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2024-12-09 45:16

「怒り」をマネジメントできるのか?【1104】

不機嫌さも怒りもコントロールの外に出る。
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おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト1104回をお送りします。
12月9日、月曜日、7時36分です。
寒くなりました。本当に寒くなってしまったので。
ここね、暖房を入れながらやろうと思っているんだけれども、音が収録なんでね、これは。
音が多分邪魔だろうということで、わりと静かなやつを入れていて、聞こえてはいないと思うんですけど。
加湿器とかね、いろいろありますんで、今のこの季節はですね。
ようやく暑くてネッククーラーという季節は終わったんだけど、もう突然寒くなりましたから、いろいろとめんどくさいですよね。
お知らせは続きます。12月14日の今週の土曜日です。
うるさかろうとなんだろうと続けるわけです。
タスクシュート総決査、2024、第1回です。
本当にね、私が話す話って、同じような話の繰り返しになっておりますから。
もう十分聞いたといった方もいらっしゃると思うんですが、今回は大橋哲夫さんとの掛け合いがあるので、なるべくですね。
最初に2007年の頃ですね、初めてタスクシュートを触らせてもらった時のことを思い起こしながらお話しして、
合わせてね、ちょっと予告はしましたけど、アトピーだとか腰痛だとかと縁が切れたと言っていいと思うんだけど、特に腰痛はね、100%切れたなって感じがするんですよ。
で、その話もなるべく当日その完全な形ってなんだって感じですが、タスク管理で腰痛を治すみたいな話では全くありませんで、そんなことはありえないと僕は思うんですね。
そもそもタスクシュートは私はもうタスク管理の範疇に入れてないんですよ。これはね、世間一般では通らないと思うので、タスク管理の範疇に入っちゃうと思うんだけど、私はタスク管理だとは全く思えなくなっていて、
いつの頃からかそうで、今はもうタスク管理とタスクシュートは全然別物ですと言いたいぐらいなんですよ。そうは言い切ったところで通らないでしょうけど、そう思っていて、だからタスク管理で腰痛が治るなんてそういう話ではないんですね。
ただタスクシュートは私が腰痛から離れるのに悪化させるのにもなんだけどある意味、大きなひと役を買いました。運用の仕方なんですよね、これは私としては。
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アドピーはこれもでもひと役は買ってます、明らかに。で、先日Xで書いていただいたんですけど、ある認定トレーナーさん24回なんだからそれだけでも大きいと。でも私はね、そういうことだけでは語りようがないなって思うんですよ。金額的にはあるいは時間的には24回ってことになるんでしょう、確かにね。
でも腰痛ってのは整体に行こうとマッサージしようと治りませんからね。24回行ったって大半の日は腰痛の持ちは腰痛じゃないですか。悲しいことに。でも痛くなくなるということは、行かなくて済むようになるということは腰が痛いなんてことはなくなるわけですから。24回じゃないんですよ、365回なんですね。
残念な話だと思うんですよね。行った日は確かに気持ちよくなるんだけど、1日続かないんですよね。もちろん放っておくよりは全然良くなるんで、行く意味がないわけじゃないんだけど、1日痛みから解放されたって記憶は僕はないんですね。なかったです。今は1年痛みから解放されてますからね。話が全く違いますね。
アトピーはもっとですよ。だって整体に相当するものがないんで、一時的に良くするという方法もあんまりなかったんで、ありますけどね、対象療法的に。でもこれはもう1年どころじゃないですよね。毎秒ですよ、はっきり言って。体の痒みっていうのは毎秒続きかねないところがあるんで。
だから同じなんですけど、1年が毎秒ごとに解放されている状態というのが得られます。得られますってこれもタスク管理で得られますって話ではないです。タスク管理してればアトピー治るなんていうことはありえないと思いますね。
それはタスク管理をすることに意味がないっていうのではなくて、そういう因果関係で語れないっていう話です。こういったことを14日に頑張ってしゃべろうと思ってます。ただしこれは僕に起こったことですからね。みんなに必ず起こるって話ではないですから。こういうのって私はあんまり良くないと思うんですよ。
あんまりここをありえない因果率で語ってしまうというのはね、宗教の病を治す奇跡みたいなもんで。ただね、こういうことってありえないことではないんですよ。
若い人、どちらかというと若くて合理的な人が、こういう宗教的な話のうさんくささを嫌うのはですね、やっぱり健康だからなんですよ。ご自身の健康に自信を持っていれば、ああいうものが怪しさいっぱい以外の何者でもなく見えるのは仕方がないことなんですね。
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でも自分が病弱で年中持病持ちで、歳をとってそれがいよいよ手に負えなくなってくると、宗教のうさんくささよりもですね、この問題を何とかしてくれるなら基本何でもいいだろうっていう気持ちにむしろなるものなんですよ。
宗教ってそういうもんです。若い人ほど自分の気持ちと自信にあふれてますから、健康上のね。当然ですよね、若いんだから。だから若くして系統するという場合には非常にいろんなわけがあるんだけれども、歳をとってから系統するというのにもまた非常にいろんな事情があるんですよ。
これが私がメンタルよりと言っているものの一つのわけなんですね。何しろうちお寺だったんでね。やっぱりこの家が寺であるっていうのは切っても切り離せない、自分がどれほど健康に自信があろうともそうじゃない人がわざわざやってくるわけですから、それがどんなに多いのかということを目の当たりにさせられるわけですよ。
まあ、それはよしとして2024年の総決算は一人こういう理事がいると思っておいていただければ。
ついでに昨日ですね、私しゃべっていて、なんかこういう話になってしまうなっていうのの一つに怒りの扱いっていうのがあって、この話をちょっと軽くして、そしてその後何の話をするかはノープランなままで入っていきたいんですけれども。
あの私ね、この怒りの話は実はあんまりしたくないんだということがようやく最近昨日わかったんですね。はっきりとイメージはしてたんだけど、怒りというもののについて語り出すとどうしても社会側に話が触れていく、メンタルよりでなくなっていく。
そして今、アンガーマネジメントって言葉も昨日出たんですけど、そういう概念も流行ってるじゃないですか。ちなみにこのポッドキャストってどこにいてどういう話題でどういうつもりでしゃべってるんだって、これ聞いてて今も思った方がいらっしゃるかもしれないんですけど、最近スターFで少しリスナー増えてきましたから。
基本的に私はノープランで全く何も考えずに喋ってますからね。ここ、あの時々言っておかないと、一体こいつ何のつもりなんだろうって思われるじゃないですか。僕は目の前に架空の奥さんでもいるように夫婦話をしているように喋ってますからね。何のプランも持っておりませんから。
この点はよくよくこれを聞かれる方は一応意識に留めておいてください。僕のこの2分先どころか、2分なんてとんでもないな。2秒先に喋ることすら私の脳内にはございません。これはつくづく申し上げておきたいんですね。そういうものとして聞いたら時間の無駄になりますから、本当に。
どこにも台本ないし、僕この1000回に至って1回もこれについてメモすら取ったことが1回もないですから、1100回か。別に何か自慢してるわけじゃないですよ。アドリブで喋れるぜっていう話をしてるわけじゃないんですよ。これは独り言ですよってことです。僕の独り言なんですよ。
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僕はこれは残念なところもあるなと思ってるんだけど、脳内でこういう状態で生きてるんです。実に。それも4つぐらいの時から。物心ついてからずっとです。脳内のおしゃべりがほぼ止まらない人間なんですよ。およそマインドフルネスではないタイプです。
あの静寂が僕の心を満たしているとかってほぼとんでもないです。作り出そうと思えばある程度はできますよ。それこそ寺育ち、寺生まれで寺育ちなんで、そんなことばっかりやってんで寺なんてものはね。できますが、それは日常ではありません。私は何をやっていても脳内のおしゃべりが原則続いているようなところがあります。
もちろんすっごい小声になることあって、それが日常業務の差し支えに差し障りになるなんてことがありませんが、この音量をでかくして自分の口を通すとこうなるんですよ。これについて何かこう。
ねえシナリオがあるとか台本があるとかそういうことは一切ないです。あとフィラーをなくすというつもりも全くないんでこの8とかあのとか言うやつですね。あれがない方がいいとは僕は別に思ってないので。
というかそんなこと考えもしないのでですね。あの時々その話が出たときも基本的に聞いてないです。あの聞いてるフリをしてるだけで基本的に聞いてないです。あのこの辺を変えようとすると多分僕のこの語りは止まると思うんですよね。
で止める理由が何もないなと思っているんで台本を書いて始めてしまったらもうそれはこの僕のポッドキャストとは異なるものになりますし。
この台本を作ってまでやりたいという気持ちも一切ありませんから基本的には1秒先に何を喋ってるのかのプランもないしこれ終わると僕は自分が喋ったことを急速に忘れていくんですよ。
本当に夢の中にいるようなもんなんですね。終わると目が覚めて夢の内容は忘れると。だからタイトルつけるとき毎回苦労するんですよ。何喋ったかが思い出せないんですよ全然。これから何喋るかも全然頭の中にはないですしね。
口に聞いてくださいって感じなんです。口が勝手に喋ってるって感じなんですよ。よそだろ脳だろって言われると脳なんでしょうね。多分面白くない結論だけどきっと脳なんでしょう。でも僕は脳を意識できないから意識してるのは口なんでね。
口は意識してますよ。だから口からで任せなんですよ本当に。本当にこの口からで任せって言葉は今喋ってみてつくづく正しいなと。口から出るに任せています。だから口からで任せなんですよ。
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しかもこれも留意しておいていただきたいんですが、私は専門能力ありませんからね。専門知識もないです。専門技術も持ってません。これでも生きていけるっていうことを案に言いたいんですよ。持っていらっしゃらない方は。
よくいらっしゃるじゃないですか。Xとかでホントかウソか知りませんが、ずっとメンタルを不調で無職のまま引きこもっていて30になってしまっても何のキャリアもなくてスキルもなければ資格もありません。これは発砲塞がりですっていうのを言い換えてるわけですかこの方は。
どうしたらいいんでしょう。どうすることもできますよ。私なんかもう50ですからね。職は職だってあってないがごときものですし、それなのに娘とか私立の学校今日も行っちゃいましたし大変ですよね。再来月のお金もないですからね。どこにもないんですよ本当に。でもこれでやりくりしていけるんですよ。
無職とは言えませんが、スキルない、知識も特にない、専門も何もない、資格はもちろんない。何度も言いますけど、英検2級と取り損ねたスキーのライセンスが。スキー滑れるかな今。スキーも売っちゃいましたからね。スキーのライセンスで生きていけないだろう。でも取り損ねたようなレベルではね。
2級かな。一応2級なら真剣に取ろうと思えば取り直せると思うんですけれども、今時好きな人にならないしね。スノーボードはこんな大前世ですし、スノーボードは滑れませんし、いろいろあるわけですよ。
何言ってるのかよくわかんなくなりましたけれども、すぐこうなるんですよ。何にも考えずに喋ってるんで。口からで任せなんでね。何だろうな。何にもなくても生きていけますよ、きっと。
特に今の時代は僕は可能だと思うんですよね。思い込みさえ捨ててしまえられれば。なければ無理なんだ。佐々木さんにはできても私には無理なんだっていう、その思い込みを捨ててしまえれば。
僕だって最初は別に佐々木さんだったわけじゃないですしね。佐々木さんだったけど、明治はね、本一冊も出していない時代もあったんですから。しかも大学を出て2年何もせず、派遣として2年半働いて、その後何もせず、私が本を出したのはそれから8年か9年後ぐらいだったと思いますからね。
その頃には結婚してましたからね。この何の計画もせいもないじゃないですか。極めて愚かじゃないですか。私あのね、不思議なことがでも僕の人生って多分一つ皆様に、これも何の参考にもなりませんが申し上げておきたいことが一つあるとすると、知らなくていいことっていうのがこの世にはたくさんあります。
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知らない方がいいこと。多くの方は知っておいて予防すればそれが役に立つと考えていらっしゃるし、実務的な意味ではそうなのかもしれませんが、でもメンタル的な意味ではそうじゃないことっていっぱいあるんですよ。
例えば私は、まあこれは迂闊だという、迂闊は真似できないんですね。僕は迂闊なんで、迂闊が僕の武器なんですが、真似はできないかもしれないんだけれども、私に妻と結婚した時に何故か勧退されたんですよ。不思議だなぁと思いました。
なぜこのお家は私を歓迎するんだろうと。無職だし、何の見通しもない。でも何にも、妻は心配していました。妻のお兄様になる方は、私のようなどこの馬の骨とも知れないような奴と結婚して、お前も身を滅ぼすぞみたいなことも言われたらしいんですよ。
それは最もなると思ったんですね。だけど言ってみたら不思議なことにめちゃめちゃ大歓迎ムードだったんですよ。不思議だなぁと思ったわけですね。
僕は非常に目が単純というか迂闊なんで、そのまま歓迎されるがままに、すごい大歓迎されてるんだ、これはいいじゃんということで、あっさりその家にべったり甘えて結婚して、何も考えなかったんですけど、やっぱりめっちゃ言われてたらしいんですよ。後から聞いたところによると。
で、こういうのをめっちゃ言われているということを先に知っておいて予防するべきだっていう感覚の人もいらっしゃるわけじゃないですか。でも僕はそれが何かの役に立つ。僕の場合はですよ、それを意識できたことによって何かの役に立てるとはとても思えないですよね。
今では僕はそのお家に行くとですね、もう完全に何かを成し遂げた人みたいに扱われるわけですよ。で、面白いことにそのお家では明らかに誤解してるんですけど僕のことを。何かを成し遂げた人だと最初から信じてたとみんな思ってるんですよ。まあもう5年配ですしね。
で、その馬の骨言っていたお兄様まで、いやもう佐々木さんはもう最初にお会いした時からすごい人だと思ってたしみたいになっちゃってるわけですよ。まあ嘘かもしれないですけどね。知らなくていいことってこの世の中にはいっぱい知らない方がいいことの方が多いぐらいだと思うんですよ。
僕本当に知らなかったんで、まあそんなふうに思ってたとは思ってるとも思いませんけれども、どんなふうに思ってるとも大して思ってませんけど、よくいらっしゃるじゃないですか。目が物語ってるとか、私のことを歓迎していないことは分かってると。私はそれは真実じゃないと思うんですね。歓迎しているか歓迎していないかは本人にはそこまで明確な人って少ないと思うんですよ。
いるとは思いますよ。私歓迎するみたいな。でも歓迎ってそんなに意識的にするものではないんですよ。そしてまた、こいつダメだな、うさん臭いなと思ったり、結婚反対するねみたいに思ってるってことをそんなにみんなは明瞭に意識化したくないんですよ。なぜなら分かんないことだから結局。分かんないことは人はどっちかに別途でいないんですよ。完全にはかけられない。
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人間ってやっぱりですね、完全にかけるってすっごい難しいことなんですよね。これはね、かける時の気持ちになってみると、かけごとやんない人は分かりにくいかもしれませんけど、僕かけごとって実はちょっと一時ハマったことがあって、なるほど難しいもんだなって思ったんですよね。
99%くらいいけるって思ってもダメなんですよ。1%ダメかもって思うと弱気になる。人ってそういうもんなんですよ、やっぱり。先の心配しちゃうんで。結婚の反対も賛成も同じなんですよ。100%ってできないんですよね。本人の中でもアンビバレントな部分っていっぱいあります。
だから僕はこう思ってるに違いない。この人はこういうことをすると起こり出すことは確実だって言ってる人はかけてないと思ってるんですよね。実は心の底では。どこかで自分をごまかしていらっしゃる。99.9%は100%とは全然違う。
だから相手がどう思ってるかについて確信を持ててると言っている人は、僕は心のどこかでは自分を裏切ってると思ってます。100%という信念は人はまず持つことができなくて、まして相手の気持ちについて持つことはできなくて、そして人はちょっとしたことで99.9%が逆転するんで。
だから結婚に賛成も反対も反対も賛成もありえないんですよね。結局僕が思う。そこはアンビガーって言いましたっけ?英語で。ものすごく曖昧なんですよ。全然灰色なんですよ。白か黒かは灰色なんです。そう思っておくとですね、人は自分が何を思ってるかを知らないから。それを私が知るはずがないから。それについて知る必要はないと思う。てか知ることは不可能だと思う。
現に私の結婚がむさにそうだったんですよ。最初は反対だったらしいんですよ。でもその事実を知ってる人はもう誰もいないんですよ。うちの奥さんがまあ知ってるかもしれないな。でみんな、妻のご家庭は結婚最初から大賛成だったからって人しかいなくなっちゃったんですよ。非常におかしな話にも聞こえるかもしれませんけど、僕はそれが人間の心理の極めて自然で真っ当な姿だろうと思うんですよね。
うまくいった方に人はつくんですよね。うまくいってしまえばついた方はうまくいった方に決まっているんですよ。それはすべて後付けの話であって、最初からこう思ってましたっていうことほど当てにならない話じゃないと思う。ましてそんなことを私の方が知っとく理由は何もない。先に知っといて予防線張っても事態は悪化させること以外に何の役にも立たなかったと思うんですよね。
今となってはってことですからね。で、いつになったって今となっては後から来るじゃないですか。先に今となってはが来たら時系列おかしくなっちゃいますからね。
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まあ、こういうふうに今この話をしてますが、私はこの話を5分前、いや少なくとも10分前にするつもりは一切ない話でしたから、口から出まかせなんですよ。
で、まあその30代の人に届くかどうかわかりませんけど、無職でキャリアがなくて、何の特に働く意欲もなくても全然大丈夫です。こと働くということに関して言えばですけど、生きていくということに関してはましてやです。
サバイブってね、今の私たちが住んでいるこの環境においてそう特別なものは必要としないと私は思います。でも信じられないってことが最後のネックになります。
佐々木さんはできるんだよって思っちゃおうとします。そして自分を追い込むんですよ。
佐々木さんはできるって言葉が自分にとってどんな意味がどんなメリットがあるのかというと、多分ないことは口をついて出ようとした瞬間にもうわかると思うんだけど、それでも言いたくなる。
そうして自分を守りたくなる。どうやってどう何がそれが守りになるのかわからないけど守りたくなるんですよ。で、なんかこう自分にはできないような気がすることにしちゃうんです。
そうするとできなくなるというこれね余計なんだよね。できないという思い込みによってできなくなるっていうのは本当はおかしいと思うんだけど、全然ロジカルじゃないと思うんだけど、リアルにそういうことになってるんで。
これは私はまあこれがやっぱりある種の投影同一化だと思うんですけれども、投影した通りの結果が出現していくっていう何なんですかねこれはね。
自分の頭の中にある台本を自分が生きていってしまうという。佐々木さんにできたかもしれない。佐々木さんはなんか特殊な人間なんでオカルトですけどねそれね。
特殊な何か運に恵まれているから、アホでもムチでもスキルがなくてもなんでもなんか知らないけど上手い生き方できていてなんかずるいんだけど私には無理だからっていう台本を生き始めちゃうんですよ。
なぜなんですかね。僕もこれはオカルトみたいなもんだなと思うんだけど、これはオカルトじゃないんですよね。人はなぜか自分の書いたシナリオを生きるんですよ。
僕はこれが不思議で不思議で不思議でしょうがないんですよ。投影同一化だとか言っていますが、投影同一化は起きますけど、僕も投影同一化何回も目撃したし、自分も体験しましたけども。
先日のクレームの女性の話もそうでした。クレームを入れてくる。その人はクレームを受ける。クレームというものが許せなくなる。すると僕にクレームを入れる。
こういうふうに台本を生き始めてしまうんだけど、これがどうしてそれが起きるのかというのは分かるようで完全ではない。
ただ、発砲したがりのオカルトよりはマシだと思ってますね。紫だからできるとかいうオカルトには何の意味もないじゃないですか。それこそ万能空想ですよね。
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出し入れいくらでも自由です。とりあえずそう言っとけば済むっていうような話なんで。それよりは自分のシナリオを描いてしまうとそれを生き始めかねないので、余計なシナリオ、自分に不利なシナリオなんて書くのは、
よく考えればいいこと何もないのでやめた方がいい。いいシナリオを書くって難しいから、だったらシナリオなんて書かないっていうのが私の処制術ですね。
それを僕はここでも徹底しているから、これを喋るシナリオは一切書かないし、実際には2024年のスクシュート総決算のシナリオもないんですよ。
予告しておきながらシナリオないのはなんだって思われるかもしれないけど、予告は僕の無意識に入ったから、あとは2024年のスクシュート総決算の日にあそこに行けばですね、私は予告をした内容が喋れるはずなんですよ。
これがみんなが怖いって言うんですよ。でも私はね、変なシナリオを書くよりはマシだと思うんです。
変なシナリオを書いて自分がその上を行きさせられて、しかもそれが不本意だというぐらいならば、書かなければ少なくとも嫌なシナリオを生きる図には済むわけですからね。
僕はつまり腰痛もアトピーもそういう意味ではシナリオだったと思うんですね。アトピーシナリオは確かに書いてました。
変な話ですよね、これはね。アトピーのシナリオを書いてお前に一体何のメリットがあるのかと。ないですよ、そんなもん。ないんだけど書いちゃうんですよ。そして肌を書いちゃうんですよ。
書くのやめたんですよ、シナリオを。そしたら肌はバカずに済むようになって、ツルツルになっちゃったんですよ。本当なんですよ、これ。オカルトみたいだけど、確かに。
だから僕はシナリオを書くことに、少なくともシナリオを書かないことを人に勧めたくなるんです。書きたい、どうしてもシナリオを書きたいっていう方に、それを止める権利は僕にはないと思うんだけれども、
佐紀さんだからできたんだ、私には無理なんだってシナリオを書く人に書くのやめた方がいいと僕は思います。だってなんかその人にとって申し訳なさしか生まれてこないんで。
でも書きたいっていう人を僕が止める権利ってないような気もするんですよね、シナリオを。じゃあ、なんかよくわかんないけどどうぞって感じになっちゃうんですよ。
でもやっぱりここでどうぞっていうのも無責任な気もするし、目の前にその人がいらっしゃればね。だからいないんで、皆様は今私の目の前に。そのシナリオを書くのをやめた方がいいということです。
私が今言えるのはのの、マックスがそれですね。未来に悪いことが起きるかもしれないシナリオ、それを書いとけばそれの予防になる。僕はそれは断じて信用できない。今言ったような事情で。
必ず私の妻のご家庭も私がこの人たち反対してるんだろうな、その反対最もだよなと思ってたらずっと反対してたと思います。内心ではね。
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これをやるメリットがない。これをやることによって、いや、予防しようと。みんなひどいやつ男と結婚させられたと思ってるのを予防しようと。まず嘘をついておこうと。実は私にはこういう見通しがございまして、こういう貯金もございまして大丈夫です。
それにこれから心を入れ替えて働くつもりですとか言ってたら、多分、ろくな結果にならなかったとしか思えないんですよ。そしてそうやろうとしちゃうじゃないですか。で、会社とかに僕が勤め出す。まあ、ろくな結果になったとは僕は思いませんね。
少なくとも今の人生よりもはるかにQOLの低い人生を歩んでただろうなって感じはします。いい加減怒りの話に戻さないと。30分が経過しようとしているんで、怒りの話にしますね。
怒りというのは僕は恐れなんだと思うんですよ。基本的に。で、それは自分が一番貯金なところで損失を被る恐れなんだと思います。
そしてその損失っていうのは何かを失う、何かを損なわれるという恐れであり、不安あるいは恐怖であって、これを伝えるというコミュニケーションの一つとして怒りの伝達というものがあるんだと思うんですね。
と思うので、僕はわかんないで言ってるんですけど、はっきり言えば、あまり案外をマネジメントする気がしないんです。案外をマネジメントするくらいだったらば、テラーをマネジメントしたいと思うんですよね。
恐怖の方をマネジメントする方がまだマシだろう。ただ、恐怖はマネジメントできるような代物だと思えないので、結局僕はマネジメントというものの対象にはならないなと。
なんで怒りが社会問題に発展しやすいかというと、やっぱりこれは怒りは正義と結びついていると考えられているからなんですね。
ここは僕の個人的な信念の話であって、メンタルの話じゃなくなるんで、あんまりここにたじりたくないんですよ。
怒りは正義なのかそうでないのか、怒りっていうのはどんな時でも受け入れられないものなのか、あるいはある種の不正を正すためになら、むしろ積極的に利用するべきものなのか。
私はそうは思わないんだけども、これは私の信念の問題、社会的な方のですね、社会正義みたいな話で、ここは私基本立ち入りたくないんですよ。
私はここでは完全に無力だと思うんで。
誰がですね、例えば一方でですよ、どんなにいろんなことを言おうともですね、やっぱり東大でです、法律関係です、官僚ですっていうような肩書がある人が正義を語るのと、ほとんど無職です、無知です、大学もよくわからないところ出ました。
なんならその時も女性が作りたくて大学を出ましたっていう人の正義と。
どっちを取るかって言ったら普通に前者ですよね。
僕はここで著しく不利だと思ってるんで。
ここで正義語る気しないんですよね、正直。
新城坂の父がいましたみたいな、そういうだけの人間がですね、なんかこう、95年体制、違う、55年体制崩れみたいなところからの正義を語ったところで、しゃあないと思うんですよ。
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しかもそれも僕自身あんまり信じてるとは言えないですし。
だからここはもうノータッチみたいな感じ。
怒りが不正を正すのに役に立つとは、怒りの伝達が不正を正すのに役に立つとは、私はあんまり信じられないんだけれども、ここについてのディスカッションをしたいとは思わないんですよ。
そうじゃなくて、怒りというのはもともと根底には恐れというものと深く結びつきがあり、その恐れは生物としての損失というものに対する恐れなんだと思うんですね。
だから、例えば私が奥さんに対して、あまりにも男として粗雑に扱われていると怒ったとするとですね、それは不調性というか不調的なものをオーガナイズされている霊長類としての人というものが父親というものを剥奪されるという恐れから来る怒りなんだと思うんですよ。
恐れをコミュニケートしているんだと思うんですね。
この恐れを、あなたはこういう恐れを私に与えたと。
過不調というものを、私は全然お父さんぽい人間じゃないですが、それでも私に与えられた役割として過不調的なものがあるだろうと。
だって家建てちゃったからね。
その家建てたり、そういうメンタルを、そういうものの言い方をすると損なわれると。
これをみんな自尊心とか、最近は人間としての尊厳とか言い出すんですけど、僕はそういうものを信じてないんですよ。
そうじゃないと思うんですよね、これは。
私にオーガナイズされたものとして、男であり父であるということしかオーガナイズされている気がしない。
つまり遺伝されてないってことです。
猿はボスになろうと頑張るじゃないですか。
教育されたわけじゃないじゃないですか。
息子のちっちゃい頃にね、お母さんの猿に、お前ね、せめて2番のボスにはなるのよとかって言われたことはないわけ。
あれは遺伝なんですよ、きっと。
で、私は人間にも近い遺伝があるんだと思う。
だからお父さん争いみたいなものが、歴史上延々繰り返されてきたと思うんですよね。
王子様がすぐ王様殺しちゃうんですよ。
そして、俺が王様になる。
あれはボス猿の取り合いと基本的に近い、もっと過酷ですけどね。
で、私にもそういう遺伝があるんですよ。
でも、なんかこう、頭こなしにもう、なんかこう、皿がちょっと違うっていうだけでめちゃくちゃ怒られると、
多分その過不調的な意欲というものを大幅に挫かれるんですよね。
でも過不調的な意欲ってものがゼロだと、働く気ってすっごいしなくなるんで、
この辺のことを現代社会で言うとですね、ものすごく炎上するんですよね。
そんなんだったらやめちまえみたいなこと言われるんだけど、やめられないんですよ。
だから私は過不調的なものは、心の中に徹底的に抑え込んだ上で、
33:05
密かにこれを温めておき、
私なんかもう、家の中で最下位みたいなカーストかもしれない、
カースト最下位みたいな扱いかもしれないけど、
そんなことは構わないから、
いかにこれが自分にとって損なわれてはまずいか、
そして損なわれてないかっていうことを確信させておきつつ、
あとはどう扱われようとも損なわれることは根本的にあり得ない。
遺伝だから。
遺伝によってオーガナイズされているようなものが、
にやみだの、失績なのによって完全に損なわれることはないっていうふうに思ったときに、
この怒りは解けるんですよ。
別に、つまり抗議せずとも、これはなくなってない。
なくなってしまった方が楽なような気がするんだけど、結局なくなってない。
なくなってないものについて、
奪われたと言って抗議する理由はないってところまで行きつければいいんですよ。
で、これを、いや正しいのはどっちなのか、
サラのことなんかで怒る奥さんなのか、
それともサラを間違える私が悪いのかみたいなことをやってると、
キリがなくなってしまう。
そして、結局のところ怒りの本質にはたどり着けない気がする。
怒りの本質というものはやっぱり恐怖なんですよ。
今私は盛んにオグデンが書いているウィニコットの破綻恐怖、
人間にとって死ぬよりも恐ろしい最終的なメンタルが最も防御しなければいけない恐怖は何か。
これやっぱり問うよね。
精神分析では問う。
これもやっぱり我々本当は恐れている。
だから私は自死とか既死燃料が動くんだと思うんですよね。
死んだ方がマシだっていう恐れがこの世の中にあって、
それが結構揺さぶられてくるんですよ。
赤ちゃんには絶対あったっていうところは私もわかるんですよ。
ウィニコットはここを言ってるんですよね、ウィニコットをはじめ。
クライムもだと思うんですけどね。
赤ちゃんは死ぬって概念がないから、死より恐ろしいことが起こるんですよ、彼らに。
それは結局死ぬってことなんだけど、彼らにとって死ぬってことは、
死ぬってことを知らないだけにもっともっと強烈な恐怖が直載的に来るんですよ。
これがおっぱいがもらえない、ダメだっていうことなんですよ。
死ぬってことを知らないで死ぬなんですよ。
だからものすごい恐ろしいわけですね。
これが私はキシボジンを作り出したんだろうとある意味思うんですよ。
食われると。母親にね。母親狂ったから食われると。
自分におっぱいをくれないっていうのは狂ってるんですよ。
自分におっぱいくれるのは当然なんで。
先日、ヤングケアラーの漫画のユイちゃんっていう漫画で、
なんで子供は親を信用してるんだろう。
親である私は悪い人かもしれないんだよっていうふうに一生懸命自問するんだけど、
これだなって思うんですよね。
なんで子供は生まれた時から親を100%信頼してるように振る舞えるのか。
36:00
これやっぱりオーガナイズだと思うんですよね。
我々が過不調性を遺伝させられているように、
親を100%信じる以外に生きる方法のない赤ちゃんとしてはこれが遺伝されている。
そんなこといちいち考えずとも、普通に母子関係はうまくいくケースが多いのですが、
残念ながらユイちゃんはそうは育てられなかったんで。
明らかにお母さんがユイちゃんから見るとキシボジンのような振舞いをしてしまっていたために、
100%信頼できる理由が必要な気がしてしまうというか、そこで自問が起こってしまうんですよね。
オーガナイズされているものが起動してないんだということなんだと思うんですよ。
それでなぜ自分が信頼できなかったのかを思い出すっていうことが、
あれは物思いだと僕は思うんですけれども、
あそこで精神分析的なことが起きていると思うんですが、
自分がハイハイをしていたときに思いつも変えてくれなかったっていう、
そして欲打つ気味に寝込んでいるお母さんのその悲哀ってものが漫画に描かれていてですね。
ここに僕は破綻恐怖ってものの一端があるなって感じがするんですよ。
このままでは大変なことになる。
それはなんだかが言葉に表すことができないレベルの恐怖である。
この恐怖は当然怒りに転じますよね。
何がやってるんですかねこの人っていう怒りになるじゃないですか。
つまり失われる恐怖ってものは非常に簡単に失わせることに対して責任を持っている人に対する怒りに転化するんですよ。
これをコミュニケートしてあなたのやってることはダメですっていう、
このままだと私破綻しますからっていうことを伝えるのが怒りの伝達だと思うんですね。
これはマネジメントするような対象に私には思われないわけです。
だから怒りというものが表出されるべき時に表出するのは仕方がないと思うんだけど、
ただ私はあの時ユイちゃんがどんなに怒ってもお母さんを起こすことはきっとできなかったろうなって思うんですよ。
したがって私はこの時プーチンが頭を巡るんですけどね。
私は怒りというものが正義を実現するコミュニケーションツールとしてはあまりにも弱いと思っているので、
基本的に社会正義の話にはタッチしたくないんです。
だって世の中は違うロジックで動いてますからね。
怒りというものは処罰するべき人間を処罰するべきだと言って厳に処罰してます。
最高刑はデスペナルティーということになってます。
すごい話なんですよ。
僕はこれにはとてもついていけないというのが正直なところなので、
まず殺す理由が全然見当たらない気がしてしまう。
と思ってしまうんで。
でもここを議論すると大変な議論になるので、
この議論にはタッチしたくない。
というか私にはタッチする能力と資格と権利がいずれも十分に備わっている感覚が得られてないんですね。
でもメンタルとしての怒りは今言ったようにコミュニケートだと考えて、
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ほぼ取り扱うことが可能なような気がする。
だからマネジメントするというよりは持ちこたえるんですよね。
持ちこたえるというのは多分に我慢するという感じになるんですよ。
なぜなら持ちこたえきれないと思うんですよね。
ユイちゃんのような状態にとってお母さんに怒りを表出するのは持ちこたえられるか、
その怒りを自分が抱えておけるか無理だろうと思うんですよね。
だから出ちゃうでしょうと。
出ちゃうというのはつまり怒るってことになる。
これはマネジメントのようなイメージと全く違うなと。
あふれ出てくるお湯というものがあふれ出ていってしまう。
それを押し留める方法ってない。
ただお風呂の容器をいろんな機械を捉えて大きくしていくことは実際はできると私は思うんですよね。
このお水が出ていってしまう感じっていうのが怒りの表出っていう風になっていくので、
このことと正義はあまり関係がないんですよ。
出るなと言ったって出るし、出すなと言ったって出ちゃうんだからしょうがないと思う。
それに対して怒りを否認するってことほど事態をまたややこしくするやり方もないと思うんですよ。
怒ってるのに出てないことだっていう風にみなすわけでしょうね。
否認ってのはそういうことなんですけど怒ってないんだと。
そうすると私は乖離みたいな事態になると思うんですよ。
怒ってるのにそれを認めないってことをやってしまうと、
自分の現実見当を著しく弱めることになるので、つまり精神病状態に近づくと思うんですよね。
僕はこれは精神は避けたいと思うんですよ。
精神病であればやむを得ないとしてもですね、精神はやっぱり二軸体を必要とする生きていく上では、
現実に自分が怒っているならば、怒っている怒りを伝達しているならば、
その認識は持つ必要があるような気がするんです。
ここを否定したり、怒らないという選択を取るという、可能であれば構わないんですけど、
可能だと思えない時があるわけですよね。
溢れ出ていくわけですからね。
これが私は怒りの伝達だと思うんですよ。
だからこれは実際は意図せざるコミュニケーションに近いと思うんですね。
そういうことをしたいわけじゃないんだけど、そういうことをしてしまうっていうようなコミュニケーションに近いと思うんですよ。
これを何とかしたければ、器をでかくするより他仕方がないでしょうと。
ただ器をでかくした時には、よくよく注意しなければいけないのは、
その怒りは自分の中に、言ってみれば溜まっているものであって、
当然自分を傷つけますよね。
このことに持ちこたえられるようになるんでなければ、
器そのものがでかくなるってことは多分起こらないだろうなという感じがするんです。
一人では無理だと僕は思うんですよね。
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一人でこの器を大きくしていくっていうのは、私は全然現実的なイメージが湧かない。
このイメージとしてですね、母子が一体となった時に大きな器が一つ現れるのは、
母親だけのコンテナーでも、赤ちゃんだけのコンテナーでもなく、
母子のコンテナーの中心は母の中心でも赤ちゃんの中心でもなく、
その空間全体の中心に映るようなイメージがあるんですよ。
この時にパーソナリティーは著しく大きくなって、少なくとも2倍以上にはなって、
ここでなら怒りが持ちこたえられるっていう空間が発生し得ると思うんですね。
これが一つの夢を2人で共有するっていう時に多分言われている意味なんだろうと思うんです。
私この体験はカウンセリングで、私が受けたオープナーのカウンセリングで何回かした感じがするんですよ。
自分一人だったらこれは持ちこたえられなかった、行動化か身体化かしてしまった怒りだっていうのを、
カウンセラーと2人で何らかの形で私たちの主観の中心が映ってですね、主観的になってっていうことになるんだけど、
この怒りに対応することができたっていうことがあったんですよ、体感としてあったんですよ。
こういうことが体験しなければ多分この器がしっかりするとか大きくなるっていう事態を自分の、
これただ我慢するって感じになっちゃうんですよ。もともとの器のまま水が漏れないように必死になるっていうのはただただ我慢するってことになるんですよ。
その場合、誓るべき量に達すると自然と漏れ出ちゃうんですよ。不機嫌な人ってわかるじゃないですか、外から見て。
で、あの不機嫌さを自分でコントロールするみたいなことも書いてあるんだけど、私はそんなことができるはずがないと思うんですよ。
つまり人を見ていると不機嫌であることはすぐわかると思うんですよ、はっきり言って。
本人はどうしてるつもりか知らないけれども、周りにそれは伝わると思うんです。
それは僕からするとですね、ごく当たり前のことであって、マネジメントする義務がその人当人にだけあるっていうのが、私にはなんかですね、自分の経験から言ってもとても納得できない話なんです。
だから怒りを伝えてあらないとは全然思えないんですよ。
ただ怒りが正義の役に立つかどうかというのは、ここで持ち込まれるべきではない議論のような感じもするわけです。
そこを持ち込んじゃうと違う話になってしまうんで。
この人がどう持ちこたえるかって話から離れてしまう。
だから自分としてはやっぱり、結局表出するということは避けたいわけですけれども、でも表出はしてしまうよね。
してしまうんだったら、その持ちこたえられなさというものを変容させるために何かがいるよね。
それは多分ですね、自分自身でできることではないだろうな。
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自分自身だけでできることではないだろうなと。
これが3カ月チャレンジのCMだってつもりはないですけど。
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