配信プラットフォームとサブスタックへの移行について
おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1355回をお送りします。
5月26日火曜日、朝8時17分です。 いやいやいや、あのですね
あの、サブスタックというのを始めて、この番組をどういう風に位置づけるというか、サブスタックで出したものをこっちに乗っけるという風にしたいなぁと思ってたんですけど
どうしてもですね、こっちの方が収録が圧倒的に楽なので、しかも時間的にも正しい時間、正しいってのも変だけど、僕としてはこの時間が一番やる意味が高いんで、やっぱこっちを取ってサブスタに出すというのが当面の正解かなという風に思うようになったんで、ちょっとそういう風にしばらくはしていこうかなと
これをここのスタイフとか、ポッドキャストで聞いてくださっている皆様には基本的に影響ないです。
ただ、サブスタの方を登録しておいていただくと、それについては後ほど、こういうのが後手後手に回るんですが、下に何か概要欄みたいなのがあるんで、そちらに私のサブスタのURLを、サブスタック.comの置き場なんですけど
たぶんね、あの方を登録いただけると、私としてはとてもありがたいということはあります。
ただ、撮るのはこれが一番やっぱり、これねBGMをいきなりつけられるんですよね、冒頭にね。
これがね、いわゆる、スポティファイでなくなっちゃったから、私スポティアイからこっちに乗り換えたぐらいなんですよ。
で、もちろんサブスタックにもそういう機能は一切ないので、
あれで撮ると本当ワンストップでいけてめちゃくちゃいいんですけれども、だすが私としてはですね、
あっちで配信、こっちで配信しているのを全部サブスタに集めるというのは、最初考えたんですけどもね、NOTEとかXとかの、明らかにすごい疲れるんだということがわかったので、
これだけだったらいいかなと思って、これだけはURLで向こうのノータスっていうか、ノーツっていう、NOTESですね、複数形の、ノーツで出してますよっていうのを出せばいいかなというふうに思ったんですね。
向こうのBotcastの機能もなかなか面白いんですよ。面白いんですけれども、勝手にタイトルつけるとかね、AI的ですよね。
ですが、まあなんていうのかな、まだスタイフでいいかなというような、そんなに向こうにしておけば、向こうの人々全てに見られるわけではないと、ライブ配信とかはやっていってもいいと思うんですけど、とりあえずこれはこれでいいかなというふうに思いまして、こっちはこのまま進めていこうと思います。
1355回とか僕すぐ間違うのに、向こうで1355回とか言って、こっちで1356回と言ってみてみたいなことをやると、多分回数言うこと自体をやめるようになると思うんで、回数言いたいとか全然ないんですけどね。回数は言うべきだろっていうのがありまして、この界隈にはですね、そういうのから僕もまだ自由になれていないわけですよ。
そういうことで、一つしばらくこのサブスタッフ、お知らせとしてはもうサブスタッフに登録してくれるとありがたいということです。無料で全然フォローとかでも全然ありがたいんで、あっちしばらくですね、ちょっと有料設定とか面白かったんでしてみたんだけど、全然見え方がすごいアメリカンな感じで、これまだしばらく日本では難しいなと思ったので、もう無料であっちは行きます。
有料の配信とかをしたいというのはあるんで、それはもういわゆる日本のノートでやっていこうかなと、しばらくはですね、思うようになりましたので、そっちでちょっと考えさせていただこうと思っています。
「3ヶ月チャレンジ」における自身のスタンスと構造論的アプローチ
はい。で、久しぶりにちゃんとこういうふうにお知らせをして本題に入るということなんですけど、最近ですね、私はどんどん精神分析的というものは、精神分析的な話をするのはすごい好きで、もうする話は全部精神分析的にしたいと思っている一方で、3カ月チャレンジはですね、ようやくこうだんだん自分なりの、わかんないですけど、本当にわかんないんですけど、自信はないんですけど、
でも自分なりのスタンスというものがようやくこう見つかり始めてきたなと。いろんな話の整合性が少し取れてきたというか、理解できるようになってきたっていう話を今日はしたいんですよね。
で、要は私治療じゃないって言ってるじゃないですか。一つにはですね、参加者さんはやっぱりすごく明快に、そういうような方がいらっしゃらないとは言わないんですけど、明快にこの病理であるっていうようなことが言えないんですね。やっぱり病気じゃないっていうか、少なくとも心理障害というには遠い感じ、精神病では全然ないっていう方が普通に、というかまあほぼ皆さんそうなので。
となると、昔、河合俳夫さんがそれ言ってたんですけど、いろんなのに当てはまりますっていう人が来ちゃうっていう、要するにクリニックに来るというよりは相談を受けて、河合先生がおっしゃる、あれも私っぽいし、これも私っぽいしっていう人がいるんだけどっていう話をしていてですね、そういう人が要するに普通の人なんだと。
つまり、突出しちゃいけないっていうことなんですよね、これは。もう明らかにどう考えてもその人は脅迫的であるっていう感じになると、それは脅迫症なんだけど、脅迫症的でもあるし、ジゾイド的でもあるし、ちょっとナルシズム入ってるしとかは全然普通だってことなんですよ。
で、そうすると診断が著しく難しくなるじゃないですか。っていうか多分素人がその診断をすればですね、かなり詳しい人であっても、する人によって変わってきちゃうと思うんですよね。これは専門でも起きるはずのことなんだけど、でもある人はこの人のことを脅迫的だと言うし、ある人はこの人のことをスキゾイド的だと言うし、みたいなことが普通にどんどんどんどん起きると思うんですよね。
で、それが健常なんですよ。我々はやっぱりスーパーマーケットなんですよね。なぜかというと突出した特定の何かの傾向が極めて強いということは、要するにやっぱりそこに難しさを抱え込んでいるっていう話なわけだから、それが無意識化していき、それが行動化していき、それが身体化もしていけば、つまりそれこそが治療対象になるわけじゃないですか。
で、私の場合はそうじゃない方がいいわけですよね。参加者さんとの付き合いの中でああとも言えるしこうとも言える。傾向としてある種の傾向はあるにしても、それはみんなありますんで、私は明らかにスキゾイド傾向はありますんで、あるんだけど、そうは言っても、スキゾイドと言い切る、例えばどう考えても分裂、消失、人格障害みたいに言い切ってしまうには、やっぱり私は適応度が高いと思うんですよね。
明らかにそういう面はあるにしても、思いっきりそれだとは言い切れないようなところがもちろんあるわけですよ。
で、そうすると、焦点を治療という風にしなくて済むので、つまり診断ということをしないですからね、する資格もないし、つまり診断をしないということは、特定の何かにフォーカシングをして、そこに向かって集中治療を行いましょうみたいなことを、それをしちゃったら治療になっちゃうんで、そうすると資格の問題って出てくるんで、そういうことをしないで済むわけですよ。
それは私にとっては、3ヶ月チャレンジとしては適応的なわけですよね。世の中に対して。世の中に対して適応的だと言えると思うんですよ。で、一つ整合性が取れる感じがするんですね。こういうことばっかり考えてるんですよ、普段から。
で、もう一つが、ということであるならば、なんていうのかな、じゃあ何のためにそれをやるのって話になるわけじゃないですか。昨日そういう話を夜でしこたましてみたんですけれども、依然として何回やったって同じことがやってくるなと思うんだけど。
参加者の動機と「治療」を求められる構造
つまりですね、そういうふうにすると今度は目標を失うと、そこで参加動機っていうことが大事になってくるんですけど、ところでここでですね、しかし治療はしないんだけれども構造らしきものは出てくるんですよ。どういう形で出てくるかというと、いやそれ3チャレンジに求められてもダメじゃねっていう形で、しかし求められるという形。
これは私は極当然のように起きると思うんですね。治療を求められるっていうように見えることもあれば、例えばもう超目標設定してゴールから逆算で7つの習慣ですみたいなのを思いっきりここに持ち込まれると。それは別に3チャレンジに持ち込んじゃいけないっていう話は一向もないんだけれども、明らかにこの告知文からするとそうではないですよねっていう感じがするじゃないですか。
でもそこを強引に無視してこられるというところに、ここで見るべきポイントが出てくるわけですよ。それは病理でもないから治療ではないんだけれども、だってここに7つの習慣やりたいですっていうのは、7つの習慣を日本法人やるからそっち行きましょうっていう感じになる。
例えばここにGTDやりたいですって、いやそれはGTD日本法人、ていうか怒られるんでここでGTDやってるとっていう話になるんだけど、しかしそこを何が何でも佐々木とやりたいっていう話になった時にここで見るべきものが出てくるという、こういうスタンスは私は実は正しいなって思うんですね。
非常に何かがねじれてるようだけど、このねじれを病理未満のものとして、そしてビジネスというものを、しかしこの種のねじれを持ち込みたくなる心理というものはおそらくこの人が働くとか家族の営みを営む上で多分ある種のネックになるであろうと。
こんなあがらさまじゃないですよ。ただこういう方針っていうのは一つとして一つの私に求められるものとして十分あり得ると。
例えば極めてわかりやすい例として、私はここではタスクシュートをメインではやりませんと、現実に全然やってませんから。
でもあんたタスクシュート協会の理事なんだし、3ヶ月で8万円高のお金なんだからタスクシュートを集中的にやりましょうみたいなことを言われるということがあったとき、これはダメですという話にはならない。
でもやりましょうっていうふうに僕の気持ちの中でスッキリはいかない。だいたいそもそももっと安く、もっと短期でベーシック講座とかマスター講座とかがバンバンあるのになぜそれを吸っ飛ばしてここでそれをしたいのかというのを話題にすることはありですよね。
そしてこの話題の仕方が私は非常に精神力動的であるというふうに考えるわけですよ。私はね。いやそんなの全然違うよって言われるかもしれないんだけど、私はそういうふうに考えるわけですよ。
だからそれを3ヶ月チャレンジなんだと、まあそういう話も今のところ一例もないんですけど、ここではタスクシュート以外の話は聞きたくありませんっていう話はされたことはないんですけれどもね。
だけども極端に言うとそういうことなんですよね。で、それは私は見るべきものがいろいろあるんじゃないかなというふうに思うんです。で、全く同じ例は出せないですけれども、あの3ヶ月チャレンジ第一期あるいはゼロ期的な私だから直前に似たようなことを実験的に頑張ってた時代があったんで、ゼロ期的な。
だから現在の3ヶ月チャレンジの参加者さんは知らない何人かの人のこのセッションってあったんですけれどもね。そういうセッションの中で直に会ったりするっていうこともしばしばあったんですけれども、あの自己肯定感を高めることを目的にしたいっていう、これってすごい正しいじゃないですか。
いかにもメンタルな感じで。だから佐々木さんにタスク管理とライフハックの話をしてもらって、そしてそれを身につけることによって自分の自己肯定感を高めるという意味でのこうメンタルな、あのなんでしょうかな。
だから3ヶ月チャレンジのまさに前進みたいなもんですよね。それ以外のことはやりたくないと。ここで面白いセリフが、これはねまんまのセリフじゃないんだけど、まさにこういうことを何回か言われたことがあるんだけど、精神分析やってる場合じゃないっていう言葉があるんですよね。
これは私は強烈だなっていうか、非常に3ヶ月チャレンジ的だなと。近いことを言われてですね、私はカチンと来るということが当時ぐらいの時はありまして、いやだったら他のところ行ってよみたいなことになってたわけですけれども、思いっきり定位が走ってしまっていたわけですけれども、だって当時は私はほとんど読みかじり感以外の何もなかったんで、そんなもんですよ。
いや、精神分析の話をせめて聞きたくもないっていうならば、だったら別にタスク管理のいるじゃないですか。今では発達障害の方向けのタスク管理とかそういうのもあるわけだから、そっちの方がいいじゃんっていう、これを言うのはもちろんいけないし、私もこれは言わないんですけど、まず引き受けるのが求められることですと尾形海斗さんもおっしゃってますしね。
そういうふうに私はそのまま受け止めてるわけじゃない。これは治療のやっぱりスタンスだと思うんですね。まず引き受けろなどというのは。ただ尾形海斗さんは私は非論面にとってんなぁと思うんですよ。
まず引き受けろと彼は案に野々に者に向けて言ってるように聞こえるなっていうのはあるんですけれども、でもその辺はもう非正規でありグレーであり、まず引き受けろ、まずそんなこと言ったらまず治療を始めちゃってもいいのみたいなことになりかねないじゃないですか。
なんか黙々と煙出して全然違うあなた何とかの呪いにかかってますみたいなね。尾形さんはそれもありだっていう感じのスタンスの方だからありなんでしょうけど、私はそういうふうなスタンスから外れよう外れようと頑張ってる。非正規のくせに正規ぶりたいのが三ヶ月チャレンジの特徴ですから。
この線は引き受けるまず引き受けるそれはすごい大事だと思うんですけどまず引き受けるからと言ってそのなんていうのかなぁもう呪術的な治療をするのはありかどうかって言われると私は答えを保留ってことにする。少なくとも私は呪術に長けてないのであのどうしてもその呪術的になってっちゃうんですよね。非正規で治療って話になると黒焦げの芋利とかピンク色の水とか飲まないですけどね絶対ね私だったら。
だから私はやっぱりそういうのがそれがどれほど大魔道士とか大魔術師とかでも避けたいなって思っちゃうんですよね。そっちに欠けたくないみたいなノリがあります。わかるんですよすっごいこういうのってあるんで私もアトピーが本当重症で高校3年の頃とかだった時にはなんかの水とか飲んでましたよ。なんか怪しい水ね。
で、勝間和夫さんという方と先日ちょっとお話した時にあの笑われたんですけど要するに国が一生懸命綺麗に水して水道水を税金投入してるのにそれをみんな飲まずになんか得体の知れないなんとかの天然水とかのしかもそれ天然だし大丈夫なのかっていうようなお話をされていて面白いなと。
このこと勝間家伝って本に書いてあるんで。だけど私はもっとずっとすごい水を飲んでたわけですよ。なんとかの山奥から出てきたようなアトピーが的面に治るとかいうね温泉水みたいな温泉水飲んじゃダメだろって感じなんだけどやっぱ飲んじゃうんですよね。だからあのピンク色の水っていうのは決して冗談ではないんですよ。やっぱり病気を治療するってのはそういう風になっていきがちなところがあるんですよね。
私結構飲んでましたから。今思うとあれ大丈夫だったのかなと思うんだけど何リットルとかじゃないですよ。多分何百リットルくらい飲んでましたよ。一時。あの1日ではもちろんないですけどね。総量としては相当なもの飲んでたと思いますね。だからやっぱり魔道的な魔術的なものって侮れないんですよね。
自己肯定感と「内省したくない」という動機
肌痒いとね辛いんですよ。まあまあそれはちょっと一旦置いておくとしてですね。何の話してたか忘れるね。
えっとだからこの治療じゃないというのはすごい重要なこうファクターでして治療じゃないからこそこういう観点つまりまあ構造論的に物事を見この状況を見ていくことになると。
でそこで自己肯定感を高めたいっていう話を持って来られた時もちろん私は自己肯定感が自分低い人間だから高められるぐらいなら俺が高めてるわって感じの話なんで。
だけどライフハックをやり仕事術をやり仕事ができるようになり対人関係も滑らかになって自己肯定感が高まるじゃないかとそのロジックは最もに聞こえるんですよ。
でも私は実際には自己肯定感はじっともそれによって高まってないわけだしそもそも自己肯定感なんていうものを自己が自己を肯定する力みたいなものが高まるはずないじゃんっていう感じがするわけですよね。
そこにそもそも分裂が含まれてるじゃないですか。私が私を何とかするで私二人いるやんって感じですよね。
かたや何とかする私は肯定感高いのかもしれないけど何とかされる私は肯定感低いわけでしょ。どっちが俺だよっていう話になるじゃないですか。
これが私がそもそもですねこう考えないっていうのがわからないわけですよ。
自己肯定感って言葉は何なのかと自信とどう違うんだっていうね自信をつけたいって言うならまだわかるんだけどスキルアップによって自信つくかもしれない。
ただ私はつかなかった人間なんでつかないと思うんですけれども事故が事故を肯定するっていうのはじゃあ肯定される事故と肯定する事故のどっちが本当の事故なんですかっていう問題があると思うんですよね。
ウィニコットみたいに言うならば肯定される方が本当の私で肯定する方が偽りの私だと思うんでやっぱこれダメなポーズなんじゃないかなって思うんですけどね。
つまりこういう構造問題にできるわけですよ。
で、自己肯定感を高めたいというのは当然流行ってものが考えられるじゃないですか一つ。
自己肯定感って言葉は完全に流行り言葉だからこれは流行というものをこの人は意識されていると。
流行に乗りがちっていうのはやっぱり演技的っていうポイントが絶対出てくると思うんですね。
古典的な言葉で言うヒステリー、けびょうみたいな話ですよね。
それが嘘だって言ってるんじゃないですよ。本当だから難しいんですよ。
本当のけびょうにかかるんで東京日記、東京無職日記か誰だっけ名前忘れてしまうのが恐ろしいんだけどとにかく東京無職日記という本がありまして
その中に鳥畑春信さんかなバイトで頑張ってたんだけど不意に家から出られない、頑張りすぎですよね出られなくなって
その時にもう社長が今すぐお前ん家に行って来なかったらぶっ飛ばすみたいな、ていうかぶっ殺すって言われたのかな。
あまりの恐ろしさに引きこもりの人ってそうなんだけど出られないんだけどあまりにも怖くて出ちゃって
行って本当に病気だったらどうするんだって言われていや今回のは柔道のけびょうですっていう
私はあのシーンが非常に好きなんですけれどもそうなんだよね柔道のけびょうで家から出られなくなるんですよ
だからヒステリーって怖いんですよね
これも全部ヒステリーだというわけじゃないしそういうこと言ってはいけないんだけど柔道のけびょうはあるってことは忘れちゃいけないと思うんですよね
それはもう本当の病気と何ら変わらないんですよというふうにフロイトが言ってた通りだと思うんだけど
このことっていうのはもちろん僕もしょっちゅう柔道のけびょうにかかってたわけだよ
だからこういう話をしてるわけですけどこのことというのはつまり
その流行りに乗るっていうこととの関係があると思うんですね
他人の目にどういうふうに自分を持っていくかって話じゃないですか
けびょうにかかったら私しょっちゅうやってたからよくわかるんですけどお腹痛いんだとか言って
じゃあ今日学校休みだって言った瞬間になんかこうハンバーガー2個とか食べちゃダメじゃないですか
つまり一貫性を持たせなきゃならないじゃないですか
一貫性を持たせるということはそれは演技的ってことになるんだけど
なるべく意図的な演技意識的な演技だと大根になっちゃうから
やっぱり白身の演技をするためには本当にお腹が痛いぐらいになってくるのがちょうどいいわけですよ
そうして本当にお腹が痛くなっていくわけですけど
こういうことってのがやっぱり自己肯定感という話にはつきまとうと思うんですね
なぜならそれは流行ってるからなんですよね
流行ってるということはこういうものだというイメージを多くの人が共通の認識として持ってるという意味で
という認識をみんなが持ってるということは
つまり例えば清楚な女の人はこうだみたいなある種のステレオタイプってあるじゃないですか
ステレオタイプに乗っかるためには演技力がいるじゃないですか
この演技を知らず知らずのうちにどうやるかっていう話になってくると思うんです
自己肯定感が高くても低くてもそれが流行りということの関係あるならば
なんで自信ちゃいけないのかっていうと
自信という言葉はもうあまりにも定着しすぎていて流行り言葉じゃないからなんですよ
演技との兼ね合いという問題があるわけですよ
それは自己肯定感が低い人が演技してるって話じゃないですよ
高い人が演技してるって話ですらないですよ
だけど無意識のうちにはこの無意識の話をしてるわけだから結局フロイトはですね
無意識の中ではその人は何かの流行りというものに
自分を重ね合わせるということをしがちな人なのかもしれないわけですよね
こういうふうに考えていくと
流行と内省の回避、そして精神分析の必要性
なぜ3ヶ月チャレンジなど当時3ヶ月チャレンジではなかったんだが
わざわざ佐々木のような自己肯定感がない人間のところに
自己肯定感を高めるという話を持ってきたいという人が登場するのかというのが
構造的に見えてくるところがあるわけですよね
ついでにライフハッカー流行りです
当時流行ってた今も全然伝われちゃってるけど
当時の流行りとしてライフハッカー流行ってて
当時の流行りとして自己肯定感今より全然自己肯定感って言葉もバズワードだったんで
自己肯定感って今でも多分やってないのかな
Googleの検索キーワードでそういうキーワード入れると高くつくみたいなのあるじゃないですか広告で
多分めちゃくちゃ高かったと思うんですよ
だからいかにそれが流行ってるかってすぐわかるわけだけど
心理的安全性とかねあれはGoogle考えだした言葉のような気がするんだけど
それも安心じゃダメなのかって安心じゃダメなわけじゃないですか
流行ってないから安心という言葉はやっぱり心理的安全性じゃないと
そういうことだと思うんですね
一つには可能性としてはそういうふうに見ていくことによって
ここで何を取り扱えばいいのかということが少しわかってくるわけですよ
その人が何々病とか何々症とかそういうことを見ずとも
流行りっていうものがあり流行りに乗っかりたいという意識が強くあり
そしてここがめちゃ大事だと僕は思うんですが
このサンチャレみたいな私が当時やっていたのは
どうしたって真相にいこう真相にいこうとしてるわけじゃないですか
そこでわざわざ精神分析というものをやってる
暇はないと暇ってのは時間ですけれども
要するに何て言うんですかね
飛力をそっちに回してる場合じゃないってことだと思うんですね
ライフハック自己肯定感という流行を
仕事ができるようになるビジネスパーソン全て外形的ですよね
非常に外目に分かる明らかに人の目を
冒頭程度強く意識してますよね
で同時に精神分析なんかやってる場合じゃないっていうのは
すごく内精に興味はないぞって言ってるわけですよね
でこれは私は一つの見識だと思うんです
何かこう内向とか内精っていうのは
これユングが言ってた気がするんですけど
外向とか射向に比べて
深みのある人間みたいなニュアンスってあるじゃないですか
だから一歩間違うと私は内向的だから
そういう軽々しいことはやれないんだよっていう風に
ある種の万能化は言い過ぎか
でもある種の自己愛がそこにあるという感じがするわけですね
自己愛ってうぬぼれって意味ではないですよ
ただ自己愛がそこにある他者がいないって意味なんだけど
つまり実務に私は長けてなくても
お金の稼いでなくてもしょうがないんだっていう
アイデンティティとして内精化なんですみたいな
一歩間違うと私非常にそういうタイプでしたから
俺内精してるからさお金とか稼いだり
営業とかできないのは当然じゃんっていう
そういうものとしてこれがだから
何かの批判してるわけじゃないですよ
だから私はユングの四言論みたいなやつ
外向と内向みたいなのは
どっちに優劣はないっていうのが正しいと思うんですよね
一歩間違うと今のように言ってるやつだから
内向はダメなんだみたいな話になるし
他方では外向的な人間はすごく表面的だから
ダメなんだみたいな話につくなるんですよね
「内省したくない」という構造と関係性の調整
自分がこうであることを優先したいのは
人の差がですから
いわゆる人情ってやつなんでしょうがないと思うんですけど
そこを一生懸命それを考え出した人は
どっちに優劣はないですって言うんだけど
外して優劣を言い出されてしまいますよね
やっぱり自分内向だったら
それは内向高く評価したじゃないですか
心の奥の奥ではね
表面的にはどう言うにせよですね
それはそうなんですが
そうだとしても
内省したくないんですっていうのは
だから一つの見識だと思うんですよ
ここですべてがある程度構造上揃ってくるっていう
雰囲気が出てくるわけですよ
内省に興味はない
ライフハック 仕事術 そして自己肯定感という
当時の流行を
すべてが人と自分との関係の調整に
当てられていきたいということ
そしてそれをタスクシュートとか
ライフハックとか
そしてそうでありながら心理学とか
行動科学ですけどね
ガンガンやっていた
佐々木のところにそれを持ち込むというのは
至って妥当な感じがしますよね
しかもそれがプレミアムで
他のセミナーとか本では書かれていないような
ここでなんか急に
魔術的な話になってくるんですけど
このプレミアムで
そのマンツーマンでやってくれれば
自分としてはずっと
自己肯定感が低くて
辛い思いをしてきたっていうのが
そこのところはすごく漠然としちゃうんですけどね
辛い思いをしてきたというのが
多分それは自己肯定感が低いから
うまくいかないのであって
だからその方はそう思ってるわけですよね
スキルとかライフハックなら
自分はそこそこ身につけられると
ただ自信というようなものが
足りていないために
人前でおどおどしちゃって
変なミスを犯すみたいなことが問題だから
これを何とかすることさえできれば
いいのであって
精神分析なんかに用はないわけですよ
という話をされた時に
なるほどなって感じがするじゃないですか
これが大事なんですよ
共感と心理的構造の理解、そして脆弱性
このなるほどなって感じがするということが
共感ってもんだと思うんですね
だっていきなりただ私のところに来て
精神分析に興味ないですって
カチンと来るじゃないですか
全然共感できてないわけですよね
共感ってのは結局
そういうことねっていう
共感するためにはやっぱり
その人の心理的な構造っていうのが
少なくともいくらかは見えてこないと
私はその心理的な構造を見るということがですね
昨日のいわゆるもっとえぐい話でしたけど
やっぱり非言語的なその人の
バルネラビリティと言われる
脆弱性みたいな話になるんだけど
私は昨日も言った通り
脆弱性って言葉はどうも関心できない
でもどんな人だって非言語水準では
一定のトラウマみたいな
心的外傷みたいなものは得てしまうので
そしてそれを多めにっていうことも
十分あり得るので
その後頑張って社会適応を果たしたとしてもですね
やっぱりその部分は
その部分ってやっぱり思い出せない記憶だから
残ってしまうと思うんですね
残ってしまったところで
その人の心的構造というもののベースに
しかしそれはなってしまうわけですね
だからその心的構造から
非常に無意識というのは
巧みだなと思うんだけど
その個人を特定の生き方を
させるように持ってってしまうわけですね
例えば非常に強迫的になると
閉じまりを何回も確認するって
いうのではないんだけど
つまり目に見える部分を
何とか調節しようって頑張る
内省して内省するっていう
その余裕がないわけですよ
だから精神分析してる場合じゃないわけですよ
まさにこれは精神分析してる余裕がないわけですよ
もうちょっと内省してる余裕はないってことなんですよね
とにかく外のことで手一杯なんだと
構造的アプローチと「秘宝」の探求
しかし外のことが
ライフハックとかガジェットとか
自己肯定感というもので
うまくやれることになってるではないかと
現に佐々木はうまくやってるみたいじゃないかと
だからそこで
その秘宝を長い時間付き合ってもいいから
いくらか高いお金払ってもいいから
その秘術をお前だけのものに独占しておかぬに
私にもよこせと
この構造が扇望ですよね
とクラインが言いましたよね
こうして私は精神分析に無理やり戻っていく
というか私はどうしてもその構造を見たくなるわけですよ
その人のおっしゃってることは最もだと
だけど私は結局
ライフハックをしようと行動科学をやろうと
自己肯定感が高まる数はないと思ってますし
というか私の自己肯定感は高くないですし
しかも自己自己が肯定するというのは
ナンセンスだとしか思えないので
私はそういうことは実際にそういう話はできないわけです
しかしだからと言って
だから何とか生涯のタスク管理術のところに
行ってくださいと言うと
ものすごく突っ跳ねたことになるんで
それもできないと
中間的なやり方として
ここで何とかしようと思いますけど
あなたがおっしゃってる通りの
自己肯定感高めるプログラムというのは
ここにはないですと
ただ自分にはその構造が分かるような気がするので
その構造の演員というのか
とにかくその構造を作り出している
つまりはその非言語水準の
おそらくは心的か意匠的な何か
ベータ要素
結局自分の畑に申し込んじゃってるわけですが
それを検討していきましょうと
治療はできないですけども
それについての検討するとか
だから質検討してるって言いたいわけですけれども
検討するとか
それについて考えるというアプローチは取れるし
それを取ると有効な気がします
そういうことを言いたいわけですね
代替案の提示と非言語水準の検討
こう言って取るとも思わないですし
こう言えば納得される
説得力の高い言葉が全然出てきてないなと
しゃべってて思うんだけど
でも私はいつもそうだなって思うんですよ
そんなにうまいこといくとはとても思えないし
でもこれしかないだろうっていう気もしなくはないんですよね
しかもそれが完全にそれこそ検討外れで
実際にはその非言語水準頑張って追っていっても
何にも出てきませんと
やっぱり問題は自己肯定感なんですよ
ってことになるかもしれないんですよ
なるかもしれないし
実際そうした方がうまくいくのかもしれないんで
そのことについては一応言うんですよ
世の中にはこういう
七面倒臭い非言語水準たらかんたらやらずとも
タスクシュートなり
タスク管理なり
ライフログなり
記録なり
日誌なり
なんとかなりをやるということで
うまくやってる人もいっぱいいるんだから
そっちをここを拒否するというのではないんだけど
ここが厄介なんですよね
ここにそんなに私が気を使うことになってるという段階で
すでに心的構造に何かがあると
私は感じてるわけなんだけれども
でも現実の問題として
もっと安くもっと有効な手立てがあるというならば
やっぱりそっちを先に選択するのは
当然本人にとっていいかどうかは知らないけれども
少なくともわけのわからんことに
多大のお金と多大の時間を費やさずに済むという意味では
現代的には合理的でしょう
っていう話ぐらいはします
する必要を感じればですけどね
それは結局どっちが好ソースか
どっちが基地と出るかなんて分かんないわけですから
どっちが良い方向に転ぶかは
結局は分かんないわけですから
ましていわゆる非言語水準の
バルネラブル
何か祖母がおそらくお母さんとの関係の間に
ありましたって話は分かんないですからね
結局究極的にはね
もうほぼ間違いなかろうっていうぐらいになるまでには
それなりの時間に引かずをお互い相当突っ込んで
つまりそこでラフォールって話が出てくると思うんですが
信頼関係のもとにしかも長い時間かけて
そんなに楽な気持ちではない中で
突っ込んで話をしていく
自己開示して行き合うってことをやらなきゃならないから
やっぱりもしやらずに済むということであれば
それをやって無駄だったってことになるぐらいだったら
しない方が合理的っていう可能性はあるだろうなと
ついでにここまででなんで
流行、自己愛、そして転移の構造
例えばですけど
これはボラスが書いてたことなんですけどね
例えばそういう脅迫的
それこそ非常に流行に流れるというか
流行に乗っかりやすいみたいな話になっているときに
自己愛的な傾向も強いみたいになっているときに
なんて言うんですかね
今の時代ですし私の参加者さんであり
私の商売の中での話なんで
例えばですけれどもものすごい長い
ライフハックが語られてくるっていうことが起こるわけで
起こってもおかしくないわけですよ
ボラスはそういうようなことを書いてるわけですよ
ものすごい長い
例えばクレジットカードをこういうふうにセットして
ポイント還元で何点2.5%のカードがあって
っていう話を延々聞かされるっていうことが起こるわけですよ
私そういう話好きだから
興味深く最初聞くんだけど
ここで頻度って大事になってるんですよ
これを毎日聞かされると
毎日聞いたわけじゃないですよ
でも毎日聞かされるとなると
そこそこ興味があったって
だからこれがパーソナリティを超えてくるってことなんですよね
つまり転移ってものは
転移だけ起きるなんてことはないわけですよ
全然こういう話に興味がない人の話だったら
最初から多分眠くなるんだけど
私は興味があるから最初は眠くならないわけですよね
でも途中から眠くなってくると
興味あったはずなのに眠くなってくると
この話ためになるし
俺も金ないし
2.5%いいなみたいに思うのに関わらず眠くなると
それはある意味当たり前ですよね
皆さん実感わかなければ
全然自分の興味のないライフ発行
延々語るYouTubeみたいなのいっぱいありますから
それを聞いてみていただきたいわけですよね
20分ぐらいのやつね
もう絶対にこう気を逸らさないように聞いて
聞いてみていただきたいわけですよ
多分辛くなってくると思うんですよ
この辛さとは何なのかってことですよね
この辛さは
この人がお母さんとの関係で
得てしまったものなのではないかと
お母さんが例えば
非常にチェックリストをチェックするように
私が持ってるなんとかの育児みたいな
大判のやつにもチェックリストいっぱいありますからね
今の時代なんだなと思いますけれども
ミルクは温めましたかみたいな
殺菌はちゃんとしましたかみたいな
チェックリストがあるわけですよ
ああいうチェックリストにのっとって
非常に強迫的なところがあるわけだけれども
のっとって
これをやってるからダメって話じゃないですよ
大事なのは何かっていうと
結局あが者にしてみれば
自分に関心を向けられてるかどうかじゃないですか
チェックリストに関心を
全部集中してほしくないっていうだけの話なんですよ
チェックリストを使うか使わないかの話ではないんですよ
チェックリストを使わなくたって
女児自体は生じるわけですよ
別に普通に
だからこれは誰それの育児の方法の問題点とかではないですよ
単純にお母さんの愛情なり関心なりが
全然子供に向かっているかいないかっていう話なんですよ
それはもちろん子供の側から見ると
退屈と関心のなさ、そして内省の回避
難しい問題
親の側から見るとか難しい問題かもしれない
だってその時お父ちゃんが
お母さん殴ってばっかりで
それどころではないということだったのかもしれない
それはわかんないわけですよ
ただどっちみち自分に関心がないんだけど
自分の世話はカチャッカチャッとなされていく
なんかもうまるで
昔の出来の悪いSFのロボットみたいですよね
カチャッカチャッとなされていく
それは当然
関心を強く向けろという
センサーを発揮するじゃないですか
これはボラスが書いてることですね
つまり演技的にもなるわけじゃないですか
これの状況がまんま転移されると
何が起きるかというと
自分がまるでロボットになったような気がしてくるでしょうね
っていうことは起き得るよねっていうことを
単にボラスが書いてるに過ぎないわけですね
だからすごく演技をしてくる
すごく切実に話をしてくる
やっぱりボラスも書いてるんですよ
当然面白い
一緒になってオイオイ鳴くと
本当か知りませんけど
ボラスって人はそうなのかもしれない
ものすごく泣いたり
ものすごく笑ったり
ものすごく怒ったり
要するにとても楽しい演劇を見せられているような
あれって感じなわけですよね
内省全然してないじゃんってことですよね
めちゃくちゃ外に外に外にと向かっちゃう
ということが起きるわけですよきっと
だからさっき流行と申し上げたわけです
流行大事ですよね
演技の世界ドラマの世界では
ドラマってものすごく流行に敏感な
作りをしがちじゃないですか
トレンディードラマみたいな言葉も
昔流行ったじゃないですか
トレンディーじゃないといけないわけですよ
みんなの関心が向きやすいようにしないと
つまりドラマを見るってことは
全然内省的にならないわけですよ
情緒はやたらと動くけど
こういうことが起きてしまうと
ずっとドラマに付き合わされていて
退屈だってことが起きるわけですよね
ドラマってのは
人の退屈を何とかするために
作られるものじゃないですか
非常に上手な演技性人格障害
って言葉もありますが
そういう非常に上手い人の演技を
ずっと見ていて退屈するって変ですよね
この退屈つまりこの退屈というのは
関心のなさですよね
関心が向かないなって感じは
この人の人のお母様が
向けなかった
関心を向けない人だったっていうことと
関係があるんじゃないだろうかと
探るために
多分転移ってものを検討するってことが
精神分析ではよくなされるんでしょう
私は同じことはもうしないんですよ
しないように心がけてるってのは変だけど
別にしなくてもいいだろうって思うんです
ただやっぱり内省を避けるっていうのは
私たちはいろんな形で実に巧みにやるものなんで
もちろんすごく内省するって方も
普通にいらっしゃるわけです
それは私は別に正規非正規関係なく
病理健常関係なく起こることだと思うんだけど
一方でだから人間には2種類いるみたいな
よくわかんないやつですね
あるタイプは内省を好み
あるタイプは好まないみたいな
そういう二分化をして
なんかドヤ顔するためのあれみたいなんですけど
要するに内省を好まないという方は
当然いらっしゃるわけで
この私はライフハックと仕事術と
で自己肯定感を高められればそれでいいんだ
これだからやってることはメンタルなんだよ
っていうのは実は巧みに内省を避けているっていう風にも
取れなくはないわけですね
心の内面に向かいたくないという
強い言ってみればニードっていうべきかな
があるわけですよ
でそれにずっと付き合ってると
ここは内省をするための場所ではなかったのか
そもそもっていう気持ちになってくるというのが
ボラスで今回私が読んだところに書いてあった話なわけです