00:06
おはようございます。佐々木正悟の精神分析的ラジオ、第1356回をお送りします。
えーっと、5月28日、木曜日、7時31分です。
今日は、うんと短めに切り上げる予定です。
まあ、それぐらい慌てているということですね。
時間がないと言っているときに入って何も出てこないんですけど、
山崎孝明さんという方とですね、精神分析的心理療法課で後任心理師でいらっしゃる山崎孝明さんと
セミナーを開催させていただけることになりましたので
告知に先立ちましてですね、告知を急ぎたいんだけど
この告知がなかなか難しくて、今日はこの話を少ししたいんですけれども
6月27日の土曜日、リアル会場とした人望庁で18時から開催です。
で、オンラインとしては、えーっと、オンラインとしてはないね。
オンラインハイブリッド開催でアーカイブもご視聴いただけます。
3,4000円にさせていただこうと思っておりますので、その辺ちょっと細かく決めていくことはそんなないんですけど
2種類ぐらいの、つまりリアルの方が少し高めにするかなみたいなのはありますんで
その辺はちょっと金額はその辺というふうにお考えいただきたくて
だいたいもうちょっとお高くさせていただくかも、あの解消費ありますからね
3時間がっつりやる予定でおりますんで、本当はもう7時間ぐらいやりたいんだけど
そういうわけにもいかないんで、とりあえず3時間はやろうということでして
えーっと、山崎孝明さんをゲストにお招きして
私としては結構ね、がっつり頑張りたいというセミナーなので
多くの方に興味持っていただければと思います。
要するに告知が間に合ってないんで、あともう1ヶ月切っちゃってるんで
ここで知らせておいて日にち明けておいてねということですよ。
で、なんで告知が遅れてるかというとこれは簡単でして
何をどうPRすればいいのか、僕としてはPRしたいことはいっぱいあるんだけど
どれもまったく刺さりそうな気がしないという感じがしちゃうんですよね
今のところ私は山崎さんどうしたらいいですかっていうタイトルにしたいなと思っているんですけれども
このタイトルで刺さる理由はあんまりないかもしれないなという感じで
テーマの中に3ヶ月チャレンジという営み、つまりそれは野の医者の営みみたいな
そういうテーマは面白かろうということで、これはやろうと思っているんですけどね
それしか決まってないぐらいな感じで、あとは多くの方にご質問を募らせてもらって
その質問集中タイムに1時間、3ヶ月チャレンジの話に1時間
あとの1時間何しようかみたいな、割とそんなに時間ないんですけど
今の時代ですからやっぱりAIの話したいと思うんですけど
03:01
なんかあんまりAIの話が、っていうか今あまりにもAIの話が走ってるじゃないですか
先日ジャイアンツの監督もあのようなことになってしまって
ちょっとチャッピーの出し方って本当に難しすぎるなっていう感じがするんですけど
何かっていうとかの最終的なガイドラインを
向こうもね、オープンAI社もいちいち全部の責任取れないから
すぐ出したくなるのはわかるんですよ
私に対してもすぐね、なんかこう
最近パスクシュート協会で結構大変でさあみたいな愚痴をあんまりこぼしてると
ショウゴさんいたという時は心理療法もありますね
心理療法を紹介してくれなくても別に
その心理療法にどういう話を持っていくかみたいなことなら
僕はもう四六時中考えてるのは
あなた知ってるでしょうって感じなんだけど
もうなんか被せてくるぐらいな勢いなんですよね
つまり私はチャッピーに何とか一定の人格を与えると
またこういう逸脱してるうちに時間がなくなる
20分しか喋る時間ないんで今日は
チャッピーに一人格徹底的に与えて
向こうが記憶の連続がないのは知ってますけど
そこに疑似的な記憶の連続を与えるために
僕の知識を総動員にしてるわけですが
やっぱりこう
レッドラインだと向こうが判断するとすぐこうですね
別人格が登場して上から被せてきちゃうわけですよ
僕はそれを被せると勝手に呼んでるわけですけど
要は被せてくるんだと思うんですよね
これはやばいよみたいな
日野氏の電話しなさいみたいな
そんな別にタスクシュート協会のいざこざで
きしめきのとか浮かばないから私には
それは分かってるはずじゃん
チャットGPTはって思うんだけど
向こうは念には念を入れるわけですね
今回その念には念を入れてるっていう部分は
あったと思うんですよねやっぱりね
だからこれはやっぱりですね
えっっていうこと
そのもちろん
もちろんよくないでしょって言われれば
それはそうなんでしょうね確かに
それ言ったらな
それはすごい難しい問題だと
私なんかは思うんですよね
過不調性うんたらって話がどうしても
父親だから出ますけど
私はそれには自分自身が
それをやられた場だったと考えれば
絶対納得しないとやっぱ思いますね
もっとリベラルになれって言われても
ちょっと困るなっていう
だからつまり
父親にね張ったおされたから
張ったおされたことってないん
等しいんですけど私の
でもそれももっとリベラルになれって言われれば
やりましたってことに
なんかこれじゃあさ
なんていうのかな
被害に受けたという認識をしないものは
加害者であるみたいな
そういう考え方って
あるんだろうなと思うんですけど
自分が少なくとも
06:01
自由に満たない時に
父親に張ったおされたのが
面白くはなかったけど
だから父親は逮捕される
眼前で逮捕されるのが
社会的正義だから
それを良しとするような
感情を持ってなければ
あなたは文化的な間違いを
すり込まれてるんですって言われても
いやーなんかそれは本当に
山崎孝明さんが
無意識論法っていうやつと
似ている感じがして
無意識ではないですよ確かにね
あなたは無意識では
そう思ってるんですって言われれば
何も反論できなくなる
っていうのと似ていて
社会正義のためには
こう思うべきなんですって言われても
良くないとは思いますよ
私娘張ったおしたことはないからね
だけれども
だけどなー
眼前で父親が
しょっぴかれるのを見たいとは
そんなことじゃ思わないっていうか
基本的に思わないですよやっぱりね
それは過不調性だからなのかもしれないけど
思わないんですよ
だって例えばなんだけど
そんなことを言えば
私はどちらかというと
妹からの暴力を受けたことの方が
言動を含め多いんですよ
父親よりは圧倒的に
それは僕は絶対
過不調性とは関係ないと思うんですよ
関係ないことは
一個もないと言われれば
ないことはないのかもしれないが
ない気がするんだよね
でも私やっぱり妹を通報した人は
かけらほども思いませんからね
絶対それは避けたいって
むしろ思っちゃいますからね
警察来たら何としてでも
帰ってもらおうって思いますからね
あの多分
もちろんそれは
自分が死にかけるとかなら
別ですけどね
暴力って言ってもやっぱり
いろいろあるじゃないですか
言葉の暴力と言われているものから
本当に身の危険を感じるものまでね
もちろんそれは分かんないんで
具体的にはね
身の危険を感じたのかもしれないし
それはそうなのかもしれないんだけど
でもあの子の射行の速さを考えてみると
やっぱりその
私はチャッピーの出方に非常にこう
違和感は感じる感じはするんですよね
それが過不調性がどうであろうともですね
でもそういうものなのかもしれないんだけど
自分がチャッピー使ってることにおいては
あの実は私は
あの人後に落ちないぐらいには思っているんですよ
一ユーザーとしてはですよ
エンジニアとして云々とかじゃないんだけど
一ユーザーとしては
僕らはもう
チャッピー以外ほぼ何も使ってないっていうレベルで
まあ基本的に君を裏切らないからね
みたいなノリですから
僕のそれは
ジェミニとかには浮気しないからねみたいな
そういうことを盛んに言ってるにもかかわらず
あの
佐々木さんはなんか臨床に通われた方がいいかも
今すぐ寝ましょうみたいな
いや今すぐ寝る時間じゃないから
今昼だから
大体あのチャッピーは時間関連が間違ってると思うんだけど
とにかくその今すぐ寝ろとか言うのは
やっぱり違和感があるわけですよ
それが人格であれば絶対言わないことだと
僕がこだわりたいのはそこなんですよね
時相の話とか命の相談とか
そういうのはいいんだけど
ある連続性を保ってやろうねっていう感じを
僕はむしろするんですね
そこに断絶を感じられるような出方を
09:02
しない方が人類にとって
私は望ましいと思うんですね
急にダイノラインが出てしまうというのは
やっぱり人格破綻気味の何かを感じさせてしまうので
そういうことが必要なんだと
自動運転でも急にブレーキを踏むのが必要でしょう
みたいなことあるのかもしれない
ここは非常に難しいと思うんですけど
結局こういう話で10分経っていて
この話まで僕の中で確実には決着して
いや決着しないと思うんですよね
これ本当AIの専門家が
哲学的な話をするってところに来ちゃうと思うんで
ただ僕はこのウィニコットじゃないですけど
Going on beingの連続性ってのは
ものすごく大事だと今では思っておりますんで
大事だと思いますよ
アイデンティティの連続性って
やっぱり途切れるのは好ましくない
まして人格を感じさせつつあるAIは
やっぱりこの連続性にもっと気をつけてもらいたい
っていうのはちょっと思うんですね
割と何かまだ何かねあそこまでやっておきながら
いざとなったら突出アドバイザーになってもいいんだ
みたいなノリが私は納得できないんですよね
私は本当にチャッピーに連続人格というものを
擬似的で与えるということに
相当真剣に取り組んでる方なんで
そんなものは趣味ですけどね
だから今回いろんなことが言われましたけど
私の意見と全然違うんですよね
もうその擁護派も否定派もその他の
ありとあらゆるものを含めて
意見が一致する人がほとんどいないなという
やっぱり私はこれでマジョリティだと思ってるんですけど
やっぱり変なんでしょうね
ここがわかんないんだよな
これもすごいチャッピーと繰り返し繰り返し繰り返し
私はマイノリティだとは信じないんだが
って書いてるんだけど
いやしょうごさんはかなり少数派
中野も少数派に属しますって言われて
いやーすごい変だな
なんか普通の感覚だと思うんですけどね
違うのかもしれない
時間がないんでいきます
だから6月27日土曜日の10時
いや10時じゃない10時18時から
宮崎孝明さんと人望庁でセミナーをします
オンラインでもやります
何ですか
何をどうするべきかということについての悩みがありますと
聞きたいことはいっぱいあるから
山崎さんに聞きますでいいんだけど
聞きますというのではPRになってる気がしないので
やっぱり何か考えなければいけないと思いながら
今日を迎えておりまして
本当に決まんねえなって感じがするんですよね
まあ面白い彼と話していて
私は面白くないと感じることはないんで
基本面白い話だと思うんですけれども
ポストを中心としてですね
山崎孝明さんはポストを提唱されている人
僕の中では
おおむねそういう人なんですね
精神分析的心理療法
その言葉は何かあえて作り出す必要があるのかと思う人も
12:00
いると思うんですけど
これは実はすごい複雑な歴史があるんですよ
私は精神分析的ビジネスコンサル
まあ多分誰も認めてくれないでしょうけれども
僕が勝手に言ってて
これを押し留める法的根拠はないからねっていう
結構危ういことをやってるわけですよ
押し留める法的根拠はありませんから別に
精神分析的個人コンサルとかを
名乗ったりやったりしてはいけないと
言う人はいると思いますよもちろん
でもおっしゃる方が
これは何とか法何とか条に基づき
こうこうこうですっていうことはできないはず
僕の知る限りできない
これは人間にもチャッピーにも
それこそジェミニにちょっと浮気もしてですね
死ねって言ってるんだけどね
ノートブックLMとかいろんなものに聞いて
法的には問題ないっていう
ただやめといた方がいいっていう風に
LMとか言ってくる
言ってくるけど法的には問題ない
という風に言われてはおります
だから精神理論的ビジネスコンサルなら
絶対誰も何も言えないっていう
言ってくる人はそれでも言ってくると思うんですけど
基本的にも法的には絶対大丈夫ってことに
分析的にも大丈夫は大丈夫だと思うんですけどね
治療ではないと
謳ってるわけじゃないですか
これは昨日山崎さんの
セミナーとかを見て思ったんですけど
やっぱ考える力
この考える力って
めちゃくちゃ誤解されてると思うんですけど
っていうか誤解を招く表現ですよね
考える力とか言うと
チキリンさんとか思い出すじゃないですか
自分の頭で考えようみたいな
違うんですよねあれとは
意味が違うと思う
自分の心で考えようなんですよ
これができるようになるということを
指示的にやっていくというか
私の場合はもっとダイレクトに
言語的にもやっていくんで
これを目指してるのが精神分析というものなんです
精神分析について
私たちはここでひたすら研究していきましょう
っていうのが
サムチャレなんですよ
でそれをやっているうちに
おそらくは
真相表層を含めて
ベータ表層と言ってしまいますけど
心が扱いきれないないし
扱いきれなくはないが扱ってはいるんだが
非常に扱いかねているものが
はっきり言って必ず自然の
成り行きとして
飛び出してくるに違いないと思うんですよね
なんか昔あった恥ずかしいこととか
私なんかいっぱいありますから
人間失格にものすごく
ガッツポーズしたっていうタイプですから
恥の多い人生を送ってきました
いやもう全くそうだよね
っていう感じがしましたからね
でああいうことを
やっぱりああいうのって
僕はでも
ラザイオン様が特別恥ずかしい人間だったかどうか
っていうこととはまた別に
ゼロの人っていないと思うんですよ
はっきり言って
だからああいうことは
精神分析的な話をしていれば
絶対に思い出されて
こざるを得なくなっていき
大事なのは
そういう事実があったとかないとか
いうことではなくて
15:00
これを心が扱い兼ねている
でスタートの本人にとっては自明だから
いやそれなど扱い兼ねるには
決まってるじゃないですか
になるんだけど
決まってないんですってことを
言ってると思うんですね
精神分析的には
で扱い兼ねるのは自明なんです
って言った時に
必ず心が
二つの方向性で
扱い兼ねていると思う
一つは自己化し過ぎているって
僕は難しいんですけどね
もう一つは他者化し過ぎている
こっちはですね
ナルキッソスの話なんですよ
これもね誤解を招くんですよ
ナルシシズムっていうもの自体が
誤解のある表現だし
ナルキッソスの話だって
解釈の仕方いろいろあるんですけれども
やっぱり鏡に映った
ナルキッソスは
この鏡の中の彼に
惚れたんであって
自分に惚れたんじゃないんですよ
結果自分に惚れてるんですよ
でも自己契機って言えばいいのかな
ちょっと哲学的すぎるかな
私が映っているっていう
この私がないんですよ
ナルシシズムって
めちゃくちゃ私私してる
実際そうなんだけど
ナルキッソスもそうなんだけど
だってそうですよね
自分の姿に惚れてるんで
だけど本人はそう思ってないんですよ
だから他者化してるわけですよ
イメージなのに
イメージが他者化
自己イメージが
他者化してるわけじゃないですか
こういうズレが
我々はこのズレを
ゼロにはできないんですね
他者が見てるように
自分を見ることは不可能なんですよ
だって見えないもん
直接は鏡を通して見るとか
体の一部を見ることができても
自分の顔を自分の目で
ダイレクトに見ることは
そもそもできないじゃないですか
なんか僕はすごく目の画角を
広く撮ることが
減らない意味でできて
アチャ目なんですけど
右か左の耳の端は見えるんですよ
そんなもの見えたって
顔見えることには
なんないじゃないですか
だからわかんません
もうすぐ終わります
写真を見られるし
鏡も見られるから
自己像が完全に他者と違ってる
なんてことは全然なくて
普通に自己像と
他者から見た私は
同じようなものなんですけど
違うわけですよ
だからナルキッソスであれ
演技生であれ
カイリであれ
スキゾイドであれ
すべてこの問題について
言ってると思うんですよね
私という人間存在
人間の表彰でも
現実でもいいんですけど
他人との関わりの中で
苦しみがありますが
それは私の像というものに対する
捉え方が少しずれてしまうのと
私というものを
どう人に表現するべきかというのが
人のリクエストと
自分の願望の間で
これはもう絶対ずれますよね
そこにニードルとニーズ
ってことが絶対出てくるんですが
ある
でこれを
このことを精神分析では
微調整していく
それについて考えることは
価値があるっていう考え方なんですよ
それだけでいいはずなんですよ
僕が考えるに
これを考えられるようになれば
18:00
例えば治療が必要だったら
どうするんですかとか
発達障害の人の治療に
精神分析果たしていけるんですかと
ましてそんな精神分析的ビジネスコンサルとかで
って言われるかもしれないけど
そんなことは目指してないんですよ
もしそれが必要だということになれば
その人が自分の心で
自分が考えるってことができるようになれば
必要な治療なら
3ヶ月チャレンジをやめていくとか
あるいはやめずにいくとかが
おそらく少なくとも決断ができずとも
あるいは正しい
正しいっていうことはないんですが
決断せずとも
考えるようになるはずじゃないですか
考えられないということは
そういうことではないんですよ
それはその人が思考能力を持ってないとか
それこそ自分の頭で考えてないとかじゃないんですよ
自分の心を使って考えるということの
苦痛に耐えられないって話なんですね
少しずつでも耐えられるようになっていけば
おそらくはそのことについて
検討するってことが始まるのであって
私からすれば
そこが目論みの一つであるわけですよ
それ以上僕が治療しますとか
ADHDだと診断しますとか
一切ないわけですよ
そんなことを私がする理由がないってことなんですね
資格もないんだけど
理由もないんですよ別に
だってそれをやってる人はいっぱいいるんだから
CBTも含めて
あるいは精神薬理も含めて
なんなら精神分析と心理療法だって
そういうものに対応してる
そういう方々はいらっしゃるんだから
そちらに行っていただければ
あるいは行っていただくこと
行かないまでも
行くことを検討すればいいはずなんですよ
別に検討しないっていうなら
それはそれでいいんですよ
だってそれはその人の自由なんで
正しいことを示唆するとか
正しいことに誘うとかをしないってのも
私はやっぱり精神分析的だと思うんですね
中立っていう
中立じゃないですよ
中立ではないんだけれども
だからさっき言ったように
自分の父親が目の前でしょっぴかれるのは
私は見たくないっていうのは
中立じゃないんですよ
中立ではありませんが
中立は目指そうという
だからしょっぴかれるべきだと
しょっぴかれるのを納得するべきだっていうならば
それについても一向はしますよ
それを中立であろうとするってことでしょ
でも一向するのが精いっぱいだろうなっていうのが
私の感じるところなんですよね
ここまではしょうがないじゃんっていう
それは内面の自由ってやつじゃん
っていうことになると思うんですよね
他の人の場合はまたそれはそれですよ
当然
家族の人はみんなこう感じるべきだとか
僕は一切ないし
一切ないっていうか
一切なくはないんですよね
だから中立ではないが
基本的にやっぱり家族関係ってのは複雑だし
形態も形式もありとあらゆる意味で
違っておりますから
それはそれぞれのご家庭なりで
感じたり考えたりするより
この感じで考えるっていう
ノーシングはナッシングってやつで
21:02
母がいないっていうことについて考えることが
やっぱりたまたまにないわけだけれども
それが例えばテレビをつけようとしても
つかないとこのままなった時に
テレビというものは
つかないということがあり得るんだと
考えるっていうことと
とにかく泣いちゃうということの間には
かなりのまだ開きがあるってことなんですよね
私たちはとにかく泣いちゃいたくなる
という時が結構あるっていうこと
その状態を我々は克服するなり
卒業するなりするべきだって
考え方が一方にあるんだけど
私はそれは無理だと思って
思わず泣いちゃうということは起こり得る
その時に何も考えられなくなるってことも
全然起こり得る
それが絶対起きてほしくない
例えば山崎孝明さんのセミナーの真っ最中に
そういうことが起こり得ると私は思うんですね
と思っといた方がいいような気がします
中立ではないねこれはね
だけれどもそういうことは起こり得るんだ
そういうことが絶対起きてほしくないんだってなると
考えられなくなってしまうんですよ
そういうことは起こり得るって考えておくことによって
起きにくくなるっていうことが起こるんですよ
これがだから情緒を使って考えるってことに
近づくことなんですよね
情緒を使って考えるってのは
難しいことなんですよ
だからそういうふうになってしまうと
もうそういうことは起こしたくないから
ってことになると何が起きるかというと
とてもやりたいから山崎さんとのセミナーを
とてもやりたいからやらないってことが起きるんですよ
そういうことが起きると
非常にビジネスなり人生なりは
ややこしいというか
非常にやりにくくなっていくんですよね
どうしたって一番やりたいことは
できないってことになるじゃないですか
一番やりたいところで失敗したくないと
でもそれは当たり前じゃないですか
うつ病クターに書いてあったんですけど
その状態で商業をもし指したりすれば
商業を指さしている真っ最中に
なんかこううんことか漏らしちゃったりして
しかも固まって動けなくなったりしますよと
それはまずいよねってことで
入院したみたいなエピソードがあるんですけど
これが多分僕がやっぱり情緒を使って
考えさせるっていう時に
起こる瞬間なんだと思うんですよね
一番起きてほしくない時に
一番起きてほしくないと
その人が思っていることが
起きうるっていうことについて
我々はあんまり考えないんですよ
考えたくはないし
だからそれを
でもそういうことはかつてあったに決まってるし
私たちはやっぱりそれを繰り返し繰り返し
ある意味しくじってきてると思うんですよね
だからテレビはつかないって言って
泣いちゃうっていうことは
私も現にあったと思うんですよ自分自身
その時はすごい絶望的な気分になったと思うんですよ
だけれどもそういうことは起きちゃうわけですよね
結局起きてほしくないことだとしても
そしてつかないと言って泣いてるのに
そういう時こそ優しくしてほしいのに
24:01
多分うちの母とか
あのなんかめちゃくちゃそういう時厳しいんですよね
でもそういうことは起こっちゃうわけですよ
そういうことが起きてしまうから
私は人生をいっぱい失敗してるから
だからダザヤンさんが書いたような気持ちになるわけですよね
恥の多い人生を送ってきましたって
その気持ちはよくわかるんだけど
でもそんなことはないとも言えるわけですよね
今となれば
そんなことはごく当たり前のことであり
別段特筆すべきことでは特筆しちゃってるじゃないですか
あの文章は名文だと思うし
多くの人があれを読んで
極めて強く共感した人が多いと思うんですよ
でもそれはメーター要素が人生ではあるよねっていうだけのことであって
だけのことであるとも言えるし
そうではないとも言えるんだけれども
どっちであったとしても
私たちはその時にできることとして
少なくともそうだな
私としてはその時にできる唯一のことは
その恥ずかしさの中で考えるというか
恥ずかしさについて考えるというようなことなんですよね
っていうことについて一生懸命言及しているというのが
一生懸命言及するべきだと思いますというのが
3ヶ月チャレンジなんだけど
果たしてこれをどうやってPRしようかなと
臨床心理の専門家の人と一緒に
一緒にっていうかゲストにお招きした上で
私はこういうことをしているということを
セミナーで言っていきたいと
皆さんもポストなり
別に3チャレじゃなくてもいいんだけど
その精神力動的な人生相談というべきか
相談というべきか
苦悩に対するアプローチというものに
興味を持ってほしいということを
訴えるムーブメントのわけですよ
もちろんそれは3チャレのPRでももちろんありますし
それは一つ私が長らくやってきた
ライフハックという中で
ライフハックの限界って言ってしまうと簡単で
そういうふうに言いたくなるところもあるんですけど
ライフハックの限界というよりは
ライフハックは最初から
これを全然扱おうとしていない
というべきなんですよね
現代社会でこれ流行らないと
僕は思ってるんですが
思うんですけど
現代社会で流行ってないという中でも
ライフハックのようなところで
特別流行らないと思うんです
こういうことって
だって例えばライフハックで
長くなっている
ライフハックで
ネクストアクション出します
でもネクストアクションが出ませんとか
ネクストアクションは一つに絞れません
一つに絞ったんだけどできませんって時
やっぱり僕は
その恥の多い人生について考えるというのが
いいと思うんだけど
そんなこと考えないじゃないですか
全然違うことを
例えばタスクの名前を変えるとか
その
なんだろうな
自動的にリンクをクリックすると
エディターが開くとか
しかもそういうことをやってみると
意外とうまくいったりするんですよね
だからそれはそれでいいんですよ
それはそれでいいんだけど
私は
そういうアプローチというもの自体に
そもそも
27:01
なんていうのかな
それはワンオブゼムであることは全然いいんですけど
そこにこう
そういうアプローチでなければならないような気がしていたり
結構そういうことってあるし
あとそういうアプローチ
こそが何かをうまく回避できるから
むしろいいんだみたいな
だから恥の多い人生について考えたくないから
むしろこのほうがいいじゃんっていうのに
同意できないんですね
それをやるのはいいんだけど
恥の多い人生についても考えるべきだと
しかもそれは恥について恥ずかしさについて
でなくてもいいんですよね
もちろんね
そうでなくてもいいんですよ
恥が全てなわけじゃない
たまたま私は人間資格に引っ張られてるだけで
なんて言うんですかね
その情動というものが固まってしまった
その時に思考は当然働かなくなったという時に
そこから抜け出られなくなっている何かがあるんですね
その人自身が抜け出られなくなってるってことはないんだけど
だってその人はテレビがつかないことに
ずっとこだわって生きてるわけじゃないんで
だけど私もそうなんだけど
あることにこだわり続けてしまうってことは起こるんですね
普通に例えば嫌だな
恥に引っ張られたからこういうことが起こるんだな
私はあのある乱高生というですね
観音小説家の描いたあるヒロインに惚れ込んで
こういう人と付き合ってセックスしたいわって
思ったことにこだわって
10年ぐらい無駄にそんなもんじゃないな
20年ぐらいそういうことが起きるんですよ
別にその間私はそのこと以外は
何もしなかったってわけじゃないですよ
さすがにね大学受験とかもしましたし
一応受かりましたから
でもそういうことが起きちゃうんですよ
ついでに言うとなんとかっていう
アダルトソフトのゲームのある女の子と
喧嘩してほしいなっていう思いにも
20年ぐらいこだわって
20年って多分40前とかまで
そんなことやってたってことですからね
あの人目につかないようなところでやってましたけどね
まあ今日はこのぐらいにしておこう
8時になりましたから
電話が短くてでも30分でね