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おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1354回をお送りします。
5月20日水曜日7時23分です。
1354回って言ったよね。わかんない。 ちょっとわかんなくなってしまったんですけど、まあとにかくですね、今日は
どうしようかな。 いろいろ考えているんですけど、まずそもそもまた名前
変えてますからね、戻したと言うべきですね。 で、何で戻しているのかということになるんですけれども、何でも何もないですけど、散々バラ
変えてますけど、サブスタック始めてるわけじゃないですか、わけなんですよ。 このサブスタックに僕なるべくもう今全振りしたいなと考えるようになったんですけれども
全振りするっていうことになりますと、なるべくサブスタックだけでやりたいってことじゃないですか。
だからサブスタックでもポテファスト出そうかなと思ったんです。 一緒なんですが、あれは
絶対にメールに行っちゃうんですよね。 それでも全然構わないって方はいいんですが、私ほぼこれ平日毎日やってるじゃないですか。
平日毎日メール届くのって、鬱陶しい人は鬱陶しいんじゃないかなと思って、 あのポッドキャストなのにですね、ポッドキャスト
プッシュ通知行った方がいいって方によりいいと思うんですけどね。 ちょっとこれは悩むんですよね。だから私は辞めました。
あっちでポッドキャストするのは。もう1回目で早々で辞めちゃおうと思って。 で、サブスタックに全振りして多少はそっちで
有料課金みたいなのをしていきたいな、ゆくゆくはというか、こういうことを言っていると僕は すぐやっちゃうんですけど、いずれにしても
まあそんなに高い金額ではなく、やっていってもいいなぁと。今更では決してないんだけど、なんか今僕ノートでやりたいという気持ちがですね、わかんないですけどね。
来週にノートでやってるかもしれませんが、今のところそういう気持ちになかなかなれないんですよ。
で、サブスタックはちょうどいいんですよね。だから サブスタックにタスクシュートネタも、この精神分析
ネタも全部集中させて、ただ ポッドキャストは依然としてこのスタイフで続けてですね。
タスクシュートのポッドキャストってのをやるかやらないかはかなり悩んでるんですが、ポッドキャストで済むならそっちで済ませたいというのは断然あるんですけども
あの まあそうだよな、スポティファイで出すとかやり始めるからまたわけわかんなくなっていくわけですよね。
これを避けたいわけですよね、結局ね。難しい、非常に難しい問題は残っておりますが、何でやるかっていうのをすごい悩みに悩んでおりますけれどもね。
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サブスタックはかなり集中的に文章を書いていこうという気になれるメディアなんですよね。
だからそっちで精神分析的なのはやるとして、もう一つその無料でタスクシュートを出すのを、今英語でですね出すっていうのを
J松崎さんと私もちょこちょこやってみたりしてるんですが、あれはせめて1日1本ずつぐらいはやっていきたいなと思っても
ああいうもう何のためにやってるのか非常に難しいのは、なかなか続くものではないんですが、でもあれはちょっと頑張ってやりたいかなとは思っております。
まだわかんないですけどね。 そうするとサブスタックに全振りしたいとなってくると、やっぱり外で出すのを極力避けていきたい。
他のメディアは使いたくないってことですね。まず第一に、そっちの告知を皆さんに向かってしなければならないわけですね。
同時にこっちでもやってますってことを言っていかなきゃならなくて、どっちもXでサブスタの告知をし、サブスタでXの告知をしみたいになっていくわけですよ。
それはどっちもそれなりの読者さんが、そこから固定して動きたくないという固定した読者さんがいらっしゃるわけだから、そうするべきなんでしょうけど、
なんかね、これをやってピンポンゲームみたいに、これ3つになると、変な話ですけど、6通りみたいな話になっていくわけですよ。
で、4つになると、もう本当にだんだんだんだんやってられなくなってくるので、
どうしようかなというふうに、要するにやってられなくなるというか、やることを忘れていくんですね。
フェイスブックでXのも告知して、ノートのも告知して、サブスタのも告知して、サブスタでもフェイスブックとのXとノートので、ノートではみたいな感じになっていっちゃうわけですよ。
なんかもうそれで1日が、そんなことはないんですけど暮れていくみたいな、なんかよくわかんないことやってる感じで、これは一切なくなりますからね、サブスタだけにしちゃえば。
これは非常にやっぱり大きいんですね。ただ、なぜかサブスタは、ポッドキャストを全部メール配信してくれてしまうんですよね。
ま、元々そういうものなのかもしれないけど、私の中でポッドキャストってそこまででかいものじゃないんで、全部メール配信、どうなんだろうそれっていうのに、
いいって言われればやっちゃいますけど、本当にいいのかそれでというのはありますね、今のところ。
ということでちょっと悩んでいるわけです、依然として。で、名前を変えてみたり戻してみたり、いろいろしてるわけですよ。
最終的にはサブスタ1本になると、そしてポッドキャストはですね、あのいわゆるノー、ノータスって言うんですかあれ、ノート、ノーツって言うんです。ノーツ扱いしてほしいなーって思ってますね。
メルマが飛ばないやつ。単文1字メルマが飛ばさないわけですよね。あれも後からそうしているみたいなんですけど、
要するにXとノートを合体させたような感じなんですが、ポッドキャストはノート扱いなんですよね。
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そしてサブスタのすごいところはノートは全部メルマまで飛ばしてくれるんですよね。これはすごいけど確かに、私からするとそれは
そう指定したやつだけでいいんですよね。そう指定してないのまでメールに出さないでほしいなっていうのは正直あります。
はい、だってやっぱりメールいちいち来るの鬱陶しいじゃないですか、と思ってしまうんですけどね、私はね。
今日の本題ですけど、今3ヶ月チャレンジ第14期がですね、おかげさまで無事スタートさせていただいておりまして、
5月入っております、どっぷりと。6月、7月と続いてですね、できればできれば第15期を
6月から今回は準備始めようかなと、要するに予約っていうのは違うんですけど、準備始めようかなと思っております。
今回はちょっとそういう意味での気合を入れていきたいと思ってるんですね。
なんかさっきから僕ね気になってるのは波形なんですよ。目の前の波形がね小さいんですよね、動きがね。こういうことあるんですよね。
これはサブスタの責任なのか、私のスピーカーの責任、マイクの責任なのか、また私の環境は何にもいつもと変えてないし、
しかもさっき確認したと感じでは問題ないんですけど、波形が小さいっていうのは声が小さく聞こえるんで気にはなるんですよ。
よく私はそういう声が小さいとか吐き吐き喋れって言われるタイプなんで、でもそれをすっごく意識すると結構何喋ってるのかよくわかんなくなるし、
基本的に好きじゃないんですよね、そういうことを言われるのはすごく実は。
というのは僕聞いていて、アナウンサーとか別ですけど聞いていて、
いやすごい美声だな、この声ずっと聞いてたいなって思う人なんて、いわゆる素人系では誰もいないんですよ。
J松崎さんがかなり以前言ってるなとは思うんだけど、彼ぐらいなもんですよ、私からすると。
なのにいろんな人がそれを言うけど、そういう人がポッドキャスやってると変わんないじゃん、私のとレベルって思ってしまうんですけれども、
それなのにそんなに違いがあるかのように言うかなって感じがするんですよね。
話の内容の面白さをとっても吐き吐き度をとっても、何にも変わらないじゃん、私のとっていう感じがしちゃうことはいっぱいあるんですけれどもね。
まあそれはいいや、どうでもいいことなんで、どうでも良くないことをいい加減喋ろうと思ってるんだけど、
さっきから出てこないからどうでもいいことを喋ってるわけですよ。
ちょっとサブスタにも出してみたりしたんですけど、転移とか書いたりしてます。
私この転移っていうか、転移は転移なんだけど、何て言えばいいんですかね、
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最近悩みに悩むようになってきたことがありまして、悩みに悩んでいるっていうのもよくわからない言い方なんですけど、
おかしいな、ちょっとやっぱり一旦また停止しますね。
これでどうなんだろうな、これで少しマシになるんではないだろうか、やっぱり波形が良くなってきている。
これか、これめんどくさいな、今わかったことがありました。
これ以前のはそのままにしておきます。
多分そんなにおかしくなかっただろうというのと、多分ここから良くなってると思うんですけど、
これまでのはちょっと前置きみたいなもんでしたから、まあいいやと思います。
9分ぐらいから聞いてねって言ってもいい、まあでもこれはそういうポッドキャストだからな、
ここだけを切り取って聞くっていうのには全く向かないポッドキャストなんで、
まあこれでいいんじゃないでしょうかと。
なるほどね、わかりました。
まあいろいろありますよね、iPhoneだけで使っていると。
本題に入りましょう。
あのですね、私がベータ要素というべきなのか、
母-子種、あれについての説明をずっと怠ってきたなと思っていたんですね。
その前にもう一つあった、出てきた出てきた、いろいろと。
波形がやっぱり安定するとね、不安材料が減ってる、この話をしたいんだけど、
不安が先にあるっていう言い方を私3ヶ月チャレンジとかセミナーとかでもちょいちょいするんですけど、
伝わってないなと思うんですね。
でもこれは非常にありきたりな現象でして、
例えば一番わかりやすいところでちょっと脅迫症っぽい動きってあるわけですよ。
鍵閉めたかなと思って家に戻っちゃうみたいなやつね。
閉じまりのやつですね。
あるいは火元確認したかなと思って家に戻っちゃうやつ。
私やっちゃうんですけど、時々。
これは不安が先にあるんですよ。
心の中の不安は消せないから、
心が、脳がでもいいんですけど、勝手にその原因をでっち上げるんですよ。
これが投影の大元にあるんで、
投影とか転移って言われると、人はカチンとくることもあると思うんですけど、
迫害不安とか迫害妄想ってことにつながっていくからね。
例えば嫌なことされていないのに、
会社に行って上司にパワハラされましたみたいな話を迫害妄想って言われると、
それはカチンとくるんだけど、
でもこのことを忘れてはいけないと思うんですよね、私たちは。
外界の出来事を知覚してから不安になるとは限らないということなんです。
限らないというだけでももう、
ここを100万遍は無理だけど、
でもせめて5回は疑ってもいいぐらいな話なんですよ。
だって限らないんで、
これどっちでも成立しちゃうんで、
だからこそ閉じまりを確認しに戻るわけですよね。
戻ってる人は多分99%しまってるんですよ。
それはもちろん相手のこともあるじゃんっていうことかもしれないけど、
99対1で、あるいは999対1で、
12:00
疑わなくていいものを疑ってるんだから、
万が一のことを考えてって言うのは、
正しいかもしれないけど、
正しくはないんですよ、決して。
これが人間関係にも閉じまりだけに適用されると考える方が、
はるかに不自然なので、
人間関係にもめちゃくちゃ適用できるということを、
めちゃくちゃじゃない、
適用し得るってことを考えておいても、
損はありませんというだけの話なんです。
別に、じゃあそれはパワハラ上司が悪いんですよ。
セクハラ上司が悪いんだけど、
違うことで自分は不安になったり、
不快になったりしていても、
別に不意味はないと考える。
100%あれのせいだということは、
滅多にないという、ただそれだけなんですよね。
これは非常に僕は、
フロイトの発見の中でも、
抜群に重大だと思うんですね。
でも我々はこれを依然として十分適用できてないと思います。
人間は機械じゃないので、
絶対に因果関係を、
正しい因果関係だけを見つめることはできないんですよ、生きていて。
だって松木邦博さんですら、
家に閉じまり確認しに戻ったことが何回かはあるっていうことを、
本で書いてらっしゃいますから。
あんな精神分析の専門家でも、
これやっちゃうんだから、
みんなやりますよ、これは。
不安というものは、
閉じまりをしてないから不安になるのではないんですよ。
まず、なんだかよく分からないが不安になっている人がいて、
その人がその不安な気持ちを、
家から離れた時に、あれ俺不安だ、
ということは、閉じまりを忘れてきたのかもしれないってなってる。
順番が逆でしょ。
閉じまりを忘れたかもしれないから不安だ、なら分かるけど、
俺は不安だ、なぜだろう、
あ、そうか、閉じまりを忘れてきたのかもしれない。
この順番だったらほぼ確実に、
閉じまり忘れてないんですよ。
不安の原因は別にある。
ところがこの不安の原因が無意識であるために、
なんだかが分からない。
私たちはこれがいっぱいあると言っているだけの話なんですよ。
不安の原因はなんだか分からないことなんて、
普通の人の普通に起きることなんです。
ただそれだけなんですよ。
だけど不快の原因でもいいね。
不満の原因、不安の原因、不快の原因は、
無意識のうちに、
なんだか知らないうちにそうなっていることはいくらもあるんです。
その原因は突き止められないんです。
自力では滅多に。
だってそれは無意識なんだから。
無意識というのは潜在意識とか、
ぼんやりとした意識とかではないんですよ。
無意識なんですよ。
分かんないから無意識なんですよ。
あの、あれですよ。
現れないから透明人間ってやつですよ。
だから透明人間現れちゃダメだってことですよね。
でも僕らそれをしょっちゅうやるからね、これもね。
なんか潜在意識とか言い出して、
はっきりしない意識のことを全部無意識扱いしてますけど、
はっきりするとかしないは関係ないんですよ。
ないものが無意識なんですよ。
だから分かんないんですよ、残念ながらね。
しょうがないんですよ。
15:00
ゼロ歳児の時のことは覚えてないんです。
脳はそういう構想になってないんで。
主体があって初めて記憶があるんですよ。
これは私の記憶です。
沖縄に行ったというのは私の思い出です。
でもこれは私っていうものがあった後に初めてできることであって、
私が存在しないゼロ歳児に主体的な記憶があるはずないんですよ。
ゼロ歳児を沖縄に連れて行っても無駄ではないと思うんだけど、
私娘2歳の頃に行きたかったから、ディズニーランド、奥さんも行きたかったから連れて行く。
そして喜ぶ。
しかし今になってみると全く覚えてないと娘は当然のように言うわけです。
全く覚えてないわけですよ。
写真見せて確かに行ってるわってことになるけれども、
記憶には全くないわけです。
なぜなら2歳児に私ははっきり言えばないからなんですよね。
だから私の記憶はないわけです。
その時に何か厳しい目に遭い、その人ディズニーランドに行きたくなくなりましたと。
なんでだかわからないわけですよ。
しかしでっち上げるわけです。
でっち上げるわけです。
うちの娘だって、わからないけどでっち上げるかもしれません。
この話したことあるな、なぜか。
大学時代になってね、彼氏とかできたりするじゃないですか。知らんけど。
で、彼氏とかできて、また高校生ですけど、
ディズニーランドは行きたくないとか言うんですよ。
でも言わないですよ、うちの娘が。
言うとしましょう。
子供っぽいからとか言うんだけど、違うんですよ、理由は。
でもしょうがないんですよ。
何か理由づけをするんですよ、人間は。
それは無意識に持ってきた理由なんです。
2歳の頃行って、なんか僕が間違ってですね、
妻に後でめちゃくちゃ怒られたんですけど、
カリブの海賊とか乗せちゃって、
嫌な思いをしたのかもしれないわけですよ。
そんなことは本人覚えてないわけだから、
何も覚えてないって言うんだから、
あんなに喜んでたのに何も覚えてないわけだから、
ということは当然、
何が理由で行きたくなくなったのかは、
当人にもわからないわけです。
もうこれ、永遠にわからないわけです。
ただこれを探りに探って、
推定に推定を重ねて、
おそらくこうであろう、いやそうじゃないんだ、
みたいなことをやっていくのが、
一つ精神分析というものなんですね。
この話で17分もかけてしまった。
そうするつもりは全くなかったんです。
不安が先、理由は後付け、
しかもそれはでっち上げということは、
あり得ることなんです。
いくらもあるとかじゃなくてもいいんです。
あり得るということを一つとっても、
自分がなぜ不安になったのか、
なぜ不快なのか、
なぜ不満なのかについては、
疑う余地があると。
で、私が一番ここで出してくる気がちなのが、
虫なんですよ。
最近虫いっぱい出てきましたから。
人々は虫に、
特に女性は虫というものを異常なぐらい嫌いにしますが、
おそらくあれは何か違う理由があるんです。
虫も嫌かもしれない。
でも、別に薄馬かげろうとか、
部屋にいたってなんてことはないじゃないですか。
いろんなこと言いますよ、それはね。
うちの奥さんも。
でも、たぶんそれは違う理由なんですよ。
でもしょうがないんです。
私、サブスタッフに投稿しましたね。
18:00
私の毛が1本だ、2本抜けると、
うちの奥さんが、
なんかこう、
なんとかマッサージ行けとかって言うんだけど、
それは私が、
薄くなることを恐れてるんですけど、
それにしても恐れ方が半端ない。
別に薄くなってないしねっていう感じなんだけど、
いつ薄くなるかわかんないだろうって言って怒るんですが、
それは、
うちの岐阜がですね、
髪があんまないからなんですよ。
ああなってほしくない。
私が父と仲の悪いわけでもないです。
だから本人にもわかんないですよ。
私がただ自分の父親そっくりになってしまうのを、
大変怖がってるんですよ。
そこには絶対訳があるんですよね。
一つには、私が父親そっくりになるということは、
その父親と結婚している母親のような、
自分の状況になると。
確かにうちの奥様は、
私の岐阜、もう亡くなってますけど、
岐阜との関係は非常に難しいものがあったところがあるんです。
こういうことが精神分析っていうところで、
やんないですよ。やんないですけども、
間違いなく精神分析を、
一生懸命いろいろな本で読んだり、
私のように真似事をしていれば、
だんだんこれが見えてくるんですよ。
ここに部分対称という問題。
対称は全部じゃないですよ。
全体対称ということはありますが、
でも基礎的に対称って人が言ったら、
それは部分対称だ。
これはもうめちゃくちゃ大事なんですよね。
これがめちゃくちゃ大事なのに、
どうしてもこれが下ネタみたいになっていくんですよね。
だから聞かないとか、このポッドキャストも言われるんだけど、
そのポッドキャスト、私のポッドキャスト、
だから聞きたくないって言ってるのは、
違う理由で私を攻撃してるんだと、
今では私には手に取るような感じがするんだけど、
それは誤解なのかもしれないんで、
いろいろ言わないですけど、
でもそれを言われるたびに、
そういうことを言う人は、ご自分では意識してないですけど、
僕はだいたい回数数えますからね。
この人またこれを言ったなと。
その会話中の話ですよ。
何回か出てきたら、これで6度目だなみたいな。
多分その方は2回ぐらいしか言ってないつもりでいるんだろうけど、
6回言うってことは、
僕に対するやっぱり行き通りがあるんですね。
でもそれはいいんですよ。
例えば佐々木は、ぜひタスク集合の話だけしろと。
なんならライフハックの話だけしろって思ってるのに、
下ネタっぽい精神分析の話をするから腹が立つわけですよ。
だけど腹が立ってるわけにいかないから、
そこは笑いながら喋るみたいな。
でも何回か言いたいから回数が増えていくんですよね。
で、僕は回数数えちゃうんですよ、どうしても。
だから力度を見たくなるからなんですよ。
力度ですから、欲望ってことになると、
私はこの人に腹が立ってるから怒りをぶつけてます。
これを自覚できてれば欲望なんだけど、
怒りたいという欲望ね。
怒っちゃってる。
ほとんど意識してないっていう場合、力度なんですよ。
動きがかかってるから。
欲求なんだけど無意識なんですよ、力度は。
すごく大事なことだと僕は思うんですね。
だってなんでXに何でもいいですけど、
21:03
なんでああいうふうに異性のおっぱいばっかり出てくるのかと、
部分じゃないですか、あれは。
全体じゃないですよね。
だから物扱いしてるとかっていう話になるんだけど、
物扱いっていう言葉の中にある意味を、
単なる差別みたいな話だけで捉えないほうがいいと思うんですよ。
それは大事ですよ。
一旦その問題を引き受ける必要もあると思うんだけど、
社会的には、個人的にはですね、
そこは部分っていうものを、
なぜこれは人体のある部分なのか。
なぜ一部を考えるのか。
顔とかね、髪の毛とか、
なぜフェチ、フェティズムですね、
というものは一部を取り出しているのか。
その一部が自分にとって全部のようだった時代っていうのは、
願望ですね。
だって胸の大きさが顔の大きさより大きいって時代があった上だから、
その視野角の中には部分しか入れられない時代があったわけですよね。
そしてこの部分というもの、部分対象という表現をしますが、
部分対象と自分の関係っていうもの、つまり自己ですよね。
だから母-私なんですよ。
母親の部分対象と私なんですよ。
母親の部分対象と私がセットなんですよ。
母親の部分対象だけがあるということは、
それは人間じゃないから外在しないじゃないですか。
おっぱい外在するじゃんって。
おっぱいは外在しますよ。
おっぱいだけの人っていないでしょ。
つまりそれは心の中にしかないでしょ。
そういうものは絶対に。
絵とかなら描けますよ。
胸だけ強調してる絵って。
だけどそれは結局絵じゃないですか。
絵とはつまり心の中に入って初めて意味を成すものじゃないですか。
絵だけそこら辺歩いてたりしないじゃないですか。
歩くことできないじゃないですか、胸だけで。
すごく大事なことだと僕は思うんですよ、これは。
ハイフンはもうちょっとなんとか表現できなかったかと思うんだけど、
母ハイフン子ってなった時は
あそこにおっぱいを当てておくぐらいがちょうどいいんですよ。
ちょうどいいというのは
そうしないと分かんなくなる。
なんか母ハイフン子だと
なんかお手で繋いで結びつきが強いみたいに見えるじゃないですか。
そういう意味では全くないんですよ、あれは。
心の中では私と母の胸みたいなものがセットになっていて
何が言いたいかというと
このハイフンの真ん中に主体があるって言ってるんですよ。
これ本当にややこしいんですけど
ボラスが一番うまいこと書いてるなと思って
否定的事故対象って書いてあるんですよね。
なんていうのかな、不機嫌を説明するのに
ある種の人の不機嫌
だけどこれはもう不機嫌コントロールとか不気払とか今の
なんていうのかな今の時代って
それはそれなりにそうなんでしょうね。
不機嫌の上司がいるとその家全体がコントロールされるとか
不機嫌のお母さんがいると家庭がコントロールされるとか言いたいんでしょうけど
それは二次的な話だと思うんですね。
24:01
大事なのは否定的事故対象なんですよ。
この対象と私の否定的な自分はセットで現れます。
その時の主体は私自身にはありませんという
ここをすっ飛ばして機嫌の話だけするというのは
そうすると不機嫌な人対私という
二者の人間関係みたいに見えるじゃないですか。
そうじゃないよっていう話をめいっぱいしてるんだけど
そうさせられてしまうんですよね。
話が通りにくくなってますね。
二人の人間がいますね。
二人の人間がいると二つの主体がありますよね。
私の主体、あなたの主体。
そしてその私とあなたはそれぞれ中心が
それぞれの人の心の中にある感じになる。
中心がセンターにある感じが
その人の中心に自分がいるような感じがしますよね。
でも対象関係というのはそうじゃなくなりがちなんですよ。
性欲っていうのは多分にそうなりがちです。
皆様は性欲のことを内省あんまりされないのかもしれないなと思うんですけど
性欲というものは性欲の対象とセットなのが
僕は子供の時から不思議でした。
すごく不思議でした。
なぜなのかよくわからないけど
なんていうのかな。
心の中に女性がボンと強烈に表現されるじゃないですか。
私、乱高生さんとかよく読んでたんですけど
文字じゃないですか。カレムンって漢の小説だから。
その中に何とかちゃんが出てきて
レイプされちゃうわけですよ。
めちゃくちゃ私は当時小学校6年か5年だったんだけど
興奮しちゃうわけですが
この時一体このなんとかちゃんは
なんて言えばいいのかな。
どこにいるんだろうって感じなんですよね。
レイプされちゃうということは被害にあってるわけじゃないですか。
でも加害者も私なわけじゃないですか。
私が興奮してるということは。
じゃあこの被害者は誰なんだろうと。
ジェンダー的には外在するかもしれないが
私はそうは思わなかった。
私はこの光景不気味だと思ったんですよ。
自分で自分をレイプしてる気がするっていう感じがしたんですね。
このことをすごく明快に書いていらっしゃる
実はジョリフの観音小説家さんいて
私非常に感銘を受けたんですよね。
Sであると同時に日本の男の人はMもやってるっていう
あれは私日本の男に限らないし
日本のというのもおかしいと思うんだけど
でもあの指摘は正しいと思ったんですよね。
これ心の中で2人1人2役やっちゃってるなと。
この1人2役のことを対象関係と言うんですよ。
2人2役じゃないんですよ。
それなら対人関係なんですよ。
吹き気払って2人2役じゃないですか。
そうじゃないってことなんですよ。
否定的自己対象なんですよ。
あるいは性的なんていうのかな
興奮している私と性的対象な
ハイフンで結びつくというのは
どっちも自分だぞっていう話なんですよ。
自分のある部分が変化して
27:01
そこに向かっていく欲望と
私自身の変化した一部が対象化している
だから部分対象なんですよ。
全体が心の中に入ってきた。
変じゃないですか。
だから母ハイフン子ってなってるのは
はっきり言えば
なんて言えばいいんだろうこれを
非常に難しいね。
母の全体じゃないんで
心の中の存在なんですよ。
しかしここでさらにややこしいのが
ウィニコットのような人が
生物学的なこれは母親の環境なんだよ
っていう例えば母のおっぱいっていうのは
実在はするんだよと
ただし部分対象としての母のおっぱい
心の中にしかないんだよ。
この2つが同時にオーバーラップするんですよ
っていうこのイメージをですね
絵に描きたい。
絵に描かなきゃいけないと
僕はいつも思ってるんですよね。
なんかこうなんていうのかな
目の前に家があるんですよね。
私の光景として。
でもその家は庭の一部のように見えるんですよ
私には。
だってうちの庭の前にあるから。
それはおかしいでしょ実際には。
庭の外にあるんですよ家は。
しかも家のこの
こっちから見えてる部分の向こう側があるわけですよ。
ただし向こう側は見えないですよ。
私の心の中には家の一部があって
絵描く人そういうの達者じゃないですか。
すごく達者じゃないですか。
円形と金形とか言って
なんか自分の見ている光景の向こう側に見える富士山も
まるで庭の一部のように見るみたいな
そういう絵を上手く描く
お絵描きできる人っているじゃないですか。
円形と金形ですよね。
ああいう感じなんですよ。
それって富士山の一部じゃないですか。
それは結局人の主観というのか
知覚というのの中にあるじゃないですか。
この母のある面と
否定的な私の気分がセットになっていますが
それは心の中で起きていることなんだけど
実際に母親は不機嫌にもなりましたよ。
これが対照関係なんだと僕は思うんですね。
なんかね、決してややこしいことはないんだけど
ひどくややこしい感じがするんですよね。
決してややこしいことではない。
みんなこういうふうにものを見てると思うんですね。
この部分対照関係の中のもう一つ超重要なこととして
このハイフンにセンターがあるということなんですよ。
私からのセンターがずれちゃってる。
だから少しその時私は病的なことになりやすいということ。
こういうことは実は日常ずっとこうだから
これ自体を決して病的とは言えないんですよ。
むしろ健全なんだけど
あるネガティブな状態、条件が発生し
しかもこの状態で
自分の心が絡め取られていくと
病的になっていくと。
だからボラすのはすごく正しいと思う。
否定的事故対象なんですよ。
ある対象と否定的事故はセットになってしまい
30:00
しかもそのハイフンにセンターが移るということは
ある意味否定的な自分から抜け出せなくなるんですよね。
この状態が固定化したのが多分
精神的な障害と呼ばれるものなんだと思う。
私はそのことがよくわかるんです。
アトピーになった時がそうだったんです。
アトピー性皮膚炎対象なんですよ。
いやーこれでもなー
でもね、アトピーで肌を掻くじゃないですか。
それは転移的状況だと思うんですね。
なぜ転移的状況と言えるかというと
説明ができないんですよ。
説明できるだろう、アトピーだからだろうっていうのは
全く説明になってないんです。逆なんですよ、ここも。
肌を掻くからアトピーが酷くなるんですよ。
シナリオがそこにもあるわけなんですね。
転移的状況というのは。
肌が掻きたいから掻くっていうシナリオなんでしょうっていうのも間違ってるんです。
なぜ肌が痒くなるのか掻きたくなるのかっていうシナリオがそこにはあるんですよ。
これがわかんないうちはただ掻いちゃうわけですよ、行動化ですよね。
否定的自己対象というのは
要するに母との部分的な母親
要するに悪いおっぱいなんですよ。
悪いおっぱいと私の関係は最悪なんですよね。
その時のセンターは決して私じゃないので
悪いおっぱいハイフン私で
ハイフンに中心があるんですよね。
だからこのハイフンの中心としては
ダメだこの悪いおっぱいを排除するんだ。
この悪いおっぱいが荒れている皮膚なんですよ。
わかります?
だから私なんですよ。
この私の皮膚というものと
私の間のハイフンがあるんですね。
そこにセンターが映っちゃうんですよ。
だから私は掻かずにはもういられないんですよ。
これが私がセンターなら我慢できる。
そういう時間帯もあるんです。
センターが私ならダメだこれ以上掻いちゃダメだっていう
センターが私にあるときは
膝の裏とかを掻くっていうのに対して
主体的に止めることができるんですが
センターが膝の裏の猛烈に赤くなっている部分と
私の間のこのハイフンにセンターがずれてしまうと
もうこの関係を壊すしかないっていう感じになって
えぐり取るように肌を掻いちゃうんですよね。
これがベータ要素なんですが。
これは悪いおっぱいなんですよ。
昔の母との関係。
これを猛烈に思い出してみるとですね
漠然となんですけど
なんていうのかな
ものすごい熱が上がってヒートアップしたって感じですよね。
ヒートアップして
多分僕が1歳ぐらいの時に
母に対してめちゃくちゃ不愉快になり
母は私に対してもっと不愉快になり
この母子関係内で密着してますから
お互いがすっごいヒートアップして
お互いに対して憎しみをぶつけ合うような感じ
33:00
そういう時に母しかも赤を擦ってやるとか
わけわかんないことを言って
私の肌をボロボロボロボロ擦るから
そういう否定的事故対象に関係ができちゃったわけですよ
だからアトピーは母のせいだって言ってるようなもんなんで
別に私はそういうことの責任を
母に取れと言いたいということは
未尽もない
ここがまた難しいですね
なぜなら全体対象としての母親は
この事件とあまり関係がないんですよ
私にしてみると
私にしてみると
20代の勇敢の健康覧とかに
多大に簡単に左右され
しかも父親の左的イデオロギーに
まんまと乗っかっている
実は右でも左でも何でもない
うちの母がですね
だからそういう意味では
父も相当悪いわけですよ
この事件が悪いというのであればね
薬害とかそういうのが大好きなんで
うちの私と何の関係もないのに
薬害衛生問題とアトピー性皮膚炎の
なんていうのかな
ステロイド剤を結びつけやがるわけですよ
はっきり言って頭悪いんで
こう言うとどうかなって思うんですけどね
本人はこれすごい知的なこと
やってるつもりでいるんですよね
非常に困るんですよ
こういうのって
一種の宗教ですから
うち宗教ですけど
もう本当こうなってくると
一種の宗教ですから
我が家はそもそも宗教ですし
みたいなこうなってくると
どうしようもねえなっていう感じなんですよね
本当にもうがんじがらめというか
二重にも三重にもこういう構造になってて
お前はアトピーとして
肌をかく宿命にあったんだよ
ぐらいなそういう宿命は受け入れ難いんで
受け入れませんか
言われてもしょうがねえかなって
思いっかねないところがあるんですよね
そうだよなうち宗教だったもんな
ってこういう感じなんですよね
あんな入仏思想こそが知性だって
信じているような家に生まれていてですね
支持者と共産党だったとは
さすがに思いませんけど
坊主やっててそりゃないよねっていう感じ
だって共産主義からすると
宗教はアヘンですからね
宗教は人民のアヘンだって
有名なセリフがありますよね
うちの親父とかすぐ殺されちゃいますよね
あんなに丸坊主で
宗教的なことしか言えないんだから
まあそれはいいとしてですね
とにかくそうやって
私の肌と私の関係の間の配分
この配分は絶対消せないんですよ
なぜならどっちも私じゃないですか
私の肌は私の肌でしょ
私でしょ
だけど私の肌に
私の意識の中心が映るのは
まずいじゃないですか
私は肌じゃないからね
意識の中心ってのは
やっぱり心にあるべきなんですよね
それがずれていくんです
少しずつ
事態が悪化してるから
あるいはそもそも
私がいない時代に起きたことだから
これは
私否定的事故
対象というのはこの場合母です
母の一部です
怒ってる母です
悪いおっぱいです
これが対象です
対象配分否定的な私です
その時の私は
36:00
全体的に否定的な感じになってる
大変不愉快だってこと
そして超ヒートアップしてる
核化してるわけです
体が熱いわけです
だから冷やしたいわけです
肌の荒れてる部分
これは非常に赤くなって熱を持ってます
そこを冷やしたり
切除したりなんなら
えぐり出して
取り除いてしまいたいわけですよ
自己排除と言ったりするんですけどね
精神病の概念にそういうものがあるんですけど
あるいは完全なる自己否定みたいな
だから自分というものを排除
排斥するとか
廃棄するみたいな表現を取る本もありました
それが私の場合
身体に起こっていたわけです
これを身体精神病と言ったりするらしいんですね
心身症の心肌症の重症
重症心肌症という表現もありますね
それを認識するとどうすればいいか
肌がちょっと開封になったとき
主体を私に戻せばいいんですよ
否定的事故対象という漢字をはめて
主体を自分に戻せばいいんです
この時に例えばマスターベーションの漢字
っていうのがすごい役に立つんです
あれは性欲対象
性欲的私
性的興奮している私対象ですから
性的対象ですから
そうすると開封に
自分が移った漢字ってあるんですよ
この開封に自分が移った漢字があるからこそ
いわゆるマスターベーションというのは
対象が外在しているような気になるじゃないですか
どっちも自分なのに
SとMは両方自分なんだけど
もう自分がSじゃなくなっているから
なんて言えばいいんだろうこれは
Mでもあるから
その時には開封に入らないと
興奮できないはずなんですよね理論的に見て
Sである私だけが私だったら
っていうことになると
Mである対象が現実味を全く帯びなくなるでしょう
そうすると
だってそれは私の一部ではないわけですから
Sである私が全部であるということになると
Mである私なんて存在しないわけじゃないですか
Mである私だけになってしまうと
Sである私は存在しないでしょ
だからSMっていうのが成立するためには
間にセンターを取る必要があるはずなんですよね
でその間にセンターが入ると
今度は何が起きるかというと
私の場合はそうなるんだけど
私が消えていくんですよ
だから私は傍観者になっていくんですね
これがいわゆる観音小説を読んだり
それこそアダルトビデオを見たりする時の真理なんですよ
私の場合は特に
で摂史書っていうのぞきをする
のぞきをする人って
私は消えているに越したことないですよね
私がはっきり見えると
とっつかまえますからね
私は透明人間であるっていう感じですよね
あの感じ
あの感じっていうのはやっぱり脱中心化してるわけですよ
私自身の意志から
だから見るものと見られるものの関係だけになっていて
ある意味意識の中心は
その見るもの見られるものの中心に移動してるはずなんですよね
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今日は後で
なんだろうな
否定
社会的に有害な表現があるにチェック入れなきゃなんない
なんぐらいの話しました
なんでこれが有害なのかな
私には全然わからないですね正直言ってね
これが有害だってのはおかしいんじゃねえかって感じがします
藤山直樹さんが
大学生に精神分析を教えるのはセクハラだっていう
恐ろしい議論があるけど
これは大学生をバカにしてるんだっていう風に書いてましたけど
私は全くそう思いますけどね
まあそういうような話ですね
なんていうのかな
立つセンター立つ中心っていう
このハイフンにセンターが映るっていうことが
やっぱり僕は精神分析の中核だなって感じがします
東映どういつかにせよ
定義にせよ定義的状況にせよ
基本的に主体性というものが剥奪されている
藤山直樹さんがかなりエグいというか
怖い話を精神分析という営みの中心に置いてましたけど
あの時一番殴られた話ですね
殴られたのも怖いのは殴られたことなんじゃなくて
もう私が私をやめていたこと
つまりセンターがずれてしまうってことを
言ったんだと思いますし
それはもうそうだなと思うんですよね
だって中心が私じゃなくなると
私が私の肉体を制御を全くできなくなるので
だからあんなに血まみれになってるのに
肌かきまくるわけですから
今でそれが起きないという風に
私が思えるようになったのは
結局センターを戻せば
この事態は収束させられるということを
知ったからなんですよ
センターを戻すとどういうことかというのは
私はそれこそマスターベージョンみたいなもので
知っているっていうのが一つ
興奮さますの簡単ですから
プラスこれは私の母子関係ってやつ
対象関係なんだということを認識すると
全体対象との関係の中に
これはないということ
単純に言って一番健全にやるならば
今の老婆に
老いた80になっているうちの母のことを
しっかり認識すれば
これの20代だった時のイメージと
このアトピーにせよ
私の性的興奮にせよ
全部関係があるんだということを思い出せば
いちいちやるのはちょっとめんどくさいですけど
でもまあめんどくさいという程度のことをやれば
体の痒みが消えるんですよ
つまりこれは母に対する怒りなんです
なんだったわけなんですよ
本当に
でも不思議なことではないんですよね
私怒り腹が立つと
すっごくこう
全身の体温が
うっと上がってくるんですよね
体温自体上がってないかもしれないけど
熱苦しくなってくる
そして体が痒くなるんですよ