おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1355回をお送りします。
5月26日火曜日、朝8時17分です。 いやいやいや、あのですね
あの、サブスタックというのを始めて、この番組をどういう風に位置づけるというか、サブスタックで出したものをこっちに乗っけるという風にしたいなぁと思ってたんですけど
どうしてもですね、こっちの方が収録が圧倒的に楽なので、しかも時間的にも正しい時間、正しいってのも変だけど、僕としてはこの時間が一番やる意味が高いんで、やっぱこっちを取ってサブスタに出すというのが当面の正解かなという風に思うようになったんで、ちょっとそういう風にしばらくはしていこうかなと
これをここのスタイフとか、ポッドキャストで聞いてくださっている皆様には基本的に影響ないです。
ただ、サブスタの方を登録しておいていただくと、それについては後ほど、こういうのが後手後手に回るんですが、下に何か概要欄みたいなのがあるんで、そちらに私のサブスタのURLを、サブスタック.comの置き場なんですけど
たぶんね、あの方を登録いただけると、私としてはとてもありがたいということはあります。
ただ、撮るのはこれが一番やっぱり、これねBGMをいきなりつけられるんですよね、冒頭にね。
これがね、いわゆる、スポティファイでなくなっちゃったから、私スポティアイからこっちに乗り換えたぐらいなんですよ。
で、もちろんサブスタックにもそういう機能は一切ないので、
あれで撮ると本当ワンストップでいけてめちゃくちゃいいんですけれども、だすが私としてはですね、
あっちで配信、こっちで配信しているのを全部サブスタに集めるというのは、最初考えたんですけどもね、NOTEとかXとかの、明らかにすごい疲れるんだということがわかったので、
これだけだったらいいかなと思って、これだけはURLで向こうのノータスっていうか、ノーツっていう、NOTESですね、複数形の、ノーツで出してますよっていうのを出せばいいかなというふうに思ったんですね。
向こうのBotcastの機能もなかなか面白いんですよ。面白いんですけれども、勝手にタイトルつけるとかね、AI的ですよね。
ですが、まあなんていうのかな、まだスタイフでいいかなというような、そんなに向こうにしておけば、向こうの人々全てに見られるわけではないと、ライブ配信とかはやっていってもいいと思うんですけど、とりあえずこれはこれでいいかなというふうに思いまして、こっちはこのまま進めていこうと思います。
1355回とか僕すぐ間違うのに、向こうで1355回とか言って、こっちで1356回と言ってみてみたいなことをやると、多分回数言うこと自体をやめるようになると思うんで、回数言いたいとか全然ないんですけどね。回数は言うべきだろっていうのがありまして、この界隈にはですね、そういうのから僕もまだ自由になれていないわけですよ。
そういうことで、一つしばらくこのサブスタッフ、お知らせとしてはもうサブスタッフに登録してくれるとありがたいということです。無料で全然フォローとかでも全然ありがたいんで、あっちしばらくですね、ちょっと有料設定とか面白かったんでしてみたんだけど、全然見え方がすごいアメリカンな感じで、これまだしばらく日本では難しいなと思ったので、もう無料であっちは行きます。
有料の配信とかをしたいというのはあるんで、それはもういわゆる日本のノートでやっていこうかなと、しばらくはですね、思うようになりましたので、そっちでちょっと考えさせていただこうと思っています。
つまりですね、そういうふうにすると今度は目標を失うと、そこで参加動機っていうことが大事になってくるんですけど、ところでここでですね、しかし治療はしないんだけれども構造らしきものは出てくるんですよ。どういう形で出てくるかというと、いやそれ3チャレンジに求められてもダメじゃねっていう形で、しかし求められるという形。
これは私は極当然のように起きると思うんですね。治療を求められるっていうように見えることもあれば、例えばもう超目標設定してゴールから逆算で7つの習慣ですみたいなのを思いっきりここに持ち込まれると。それは別に3チャレンジに持ち込んじゃいけないっていう話は一向もないんだけれども、明らかにこの告知文からするとそうではないですよねっていう感じがするじゃないですか。
でもそこを強引に無視してこられるというところに、ここで見るべきポイントが出てくるわけですよ。それは病理でもないから治療ではないんだけれども、だってここに7つの習慣やりたいですっていうのは、7つの習慣を日本法人やるからそっち行きましょうっていう感じになる。
例えばここにGTDやりたいですって、いやそれはGTD日本法人、ていうか怒られるんでここでGTDやってるとっていう話になるんだけど、しかしそこを何が何でも佐々木とやりたいっていう話になった時にここで見るべきものが出てくるという、こういうスタンスは私は実は正しいなって思うんですね。
非常に何かがねじれてるようだけど、このねじれを病理未満のものとして、そしてビジネスというものを、しかしこの種のねじれを持ち込みたくなる心理というものはおそらくこの人が働くとか家族の営みを営む上で多分ある種のネックになるであろうと。
こんなあがらさまじゃないですよ。ただこういう方針っていうのは一つとして一つの私に求められるものとして十分あり得ると。
例えば極めてわかりやすい例として、私はここではタスクシュートをメインではやりませんと、現実に全然やってませんから。
でもあんたタスクシュート協会の理事なんだし、3ヶ月で8万円高のお金なんだからタスクシュートを集中的にやりましょうみたいなことを言われるということがあったとき、これはダメですという話にはならない。
でもやりましょうっていうふうに僕の気持ちの中でスッキリはいかない。だいたいそもそももっと安く、もっと短期でベーシック講座とかマスター講座とかがバンバンあるのになぜそれを吸っ飛ばしてここでそれをしたいのかというのを話題にすることはありですよね。
そしてこの話題の仕方が私は非常に精神力動的であるというふうに考えるわけですよ。私はね。いやそんなの全然違うよって言われるかもしれないんだけど、私はそういうふうに考えるわけですよ。
だからそれを3ヶ月チャレンジなんだと、まあそういう話も今のところ一例もないんですけど、ここではタスクシュート以外の話は聞きたくありませんっていう話はされたことはないんですけれどもね。
だけども極端に言うとそういうことなんですよね。で、それは私は見るべきものがいろいろあるんじゃないかなというふうに思うんです。で、全く同じ例は出せないですけれども、あの3ヶ月チャレンジ第一期あるいはゼロ期的な私だから直前に似たようなことを実験的に頑張ってた時代があったんで、ゼロ期的な。
だから現在の3ヶ月チャレンジの参加者さんは知らない何人かの人のこのセッションってあったんですけれどもね。そういうセッションの中で直に会ったりするっていうこともしばしばあったんですけれども、あの自己肯定感を高めることを目的にしたいっていう、これってすごい正しいじゃないですか。
いかにもメンタルな感じで。だから佐々木さんにタスク管理とライフハックの話をしてもらって、そしてそれを身につけることによって自分の自己肯定感を高めるという意味でのこうメンタルな、あのなんでしょうかな。
だから3ヶ月チャレンジのまさに前進みたいなもんですよね。それ以外のことはやりたくないと。ここで面白いセリフが、これはねまんまのセリフじゃないんだけど、まさにこういうことを何回か言われたことがあるんだけど、精神分析やってる場合じゃないっていう言葉があるんですよね。
これは私は強烈だなっていうか、非常に3ヶ月チャレンジ的だなと。近いことを言われてですね、私はカチンと来るということが当時ぐらいの時はありまして、いやだったら他のところ行ってよみたいなことになってたわけですけれども、思いっきり定位が走ってしまっていたわけですけれども、だって当時は私はほとんど読みかじり感以外の何もなかったんで、そんなもんですよ。
いや、精神分析の話をせめて聞きたくもないっていうならば、だったら別にタスク管理のいるじゃないですか。今では発達障害の方向けのタスク管理とかそういうのもあるわけだから、そっちの方がいいじゃんっていう、これを言うのはもちろんいけないし、私もこれは言わないんですけど、まず引き受けるのが求められることですと尾形海斗さんもおっしゃってますしね。
そういうふうに私はそのまま受け止めてるわけじゃない。これは治療のやっぱりスタンスだと思うんですね。まず引き受けろなどというのは。ただ尾形海斗さんは私は非論面にとってんなぁと思うんですよ。
まず引き受けろと彼は案に野々に者に向けて言ってるように聞こえるなっていうのはあるんですけれども、でもその辺はもう非正規でありグレーであり、まず引き受けろ、まずそんなこと言ったらまず治療を始めちゃってもいいのみたいなことになりかねないじゃないですか。
なんか黙々と煙出して全然違うあなた何とかの呪いにかかってますみたいなね。尾形さんはそれもありだっていう感じのスタンスの方だからありなんでしょうけど、私はそういうふうなスタンスから外れよう外れようと頑張ってる。非正規のくせに正規ぶりたいのが三ヶ月チャレンジの特徴ですから。
この線は引き受けるまず引き受けるそれはすごい大事だと思うんですけどまず引き受けるからと言ってそのなんていうのかなぁもう呪術的な治療をするのはありかどうかって言われると私は答えを保留ってことにする。少なくとも私は呪術に長けてないのであのどうしてもその呪術的になってっちゃうんですよね。非正規で治療って話になると黒焦げの芋利とかピンク色の水とか飲まないですけどね絶対ね私だったら。
だから私はやっぱりそういうのがそれがどれほど大魔道士とか大魔術師とかでも避けたいなって思っちゃうんですよね。そっちに欠けたくないみたいなノリがあります。わかるんですよすっごいこういうのってあるんで私もアトピーが本当重症で高校3年の頃とかだった時にはなんかの水とか飲んでましたよ。なんか怪しい水ね。
で、勝間和夫さんという方と先日ちょっとお話した時にあの笑われたんですけど要するに国が一生懸命綺麗に水して水道水を税金投入してるのにそれをみんな飲まずになんか得体の知れないなんとかの天然水とかのしかもそれ天然だし大丈夫なのかっていうようなお話をされていて面白いなと。
このこと勝間家伝って本に書いてあるんで。だけど私はもっとずっとすごい水を飲んでたわけですよ。なんとかの山奥から出てきたようなアトピーが的面に治るとかいうね温泉水みたいな温泉水飲んじゃダメだろって感じなんだけどやっぱ飲んじゃうんですよね。だからあのピンク色の水っていうのは決して冗談ではないんですよ。やっぱり病気を治療するってのはそういう風になっていきがちなところがあるんですよね。
私結構飲んでましたから。今思うとあれ大丈夫だったのかなと思うんだけど何リットルとかじゃないですよ。多分何百リットルくらい飲んでましたよ。一時。あの1日ではもちろんないですけどね。総量としては相当なもの飲んでたと思いますね。だからやっぱり魔道的な魔術的なものって侮れないんですよね。
肌痒いとね辛いんですよ。まあまあそれはちょっと一旦置いておくとしてですね。何の話してたか忘れるね。
えっとだからこの治療じゃないというのはすごい重要なこうファクターでして治療じゃないからこそこういう観点つまりまあ構造論的に物事を見この状況を見ていくことになると。
でそこで自己肯定感を高めたいっていう話を持って来られた時もちろん私は自己肯定感が自分低い人間だから高められるぐらいなら俺が高めてるわって感じの話なんで。
だけどライフハックをやり仕事術をやり仕事ができるようになり対人関係も滑らかになって自己肯定感が高まるじゃないかとそのロジックは最もに聞こえるんですよ。
でも私は実際には自己肯定感はじっともそれによって高まってないわけだしそもそも自己肯定感なんていうものを自己が自己を肯定する力みたいなものが高まるはずないじゃんっていう感じがするわけですよね。
そこにそもそも分裂が含まれてるじゃないですか。私が私を何とかするで私二人いるやんって感じですよね。
かたや何とかする私は肯定感高いのかもしれないけど何とかされる私は肯定感低いわけでしょ。どっちが俺だよっていう話になるじゃないですか。
これが私がそもそもですねこう考えないっていうのがわからないわけですよ。
自己肯定感って言葉は何なのかと自信とどう違うんだっていうね自信をつけたいって言うならまだわかるんだけどスキルアップによって自信つくかもしれない。
ただ私はつかなかった人間なんでつかないと思うんですけれども事故が事故を肯定するっていうのはじゃあ肯定される事故と肯定する事故のどっちが本当の事故なんですかっていう問題があると思うんですよね。
ウィニコットみたいに言うならば肯定される方が本当の私で肯定する方が偽りの私だと思うんでやっぱこれダメなポーズなんじゃないかなって思うんですけどね。
つまりこういう構造問題にできるわけですよ。
で、自己肯定感を高めたいというのは当然流行ってものが考えられるじゃないですか一つ。
自己肯定感って言葉は完全に流行り言葉だからこれは流行というものをこの人は意識されていると。
流行に乗りがちっていうのはやっぱり演技的っていうポイントが絶対出てくると思うんですね。
古典的な言葉で言うヒステリー、けびょうみたいな話ですよね。
それが嘘だって言ってるんじゃないですよ。本当だから難しいんですよ。
本当のけびょうにかかるんで東京日記、東京無職日記か誰だっけ名前忘れてしまうのが恐ろしいんだけどとにかく東京無職日記という本がありまして
その中に鳥畑春信さんかなバイトで頑張ってたんだけど不意に家から出られない、頑張りすぎですよね出られなくなって
その時にもう社長が今すぐお前ん家に行って来なかったらぶっ飛ばすみたいな、ていうかぶっ殺すって言われたのかな。
あまりの恐ろしさに引きこもりの人ってそうなんだけど出られないんだけどあまりにも怖くて出ちゃって
行って本当に病気だったらどうするんだって言われていや今回のは柔道のけびょうですっていう
私はあのシーンが非常に好きなんですけれどもそうなんだよね柔道のけびょうで家から出られなくなるんですよ
だからヒステリーって怖いんですよね
これも全部ヒステリーだというわけじゃないしそういうこと言ってはいけないんだけど柔道のけびょうはあるってことは忘れちゃいけないと思うんですよね
それはもう本当の病気と何ら変わらないんですよというふうにフロイトが言ってた通りだと思うんだけど
このことっていうのはもちろん僕もしょっちゅう柔道のけびょうにかかってたわけだよ
だからこういう話をしてるわけですけどこのことというのはつまり
その流行りに乗るっていうこととの関係があると思うんですね
他人の目にどういうふうに自分を持っていくかって話じゃないですか
けびょうにかかったら私しょっちゅうやってたからよくわかるんですけどお腹痛いんだとか言って
じゃあ今日学校休みだって言った瞬間になんかこうハンバーガー2個とか食べちゃダメじゃないですか
つまり一貫性を持たせなきゃならないじゃないですか
一貫性を持たせるということはそれは演技的ってことになるんだけど
なるべく意図的な演技意識的な演技だと大根になっちゃうから
やっぱり白身の演技をするためには本当にお腹が痛いぐらいになってくるのがちょうどいいわけですよ
そうして本当にお腹が痛くなっていくわけですけど
こういうことってのがやっぱり自己肯定感という話にはつきまとうと思うんですね
なぜならそれは流行ってるからなんですよね
流行ってるということはこういうものだというイメージを多くの人が共通の認識として持ってるという意味で
という認識をみんなが持ってるということは
つまり例えば清楚な女の人はこうだみたいなある種のステレオタイプってあるじゃないですか
ステレオタイプに乗っかるためには演技力がいるじゃないですか
この演技を知らず知らずのうちにどうやるかっていう話になってくると思うんです
自己肯定感が高くても低くてもそれが流行りということの関係あるならば
なんで自信ちゃいけないのかっていうと
自信という言葉はもうあまりにも定着しすぎていて流行り言葉じゃないからなんですよ
演技との兼ね合いという問題があるわけですよ
それは自己肯定感が低い人が演技してるって話じゃないですよ
高い人が演技してるって話ですらないですよ
だけど無意識のうちにはこの無意識の話をしてるわけだから結局フロイトはですね
無意識の中ではその人は何かの流行りというものに
自分を重ね合わせるということをしがちな人なのかもしれないわけですよね
こういうふうに考えていくと