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2023-12-04 46:08

未来の不安は空想【GMV895】

人は一人でいる時ほど夜に掴まれやすくなる。

サマリー

グッドモーニングボイスは最近の活動や未来への不安について話しています。心理師の協力やタスクシュートの効果についても触れています。このエピソードでは、人々が未来への不安を持ち、夜に不安を感じることについて考えています。赤ちゃんの頃からの空想の世界は、性的なテーマに関連して混乱しやすい状態であり、男性はそのパターンに続きやすいです。その状態では、自分の攻撃性や支配力について無意識のうちに自覚することはありませんが、19歳になると夜につかまれると不安を感じます。夜に出てくる幽霊やお化けは、不安に対応しており、自分の攻撃性を無意識のうちに夜に投影しています。自分の投影によって現実と空想の区別がつかなくなり、不安が増幅されることが困難になります。人の空想と自分の空想は異なりますが、妄想度や空想度では変わりません。現実の無さの意味では、そこに差はまったくありません。だから、夢から覚める方法がないと思いますが、他人が私たちを夢から覚めさせてくれるのです。

グッドモーニングボイスの最近の活動
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
12月の4日、月曜日、7時28分ですね。
ちょっと間が空いてしまいましたね。
たぶん2日、3日、もしかしたら2日やったかな。2日はですね、
その3ヶ月チャレンジの方に心理師さんをゲストにお招きするという、やや大掛かりな、僕にとっては心理的に大掛かりなことをやったために、もしかしたらスキップしたということで、
3日はですね、昨日ですね、つまり書き上げ塾に、月に1回の書き上げ塾だったので、
これもちょっとグッドモーニングボイスを撮ってから行くぞって思ってたんですけれども、
起きた時間をタスクシュートで見てみたら、というか起きてタスクシュートを見てみたら、どうやってもそうはならないという。
朝食省けばできるんですけれども、朝食省いても際どいなっていうレベルだったんで、これは諦めようと。
この辺がですね、タスクシュートの大変、タスクシュートの本領という感じなんですよね。
今日若干その話できるかと思うんですけど、
諦めようって今言いましたが、実際には僕は心理的に諦めてる感じは全くしてません。
実際には、見た瞬間に、グッドモーニングボイス、これを撮ろうという気持ちが消滅するんですよ。
全く跡形もなくなくなってしまうんですね。まるで夢のように消えてしまうんですね。
これを言うと、理想を諦めるんですか?みたいに、極端なケースではそう言われるんですけど、
そう見えるのかもしれないんですよね。でもリアルではそういうことでは全くないんですよ。
だって夢が、さっき見た夢のことをもう思い出せない。これは何かを諦めているかって感じはしないじゃないですか。
夢の中で何かハンバーグ食べようって思ってたと。でも起きてみたら全然そういう気はしない。
これは夢を諦めているの?夢、夢。理想を諦めているんでしょうか?っていう問いに対しては、
これは理想と関係なくないかって感じしかしないと思うんですよね、当人にとっては。
タスクシュートっていうのは完全にこういう効果を生むんですよ。
これを恐ろしいって思うのは、僕は過ぎ違いだなって感じが今はとってもするんですね。
さっきまでは夢を見ていたようなもんだ。だってグッドモーニングボイスをやって、ご飯も食べて、
かき揚げ塾に行けるという夢を見てたんですよ。でもそれは夢なんでね。
これが心の中から消えてしまっても困ることは何にもないんですよ。
そういうふうに私は思うんで、タスクシュートを使ってて一番本領発揮してるのはこの辺りなんですよね。
諦めるっていう表現を多くの方が使うんですよね。リアリストになるとかね。
それは夢を見ているときはそう見えるんですけど、そういう事実はないんですね。
別に諦めてる感じとか、諦めるとか、我慢するとか、妥協するとか、リアリズムに徹するとか、
全部すごく意識的な努力を感じるんですけど、そういうものが一切ないんですよね。
スッと消滅して、さっきも確かにあった気がするけど、もうないっていう感じ以外は何の感触もないんですよね、そこには。
それが非常にタスクシュート的だなと私は思う。
だからこれには諦めるとか妥協するっていうのが妥当だと感じはしないだけです。
昨日はGood Morningのボイスを録れなくて、今ちょっと申し訳ないとは思ってないんだけど、申し訳ないですと言う。
毎日やりたいのは確かなんでね。
これが毎日やりたいというのと、毎日できるわけではないのは両立するんだと思いますよね。
12月にもなり、4ヶ月経ちました。
タスクシュートと夢
僕は確認した限り昨日なんですけど、ようやく私とJ松崎さんの協調が完了となりましたので、
ちょっと今日Jさんと協議の上、どういうふうに今後この本を告知させていただくかを決めると。
合わせて関連イベントなどもですね。
12月30日にプラゾン経路さんとこれの関連イベントではないんだけど、
でもこの本の出版記念的なものをすでにやることに決めておりますし、
来週23日土曜日、これは再来週になるのかな。
クリスマスイブイブとか昔言ってた時代もありましたが、今も言うのか知りませんが、
この日にもJ松崎さんともこれにまつわるイベントをやろうと思っております。
その辺が告知ですね。
あらいぴろよさんの隠れ道してましたという漫画は割と有名なんですけど、
私は彼女のその続編の方が基本的に圧倒的に面白いと実は思っているんですね。
隠れ道してましたも驚くほど深刻な作品で、
全然タイトルと途中からガラッと雰囲気が変わるんですけど、
書きたかったのは後半なんだろうなって感じがあるいは最初書いてる時はそういうつもりはなかったのかもしれないけど、
後半の方に行くに従ってああいう話になったんだろうなとも思わなくもないんですけど、
こういうこともよくあるんですよね。
この辺はタスクシュートとは違うけど、正解は事後にしかわからないっていうのが私の最近のホットトピックでして、
昨日も書き上げ塾でそういうお話をしてきたんですけれども、
例えば本を書いてみるまで正解はわからない。
すべて書き上がった後で、ああ俺こういうことが書きたかったのねっていうことがわかるんですよ。
途中でだいぶわかるんだけど、そういう意味では本を書くという行為はすごくミステリーなんですよ。
書き始めた時は全然違うことを考えていることが多いですね。
私は自分の本に関してはほぼ例外がない。
50以上は書いてきたと思うんですけど、全部そうなんですね。
事前に考えていた通りにはことは運ばないってことはですね、
以前たくさんという方にインタビューされた本がまとまった時にも出てきた話なんですけども、
私はこれは例外がないんですよ。
だから私はアウトラインは作りますよ、出版社さんに向けて。
でも私自身はこのアウトラインを信じたことはないですね。
大昔最初の1,2冊の頃は少し信じてたんだけど、
これやっててもダメだなということが即わかったので、僕についてはですね、
そんなことやっても無駄だと。
わかんないと不安じゃないかって話が出てきやすいんですけれども、
不安じゃないんですよ。
わかんないと不安だというのはわかると思ってるからそうなのであって、
わかんないからといって不安になる理由は全然ないんですね。
わかったことはないんだから。
本当にわかんないことが不安になるならば、
私は人類はみんな80億人とも不安で不安で仕方ないと思うんですね。
だってわかってる人はいないんですからね。
ここに幻想を持ってる人はいっぱいいるんですよね。
わかってる人がいるんだという幻想ね。
プラスいつか自分もわかるんだという幻想を抱いている方はいらっしゃるんだけど、
こういう方は不安のはずです。
まだわかってない段階では不安のはずです。
でも、私はわかんないのがデフォルトとしか思えない。
だいたいタスクシュートが毎日のようにそれを語ってきますからね。
わかった試しないぞお前。
だから今後わかることも永遠にないぞと。
それによって不安になる理由はないわけですよ。
わかったことがないのに不安になったり不安にならなかったりしてきたわけですよ私は当然。
不安になる日もあれば不安でない日もある。
しかしわかったことはないわけですから。
だから不安とわかることの間には関係が実はないはずなんですよ。
こう言っても納得されることは大体ないんですけどね不安だという方に。
その理由を今日はお話ししたいと思っているんですね。
未来の不安について
結論だけを言うならば非常にこれは簡単です。
非常に簡単なんですよ。
未来に自分の不安を投影しているから不安なんですね。
非常にこれは簡単なんですよ。
僕ら未来がわかっているはずはない。
正直に考えてみれば多分未来についてわかっている人はこれを聞いている方の中には一人もいらっしゃらない。
これはもう僕は絶対そのはずだって思ってるんですね。
もちろん僕もわからないわけです。
だいたいわかっているぐらいならば、
例えば先日の心理師さんですね。
心理師さんもすごい僕の勝手な目線なんですけど、
割とガチッとした方で自信ありそうな方で、
未来に不安なんか持ってなさそうな方なんですけどね。
彼はわかっているから不安じゃないわけじゃないんです。
わかっているから自信持っているわけじゃない。
わかっているから安心して生きているわけではないと思うんですね。
なぜなら私が先日トラケンナイトみたいなね、
3ヶ月チャレンジとかもそうですけど、
私の活動に先生出てゲスト講師としてお招きしてもよろしいでしょうかというメッセージを送ったんですね。
僕はね、そういうメッセージを突然送る人なんですよ、私はね。
そしたら彼はとても意外なことが起きたっていう反応で、当然なんですけど、
その後Zoomで打ち合わせた時も、なぜ私なんですかっていう感じだったんですね。
これは彼が私から佐々木翔吾という人間から、
これこれこういう日に依頼を受けるであろうって全く予想できていなかったという反応に僕には見えた。
だから彼が不安なく生きているのは未来が見通せているからでは全然ないんですよ、間違いなくですね。
そんなことはあり得ないと僕は思うんですよ。
僕の反応がよっぽどあれが芝居がかったので、
いや実はもう完全に2日前から佐々木という変な奴から依頼が来るのは知ってたんだけど、
それだとおかしいから驚いてみせたんだよっつんならば、わからないですけど、
そういうふうには僕には見えなかった。
だから彼と言えるも未来が見通せているわけではない。
心理師さんなんでね、超能力者じゃないんでそういうことはあり得ないんだけれども、
でも多くの人は未来を見通せる人がいると思っていらっしゃる人が多くはないと思うんですけど、いらっしゃるんですよね。
そしてAIか何かで未来が見通せるようになれば安心して生きていける。
絶対そんなことはないと僕は思うんですけどね。
だって未来が見通せたとしてもですね、だからガザの空爆はなくせるとかそういうことにはならないと思うんですよ。
単に見通せるだけではね。見通せて手が打てなければならないわけで、
そうなってくると変わらなくなってくると思うんですよね。
確実にこういうひどいことが起きるってことがしばしば予言されてたりというか予告されてるじゃないですか、
それを防ぐのも非常に簡単なことではないですよね。
私たちはこの問題は個人にもはまってきていて、
現代のような社会ではね、病気があって嫁を宣告される。
これ宣告っていう言い方をしてますからね。
これだけでは不安がなくなるわけではないですよね。
でも我々はそういうことがなかったとしても、未来に関しては全く見通せていない。
そしてそれを不安だというふうに捉えてしまう。
これは誤解だと思うんですけれども、錯覚してしまう理由があるんだと思うんですよ。
それは私は自分が最初から実は不安なのを未来に向かって投げていて、
夜に不安を感じる
しかもそれが無意識だからよくわかんないことになってしまっていて、
未来がわかんないから不安なんだなというふうに誤解して、
そうではなくて自分が不安なんだというふうに考えれば、
手取り早いと思うんですよね。
私はこの不安を外に向かって投げている。
これがですね、わかりにくいということであれば、
夜道歩いてて怖い人、人が襲ってくるとか、そこからイノシシが出てくるという話ではないですよ。
とにかく夜道というものは、昼は怖くないんだけど夜は漠然と不安だと。
要するに幽霊が出るんじゃないかと思ってるってことですよ。
で、出ないこと知ってるわけじゃないですか。
これちょっとね、人によってはいやいや幽霊って実在するんですからね、
佐々木さんっていう人もいらっしゃるんでね、
ちょっとその話を一旦置いといてほしいんですよ。
幽霊を見たことはないんだけど何かが出るってそうで怖いって思ってる人は、
確実に自分の不安を夜に投影しているわけですよ。
だから先日津毛さんのね、夜は掴むって夜が掴むっていう有名な作品を紹介しましたけど、
あれを僕らは笑えないってことなんですね。
僕らは夜に、夜暗い黒い空間に、枯葉花とかでもいいんですけど、
自分の不安を投影して、怖いと。
つまりおっぱいがなくて困ってる赤ちゃんと全く同じで、
恐ろしい、怖い、苦しいっていうこの気持ちが先にあり、
それにふさわしい現実とはどんなものだろうなど、どんなものなんだろうと空想し、
それを視覚の代わりに奥の目の前に多分、間違いなくそういうことをやってますよ、僕たちは。
しょっちゅうそれもやってます。
だから、暗闇に何かを見ちゃうわけです。
これを、この暗闇が未来になったと思えばいいわけですよ。
この未来に、僕たちが不安だ、苦しい、怖いと思っている現在のその無意識の心理状態というものに、
ふさわしい未来を勝手に空想し、そういう未来が待っているんだと思うから恐ろしいんですよ。
それは恐ろしいですよ、当然。
だって恐ろしい自分の心理にこうしている、ちょうどぴったりくるような現実を空想して、
不確定な未来
それを未来に置いてるんだから。
だって未来って見えないじゃないですか。
空想するよりは絶対ないですよ。
未来見えますみたいな。
これは、この話に僕は付き合わないことにしているんで、申し訳ないですけどね。
そういう人もいらっしゃるから、世の中には。
UFOは絶対あるんですって話と同じで、僕はその話は一旦脇に置きましょうと。
未来見えるんですって話になってくると、もうこの話に全く通用しなくなるんで。
私の特殊な頭の上の髪の毛によって、なんかそういう、いたじゃないですか、手塚治虫さんのキャラクター。
未来は手に取るように見えるわみたいな。
それは別、その話は別ですね。
あくまでも僕と同じ能力しかない、未来についてやってるのは空想だと。
これがどんなによくできた空想だとしても、空想ですから絶対に。
そこには自分の心理状態が必ず適応されてる、反映されているわけですよ。
だから、未来バラ色だと思ってる人は、自分が今気持ちいいってことを言ってるわけですよ。
だから、夜だってですね、全然見え方変わるじゃないですか。
例えば今日クリスマスイブですと。
長年ですね、全く自分もてなかったんだけど、今年は素晴らしい恋人できました。
絶対24日の夜には幽霊出てこないでしょ。
これはおかしいじゃないですか。
これでですね、自分の心理を投影していないと言うんだったら、一体何を心理投影と言うんだっていうぐらいなもんですよね。
世の中のイルミネーションがあるから幽霊出ないとかっていうのは合理的ではないと僕は思うんですよ。
問題なのは、むしろそこに何を見る心理状態に今なってるかということの方がはるかに重要で、
未来なんていうのは全然見えないから、全く目に見えないから、
放映の対象としてはうってつけなんですね。
好き勝手なことを未来に思い描くことができちゃう。
未来と不安の関係
しかもそれがもっともらしければ現実だと僕ら平気で思い込めるという。
当たったことないはずなのに、
いやーもう未来はお先真っ暗でみたいなことを平気で考えて、
そして勝手に不安になった気になるんだけど、不安になってるのは先だってことです。
この差はすごい大事なんですよ。
どっちでも同じように思えるかもしれませんけど、僕はすごい大事だと思います。
まず不安が先にあり、それによって未来を不安に、
ふさわしい未来を作り出している。
しかし本人はそれを無意識にやってるから全然気づかずに、
未来は不確定だから不安だと。
テレビでもそういうこと。今ほど不確定な時代は。
いつだって不確定ですよ未来なんてね。
未来が確定していたことなんか一回もないと思うんですよね。
だいたいテレビの行動がよくそれを物語ってるじゃないですか。
ちょっと信じがたいことが起きましたみたいな。
いつも言ってるじゃないですか。それっぽいことをですね。
確かにそうですよね。信じがたいことは起きるんですね。
なぜならば予測ができないから。
元首相が襲撃されたりですね、コロナが起きたりですね。
連日連日ですよね。信じがたいことが起きている。
それは明治時代は信じやすいことしか起きなかったのかっていうと、
そんなことはないはずですよね。
あのロッキード事件の時、皆さんあんまりご存知ない。
でもこれを聞いてる方はね、まだ僕とないぐらいの年の方も多いと思うんで。
僕びっくりしたんですよね。
全チャンネルが教育テレビを除く全てのチャンネルが全く同じ画面になっちゃったんですよ。
ロッキード事件の後半の時。
まあそれはなるよねと思いますけどね。
そしてみんな口々に信じがたいと言ってたんですけど、
僕はですね、信じがたいようには思えなかったんですよ。
当時子供だったけど、この田中角栄という方がですね、ロッキード社からワイルド。
いや普通にありそうなことじゃないっていう。
で現にですね、私の周りの人、先生も親もみんな、
いやいかにもありそうなことだっていう風に喋ってましたから。
これが信じがたいというのはどっから来る発想なのかなという。
その発想の方がよっぽど信じがたいじゃないですか。
これにはいろんな話があってですね。
驚くように5億円なんですけどね。
5億円だと言われてるんですけれども、
それが本当なんだと多分思うんだけど、
それよりもみんな深刻な顔して信じがたいと言っていたこの話が信じがたいなんて。
私はだって周りの人はみんな信じられるっていう顔してるのに、
誰が信じがたいと。
テレビなんかを放映してる人は信じがたいと思ってないに決まってると思うんですけれども、
そう言わなきゃいけないということだったんだとは思うんですけどね。
でもそういう信じがたいことが次から次へと起きるのが未来なわけですよね。
そしてこれがでもそれ故に不安だってことは嘘なんですよ。
そうじゃない。
私たちは先に不安になって、夜になると不安になる。
そしてその不安にふさわしい未来を、
未来というか夜道を勝手に空想してお化けがやってくるんだけど、
実際には知覚される。
普通の場合は。
これが知覚されるようになるということは一時過程に戻っているということなので、
若干問題です。
で、気はします。
見える気がするというのが妥当なポイントだと思うんですね。
この辺、絵に描くといいわけですよ。
私絵が描けないからこうやって一生懸命喋ることになっちゃうんですけど、
やっぱ夜は掴むわ。
夜が掴んできてますからね。
そしてあの話ですね。
本当に新井ピロイさんの方に移りたいんだけど移れないな。
あの話すごくいいのはですね、掴むところなんですよね。
なんで掴むんだっていう話がちょっとですね。
ちょっとだけ話しておきたいんですよね。
なんで掴むんですかね。
足をね。
あの話はずっとそれまでもそうだったけど、
やっぱりこれは僕はセクシャリティってことだと思うんですよね。
フロイトが原光系とかいったやつですよね。
原光系がエディクスなんだと思うんですけど、
原光系って要するに両親のセックスを見るってことなんですよ。
私は見ないと思うんですよね。
はっきり言ってしまうと。
見ないと思うんだけれども、
見たらそれがエディクスコンプレックスにはなるだって思うんですよ。
自分疎開されてますから。
楽園だったんじゃないの。
お父さんとお母さんと僕は一体の楽園だったんじゃないんですかっていう。
お父さんとお母さんだけの世界みたいなのがそこにあるわけっていう。
しかも自分参加できない。
見てるだけってやつ。
いや、見てるだけってことはあり得ないと思ったけどね。
その場合見せてももらえないだろう。
つまり疎開されている。
僕はこれはすごくいろんな宗教の世界の話とそっくりなんだなっていう楽園推奉的な
そういうものなんだろうなって感じがするんですけれども、
この前の世界が原稿系空想とかって言うんですけど、
要するに赤ちゃんはおっぱいというものを知らないわけです。
でもすべての赤ちゃんはちゃんとおっぱいを吸いますよね。
これどういう風になってんだろうって、
僕昔そういうことをよく考えたもんなんですよ。
人間ってのは一体最初どういうつもりでいるんだろうなと。
だってそんなもの知らないわけじゃないです。
知らないのに使い方は知っていると。
赤ちゃんはうちの子もそうだったような気がするんですけど、
ていうかそうなんですけれども、
おっぱいは吸ってもボールペンなんかは吸わないわけですよと、
藤山先生が書いてたんだけど、藤山直樹さんが書いてたんだけど、
その通りなんですよ。
僕これはちょっとこの通りは実験できないんですけど、
そうなのかなと思ってよく観察していた時期があったんですけど、
そうなんですよ。
わかってるんですよね、ある程度。
よくピアジェがそういう実験してますよね。
崖みたいなものを見せても赤ちゃんはそこには近づかないというような。
ガラスなんですけど。
ここ行ったら落ちるぞみたいなところには行かない。
行く子もいるんじゃないかって僕は思うんだけども、
行かないという実験があって、
何も知らずに生まれてくるはずなんだけど、
何も知らないわけではないんですよね。
あれはすごい僕は、すごい発想だなと。
発想というか、なんか非常に考えさせられる。
赤ちゃんの空想の世界
遺伝って言ってしまえばそれで通るんでしょうけれども、
考えさせられるなって思うんですよね。
全概念とかっていう名前がこれについてんですよ。
なんでこういう名前をつけるかというと、
結局、原稿形、つまりお父さんとお母さんのセックスを見ましたっていう前の段階。
見なくても知ってることがあるってことなんですね、これはね。
そういう話、広告がいくらかはあるんですよ。
だから原稿形空想とか、要するにセックスの全概念ってことですよね。
セックスというのが何だかは知らないんだけど、
2歳児とかだから当然知らないんだけど、
でもそういう空想を持っているっていうような話をしているわけですね。
で、でですね。
20歳過ぎて、もうその状態だと原稿形もヘッダクでもないですよね。
セックスとは何だかは知っている。
でもこの人がその空想を扱いかねたまま大人になってしまうと、
夜につかまれるんですよ。
私はきっとそういうことだと思うんですね。
ハンス少年っていうのがフロイトにありますけれども、
その中でハンスは確かですね、
お父さんが上に乗っかるキリン、
ちょっとジェンダー的にいろいろ出てくるなって気がするんだけど、
お母さんは乗っかられるキリンだと空想してるんですね、
ハンス少年。
4歳ぐらいかな。
だけれども、自分は乗っかるキリンでもあるんだけど、
その光景を見てもいる。
これなんかすごいわかる感じがするじゃないですか。
完全に分裂してますよね。
空想の世界ですよね。
これは男性にはわかりやすく、
女性にはわかりやすいのかどうなのか、
僕は女性じゃないからわかんないんだけど、
ビデオ、アダルトビデオ系っておかしいですよね。
よく考えてみると。
人のを見てて何になるんだって感じがしません。
やはり自分で見てていつも不思議だったんですよ。
人のを見てて何になるんだろう。
何にもならないよなって感じがするんだけど、
興奮するんですよね。
これはどういうことが起こってるかというと、
この問題っていうのかな、
このテーマですね。
このセット的なテーマになってくると、
自分が参加してるんだか観察してるんだかが、
よくわからない状態に、
頭の中身っていうのかな、
その現実見当が弱くなってきて、
つまり一時過程に引き戻されてしまっていて、
エリプスコンプレックス以前の段階に戻っちゃってて、
観察している人なのか、
つまり見ている人なのか、
参加している人なのかがよくわからなくなってくる。
赤ちゃんって多分そういうもんだと思うんですよね。
だからテレビとか見ててもうべったり近づいていくじゃないですか。
あれ見ていてやってる気になるんだと思うんですよ。
参加しているつもりなのか、
見ている人なのかがまだよくわかっていない。
現行型空想っていうのはそういう意味だと思うんですね。
両親のセックスを見たところで、
自分が見ている、自分という観念がまだないので、
自分が見ているっていうことがよくわかってないと思うんです。
だから見ているのか参加しているのかが曖昧な状態である。
これが大人になっても特に男性は続きやすいんだと思うんです。
この状態は僕は本質的には苦痛だと思うんですよ。
だって自分疎開されてるじゃないですか。
だから興奮が冷めると、
フォルノを見ている男性はみんな一様に空虚感に苛まれるんですよ。
そのことを感じない男っていう本で書いてたんですよね、哲学者の。
ちょっと今タイトルは思い出せて、書いてる人の名前は有名な本なんですよね。
感じない男。
すごく自分のセクシャリティについて明けすけに書いている面白い本なんですよ。
みんな言いますよね、賢者モードなどなんだかの。
つまりすごく置いてけぼりにされてる気がする。
これは赤ちゃんの時の自分の感覚そのものだと思うんですよね。
両親から疎開された時の自分の気持ちだと私は思うんですよ。
こんなことやってて虚しいっていうふうに人は思うんでしょうけど、僕は違うと思うんですよね。
そんなもんではないと。
男性の攻撃性の混乱
あの感覚というのは両親と一体の楽園に住んでいた、
つまりリンゴを食べる前のアダムとイブみたいな話ですよね。
日本人で言えばどっちかというと極楽浄土みたいな話なのかな。
とにかく楽園に住んでたわけですよ。
お父さんとお母さんと一緒に。
ここからいきなり踏み出してたら、
それは本音もないです。
つまり追放なんだけど。
追放されてる気分になっちゃうんですよ。
さっきまではビデオ見て興奮していた。
でも写生して冷めちゃった。
冷めてみたら、
え、俺なんかテレビとかに向かってるけれども、
何なの?みたいな感じになるじゃない。
一人でここにただポツンといるだけじゃんっていう。
この感じが、要するに両親に阻害されたフロイトの話とそっくりだった。
状況的に。
フロイトは4歳の頃に、何歳の頃か知りませんけれども、
両親がそれだったから入れてもらえなかった。
めっちゃ寂しいじゃないですか、これは。
で、この寂しさを味わうんだと思うんですよね。
特に男性はこのパターンになる。
なぜかというと、
その時の楽園にいるお母さんと追い出したお母さんが
同一人物だっていう問題があるんだと思うんですよ。
お父さんでも同じじゃないってことになるんだけど、
女性の場合は、
これはいわゆる異性愛の場合ですけれども、
女性の場合はお母さんと楽園にいたんだけど、
追い出した人、お父さんっていう場合、
人が変わりますよね。
この差は僕は大きいと思うんですよね。
男性の場合は、
同一のために参加しているんだか見ているんだか、
つまり参加しているんだか観察しているんだかが、
混乱しやすいと思うんですね。
だから混同しやすいと思うんですよ。
で、一時家庭の方に引きずり戻されてしまうと思うんですよね。
こと性的な話になると。
だからこの区分けがつかないと。
自分はお父さんと一緒になって、
いわゆるこの状態でのっかるキリンなのか、
それともお母さんと一緒になって、
お父さんとも楽園にいたから、
自分は女性化していてのっかられる方なのか、
それともこの二つのキリンを見ている人なのかが、
よくわからなくなってくると思うんですね。
しかも空想の世界に生きてますから、
その時代の現行形空想ですからね。
空想の世界に生きているために、
自分の攻撃性みたいなもの、あるいは支配力みたいなもの、
つまりお父さんと同一化するものを、
すごく断片的に見た部分ですよね。
上にいるお父さんみたいな。
そういうものと同一化した部分では、
すごく攻撃的なんだけど、
同時にお母さんにもなっちゃってるわけですよね。
下にいる。
つまり自分はすごく受動的に見えるってことですよ。
小さな子から見ると。
一部しか見えてないから。
あるいはお母さんは苦しんでるように見えるのかもしれない。
そういうものにも投影する。
分裂しているわけですよ。
一人で何役もやっちゃって、
見ている自分でもあるということも、
漠然とながら意識されるので、
見ているっていう存在でもある。
2社にも3社にも4社にも分裂していて、
統合されきらないと思うんですよね。
夜の不安と攻撃性の投影
こういう状態では。
この状態がそのまんま、
僕はすごくアダルト文化だなって感じがして、
この文化の中に入るってことは、
根本的には苦しいよなっていうふうに思うんですよね。
だって無力なんで、その時代ってのは結局自分はね、
完全にただ見させられる世界にいたり、
完全に苦しめられる世界にいたり、
たとえ苦しめる側にいるとしても、
好んでやってる感じがしなくなってくると思うんです。
本来の自分は心穏やかに平穏に過ごしている、
普通の平凡な男なのに、
ここの時だけいきなり攻撃的になってみたりするっていうのは、
自分としては結構入れがたいじゃないですか。
そういうものを全部ですね、やらなきゃなんなくなっていて、
しかも一方的に興奮させられるっていう状態って厳しいと思うんですよ。
しかもその後では、全てが終わった後では、
ポツンと自分は一人、どこかに追放された状態にまた引き戻されるという、
これがですね、決してそんなに幸せなもんではないと思うんですよね。
だから快感原則って厳しいなって感じがするわけです。
なんで夜がつかむのかというのは、
もうここまで来るとなんとなくなんだけど、
自分の攻撃性を無意識のうちに夜に投影しちゃっているので、
夜は攻撃してくるわけですよ。
自分の攻撃性を投影するというのが、
どうしてもなかなかピンとこないかもしれませんが、
結局どうして夜に出てくるのは、
お化けやら幽霊やら、つまり害意を持っているかというと、
それは不安だからですよね。
不安に対応しているものを見るわけですよ、私たちは不安だった場合。
腹が立っている場合は怒りに対応しているものを見るわけですよ。
特にさっき僕言いましたが、
自分は男で穏やかで、どっちかしら気が弱くて、
あんまり喧嘩とかもできれば全然しなくてみたいな人は、
明らかに間違いなく自分の攻撃性というものを自分に認めてないわけです。
切り離しているわけです。
だからそういうのを無意識のところに置いているので、
自分のものだと思っていない。
これは以前も言いましたけど、
例えば夢を見ていても、目が覚めると、
私の夢を見ていたというふうに思うじゃないですか。
人は自分の夢だ、あれは。
もしこの自分のが取れてしまうと、
世の中にはああいう光景が広がっているんだということになってしまって、
非常に妄想的になりますよね。
人は自分の一部についてそれをやると思うんですよ。
例えば、すげえ自分は攻撃したいと思っているっていうのが、
自分の性格と全く相容れないと、
いや、攻撃力なんて自分はないんだってことにしてしまうわけですよ。
攻撃力が自分にない人っていないんで、実際にあるはずなんで。
攻撃力というものは、
人を攻撃したいとは全く思っていない人になってしまうとですね、
何か向こうからちょっと怖そうな人が歩いてくるとですね、
自分の空想と現実の区別のなさ
相手は自分を攻撃しようとしてきているっていうふうに、
むしろ見出しやすいと思うんです。
自分は全く攻撃しようと思っていないのに、
戦う理由は全くどこにもないじゃないですか。
戦う理由が全くどこにもないのに、
怖そうに見えるって本当はおかしいと思うんですよ。
だからどっかにもあるわけですよ。
自分だって、やられれば戦うぞみたいな。
戦えないかもしれないけど、僕みたいなのはそうですけれども。
でもやっぱりやられれば何とかしようとするわけですよね。
その時に自分のものだと思っていない攻撃を、
相手側に投影しちゃうんだと思います。
全然不思議なことではないと思います。
ここで新井ピロヨさんの話が出るんですよ。
彼女は漫画の中でですけれども、
ある水族館だかどっかに、
ご主人と赤ちゃん連れて、ちっちゃい子連れて行ったんですよね。
でも彼女はいろいろあるので、
そこに来てすっごい気分が悪くなった。
気分が悪くなってるじゃないですか。
気分が悪くなるということは、
気分が悪いのに対応する現実をそこに見ようとするわけですよ。
気分が悪くなったっていうのは、
自分の気分が悪くなったんだけれども、
なかなか彼女の経歴もあって、
簡単にそうは思えないんですね。
僕らよく言うじゃないですか。
これはですね、そうじゃないとは言わないんですけど、
ここが難しいんですけれども、そうかもしれない。
でも、もしかすると気分が悪くなったことの原因を、
人混みに見ている可能性も大いにあるんですよ。
やっぱり。
それはそうじゃないですか。
僕らそういうことができる生き物なんで。
恐ろしいということになったら、
夜の中に幽霊がいるから恐ろしいんだっていうわけですよ。
そうしたように気分が悪くなりましたと。
どうも人混みがとか。そういうことですよね。
何かそれにふさわしい理由を外に見つけてくる。
これをやるというのが僕らの頭では、
とても自然なことなんです。
最近なんかちょっとだるい。
定期発が来ている。言うじゃないですか。
そういう絶対的な証拠がどこかに見つかっているわけじゃないのに、
僕らはよくエビデンスと言いたがる時代に生きてますけれども、
エビデンスどこにもあるわけじゃないのに、
ふいにいきなり定期発というものと自分の頭痛を結びつけたりは、
割と簡単にできますよね。
そしてそうしてみると、なんだかすごく納得がいくような気がしますよね。
それと同じようなもんだと思うんですよね。
新井さんは気分が悪くなって。
気分が悪くなるとですね、
やっぱりそれにふさわしい現実を見よう見ようとするんですよ。
今言ったような事情で。
なんでこういう楽しい日に、
ちゃんと体調を管理しておかないんですか。
こういう口調で喋るご主人なんですね、漫画の中では。
怒られているイメージを持つんですね。
ものすごく夫を見るのが怖くなる。
息子までちっちゃいからそんなことありえないんだけど、
自分を非難しているような顔をしている感じがすると。
でもあまりにも気持ちが悪いんで、
ごめん、ちょっと気分があって、どうせ怒鳴られるんだろうなと思いながら言うと、
ご主人が調子悪くなっちゃいますよねって言って、
えらい優しいと。
僕はこの人、新井さんはですね、
ものすごく損をしているって感じがするんですよね。
この空想、全くいらない空想を一個、
現実に付け加えているじゃないですか。
でも僕らがやっている未来への不安って、
そういうこと以外の何物でもないはずなんですよ。
一個余計なものを付け加えている。
一個だけなら別にいいわけですよ、このご主人。
このご主人は大変優しくて、
まず絶対こういう顔しないだろうなっていう顔を、
新井さんは上手に漫画家さんなんて書いていらっしゃって、
やっぱ上手いな漫画家って思うんですけどね。
自分の投影が絵に欠けちゃうからね。
私は自分の投影なんぞ絵にはとても欠けませんから。
投影そのもののイメージがそもそも私弱いんで、
それは僕は人生で結構落ちているポイントになっているだろうなと思うんですけれども、
弱いことは弱い。
絵を描く能力がないんで。
新井さんはやっぱ上手いんですよね。
これはさぞ辛いだろうって思いますね。
実際そういうことを言うはずのないご主人なんですよ。
それは僕漫画読んでてよくわかるんです。
絶対これ合ってないなって感じがするんです。
弱いことをリアリティに乗せてるんですよね。
だから信じちゃうんですよね、我々は。
お化けもそうなんですよね。
本当に怖そうに描ける人にとっては怖いでしょ。
僕の場合は風船に目がついてるようなやつなんで、
はっきり言ってあんま怖くないんですよ。
難しいんですよ、僕にとってそういうリアリティのあるお化けをイメージするってことは。
これは本当やれない人の耳になるとよくわかる。
代わりに僕はよく道に迷いますからね。
私の頭って弱いんですね。
だからどうしてもさっき見たはずの場所だっていうのが思い出せないので、
いつ来ても初めて来た場所のように見えてしまうんですよ。
さすがに最近かき揚げ地区の尋坊町の風景は何となくわかってきたんですけれども、
それでも交差点で全く逆の方向に普通に歩いていってしまうんで、
これが私の長所でもあり欠点でもあるんです。
長所ってのはつまり、
投影してみたところで現実感がないんですね、私の投影。
投影してみたところで現実感がないんですね、私の投影。
それでも、その私でもですね、
やっぱり夜道の恐怖みたいなものを
未来に置いたりはするので、
やっぱり皆さんが、皆さんっていうのはつまり
新井さんのような方がどれほどつらいのかっていうのは
想像に固くはない。
あれほどの想像力を駆使して
自分の不安を現実にどんどん投影していけば、
一段とつらくなっていくことは、
どうしてもありますよね。
そういうことはある。
だけれども、やっぱりご主人に
言ってみるというのが正解なんですよ。
空想によるリアリティの不均衡
これが現実に対応するってことですよね。
自分の投影を越えて、投影を消して、消してしまえば、
投影であることは一発でわかるんで、現実は。
完全に消してくれますから。
自覚はですね、やっぱり当然空想より強いので、
そうですよね、気持ち悪くなりますよねって言って
同情してくれるご主人がそこに現れているっていうか、
もともといるんですけどね、そこにね。
これがよく蔵園さんがお話になっている話そのものなんですよ。
1個や2個ならいいんですけども、
これをやる人は16時中やるんですよね。
だからずっと現実よりは過酷な世界に住み続けることになって、
自分の出だしの不安というものが
きっかけになった世界にいると、
要するにこれは現実というものを見ているようで見ていないんですね。
目は覚めていて、現実の階段に乗ったり電車に乗ったり、
エスカレーターに乗ったりしてるんだけども、
可能な限り自分の心理状態、
特にネガティブな方に合わせて、
いちいちこう空想したものを当てていくので、
辛いんですよ。
で、私がタスクシュートなりの話をして、
仕事術なりの話をしているとき、
最近言ってるのはもうほとんどこれで。
とにかくこれを辞めるだけでいいから。
これ辞めれば仕事できるようになる。
ほぼ確実ですからね。
これをやるということは、
自分を2倍辛くするということなんです。
2倍というのはもう、
反事としては絶大ですよね。
そもそも24時間が辛くない人がこの世にいるんだけど、
その時間が辛い。
その辛さを48時間分にしているような辛さを、
毎日毎日味わっているという形になっているんですよ。
そういうふうに言ってもいいぐらい、
この状態は厳しいと思うんですよね。
空想の世界に生きている。
しかも、優しいに決まっているようなご主人の場合はいいんだけど、
世の中の人がみんなそうなわけじゃないじゃないですか。
確かにその空想と同じじゃないんだけど、
本当に攻撃してくる人もいるわけですよね。
だから、この空想によって付け加えちゃいけないと思うんですよ。
この空想は、
空想だからという理由で、
多くの人はたぶん軽く見ているんだと思うんですけれども、
ある意味ではね。
近くと何も変わらないんですよ。
近くと全く同じで、僕は夜がつかむと100%同じだと思うんですよ。
いや、そのご主人が起こっている空想は、
夜がつかむに比べるとリアリティがあると思うとかっておっしゃる人がいるんだけど、
僕は全くそうは思わないです。
ご主人と真逆のことを言うご主人を作り出すことの
どこにリアリティがあるのかが、
そのリアリティの意味がわからない。
顔がご主人と似ているとかは、むしろ逆だと思うんですよ。
ナンセンスだと思うんですよね。
似ているだけに一層リアリティはないはずなんですよ。
本当のことを言えば、夜がつかむのと全く同じですよね。
夜はつかまないわけじゃないのか。
だからそれは空想なわけですね。
ご主人は起こらないんですよ、ああいうとき。
だからそれは空想なんですよ。
この点においては、やっていることは妄想分裂的であるということと
そうではないというほどの差は僕はないと思うんですね。
どっちも妄想分裂的だと思いますね。
自己の不安のリアリティと他者の空想の違い
だから、それにはリアリティがあるけど、
ツゲサンドにはありませんという
そういう権利は我々にはないと思うんですよ。
どうしてリアリティがあるのかというと、
自分の気持ちがそうなっているから。
自分は本当に不安になっているから。
夜で不安になる人にしてみれば、
あのつかむのは決してリアリティがなくはないんですよ。
人の目から見れば、そういうふうに夜がつかまないのは
知っている人の目から見れば、
ああいう不安はその不安そのものが妄想ですけど
持っちゃっている人からすると、
あれはあれでリアリティがあるんですね。
だから自分のはリアリティがあるけど、人のはないと思うのは
それは人の気持ちと自分の気持ちが違うと言っているだけの話であって
空想度、妄想度においては
そんなことはないけれど
他人に起こしてもらう
現実の無さという意味においては
そこに差は全くないと思うんですよ。
だから夢から覚める理法がないと思うんですが
この夢から覚めさせてくれるのが他人ですね。
他人は起きろと言ってくれ。
言ってくれているんだけれども
だいたい我々は頑固に夢にきがみついて
なかなか起きようとしませんが、基本的には他人に起こしてもらうのが
一番確実な方法ではあると思う。
新井さんの例がそれをよく物語っていると思うんですよね。
ご主人に気持ち悪いと言ってみる。
言ったらこう言われるだろうという妄想から抜け出るには
言ってみるのが一番いい。
言ってみたらパッと消える。
徐々に少しずつ消えるとかではないですね。
夢なので一瞬で覚めれば直ちに消える。
私は夜が掴むも同じだと思うんですよね。
なんで彼が夜に掴まれているとき一人だったかって
すごいあのコミックのシーンの最終シーンは
ものすごく考えさせられると僕は思うんですけど
あのような男の人と一緒にいてくれる女の人を
わざわざ暴力振るって追い出しましたけれども
あの女の人がいたときは
夜が入ってくるだろうってあの女の人に怒ってたけど
来なかったから寝てられたわけじゃないですか。
二人でいるときは
妄想に私たちは苛まれにくいんですよ。
実際ね。
その人が信頼できる人であれば完璧ですよ。
だからあの人と一緒にいるときは夜に掴まれない。
その人を追い出すと夜に掴まれてしまうっていう。
どうしてああいう風に描けるのかが謎なんですけれども
あれは全くその通りだという風に
実感的に思うんですよね。
体験的にと言いますかね。
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