『先送りゼロ』予約開始
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
11月5日の火曜日ですね。朝の7時56分です。
一つニュースがありまして、私とジェームズ・ザキさんのですね、表彰。
正式なタイトルは、先送りゼロ。今日もできなかったから抜け出す1日3分最強時間術。
まあ、サブタイが長いんですけどね。先送りゼロです。
初映がまだちょっとAmazonの方に上がってはきていないのですけれども、予約はできるようになりました。
電子版も同時に予約可能で、昨日から予約ができるようになっております。
まずまず、出だしは良くてですね、結構さっき一瞬ですけど順位が224位まで上がってきたので、
皆さん予約していただけたんだなと。
大変ありがたいですね。この段階でこの順位は僕もほとんどお目にかかったことがない。
ある意味、さすがJさんだなと言ったところでなんですけれども。
はい、こちらですね。予約特典があって、これはご参加したいという方にのみ響くような特典ではありますが、
第7期のですね、100日チャレンジ。
はい、こちらの本の予約をしていただいただけで、ご参加いただけます。
その他の費用は一切かからないということです。
で、この数字を100に限定すると、多分すぐいっぱいになってしまうので、
100日チャレンジはもう上限なしで原則いこうと。
本当に上限なしでいけるかなっていうのは若干心配があるので、
いざとなると、いや1000に達したからちょっとっていうことは起こるかもしれませんけど、
原則として、そうしないことにしております。
で、こちらもさすがにですね、大変なことになると。
少人数だと合わないので、間に合わなくなってしまいますので、キャパ的にですね。
認定トレーナーの皆様をちょっとお願いしてですね、少し対応を厚めにできるように用意はして、
それを僕がこうやって、なぜ言い淀んでいるかというと、
これをやってるのが実際には私じゃなくてですね、基本Jさんとゾエさんというね、
バックヤードできる方にお願いしてしまっているもんですから、
私はコメント等をつけることはできますけれども、
システム運用の方、全く、大して私そういう能力ないんで、
ていうかほとんど全くないので、本当にオンブに抱っこ状態で申し訳ないんですけどね。
そんな感じで、お願いして、
できてありますので、皆さんは安心してご参加いただければと、そういう感じです。
はい。
第7期『100日チャレンジ』
あの、どうやらですね、もう今、今しがたの得た情報によると、100日チャレンジの第7期は、
すでに100名は突破してしまったみたいなので、ここでやっぱり打ち切ったんではですね、
私たちの方にやる意味があんまりなくなってしまいますので、ここは頑張っていこうというところです。
大変ですね。
あの、ちょっと違うんですけれども、意味、意味違うのかもしれませんけど、
グッドファイブス的に言うと、こう、
助けられて生きているなと、まあ、僕は助けられすぎだろうって感じもしますけれども、
まあですね、こう、今回はそういう感じでやっていこう。
で、あの、これに完全に対応しているわけではないんですけども、
7月30日に倉園慶三さんとセミナーする予定でも、
これも、本書の出版記念の、まあ、この出版記念のイベントをいろいろと用意させていただいていて、
その一環といった感じですね。
J松崎さんとも、おそらく今月中、また来月にもやることになるんじゃないかなと思っております。
まあ、一言で、あの、2時間で全部語り尽くすとかは、土台無理な話なので、
あの、一言で言う部分も、言える部分ももちろん、
あるんですけどね。1日3つだけ1分ずつとかね。
あるんですけど、1分ずつやりましょうって話じゃないですね。
1分ずつでもいいから着手しましょうって話ですね。
そうすると、タスクシュートの記録に、ミニマムなものとしては残りますからね。
1分が単位の最小単位ですから、タスクシュートにおいてはですね。
1タスクの最小単位という意味ですね。
まあ、1秒でも残るんですけれども、
まあ、1分じゃないと時間が経過したという印象が全くそこに0分で出ちゃいますからね。
あの、やってないと、そういう意味で、
みたいになってしまうので、1分はやりましょうというのは、そういう意味でもあります。
まあ、そういう感じで、こう、
いろいろとお伝えしたいことは、本書についてはありますので、
まだ厚めなんですよ、結構ね。
300ページ近いという、
Jさんは今までにためにため込んだ、いろんなことがいっぱいあったんだなということがよくわかりますね。
私だったらタスクシュートの本で300ページは書かない、というか、ほぼ書けない。
そんなに、そこまでも言いたいことがね、
僕の中に残り尽くしてはいないんですよね。
いっぱい喋っていっぱい書いちゃったんで、
あの、
聞かれれば答えられるんだけれども、
あの、全部自分で出すとなるとですね、もっとこう、
絞り込んでしまうんですよね。
Jさんは、その、自分の経験談なども、
この経験談が面白いんですよね。
序章にあるんですけれども。
ここを読んでいただければ、もう元は取れるんじゃないかと思うぐらいなんです。
本の値段というのはね、高くはない。
でね、2000円はしませんから。
2000円すると本ってすごい高く見えるじゃないですか。
つまり本って高くはないんですよ。
この作る手間暇を考えて、この値段に抑え込めるというシステムってやっぱすごいなって思いますね。
しかもテキストばっかりじゃないですか。
昔、あの、漫画大好きの子供たちがよく、こんな字ばかりの本っていう表現をしてるんですけど、
ほんとそうですよね。
人間のすごいところはここら辺にあるんだという感じは一つしますよね。
象徴機能を使いまくれる。
まあ、だから誤解を招くとも、
思うんだけど、でもやっぱ、これが使えないと、あの、僕らは間違うことはなくなる。
つまり、動物ってある意味間違わないと思うんで、間違うことはなくなるけど、
本の由来の生き方になってしまいますよね。
それでも動物の生き方って、あの、バラエティに富んでんなってよく見ると思うんですけど、
でもやっぱ言葉ってのは、そういう無茶苦茶なところがある、あるんで、まあ、すごいなって思いますね。
えー、そういうわけで、その、字ばかりの、
本と言いますか、まあ、ビジネス書だろうとなんだろうと、字ばかりなんですけれども。
だから、図やイラストいっぱい入れようね、みたいなことを、昔、よく言う話もあったんですけれども、
ああしたからと言って、えーと、理解が進むわけでも、誤解がなくなるわけでも、まして売れるわけですらないということが、
だんだん最近、あの、ああ言わろうと思えば、できてしまいますから、結局。
えー、だからやっぱり、字ばかりに戻っていくんですね。
全部漫画にするっていうのは、あの、これも門川さんあたりが一時仕掛けた作戦で、
あったんですけど、漫画にするというのはいいんだけど、やっぱり、絵って、えー、
込める情報量だけは増えるじゃないですか。つまり、ページ数食いますよね。
その割に、伝えられる内容は減っていくという、実はね、大変なんですよね。
ただ大変になるだけで、あの、一歩間違うと、えーと、それでもいいっていうやり方なのかもしれないんですけど、
キャラクターがひたすら、あの、本のエッセンスを喋りまくってる本になっちまって、
これは、字ばかりだった頃と変わらなくないかっていう、
そこにただ、おじさんとかお姉さんの絵が描いてあるだけになってしまうんでね。
それでは、やっぱり、意味あんまりないと思うんですよ。
吹き出しにすると読みやすく見えるっていうのは、あの、大きなイリュージョンだと思いますね。
はい、えー、まあ、そういうわけで、こちらは字ばかりの本です。
あの、図も入ってはもちろんいるんですけれども、
少し嘘も出てくるわけだから、ただ図がふんだんに使われてるぞとか、
えーと、超図解だぞとか、そういう本ではないという感じですね。
はい、えーとですね、そしたら、今日のまあ、本題に移ろうと思うんですが、
Jさんとやるやつは、タスクシュートジャーニーというタイトルですね。
あれはですね、えーと、7月23日、クリスマスイブの前日ということになります。
まあ、僕はこの辺の日数、あの、日付には毎年思うんですけど、
あんまりいい思い出がないというね、あの、嫌な思い出ばっかりだなって感じがするんですけど、
それももう、
えー、20年ぐらい、もっと前だな、ぐらい前で、
えー、記憶からは薄れつつあるんで、やっぱり、人は歳をとるなぁと思いますけどね。
はい、えーと、
『100日チャレンジ』の参加者数
昨日のお話の中で、えーと、
まつげよしあるさんのガロにも出ていた、あの、
夜は掴むですけれども、あの、
ちょっと前に遡って、えー、
小さなことでクヨクヨするなと、
有名な自己啓発があるんだけど、
僕が、えーと、いつもこう、結びつけて考えているのは、その、
夜が掴むって話と、小さなことでクヨクヨするな、
小さなことにかな、
クヨクヨするなって、ああいうことなんですね。
ああいうことって言っても、ちょっと分かりにくいんですけど、
要は、夜が掴むって小さなことなんですよ。
小さなことというか、もう、あまりにもバカバカしいことなんですよ。
もう、あまりにもバカバカしいことなんですね。
でも、それが致命的な話になる。
あの、私は最近、すごく思うところがありまして、
カウンセリングの人って、初心者ほど、
抽象論しか知らないじゃないですか、まだ。
一度もまだ、本当の意味でクライアントさんを、
見たことがないという人は、
テキストの情報しか知らないんですよね。
しょうがないですよね、これもね。
当然そうなります。
えー、これを批判するとか、これ、あの、
若い人は、とか言っても、全く意味がない。
なぜならば、私たちはみんな最初赤ちゃんだったんだから、
当然そこから入る余裕がない。
生まれついてのカウンセラーってのは、明らかにおかしいですからね。
たまにね、あの、テニスのすごい人とか、
幼い頃から天才的で、
テニスをするために生まれてきたような人とかって、
そういう表現もあるんだけど、
まあ、普通はないですよね。
カウンセリングするために生まれてきたような人。
言われる人も、結構嫌なんじゃないかっていう気もするんですよ。
あのー、そんなにこれはね、
花形さんの仕事じゃないですし、
いま、いろんな意味で量産されてる側面も、
まあ、あったりなかったりで、大変なんですよね。
で、まあ、それはそれとして、とにかくですね、
クライアントさんを一番最初に見るときは、
基本抽象論しか持ち合わせがないと思うんですね。
ということは、
すっげー難しい理屈というものは、
ある意味、非常に役立てにくいということ。
で、しかし、それしかないんですよ。
これが私たちカウンセラー未満の人たちに、
えーと、この種の問題が降りかかってきたときの、
実は僕は、手札なんだって思うんですよ。
逆じゃないっていうね。
これは、普通の相談という本で、
戸畑海斗さんが、
まあ、あるコペルニクス的な転換ってやつをしたんだけど、
それをさらに元に戻しているような、
一度、あのー、
戸畑さんが、
地動説にしてくれたのに、
また、天動説に僕は戻すみたいなことを言ってるんだけど、
しかし、しょうがないんですね。
多分、しょうがないんだと思うんです。
なぜならば、
対処に困ったときの私たちは、
そうなるから。
夜がつかむの人、
夜がつかむの人の困難
これ、今のところ話が抽象的で、
多分、全然伝わらないと思うんですよね。
よっぽど、この僕の話に通じていると。
さらに、これは、えーと、
この話に詳しいというよりは、
僕の話の聞き方に詳しい人、
しか、今の話は分かんないと思うんですけど、
おいおい、詳しく、
分かりがいいように頑張ってみますが、
要は、夜がつかむの人って、
ただ困ってるじゃないですか、
ってことなんですよ。
あの人、夜につかまれて、
もはや、悲鳴をあげてるだけですよ。
手が打てなくなってるんですよね。
あそこで打てる手って、
何なんだってことなんですよ。
小さなことに、
くよくよするなって言うんだけど、
あれほど小さなことはないですよ。
実は、自分の空想で困ってるわけです。
一番小さなことですよね。
現実には、
社会的な何も事件が起きてない。
そこに何も起きてないんですよ。
多分、彼は寝てるだけです。
でも、ものすごく困ってますよね。
あれほど恐ろしいこともない、
っていう状態ですよね。
このように、
僕らの悩みって、
できているはずなんですよ。
私たちの悩みはですね、
人に相談しにくい、
昨日、うつぱんという、
また悲惨な漫画を読んじゃったんですけど、
あの、わぁ、
これもまたなぁ、
みたいな感じの、
あれも、
非常にいろいろな悩みで、
考えさせられる。
ちょっと書き上げ塾的にも、
考えさせられた、
本なんですけど、
とにかく漫画なんですね。
うつの人が、
起死念慮で、
いっつもこう、
死にたくなっている、
という、
ある意味、
それだけの漫画なんですよ。
これがそうですよね。
これもまた、
何の対策もできなくなって、
ただただ苦しんで、
でも、
苦しんでいる実態が、
そこにあるかというと、
ほぼない。
だから、
何で苦しいのかの、
説明もできない、
苦しみ、
みたいな、
この、
もどかしい感じが、
よく伝わってくるんですよ。
何を伝えればいいのか、
分からない、
という、
ある意味、
テーマだったんですよ。
その通りだと思います。
なぜなら、
何も起きていないからですよ。
そこに何もない。
誰かに、
何かをされている、
まあ、
されてもいるんだけど、
ウツパンは。
でも、
実際には、
それほどのことでは、
おそらく、
ないとされてしまう。
本人は、
つらいんだよ、
というテーマとして、
読むこともできるんだけれども、
だとしても、
人に伝えるのは、
困難だ。
なぜならば、
そこには、
非現実のものが、
混ざってきているから、
なんですね。
非現実のものが、
混ざってきているから、
僕は、
おそらく、
フロイトは、
自由連想法というのを、
選んだんだと。
何でもいいから、
話してください、
という、
このやり方。
これは、
普通の形式で、
話したのでは、
つまり、
これこれ、
こういう悩みがあって、
例えば、
お金がなくて、
困っているんです、
みたいに、
誰でも分かるような、
象徴機能を、
使えないから、
なんだと。
象徴機能と、
言うつもりなんですよ。
ジェイ・マスザヒさんは、
いっぱい言葉を、
使いましたと。
でも、
いっぱい言葉を、
使って、
人に伝えられる人は、
幸せなんですよ。
言葉になりやしない、
夜がつかむなんて、
言葉にならないでしょ。
つまり、
象徴機能という、
言葉を使って、
人に何かを、
伝えるというのは、
実は、
自分が、
勝手に、
言葉を使うことが、
できないからこそ、
成り立つ話なんですね。
赤信号というのは、
止まるものだという、
社会的な、
了解、
約束というか、
共有認識。
他の人も、
そうだと思ってるってこと。
つまり、
自由じゃないってことね。
自由じゃないから、
使えるんですよね。
あることを、
発して、
それによって、
相手が、
それも、
理解できるということは、
僕ら、
縛られてるんですよ。
この辺の話って、
デリだとか言う、
哲学の人が、
よく言ってたような気が、
ちょっとするんだけど。
まあ、
良しとして、
つまり、
えっと、
僕らは、
伝えられないんです。
そうしないと。
言葉による伝える困難さ
でも、
自分が、
夜が掴む、
っていうのは、
言葉の自由さを、
よく表してるけど、
他の人には、
了解されないじゃないですか。
夜は、
掴まないから、
他の人にとって。
つまり、
完全に自由だと、
言葉というのは、
意味がないものに、
なってしまうわけですね。
まあ、
書き上げ塾、
というところで、
倉殿慶三さんと、
私は、
今期、
9期に至るまでですね、
6ヶ月、
のコースを、
やってるんですけれども、
そこで、
えっと、
各種の制限が、
制約をかけてるんですね。
文章を書く上で。
これは、
つまり、
制約をかけるほど、
伝わりやすくなるという、
えっと、
一見したところ、
逆な、
理由が、
あるから、
なんですね。
好き勝手に書くというのは、
いいんだけど、
書きやすいという意味では、
いいんですけど、
伝わりにくくなるんですよ。
好き勝手に書くと。
なぜならば、
えっと、
言葉というのは、
共有の約束の上に、
成り立っている、
えっと、
象徴だから。
これを、
えっと、
いや、
私はもう、
その、
後には、
食欲を込めることにしました、
と言っても、
伝わらないじゃないですか。
えっと、
ああ、
あれが飛んでるってことは、
お腹が空いてきたよね、
と言っても、
変な感じがしちゃう、
だけですよね。
でも、
そうなってしまったら、
えっと、
それが、
そして、
当然通っていいはずだ、
という態度になってしまうと、
自分を許すことの重要性
えっと、
妄想分裂水準みたいに、
言われてしまうわけですよ。
分かるという、
お互いが、
納得ができるよ、
という約束の上に、
立とうとすると、
僕らは、
自由を、
少なくとも、
象徴を使う、
という上では、
自由を制限される、
仕方がないことなんですね。
いや、
赤信号を、
私は進行で、
青は止まる、
ということにしました、
と言っても、
駄目じゃないですか。
とっても危険なドライバーになるのが、
オチですよね。
そういうことですね。
で、
えっと、
だから、
そうなんですよ。
象徴機能に、
そもそも、
被害妄想を抱く、
という人がいるのは、
こういう理由なんですね。
いや、
私の、
そういう行動を、
勝手に、
誰が決めたの、
みたいなことを言って、
食ってかかると、
難しい人だな、
という感じを、
与えてしまいますよね。
そういうことですね。
で、
えっと、
あの、
夜をつかむの人は、
じゃあ、
まあ、
その、
ウツパンの、
主人公さんでも、
いいんですが、
どうすりゃいいのか、
ということですよね。
どうしようもない、
ですよね。
どうしようもない。
でも、
どうすればいいのか、
という問いは、
出てきますよね。
ただ、
苦しむだけでは、
本当に、
とにかく、
苦しいからね。
で、
どうすればいいのか、
こういう時に、
僕らは、
夜がつかむ世界よりは、
もう少し、
自分らに、
引きつけて、
考えていきたいわけですね。
そうすると、
必ず、
どんな人でも、
多分、
そうだと思うんですけど、
でかい悩みは、
出てこない。
小さなことに、
くよくよする、
というところが、
現れるはずなんですね。
日常の、
私たちが、
遭遇する、
えっと、
夜がつかむほどの、
わけわからなさでも、
悲惨さでも、
ない、
でも、
十分深刻な問題は、
おそらく、
小さなことのはずで、
これを、
人には、
相談しにくい。
で、
この問題に、
ぶち当たった時に、
私たちが、
できる、
最大のこと、
っていうのが、
僕は、
クラゾン・ケイトさんが、
よく言う、
許す、
なんですね。
自分を許す、
ですね。
とにかく、
自分を許さなければ、
ならないと。
で、
この時に、
クラゾンさんが、
よく、
割と、
こだわりを持っていらっしゃるように、
聞こえる人も、
許可の許の、
許すを当てない、
っていうのが、
大事なんですよ。
あの、
御社の社の方、
のやつですね。
えーと、
なんかこう、
ちょっと難しい字ですよ。
赤みたいなのの隣に、
の文みたいなのを、
書くやつですよ。
まああの、
御社の社ですね。
要するに。
ま、
ひらがなでも、
僕はいいんじゃないかなって、
思わなくもないんですけど、
とにかく、
この許すを使う。
この許すを、
使うというのは、
どういうことかと言うと、
えーと、
とことん、
許し尽くす、
という、
意味があります。
もうちょっと、
簡単に言いますと、
超自我的に、
自分に、
えーと、
いや、
それは許してやるよ、
では、
ダメだ、
ですね。
これでは、
えーと、
全然多分、
効果を発揮しないんですね。
あの、
夜は、
夜がつかむの人が、
許すべきものは、
まず、
自分を許す問題
あんな自分、
ですよ。
この、
あんな自分を許す、
っていうのが、
我々にとって、
必須だと思うんですよね。
ここで、
他者を許すを、
先に持ってこない、
ここで、
問題になります。
夜を許せるか、
許せないか、
多分、
我々の問題にはならない。
で、
我々の問題になるのは、
他人ですよ。
身の回りにいる人。
えーと、
特に、
私なんかがですね、
えーと、
お前、
えーと、
人の顔色を伺うの本、
書いたときに、
えーと、
真っ先に、
こう、
批判された、
Amazonのレビューがあるんですけれど、
あの種の、
どうしても発生する、
憤り、
あれが発生したとき、
つまり、
えーと、
この理不尽なやつを、
いいのか、
という怒りを、
蔵園さんにぶつけたくなったとき、
えーと、
許せとか、
はい、
とか言ってるけど、
こいつは、
えー、
えー、
なんですかね、
こう、
マルチハラスメントですよ、
みたいな人。
もう、
ハラスメントの盛り合わせ、
みたいな人です。
これを許しちゃダメですよね、
みたいな、
ときに、
ときにですね、
でも、
許さなきゃいけないのか、
ってなったときに、
腹が立つ。
これが小さなことですよ。
これは小さなことなんですよ。
この話を、
えーと、
イラッとするじゃないですか。
だからもう、
どうしようもないと、
思うかもしれないんだけど、
この話は深刻だと、
思うかもしれないんだけど、
じゃあ、
これを、
誰かに相談しようと、
なったときに、
必ずこの小さなことに、
くよくよする問題、
ってのが、
現れてくるんですよ。
いやー、
なんか、
結構、
会社の、
なんとか人事の、
ケアのところに行ったんだけど、
伝わらなくて、
みたいな気持ちに、
絶対なる。
その前に、
果たして、
分かってくれるだろうか、
って気持ちになるはずです。
考えてみると、
考えてみると、
これは、
そんなに、
深刻じゃないんじゃないだろうか、
みたいなことが、
起こる感じですよ。
小さなことにくよくよする問題
だけれども、
深刻なんだよ、
みたいな、
そういう、
新しい悩みが、
ここで発生すると、
僕は思うんですね。
夫婦喧嘩って、
そうじゃないですか。
人に相談しにくいのは、
これの、
えーと、
深刻性というものを、
理解されないから、
だと思うんですよね。
で、
えーと、
また、
こういう問題がありますね。
これも、
昔、
こういう話になってて、
まさに、
そうだと思うんだけど、
えーと、
どっちが悪い問題を、
考えたときに、
いや、
自分にも、
10%くらいは、
非があるかもしれない。
でも、
許せない。
だって、
向こうは、
この9倍悪い、
90%の非があるんだから、
やっぱり、
この10%の非のことは、
一旦、
脇に置きたい。
でも、
それは、
自分の、
事情だから、
えーと、
相手は、
ここを、
ついてくるかもしれない。
えーと、
昨日、
えーと、
タイトルにしてみたんですけど、
これを言うときの、
お父さんの気持ちって、
結構、
そうだと思うんですよ。
えーと、
子供がね、
塾に行きたいって言うんだけど、
あのー、
フルコースだと、
すっごいお金かかるんだけど、
出してね、
みたいなこと言われて、
ふざけんなっていう気持ちに、
例えば、
なったとするじゃないか。
お父さん、
自分に非はないと、
絶対思うと思うんですよ。
でも、
あなた、
将来、
息子のためだと思わないの?
とか言われて、
非、
稼ぎが悪いからとか言われると、
めちゃくちゃ、
理不尽なことを言われてる気がしてくると、
思うんですよね。
でも、
確かに、
自分の稼ぎ少ないよなって、
頭をよぎったときに、
この、
イライラ感を、
どうするかってことなんですよ。
で、
なんか、
まあ、
昭和のお父さんは、
蔵野さんの話は聞いてないけど、
いや、
なんか、
攻撃しないとか言ってるけど、
こういうとき、
攻撃しないで、
どうしようって言うんだろう、
っていうふうになると、
えーと、
自分の稼ぎを攻撃したくなったり、
えーと、
グッドワイフスを攻撃したくなったり、
いろいろするわけですね。
これが投影なんですが、
えーと、
これらをすべて収めるにあたってですね、
人格者になろうとしちゃダメなんですよ。
人格者じゃないんで。
これが、
えーと、
このお父さんがぶったかなんかだったら、
多分、
怒んないと思うんですよ。
全然。
でも、
そうじゃないわけじゃないですか。
えーと、
自分としては、
そう思いたいという気持ちは分かるんだけど、
ここはナルシシズムなんですけどね。
自己愛なんだけど、
えーと、
自分はそう思いたいですよね。
そりゃね。
えー、
だけれども、
えー、
当然、
それはですね、
誠実しないわけですよ。
うん。
自己愛。
まあ、
自己愛があるからね。
人格者にはなれない、
っていうことなんですよね。
で、
グッドワイフスでもよく、
えー、
人格者に、
人格者になろうとか、
きれいごと言ってるわけではないと、
グラドンさんがよくおっしゃってるんだけど、
いざとなってみると、
こ、
これをですね、
えー、
許せるのは、
すっげえ人格者な感じがするわけですよ。
うん。
だから、
たぶん、
小さなことにくよくよするっていうのは、
そういうことなんですよね。
えーと、
あの夜が掴むの人が、
自己愛やナルシシズムの問題
あの夜に掴まれたままですよ。
えー、
それでも、
あの、
平然としてられたら、
ほぼブッダじゃないですか。
ここに問題があるわけですよ。
ああやって埋めてる人は、
すっごいダメな人のように思われるんだけれども、
でも、
あれが平然としてられるとなると、
もう、
それは、
成人に近いレベルの人なんですよ。
ここが、
問題なんですよね。
すっごい、
悪い、
悪い、
悪い、
悪い、
しょうもないことのようでいて、
えー、
実は、
大変なことなんですね。
そして、
その大変なことを、
なんとかするためにはですね、
まず、
成人になろう、
では、
絶対無理なんですよね。
そうすると、
あのまま、
えー、
夜に掴められて、
呻き続けるしかないんですよ。
まず、
ここで、
えーと、
立派なお父さんになろうと、
すると、
何が起こるかというと、
えーと、
自己犠牲で、
鬱になっていくしかないんですよ。
全部、
俺が悪いんだろ、
になってしまうんですよ。
そういう、
気持ちがあります。
あのー、
世界で起きている、
今、
全てのね、
えーと、
ガザの空爆とか、
まで含めて、
全部私のせいですから、
これ、
本当にそう思う病になるんですよ。
そういうのがあるんです。
これは、
多分ですね、
あのー、
外に攻撃しても、
無駄だ、
っていう、
外に持ってっても、
この怒りを持ってっても、
無駄なんだ、
っていう、
風になってしまった人が、
ものすごく強い、
絶望感と、
無力感に、
苛まれるという、
だから、
自己犠牲精神を、
ここで発揮して、
なんとか頑張ろうとして、
恐らく、
そういう人はですね、
自己犠牲精神で、
頑張ってきて、
そこそこうまくいってきた、
わけですよ。
例えば、
あのー、
いるじゃないですか。
昔から、
昔は特にいたんだけど、
こう、
あのー、
一番自分の取り分は、
食事とかでも、
美味しいものほど少なくとって、
一番最後にとって、
みたいな、
こう、
あのー、
昭和のお母さんの、
なんかこう、
鏡みたいにされてた人。
大体、
すごくある意味、
抑鬱的になっていく傾向が、
あのー、
鏡かもしれないけど、
やっぱり、
鏡にはなりきれない、
わけですよ。
普通には。
で、
これを先にやって、
魔族、
やっぱり、
魔族っぽくなってくんですけども、
えーと、
そこに、
ある種、
自分の戦略というのか、
生き方というものが、
えーと、
打ち立てられていくんですね。
こうやっておけば、
自分の評価は、
下がらないし、
発泡も、
歩く収まるし、
どうせ、
自分が、
強く主張しても、
無駄だしな、
っていうのから、
えーと、
あの、
だから、
僕の甘えの本が、
人を甘えさせましょう、
というのを書いたときに、
えーと、
そこに、
どうしても、
そこにのみ、
って言っていいぐらい、
強い反応が出るわけですね。
えーと、
それをやると、
えーと、
我々は、
もうダメになってしまうんだ、
っていう、
そういう、
恐怖感が、
多分、
あるんだと思うんですね。
だから、
やってきたんだと思うんですよ。
ここに反応するって人は、
おそらく、
えーと、
一度は、
その、
えーと、
マゾキズム的な、
あの打ちパンで、
繰り返し、
出てくるんですよ。
これから立派な人になろう、
っていう。
で、
自分を許す
この立派な人になろう、
っていうのは、
つまり、
えーと、
無理を言われても、
なんとかし、
無理なことも、
なんとかする、
みたいな戦略で、
えーと、
グッドバイブス的では、
全くないんだけど、
その違いが、
よく分からない、
という、
多分、
感覚なんだろう、
と思うんですね。
これはですね、
先に、
えーと、
自分を許す、
っていうのは、
最初に、
で、
これは、
倉園さんも、
ずーっと言われてるんだけど、
まあ、
いざとなると、
ここを、
多分、
忘れてしまうんでしょうね。
えーと、
人を許すことしか、
考えつかなくなる。
人をのところに、
自分が入ってこなくなってしまう、
ってことなんですね。
で、
あのー、
夜は掴むの、
お話を、
何度も出してるのはですね、
あの人、
ひどい人じゃないですか。
えーと、
昨日も言いましたけれども、
一緒に寝てくれる、
女の人がいるから、
彼は、
夜に掴まれずに、
住んでるのに、
サディスティックに、
いたぶってですね、
それには、
非常に悪い、
おっぱい的な意味があるんだけど、
えーと、
サディスティックに、
いたぶって、
えーと、
追い出すと。
えーと、
床屋にも行けないから、
床屋に会う人は、
絶対行けないと、
僕は思うんだけど、
髪も、
その女の人に、
散ってもらって、
この髪を、
えーと、
まあ、
威発って言葉がありますが、
えーと、
持ってくわけですね、
この女の人は。
非常に愛してくれていたんだけど、
えーと、
鬼を呼んで、
その日の夜になって、
初めてで、
あの、
もっと優しくしておけば、
よかったかなって、
思うような、
しょうもなさが、
あるんですよ。
こういう自分を、
許す。
これが、
できれば、
えーと、
夜に、
つかまれなくなりますよね。
で、
これが、
僕らが、
一番、
できなきゃいけないことだと、
まず、
思って、
思うことなんですよ。
これこそ、
僕らが、
一番最初に、
この種の問題に、
えーと、
PSポジションに入って、
思想になった時に、
やるべきこと。
人を許す前に、
ですね。
ていうか、
人を許すと、
考えつく前に、
自分を許してしまう。
で、
この時に、
超自我的に、
自分を許さない。
今回だけは、
多めに見て、
やろう、
的なのでは、
全然、
足りない、
ということですね。
とことん、
許し尽くさないと。
こういう自分で、
いいんだ、
ってことなんですよね。
究極的には、
そうなる。
えーと、
こういう自分だからといって、
断罪される、
話ではない、
断罪というものは、
ないから。
えーと、
これは、
神の罰とかじゃないんで。
この、
ウツパンの話でも、
えーと、
ちょいちょい、
出てくるんですよ。
あんまり、
考えるってことに、
なっていない、
話なんで、
えーと、
うつになって、
起死念慮、
っていう話が、
ずっと続くんだけど、
やっぱ、
ちょいちょい、
出てくるんですよ。
猛烈な罪悪感が、
あるんですね。
あまりに、
自分の罪悪感が、
強すぎて、
直面できていない、
というか、
言葉にならない。
うつになる、
というよりは、
妄想、
妄想、
迫害妄想、
になるんだけど、
つまり、
えーと、
人々が、
全部、
自分を攻撃している、
になるはずなんですけど、
彼は多分、
その、
それより、
進んでるんですよね。
それより、
進んでる段階で、
かつ、
人がいいので、
全部、
その問題を、
自分に持ってるんだけど、
やっぱり、
直面はできませんよね。
直面すると、
多分、
えーと、
もう、
本当に、
えーと、
多分、
ルール、
みたいなものが、
あるんですよね。
つまり、
えーと、
このうつ版にも、
やっぱ、
ちょこっと、
出てくるんですけれども、
えー、
成功して、
キラキラしている人でなければ、
生きていてはいけないような、
気がしていた。
これって、
他人もさばいてるじゃないですか。
自分さばいてるつもりなんでしょうけれども、
何をさばいてますよね。
結局のところ、
それは、
キラキラしている人、
以外の人、
っていうものを、
非常に、
こう、
下に見ている、
っていう事態が、
起きてしまってるんですよ。
これを、
説明したくないだろうけれども、
あの、
そうなんですよ。
これを、
許してしまったら、
これ、
みんなを、
許してしまう、
ってことを、
同時に、
意味するんですね。
だから、
自分を、
許すということは、
結局、
話が大きくなれば、
大きくなるほど、
世の中全体を、
許すってことになってしまう。
つまり、
大きくなるというのはですね、
えーと、
許しがたければ、
許しがたいほど、
実は、
世の、
許しがたい人、
全部を、
許すことになる。
この時に、
許可の許を使わない、
っていうのは、
蔑まないためなんですね。
蔑むというのは、
どういうことかというと、
人間とは、
こうであっちゃダメだ、
っていう話に、
しちゃってるじゃないですか。
よく、
あの、
獣のようだ、
みたいなことを言う、
昔の表現でね、
えーと、
あなたは、
獣ですか、
みたいなことを、
あの、
セクハラみたいな人に、
言うんだけど、
それはですね、
獣であっては、
ダメだ、
って意味ですよね、
これはね。
そのようなことを、
何かを、
一度でも得たことは、
ないと思うんですよ。
人、
人間とは、
こうでなければいけない。
でも、
この問題は、
幽聖の話に、
つながってくるんだけど、
人間とは、
こうでなきゃいけない、
っていうふうに、
どうしてあなたは、
えーと、
決定する権利を、
得たんですか、
っていう問いが、
実は、
入ってるんですよ。
意識はしてないですけど。
だから、
えーと、
夜がつかむ、
と言っている人を、
慈しんでくれて、
髪も切ってくれる人を、
えーと、
いたぶって、
人間という存在は、
していいんですよ。
すると、
つらくなりますけども。
していいんだ、
というか、
してはいけない、
という規定は、
ないんだ、
っていうところまで。
だから、
ここに至るのが、
大変な人ほど、
小さなことで、
くよくよ悩まなければ、
ならなくなるんだけど、
これを許さないと、
夜に、
つかまれちゃうから、
正気は、
保てなくなってしまうんですね。
だから、
私たちは、
私たちは、
幸いなことに、
おそらくね、
もっと小さなこと、
というのが、
もう少し、
伝わることの、
はずなんですね。
許しの重要性
夜をつかむ、
夜がつかむ、
人よりは。
だから、
あれを出してるんですよ。
私は。
これほど悲惨では、
ないはずだ、
っていう意識が、
あるからですね。
これを聞かれている、
皆さん。
これよりは、
自分を許しやすいでしょう。
だから、
許していいんですよ。
あの人が、
自分を許せるなら、
他の手は、
ないんだよ。
結局。
あれで、
自分を許せなかったとすると、
断罪して、
自分の精神が、
バラバラになる以外の、
選択は、
用意されてない。
それよりは、
絶対、
自分を許した方が、
遥かに、
マシな結果が、
得られるので、
許すしかないんです。
その時に、
これで、
こういう人間であっても、
構わないんだ。
っていうか、
こういう人間であっては、
構うという、
そういうことが、
言える存在は、
この世に、
いないんだ。
現実に近づく
ってことですね。
これが、
許すなんですよ。
で、
もう少し、
しょうもない話に、
持っていこうと、
思うんですけれども、
つまり、
我々の現実に、
近づけるってことですよ。
自燃料だらけになるはずは、
ないと、
僕は思うんで。
で、
例えば、
タスクシュート、
の話なんですよ。
先日、
私がかき揚げ塾で、
した話と、
同じなんだけれども、
私が起きたのは、
ちょうど、
この8時30分ぐらい、
だったんですね。
10時30分には、
45分には、
ネットコミュニティの盛り上がり
家を出なきゃならない、
という状態で、
私は、
それでも、
このポッドキャストを撮り、
食事もして、
散歩までして、
シャワーを浴びて、
ついでに、
できれば、
帰ってみて、
出かけよう、
という、
甘い構想が、
あったわけです。
でもですね、
タスクシュートを見ると、
見るだけで、
済むんですよ。
タスクシュート。
本当に、
1分弱、
操作してみて、
気象が、
今、
出発準備するのに、
6分。
6分で、
僕は、
準備できるんで、
持ち物を含めて、
6分。
だから、
多めに見積もっても、
10分ですね。
シャワーが、
まあ、
16分。
ヒゲをするのに、
4分。
まあ、
15分。
食事そのものにも、
技術ブログを書く
15分。
で、
やっていくじゃないですか。
2時間が、
消えるんですよ。
まあ、
駅まで歩く時間、
15分ってのが、
結構、
大きいんで、
これは、
短く、
ほぼできないんでね。
でも、
全部足していくじゃないですか。
散歩ができない。
パンザは、
全然、
ローン外。
そして、
ポッドキャストも、
無理なんですよ。
ポッドキャスト、
50分ですか。
びっくりして、
もう、
1分も、
でも、
いや、
ほぼ削るっていうのを、
考えただけで、
無駄だなって、
思ったんですよ。
だって、
削れるのは、
せいぜい、
1分とか、
5分だ。
どうやったって、
ポッドキャストは、
GPT-4の圧倒的な実力
演出できない。
だから、
無駄だなと、
いう風にして、
で、
この瞬間に、
何が起きるかというと、
ポッドキャストとか、
えっと、
パンザとか、
散歩が、
やりたい自分が、
消えちゃうんですね。
あ、
あっていう間に、
消えるんですよ。
あれは、
夢って思い出し、
あの、
思い出せないってなったら、
もうアウトじゃないですか。
夢を思い出そうと、
頑張っても、
そして、
夢の中で、
何かをしたいと、
思っていたっていうのも、
一緒に消えてしまいますよ。
だから、
私は、
タスクシュートというのは、
えっと、
妥協をするためとか、
えっと、
理想を諦めるための、
ツールなんですか、
っていうのは、
えっと、
めちゃくちゃ僕にとっては、
合わない話なんですね。
そう、
そういうリアルは、
どこにもないって、
感じがするんですよ。
いや、
理想とか、
えっと、
どうしても、
これができないんだけど、
これをしたいんだけど、
寝る時間を削ってでも、
うんうん、
とか、
ああいうのは、
全部夢なんですよ。
リアルにはないんですね。
そういうことは。
起きた時間が、
8時40分である、
というのも、
所要のことなんで、
えっと、
こんな時間に起きて、
どうするんだって、
思うっていうのが、
つまり、
自分が許せない、
ってことなんですよ。
許すしかないんですね。
で、
許すと、
こういう感覚なんですよ。
えっと、
いや、
もう今回は、
しょうがない。
今回だけは、
多めに見てやろう。
明日か、
今度の、
かきあげ塾から、
6時40分に起きて、
えっと、
散歩して、
え、
ポッドキャスト撮って、
ファン座も見るんだぞ、
っていうわけにはいかない、
ってこと。
そういうやり方じゃない、
ってことなんですよ。
でも、
これしか、
知らないっていう方にとって、
そんなことはないんだけど、
本当は。
え、
この、
グッドワイブス、
という話には、
無理がある気が、
しちゃうわけですよね。
えっと、
人を愛するとか、
になっちゃうんですよ。
で、
これは、
えっと、
自分を許す、
っていうことが、
先にないと、
無理なケースでは、
無理なんですが、
自分を許す、
というのは、
何も別に、
特に難しいことでは、
本当はないんですね。
この、
夢の中で、
やろうとしている、
固執していることを、
夢ごと、
捨ててしまえば、
いいわけです。
それは、
すっごい、
簡単なことなんですよ。
夢を覚えていく、
っていうのは、
えっと、
やってみれば、
分かるんですけど、
人は、
こう、
ほぼ、
そんなことはないです。
見てはいるんですよ。
少なくとも、
見た瞬間は、
あって、
毎日、
つけようと思えば、
夢にきて、
毎日、
つけられますが、
やると、
これが、
どれほどの苦行かが、
よく分かります。
夢は、
覚えておけない。
でも、
僕らが、
やってることは、
それに限りなくしかいない。
現に、
あの、
夜がつかむ人、
そうじゃないですか。
あれは、
夢を見ている、
わけですね。
要するに、
難しいことのように、
思えてくる。
だから、
他者がいるんですよ。
他者を、
起こしてくれるから。
たった、
それだけのことなんだけど、
たった、
これだけのことが、
まあ、
難しいと。
で、
その、
他者が、
手ごろなところに、
いないというんであれば、
カウンセラーさんのところに、
行くのが、
いいと思うんですが、
そのとき、
カウンセラーさんに、
やってもらうと、
思っていることも、
やっぱり、
同じなんですね。
自分を、
許すということです。
僕は、
これは、
精神分析の、
対照関係論の方から、
どれを見ても、
結局、
そこに行くな、
っていうのは、
間違いないところだなと。
今では、
そういうふうに、
思っているので、
えっと、
自力でしか、
やりたくない、
というのであれば、
自力は難しいんだけど、
一番。
自力でしか、
やりたくない、
というのであれば、
えっと、
この自分が、
許せない、
というのは、
夢なんだから。
これから、
冷めれば、
自分が、
許せる。
自分を、
許してしまったら、
ダメ人間の、
そこに沈む、
という恐怖は、
あるんですけれども、
えっと、
それは、
逆なんですね。
許せないから、
その恐怖が、
ずっと、
続いていて、
消えないんですよ。
これは、
自分の夢の中で、
自分の夢の中の、
罪に、
えっと、
絶対、
このようなことを、
した者は、
えっと、
許されるべきではない、
という夢に、
こだわっている時に、
のみ、
持続する現象。
そういう、
意味で、
あの、
脇に、
昨日読んだですね、
ウツパンも、
そうだったし、
えっと、
ヨルガスカンも、
そうなんだけど、
この、
人に相談するのも、
難しいような、
ほど、
えっと、
自分の中にしかない、
悩みというのは、
まさに、
文字通り、
ある意味では、
その通りなんですよ。
それでも、
相談した方が、
いいんですね。
なぜならば、
えっと、
相手は、
多分、
ですけれども、
起きてて、
起こしてくれて、
えっと、
あなたの、
その、
言わないものだから、
っていうことを、
えっと、
そういうふうには、
言わ、
言ってくれないでしょうけれども、
結局、
そういうことを、
伝えてくれる、
はず、
だから、
ですよ。