3ヶ月チャレンジの開始
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1303回をお送りします。
はい、えー、1月8日の木曜日、7時48分です。
とうとうと言いますかね、あれですよ、新学期というやつが始まりましたので、
えー、まあ寒いわけですが、あの、要するに新学期が始まったからこの時間になりましたといったことになってます。
まあね、えー、いや、余計なことを喋っている暇はないので、
とりあえずまずは3ヶ月チャレンジの第13期をご紹介しますと、2月の1日から4月の30日までの3ヶ月間。
えーと、今回からちょっとやり方を改めまして、えー、お試し4回というものを開始にしてですね、代わりにお試し1ヶ月、つまり2月だけということに同額でしていただけると、こっちの方がお得だなと思ったんですね。
お試しというのは極端に言うと、1月最終週にお試し始めちゃうと、
1週間で4回とか受けるみたいな意味が全くよくわかんないものになっちゃうんですよね。毎回そのこと悩んでたんですよ。
1月の最初の頃にお試しをお申し込みいただければ、1ヶ月かけて4回昇華するというので、まあまあ、真っ当な感じなんだけど、
あの、1月最後の方に悩みに悩んだ末に、じゃあお試しっていうことになるとですね、せっかくお試しいただくのが、なんかものすごく強引にツメツメになってしまって、すぐサンチュラ始まっちゃいますからね。
だからなんか始まってから週に2回ずつやるとか、よくわからないことをやってたんですけど、やめにしようと思いまして、
2月の間は2万5千円でご参加いただけると。
継続してそのままやる場合には、残額を支払いいただければいいと。要は、7万5千円を一気に払っちゃうと、サンチュラがどうしようもないものだった場合、ダメじゃんっていうことになるので、
2万5千円でもダメじゃんかもしれないんだけど、そのダメージを最小にしておくためのこれは措置だと思うんで、
でですね、とはいえお試しが全くないまま始まってしまうのは多分ご心配だと思うので、初回だけ限定で無料ということにすることにしました。
初回40分から45分の間は1回だけ1月中に無料で、これなら30日にたとえお試しを始めても大丈夫だということになるんで、
まずは無料で1回やってみていただいて、それで私としゃべった上で、サンチュラで1ヶ月ぐらいはしょうがないかと、
まあ、なんだろうな、あんまりはかばかしい月間にならなくてもしょうがないかという場合には、2万5千円お支払いいただいて、2月だけお試しいただくと。
で、それでも続けたくなったら、残額を支払いいただくという形で、これならいける感じがするんですよね。
だから、初回の時にこの3ヶ月チャレンジの限界というものね、ここでできることの様々なプラスになるであろうことと、そこは期待しても無理であろうというところをお話しいたしまして、
それが話せるようになったというのがやっぱり、僕の中で初回無料というのがセットできるようになった理由なんだなと思うんですね。
初回無料はね、本当に無料で、これをやったらせめて1ヶ月はやらなきゃ申し訳ないとか思っていただく必要はなくてですね、
これもできることとできないことがはっきりはしてないけど、そこそこ僕の中で分かってきたのでですね、その話を本題でもしますけれども、
ぜひそこのところはあんまり遠慮することなく、無料の初回は使っていただければいいと思います。
で、その時に3チャレでやるのはどういうことなのかというのをご説明します。
いずれにしても2万5千円をお支払いいただければ、2月中はレクチャーも含めまして、3ヶ月チャレンジをほぼ完全版、週2回とか週3回はダメですけど、無理ですけど、週1回のほぼ完全版をお試しいただけますので、
基本完全版です。お試しいただけますので、それでどういうものなのかはさすがに感覚的につかんでいただけるのではないかと思いますね。
ということで現在募集中です。初回の方はGoogleカレンダーからですね、スマホからちょっと見えないんですよね。どうすればスマホからも見えるようにできるのかを、
限界の理解
今ちょっと色々あれこれ勉強中なんですけど、あれ結構ね、Googleのカレンダーの予約システムってまだまだ難しくて、色々と分かってないところもあるんですよ。かなりよくできたシステムだと思うんですけど、分かってないところもあるんで、
これはおいおい、ちょっとスマホじゃなくてできれば、多分ね、iPadなら余裕で見られると思うんですけど、非常に狭い画面だとどこにスクロールバーが現れるのかがちょっとよくわかんないんで、できればMacかPCで見ていただくといいと思います。
で、都合のいい1日だけ選んでいただければ、もし都合のいい日がなければ、フォームの方に用意しましたので、Googleフォームの方でですね、お問い合わせいただければ対応する日時はもう少し広いところから選ぶことができます。
ギリギリこの時間は難しいなみたいなところは基本的には省くことにしてあるんで、そうしないと入ったのにせっかく入っていただいたのに時々起きちゃうんだけど、せっかく予約いただいてもその日はちょっと無理になりましたみたいなことが絶対ないとは言えないので、なるべくそういうことのないように安全な日付だけを選んでますんで、その分選択肢が少なくなってんで、そういうこともありますんでね。
お問い合わせいただければいろいろ対応できると思います。
では本題で、本題もこの延長なんだけど、いつもそうですけどね、3ヶ月チャレンジで、まず私が限界というものを、限界の説明から入るのがいいんだなと思ったんですね。何をもって限界とするかと言ったこと、まず一番分かりやすいところでですね、でもこれもすごく本質的に絡んできちゃうんだけど、本質って言葉僕好きじゃないんですけどね。
絡んできちゃうんですけど、まず物販はしないです。物販とおよびツールやメソッドの紹介もまずないと思ってください。
タスクシュート協会の私、理事だからタスクシュートの解説はしてくれるんじゃないのと言われればしますが、なるべく僕はそれをせずに済ませたいと思っております。済ませたいというか、それをすることで事態を解決させようとは思わないと。
これ、先日お正月のセミナーでやった、このセミナーっていうのもね、非常に色々と難しいんだなと思ったんですよ。今の私の立場からすると。
でも、このセミナーはね、この週のセミナーを全くやらないとなると、もういよいよ訳わかんなくなってしまうだろうなということで、これはやりますが、
要はそこでね、話したタスク管理未満、タスクシュートは遥か以前、タスク管理未満、
まあ、以前でもいいんですけど、要はタスク管理が始まりませんという話を3ヶ月チャレンジで扱いますと。
でね、これの話をすると、昨日ちょうどその話出たんですけど、なんかね、社会的に落ちこぼれてるんじゃないかとか、タスク管理すらできないダメ人間なんじゃないかみたいな、
僕から言いたいのは、そういうことでは全然ないんですよ。
そういうふうに捉えられるという人はいるかもしれませんよ。タスク管理できる人こそエリートだみたいな。
でもそうすると私はエリート中のエリートみたいになってくるけど、そんなことは別に全く少しもないじゃないですか。
僕結構3ヶ月チャレンジの参加者さんに比べても、社会適応度は低い方なんですよ。
会社勤めもできなかった人間ですし、あのね、それこそそんな、だって社会でエリート中のエリートとかいうことになってくると、
なんかもうお金の心配とか一切してなさそうな人この世にいっぱいいるわけで、私は毎月毎月、あの収支の心配をしているわけですよ。
これは僕は良いことだと最近思うようになったんで、いや、なんかね、これを良いことだと言うとすごいまた余計なこと喋ってる気がするんだけど、
僕みたいな人間が金の心配しなくなると何が起きるかと言うとですね、仕事しなくなるんですよマジで。
多分しなくなりますね僕は。そんなにその社会大好き人間じゃないんで。
大嫌いじゃなくなったけど、あのお金の心配がないのに仕事するかって言われると僕は微妙なんですよね。
ちょうど良いんじゃないかと思ってるんですよ。心配し続けるということが、心配し続けることによって私は
サンチャレのようなものを真剣にやるし、何なら100日チャレンジも真剣にできるわけですよ。
多分僕はね、あのお金の心配がなくなれば、そんなことはしなくなっちゃうと思うんですよ。
タスクシュート協会とかも、やっぱりお金の心配と関係が深くあるから頑張れるみたいなところがあるんですよね。
普通に。
普通にですよ。これは。僕普通の子だと思うんで。
そんな狡猾な人間じゃないんでね。なんかこう、
そういうある種のナルシシズムとは僕あんまり縁がないんですよね。ナルシシズムはありますよもちろん。
そういう、なんていうんだろうなぁ、その万能的なものは僕の中には何もないんで。
やっぱりやらずに済むなら、やらずに済ませたいよなっていう。そして僕は結構社会から、あの
会議していくのが結構恐ろしいんですよ。自分としてはね。
そっちはね、あの大学時代に重々経験して、
完全に不幸だった気がするんですよね。全然やる気がしなくなるんですよ。いろんな意味で。
全然いいことじゃないなと思うんですよね。だから早期リタイヤとか僕は結構嫌だなと思うんですよね。
だからお金が全然ないとすごい困るんですけど、
言うじゃないですか、あの早期リタイヤできるほど貯める。
あれも私は多分自分の場合は偉い不幸になる気がしなくはないんですよ。自分の場合なんですよ。これは。
上手いことできる人もいるんですよね。なんかこう世界一周クルーズみたいに乗れる人もいるじゃないですか。
僕絶対ダメな気がするんですよ。ああいうのに乗ってったら。
なんかもう帰ってきたくなくなるんじゃないかと思うんですよ。僕みたいな人間はね。
っていうわけです。
というわけでまあまあ毎月困っていることはないんですよ。2ヶ月に1ペンぐらいは確実に困るようになっていますね。
毎回クレジットの下ろす限度額、スレスレのところまで行って
何とか持つんだけど、なんか気がついたら口座に642円とかになったりする。普通に使ってる口座ですからね。
物欲とライフハック
なんかこう血の毛が引きそうになりますよね。でも別に借金すればいいんだけど、
あの
じゃあそんなに自分使ってるかというとそうでもない気がするんですよ。だって
周りの人見てると常にiPhone最新7個の人っていう人いるけど、僕何なら
11出た頃まだ7使ってたり平気でしてましたし、別に使えるじゃんというか思うんで
その
物欲って僕すごい
なくなったんですよね。どこかのタイミングで。これもいいことなのかどうなのか微妙なんですけど。
でも全くないというのともずいぶん違うんで
非常に難しい。
まあいいや、そんなことはいいとして。今8時ですね。
二度寝したいわけですよ。でも眠くはないですけどね。今ね。あのー
なんだっけなー
3ヶ月チャレンジの限界というのはですね、メソッドをまず紹介しないということに設けてあるわけですね。
私ほんと最近つくづく
12期に至って3年ちょうどぐらいになりますが、3ヶ月チャレンジ。
ついにですね、なぜ壺を人が売りたくなるかというのが分かるようになりました。
壺でも、僕壺ってあんまりなんかよくわかんないんで、水晶玉とかの方がいいんですけど
あと結構カードって好きなんで、カード使いてーって思いますね。めちゃくちゃ思うようになりました。
なぜ
あのー、富くじというかくじ引きがあり
えっと、なぜ
まあ、おじゅうでもなんでもいいんですよ。別に
宗教があれっていうわけじゃないですよ。小道具が欲しくなる。本当に欲しくなる。
だからね、ライフハックでも僕は絶対
あのー、オブシリアンだろうと
あのー、ノーションだろうと
えーと、なんだっけ、チェッテルなんとかとかあるじゃないですか。なんでもいいんですよ。
アウトライナーであろうとね、人にも
進めまいと。本書くときに、いや1個くらい入れてよって言われれば入れますよ。そりゃ私は編集さんの
リクエストには弱い人間なんで入れますけど
極力そういうものは
使わない。
だから問題を解決できないというのが3カ月チャレンジの
重要な
本当にこれより重要なことはあんまりないぐらい重要な限界ですね。だからこれを期待される方は
えーと
タスク管理の限界
大いに悩んでいただきたいと思います。
入るべきか入るべきじゃないのかみたいなところでお悩みの方には
ぜひ立ち止まってですね、佐々木は問題解決能力が乏しいと思っていただいた方がいいですね。
なんかあの、わかんないですけどね
まあケンスーさんとか
ひろゆきさんとか知りませんけど、僕は本当に知らないんで
あの、よくよくああいう方を
見ておいた方が、あの我々の、我らがタスクシュート協会で言うと
あの飯塚さんって方が今もう彗星のごとく、もうシャアですよ。赤い彗星のシャアですよ。
いや全然タイプ違うんだけど、わけわかんないこと言ってPRしない方がいいと思うんですけどね。
とにかく彼が彗星のごとく現れて、ああいう方のところをまず
検討した方が絶対まずはいいと思いますね。問題の解決が必要だということであるならば
えっと、だって問題が解決すればいいわけじゃないですか。
私のところにいらしても問題が解決するかどうか、大変疑わしいんで
問題の解決が必要だということならば
タスク管理
なぜ未満なのかってよく考えていただきたいんですよね。タスク管理にリストに
問題解決ってタスクを書いてみてくださいって感じなんですよ。
それで解決できるんだら、それに越したことないでしょ。
この問題解決って書いてあるタスクを実行する気がしないというところに来たときに
3ヶ月チャレンジという存在の意味が出てくるんですよ。
朝起きるって書くじゃないですか。朝6時に起きるとか、何なら5時半に起きるとかでもいいんですよ。
朝活するぞって書くじゃないですか。書いたとしてください。タスク管理のリストに。
書けば実行できるとでも言うならば、書いて実行したほうがいいですよ。
書いても朝起きられませんというところに
PSポジションとDポジション
3ヶ月チャレンジの意義があるんですよ。
書いたって何もしませんとか、書いても家から出ませんとか、何なら会社に行くってタスクに。
よく言うじゃないですか。なんとかマラソンとか
ジャーナリングとか最近流行ってるじゃないですか。書くことに意味があるならば書いてください。
書いても何もならないっていうか、書く気もしないっていう世界があるわけじゃないですか。
ジャーナリング未満ですよ。
何ならタスク管理未満よりも前かも。アイデアマラソン未満ですよ。書けない。
書いても何かになる気が全くしない。
何なら書いても何も起きないじゃないかって。何も起きませんよ。書いたって。
何かが起きるっていう話をされてるんだから、これじゃあ営業妨害か。
書いてどうどうなるか知りません。私は。ただ私はペンも紙も
何か何かに書き付けるとかね。だから売れるわけでしょ。ノートが。
ノートというものを信じないわけですよ。私最初に言いましたね。壺も水晶玉も
メソッドもツールもないと。なぜないかと。そこには限界があるからですよね。
限界を補助するように見えるものが小道具なんですよ。
で、今日この話まで行きつけたらいいなぁ。
でもあんまり今日長くやりたくない。ニロネしたいからね。
限界を超えようとした時に小道具が出てくるわけですよ。
おじゅずとかね。
うちにもありました。いっぱいありました。だって売ってるんだもん、それ。
高い値段じゃないですよ。かなり安くですよ。ギリギリ。利益出てないんじゃないかぐらい。
だって原価ギリギリで売るんだよ。
あのね、しかもなんか値上げする時は異様に高くバッと上げちゃうんですよ。
商売費全然ないなっていう。1000円だったら2000円とか。それ原価が上がったからなんですよ。
ギャグだなっていう。全然商売になってないじゃんね。2倍とかね。
急に売れなくなるじゃないですか。そんなことしたら。
在庫がどっさり余るじゃないですか。
まあ、どうせ寺なんでね。在庫とかはどっかの部屋に置いておくんですよ。
商売能力がつかないんですよね、寺ってね。やっぱりね。今考えてみると。別にそれでいいんですよ。
あの、物で商売してるわけじゃないから。
そこが大事なんだけど。
でも、物がそういう世界ですら物が物を言うみたいな。だってお仏壇に向かって
拝んでるんですもん。お仏壇って
究極物ですもん。まあ、この話を最後に僕はしたいんですけどね。
でも、ああいうのないとね、すっごい難しくなるんですよ。仕事は。
この世の仕事は。よくわかってきました。
でも、私はそこを踏みとどまりたいので踏みとどまる。つまり、何の魅力も起きないわけです。
何の問題解決もしないわけですよ。
問題を解決することによって、僕らは失ってきているものがあるということを
頭でわかるだけじゃ不十分なんだっていう話を
3ヶ月チャレンジはしてるんだなと。
3ヶ月チャレンジはというか、精神分析がしてるんだけどね。
グッドワイブス、暗い土の圭塚さんのグッドワイブスも同じことしてるなと思うんですけどね。僕はね。
だって、もともと一つだったんだから
愛の選択一択で大丈夫じゃんってなって、何もしなくていいってことになるじゃないですか。
究極的にも。
もともと一つだったんだから。
一つだったものは、一つなわけじゃないですか。
グッドワイブスに急になってますけど、ビッグバンの時に一つだったわけでしょ。
私の胃と、私の肛門はと言っておきますよ。
同じところにあるんですよ。繋がってるんだから。でも胃と肛門、口と肛門は分けるでしょ。
口と肛門のものを同じ扱いにできないのが、私たちじゃないですか。
でもそれは一つのものですよね。だからこれをPSポジションと言うんですよ、私は。
分裂したポジションなんですよ、これは。だって分裂してるじゃないですか。
口とお尻の穴から出るものは分けるじゃないですか。
同じところに置くことができないじゃないですか。
でもそれは同じものの一つの一部じゃないですか。
このことを理解するのが、Dポジションに至るってことだと思うんですよね。で、頭では分かるでしょ。
ただ感覚がついてこない時があるということですよね。
感覚をついてこさせるために何ができるかって話なんですよ。
で、私たちは困ると薬飲むじゃないですか。つまりものに頼りますよね。
それでいいんですよ。それでいいんだけど、
サンチャレはものに頼らないから限界が早くきちゃうわけですね。
で、どういう限界に突き当たるのが、
ありがちな限界かということになるんですけど、
それは人によって本当に違うんで、
一概には言えませんが、まあでも今言ったようなPSポジションという限界にすぐぶち当たる。
というかぶち当たっているからこそ、3ヶ月チャレンジにいらっしゃる必要が出てくるっていう感じですね。
タスク管理未満。
つまり起きられません。会社に行けません。仕事する日がしません。
というかタスクに書こうと何をしようと無駄な感じがします。というか無駄ですと。
昔だから何回かこの話してますね。タスクシュートというのは、
私たちが打ち押しでタスクシュートに記録しましょうと。記録すれば進むから。
とにかく記録してよって言っても記録が進みません。
Excel嫌ですってこうなるわけですよ。これタスクシュート未満ですよね。間違いなく。
あのカラフルなのが嫌だとかね。逆にカラフルじゃないと嫌だとか。
そもそも表が嫌だとか。
様々あるんだけど、だってExcelしかないんじゃんっていう。ここにモノに頼ってるっていう。
Excelモノかっていうのは微妙だけど、モノの上に乗っかってますからやっぱモノですよね。
ここに問題解決のメソッドというものがあるわけですよ。
で問題解決のメソッドというものを選択するためには、問題を解決するという気持ちによって
体が動いてくれないと
問題解決のメソッドというのは何一つとして使い物にならないんですね。
よく再現性がありますって言いじゃないですか。
再現性以前の話をしてるんですよ。私は。
再現性がない世界がこの世の中にはどっさりあるわけですよ。
だって再現性があるということは、まず再現性があると言ってる人の話を信じないとならないじゃないですか。
信じられませんという気持ちはこの世の中に腐るほどあるわけじゃないですか。
だから再現性はないんですよ。
再現性があると言ってる人の話を信じるという話に再現性はないじゃないですか。
それは宗教と変わらないですよね。私を信じてくださいって言ってるわけだから。
そこに再現性はありませんよね。信じられる人もいれば、信じられない人もいますよね。
その人は徳を積むとかいう必要が出てくるじゃないですか。
タスクシュートを考案した大橋英通さんは、
汝徳の人だから信じるとか言う。これ宗教と変わらないじゃないですか。
どこまで行ってもこの問題は尽きることがないはずなんですよ。
すなわち再現性のある方法を信じるというところに再現性はないはずなんですよ。
再現性があるという話を信じることができる、それが再現性だって言うなら、全宗教は信じられますよね。
全宗教はそれを言ってるんで、うちの宗教には奇跡が起こす力がありますって言ってるんで、ある意味では。
再現性を起こす力を信じられる、あるって言ってる人の言葉なら信じられるって言うんだったら、
我々は再現性なんて一つも必要なくなるんですよ。何だってできることになる。
それが万能空想ってもんですからね。
そういうことが信じられませんっていう話はいくらもあるわけですよね。
途中申し上げた通り、3カ月チャレンジには私なんかよりも遥かに社会適応の良い人はたくさんいらっしゃいますよね。
世の中見渡せばもっといらっしゃいます。私なんか社会適応の良い方の人間じゃない。
せいぜい平均値な、多分平均以下の人間だと思うんですよ。能力と社会適応度から考えてみると平均スレスレかなぐらいな感じ。
だからこれより社会適応の良い人はいっぱいいらっしゃる。
社会適応をしている人というのは何をしているかというと、
少なくともある程度のDポジションの確立をこれまで何遍もできてきた方なんですよ。
ただ人間は常にDポジションの確立しっぱなしってことはできないんですよ。
それだからこそPSポジションというものがあるわけで、私たちはPSポジションに入り込むわけですね。
妄想分裂的になるわけです。
なぜならお尻穴と口の穴は違うものを入れようとするからですよね。
同じ一つのものかもしれないけど扱われ方が全く違う。
そうしなければ困ったほどになる。分けない時にはいかなくなる。
だから分けなければならなくなる。
で、私たちはその分ける時に大体において分けた時に必ず価値の上下というものを考えます。
それは口から入れるものの方が上です。
そういうふうに我々は簡単に思い込んでしまうわけですよ。
そうして比較というものが始まって良いと悪いというものが出てくるわけですよ。
良い人と悪い人がいたり、良いものと悪いものがあったり、価値があるものとないものがあるという世界ができる。
ここを通らないわけにはいかないんですよね。
必ずここを通ることになります。
で、苦しむと。
で、どうしたらいいのかって頭では分かってるんですよ。
頭では分かってるんですよ。
思考のブロック
同じものの違う側面を見てるだけだと。
この頭で分かってることに体をというか心をついてこさせるっていうのが三ヶ月チャレンジの考え方です。
だからまず頭で理解しましょうってことになります。
ところがここに大きな落とし穴があります。
考えられなくなるんですよ。
考えられなくなるということが。
つまり考えれば分かるっていう話をしているはずだったのに。
いや考えることができないんですって話になるわけです。
会社に行かなければ困ったことになりますよねと。
簡単に分かるように思うわけですよ。
ところが考えられなくなる日がやってきて。
もうどっちでもいいような気がしてきたりして。
よく考えれば会社に行かないと困ったことになりますよねって言われてもそんなこと知ったことじゃないみたいになるわけじゃないですか人は。
だからPSポジションから我々は
なんで今のがPSかというと
会社に行くことと会社に行かないことは
同時であるって感じになってるじゃないですか。
いや会社に行くほうがいいことだったはずじゃないですか。
でも会社に行っても会社に行かなくても同じだっていう気持ちになっていく。
考えられなくなっていくわけですよ。
いや同じかもしれませんよもちろんで。
それは分からないです。
まず分割するということから全てが始まるんですよ。
分割するということによって失うということが始まるんですよ。
いいものを失うということが始まっていくわけですね。
でもその前にまずいいものと悪いものを分けたってことがあったわけですよ。
お母さんの言う通りにするとか
トイレで量を足すとかね。
食事中には食べ物をまき散らかさないとかね。
そういういいことがあったわけですよ。
まき散らかさないことがいいことなんですよね。
トイレに行くことがいいことなんですよね。
学校に行くことがいいことなんですよね。
会社に行くことがいいことなんですよね。
で、お金を稼ぐのがいいことで。
できれば神座に座るのがいいことで。
で、活躍することがいいことなわけじゃないですか。
で、いいこといいこといいこといいことなわけですよ。
ひたすらいいことを選択していくっていうのが私たちの生き方なんですよ。
わけですよひたすらいいことを選択していくっていうのが私たちの基本的な生き方 なはずなんですよ
何度も何度も言いますけど食卓にはお物は置かない それはいいことなんですよで守らないとダメじゃないですか
こういうふうに分けることが私たちからいいことを失わせる恐れというものを抱かせる わけじゃないですか
いいことのはずなんだけど会社に行けなくなる 学校で良い成績が取れなくなるとか
そもそも学校に行くことができなくなるとか良いことが失われるわけですよ 私たちはその良いことを失うというのを最初に
突入とか離入とかいう言葉によって思い知らされたはずなんですよ 一度は絶対それを経験しくぐり抜けてきたわけですよね
いいおっぱいをいつでも 泣いたら口に含ませてくれたというユートピアの時代が
失うことへの恐れ
なってですよ男の人は何かというと最近グロックでも騒ぎになってますけれども おっぱいが手に入れば全人生幸せだぐらいに思う瞬間がありますけど
それはそういう時代をもっと遥かに切実におっぱいすなわち母親であり 恋愛であり恋愛同然であり
性欲であり食欲でありを満たすものが突入とか言われのわからん言葉によって はいおしまいってことがあったわけじゃないですか
ここを乗り越えたわけですよ私たちは しかも言葉もよくわからん時代にこれを情緒の上で乗り越えたのに
これが今後できなくなるんですから やっぱり我々は卒入できない存在なんだと思うんですよね
赤ちゃんの卒入に比べれば会社の良い生成学校の良い成績が取れないなんてことはへでもない じゃないですか本来的に考えてみれば
別に恋愛で別れ話が出るってなんてことはない感じじゃないですか 赤ちゃんからすると死活問題じゃないですか
赤ちゃんから試しに試しにやっちゃダメですけどあのおしゃぶり大好きな赤ちゃんから おしゃぶりひったくってみればその時に赤ちゃんが思い知っている悲劇から比較すればですね
我々が会社で良い成績を残せないなどというのはなんてことない話だと思うんですが そうではないですよね
情緒的には赤ちゃんが感じるであろうのと比較してもそう遜色のない絶望感を思い知るじゃないですか 頭ではそれぐらいのことは大丈夫だって思えても結局大丈夫じゃないじゃないですか
大丈夫じゃないということはつまり頭で考える能力が情緒の騒ぎに対して不十分なんですよ 考える能力が不十分にしか発揮されないわけですよ
だから私たちは抑鬱的になってしまうわけですね 失うことが怖くなってくるいいものを手に入れたもんだから今後また失うんじゃないかっていう恐れを抱くわけですよ
究極的にでも我々はこの問題を解決しないまま生きてますよね 死ぬのは怖いじゃないですか怖くない人はいいです
でも対外私たちは怖いと思うんですね でもうちょっと怖いものがありますよね
例えば死んで絶対欲しくない方がお亡くなりになるという怖さがありますよね この怖さについてもでもどうしようもないじゃないですか
このどうしようもなさというものに対して私たちは誰かに相談するということで本当は解決できないんじゃないかっていうふうに思いますよね
でも自分でも解決できないじゃないかって思いますよねそうするとどうなるか どうなるかというとそのようなことを考え続けるのは恐ろしいので考えるのをやめたくなるはずなんですよ
考えるのをやめる代わりにお酒を飲むとか考えるのをやめる代わりになんかこう 漫画を漫画でも小説でも同じなんですけど僕は同じだと思うんですけど
映画でも何でもいいんですよ音楽聞くというのでさえもクラシックだってそうですよ 私はそう思うんですよ
昔学生時代に彼女が全然できないとか言う時クラシック聞きまくってた時があるんですよ えらい交渉な感じがするかもしれないけど逃避なんですよ結局
自分が真剣にやっても解決できなさそうな問題に真剣に向き続けたくないんですよ しかし私たちはいくらそれを音楽聞いて
8それがベートーヴェンの原学士重層第15番だったとしてもですね 何回とされてるんですよ
簡単なんですよ直球を理解する方が彼女作ることに比べれば私のような人間にとっては だからできなかったんでしょうね
後期原学士重層って言うんですけどねベートーヴェンのね いやこれすごい音楽だなと今でも思いますが思ったところで無駄なんですよ
気合は戻ってくるって言い方するんだけど 抑鬱的なものは戻ってくるんですよいやだって彼女できてないじゃん
ベートーヴェンの原学士重層を理解したって彼女できてないじゃんっていうこの事実が戻ってくるんですよ この話は私たちのところにはつきまとってると思うんですよね
だって例えば夫婦喧嘩しますね 皿のことで言われたとそれは理不尽だとでも理不尽だというのは問題から逃げてる
わけなんだと思うんですね 本当の意味では二択しかないんですよねこの人と離れるか
この怒りを収めるか 究極的にはどっちかしかできないと思うんですね
だけども私のような人間はそのどっちもできない 別れたり離婚したりするということもできないそれはもうだって娘と別れるとか
すごいことを含みます一方で 皿のことで怒られて納得することもできない
どうしようもない このどうしようもない時にタスクシュートにどうしようもないって書くっていうのは僕からすれば
逃避なんですよ 心でどうにかすることだろうそれはっていう2つありますね心でどうにかするか
奥さんと話し合うか 大概どっちもしないどっちもしないから代わりに例えば離婚する空想して奥さんを困らせていい気分になる
これが多罰的な方 これを多罰的だからイコールダメとかそういう話じゃないですよ
自分が悪いと思ったってダメです 自分はこういう得意にちゃんと皿ができてないダメな人間だって思うこれは自罰的な方
それはそれで逃避なんですよ 話し合うか
本当に納得するかしない限りこの問題は依然として心にモヤモヤを残したままになります
そしてこの心にモヤモヤを残すというところこそ PSポジションでありこれが私たちが最初に取るべきポジションなんですよ
良いものと悪いものを分けるという 分けるから初めて良いものというものを失うというのはどういうことかが分かるんであって
分けないうちから良いものを失うも何もないんですよ まず分けるこれは良くないことが起きたというふうに分ける
つまりそれは良いという心理状態と嫌だという心理状態を分けられているという意味で重要な一歩なんですよ
ここを見失わないことなんですよ 皆さんというか私もですけど誰もがこの問題になってくるとこの気持ちを何とか解消することだけに
やっきになっちゃうんですよ そうではないんですよ辛いけど辛いんですよだからこれは
辛いというのはつまり辛くないというものと比較して辛いのであって 辛いというのは良いことなんですよそういう意味ではね
これを言うと全然違う話になりやすいんですよ そういうのでは佐々木さんは分かってないとか佐々木さんが分かったところで自分の辛さはなくならないじゃないですか
私もよくやってました なのでなんでこのクラスの女の子たちは誰も私と付き合ってくれないんだろうと
この人たちは全然分かってないとなんか口では優しそうなこと言うし なんかこう世の中に貢献したいとか言うけどみんな言ってたんですよ
品学校そういう学校だったから じゃあ俺に貢献しろよっていう俺だって世の中じゃんみたいなね
わかりますこのよくわからない理屈非常に迫害的になっているわけです私は
でいくらそんなこと考えたって彼女できないでしょ 問題の解決に向かってないじゃないですか
佐々木さんが分かったところで無駄なんですよ でも問題を私たちは違うところに置いてしまうどうしてもね
問題をどう解決するか
なぜならば問題そのものが解決することが自分にできないからです 例えば死ぬのが怖いとか簡単に言うと敗者が怖いとかね
私なんか敗者が怖かったんで敗者が怖いという問題は私が敗者が怖いという問題以外の ところにいくら持って行ったところでこれが問題なんですよ
私が分かるか分からないかということは違う意味をもだらすのかもしれないんだけど 大事なのはこれを私じゃないところに持って行った持っていくことによって問題が一見解決したかの
ように見えるそれを持って我々は問題解決と呼んでしまうということが問題なんです つまり私が
彼女ができないなり 死ぬのが怖いなり何でもいいんだけれども
皿のことで文句を言われて腹が立つみたいな自分で問題解決ができない これを例えば昔僕よくやってたんですよね
皿をこのように扱わないようにするとリマインドかけようと これで私は問題を解決した気になってたんですよ
でもこの問題は言われて腹が立ったこと自体であって 皿をどうこうしないことによって問題が発生しないようにしてみたところでまたそれを
やってあるいは違うことをやってまた奥さんに怒られてまたこの気分になるという 不安をそのまま残しちゃうんですよねこれが欲打不安です
自分が原因になって未来に悪いことが起きることを不安視しているから欲打不安 ここまで来れてるんですよ
つまり ps ポジションに入ると欲打不安というものを持つことになって 欲打ポジションに入れる可能性を作り出すんですよ
これが僕は一番必須だと思うんですよね だから ps は必須だと思うんですよ
これによって様々な不安というか分裂というものをですね なるべく自分へ自分へと思ってくることができるかな
まず奥さんのことを責めても喧嘩が継続するだけで無駄だと 自分が悶々としていてやることっていうのは結局のところ後悔になってしまう
つまり 空間を分割して妻と私という空間に分けて妻が悪いということにしても無駄だから
今度は時間を2つに分けて私が皿のことをやったから妻を怒らせた 自分が悪いんだと思って過去の自分を責めて
今度は時間の分裂を作り出してるんですね 時間の分裂を作った時の方が先へ行ってるんですよ
時間の分裂を作って後悔するというのは つまり時間を超え時空間を超えて私というのは同一人物である
アイデンティティの一致ですよね赤ちゃんにこれができない これはできるようになったから後悔ということが始まるわけですね
で後悔ということが始まることによって 過去の自分を責めるってことが起きるわけですよ
さっきは他者を責めたんだけど今度は過去の自分という他者を責めている この方が統合に向かってるんだけど全体的には統合してますよね
空間の分裂は終了してるんでこれで あとは時間における記憶の中の自分を責めているんで
限界とカウンセリング
もう完全にこれは自分が悪いに入っているんで d ポジションなんですよある意味欲打つポジションなんですよ
ただしモヤモヤは全く変わってません つまり ps ポジションと d ポジションは同じところに行くために何か必要なルートをそこに持ってるっていうか
つながってるんですね だからこの次に来るべきものは私はこの問題を解決できないんだという
んでカウンセリングに行くなりするっていうのはだいぶ進展があるんですよ 私はこの問題を買い私自身では解決できないということがわかったので
だから時間の中でも私の分裂はそのままにしておいてそれをもう解決できそうな人の ところに持っていくというところまで来てるわけですね
これは d の先の方まで来てるわけですこれを物作業というのとだから物作業というのは カウンセラーと一緒にやるっていうふうに思われているしそうなんだけども
でもカウンセラーのところに持ってったらもう物作業を始まってるんですよ で物作業って結局ごく普通のことなんですよ
時が癒してくれるとかって言うじゃないですかそういうもんじゃないですか 奥さんとの喧嘩をね3日もして違う展開になればみんなが穏やかな気持ちになれるとかそう
いうことでしかないんですよ物作業についてあの ps などにちゃんと書かれてない感じが すんだけどあれは最初に書いてあるからそうなるんですよ
物作業の逸脱というところから話が始まっているように見えるんだけど物作業が逸脱 しなければ
本当に辛いことがあった時が癒してくれるみたいなこういうごく普通の話でしかない ですよ
頭ではわかってるんですよ皆さん私もこれに情緒をついてこさせられるかどうかの話を してるんですよ
でついてこさせられないからまず多罰次に自罰 そして相談っていう展開を経て同じことをやろうとしているはずなんですよね
その時自分に対して攻撃的になっている しばしばその自分に対する怒りが他者に向いたりもするつまり ps に戻ったりも
この ps に行ったり d に行ったりっていうように見える形で d が維持されていくっていうのが
移行対象の理解
限界なんですよ私たちにできることの私は限界点がここにあると思うんですよね
それで最終的にどこに行き着くかというとどうしようもないというところに行き着くん じゃないかと思うんですよね
この気持ちを言語化したところでしょうがないんですよ どうしようもない存在なんだ自分はっていう
怒りではなくて悲しみですよねだから悲哀で終わるんですよ d は
奇跡が起きないんだっていうそういう話いっぱいあるじゃないですか遠藤主作の沈黙 みたいなそういうふうにしてなんかこの
なんて言えばいいのかな だからこの話を話としてするとすこぶる安直で薄っぺらい話に終わるんですよ
ということはつまり安直で薄っぺらい感じがしている間は終わってないってことだと思うん ですよね
深みがあるっていう言い方って結局 なんてんだろう本当のところそういうことだという認識に行き着いたって話
以上のものではなくて でこの本当のところそういうものだっていうのに行き着くために客観性というのは必要で
だから私たちは主観的なだけではここまでは行き着けないんですよね だから私はそう時間の葬式だの法事だのっていうものは全部人と一緒にやることになって
いるんだなと思うんですね つまり
小村うとか痛むとか悔やみ悔やみを述べるとか悔やみを述べるというのは どういった教が書いてましたけど悔やみ申し上げますよあれは実に正しいんですよ
あれは移行対象ってことも同じだと思うんですよ あそこに成立している葬儀の空間てまさにそうですけど
まさに移行空間じゃないですか葬儀の空間というのは普段だったら単なる広間だったり えっと単なるお堂だったりするところが悔やみの場になるわけですね
そしてみんなで同じことを悔やんでいる ここが人間の限界ですという話をしているわけです
小道具使いますよお香とかね灯場とか だって使わないと私たちはこの小道具が移行対象と呼ばれているものだと思うんだけど
移行対象って限界を示してるじゃないですか人間の限界を つまりこれ以上のことができないんだとでもここまでやればいいんだという客観性を同時に
持つわけです主観的だとどこまで悔やめばいいのかわかんないし そこから怒りが湧いてくるわけですよ
もっとどうにかできたんじゃないかという怒りがどうにもできないんだってところに行き つかなければいけないわけです
私たちはそこまで行かないと 悔やみっていうのは悔しいことを悔しがることだっていうふうに
どいた強が書いてるんですけどそういうことなんですよね最終的に行きつけるところ できれば小道具を使わずにですがどっかで小道具が出てくるんだろう
物作業の難しさ
つまり小道具というのは出てこなきゃいけないんですよ 使っちゃダメなんだと思うんですよねここにタスクシュートがあります
タスクシュートは何を意味しているのか 実は開発した人の限界を示してるんですよ
そうですよねタスクシュートなしではその人も問題を解決できなかった これを提供するということは2社の間に1個メソッドなりツールなりを置いて
こいつを使って我々の限界を突破しましょうねというか 我々の限界を認めましょうねということでも当然あります
自力でできないからツールに頼るわけじゃないですか つまり移行対象っていうのは限界を象徴しているものだと思うんですね
で同時に移行対象を共有できるということは限界を共有できるということ ここに
気合を共有することができる可能性ってのがあるんだと思うんですよ 悲しいことだよねと
だって人を生き返らせたりはできないですし だけど我々はこれが悲しいということがお互い認識できるよねと
我々は限界を持っているということをお互い認識できるよねというところに行き着くと 行き着けないんだったら
私たちはまだ十分手を尽くしていないか それとも万能感にとらわれているかとどっちかなんですよね
でカウンセラーがいつも考えないといけないことはおそらく まだ手を尽くしていない方
で ユーザーさんが参加して遊んでもいいんですけど ユーザーさんが考えるべきことはいつも
万能感にとらわれていないかどうかということだと思うんです もちろんこの資格が交代することはしょっちゅうあります
いわゆる精神分析家の方が治療的万能感にとらわれてしまうということもあるし ユーザーさんの方が
まだ手を尽くせていないということも考えられます だからこの資格はしょっちゅう転倒しますが多くの場合最終的にはほとんどの場合
少なくともちゃんとやってるならば 精神分析家の方はおそらく
手を尽くしていないということを考えなきゃいけないということですよね 最近あの
夏木くにひろさんがQ&Aの本で スーパーバイザーに頼りたくなることはしょっちゅうあるが
ちょっと待てと思うみたいなこと つまり俺は全部はやってないんじゃないかとやっぱり思った方がいいっていうことを書いてて
やっぱりそういうことだよなぁって思ったんですよね スーパーバイザーっていうのは奇跡である以上必須です
奇跡だってつけましょうぐらいのことも勢いになってるけど でもあれはやっぱりどっか逃げてるっていうところはあるわけですよね
ちなみにこれはこれを聞いている方でもしカウンセラーの人がいたらあれですよ 別に私が逃げてるって言おうがいいまいが関係ないし
逃げるのも必要ですよ絶対にこの種の仕事は この種の仕事で逃げちゃダメだっていうことほど
おぞましいことはないと思うんですよね お互いにいいことないと思うんで利用者さんにとっても
カウンセラーさんにとってもですね 逃げる必要があるときは絶対あると思うんだけど
ただちょっとまでと思うっていうのはちょっと待つと思ってると逃げられなくなるんですけど
でもちょっとまでと思うっていうのはやっぱり必要だろうなと 手を尽くせてないんじゃないかって思うってことですよね
これもお互いになんですけどお互いに万能感に気をつけなきゃならないし お互いに手を尽くせてないんじゃないかと思うところがあるんだけど
限界まで行けば 何か助けてくれる小道具が出てくるんだと思うんですよね
これが意向対象なんだとここまで話として行き着きましたね 最初の方で喋ってましたよね意向対象の話
意向対象まで行き着けるかなって言ってた気がします 意向対象というのは私たちが何かを客観的に協力し合うための限界なんですよ
最終的には悲しみというのは協力者が必要なんだっていうことを意味していて 大概の場合我々は怒りで終わってしまうんですよね
そうですよね 私が奥さんになんで汚れてる皿出してきちゃうわけって言われた時にカチンと来るってところで終わりがちなんですよ
私は こういう時に出しちゃう人間だし
腹を立てて離婚したくなっちゃうしでも出て行くこともできない 悩々した人間だし
っていうところの奥底には結局人間って限界があるようなっていうことであって この結局人間って限界があるようなということを奥さんも納得できれば多分この戦いは終わるんですよね
もっとあるべき姿に家庭をできるはずだと2人で思ってる間は戦いは終わらないと思うんですよ なるべくしょぼい話で行きたいんですよこういうのは
我々は 悲哀に至るのはしょぼければしょぼいほど価値が高いと僕はある意味思うんですよ
誰だって 最愛の人がって話になってきたら悲哀に行き着くじゃないですかむしろ誰だってじゃないかもしれないけど
悲哀は非常に重いかもしれないがしかしやっぱり我々は最後は悲哀に行き着くしかないんだっていうのが僕は全カウンセリングに共通している上に宗教にまで共通しているから
慈悲って言うじゃないですか お釈迦様は悲しんでるってことになってるじゃないですか
あの人はすべての感情を克服しているはずなのに一切は空ですからね 悲しいっていうことを一切マウントを取らずに言うっていうことができるためにはやっぱり
客観的にそれは悲しいことだからなと思うんですよねそうじゃないと話がおかしくなって しまうと思うんですよ
客観的には悲しいことじゃないのに悲しむっていうのは多分に目線が何か 無理やりでも上位に立とうとする時に起こりそうな話だと思うんですよね
ましてああいう宗教的な話になってきた時にそれをやるってことになってくると なぜかそれはやっぱ悲しいんですよ
それは何にもその問題についてできることがこれ以上はないからっていうポジションがあるからと思うんですよ
で その時に僕らはその遥か手前でも小道具が欲しくなる
だってやっぱり手を打ちたいじゃないですか 歯だったら麻酔ってやるじゃないですか当然今だったら昔はなかったんだけど
だからそこまでやってもやっぱり子供は泣くわけですよね そもそも麻酔が痛いじゃんっていうような話になってくるわけですよ
どこまで行っても小道具だけで解決できない話ってありまして それはつまり心の問題なんですよきっと
で頭でわかってるわけですよ 別に虫歯の治療して
そんなに悲惨なことにはならないとでも心がついていかないわけだよ だから虫歯の治療に行けないってことになり事態を悪化させる
悲しいことですよね非常に 人間のある種の限界を示してますよねこれはね
でそんなにダメじゃんっていう風に言うっていう 人もいて
でその人には見えないわけですよ つまりその人の限界があるわけです
その人にはその歯医者で恐ろしいと言っている人の気持ちは理解しがたい つまり限界があるわけですよ
できる人にもまた限界があるわけですよねそういう悲しみもあるわけですよ だから私たちは最後は共有するためにはそもそも共有することにすら限界があって
写真とかねそういうものを使わないと お葬式の時に十分にみんなで同じものを見るのが難しくなると
そういう限界にも我々はそのなんて言うんですかね 晒されてるというのかなそれが物作業ってものをひどく難しくしてるんだろうと