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  2. 【658GMV】食えなきゃ働けない
2022-08-24 34:08

【658GMV】食えなきゃ働けない

ケアとセラピー
00:07
ふいにひらめいたというか、ごく当たり前のことなんですけど、
いや、下でやってもですね、普通にイヤホンマイク使えば良くないかと思ったんですね。
たぶん、イエッティのマイクを使った方が声は良いと思うし、
これはこれできっと色々出てくると思うんだけど、
とりあえずこれで聞いてみたところ、
少なくとも何にもしないよりも良しだなと。
これをしている感は僕には嫌なんだけど、
ここさえ頑張れば何とでもなるなと思いまして、
今日から下でやる時は、つまり録って進む出しの時はこれを使おうと。
これを使えばですね、音楽を入れても大丈夫なんじゃないかと。
そのうちまた色々、お金回りとかが良くなったら真剣にあれこれ考えようと思うんですけど、
とりあえずはまずこれで行こうと思いました。
9月に、また第2回に、働く人の真相、自立生涯をテーマにします。
8月枠があと1つかな、9月枠は作りましたので、
また告知しますね。
まだまだほぼ全空き、ちょっと埋まりましたけれども、
まだ空きはありますので、
9月の方ですね、復活後つきましたら、
お都合は極力合わせますので、
平日午後ならば多分ほとんど行けます。
一部特定の時間を乗り越えておいて、
夜でもやりますので心配ないです。
ということで、極力合わせますので、
夜2時とかは私無理なんで、そこはちょっとご容赦いただきたいんですけどね。
午前中でもなるべく頑張ります。
朝もですね、娘を送る時間とかは無理なんで、
朝8時とか7時とかはちょっと無理なんですけれども、
なるべく合わせますので。
海外からもし惹かれているという方がいらっしゃったらですね、
時差にもなるべく合わせますので、
お気軽にご検討いただければ。
昨日、本当に久しぶりにですね、
プラザの王様と収録したんですね、
このGood Vibesテーマで、
これをやると私はすぐ元気になるという、
この件についてちょっとお話をしたいんですね。
03:00
一つですね、
今日はこの話メインにならないか、なるかわからないですけど、
一つ、一寸先は闇という言葉をいただいて、
これで私はほぼほぼ、
昨日までの不調が時々襲ってくる問題は解消されました。
これがつまりどういう風に寄るのかという話を交えながらちょっと、
今日はケアとセラピーという話をしたい。
ケアとセラピーというのは、
最近、戸原海人さんが割と盛んに言ったり書いたりされているんですね。
もう彼のホットは映っているかもしれませんけど、
私が読んでいる中ではですね、
一番最近、割と彼が言っているのはこれなんです。
ケアとセラピー。
で、この概念を分けるというか、
この概念それ自体はそんなに目新しいものではない。
皆さんも聞いたことはあるんですね。
ケアとセラピーって初めて作った人はいないと思うんですよ。
ウィリコットが最初に言い出したところ、そんなことも全然ないんですね。
で、なぜこのようなことを言うかというと、
ケアとセラピーのうち、
セラピーだけを必要とする人を、
僕の予測ですよそれは、
多分神経小水腫の胃老前止水腫って言うんですよ。
セラピーさえすればなんとかなるという人が神経小水腫だと思うんですね。
で、ケアとセラピーを両方必要とする人がボーダーラインより多いと。
特にアメリカの考え方を取る流派の人が多いんじゃないかなと思います。
これはですね、多分アメリカでなくても、
どこの世界でもこれに近いことはいえと思います。
ケアとセラピーって完全には受けられないんですが、
セラピーしてしまってケアが含まれませんなんてことはないですけれども、
でもセラピーを数回受ければ、
私のように気の上に1回受けると、
明らかに調子が変わるという人は、
脳胃老前止水腫なんですよ、悪くても。
で、言葉が通じない部分に手当てしなきゃいけないというのが
いわゆる精神病水腫ということなんですね。
私がそこまで落ち込んだら、
セラピーだけ1回セラピー受けただけでは、
多分なんともなんの一言がきっとあるわけですね。
で、ケアってのは何かというとですね、
私最近久しぶりにブログでその言葉を見つけて、
これかなと思ったら、
働かざるもの食うべからずって言うじゃないか。
あれなんですよ。
そこから始まる神経症というのが僕は、
というかこの言葉を発している人は、
すでに神経症水準に近いと思うんだけれども、
食わなきゃ働けないですよね。
そうは言っても。
なんと職業倫理みたいな話からするとみたいですけど、
06:00
働かざるもの食うべからずかもしれませんが、
食わなきゃ働けない。
食うの部分に相当するケアですね。
働くの部分に相当するケアですね。
働くの部分に相当するケアですね。
働くの部分に相当する。
そういう感じがするなと思った。
いるとすぐは。
居場所がなければ何もできないわけですよ。
だから働かざるものいちゃいけないっていう風にして
人を追い出していくと、
結構そこの職場の人たちは病んでいくっていうのがあるんですよ。
なんとなくはこれは、なんとなくわかるじゃないですか。
ものすごくギスギスはしますよね。
不機嫌な職場みたいに長く書いてあったのも、
あれも社会学的に見ているんだけど、
あれをカウンセリング的に見ると今の話で、
居るというのをケアする。
するというのをセラピーする。
でも、こんなに簡単には分けられないんですよ。
厳に、知能の私に、
沢澤さんのお話いただいた話は、
非常にケア的だったんだけど、
話をして問題に手当てしているというところが
セラピーなんですよ。
つまり話が通じないと、
セラピーにならないわけです。
話を聞く耳も持たない状態にある人は、
セラピーしてもなかなか響いていかない。
ついカモイロを書かせてしまう本の表紙を、
女性、書いてくれた女性ね。
あのイラストを書いてくれた女性が、
レズ風俗の本でヒットしたんですけど、
寂しすぎてレズ風俗に行きました。
レポーターだっけかな。
中で書いてましたよね。
セラピーを受けるんですよね。
カウンセリングって寂しすぎるから。
でも、そんなセラピーで話していなくていいから、
ギュッと抱きしめてくれっていうシーンがあって、
これがまさにケアとセラピーの、
受けているセラピーですよね。
話しておいた。
ハグしてくれる。
ハグするというのがケアなんですよ。
で、ここでハグはできないんですよね。
カウンセリング。
一方、女性が片手で訴えられたりもしますが、
それが危険なことってよく言われて、
そこでふと思い出すのは、
イエス様の像って
よく人に触れているじゃないですか。
人に触れると奇跡が起きるんですよね。
あの奇跡が何か危ないものを
引き起こすことも多々あるから、
触るのはゴカッとなるんですよ。
結構。
宗教とカウンセリングの
大きな違いの一つですね。
身体に触れる、触れないというものを
含む、含む。
で、ケアというのはですね、
ハグはしないんですけど、
ハグに相当する効果を
マイクダウン者の人、
永田カビさんみたいな方に
09:00
提供するのがケアですね。
だから、永田カビさんは
ボーダー水準に近いところにある時、
頭がわからないわけじゃないんですよ。
人間状態に入っちゃっている。
こうなった時に
セラピーだけでは
どうにもならないと。
そういうことがあるんですね。
はい、すいません。
ちょっといったん切ったんですけどね。
抽象警戒アラートが
放送されたので、
こういうことに
前よりは気を付けるようになりましたね。
これは100日チャレンジと
指摘いただいたからなんですね。
こういう話をする時に
私、特定の人を今
意識しちゃっているんだけど、
この私の一連のここでの話って、
誰にも特定のメッセージを
届けようとしているわけじゃないっていうのを
ぜひちょっと
気に留めておいてほしいんです。
毎回注意事項で
言ってもいいぐらいの
割と大事なことなんですけど、
メモしていないから私は
それで何を言うか
決まっていないんで
分からなくなっちゃうんですよね、
そういうことは。
これは、例えば誰か
特定の人に向けて
こういうふうでは
こうなりますよっていうことを
言っているわけじゃないし、
大体この話何度も言っていますけど
正しいかどうかは分からないと思って
聞いていてくださいね。
正しいかどうかってないんで。
正しくない可能性もあるんですよ。
読んだ本の解釈にしても
解釈ですからね。
言ってみれば
読書感想を調べていると思って
遠畑さんはそんなことは
全然違いますよって言うかもしれないんですよ。
これはぜひお含みを
聞いていただきたいと思います。
で、ケアとセラピーなんですけど、
僕らみんなケアされているってことです。
そこを忘れてはいけないんですよ。
いけないとか言っても
正しくもない話を
いけないとか平気で言っているので
僕の独断だと思って聞いてくださいね。
食わなきゃ働けないとか
そういうことで
居場所がなければ働けないし
ケアがされていなければ
動けなくなる。
人間とはそういうものなんですね。
だからケアと依存を
この話を失礼しますけど
なぜこれにしちゃいけないんですか。
私はケアされていないのに
なぜ人をケアしなきゃいけないのか
っていう話は
日本のオグットバイオスでも
よく出てくる話なんですけど
これは全然違うんですよ。
そんなことはあり得ないんですね。
ケアされていないなんてことは
もう私のイメージでは
僕らケアの上に立っているぐらいとか
12:03
立ったらもう
大地にケアされているぐらいに
思わない。
本当にケアがされて
多分僕ら全員
大鬱になるか統合失調になるか
分かりませんが
精神病水準
自分が神経症水準以上で
生きていられるとすれば
それも誰かがケアしてくれていると思って
間違いないんですね。
トマトさんが
最近のオンライン講座で
チンパンジーもケアはする
っていう思想の表現で
このことを話されて
霊長類はもうケアされなければ
群れの中にいられないんですよ。
人がそうでないとは
考えられないように
人の方がはるかに
ケアを必要とするし
渡すことにしている。
例えば私の
睡眠というのは
ケアの主弾
起きている時間のケア
正気を保っていられるとしたら
その人が睡眠で
ケアされているからなんですよ。
睡眠でケアされるといっても
自分は一人で寝てますよ
っていう人いるかもしれないですけど
睡眠中襲われたり
寝込みをこう
侵入者に上げてくるとか
ないと思っているから
寝られますよね。
これがケアなんですね。
だからセコムでケアしちゃ
ダメだってことなんですよ。
今の話だとセコムで
当然ケアすることになるんだけど
そうでもない。
安心感を得られるというのは
人にケアされる。
このケアと
睡眠だけになっちゃって
当然危険な状態。
そういう人は
現代の社会で
よく眠れる薬
アップルウォッチを腕に巻く
ということになりやすいんですよ。
つまりケアをハッグしちゃうんですね。
ケアほどハッグできないものはないんですよ。
ケアというのは空気みたいなものなんで
ハッグはできないんですよ。
なんかおかしいじゃないですか。
例えば長高井さんのところに行って
ハグの感触を
実に再現できる
15:01
VRとアンドロイドを
用意しましたと言って
それにハグされていたら
どうなってしまいました
というのがおかしいと思うんですね。
そういうものじゃないじゃないですか。
ケアというのは
トワタさんがチンパンジーの
あれがケアだという
つまり手を噛むとか
でも骨を砕くだけでは噛まない。
これがケアになる。
そういうものが
安全・安心・確信が
要するに信頼の話になるんだけど
そこにケアが起こるんですよ。
起こるというか
ケアされたという実感を
得ることができるわけですよ。
この人ケアされたなと思えると
自分もケアされるんですけど
これを与えると
同時に与えられるという話
なんだと思うんだけど
もう一つ
ここで私は誰にもケアされていないから
一人で自立して生きていけるから
生きていってるから
ケアなんて依存じゃ
という人がいたとするじゃないですか。
いくらでも世の中に
いろんな人が
これを言うと何が起こるかというと
東映ドイツクが起こるんですよ。
これは話が少し脱線しているし
非常に話が複雑になっているんですけど
ケアは私誰にもされていないから
って言っている人を見ると
周りの人は少し嫌な気持ちになるんですよ。
これがケアなのか
誰にもされていないから
と言っている人の不安が
伝染していく流れなんです。
で、本人のピンピンしている
つまり周りの人が
言葉を受け止めてあげているからなんですよ。
これもまたケアなんですね。
周りの人は季節して
ケアさせられているわけですね。
これが東映ドイツカの形なんです。
何かその人と一緒にいると
みんなの気分が少しずつ落ち込んでいくと
これをえぐいことを言う
言葉で言うならばフロイトが言ったように
糞便をぶちまけ続けているっていう
まさにケアさせているわけじゃないですか。
うんち投げまくってるんですよ。
そうすると周りの人が
気持ち悪くなるんですよ。
でも本を投げている方は
すっきりしているわけです。
こういう構造って
恋愛では非常にしばしば見られます。
男の人がなんかすごい
そういう話をしている
これトラタンさんが書いた
大成功した人
これをする方なんですよ。
で、ケアといえば
は違うと思う。
いずれも経験があるんだと
18:08
つまりケアをある
正しさを手放すには
経験している
見える人は今のところ開明なので
本人はものすごく自分優秀で
結構いらっしゃいます。
でもそうでないのは
もう確実なんですよ。
なぜならその人がその書を
聞いた瞬間に
聞いている私がそもそも
その場にいますからね。
そして聞いた瞬間に
傷つきますから少し
もうこの段階でその人は
何かで傷ついている証拠なんです。
私に言われればね。
自分に向かって割っている人なんです。
あれの通りの形なんですよね。
これは。
お母さんは傷つかないと思いますけどね。
で、この
例えばアルコールなりで
ケアを埋めて
アルコール依存になるとか
これはもう何でもあります。
それこそライフハックで
ケアを埋めようとして
ライフハック依存になるとか
メモ依存になるとか
あるいはもっと分かりやすいところで言えば
ギャングで
合わせようとすると
ギャング依存になるとか
タバコでも甘いものでも
何でも売っています。
食べ物でもできるし
ゲームでもできます。
で、よく話としてこんがらがるのが
だからゲームや
甘いものやアルコールは
程々にしましょうと
その方が体にいいかもしれませんけれども
この話という話じゃないですよね。
多く取りすぎると
依存になるという話をしているじゃないですか。
そこが昔
ゲームの内容だろうとなんだろうと
おそらくゲーム依存になる
ほぼならないし
すぐに何とでもなりますね。
ポイントはケアにあるということ。
その人はケアを
ゲームで埋められると思うから
ゲームに依存している。
ゲームをいっぱいしているから
ゲームに依存しているのではなく
ゲームがセラピーの代わりになるのが
残念な理由ですね。
ケアというのはそういうものでは
全く決して埋められないから
依存にしかならないわけです。
ケアの代わりになるんだったら
ゲームをしているともっと健康になりますよね。
少なくともメンタルが。
そうはいかないんですよ。
やっぱりケアは
人でないとできない。
身近に人がいたほうがやりやすいけれども
いなくてもできる。
いなくてもできるというよりも
ゲームじゃできない。
ゲームをいくらしてもいいんですよ。
僕の思うに
肝臓の問題を除けば
酒もいくら飲んでも
大丈夫だと思うんですよ。
21:01
メンタル的には。
ケアされた人であるとか
ケアされている人であるとか
ケアがないと思っている人が
酒でケアしようと思うと
あっという間にリゾーンする。
それは狩猟というものに
よらないと思うんですよね。
この点を今私は
内閣界隈で実は喋っているわけですよ。
例えば100日チャレンジにも
タスクシュート
クラウドの
飲み送りの問題について
コメントを出すと
あれはケアなんですよ。
ここにポイントがあるなと
言えるんですね。
人が真剣にこれをやれば
必ず基本ケアとして機能するから
依存にならずに済むんです。
これは非常に重要なポイントです。
非常にしばしば
セラピーに近いことを
振り込むというケースが
私は特定の人になるべく
メントにも置かないようにして
喋っているんですけど
セラピーに近いことがあるから
この二つは実は分けられない。
私はケア
イセラピー的な話になっちゃうことが多いけど
なるべくこう
ケア的なコメント
なるべく納めを
している。
こういう話を昨日
桜田さんとちょっとさせてもらったんですけど
つまりどういうことかというと
最初はいろんな人でも
新しいことにチャレンジすると
より多くのケアを
特にそれにまつわるところで
した方がうまくいく。
例えば運転免許を取るときに
教授所に行くと
教官がやっていることはケアなんですよ。
技術指導なんですが
あれはケアなんですよ。
ケアとしては実になっていないのは
ケアの専門家じゃないからなんだけど
あれこそケアなんです。
ケアで傷つくというのは
非常にうまくない。
ケアであることを
教官が言ってくれるから
まさにケアなんです。
ほとんど教官は
ブレーキ音など非常に少ないし
代わりにハンドル握るということは
ほとんどしないですから
私の経験ではね。
でも隣にいてくれると
安心して運転できるというか
あんな足蹴りかねないおっさんでも
安心して運転できるというのは
まさにケアなんです。
あれはセラピーでは全くない。
はっきり言って無言に近い
おじさんもいましたから
セラピーにはなっていないんですね。
セラピーでも
もちろん恐ろしいものではないし
事故ることもないですけど
やっぱりある程度のケアはいる。
場合によっては
24:00
セラピーに近いことが
そこで発生しなければならなくなる。
このケアというものも
精さんのコメントには
保健室の医者を治うから
大丈夫だからって言ってくれると
不登校が治って元気になっちゃう。
いる。
あるいは全然セラピーになってない。
セラピーになってないでしょ。
言っていることも知り移れずですし
要するに
ここにまた来れば
なんとかなるなと思えるところがあると
そこに行かなくてもなんとかなるでしょ。
これを異論と取り締めりやすい。
そして
この種のものって
異論に
この保健室の先生がいるから
いじめがなくならないんですって言ったら
おかしいじゃないか。
いじめがなくなるんですとか言ったら
それはおかしいじゃないか。
いじめがなくなるんだよ。
測定できない。
効果測定ですね。
この人がいてくれるから
不登校が減っているんですなど
というわけにはいかないんですよ。
そういうのは
なんていうんだろう。
そういうインナリティは成り立たない。
そもそもその種のケアは
家でされるのがやっぱり理想的なんだ。
家で何かケアしきれない。
いないところに
子供の傷つきが生まれて
そこを別のお母さんが
保健室の先生なんですけど
ケアしてあげると
この問題、当然ジェンダーの問題が
絡んできますよね。
でもこの保健室の先生が
男になっちゃいけない理由は
ほぼ何もない。
ただ子供だからやっぱり
お母さんは女性であるほうが
わかりやすいということはあるとは思いますね。
こういう話を全部総合して考えてみると
いかに僕らがケアというものを
必要としているのか
なんてことですね。
例えば
子育ての話は
避けてきているんですけど
子育てなんてケアしかないと
いうふうに思いますよね。
ケアの内容が
子供がだいたい重いところから
軽いところから
しばしば親とセラピーになっちゃうことは
あるとは思うけど
僕はやっぱり親が子供のセラピーを
うまくないという最悪のケースが
元祖なんですね。
フロイドがあんなフロイド
27:01
精神分析をしちゃう
あれだけはやっちゃいけない
近すぎちゃいけないっていうのは
精神分析では
鉄則みたいなものがある
ど素人でも感じますよね。
あれほど親密に
徹底的に裏の裏の話まで
裏のドロドロした話を
ここともここであえて
もう一回特定の時間を
設けてやっちゃったら
やばいだろうという感じが
僕はしましたね。
親子でやると緊急事態に近い
親子はやっぱりケアのこと
セラピーすると
精神分析をするんですよ。
それはウェニコットが言っている話ですね。
ウェニコットの言い回しは極端すぎて
私も最初よくわからなかった
セラピーというか
カウンセリングですね。
ウェニコットは精神分析だから
解釈をすると
解釈をするんですよ。
解釈してましたからね。
君が今そこの三角のスコールを
使ったのは何でだと思う?
これ解釈です。
解釈に限らず近いことをやってます。
何でだと思うって
言われたけれども
分かりませんとか言うと
これも解釈ですよ。
だからセラピーって起こるんですよ。
解釈するというのは
どういうことか
解釈すると傷つくじゃないですか。
今やったとおりで
それを聞かれている瞬間に
めちゃくちゃ傷ついてますよね。
ロジオ教習じゃないか。
めちゃくちゃ傷つくじゃないか。
ここで怖そうな解釈されて
めちゃくちゃ傷つく。
これをウェニコットがやれ
セラピーのイメージが
すごく変わると思います。
何でそんなことをするのか
解釈というのは
裏側の話をした。
現実ってのは
目に見えている通りじゃないんだよ
外部があるんだよ
精神症とか
目に見える現実しか
分からなくなってきている。
裏側にあるということに対しては
ただただ恐怖するとか
そういう状態に入っちゃっている。
つまりナルシズムが
見たくないか
見たくないか
現実を表だけに思って
現実を表だけにしてしまう。
例えば
極力人との関係は断ち切る
現実が表だけになってしまう。
30:01
物って裏じゃないですか。
そういう風にするというのは
裏側に対する恐怖がある。
そこを裏があるんだぞ
ということを
わざわざ示すのが
セラピーというのです。
そういう面があるわけです。
現実では表しかなく
終わるんですけれども
何事かがあったり
そこを倒したりすると
たちまち裏が出てくるわけですよね。
この行為では
こういう失敗が付きまといますみたいな
そういう裏側が見えてきて
その時にトラウマみたいなもの
トラウマまでは行かないと思うんですけど
でも昔の教習所の先生って
すごかったですからね。
殴りはしませんでした。
本当にトラウマになっちゃう女性とか
いるんじゃないかぐらい
そういう形ではあります。
傷つくわけです。
傷つけられることによって
現実というものってあるよね。
そしてその現実というものにも
対応できるみたいな
自分がケアできる
そういうことです。
そうしたら実は傷つき
傷ついたということがあったんですよ。
それはただに外側を知った
という話であって
外側はあるわけだから
しかしその外側に対応する能力が
あることを発見できれば
そこで問題は
すべて解決できるわけですよ。
これが多分可能性に
集結を乗って
目指している話だなと思います。
最近で言うと私が
特定の人を意識していると
なるべく思われたくないんですけど
特定の人になっちゃいますけど
メインシャレンジで
ノープランの話をして
厳しい話をもらったと
こういうところで
これを使って反省する
という話をしている人がいるんですよ。
外部が私がイメージしている
通りの世界じゃない
一寸先は闇なんですよ。
だからそこで
考え始めればいいんですよ。
考え始めればもう十分だと思うんですよ。
ノープランというものについて
再考すると
そうしたらもうすべては
何ら問題なくなるじゃないですか
言ってみれば
傷つかなくなりますよね。
この話はすごく
心の傷というものに
敏感な状態にある人に
なってみると
ただの奇弁に聞こえると思うんだけど
でもですね
不思議ではないんだけど
不思議なことに
あまりそういうことが気にならなくなってくる
傷ってないんだなということが分かるんですよ。
でも傷ついた感じというのはあるんですよ。
非常に不思議なんですよ。
そういうことはあるんですよ。
傷ついた感じはあるんですよ。
本当にそれは
33:01
言うたらば
イリュージョンなんですよ。
イリュージョンは錯覚でもあります。
錯覚の一部が本当には
それはないっていう話じゃなくて
どうしてもそういうふうにも見えるし
その解釈がおかしいわけじゃないですか。
例えば反省して
ポジティブな感じがしますね。
やってることは確かに
何より大事なのは
それは外部に触れたわけではなくて
批判に触れたわけじゃないということなんですよ。
批判というのは
一部であって
私が内部に目を受けすぎていたから
外部もあるよという
シグナルが行われたぐらいに思っていくと
ぴたり合う。
それで十分だということが
そうすると色々とうまくいくんですよね。
34:08

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