2026年の開始
あけましておめでとうございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1302回をお送りします。
2026年1月5日、8時99分です。
今日から仕事を始める方は多いと思うんですけれども、
私は、自分の暦は娘中心で、娘は学校暦、学校カレンダーなんで、
1月8日からのつもりでいたんですよ。で、めちゃくちゃ油断していたら、何のことはない部活というとんでもないものがありましてですね。
1月の5日からだと。 しかも今日から私が弁当でおにぎりを握ると。
なんてこったいって感じなわけですけど。 1月5日から早々からこんなことになってしまってですね。
世の中は理不尽だなと思うわけですが、しょうがないですね。 お知らせがありまして、
3ヶ月チャレンジの第13期がいよいよ来月2月1日からスタートいたします。
今期は第12期でしたけども、もう、なんていうの、小舟で
ナンパ船でしたけど、それでもなんとかかんとか、3ヶ月目に突入し、この1月を迎えることができまして、年明けのですね。
このやっぱ私はつくづく3ヶ月チャレンジがライフワークであることは、ライフワークって言葉ももはやしっくり来なくなってきて、
精神分析とミラクル
小舟でしがみついている3ヶ月チャレンジの、でもまあ扇動は自分で間違いないなっていう。
毎年毎回毎回ですね、こっぱみじんになりそうだって思うんだけど、なんとかこっぱみじんにはならずにですね。
そのこっぱみじんになりそうになった時は、本当にわらおもすがる思いで、松木先生とか、先生言っちゃいますけど松木邦博さんとか、藤山直樹さんとか、
山崎孝明さんとか、オグデンとか、メラニクラインとか、フロイドね、読むわけですよ。
私なんでみんながこんなにああいう本読んでるのか、しかも繰り返し繰り返し読んでるじゃないですか、どうも。
なんでそうなるのかよくわからなかったんですよ、はっきり言って。でもめちゃくちゃよくわかるようになりました。
なんかこう、いやこれ読んでることなんだけどねっていう、なんて言うんですかね、お守りを握りしめてるのとあんま変わんないんですよね。
なんかこう大吉とか書いてあるのを引いちゃうと、しかもそんな時にことが起きると、ずっととっておいて何度も読み返しじゃないですか。
中身について目新しいことがあるはずないですよね、そういう時。私別に神道じゃないんですけど、そういうことがあるんじゃないかと思うんだけど、そういうことがあるんですよ。
何度も何度も読む、ただおみくじとは違って読むたびに発見はあるんで、そこは大変救いがあるんですけど、じゃあ発見があれば骨っぱみじんにならずにナンパしない方法がナンパ船のナンパね。
あるかっていうと、書いてあるかというとそんなことは別に書いてないんですよね。書いてあるのはせいぜい自分らもナンパしそうになってるぜみたいなそういうことでしかないわけですよ。
それを読んだからといってやや気休めにはなりますが、どうやれば切り抜けられるのかっていうと、持ちこたえるとかね、しばらくすればなんとかなるとか、その辺はもう合理的でもなければ決して科学的ではない、ただの臨床経験的な記述でしかない、ある意味では。
書いてありますよ、いろいろと、その切り抜け方的なことも。でもその切り抜け方はあまりにもその事例に即されているんで、後になればわかるんですけどね、いろいろと。でも後にならないと結局いろんなことはわからなくて、あれも不思議なんですけどね、本当に事後性って言葉はですね、ずっと使っていたくなりますね。
ある人は事後にならないと、まあヒンサイドバイアスっていう言葉があります。後知恵バイアスですけど、なんでこんなに後知恵ではわかることが全くわからなくなるのかが不思議だっていうぐらい見えないですね。見えた時はやや、見えればそれで何パーセントが平穏な空間になるかというとそんなことはなくて、相変わらず嵐なんですよ。
だから結局、その切り抜け方とか知ってたり、この時何が起きてるのかが、それは全然違いますけど、わかるのとわかる、見えるのと見えないのとでは全然違いますが、じゃあ見えれば切り抜けられるかというとそうではないんですね。
ただ、一つ確実に救いになるのは、切り抜ければでかいものが手に入る。みんなにとってというか当事者にとって。これは間違いないなって最近は思えるようになりました。いや切り抜けたからって言ってつらいだけじゃんってことはない。これを切り抜けることは、たとえ私のように非精神分析家が素人の真似事をやってるだけでも大きいし、日常生活だとしても大きいですね。
何になるんだこれはっていう感じを事前には絶対持つし、突入時も持つんだけど、船乗りっていう人たちはそうじゃないかと思うんですよね。嵐を切り抜け、沈没の危機を切り抜けた船乗りさんたちは手に入れたものがあるなって感じるんじゃないかなっていう、これは単なるメタファーじゃない感じがしてますね。
3ヶ月チャレンジは3ヶ月内に修羅場が起きないことは、残念ながらないんですよね。これがね。ただ、目に見える修羅場は見えなかったなというケースはないわけじゃないんですよ。修羅場あったんだけど気づかなかったとか、あの時沈没しかけてた気がするんだけど気づかなかったっていう、その情緒的というか苦しみ的にはラッキーな時ってあるんだけど、そういう時であったとしても後からやっぱりあの時は苦しんでたなっていうようなことに気づく。
なんか一発のようなこと言ってますが、別に、これは多分7年、多分僕は最近思うんですよね。ミラクルを起こすスピリチュアルの人でもこれは起きてる。きっと起きてると思います。
だから山崎孝明さんが、まあ彼はすごい極端な言い方をされますけど、極めて極端な言い方をされて、レンタルお母さんとかね、まあそれこそ風俗とかっていう言い方もありましたけど、私はもうそこを疑わなくなりました。正規と非正規なんて、いや、違いますよ。違うという意識は持っておく必要があるけど、でも、起こることは大真面目にやってればあまり変わらなくはなんて、
その人その人のパーソナリティに応じた特徴はあるんですけど、間違いなく。訓練の受ける受けないの差はあると思うんですけど、でも、結局そこで起きていることには、それこそフロイトが書いているようなことが起きてます。
結局は。多分それは宗教的なものであったり、本当にそこで私は本当のって信じてないんだけど、ミラクルが起きてたとしても起きてる。ていうか、こういうのをミラクルって言うんじゃないんだろうかと思いたくなるような時もあります。
別に何か超自然的なことは起きてないんだけど、でもこれはミラクルだよねっていう感じがするときはあります。ミラクルを引き起こせるわけじゃないんですけど、ていうか起こせないんですけどね。再現性って言葉はよくミラクルと簡易語で使われるけど、僕は信じなくなりました。
何一つ再現なんてしないんだっていう。反復っていうのは、意味はわかるようになったんですよ。反復の。でも、毎回毎回全然違うし。松木くんひろさんがその辺、カナエ弾画なんかで定談ですね。上手いこと言ってるんですけど、上手いことというか非常に考えさせられるようになったことをさらっと述べて。
先送りの理解
だいたいあの人そうなんだけど、さらっと述べてるんだけど、全く同じようなクライアントさんが不思議と来るっていう。つまり前に来た人と全く同じようなお悩みを、全く同じような生きる力を抱えて、全く同じような展開を見せると。
そうすると2度目だから上手くやれるっていう気がするんだけれども、でもやっぱり2度目だという意識を持っちゃダメなんだっていう。すごいやっぱね、あれがそんなことがあるんだろうかっていうふうに思ったんですけど、そんなことはないんですけど、僕の中ではまだ。ただ、それはよくわかるような気がします。
これはあのって思った瞬間にやめようって思うんですよね。これほど危険なことはないっていう感じが。だから再現なんて何もしないなと思いますね。なんか何もかも違うと思ってなければいけない。人はすごく違うなというのを3ヶ月チャレンジだけではないんですけど、100日チャレンジのワンオンセッションもあるんだけど、本当人の事情って違うんだなと。
先送りなんていう言葉に意味ないなっていうのは、最近先送りって言えば皆さんだいたい同じものを意味してると思っていらっしゃるんだけど、一人一人の先送りって言ってる言葉の中身があまりにも違いすぎて、そしてその原因にあまりにも無意識が介在しすぎて、全然意味がないんじゃないだろうかって思うようにはなりました。
一つ一つはこんなにバリエーションがあるのに、バラエティーに富んでるのに、でもですね、驚くほど、なるほどそれは先送りって言いたくなるわっていう、そこに冗長的な共通点っていうんですかね、はわかるんですよ。なるほどなって思うんです。
でも、じゃあ、そういう先送りってかつて同じような人がいたでしょうかって言ったら、いないんですよそんな人は。やっぱりその人固有のものがあるんですよね。だから私は経験から学ぶっていうことは大事だなって思います。なぜならその人固有の経験をしているから、似たような経験なんてないので、はっきり言えば他人の経験を語ってもらうってほぼ何の参考にもなりません。
先送り対策とかいうやつは意味ないなって思うんですよ、私は。そういうことによって自分の先送りがなくせるはずがないな。病気ってのは病気だとしてもですね、先送りは病気じゃないと思うけど、病気ってのはその人固有のものだなってつくづく思うんですね。
だけどそれじゃ困るから、同じ薬を飲めば同じように効くことになってるんだけど、それは確かにそうなんですけど、特に精神的な話になってくると、仕事に関わることってほとんど全部精神的なことなので、本当に純身体的なことであるっていうケースは全く意味がないような気がするんですよね。
例えば腕がしびれて持ち上がりませんって言ったらまず腕のしびれを取るべきであって、それが純身体的なことであるならばね、それは腕のしびれを取ればいいんですよ。ただ大概そうじゃないんですよね。腕はメンタルな理由でしびれている。そうなったときにパソコンが打てませんっていうような話になるときに、その人固有のものがあって腕のしびれを治すための体操なんてやったって大体取れやしないんですよね。取れるんだったらもう取ってますよね、その人ね。
私のところに来てそれを訴えるということは全然話が違うんですよ。もしかしてしびれてなんかいないのかもしれないんですよ。もちろんしびれていると思っていらっしゃるんですけど、こういうことだけはよくわかるようになりました。だからどうすればいいのかっていうのはよくわかりませんけど、何を言わんとしているのかっていうことを考えるという意味は、経験から学ぶって、その方が経験から学べばですね、腕はしびれなくなるわけですから。
でもそれは他の人には通用しない話であって、その人にしか通用しない話であって、それが有名にですね、経験から学ぶっての。人は経験から学ばないんですよ、なかなか。ついつい腕のしびれは血管の流れのどうたらこうたらっていうことにしてしまって、なんかこう、技術から学ぼうとしてしまうんですよね。経験から学べないんですよね、我々は。非常に難しい経験から学ぶという。
言語化されてないところを認識しなければならないんで、とっても難しいんです、それは。あまりにも我々はですね、というか、技術っていうものは何か、現実にあるもののような気がしてしまってるんでね。確かに血流によって腕はしびれるんだけど、血流によって腕がしびれるのは、正座していると足しびれるっていうのと変わらなくて、あれは確かに再現性がありますよね。
3ヶ月チャレンジの概要
ああいうのは、経験から学ぶ必要すらないじゃないですか。いや、あんまり面白い話になってない気がする。それなりに意味のあることは喋れてる気がするんですけどね。とにかく3ヶ月チャレンジは第13期に入ります。経験から学ぼうと頑張っております。
今回からですね、お試し4回セットは廃止にしました。お試し4回セットをやめて、お試しは1ヶ月だけっていう形をとります。だから25,000円払っていただければ、最初の1ヶ月、2月だけお試しいただくこと、フルでお試しいただけます。
ただし、継続して3月4月やるっていうことになったら、あと5万円を払っていただく。1ヶ月ずつ分けるっていうやり方はしません。お試しがないんで、1回だけ私と無料でワンオンセッションを40分させていただこうと思います。
これはセッションというよりは、いわゆるインテークに近いものです。我々の愛称とここで扱う価値が、扱うほどの時間とお金をかけたいかどうかを確認しましょうっていうやり方です。
例えば、タスクシュートクラウド2の操作とかを知りたいってだけなら、3ヶ月かけて75,000円はアホみたいに高いんで、やめた方がいいんで、その時に無料の時に僕に聞いてくれればそれでいいんですよ。お答えしますから。
その時、ただ答えられないこともあるかもしれないんで、そういう時は認定トレーナーさんいらっしゃるし、100日チャレンジで充分ですから。100日チャレンジで充分って言うと100日チャレンジは安く言ってるみたいですけど、値段は安いですから間違いなく。7分の1ぐらいで済みますからね。
そのぐらいでいいと思うんですよ。そういう純テクニックなことをお知りになりたいのであればね。
3ヶ月チャレンジではやっぱり3ヶ月かけるだけの、そして75,000円という金額に見合うだけのことぐらいは狙っていきたいというふうに思います。
なので、やっぱり初回1回ぐらいはですね、私と喋ってみていただいて感触というものを得ていただいた方がいいんじゃないかと思うんですね。
それで、まず初回無料で40分お話してみて、そのカレンダーも用意しましたから、Googleカレンダーの方に。
ノートとかXとかでもこれから振りまいていきますんで、そっちを見て空いてる日を狙ってですね、入れてってください。
1回だけで、中に1回もないということはそんなに忙しくて大丈夫かなって思うんだけど、1回もないということならば、直接フォームに行っていただいて、それでもやりたいという方はですね、なぜかそういう時間帯にはないよねっていうことであればね、行っていただければいいと思います。
最初の初月は25,000円でお試しいただけます。2月いっぱい。2月は短いですけど、そこはしょうがない。
でも4回のワンオンセッションと4回のグループレクチャーは受けていただけますから、あとテキストも今度からテキストオプションにせずにまたテキストは全復活にして、どんな方でもテキストオートは対応いたしますので、
テキストオートワンオンセッショングループレクチャーは確実に、これだけのことをかけなければ難しいっていう話を私はしていきたいと思っております。
エディプスコンプレックスと適応
ではどういう話がそういうことに相当するのかというと、この辺から本題なんですけど、本題まで投げよって感じですね。
世の中には社会適応を十分なさっているにもかかわらず、この社会適応できている自分自身の裏側の劇場はもうぐっちゃぐちゃになってしまっておりますという人が少なからずいらっしゃいます。
私もそうでした。というか私もいまだにそういう部分はないけど、だいぶ落ち着いてきたかなと思います。
とにかくエディプスコンプレックスって言葉がありますが、あれにはいろんな意義があるんですけど、私が今一番意識しているのはですね、特に3ヶ月チャレンジに参加されるという方は精神病ではないって方ってことなんだけれども、
適応してますよね。これがエディプスコンプレックスよりは上の水準、つまり言葉を使って他人と意思の疎通が図れて、他人がその人に関する現実はこうだなと思っている現実とあまりにもずれてはいない現実を生きているつもりでいる。
定義すると長いが、私の中ではそういう感じなんですね。それがつまりエディプス水準ってことなんですよ。その人はそりゃ締め切りをしょっちゅう破りますとか、忘れ物いっぱいしますとか、人に怒られると凄いへこんじゃいますと言ったことあるかもしれないけど、それは関係なくて、毎月給料もらってますよねと。
なんなら結婚もされて子育てもされてますよね。はいOKなんですよ。そっから上のことはあまり考えないんですね。この3ヶ月チャレンジでは。ここで適応している部分はもう適応してるんだから、適応簡単じゃないですから。適応するためにはやっぱり虚勢不安というものをどこかで受け入れたということなんですね。お父さんは呼ばってます。しょうがないよねってこれが言えるってことなんですよ。無理でしょ5歳児にはなかなか。3歳児とか2歳児には全然無理じゃないですか。
お父さんがエバってて怖いんだけど、もうなんかこの家得たくないんだけどとか急に泣き出すとかなっちゃうじゃないですか。2歳児1歳児だとお父さんエバってて怖い。泣くみたいな。そうはならないでしょ。それだったら会社給料を得られないじゃないですか。お父さんっぽい社長がエバってます。泣きましたみたいな。おもらししちゃいましたって。そうはならないでしょ。なかなか。
もちろんなるときはあると思いますよ。別にそれは恥ずかしいことでは実はないと思うんだけど。でも給料をもらって1年以上会社にいられるということは、私ぐらいの年齢であればこういう振る舞いを人はすると思ってるよね。私はそういう振る舞いをしてるつもりですけどっていうこれがもちろんずれてますよそりゃ。
最近で言うとタスクシュート協会で年末に総決算というのやったんだけど、佐々木だったらこれぐらいやれるだろうっていうのを佐々木は全然やれてねーみたいなそういうことはありますけど、でもだからといって僕は急に泣き出したりはしないし急におもらししたりもしないわけですよ。急に入っちゃったりもしないしね。するでしょ2歳児とかだったら。だから適応ってのはそういうことなの。
で僕は適応してればいいって思ってるんですよすべての人。その人が死後的かどうかなんていうのは大した問題だと思う。適応ってのはものすごい大変な問題であって、虚勢不安を受け入れるというのは、いやなんかこうお父さん不機嫌、でもこの会社を作ったのはお父さんなんだから少々不機嫌なのは受け入れなきゃみたいな。受け入れるというのはお父さんが不機嫌でいていいって話じゃないですよ。
でも不機嫌でいるからといってもうなんか生じや売り出すとかそういうことはないじゃないですか。破綻はしないじゃないですか。破綻しなければいいんですよ。エディプス水準においては。これを手に入れること、これを乗り越えることっていうのは実に難しかったはずなんですね。3歳児4歳児だった頃には。
でも適応した人はみんな乗り越えてきたんじゃないですか。もちろんその後、幼稚園なり小学校なり中学校なり高校なり大学まで行って、いろんなところでいろんなエディプスを経験していろんな虚勢を体験して、いやこの学校ではこうなってるんだからこうなんだよっていう。
例えばあのね三つ編みしちゃダメですとかそういう知らんけどパーマかけちゃダメですとかそういうですねわけわからないエディプスみたいなのもいっぱいあるわけですよ。髪染めちゃダメだとかね。全部ある程度受け入れてきたわけでしょ。例えば髪染めちゃダメだと言われるから薄く染めるとかこれは虚勢を受け入れてるってことなんですよ。髪染めちゃダメだって言われてるけど金髪にしてますって虚勢受け入れてないわけですよ。
で、まぁでも金髪にしてますでも受け入れ方ありますよね。なんかうっせーなって言うとかね。うっせーなっていうのは受け入れてるってことですよ。いきなり泣き出したりいきなり殴り出したりしてないでしょ。適応ってのはつまり言う通りにするっていうことだけではないわけですよね。もちろん言う通りにする適応もあります。
でもそれはそれで結構危険ですよね。言う通りにこの人してんなーみたいな。自虐的世話役と言ったりしますけども私がもう言う通りにしてればいいんだからって。総決算みたいな時もそうなんですよ。私もそうなんだけど立場がそこそこいってるからそのタスクシュート協会ではね。理事だから一応。
虚勢をバッチリ受け入れて本当に言われてる通りに動きますみたいなことをすればそれはそれで適応なんだけどそれはそれで変じゃないですか。僕が自虐的世話役になっちゃったら。だから適応っていうのはいろんなやり方があるし人が私にイメージしてる通りに動くって言ってもそこに幅が当然あるわけで人がイメージって言っても人は複数いるわけですからね。
適応と虚勢の受け入れ
すべての人が満足いくように私が動くのが理想的なんでしょうけどそれをやろうとすると私が嫌になっちゃうとかそういうこともあるわけじゃないですか。だから適応ってのは簡単ではない。そして言葉の能力運用能力って絶対必要ですし言葉の理解力も非常に必要ですよね。赤信号青信号黄信号の話なんですよ。交差点に差し掛かるんですよ。運転してれば必ず。
で様々な車には様々な思惑と様々な運転手がいるわけで。もちろん車の機能も実は様々でね。あれほど整然とピタッと動いてると動き止まり人が惹かれないように時々事故るってことは起こるにせよですね。何とかなってるというのはやっぱりそこは運転手はみんなエリプスを虚勢を受け入れてきてるからなんですね。
俺が行きたいから行くんだビューンって言っちゃうと何かが起きるわけですよ。大概そうなる。それは虚勢を受け入れられないということでつまり神経症水準に達してないというわけです。言語運用能力まで達してない。三角関係が描けない。
やっぱり私と私を愉快にしたり不快にするお母さんとの関係だけを考えてればいいところにルールはいらない。ある意味言葉もいらない。だから泣いたらおっぱいくれる幸せな空間。でもくれない。非常に地獄のような空間。これをただ繰り返してるだけの水準というのがあるわけですね。精神病水準なんですけど。
三角関係というのはお父さんが最初からいたからこのお父さんの言うことを聞かなきゃいけないとか言う。第三者が当然突然出てきて気に食わなくてもある程度はお前俺の意思に沿って動けみたいなことを言い出すわけですよ。結局ある意味そういうことです。拘束があったり憲法があったり。
法律ってのはそういうもんですよね。三角関係がないところに法律いらないわけですよね。三角関係がありますというのが理解できますっていう段階でも多分に適用的なわけですよね。この適用的だからこそ何ヶ月チャレンジで3ヶ月で7万5000円という金額が支払える。だからお金が払えるかどうかについてどう考えるかっていうのはものすごく大事だと僕は思うんですよね。
なんか僕も昔フリーランスやってたとき高くないだろうか大丈夫だろうかこれだと安いだろうかもっと高くできるだろうかしか考えられなかったんだけど全く違うこと考えないといけないんだなって思うんですよね。この人が給料を日本で受け取ってるということはどういうことなのか。
例えばやってきていきなりガラス窓をバリバリ割り始めるみたいなね。私は実際に会わないからそういうことは起きませんけどもなんかこう来てもね録画してますって言った瞬間にブチ切れるとか果たしてそれでその人給料をもらえるでしょうか考えちゃうわけですよね。給料って言ったからには2,30万円いくわけじゃないですか。
うち2万5千円を月々支払うということは20万だと厳しいと思いますけどでも不可能なわけじゃないじゃないですか。これがタダということになってきたり1回1月2500円です。それはリーズナブルだよねってことになるんだけど2500円となってくるとその人別に働く必要なくなりますよね。働いてなくても払えますよねってことになりますよね。
ってことはその人がいや私適用してますって言っても何を持って適用してると判断すればこちらは良いのかということがわからなくなっちゃいますよね。やっぱりあの総決算というところでも60名の箱とかを取っていろんなことが起きるわけですよね。そこではねお弁当食べたりいろんなことが起きるわけですよ。
やっぱ親から金もらってきてんだけどさんみたいなのだとなかなか対応する方は苦慮しますよね。これが非常に考えなきゃいけないことっていっぱいありますよね。お金が安いということは対応する方は頑張らなきゃいけないということになるんだしお金が高いということは対応する方はですねもちろん高い分だけ頑張るってことはあるにしても高いということは高いお金が払える人たちがそこに来るっていうことでどちらかというとある意味
なんていうのかな手放せますよね。つまりある意味そこに抱え込まなくて済むものが絶対あるはずですよね。ということになってくると抱え込まなくて済む人たちが来るっていう段階でそこで催せるものっていうのは変わってくると思うんですよ。私そのいうことを全然意識しないでいたもんだから昔からセミナーではつまらん苦労ばっかりしていたような気がするんですね。
余計なことばっかり考えさせられて余計なことばっかりやってたんだなあの頃はっていうのはよくわかるようになったわけですよ。もちろんそれはそういうのがしたければてかそういうことこそ自分の使命であるみたいなそういうことをしていきたいんだっていうことならばそれはそれでありなんですよ。
いやもうとにかく大学行くなんてとんでもないですよみたいな高校に出るんだってめちゃくちゃやっとだったしお金もその日その日をどうにかしのいでやってるんだっていうような話だった場合はそういうところにするべきお話をそういうところでいきなりメラニークライマーって言っちゃダメじゃないですか。どうやったってダメでしょそれは。だからそういうことは関係があるはずなんですよね。
その安いか高いかということはその人の適応度をある意味知る重大なきっかけになっていて藤原直樹さんはそういうところをすごく言うんですけどまずこの人は金が払い続けられるのかどうか払い続けて困らないとこっち困るからねってあの方そういう言い方しますがつまり突然キャンセルするという人はどういう人でありそれが起きるときは何が起きているのかということをですね。
つまり虚勢が受け入れられないから突然キャンセルするわけですよ。あもうこいつ嫌いみたいな。それって会社に行っても同じことを絶対やりますよね。あもうこの上司嫌いみたいになるわけだ。
それってつまりお父さんが不機嫌だったら私この家出て行くからっていう話になってるわけですよ。どこかエリプスを受け入れられないんですよね。エリプスを受け入れられないということはこの人の人生を大変つらいものにしていきますよね。人間社会はどうしても別に共産主義国家だったとしても。
というか共産主義国家ってなんか中国の人民何とか会見ていていつも思うんですけどナンバーワンナンバーツーナンバースリーっていうあの方が統治機構ってうまくいくのかなと思うんだけどなんか人間に序列がついてるんだけど1位から12位まで男性だなぁみたいなね。
この人類の平等っていうのはどこに行くんだろうっていう感じがしますけどもエリプス感満載ですよね要するに。でも適用できないなったらあの国じゃったら大変なことになっちゃうじゃないですか。本当はどんな人でも平等に暮らせますっていう理念だったわけですよね。
つまりエリプスを受け入れるのはもちろん受け入れなきゃならないし言葉使えなきゃならないに決まってんだけどそれにしても最低限でいいんだよっていうだから裸の対象みたいなのがokって国のはずなんだけど実際にそういう国作ってみるとそうは全然ならないですよ。みんなでビシッとした昔のイギリスのクラシカルなスタイルでネクタイ締めていてあれ中国の正式な服ってなんだったっけって感じがするんだけどそういう王朝は一切やめてやめなかったといってネクタイしているんだけどもそういうことになっちゃうんですよね。
プレエディプス水準の存在
不思議と人間社会というのはエリプス大好きなんですよ。やっぱりああいうところになんかこうシルクハットをかぶってなんかこうインチ教授さんみたいな格好していくと多分逮捕とかされちゃうんですよね。
恐ろしいですよね。でまあ何が恐ろしいって別に恐ろしい話では本当はないんですけどねお父さんの機嫌損ねちゃダメですって話でしかないんでね。でちょっとまた前振りは長くなったものの上つまり外に行くときは確かに適応してますが我々は適応なんかしたくないわけですよ。
全然。だからお父さんの機嫌ばっかり取ってたわけじゃないから家に帰ってくると何にもする気がしなくなりますと。つまりこれをプレエリプス水準って言うんですよね。で最初はアンナフロイトラインで自我心理学を確立していた頃はですねやいや3歳から4歳5歳発達ラインに沿ってねエリプス水準を乗り越えていくのよと。
アンナフロイトだから女言葉にしてますが行くのよと。そしてエリプスを確立して言葉がわかって三角関係が受け入れられれば家に帰ってきたってきちんとあの夜ご飯作ってお風呂キャンセルしたりしないで顔磨いて寝るんですと。いい大人なんだからそんなの当たり前じゃんと。
できないんだったら保育園みたいなところで教育的なんとか教育的環境かなそれはそれ大事だと思うんだけどそういうふうに考えるんですね。もともとの自我心理学は。でもメラニー・クラインっていう人はそこが革命的だったのでそうは考えなかったわけですよ。ソフじゃないだろうと。
適応できない部分が人間には一生残るんだよと。そんな言葉を覚えたって三角関係理解したってお父さんが世の中作ってお父さんが家作ったんだからこの家でお父さんルールを守らなきゃいけないとしたっていや急にやだーいとか言い出していきなり家飛び出したりお父さんぶっ飛ばしたりするのが人間でしょうと。卒業できないでしょうと。
だからそれはエディプス水準とプレエディプス水準のぐちゃぐちゃというものを行ったり来たりするんだよっていうプレと言っておきながら行ったり来たりするってのはどうじゃ何をもってプレって言うんだよっていうようなややこしい議論がここから始まるんですけど。
だからポジション論っていうのが出てきたわけですよね。PSとDってやつですよね。それは言葉を介してものがわかったフリをしてフリじゃないんですけどそういう冷静で理性的なDポジションで人は生きる。それはいい。そうしないと精神分析を受けに来ることすらできない。でもその人は精神分析繰り返し受けてるしにもう本当先生やだわみたいな何でかよくわかんないけどやだわみたいな妄想的になっていくわけですよ人は。
手足をバタバタさせるゼロ歳児水準に戻ることすらあると。内心ではね。表面的にはそうはならなくても内面はそういうもうだからさっきの修羅場と嵐の世界がやってくるわけです。
実際そうじゃないですか。恋愛で旦那が浮気してましたみたいな。恋愛じゃないね。結婚で浮気してましたみたいな。取り乱して髪とかバリバリ破いているっていうシーンはしょっちゅう出てくるじゃないですか。あの人があのお母さんがそういういや旦那浮気することもあるよねとか三角関係だよねとかわかってないわけないじゃないですか。わかってますよね。わかってるんだけど許せなくなるってことを人は言うじゃないですか。わかってるんだけど耐えられないとか頭ではわかるんだけど許せないとか。
頭ではわかるんだけど悲しすぎるとか言うじゃないですか。つまりクラインはこの二重性というものを言ったわけですよね。エディフス水準の確立はするかもしれない。でもプレイエディフス水準のアラスになることはしょっちゅうだと。だからそのプレイエディフス水準のPSというポジションとエディフス水準のDというポジションは人間の中ではある意味並存していて。
こっちに行ったりそっちに行ったりするというのは繰り返すに過ぎなくて。だから適用なんてしくてしてるわけじゃないんだから。人間なんかアンナフロイトが発達ラインで言ったみたいにね。人間は適用するようにできてるんですみたいなあたかも。そんなことないだろうってまあこの辺のことをたぶん一番厳しく批判したのがラカンだと思うんだけど。
ジャック・ラカンは精神分析家ですから。フランスのですね。そんなのとんでもないでしょっていう。私もそう思う方なんですよ。発達ラインとか乗れねえなっていう。私だからあのC10にしてフワクとかすごい嫌いなんですよ。ふざけんなって感じがするんですよ。なんでC10だったらフワクにならなきゃいけないんだよって思っちゃう口なんですよね。
耳従わないし、頬に乗っ取らないしみたいなそういうものすごい強いんですよ私は内面では。手足をバタバタさせたくなる方なんですね。絶対受け入れないですからねっていう態度なんですよ私はね。だからこのプレエリプス水準というものは残ると。確かに確立はするかもしれないが残ると。でここから先非常に新しい展開を生むんですね。
つまり我々は精神病ではないかもしれない。神経症水準まで来てるかもしれないが精神病水準もちゃんとあると。人間に精神病部分もちゃんとあると。この部分で分けた言い方をしたのがビオンですよね。だからこのクラインの言ってみれば革命的な話を継承していってるグループがイギリスの方では発達してて。
精神分析と人間の二重性
これが独立学派っていうのとかクライン派っていう対象関係論の一派を一グループを多分形成していてこの人たちの話が私やっぱ面白いと。アメリカではアンダフロイトが巨大になったんで一大勢力を作って学派ですから対象関係論は論ですけど自我心理学派ですから。
あっちは学として確立したまあアメリカの国力もありますよね。でもオグデンみたいなトーマスオグデンみたいなアメリカの精神分析家でありながらいやいやあのクラインの言うことはかなりわけわかんないところもあるけどあれ大事ですよみたいな感じでかなり異端的ですごい頑張ってる人もいたりするわけで。
あの人つい最近まで生きていらっしゃいましたしすごいこう晩年書いてるものは先行ってんなーって感じがして読んでもよくわかんないんですけど読んでよくわかんない方はありがたく見えるというね傾向が私の中にもちゃんとありますがだから読んでよくわかんないなぁと上田さんの上田克久さんかなの役の本を読みながらよくわかんないところいっぱいあるなぁと思いながらなんか変に感銘を受けるという時代になってトーマスオグデンっていう人ですね。
で、最近その不在論とかね私も克久さんもそういう松木派みたいなのを作っても全然いいんじゃないかな絶対作りそうにない人なんだけどいいんじゃないかっていう感じがするぐらい不在論を読むと常に感銘を受けるんですけど不在論は何かなぁ
確かに段階と展開はクラインのところからビオンに走り渡しでもこれをあんなに薄い本で明快にできるっていうところですでに尋常じゃないですからね尋常じゃない感じがするもっと遥かにある意味海外の本読んでも分厚いしよくわからんってところつまりわかりにくいんですけどねもっと
ウィニコットですねその間にいる不思議な人。ウィニコットを読んでいるとやっぱりクラインの革命のすごさってのを痛感します。ズレエリプス水準っていうのはわけわかってない時代に起きたことだからクラインはそこまで言ってないってこともビオンとかウィニコットいっぱい言ってる気がするんですけど
例えばそのウィニコットが言うところもですねあのかつて起きたことがこれから起きるみたいなこれは名言として割と有名なんですけどかつて起きたことがこれから起きるつまりその人にとっては過去形がないみたいなこれ何種のかなぁある種の生々しさとしてよくいろんなウィニコットだけじゃなくてですねいろんな精神分析の世界では出てくるんですよね
でも起きたっていうそれは前にありましたっていうトラウマはないって言い方なんですよねそうなんですよねトラウマって現在形をとるんですよねあの異常な生々しさがフラッシュバックとかそうですけど過去のものにできてないそれをどうしても一般的にはですねそれはひどい目にあったからなんだっていう考え方をとるんですけど確かにそれはそうなんですけどつまり地震の災害とかあると
その本当は地震にあったのは過去のはずなのに現在地震に遭遇しているような気がしてそれがフラッシュバックですよね
なっちゃうとそういう変な現在形のその生々しさがあるホラー映画ってそうじゃないですかなんか今すぐそこに貞子いますみたいなそういう恐怖を伝えようと頑張ってるじゃないですか
なんか現在がおかしくなったみたいな過去の話のはずなのに今ここに貞子がいるみたいなそういう感じああいうフラッシュバック感というのを伝えてきてるんだと思うんですけれども恐怖とともにそうじゃないんだとある意味ミニコットは言ってるわけですよねこれはクラインをついてるんですよプレイリプス水準では言葉が使えないですよね三角関係が理解できない
そうするとそういう時に遭遇した重大な出来事必ずしも大地震とか戦争である必要はなくて例えば夫婦が強いあの激しい喧嘩したというようなことお父さんとお母さんはそういう喧嘩してるとトラウマになるとトラウマとは何かというと過去形にできない私が2歳の頃にお父さんとお母さんはひどい喧嘩したんだよねだったらいいんですよ
嫌なことかもしれない嫌な記憶かもしれないけどこれだったらだったんですよっていう話をしてるんですねミニコットって人はプレイリプス水準の世界で起きたことはみんな現在形になってしまうとだからその人のそのいわゆるプレイリプス水準精神病水準では精神病部分ではこれからお父さんとお母さんが喧嘩するっていう狂気に囚われがちだと
でもお父さんとお母さんすでにいませんけどみたいなのがその人の頭にはなかなか入ってこないエリプス水準ではわかってるんですよ適応できてるから現実には何が起きているのかを知ってるからその人は頭の上では言葉を使えばお父さんとお母さんすでに打開していてこれから夫婦喧嘩が激しい夫婦喧嘩が起こるってことはありえないだけどプレイリプス水準っていうのはこれもすごくメラニ・クラインも言ったしあのウェニーポットも強調したポイントだと思うんですけど
現在形の恐怖
PSポジションにおいては時期いわゆる時間の観念というものがほぼないわけですよねだからあの不在のちぶさとか欲望した時には常にちぶさがあるとかそういう表現が出てくるわけでユートピアですよねお腹空いたらおっぱい出てきましたみたいな
時間の概念とか因果率というものがデタラメなわけです望めばそこにやってくるっていうやつですよだから逆に言うと喪失がすごい恐ろしいものになるわけですよ一度お母さんがいなくなるとだからのいないいないバーとかかくれんぼというのは子供にとってはスリル満点なわけですよね
いなくなったもう永遠にいないと時間の概念が曖昧で因果率というものがよくわかっていない非常に経験が乏しい人間のしかも未熟な脳からするとなくなったものはもう永遠になくなっちゃうわけですよね
ここでだから例のあのお好みけいごさんがよく新書に書いていらっしゃるあのマシュマロテストですよねマシュマロが食べちゃったらもう永遠にもらえないからこれが鈍欲というものを産んで今全部食べておかないとっていう不思議なこの退職みたいな病気みたいなものになってくるんですよあるやつ全部食べないとこれ片付けられたらあのマフェットとかでいやもう今日の時に食べないと明日ないからさみたいなね時系列というものがなんか意味を成してないわけですよね
お好みけいごさんそこのところすごいよく言いますよねなんか依存症っぽい問題を問題視されているような気がしますいやー今お酒全部そんなにガバガバ飲まなくったって後で飲めるんだからみたいなそういう生命のリズムが大事でリズムの認識が大事ですみたいなこれってでも完全に時系列を追ってますよね後になったらまた水は汲まれるとか後になったらお母さんが帰ってくるとかねこれはもう完全に時系列の世界なわけですよ
だから過去に起きたことが未来に起きることはないわけですよ全く同じ形ではところがその人の中に過去形というものがない2歳児1歳児の水準においては嫌な目にあったっていう記憶が曖昧な上にそういう時系列の中に捉えきれないのでこれから嫌なことが起きるっていう自分の経験した恐怖というものが
未来において起こりうる恐怖っていうものに切り替わってしまうということがあり得るわけですよね昔リチャードマックが高まめのジョナさんを書いた人なんですけどイリュージョンというまあこれもね非常に私はいや絶対クラゾン慶応さんだわって思っちゃうんだけどあのイリュージョンという小説があるんですよしかもあれを訳したのは村上隆だったんじゃないかという気がちょっと漠然としておりますが少なくとも村上隆役のあったんではないかという気がするんですけど
あの中で非常に面白い話があって一番僕はあの本の中で読ませるシーンだと思うんですけど当時読んだ時は感銘だけ受けて意味よくわからなかったんですけどある女の子ですねあのドナルド下田っていうまあイエスキリストなんですけどドナルド下田っていう救世主がね現れて飛行機乗りなんですよリチャードマックだからで女の子を飛行機に乗せるんですね
だけどあの一緒にいるおじいちゃんがびっくりしてあの飛行機に乗ってるわって言ってあの高いところから落ちる確か飛行機かなんかで落ちる経験をしていてそれ以来飛行機恐怖症で飛行機に乗らなかったんだけどどうやってこの子を乗せちゃうんですかねあのドナルド下田って人はみたいなまあジーザスで腹何でもできるわけですけど
それであのドナルドにそのリチャードマックなんだけど主人公がどうやってあの子を説得したのって言ったらあの下田がですねいや簡単なんだよあの君はもう飛行機に一度乗って死んでるからもうこれから死ぬことはないんだよと言ったものすごい宗教的だなって思ったんですけれどもこれがそのユニコットの言うところの過去形がない人の恐怖をわざわざと描いてるんだって思うんですね
すごいだから私ユニコットのあの話を読むたびにあのその有名な言葉なんでユニコットのねあの過去形がないみたいな話を読むたびにリチャードマックのあの本に思い出すんですよいやもう君は死んだんだからもう死ぬことはないんだよと死ぬことを怖がらなくて大丈夫だよというそういう言い方をして飛行機に乗せたって話なんですよねシュールですけどね
あのこれはやっぱりそんなこと言ったからって一発でカウンテリングがうまくいくまあ救世主だからそういうレベルに達してるんでしょうけど私が同じような話をしてもしょうがないんだけどただその我々は過去形になったことであれば安心でいるんですよ本当のところ過去形になってないことというのがすなわちトラウマなんですよねで過去形というものを作り出せない時の体験はやっぱり恐ろしいわけですよ
エディフス水準が大事なの言語が使えることであってだったっていう風に記憶と過去形を結びつけることによってこれだから概念化なんですけれども概念化することによって自分の未来というものに同じことは起きないというような安心感を得たこともできるしそれについてそこまで恐れることはないとなぜかそれは過去にあったことだからであると今起きてるわけじゃないし未来にそれが起きる可能性も
経験から学ぶこと
気をつけていれば減らすことも潰すこともできるはずだとそういうようなことを考えることができるつまり考えることができるわけですよね考えられないことこそやっぱり厳しいわけですよこれを経験から学ぶというようなと思うんですよね経験から学べないということはですね決まってこのプレエディフス水準に入っちゃっていて非常に困るわけです
でも我々はだいたい外してプレエディフス水準で処理しきれなかったような事柄を処理するのが苦手ですからそういうことがどうしても過去形にできないつまり経験から学ぶということがその人の中ではそれについて起きないみたいな分野があってそこのところで当人は非常に苦しい思いをすることになるわけですよね
お母さんが退社するとか言ったりコンテインするというのはつまり大丈夫だからもう終わったからってよく言うじゃないですかあの注射とか終わった終わった終わったと一番大変なのは刺される時なんだよっていうことですよね現在形なんだよと今も痛いかもしれないけども注射終わったんだと言うじゃないですかあれがお母さんの機能であり重要な退社なんですよね
まあ精神分析家が解釈というのはまさにああいうことだって終わったって解釈ですよねあなたに起きている大変なことはもう終わったとこれは解釈ですよねやや介入的でもありますけどお母さんがコンテインして言葉を変形してあなたは今注射を刺されている恐怖でいっぱいだが実際にそれは終わったことでありもう刺されてはいないしこれからすぐ刺されるなんてことも起きないんだから心配じゃなくていいと
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だけど赤ちゃんはまだ経験から学ぶというところまで行ってないので自分が何経験してきたかも全然覚えてないのでわかんないわけですよねああ針が刺される死ぬみたいなそういう世界に生きてるからあのつんざくように泣くとかそういうことでしか対応できないわけですよ
つまりそれはプラエリプス随順にいるっていうことであって我々はあの赤ちゃん部分を一生引っ張って一生抱え込んで生きてますよねっていうのが対象関係論の基本かなとそこからの展開が実に生産性豊かで考え深いわけですね