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2021-07-22 29:40

【GMV 422】仕事でショックを受けないためのライフハック

万能感を損なわず傷つけない
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日一回飛んだのは、事実上夏休みの初日ということで、慌ただしくなってしまって、これの時間が取れなかったということなんですね。
こういう不思議と、余裕があるときに時間が消えていくという、確保する時間がないみたいな、起きてる時間がそもそも遅いという話が濃厚ですけども、そんな感じで一日空きました。
今日から夏休みバージョンみたいな、そんなものはないですけどね。
8月の4日だと思いますね、8月4日土曜日、第1土曜日にグッドモーニングバイブス勉強会のシーズン2第6回となるのかな、7回かもしれません。
ちょっと曖昧ですが、オンラインで開催されます。
多分ですが、急に変わることもないわけじゃないんですけど、その辺があるので、申し込みページを読んでいただければいいんですが、
イリュージョンがテーマだと思います。
なので、まだページがないかもしれませんが、何回かはこの中でもつぶやきますので、よろしければぜひご参加いただければと思います。
イリュージョンというのはですね、これも心理学でも出てくる用語ですが、
脳内にしかないものなんですね。脳内にあるって言ったって、あくまでもあるというのは感覚があるみたいな話だから、
感覚というものはそこにどこかにあるわけじゃないですよね。だから感覚があるというのは実体はないという言い方もできるんですよ。
イリュージョンの場合は、感覚は多分不安とか、ここで問題になっているのは不安とか、恐怖なんだとやっぱり思うんですけども、
それを作り出す、または持続させるための、ためのというのも変ですが、持続させる、そういう、何と言うべきなんですかね、
錯覚が近いと思いますが、錯覚の役はイリュージョンですから、幻影ですかね、でも幻影というのも外側にあるような感じですからね、
あの、空想なんですが、空想だとファンタジーでもあるんですよね、まあでも空想かな、すいません、要するに空想を見ることによって恐怖を維持すると、
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持続させるというのがイリュージョンだと思うんです。だからイリュージョンであるのは分かっているんだけどという言い回しがあるんですけど、
これはもう、やっぱり分かっていないという感じなんですよ。私の恐怖を維持させるための空想をしているのは分かっているんだけど、
ついやってしまうためにこの恐怖感が取れませんという、そういう話になっているんですよ。
で、えっと、だったらその空想をやめましょうという、しかもこれはやめることもできるんですよ。
この話から、しかしですね、私たちってこれをやるんですよね。
で、やるからくりはそんなに複雑怪奇なものじゃないですけれども、やっていること自体はなかば複雑怪奇ですよね。
何のためにそんなことをするのかと、何のためにそんなことをするのかというところが、
これも大してバリエーションはないんですけど、非個人差が少しあるわけですね。
もちろん、昔ひどい目に遭ったとか、これが筆頭ですかね。
あと保険をかけたいとか、そういったことから恐怖を維持しなければダメなんだということになるわけ、なるわけじゃないんだけど、
恐怖を維持しなければダメなんだというところからイリュージョンを使う、空想を広げる。
空想を広げれば広げるほど、これはもう自明ですが、空想を広げれば広げるほど恐怖はますます増大してますます都合がいい、こういうことですよね。
それでやっぱり都合が本当にいいんだろうかという問いなわけです。
その話とは今日は少し違うんですが、イリュージョンは常に関わってきますけど、
最初に私が考えたのは、最近私がよく考えているチェンジ図とかシゴタノでもその方向性で連載していて、
ただシゴタノの方はですね、やっぱり一回読み切りに僕は今していて、しかも必ず、必ずではないんだけど、
基本路線としては仕事中心で行くと。
チェンジ図はですね、今はライフハックが役に立つのかみたいなシリーズ連載にしようと思っていて、
今日はその話を少ししたいんですが、ライフハックが役に立つのかというのは必ずしも仕事の話とは限らないんですよね。
私はある時、守りのグッドワイブスと攻めのグッドワイブスって話があったんですけど、
守りの方が機質に合ってるかなっていうのが一つあるんだけど、もう一つは守りきれれば攻めは容易だみたいな考え方が僕の中には強くあるんですよ。
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例えばグッドワイブスって想定しないっていう考え方がありますよね。受け身でいるみたいな。
すごく僕はこれを今、可能な限りこの路線で行きたい。
受動的にやるってことは、守りってのも変なんだけども、そもそも積極的に打って出ないという段階ですでに守りのグッドワイブスはほぼイケてる感じなんですね。
不安になると攻めるんですよ、私たちは。
だから最初から不安がなければ想定とかはしないんで、この辺がイリュージョンと関わりが深いと思うんですけども、
攻めに出たいというのは、フリーランスとかやってるとすごい分かるんですけど、何か不安。
普通はお金の不安がある時なんですね。何にもないのにいちいち攻めに出ないんですよ。
フリーランスの人のですね、もうみんながじゃないですけど、少なからぬ人が程よい受注を受けて合成な生活ができるんだったら一番いいって絶対みんな、絶対じゃないな、多くの人は思ってますよね。
なんとなくその方がスマートだみたいなのもありますよ。
打って出るというのは苦しい時なんですね。
もうあれじゃないですか。私はこれは本当はそうじゃないのをよく知ってるんで、こういう縦話ってちょっと申し訳ないんですけど、
例えば出版社から先生ぜひ次の作品はこれで、出したら40万部書摺りすぎます。ベストはこれですよね。
逆になると一番きついわけですよ。
企画書案を放暴の出版社に、夏暑いのに汗かきながら一件一件守ったらこれじゃ出せませんねとか言われてあしらわれていく。これが攻めですよね。
攻めるってそういうことですよね。
多分ですね、私が思うに書摺りで40万部を吸ってくれるような作家は絶対攻めないですよね。
そもそも攻めている暇もないんですよ、彼らは。
必要もないしね。だから受動的というのが厳しいというのはですね、不安があるっていう証拠だと僕は思うんですね。
極力自分の、ここからがおかしくなるんですけど、僕が言うとね、書摺りで40万部も吸ってくれないし、
本を次から次へと依頼が来なくてもですね、攻めないと。
そうするとですね、当然お金の不安というのは上がってきそうになるじゃないですか。
このイリュージョンを抑えるということを今一生懸命考えているんですよ。
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なんでこのイリュージョンを抑えるかというと、そうしないと不安になって攻めに転じてしまって、
大体いいことは起こらないということがほとんどなんですけれども。
ライフハックは仕事の役に立つかというのは、僕はここで考えるのはですね、
しかし私たちは価値マックスだというのがあるんですよ。
今の話の中でなんとなく書摺り40万部の著者は価値があり、私には価値がない感じが出たじゃないですか。
この感じ、このイリュージョンがいかんわけですよ。
このイリュージョンを膨らませるから欲打つっぽくなっていくわけですよ。
だんだん持ち込んでも誰もわかってもらえないしみたいな、
うつうつとしているのに怒りが湧くみたいなことが起こってくるわけですね。
私は最近精神分析の読み直したり凝っているところもあって、
万能感という言葉でこれを表現しているんだけれども、
依頼を受けると、その依頼はやれると、この状態が万能であるというふうに思うんです。
だから万能感というのは、万能じゃなくても万能感を持つべきだというのが僕のギリギリ言いたいところなんですが、
本当は私たちは万能なんですよ。
ここをさらっと言ってしまうべきだと思っているんですね。
非常にこれもそうは思えないということもあると思うんですが、
一つ事例として、例えば人前でしゃべるのが苦手ですという人がいるとしますね。
その人は人前でしゃべってくださいと言われるまでは、
人前でしゃべるのが苦手でも全然万能なんですよ。
なぜならば、その人のところに人前でしゃべるという依頼は来ていないんだから、
現実は来ていないわけですから。
人前でしゃべるのが苦手であろうとできなかろうと、
その人の人生にとってはどうでもいいことなんですね。
その人は万能なんですよ。
他のことができるから、例えば料理ができて、家でやるべきことをこなせると。
それが望まれている限り、それができれば万能なんですね。
私はそういうふうに万能というのを捉えるべきだと思うんですよ。
そうじゃなくて、いつか依頼が来たときのために
セミナーもしゃべれるようになっておいたほうがいいでしょうと、
なぜか私たちの時代は、社会はそういうことをやだらと言いたがるんですね。
そうすると、頼まれてもいないことができている状態が理想的であると。
これはですね、万能以外の言葉を考えつかないんですけど、
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なんか超越みたいなんですよね。
現実を超越している存在。
なんかですね、そういうふうであるほうが望ましいという。
僕はそうは全く覚わなくなっていて、
これもだいぶ昔からそういうことを僕は言ってきたんですよね。
ウッドバイオスとは全然違った文脈で、つまりライフハックな文脈で。
私昔、かなりあえてなんですけど仕事なので、
これから英語の勉強とデザインの勉強とプログラミングの興味は一切持ちませんと宣言をしたことがあるんですね。
多分、記事あるんじゃないかと思うんですけどね。
もう探してませんけど。
これの趣旨は、つまり私は今英語できなくても困らないし、
デザインとか私に期待する人は多分いるはずがないし、
私プログラムを組んだことも、組んだことがないわけじゃないけど、
子供の遊びみたいなものですよね。
他のものは一切やれたことがないんです。
で、やれたほうがいいって言われるじゃないですか。
英語ができたほうがいいって。
英語は僕は一応読めますけどね。
で、プログラムをやることによって、あれ誰だったっけな、僕よく覚えてるんですよ。
百式の田口さんかな。
百式さんがプログラムを知って人生が変わった。
それはそうなんだと思うんですよ、僕も。
プログラムというものを組むことによって人生は変わると思うんですよ。
ただ、僕は人生を能動的に変えなきゃならないだろうかって考えたときに、
別にそんなことはないんですよ。
人生なんてどうせ変わりますしね。
で、デザイン。
デザインはもうそうですよね。
もしかするとデザインというものを私に求められることもいつかやってくるかもしれませんが、
それまでデザインを私が能動的に積極的にマスターしていくとかってナンセンスな感じしかしない。
だからこの3つはいらないと言うんではないんだけど、
当面私がこの3つは一切できなくて困ることは何にもない。
だからそっちに触手を伸ばさない。
そうやって言うと守りの人生みたいに見えるんだと思うんですけど、
僕はでも万能だと思ってるんですよ。
家で庭の必要なレベルでは、
庭のケアもできるし、朝の支度はできるし、
夜の支度は十分ですが朝の支度はできるし、朝食ですね。
基本的には仕事となれば文章は少なくとも相手が求めるものに応じることはできるし、
人前で喋るというのも必要ならばその分だけ喋ることは概ねできますし、
常にアンケートの満足度が100%だという話とは違いますよこれは。
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でも多分人が求めてくるものに、
広報することはできてると思うんですよ。
そういうのってこういうスキル評価的な話になると難しくなるんで、
例えば父が千太郎でここの文字がどうしてもおかしくなるってのを言われれば電話口で直すことができるとかね、
それじゃダメなんじゃないかって思うんですよ人は。
それができる人はスティーブ・ジョブズとかではないからって感じがするんだと思うんですけど、
そうは言っても結局こう例えばスティーブ・ジョブズでも親に何か頼まれればそれをやるってことはあったと思うんですね。
万能ってのは僕が思うにそれ以上求めるってのは当然あると思いますよ。
でも万能というのは生きていく上で適応できているということだと思うんですね。
そうであるならば万能感ってのは持っていてしかるべきだと思うんですよ。
自分は何を持ってこられてもできるはずだという感じですね。
これは僕の中ではほぼ価値マックスと等しいんですね。
言い方が違うから100%同じかって言われると困るんですが、
大体同じだというふうに思っております。
この万能感を損なっちゃいけないと思うんです。
自分のであっても人のであっても。
マウントトルとかっていう表現がよく使われるんですけど、
あれは何らかの形で私はある人と対面すると万能感が損なわれますって言ってるんですよ。
この時に考えるべきことはですね、
相手が相手のせいで損なってるのか自分でわざと損なってるのかのどっちかをまず一応見極めるべきだと思うんですね。
勝手に僕らは自分が万能じゃないって思いたがるんですよ。
こういう傾向はライフハックでよく見かける傾向なんです。
私がチェンジズでライフハックに役に立つかって考えている時に、
一番ライフハックが役に立てるのは万能感の維持だと思うんですね。
ライフハックを使って超越を求めちゃダメだと思うんですよ。
すぐそっちへ行っちゃうんですよ、私たちは。
ライフハックを使って英語を勉強しようとか、英語も今求められていてなきゃ絶対困るって言うんならいいと思います。
でも、いつか求められるかもしれないから今のうちにキャリアをアップするためにもトイックで点を稼いでおこうっていうのは、
僕はやめた方がいいと思うんですよね。
そっちにライフハックを回すのはましてやめた方がいいと思うんですよ。
のめり込んでいっちゃうからなんですよね。
のめり込んではいけないのかっていうと、いけなくはないんですが、
のめり込むということは、
のめり込むということは、
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私たち、これは非常に微妙なんですけれども、
現実に正面からぶつかって、しばしば厳しい状態に入ると万能感をまず失うんですね。
万能を失うわけじゃないんですよ。
まず万能感を失うんです。
私、何名かの方にセミナーの、セミナーじゃないんですけどね、
東京ライフハック研究会とかでも、
小セミナーのイベントみたいな、みんなで5分ずつやるみたいな、
ああいうのも開催しているのに参加したことがあるんですけれども、
毎度思うことがあって、
まず万能感を絶対に維持しておくべきなのに、
逆になってしまうと、
その人はできるはずのことまでできなくなってしまう。
例えば、セミナーとか人前でしゃべるというのは特にいいところで、
まずこれはできるはずのことなのに、できなくなることがある。
その理由を、自分のできるという、
これを自己肯定感とか愛された経験とかいう話にしてしまうんですけど、
僕はそういうことじゃないとずっと思っているんですよ。
奥さんや旦那さんと会話するとき、自己肯定感とかいらないんですよ。
愛された経験とかがなくたってできるんですよ。
カウンセラーとしゃべるとかもできるじゃないですか。
あれと全く同じ感じでしゃべればいいんですよ。
これはどんなときでも同じことが言えると思うんですね。
本を書くときもそうなんですよ。
このために何かを知ってなければいけないとか、
知ってなければいけないならそのとき調べればいいし、
私はそれをセミナー中でも思うんですよ。
何かこのときの知識が曖昧だったとかだったら、
その場で調べればいいんですよ。スマホとか使って。
何か違うものにしちゃうんですよね、わざわざ。
私たちは。
ショーにしてみたり、生きじびきさを見せるみたいなものにしてみたり、
それもショーみたいなものか。
あるいはお笑い芸人になろうとしてみたり、
そういうことではないと思うんですよ。
あれはいいと思いますよ、奥さんがお笑い芸人のように僕を笑わせてくれる。
でもそれは一種の過剰サービスというものであって、
普通そういうことを求めないじゃないですか。
相手もそんなことを僕に求めてるわけではないんですよ。
いきなり英語とかで喋りだしたらおかしいじゃないですか。
いつ、どこでそういうスキルを求められるのかと、
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いつ、どこでそういうスキルを求められてもいいように、
っていうふうによくライフハックで言うんですけども、
こういうことをやってると僕は架空の世界に生きていくことになっちゃうと思うんです。
僕らはそれがとっても得意なんですよ。
それがとっても危険、とってもは言い過ぎかもしれませんが、
結構よくないと僕は思うんですね。
野球とかそうじゃないですか、見ててのめり込めますよね、好きな人は。
サッカーも、これからオリンピック始まりますが。
無観客が問題になってますけど、見に直接行きたいじゃないですか。
なんでかというと、のめり込むためじゃないですか、間違いなく。
立場感ですよね。
その立場感というのは何かというと、架空の世界に入っていくんですよ。
だってサッカーとか架空の世界ですよね。
マラソンもそうですよ。行って戻ってくるんじゃないですか。
行って戻ってくるのがものすごい早いことに、
今の時代、実用的な意味は全くないですよね。
架空の世界ですよね。
僕らは架空の世界の方がのめり込めるわけですよ。
この架空の世界にのめり込むということを、実用の代わりにしてしまうと、
とてもいろんな意味で自信を失うというか、
さっき言う万能感を完璧に失う結果になっちゃうと思いますね。
一生懸命この勉強をしていても、
その点が伸びないということはあるわけじゃないですか。
あれはゲームですからね。
オリンピックがゲームであるという意味においてのゲームですよ。
必ずうまくいかないことがありますよね。
しかもゲームというものは設定というものがあるので、
自分の設定値を超えたいじゃないですか。
人によって900点以上じゃなかったら最悪でしょ。
900点以上じゃなかったら最悪でもあり得るということは、
その人は常に自分にとってはギリギリのラインを攻めていくわけですよ。
それがのめり込むということですよね。
こののめり込むということを実用と完璧に結びつけちゃうと、
800点台だった自分はもう社会人としてダメってことになるんですよ。
そういうことにとってもなりやすい世界を作り出しちゃうと思うんですね。
英語の勉強とかプログラミングとか、実用と直結してるじゃないですか。
こう言っては怒られるかもしれないけど、
遊びなのに実用と直結しちゃってますよね。
この話をもうちょっと敷衍して、
チェンジ図とかで書いていって、ここでも喋っていこうと思うんですけど、
要は僕が思うに仕事をある種のままごとに変えるために
ライフハッカー役に立つって言いたいんですね。
ままごとっていうのは茶碗に泥水を入れて、お味噌汁ってことにするわけですよね。
その時茶碗がいるんですよ。
なくてもいいんですけど、あったほうがいいですよね。
この茶碗に相当するのが僕はライフハックだと思うんです。
仕事ってのもどこかしらままごとなんで、そういう部分が絶対にあるんで、
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そこを拡大することによってのめり込みやすさを作り出すんです。
そして、例えば上司に怒られるとか、
例えばなんかすごいひどい失敗をするとかしても、
現実の心に最大級のダメージは受けずに済むようにままごとにしておくんですよ。
そういう時にライフハックというのは役に立つ。
そのために僕は使うもんだと今では思うんですよ。
なのにそれをそのまま現実だと思い込んでしまったら、
どこにも防波堤がなくなる。
それだったらやらないほうがいいと思うんですよね。
この心に最大級のダメージがあるというのは、
何が起こることかというと、僕は万能感を失うことだと思うんですよ。
つまり心的外傷とかトラウマと言われているものというのは、
万能感を失ったことを意味すると思うんですね。
ということは、僕の今日のしゃべり方が割とグダグダだったので分かりにくかったと思うんですけど、
これが結論なんですよ。
万能感を失うことがトラウマだということは、
トラウマの原因は外側にはないんですよ。
途中何度か言ったつもりなんですが、
万能感って絶対自分で失わせるものであって、
人がダイレクトで私の万能感を奪うことはできないんですよ。
なぜならば、私はできないことは頼まれないはずだから。
頼まれるということはおそらく私の判断ではできないかもしれないけど、
実はできることなんですよ。
ほとんど全く同じことをグラノーさんによく言われているんですけれども、
全くそうだと思うんですね。
セミナーの依頼とかやってると本当そうで、
この人絶対できると思ったときにしか僕は頼まないんですね。
相手の人は私絶対無理ですっていうこともあるんですよ。
その人はセミナーをする直前までは、
頼まれる直前までは頼まれることについては全くどうでもいいことだから、
できなくても万能なわけじゃないですか。
で、セミナーを頼まれた時というのは私ができることを知ってるわけだから、
やっぱり万能なわけですよ。
このからくりはおかしいように聞こえるかもしれないんですけれども、
本当はこれは十分現実的なんです。
お母さんが、私ががんの時もありましたね。
娘にミルクを飲ませると、ゼロ歳児で。
ゼロ歳児で。
時々抵抗を示すんですよ。
無理無理って感じなんですよね。
きっとね。わからないですよね。
でも飲めるわけですよ。
赤ちゃんは万能感を持っているっていう言い方を心理学ではするんですけれども、
特に精神分析でするんですけど、赤ちゃんは万能感を持っているんですよ。
環境供給があるから。
でも私たちも同じなんですよ。
私たちは万能感は万能なんですよ。
環境は供給されてますからね。
酸素とかね。
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これが途絶えれば万能じゃなくなりますよ。
死んじゃいますからね。
逆に言うと死なないんだったら、死んでないなら万能なんですよ。
この言い方おかしいかもしれませんが、赤ちゃんってそうなんですよ。
供給されてますからね。
ところがその供給に対して抵抗を示すことがあります。
結構あります。
寝ろうというのに寝ない。
お風呂に入れているのに泣く。
そしてミルクをやっても飲まない。
ミルクを飲ませるのは依頼になります。
依頼じゃないだろうって思われるかもしれませんが、赤ちゃんからすれば依頼です。
大事なのは主観なんですよ。
万能感も万能も。
赤ちゃんからすれば飲めって言われてるんだから依頼ですよ。
飲まなきゃどうなるかなんて分かってないわけですからね。
飲ませられる。
飲める。
つまり万能なんですよ。
これを失わせるようなやり方をするのはまずいんですよね。
飲まないんだったら二度と飲ませないとかね。
どこかで幼児は万能感を失う。
そうすると幼児期におけるトラウマになってしまう。
全く僕らは同じことが起こるわけですね。
会社からの依頼がある。
依頼が常に柔らかい形とか自分にとって望ましい形で来るとは限らないです。
非常にわけのわからない形で。
ほとんど上司はただ自分を攻撃してるようにしか見えないこともある。
でも赤ちゃんだってどう考えてもこの状態で自分にミルクを飲ませようとするのは私に対する攻撃だと思ってる可能性はあるわけですね。
思っちゃいないけど感じている。
だから分かんないんですよね。
分かんないから現実を見に行くんです。
つまり本当のことは分からないから頑張って見極める。
頑張って見極めるのはどうして?
何のためにそうするのかというと自分の万能感を失わないためですね。
人がこういうパージを攻撃してくる。
それによって私は外傷を得てしまったって思った時は自分で自分の万能感を損なったんですよ。
私は万能じゃないんだって思った瞬間があるんです。
この時絶対に主観、文章は私は万能じゃないなんですよ。
私が決めてるんです、それ。
人が決めてないんですよ。
これで万能だって思っていたら恥ずかしい。
それは私が思うことなんですよ。
必ずそういう風にして万能感で自分で自分のやつを壊していく。
そういう風に現実とぶつかってしまわないために時々ある種の小道具が役立つと。
それがライフハックであるっていう風に自分は思うんです。
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