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おはようございます。グッドモーニングボイスです。
今はですね、8月11日木曜日、20時52分、もうすぐ21時になります。
真っ暗ですね。
意外とこのやり方が続いていて、確かに多分音声クリアなんだと思うんですよ。
これを朝にも撮れるようにするにはどうしたらいいかを今、様々考え中でおります。
8月14日の日曜日にですね、働く人の真相真理といった講座をやりまして、
こちらまだ空きがあるのでお盆のど真ん中ですけれども、もしよろしければですね、
4000円でご参加いただけますので、空きもまだ2、3は絶対あると思うので、
よろしければチェックしてみてください。
今喋っているような、このポッドキャストでは断片的にずっと喋ってきたような内容を、
細かくというか、網羅的に喋ろうという試みです。
私の考えですけれども、今存在しているメンタル系の話というのはですね、
セルフケアというのかな、自分自身が今困っていることにすぐに役立てようと思ったとき、
結構難しいところが多々あるなと思うんですね。
そうは思われないと思うんですけれども、これ番組聴いている方はそうでもないかもしれませんが、
フロイトとかユングというのは、割と直接自分の役に、今すぐある程度は取り付く島があるんですよ。
そこのところをいろんな方にお伝えしていきたいというぐらい、今は精神分析があまりにも体調ムードで、
本当にですね、ごく基礎的な教養ですらなくてもいいものになりつつあるというか、
そういった感じがあるんですよね。
これをなんとか巻き返そうというのではそもそもなくて、私は精神分析派とかじゃないんでね、
巻き返そうとかいうわけではないんだけれども、これを役立てるのが一番、
ライフハックをやっている人とか、仕事術というのはつまり仕事をうまくやりたいという話だと思うので、
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そういう人に役に立つだろうと。
もちろんGood Vibesもそうなんですけれども、何にせそういうものを私は伝えていくのが今、
ライフワークなんだろうなと思いながらやっています。
そういうセミナーの一つだと。
大盛況になるとかは最初から考えてはあまりないんですよ。
少しずつこれが浸透していったらいいなと、口コミに近い形でですね。
それにしても誰かがやらないわけにはいかないと思うので、
戸綾香伊人さんがある意味、すごく広範囲になさっている仕事とも似たところはあります。
でも戸綾先生は臨床心理師ですから、ある意味そういう方向性でいるのは自然ですけれども、
私はやっぱりそういう方面じゃないんですよね。
仕事術の方からこれをやっていきたいなと、そういうことです。
昔はもっとあったんですよ。
おこのぎ先生とか、それこそ戸綾香さんとか、かいはゆさんはもちろんですけれども、
いろんなごく普通にそういうメンタルというのか、
心相心理的な話が働く人向けに新書でどんどん出ていて、
みんな読んでいたみたいな時代が確かにあったはずで、
それがなくなってしまったわけですね。
はい、すいません。途切れちゃいましたね。
今日はですね、いろいろイレギュラーにして、
私もちょっと朝方調子が悪くてですね、
もうだいぶ回復しているんだけれども、
ちょっとやっぱり暑いんだと思うんですよね。
暑い時に私ちょっとお腹壊すことがあって、
それで熱中症気味でなんかちょっとやっちゃったりとか、
腰も久しぶりに腰痛が出ていて、
いろいろややこしいなという感じで、
今晩寝れば復活するという感じなんですけど、
こういうのもですね、天気予報みたいに自分の体が
予想通りに調子崩してみたり、
この辺で回復するだろうみたいなのに
あわせてきちんと回復してみたりですね。
単純に言って弱くなったんだろうなと、
無理をしなくなったし、
気をつけていれば元に戻ってくれるみたいな
そういう今フェーズですね。
何の話をしていたかというと、
だから深層心理というのは、
今働く人のいまいまに役立つだろうし、
役立てていきたいという考えが
私の中で今、とても重要だと思っています。
その考えが私の中で今、とても色濃くありまして、
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今日もですね、
今日は体調が云々ということもあって
軽い話をしようと思ったんですけど、
なぜかという時にもう一回言って、
時間も微妙なイレギュラーな感じなのに
ひらめくのがですね、
ちょっとリストカットみたいな話なんですよ。
どうしようかなって今日思ってたんですよね、実はね。
私このリストカットって女性が多いってされてるじゃないですか。
私でもそう言っても、
手が傷だらけの男性ってのも見たことがあるんですけども、
これ一体何なんだろうと、
私にはちょっと分かんないなって思ってたんですが、
実はそんなことはないんだなっていうのを最近、
不意に知ったんですね。
じゃあお前知ったのかっていうと、
そうじゃないんですよ。
そうじゃないんだけど、
つまりあれ、自傷って行為なんですけれども、
自傷って何なんだろうって思ったら、
いやいや、自傷ってヒステリーにあるじゃないかと、
不意にごく当然のように思い出したんですね。
ヒステリーというのは、
例えば、
非常に自己愛的に言うと、
親の関心を得たくて病気になっちゃうとか、
もうちょっと言うと、
大事にしてほしくてなんかすると、
あれ?って思ったんですよ。
いや、こんなのはもう心理的にはごく当然の心理であって、
誰でもすぐに考えつくことだよねと。
例えば小さい子供ならば、
そういうことを考えたとして、
何ら不思議はないですよね。
少しちょっと病的かもしれないけれども、
別に驚くようなことではないですよね。
あれ?って思ったんですよ。
私、何でリストカットが今まで何か分かりにくいんだろうと、
思ってたのかと。
これは、相的防衛というものと対になっているなと思ったんですよ。
自己愛と言ってもいいんですけど、
自己愛と言えば結局なるシズムですけど、
自己愛というのは特に、
自分大好きって話というよりは、
やっぱり重いヒステリーかなって感じがするんですよね。
例の、
嫉妬でもいいんですけど、
ジャッジしてくれる人の関心をとても買いたいというふうに考えてもいいです。
ジャッジする人、例えば会社で言えば上司ですよね。
上司に恋しちゃうみたいな感じ。
ここから非常にややこしい問題が多々出てくると思うんですけど、
上司に恋すれば、上司は自分を良くしてくれるだろうと。
良くしてくれないならば、病気にでもなってやれぐらいな。
そういう人は私も、
会社で何人か見ました。
別に不思議な話ではないですよね。
ジャッジする人といい関係になれば、
良いジャッジしてくれるわけだから、
当然そこに入っていく可能性がある。
逆に言うと、
良いジャッジをしてくれるというのを
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これほど強く望んでいるのに、
大してジャッジしてくれないというのは、
相手は最悪だということになると。
こういう理想化と脱獄というのは、
最高と最低が両極端に触れるというケースは、
至って分かりやすい。
あれ?と思ったんですよ。
ここでリストカットしてみせるという真理は、
分かりにくいかというと、
全然分かりやすいよね。
と思ったわけですね。
結局、
この番組でもよく言っている、
相的防衛というのも、
至って分かりやすいんですよね。
相的防衛というのは、
ある意味、
それをやっている人にしてみれば、
分かりやすい感覚だと思うんですよ。
はためでは、
何なんだあいつはと思う人もいるかもしれませんけれども、
これを果たして精神障害と言ったり、
できるだろうかというぐらい、
人間真理としては、
ごく自然のものであって、
例えばですけれども、
ある男性が、
ある女性を理想化すると。
もう多々見られますよね。
恋愛って全部それなんじゃないかと言っていいぐらい、
この女の子と付き合えれば、
自分の全人生はうまくいったも同然。
昔、
これは本当誰でも考えそうなことなので、
もはやそこに、
個性とかはいらないような気すらするわけですよ。
とにかく理想化しちゃうと。
最高の女の子。
とにかく理想化しちゃうと。
最高の女の子。
その最高だったはずの付き合いが始まると、
いきなり最低だって言い始める。
非常にどこでも見られる現象ですよね。
別れて、
別れるということが相手にとっては、
罰になるというふうに考えるわけですよね。
別れてはしてやれぐらいな勢いで。
そうになっちゃうわけですよ、
そのときは。
そして、自分を防衛すると。
そして、
自分を防衛すると。
そして、自分を防衛すると。
ちょっと自分の何かに口出されるのが耐えられないと。
ちょっと自分の何かに口出されるのが耐えられないと。
よく見られる現象ですね。
俺のやることに口出すんじゃねえみたいな、
そういうことを言うわけですよ。
そして、それでも口を出してくるということになると、
罰として分かれると。
最初のこの理想化はどこへ行ったの?
最初のこの理想化はどこへ行ったの?
というぐらい猛烈に
立つ価値か言うんですけれどもね。
下げすむわけですね。
下げすむわけですね。
よく見られる光景ですよね、これも。
よく見られる光景ですよね、これも。
会社でさっき言った
上司を最高のお父さんだとみなして、
上司を最高のお父さんだとみなして、
一生懸命尽くすんだけど
昇進させてくれなかった。
あれはもうだめだと。
あれはセクハラとパワハラの塊だみたいな。
いきなりこう、ひっくり返ってしまうわけです。
いきなりこう、ひっくり返ってしまうわけです。
そのことを思い知らせるために
自分がどれほど重要な存在だったかを
思い知らせるために寝込む。
知らせるために寝込む。 自分がどれほど大事な存在だったかを思い知らせるために
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死んじゃうと言って脅すとかね。 あのアンナカレーニアの最後で本当にそれでアンナは死んじゃうんだけど
あれは本当だから死ぬ直前の心理描写が悲惨なんですよ。 死ぬ直前の心理描写が吐けるのは小説家だけだと思うんですよ。
神様じゃなければ。 本当に死んじゃってるんでわかんないですよね。その時何考えたのか。
でもアンナは夫を罰するために自殺するわけですよ。 死んだら佐川の人は嘆くだろう。いい君だ。
これがいかに泥沼な自己愛かというのはもう 明らかですよ。
死んじゃったらどんなにいい君かということを自分で確認することができない。 それすらもうよくわからなくなってしまっていて
死んじゃうわけですよね。 で電車が自分を引く直前になってああって思うわけですよ。
アンナカレーニアは。 何を私はしようとしてたんだっけ。とんでもないことだと思ったんだけど間に合わないから
十字架切って引き殺されると。ネタバレですみませんね。 すごい悲惨なシーンだなぁと私は思います。
同時にとっても人間ってここまで子供っぽくアンナカレーニアってめちゃくちゃ 聡明な女性として描かれてるからあのシーンの悲劇ってなかなかなものなんですよね。
一番僕がそれに匹敵するなぁと思うのは何故かコミックしか思いつかなくてですね。
一つはあの風と木の歌で主人公が死んじゃうシーン。 あのシーンの悲惨さが近いなぁみたいな。
もう一つはこれもだいぶ違うコミックですけど
ダメだタイトル出てこないのでこっちはパス。 とにかく風と木の歌の最後あそこまで読むとあのシーンの悲惨さを感じるんだけど
それよりアンナカレーニアの方が長い感じがしますからね。 何でもいいんですけどとにかくそんなことやったって相手はパスせないんですよ。
そこを取る人はやっぱりリアリストだから。 確かにアンナを失った愛人のブロンスキーって人はすごく抑鬱的になるんだけど
明らかにアンナが望んだような心理的なパスされ方はしていないということまできっちり描くんですね。
非常にこうある意味冷徹だなって思いますね。 すごい作家だというのはあの辺にあるんですよね。
決して望んだようなパスされ方はできないんですよね。 その辺がやっぱりミトコウモンみたいなわけにはいかない。
読んですっきりざまみろみたいな感じでは終わらないんですよね。 その辺がやっぱり面白いところでもあるんですけど。
リストカットっていうのはそれを電車に引かれるんではどうしようもないから。
言ってみればそれがどんなに悲惨なことかということを思い知らせるところを目撃できるようなやり方をするということです。
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そういう意味では大変演技的って言われているものであるのはやむを得ないところでもあるんですよね。
これとまたちょっと違うバージョンなんですけれども、 創造妊娠っていうのがやっぱりこれと近いと思うんですよね。
創造妊娠っていうのはだいたいヒステリーの一つの型として、 全く最も古典的な、一番最初のフロイトがヒステリー診断をしたと。
フロイトじゃないんだけれども、アンナ王ですよ。 アンナ王が創造妊娠するんだったと思うんですけども、
その相手のブロイヤー先生は本当にただのお医者さんなんだけれども、 本当にただのお医者さんが診断して相手をケアしているのに相手が創造妊娠するって明らかにおかしいじゃないですか。
どう考えてもブロイヤーをお父さんだと思い込もうとアンナ王が必死になった。 無意識がね、必死になった。
そしてブロイヤーの奥様が、アンナ王とあんた不眠してるんじゃないんでしょうねという感じになってた。 この辺はもう逆転移ですよね、完全に。
本当にただの医者患者の関係であれば、そんな風に考えられるはずはないわけで、 いやいやあれはただの患者だからと、これは私の仕事だからで済むはずなので済まなくなっちゃう。
転移と逆転移ですよね。
そこに恋愛関係のようなものが擬似的に進行してしまうと。
挙句の果てに妊娠までしたことになってしまうというのは、非常に何かを目指しているわけです。
罰がそこには絶対ありますよね。この男を私を捨てるならばしてやるといった妊娠ニュアンスがあります。
ドステフスキアテリが非常に得意とする、愛と憎しみが表裏一体の世界、ワンセットだよっていう話ですよね。
いくらもあるわけですよ。私もリストカットを自分がしたことがなくたって、総的防衛は山ほどしているわけですよ。
恥ずかしいからあんまり具体的な事例は出しませんけれども、そうするに別れてやるっていうことが、相手を罰するというふうな心理にハマっているんですよね。
これにハマっているときは、ナルシシズムが病気だって言っても過言ではないレベルだなと。
そこまでは言わないにしても、このままの気分で別れれば必ず自分が後で欲打つに苛まれる。
もうこれ、一つのパターンみたいなものだと思うんですよね。
もしこの流れを追うことが仮にできなかったとしても、相手を罰するために別れるなり、狂言にせよ死んじゃうなりっていうことを言えば、後で必ず自分が鬱になりますよね。
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これはもう確実な線だと思うので、別れることが云々ではないんですよ。
別れてはいい悪いはないんだけど、この線で別れるのは絶対後々自分が鬱になるよっていう約束をしているようなものだと。
現に私、この種の話は考えただけでも欲打つ的な気分になってしまうので、本当にアホだなって思うんですよ、自分ではね。
後ではそう思うんですけどね。
この辺は倉園さんの説明の方が精神分析なんかを紐解くよりもはるかに早い。
つまり罪と罰ですから。
罪を見るわけですよね。
アンナ・カレーナは愛人に罪を見るわけですよ。実にくだらない罪です。
私がこんなにあの人を愛しているのに、あの人はどっか遊びに行ってると。
それがもう許せないわけですよ。
それがもうずっとあるから、もはや死んでみせるしかないっていう話になっちゃってるわけです。
正気とはとても思えないんですけど、その辺の描き方がものすごくリアリティがあるので、とても痛々しいわけですが。
でも自殺するってことはすごく欲打つ的ですよね。
そしてこの罰は両方に下るんですよ、どうしてもね。
なぜなら上手くいってない関係が罪だということになってくると、
上手くいってない関係っていうのは、相手が100%相手だけを罰するってことはできませんから。
相手のことが好きなわけですから、相手を完璧に罰してしまうということは、自分が同時にその罰を受けることになっちゃうわけですよ。
そして死なないまでも打つにはなりますよね。
要するに相手を失ったときに必ず、これ結局相手が悪いから失う。
相手を失いたくないわけじゃないですか。
でもなぜ失うようなことになるかというと、それは相手が悪いからですよね。
よくありなさいってことですよね。
つまり失いたくないってことですよね、相手が良ければ。
こういう相手を失った場合は、喪失感で必ず対象喪失が起こって、欲打つ的になるんですよね。
これはお約束みたいなもんであって、リストカットであろうとなんだろうと、それって破壊的ではないですか。
しかも破壊に罰を滲ませているわけですよね。
この破壊の罰は必ずもうリストカットなどというのは辞書っぽいって言われるぐらいだから、必ず自分がその瞬間受けてしまうんですよね、その罰を。
本当のところ相手がそれによって心理的なダメージを食らうかどうか食らうと思いますけれども、受けるかどうかは保証の限りではないのに、
自分はもう傷ついてしまう、傷つけられてしまうわけだから、この段階で欲打つに入っていこうとしているわけですよね。
だから絶対この線で関係を破壊するのはまずいっていうことだと思うんです。
必ず強い相の後には打つが来るわけですよね。
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要するに罪の後には罰があって、罰の後には罰される自分っていうのがそこに取り残されるわけだから、
その時どれほど、それこそざま見ろと思ってスッキリしても、
最近読んだ戸綿さんの心だけが見つからないの、本の中でも、
スッキリというのは本来の自分を取り戻すためには一つのやり方としていいと、
これは非常にアンビバレントな言い方なんですけど、とりあえずそう書いてあるんですね。
だけれどもあんまりスッキリしすぎていると、
スッキリというのは結局毒を吐き出すという側面、
毒を自分から排出するという側面の他に栄養も必ず一緒に押し出してしまう、
押し流してしまうという部分があって、その後ゲッソリするよっていう、
これが非常に上手い書き方するなと思ったんだけど、
スッキリというのが総的ですよね、総的行為です。
まあ何でもいいんですけど、排出という言い方を実はしますよね。
排泄といったりもします。
そしてその後にゲッソリというのが打つなわけですよ。
そう打つですよね、これが。
なるほどなと思うんですよ。
上手いことを言ったわけですよね、精神分析の人たちは。
で、クラゾンさん、クラゾン刑事さんのグッドバイブスみたいな流れで言えば、
罪を見るわけですよね。
何か悪いこと、そこに罪悪があったと。
その罪悪というのはさっきも言ったように、
私がこんなに大好きなのにあの人遊びに行ってる悪い人、そういう罪悪ですけど、
罰、罰したいということが起こって、そしてこう罰されるんですよ、自分が。
残念ながら関係に対して罰が下ってるんで、
もし関係がないんだったらこの罰何の意味もないじゃないですか。
これは明らかに恋愛関係ならではの罰ですよね。
恋愛関係にも何もないのに遊びに行ってる人を罰せないし、
その罰が例えば自分がひどい目に遭うという罰であったら、
実におかしな話になってしまいますから。
これは知らず知らずのうちに相手の相手を罰しようとしてるんだけど、
関係を罰しようとしているわけですよね。
関係罰る以上、関係者である自分は必ず同時に罰されるわけです。
これが一見どれほど理不尽に、理不尽でもなんでもないんだけど、
多分当事者にはすごく理不尽だと思うんですよ。
あんな彼女にとっては、なぜ自分が罰されなきゃならないんだって思うと思うんだけど、
でも死んじゃったのは彼女だけだったんで、
あれはすっごく身につまされる、非常に教訓としての話としても
強いなって思うんですよね。
モラルって感じが全くないんですよ。
ただ彼女が空転して、自傷し自罰し、
一人だけ、そもそも彼女は自分から望んだわけでもない愛人関係なのに
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強烈に巻き込まれて、勝手に空転して破滅するといった話なんですよ。
めちゃくちゃ理不尽ですよね。
だからこの理不尽はどれほど相手が悪いと思っても
意味が全くなくなってしまうので、ここに気をつけるべきなんですよね。
なんとかしてここで持ちこたえないと損死じゃん、どうしても。
損得って話じゃないのかもしれないけど、
あれを読むとやっぱりこんなに損なことはないだろうって思ったんですよ。
誰がどう考えてもこれでいい目見てないのだけは確実なので、
小説としては僕が思うに世界最高傑作だろうと思うけれども悲惨な話なんですよ。
で、あれの片鱗でも自分は食らいたくはないなって思っちゃいますよね。
損臭いなってことですよね。
だから損と鬱っていうセットだっていう意識は置いといて、
その時どれほど自分が、ある意味損って不思議なんですよね。
元気いっぱいであいつを罵したらどんだけスッキリして
俺はもう自由になれてうんどん噛む。
要するに元気いっぱいなんだけれども、その後ドーンと来ると。
もうそういう流れなんですよね、これは。
だから分かれるんだったらば、損でやらないっていうことが大事かなっていう。
今回はそういう感じの話。