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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日は取りそこびれたわけですね。
今日もBGMなしで聴かれている方もいらっしゃると思うんですけど、それは早く聴かれている方だと思います。
後で夜か明日くらいに聴いていただければ、音声を足します。
ということがきっとできていると思います。
できていないかもしれませんけど、前のと同じ取り方に戻っちゃってるんですけれども、
分かってきたんですよ。
上で撮ることのできる日は、当然マイクもあるし、デスクトップがあるところで収録できれば環境が良くなるんだけど、
そればっかりやっていると撮れなくなるということが分かってきたので、
いずれ下でもマイクをつけられるようにしますけれども、
それまで待っていると、私お金全然ないんですぐには買えないんですよ。
しかもマイクあるわけですからね、ないならまだしも。
iPhoneとかiPadにマイクつないでやるという環境にはないので、
機材の問題もあるんだけど、そもそも場所的にそういう場所はないので、
これでちょっと勘弁していただこうと、8月ぐらいまではですね。
もともと仕事でやっているというつもりはあまりなかったので、
仕事でやっているというつもりはないので、できる形でくぐり抜けていこうという感じでやります。
申し訳ないですけどね、しょうがないと思ってください。
お金がわんさかあればですね、バンバンAmazonでポチポチ買うんですけど、
目星はつけているんですけどね、機材だけじゃないんで簡単ではないんですよ。
簡単になるべくやれる方法をやりますけどね、私は。
言い訳はともかくとしてですね、今日は短めに切り上げようと思っております。
なんとしても今日はあんまり長くやっていると、
昼からの別の収録には、倉園さんとの収録に差し障るので、
時間が結構カツカツ感があるので珍しくね。
北山治っていう人の話をしたいんですけど、
この人って私、精神分析家だとのみ思ってたんですね。
実は作詞家であって、しかも戦争を知らない子どもたちとか、
あの素晴らしい愛をもう一度とか、多分その辺に携わってたかも作った人で、
結構ビッグネームなんですよね、日本レコード大賞とかも取っていて、
僕その人の名前も北山治であることは漠然としてたんだけど、
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もちろん別人だろうと思い込んでたんですよ。
まさかね、フォークソングの作詞家である人が同時に精神科医であって、
九州大学の名誉教授とかもやっていて、精神分析家もやってて、
しかも分析の方でも有名な本をいっぱい出してるっていう、
何人分の人生を生きているんですかっていうような人だと思わないじゃないですか。
思わないですよ、私はそういうレコード大賞とかにあまりにも疎いんで、すみません。
そんなわけで、びっくりしてですね。
でも北山先生の名前、先生、別に先生言うことないんですけど、
知ってたんですよ、もちろん有名な人なんですよ、精神分析家としても。
中に、見るなの禁止っていうのが、この番組でもちょっとちらっと喋ったことあるんですけど、
あるんですよね、彼の論考で有名な、
有名としても一部知ってる人にのみ言わねえな話ですけどね。
要するにあれは、言うずるいですよね。
見るなって言われてるのに、見て旗を打ってるのが鶴だったということで、
鶴は怒ってるのか知りませんけど、どっか行っちゃいますね。
あとイザナミは怒りますよね、完全に。
見るなと言ってんのに覗く。見るなと言われると覗きたくなると。
これもですね、どうして今の日本人は、すごい日本人は有名じゃないですか。
北山さんが言う通り、非常に精神分析的な話なのに、
なんでこういうのを、パッと日本人は今、どっかやっちゃってるのか、ちょっと不思議なんですよ。
たぶん摂氏症、デワガメトムとか言われる人ですよね。
要するに覗き見をして捕まっちゃう人いるじゃないですか。
ああいう人たちの苦しみは、これほど鮮明に抜き出されている話もそうはないし、
精神分析で扱えるということは、かなり明らかなと思うのに、
全然違いますよね、今の世の中的な扱いっていうのは。
もう単なる変態みたいな感じになっちゃうじゃないですか。
でも私は下着とかね、そういうのに惹かれてしまうというのは非常に今多いんだろうなと、
今も昔も多かっただろうなと思うんですよ。
変な話になっているかもしれないんですけれども、
これはつまり意味づけなんですよね。極めて強烈な意味づけ。
意味づけに強烈も微弱もないんですけれどもね、意味づけなんですよ。
で、何でこの話を今しているかというと、
この話がまたバックグラウンドミュージックもなしにこういう話をしているので、
本当はあれなんですけどね、一部早めに聞いちゃった人には、
タスクシュートに絡むんですよ、この話が。
私の中ではそれもかなり明らかだということになるんだけれども、
全然明らかじゃないわけですよ、多分普通に考えれば。
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この番組でもおなじみのユニコットの新種ですね、新種。
新種というのに対しても北山先生は実に、
彼はやっぱりそういう一般的になじみやすい発想を取るのが実に上手なんですよね。
私はちょっとこの発想で持ってくるのっていいのかなと思うんだけど、
裏表っていう表現を使うんですね。裏表があるっていうじゃないですか。
つまり隠し事があるみたいな、要するに表面はいい格好をするっていうことですよね。
これ当然その覗き見の話に非常に関係ありますよね。
特にイザナギイザナミは裏を見てみたらとんでもない怪物だったということで、
桃投げつけるわけじゃないですか。だから岡山県の桃なんですけど、
桃でそんなすごいの退治できるのかよって思うんですよね。
ラブクラフトの腹に口がついているものすごい怖い化け物がなぜか犬にやられないだろうと思うんだけど、
そういうのがありますよね。話がとんでもないですけれども。
裏表というのは人を傷つけるじゃないですか。
赤ちゃんはめちゃくちゃナイープなんで、裏と表を知らんわけですよね。
お母さんというものは環境だと思っている。環境としての母親ね。
おっぱいは出てくるし、ちょっと不愉快になったらお尻拭いてくれるし、
完全に環境なわけですよ。
召使いよりも先へ行っていて、だからお母さん怒るんだけど、
AI兼環境なんですよ。
実はそれは人格でした。怒るとどっか行っちゃうこともあるんです。
めちゃくちゃトラウマになりますよね。
こんな恐ろしいことはないわけで、
いい大人になっても、ずっと環境だと思っていた彼女が
ある日別れてくださいと言って、すげえチョックを受ける男性がいるじゃないですか。
赤ちゃんの立場に立ってみれば、ほとんど全生命がそのお母さんにかかっているのに、
もうあなたの面倒は見られませんという、
とんでもないことになるわけですよね。トラウマになって当然です。
だから親衆とかいった表現を取るんですよね。
人間としてのお母さんが現れちゃいかんわけですよ。
お母さんにもお母さんの事情があるのよとか言うのも困るわけですよね。
あるんですけどもちろん。あるんですけど、
赤ちゃんの主観から見ると、あっちゃダメなわけです。
だから絶対傷つくんですよ。だってお母さんは、
人格だから。どっかで傷つかなきゃいけないと。
そういう話をしているわけですね。
それを北山さんの多分表現を取ると、裏表ってことになって、
あ、なるほど裏表ねと思ったんだけど、
でもこれ裏表で見にくいと言ったら裏表って言ってしまっていいんだろうかと、
私はちょっと悩んだので、この番組ではあんまり北山さんの裏表には関心を持っていません。
この番組ではあんまり北山さんの裏表には関心はしたんだけど、
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裏表言っておけばよかったのかなと思うんですよね。
要は裏を見せられるとトラウマになるっていうのが心衆と、
多分ウィニコットが言った心衆はそういうことなんだろうなと思っておけばいいのかなと、
その辺微妙なんです。
これが私は、でもこれは結局北山先生のウィニコット解釈を、
正しいかどうかを論じたいという気は全然なくて、
これはきっと正しいんだろうし間違ってても別に構わないから全然なくて、
タスクシュート的にどうなんだって話になるわけですね。
要は場に馴染めないっていうのはどういうことかと、
なんで場に馴染めない話が出てきたのかというとですね、顔色を伺うからなんですよ。
顔色を伺うというのはどういうことかというと、裏表があるってことなんですよ。
表面的に穏やかな会社なんだけど、いや、あの上司はパワハラな、
実はって言うじゃないですか、パワハラをしてくるんだとか、
セックハラをしてくるんだとか、私の悪口をかけて言ってるんだとか、
だんだんですね、被害妄想系的になっていくか、あるいはHSP的になっていくか、
つまり繊細すぎるとですね、裏しか意識されなくなるんですね、人は。
この辺が繊細な人を扱うときに、行動療法でいきたい、認知療法でいきたいか、
精神分析でいきたいかみたいな話とだんだんかなんでくるんですよね。
精神分析なら多分HSPなどとは言わないと思うんですね。
裏ばっかり見てる人みたいな言い方になっていくのかなと思うわけです。
分かんないですよね、これは。人それぞれなんで、それもまた。
ただ、その裏というものを意識するようになると、
ということは表に見えている現実は現実じゃないんだと、そういうことですよね。
そして裏には人は腹黒いものを持っていて、腹黒くなっちゃってるわけですよ、既に。
裏というのは単なる事情かもしれないんですけど、そこに腹黒さというものを見たりするという見方があるんですよ。
だからここに意味付けがあるわけですね。
そうして場に馴染めないわけですよ。
場から否定されているとか言うわけですよね。
あるいは自分は空気が読めないから集団に溶け込めないとか、
集団から拒否されるとか言うわけですよね。
こういうところにですね、外側に現実があるという、
グッドワイブス流に言うと、倉園さん流に言うと、ルールアウトな話が出てくるわけですね。
もちろんこれは哲学的に言ってもルールアウトなんですよ。
なぜそれが分かるんだって問題が、そこで無視されているからですね。
いや、私には分かるんだになっちゃってるから。
私は繊細だから分かるんだになっちゃってるんでね。
もしかするとそうじゃないかもしれないという話が残ってるんだけど、
一番の問題は自分の心がそれを決めているという部分を無視している。
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無視しちゃうんですけどね、私たちは。
つまり場に馴染めないのではなくて、場に馴染めないという場を見てるんですね。
心の中で馴染めない私、あるいは拒否される私という演劇の設定みたいなものを見ちゃっているわけですね。
一つの意味付けであり、大きなイリュージョンということになるんですね。
この状態にあるときというのは、仕事にならないんですよ。
例えばね、私が最近言っているまるごと毎日を先送りするというのは、
毎日に馴染めていないって言いたいんですね。
だから毎日そのものを先送りしちゃうんですよ。
一日そのものをですね。
そこで何をやってもじっくり来ないわけです。
だからその一日全体を変えたくなるんですよね。
私の人生というものを変えたくなる。
そこで今はためら、場に馴染めない私だけれども、
場に馴染めるために、馴染めるようになるために、
例えばすごいスキルを身につけるとか、
そういう時間を作るために、この第二領域の自分のための時間というものを一時間確保している。
これは無理のない要求だと考えるんだけど、なぜかその無理のない要求が流れていくわけですよね。
タスク習得の、例えばJさんとか大橋さんとか私とかは記録を取りましょうと言うんだけど、
いや記録なんか取っている場合じゃないでしょうと。
記録を取る暇があったら、この場に馴染めない私をスキルアップさせるふうに使わないと、
一分でも多くと思うんだけど、なぜかその時間が取れないんですよ。
そして、例えば赤ちゃんがやたら鳴くとか、
それなのに旦那はスマホを見ているとか、
そして実家から電話がかかってくるとか、私の邪魔をしてくる奴らばかりが周りにいると、
この場に馴染めないわけですよね。
場にしっくりこないというのが、私の場というのはこういう場であってはいけないという場でしかないわけですよ。
そして、例えば旦那のことを見ると、表面的に穏やかなんだけど、
裏ではこういう育児は奥さんに押し付けて、自分はどこか遊びに行きたいと思っていると、
裏表が出てくるわけですよね。
つまり環境そのものが裏表を持ってくる。
こうすると環境を一変させないといけなくなるので、
馴染める裏表がない、表の見た通り自分に優しくしてくれる裏でも、
裏でもそういう環境に作り変えないと、とてもやっていかれないといった状態になると大変なわけですよ。
大変だというのは、つまりたかだか1時間の自分の時間を確保する瞬間がやってこなくなって、
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たまに行けそうな時はなぜか頭がすごく痛いとかそういったことが起きて流れていくんですね。
じゃあもう本当にJさんの権利を記録しようかと思うんだけど、
スマホを見るだけでももう頭痛がして、
でもじゃないけど、そもそも記録を取れば1時間できるかどうかも分からないのに、
こんなに頭が痛い中でこれからゴミ出し開始とかやっていったら何になるんだろうと感じると思うんですよね。
これが私が思う毎日の先送りで、
そういう人の世界にはすごい厳しい裏表があって、
大事なのは表に現実は何もないという感じを抱き始めるんですね。
というか、この人の主観にはそう見えてるわけだから、そういう現実があるんですよね。
表こそイリュージョンなんですよ。裏に現実があるわけですね。
私を無視しようとしているとか、腹黒いとか、
好きあらばセックハラしてやろうと思っているとか、
好きあらば時間を搾取しようと思っているとか、
それが全部現実なんですよ。
見えてはこないけれども、見えてくる時もありますけどね。
いずれにしてもそれが現実で、
表面的におはようとか言ってくるのは嘘なんですよ。
イリュージョンなんですね。
こういう世界があると。
で、こういう世界を言ってみると、
こういう世界の中にいて記録も第二領域もあったもんじゃないので、
まずこういう世界を何とかしなきゃいけないよねっていう話から始めなきゃならないかなと思っています。
一方では、何も私たちはカウンセリングとか精神分析、
シグラである必要はないので、別に第二領域をやるようにするとか、
全然かまわないわけですね。
1時間確保しようとするとか、
多分1時間確保しようとするというのは、申し訳ないけどうまくいかないだろうなって感じはしますけれども、
でもそうしようとするというのは、それはそれでいいわけですよ。
そうしようとするとですね、そうできないという実態が見えてくるので、
そうできないという実態は周りが腹黒いせいですから、
周りが腹黒いせいだという状況のままだと確保できないという現実は続くんですね。
周り腹黒いままなんでね、何とか周りを腹黒くなくしなきゃならないわけですよ。
そこから始めたいかなというのが、最近私が考えている先送りセラピーなんですね。
全然先送りに直接手当てできないんだけど、でも実にこれは簡単なところもあるんですよ。
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周りが腹黒くなくなればですね、多分1時間確保するなんて余裕なんですよ。
第2領域で英語の勉強をするなんて、そもそもいいことなんだから悪いことは何もないわけだから、
絶対できないってはずはないんですよね。
でも多分現状は周りは邪魔ばかりするし、
つまりやろうとした瞬間に泣き出す赤ちゃんみたいな環境だし、
あとは自分の意思は大変弱くて、いざ自分が時間ができて、
例えば記録を取るだけだと1分手を付ければいいよってJさんは優しいから言ってくれるんだけど、
その1分ができないって話になってるじゃないですか。
なってるんですよ。
100日チャレンジというところの一部界隈でこの話が割と出てくるんですね。
一部界隈というよりは日々の生活の中で出てくると言った方がいいですね。
界隈があるわけじゃないからね。
1分手が付けられない界隈とかがあるわけじゃないんで、
そういう瞬間があるって話ですよね。
ここに私は裏表って言い方、どっちが裏でどっちが表かを誰が決めるんだろうっていうのもあるんですけども、
裏表ということにしておいてですね、裏表の傷つきですよね。
裏というものを見るたびに傷つくと。
だから見るなんて禁止なんて、見なきゃいいじゃんってことになるんだけれども、
でも見ますよね。
なぜならば裏が気になるから見るわけです。
というか裏にこそ現実があると思う。
現実の秘密はここにあるんだと思っているから見るわけですよ、表は。
実際そういうようなものを見ることになったわけですよね。
ここでどうしようかなって思っているのが今私の様々なアプローチはありますけれども、
例えば私はタスクシュートをしました。
どうしてタスクシュートをしてそれなりにうまくいったのかというと、
それなりにというか劇的にうまくいったんですけれども、
なんでなのかと。
一つそれは、これは私がラッキーなためはあります。
環境というものに、記録を通してですけどね、
環境というものに裏表がないなというのに非常に強く気づいたというのが大きかったと思うんですね。
GDDみたいなものをこのタイミングでやるのは絶望的なんですね。
GDDみたいなものをこのタイミングでやろうとするのは、
まるで貧困家庭で親の理解も何もないところで、
それこそ裸足で外を飛び出してむしろ売らなきゃいけないような人間が、
語学の勉強に一年復帰して王様になるぞぐらいな、
そういう超過酷なストイックストーリーなんですよ、あれをやろうとするとね。
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日本でできていないことをやるって話ですから、GDDって。
気になっていることって、洗い出したことってやらなければいけない、
どうしてもやらなければいけないんだけど、まだできてないっていうのをやりましょうって話じゃないですか。
これをみんな考えるわけですよね。
自分の現状が悪ければ悪いほど、理不尽なら理不尽であるほど、
そこから抜け出すための良いことをしたいと思うようになる。
それが洗い出しというものなんですよ。
でも現実というのは既に回っているものですよね。
で、これの記録をつけることに何の意味も見出せないわけですよ、多分。
なぜならば表だから、裏表がある世界の表だから、
ろくなもんじゃない現実のどうにか取り繕っている表面を記録してみたところで、
何の役にも立たないわけですよ。ただただ残念になるだけだと。
毎日朝起きて顔を洗ってトイレに行って、ご飯を食べてお風呂に入って寝ました。
もうこんな人生じゃどうしようもないよということじゃないですか。
私たちは大きな見落としをしていると思うんですよね、ここでも。
タスクシュートをやっただけではこの見落としからは逃れられないんだけど、
それができるというのはずいぶん幸せなことじゃないでしょうかというのもあるんだけど、
これを言うとますます感じ悪くなるかもしれないので、ここは一旦スルーして、
現実にでも起こっていることというのは腹黒さの表出と裏表の表というよりは、
裏も表もいかにも現実らしい顔をしているんですよね。
ただこの感じをどれほどただ言葉で伝えようとしても意味ないから
タスクシュートしましょうみたいに言うんですけれども、
それを言ってもスマホ取り上げると手が重たるくなりますみたいな話を返されるのであれば、
今度は今自分がいる表と裏表のある表というものの中で、
自分がそれを拒否しようとしているわけじゃないですか。
拒否したいわけじゃないですか。
そういうことの一つ一つで本当は言いたいんだけど、
せめて一つに問い返してみてほしいというのがあります。
まだ照れさみたいになっちゃうんですけどね。
例えば自分がしゃべる言葉に気をつけましょうみたいな話になるんだけど、
そういうことなんだけど、一つにはそこに選択の余地があるよねというものがあって、
本当はあるはずなんですよ。裏を見るというのは一つの選択なんですね。
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そして裏に対して自分が被害を受けているんだということであるならば、
被害を受けているんだとしましょう。
でも例えば赤ちゃんが、赤ちゃんでも幼児でもいいんですけど、
泣くとか病気になったとか、遊んでと言ってきたとか、
そういった一つの自分が被害を受けた現実に対して、
つまり表では可愛い自分の子供が子供を育てている自分という平穏な風景で住むはずなのに、
実際そうはいかない。
あるいはそこに協力的な旦那さんというのがいたはずなんだけどいないとか、
あるいはなぜか実家に帰って自分だけのんびりしてやがるとか、
それは悪意なのかということなんですよね。
本当は一つ一つ見ていく必要があると思うんですよ。
それは悪意なのかということ。
私はそういうことをしなかったのに、タスクシュートでリピートタスクの記録をつけているうちに、
一つも悪意というものが見当たらないというのにはなぜか気づけたんですね。
それはラッキーだったんだけども、
つまりラッキーだったというのは、お前の周りに悪意がないだろうって言われるかもしれませんから、
そういう意味でもそうだったのかもしれないんだけど、
でも全部悪意に見え始めたら、もういざなみですよ、完全に。
全部悪意に見え始めたら、その現実じゃ生きていけないと思うんですよ。
でも一つ悪意じゃないということが、
悪意を予感していたものの一つに悪意じゃないものが見えるということが一回起こるとですね、
それが100回起きる可能性が不意に現れるじゃないですか。
私はそんなにうまくいくと思っているとは言い切れないですけれども、
でもそういう可能性はあると思うんですね。
つまり裏表といったときの裏を見たくなる自分の真理というものがあるということなんですよ。
私途中でなぜ覗きにという話をしたのかというと、
裏表の裏をあれば見たいという真理と必ず結びついていると言いたいんですよ。
子供は性というものを知らないですが、
性というものが現実にあるんだと思ったら、
それを知りたいと思うようになるはずなんですね。
私たちはいつもそれを意識させられる瞬間ってあるんですよ、性だけじゃないですよ。
例えば、この種の話、毎日を先送りします、
大変領域が大事です、自分の時間が取れませんという方は、
非常によく部屋が汚いんですという話をされるんですよ。
私は部屋が汚い人は世の中にいっぱいいると思うんですね。
その人の部屋がこのさら汚いとは思わないんですよ。
部屋が汚いのはその人が部屋に裏を見るからなんだ。
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裏を見たいという気持ちがとても強くある働いているから、
部屋という表面的に見えているものの裏側に
恐ろしい何かが潜んでいるような、そこまで言わないにしてもですね、
何かそういうものがあるので、それをきれいにしていかなければ、
つまり裏も表もきれいな状態に直しておかないと、
自分はこの世界じゃ生きていけないという恐怖感があるんだと思うんです。
これを少しずつでもグッドバイブスだと
もっと一発で取り除けるのかもわからないんだけど、
でも私が考えたところではですね、
グッドバイブスの話をいきなりするわけにもいかないので、
例えばここで信頼という話をしても当然いいわけですよ。
信頼するということが本当にできれば、裏表って気にする必要なくなるじゃないですか。
問題ながら裏を気にするという心理だよね。
これをどこかで一つ見つけなきゃいけないだろうと思うんですね。
言葉で信頼しましょうって、
100回言えば信頼されるっていうようなものでは信頼ってないと思うので、
やっぱり裏表というものを意識するというのは疑心暗鬼ですから、
これを何とかしなければならないところがあると思うんですね。
今私はかなりアプローチをマイルドにしているので、
これでも反発されるかもしれませんが、なんとなく受け入れられるかもしれませんが、
疑心暗鬼っていうのは自分の真理っていう意味なので、
多分受け入れられないとするとそこなんですよね。
悪いのは現実なんじゃないんだろうかって話に多分戻ってくるんですよ。
だから本当は一回一回やってみてほしいということなんですね。
そこに本当に悪意はあるのか。
本当にあったら一旦そこは離れておいたらよいじゃないですか。
でも私は例えば子どもが病気になるのは子どもの悪意じゃないわけですよ。
これは悪意じゃないっていうふうに見出す方がどうだろうと思うんですよね。
そうしていくうちに裏表の裏側に潜む現実というものが少しずつ消えていく。
消えてしまえばなんと第二領域なんて余裕だっていう話なんです。