が言いたいかというとですね。ニードとニーズの説明。やっぱりウィニコットが出てる。ここら辺がだからモラスとウィニコットが近いのかそのサイコパスみたいな世界とウィニコットが近いのかはちょっと何とも言えないんですけど。ニードというのはすごい正しいなと思う。
ここのところになかなかニードっていうのが出てくるんですよね。つまりビオンだったらベータ要素とかコンテインっていう風になると思うんですけど。やっぱりニードってものがないと概念がないとですね。説明つかない感じがすることってあるんですよ。ニードってのは欲望なんですよ。欲望じゃないんですよ。
本人がそれを望んでるという意識が弱い。弱いというかほぼない。例えばだから赤ちゃんは泣くんだけど泣くんですよ赤ちゃんはね。泣くってことは辛いって言ってるわけですよね。しんどい辛い苦しいって言ってるんですよね。お腹空いたとは言えないんですよね。だから赤ちゃんのニードなんですよ。赤ちゃんは泣くんですね。
たぶん泣いてる赤ちゃんに言葉を話させればお腹空いたではないですね。辛い辛い苦しい苦しいなんですよね。どっちかっていうとこれって逆じゃないですか。辛い苦しいだったら何かが出したいのかなって思うじゃないですか。飲みたいんだったら人間飲みたいときにはもちろんあまりにも腹減ればでもやっぱ腹減ったって言いますよね人って。つまり我々はそれだけ現実見当がついてるわけですよね。ニードじゃないわけですよ。
だけどあんなに賢くて適応度高くてもたぶんサイコパスの人ってニードに動かされてるんですよ。本人は何がゆえにそれやりたいのか。人を虚偽の世界に置きたいってのは分からないけどなんでじゃあ虚偽の世界なんかに人間を置きたいのかっていうのは分からないと思うんですよ本人にも。全然。そこにやっぱり精神病性があるわけですよね。現実見当がついてないわけですよ。
我々はやっぱり欲望を持つべきであって欲動に振り回されまくるべきではない。ある程度はしょうがないんですよ。我々はみんな少なくともビオン流に言うと精神病水準で生きてる部分がつまり精神病部分が発動するときは絶対あるんでと思うんですよね私はね。
ここをそれを制御できるように制御できるようにだからそれがつまり井戸があるところに私を荒らしめなさいなんですけどフロイト流に言うとそうなんだけどやっぱり限界があるわけですよね。井戸のあるところを全部エゴにすることはできないんだと思うんですよ。だからなんとかしてここを頑張ることはするんだけどそこが逆なんですよね。
井戸が優雅ままにどういうせいでそうなるのかわかんないけどわかんないというかそこをボラスが説明してるわけですけど要するに
両親との関係がサイコパス的であったってことなんだと思うんですよね。だからニードというものを扱うっていうのは虚偽であると。これってすごいことじゃないですか。つまりウィニコットはニードニーズに変えるのが母親なんだって言ったら母親機能とはそういうものなんだ。つまり人間が生きていく上で欠かせない最初のものがニードニーズに変えることなのに
これは虚偽ですって言ってるわけですよ。サイコパスの人ってのは。で、ビオン流に言うとベータ要素アルファ要素にアルファ機能によって変換するのがコンテナーの。そして人類とはコンテナーをどうやって用意するかです。で、それは虚偽だって言ってるわけですよ。だから普通に考えると到底生きてはいけないし正気を保つこともできないはずなんだけどできないできてないんですけど実際。でもできてる風は予想を得てしまっているような人が
つまり世の中のコンテナーとかアルファ機能とかニードニーズに変える母親機能とかを信じてないんだけどてかそれは嘘だってことになってるんだけどしかしそうやって生きていくことが可能になっている人みたいな感じなんですよね。だから虚偽なんですよ。世界は虚偽なわけです。虚偽に満ちてるわけですよ。全部虚偽でしかないわけです。
まさにサイコパス的ですよね。それを最初に両親が示しちゃったという。だからその人のニードはいつまでたってもニーズに変わることがなくて欲動の赴くままに人に嘘をついていくっていうことになるんですが嘘がつきたいわけじゃないのでここが不思議なんですよね。嘘がつきたいわけじゃないので嘘つきまくってるんだけどそれによって何かが達成されるってことは決して起こらないわけですよね。
何一つ理解をしようという気はないんですよね。この辺がすごくサイコパス的世界というものをサイコパスっぽく実現しちゃうわけですよ。何一つ彼について理解することは必要ないっていうわけですよね。
精神分析的な態度を取らないとなってくると。ここが私は精神分析の偉いところだなと思うんですよね。何か覚悟があるなって感じがするんですよ。だからボラスだってちゃんと分からなかったっていう記述がいっぱいあるにも関わらず分からなかったと思うんですよ。直せたわけでもないと思うんだけどでも何とかしようという気は起こしてるわけですよね。
もちろん腹は立つと思うんですよ。絶対騙されるから。騙さずにはおかないんです。すごい手の込んだ騙し方やっぱりするんですよね。
これは多分彼のボラスのもう一つの原理であるところの、たとえ相手が犯罪者であっても主比義務は守るみたいな、そういう精神分析的な今のコンセンサスを逸脱しているところがあるんですけど、でもより精神分析的になっている部分、この辺難しいんですよね。あると思うんですが。
で、そのサイコパスの患者さんが言うんですよね。まず主比義務を確認させてくれみたいな。これ自体が罠なんだけど、はめられるわけですよね。はめられずにはいられないっていう感じなんですよ。だからそこは力道なんですね。
だから主比義務を確認させてくれと。私がこれから言うどんなことがあったとしても、これについては先生は秘密を守って通報したりしないということを言ってくれないとこれは言えないみたいな。もうこの話に乗ってる段階でダメなんですよ。その話の中身がなんであれですね。これ自体が嘘だから。
そういう話を始めるんですよね。しかも、いやこれって嘘なんじゃないの?みたいに思うんだけど、というふうに疑うということは、ある種の真実らしさをそこに見ようとしてしまうってことですよね。疑うという。100%嘘だって言うんだったら頭から相手にしなくてもいいんだけど、これをやって今度は100%最初から相手にしないという、つまり精神分析やってることにならないじゃないですか。
そういうジレンマに置かれるわけですよ。最初から。そういうことをほとんど随時やってくるみたいな感じなんですよね。つまり何が本当かがわかんないわけですよ。最後まで。これが嘘なんじゃないか。これ100%嘘だっていうことになってくると相手にしないってことになっちゃうじゃないですか。さっき言ったように相手にはするわけですから。相手にするっていうことはどっちか答えなきゃならないわけですよね。守りますなのか守りませんなのか。
いざという時は通報しますからね。実際スーパーバイザーに、ボラスのスーパーバイザーって何なんだろうと思うんだけど、相談したら、いやもうそれは内容によっては通報するからって言いなさいっていう。この答え自体がすでに乗っかっちゃってますよね。スーパーバイザーも載せられたってことにこれでなるわけですよ。
正しい答えなんだと思うんですけれども、そしてボラスもそう答えるよねっていう風に書いてるんだけど、それじゃダメとかいいとかはないわけですよね。じゃあどんなんだったらいいのかって話になっちゃうんで。通報しませんはもちろん通報しませんと言うってことは通報するにせよしないにせよ通報しませんって言うってことも乗っかってるってことになるじゃないですか。
沈黙するってわけにもいかないわけですよね。普通に考えると。つまりこのセット自体がすでに真実味を書いていますよというのがそのサイコパスの人の言いたいことなんだと思うんですけれども、なぜそんなことまでしたいのかと。
まあ当然のことながらボラスも知ってますから、じゃあこれはクライン流の言うところの本能なのか、扇望なのか、破壊したいということなのか。私はそうは思わないっていう風に答えるんですよね。絶対クライン派だったらこれは破壊したいってことだっていうことになるよねって思うんだけど、そうは思わないって言うんですよね。
やっぱり僕は非常に先行ってるなある意味とビヨンとは違う意味ですごい先行ってるなという感じがして、僕に全てがわかるわけじゃないですけど、でも精神分析って確かにこういう課題について取り組もうとするほとんど唯一のやり方なんじゃなかろうかという感じがしちゃうんですよね。
社会は諦めて投薬っていうことになっちゃうんじゃないですかねっていう、それがどういう薬か私は知りませんよ。だけど諦めてしまうんではないだろうかって感じはしなくはないです。
だいたいこの人本当にここに帰ってくるのかねっていう、ただ考えてみるとやっぱり一つだけ言えることがあるんですよね。ここにコンテナーってものの可能性を考えるんだけど、私は考えたんですけど、それは私の勝手な考えなんですけど、だから精神分析的ラジオなんだけど。
僕が思ったのは、しかし可能であれば多分サイコパスの人が、ボラスの仮説が正しければですけど、世界を虚偽にしたいというニードを持ってるから精神分析に挑戦していかなければならなくなるんではないだろうかと。
だからというふうに考えれば、これはもう僕の勝手な妄想みたいなもんだけど、というふうに考えれば精神分析というコンテナーが機能する可能性を分析側は欠けることができるんではなかろうかという気はちょっとしますけど。