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  2. 【GMV 281】自分をひとつにする
2020-12-24 38:55

【GMV 281】自分をひとつにする

価値の上下のあるところには分裂があって、分裂すると機能できなくなる
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おはようございます、グッドモーニングヴァイブスです。
えーと、この番組ってネタなしで喋ってるんで、ネタが完璧に尽きてしまって結構困りながら喋ってるということもあればですね、
今、ネタがありすぎて結構困ってるんですよ。 まあ、贅沢な悩みなんですが。
で、ありすぎる時って、それらのネタについて全部喋ろうとして、それらのネタを一つも喋れず、全然違うことをずっと喋って終わっちゃったりするんですよね。
よく本書いてても、というか文章書いてて、なんか感じることなんですよ。その周りをぐるぐる回ってるうちに終わっちゃうんですよね。
で、なぜネタがそんなに上がってきてるかというと、多分やっぱ年末だからなんだと思うんですよ。
なんかこう、年末にカコつけて、何でもできるじゃないですか。今私この番組でも、Good Vibesの自分の中ではですね、
ここから入っていったところを辿っていこうみたいなことをやってるんですけど、これもなんか年末にカコつけるとできるじゃないですか。
そうやって年末にカコつけて、あるいは年始だから新しいことを始めましょうとか言えば、何でもできちゃうから多分ネタがこうワーッと上がってくるんですよ。
という現象が起こっている気がします。
で、どれからいこうかな。
まず先にタスクシュートの話から入ります。なんでかというと、これGood Vibesの入り口の話してるんですけど、この話出てきちゃうということですね。
で、タスクシュートというのは仕事の主催している大橋絵造さんという方が、僕からするとすごいんですよ。
オリジナルのアイディアでそれをタスク管理化するツールまで用意した、そのツールを言うんですけどね。
で、GTDとは違うものなんだよということを私よく言ってます。これは精神分析と心理学が違うよみたいな話で、よくわからんと言われればその通りです。
ただ違うものなんです。
で、そのタスクシュートを私は昨日ですね、倉野絵造さんとまたYouTube収録をして、その時にちょっと出た話なんですけど、
ライフハックというものから私はやっぱりどうしても離れつつありますよね、今。
で、最後に残るのはタスクシュートだなと思っています。
で、なんでかというと、タスクシュートを私はですね、結局非常にGood Vibes的に使おう使おうと、10年ぐらい前からしてた感じなんですよ。
まあ後自衛ですけどね、もうこうなってしまうと。
ただ例えば、今日この話をちょこっとしますが、
全てのタスクの価値は等しいっていうのを、僕は多分10年ぐらい前に言って、ここ10年はそればっかり言ってきたつもりでいるんですね。
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これ何より大事だと自分は思ってきたんですよ。
で、全く受け入れてもらってない気がしてたんですよ。
最近にだってようやく反論が出てくるぐらい、つまり10年経ってようやく反論がもらえるぐらい、
しかもそれは反対意見という形の反論をもらえるぐらい無視されてきたと思うんですね。
で、多分それは等価であるはずがないという。
で、今思ってもですね、等価だとはっきり言ってもですね、佐々木さんの言葉の使い方には独特のものがあるとか言われちゃうんですよね。
等価でないことはもう大前提になっていて、なんかこうコペルニクスみたいな気分にならなきゃなんないという、そんなに大層なことは何も言ってないですけど、
ある意味くだらないことを言ってるつもりなんですけど、でも等価だとは見のめていただけないんですよ。
でも等価なんですよ。もうこうなってしまうと宗教論争みたいなもんで、神はいるのかいないのかみたいな話で、
いる、いないって言ってるのと同じなんで大変なんですけど、でも言い続けるしかないなと思ってます。
等価なんでね。この一人で勝手に喋ってるところのずるさ、こういうことができることですね。
で、なんで等価かという話はもう、その都度その都度聞かれたら喋ろうと。とにかく等価だと言い続けようと思ってます。
等価であるということの良さはですね、全てのタスクの行為の価値がマックスなんだから、それをずっとやってる自分の価値は高いに決まっているじゃないですか。
最高レベルじゃないですか。こういうことを考えてたので、タスクシュートをやって等価だと信じていさえすれば、
自己肯定感とかは勝手についてくるもんだというふうに思ってました。で、もう一つは、
全部等価なんだから、それをやっている自分というものが分裂する理由は本当はないんだとしますよ、分裂はね。
するんだけれども、自己分裂は本当はしなくていいんだと。これは精神分析とか心理学を
勉強してきた自分としてはとっても大事なことでした。だって精神の障害で一番重いとやっぱりされるものは統合失調症なわけですよ。
統合が失調するということは大変なことなんですよ。だから統合してなきゃいかんのわけですよね。
で、統合失調症は昔、今ではこの言葉はダメとされてますが、精神分裂病と言ったわけじゃないですか。
精神が分裂しているのはダメなんですよ。 だから全ての行動の価値が上がったり下がったりして、それが極端に上がったり極端に下がったりすれば、
分裂するじゃないですか。だって価値がうんと低いものに、自分が価値がうんと高いものもやる自分が、
うんと低いものもやらなきゃならない時って嫌ですよね。 だからそれをやるということになると分裂していきますよね、どうしたって。
そこはなるべくやりたくないのにやってる俺みたいな、その分裂が起こるじゃないですか。 だから
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統合していくためにはですね、全ての行動の価値が等しく高いっていう状態じゃないといけないと思ってたんですね。
だから等価だっていうのは非常に大事だったんですよ。 等価だということになると残る問題が一つあってですね、
順番なんですよね。行動をとる順番。 ここがですね、私の中ですごい悩ましかったんです。
いくつかは必然的に決まりますよね。朝食は朝食べる、昼食は昼食べる。 こういうのはですね、等価である上に順番も決めるのに難しさはないんですよ。
難しくなってくるのは 他人の介在してくる時なんですね。
これが私はGOOD VIBESまで悩ましいところだったものなんですよ。 他人が介在してくるものを後に回すのか先にやるのかってことなんですよ。
タスクシュートでは順番で非常に大事なんですね。 順番こそ命みたいな、そういうものです。
この順番をちゃんとするために、ちゃんとするというのはちゃんと流れるようにするためにタスクシュートというのはあるし、
流れるようになっちゃえば時間管理はそれでうまくいくんですよ。 だってですね、結局締め切りがあるから寝られないとかいうのは順番の問題じゃないですか。
寝てから仕事すれば気分よくやれるけど、寝られないから仕事してから寝るわけですよ。 こういうふうに締め切りというのは順番を意味してるんですよ。
なんか違うものを意味しているように思っちゃうところに大きな誤解があって、 タスクシュートやってればですね、これは順番の問題なんだということがわかるんですよ。
最後に残るのが、奥さんが締め切りをしている仕事の時に用事を言い付けてきた。 この時どうするかって話なんですね。
この時グッドバイブスがいるんですよ、私の考えでは。 タスクシュートだけではこれへの答えが出なかった。
あるいは多分私の考え方が歪んでて、これへの答えがですね、歪んでたんですね。 私はこの時必ず奥さんの言い付けを後に回したんですよ。
ここが逆転したんですよね。これがタスクシュート的にグッドバイブスを知った一つの意義なんですよ。
このような順番の逆転を徹底していくとですね、必ず起こることは他人からの依頼が先へ先へと
タスクシュートの表現でいうと上へ上へといくことになるわけです。 で自分のやんなきゃいけないことってのは下へ下へと落ちていくわけです。
タスクシュート的に表現するとね。でも価値は等価なんですよ。 これは大事なことなんですよ。価値は等価なんです。
ただ優先順位として価値が等価なのに優先順位があるってのはおかしいかもしれないけど、でもあるんですよやっぱり。
なぜなら食事をした後歯を磨くじゃないですか。で食前食後の薬ってあるじゃないですか。
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どっちを先にやるかというのは価値と必ずしも直結はしてないんですよ。 ただ
人からの依頼というものは優先するべき理由があるというのが今日の本題になるわけですね。
で、人からの依頼を優先するべきであると。
べきである。まぁべきであるだな。うん、べきであるでいいと思います。 それが基本誰からの言う
ものであってもという話なんですけど。 例えば昨日280回のグッドモーニングバイブスは反応がありまして結構
ありがたいんですが
ハンドルネームかな、アカウント浮きすぎさんという方からですね。 超自我が強い自覚あり、では正しさを手放すと井戸がもう少し好き勝手になる
超制約の自我が強くなる。 えっとですねこれはこれだけでは僕には答えられない。答えられないけど軽く答え
ます。なぜかというとこれは依頼だからですね。 こういうことなんですよ。依頼を優先するというのは。
わかんないじゃないですか。この絵の答えは明日に回すべきなのか、 今日やっちゃう方がいいのか。で今日やっちゃう方がいいと考えるのがグッドバイブス的だと
私は思うから今日やっちゃうわけですが。 超自我が強い自覚。これはですね私が思うにここがすべてなんですよ。このご質問を。
ライフハックの人はみんなこれがあるんですよ。 私はだから10日だ10日だうるさく言ってたわけですよ。というか
アホかお前はという感じだったわけですよ。10日のわけないじゃんと。 なぜ10日のわけないか。超自我がそう言うからじゃないですか。
えっと 昨日そう
youtube 番組で取り上げたんですけれども 漫画のまとめサイトをだらだらと見るよりも
えっとなんだっけな。資格試験の勉強する方がいいに決まっているではないですかという まあこんなにシンプルじゃないですけどシンプルにするとこういう趣旨のお話がありました。
でこの種の趣旨のお話は別にyoutube 番組でなくて 昔私がタスクカフェに10日の話し喋った時からも
常に言い続けられた話です。しかもほとんど絶対に出てくるのが資格試験の勉強です。 これは本当にねあの
youtube を見るのと資格試験の勉強どっちが大事だと思っているのかという突きつけなんですよ。 僕は
そういう時はさすがに怯みますよ。タスクカフェでね。 今なら怯まないけど10年前とかこれを言い出した時には怯みますよね。
なんかいや10日だと思いますみたいなそういう風になっちゃいますよ。 でも10日だと思ってたんですよ。
だってそこタスクカフェでそれを言うんですから。 そんなこと言わなきゃいいわけじゃないですか。
そのそれほどそれが大事だと思ってないならばね。 資格試験の勉強しましょうって言っとけば全ては丸く収まるわけですよ。
多分本当に 仕事の大橋裕三さんには申し訳ないと思ってたわけですよ。
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だってそんなこと言ってほしくないですよね。 あの朝4時から7時の時間帯で資格試験の勉強を真っ先にファーストタスクとしてやりましょうってタスクカフェで
言ってほしいに決まってるじゃないですか。 だから私はえーっと
なんて言うんですかね。ここはグッドワイブス的に頑張ってるつもりなわけですよ。 大橋さんとはまあ僕が切り捨てられれば別ですが
分離しないようにしようと。だってあれを喋ってる私を放置しておいてくれたわけですからね。
あの絶対タスクカフェに来ている人に向かって言うべきことではないと僕だってそう思ってたわけですよ。
10日だとは。でも10日だと言わなきゃいけない気がしてたんですよね。これは多分
えーっと倉園さんならもっと上手に言うと思うんですね。 私は当時私はこういうふうに言っちゃうところもある人間になっていることもあるし
当時は逆に自信がなかったからこれしか言えなかったんですよね。10日だと思う。 だからどっちをやってもいいんだ。
タスクシュート的にはそうなんだっていうふうにボソボソ言うわけですよ。 当時意外とはっきり言ってたかもしれないですけどね。
はっきり言ってるにしてもボソボソ言ってるにしても自信がなかったことは確かです。 ただ10日であることに確信を抱いていたのも確かなんです。
10日でなきゃダメなんですよ。 10日でないということはどうしたって価値のないことをする人がいるって話になり
価値のないことをする人の存在を認めるということはもう林間の話じゃないですけど 差別オッケーって話になっちゃうんですよ。
どう考えてもそうなると思うんですよね。 だって価値のあることだけしていたいわけじゃないですか。
行為に価値がそんなに上下があるならば。 そうすると価値があることだけをみんながしていたいんだから
価値があることだけができる人と価値がないことだけをしなきゃいけない人に分離しますよね。 しかもそれは当然だっていうことになるわけですよね。
その価値は明らかにこっちの方が上だって言うわけですよね。 それが長時間は言うことなんですよ。
長時間言うことというのはつまり、昨日もお話ししましたけども多分これも何度も今後言い続けなければいけないことだと思うんですけど
私たちの欲望は何にでも向くんですね。 リビドーは言ってみれば愛情欲求なので、リブですからね。
リブということはつまり愛であり、しかも生命でもあるわけですね。 リビドーって生命愛なわけです。
で、ということはですよ。 人間の場合はフロイド的に言うならば本能から切り離されておりますから
何を食べていいのか、何を食べていけないのか、人間は実は本能じゃわからない。 つまり自然とはわからない存在なんですよ。
生命、生物として。 代わりに文化がそれを教えてくれるようにしたと。
そんな風に生きるためにはですね、 そういう装置を持ってなきゃいけない。
この装置がいわゆる超自我、自我、リビドーという装置なんですね。 これがエディプスコンプレックス的に働くと。
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だってあのエディプスコンプレックスって、私たちみんなそうつい思っちゃうんですけど、
お母さんと恋中になる、いいじゃないですか別に。 ダメな理由何にもないでしょ。
セックスをするのはダメかもしれない。 でも恋中になるのは別にいいじゃないですか。
なぜダメなのか、それは文化がダメだと言うからですよね。 で、私たちはそれを受け入れられるようにできちゃってるから。
それがエディプスコンプレックスってことだと思うんですよ。 腹いっぱい食べてそこでゲイしたっていいじゃないですか。
あのトイレに行きたくなったら、あのこれ食事中に聞いてる人いないと思ってるんですけどね。
トイレに行きたくなったら、いや違う、トイレがしたくなったらそこら辺にすりゃいいじゃないですか。
全ての動物はそうしてるじゃないですか。それで別に自然で困ってることって何もないですよね。
なぜ人間はトイレに行かなきゃいけないと思ってるのかと。 これは本能なんかでは全然ないですよね。
文化が決めたことなんですよ。 その文化が決めたことをリブ、リブがこうやりたいと思ったら
ストップがなんかかかるようになったんですよね。 そのストップの理由を教えてくれるのが文化なんですよ。
お父さん言わなかったと思いますよ。私の父はそんなこと言いませんでした。 お母さんどこいなかになっちゃダメだなんて。そんなことは言ってないです。
なんとなくわかるんですよ。私たちはそれを持ってますからね。 リブがグーって伸びて、リブのいいようにしちゃいけないんだということを
なぜか受け入れられるようにできてるんですよね。 ということをフロイトは言ったんだと思うんですよ。
だから長寿が強いとか弱いとか言うのはですね、全部同じことを意味しています。 等価だと思ってないってことですよ。
リブはダメだって。でもこのリブがダメだっていうのを強めるとか弱めるとか言うのは、この分裂を避けるってことがもう全てなわけじゃないですか。
正しさを手放すと井戸が好き勝手になるかどうかということを心配するってことがすでに非常に違うと思うんですね。
最初に申し上げた通りで統合が失調しちゃダメなんですよ。 統合しなきゃいけない。だって長寿がもリビドウも自我ももちろんのこと全部自分なんだから
ここで一つになってないとやっぱりどうしようもないですよね。 完全に分裂してしまったらもうそれは恐怖ですよね。
勝手にリビドウが動き出すんですよ。そんな人はそうそういませんけどね。 勝手にリビドウが動き出すってのはどういう状態なのか。
それはわかんないけれども何か危ないことが起きるのは確かですよね。 あと長寿が自己実現とか私たちは
アメリカ流に平気で言ってきましたけど長寿がとかが自己実現したらどういうことになるのか。
多分その人死んじゃいますよね。 だってリブが完全に抑え込まれる。リビドウが完璧に抑え込まれる。
これはつまりトイレに行くのは大変だから、おしっことかするのは良いことじゃないから、おしっこしたいという欲望を全滅させるって意味ですからね。
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全消去させる。 これが多分フロイトの考えたところの
精神障害なんですよ。 だから長寿が強くなるのとか弱くなるのとかいうのは実はそうではなくて
いかに分裂を避けるかなんですよね。いかに分裂を避けるかということに一番分裂しているのはやっぱり
リビドウと長寿が正面から対決している時ですよね。 つまり何か自由にしたいという時に
それは全部ダメだっていうのが、自分の中でその葛藤が100%起こったら、100%起きないけど
例えばYouTubeが見たいと、資格試験の勉強しろ。 これが対立が先鋭化するほど弱くなるわけですよ、どっちも。
戦ってますからね。これが強いとか弱いということであってリビドウ自体が強くなるとか
自我自体を鍛えるとかそういうことはできないんですよね。 いかに統合していくか
いかに分裂を避けるかということが、その強さにそのまま直結するということです。
なんていうのかな、なんていうものかじゃなくて
その際によく
リビドウが全然機能しなくなっちゃったと。 愛と性欲と生命欲求がほぼ枯渇しましたと
いう時は、この構図から言えば決まってそれへのブレーキが強烈に働いた。 つまり木杉さんに指摘いただいているので言うと
超自我が強いという自覚。 だいたい想像がつくと思うんですけれどもタスクシュートとか
ライフハックとかいう人たちはみんな超自我が強いですよ。 私昔
ツイッターでですね
ある投げかけられたんですよ。 投下だということは
朝ネットゲーム、YouTubeって言うんでもいいんだって書いたことがあるんです。
2010、2015年頃かな、わかんないです。 尻滅裂な数字かもしれません。 ただ震災の後であり
私が二宮に来る前だと思うんですよね。 の辺ですよ。その辺で言ったら、ある方からそんなタスクシュートの記録の人は
1回も見たことがありません。 いいじゃないですか。見たことなくたってと私は思った。
書かなかったですけどね。確かに大橋哲夫さんとか私のタスクシュートがそうなってはいないかもしれない。
でも私のはそれに近いことありますよ。 あの朝から晩までDMMみたいなどうかと思いますよ自分でもどうかと思うけどありますよ
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そういう日は。 今はないんですけどね。あんまりそこまで元気じゃないです。
でもありましたそういうこと。いいじゃないですか別にそういうことがあったって。 なんでそれはいけないんでしょうか。
えっとですね 気の地堕落なのはなぜいけないかと書いたんですけど違うんですよね。
皆さんが言っていることは長時間の理想に沿った。私これも2012、2013年のことだと思うんですけれども、もっと前かもしれませんけれども
あらゆる人の計画表GTDとか でもいいですよ
それこそミッションステータメント 7つの週間のね。あるいはタスクシュートに書いていること
あるいはその週間計画表。タスクシュートにそういうのは書きませんが、週間計画表というのを持っている方は書くこと。
絶対立派な内容なんですよね。このこと何度も僕タスクカフェとかで言ってきた記憶があります。 あるいは自分のセミナーとかで
立派なんですよ。 なんでおかしいと思いませんか。立派なことしか書いてないんですよ。そこの計画表なるものには。
でその通りにできないってみんなおっしゃる。それは当たり前じゃないですか。 当たり前じゃないというふうに思われるのかもしれませんけど、私には当たり前としか思えないです。
それは非常に変なものですよね。 そこに書かれていることって。タスクシュートというのは記録なので、そうは絶対になりませんということを
何度も何度もお話ししたという気がします。 朝に起きてジョギングに行き
中国語の勉強して資格試験の勉強をしながら 会社で仕事をしてで帰ってきてからはちょっと休憩をして家族サービスをしてそれは
おかしいじゃないですか。 絶対でもそういうことがしか書かないんですよ。
せいぜいよくて休憩とかしか書かないんですよ。 DMMとか書かないんですよ。ここでDMMを見るとか誰も書かないんですよ。
見るのに。 YouTube見るとかも書かないんですよ。ネットゲームするとかも書かない。
やるのに。 やるに決まってると思いませんか。
えっと だからなんて言うんだろう。その超自我なんですよ。その理想像を描くのは超自我なんですよ。
そして人は自分が超自我になれればいいと思っちゃうんですよ。 でも超自我になるということは
食欲は失い、性欲を失い、睡眠欲も失うということを意味するんですよ。 リブがないんですからね。
リビドウがなくなるんだから。 で実際にそんなことは絶対起こらないんだけれども
それに限りなく近い状態になるということが時々起きる。それを何と症状を名付けるかはもうこの際置いといて
何らかの理由で超自我が暴走し出すという時に 例えばですね本当に古典的な第一号ですよ。精神分析第一号
アンナ・オーっていう名前で知られている女性がいました。 で彼女は
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何にもできなくなったんです。彼女は立派な方なんですよ。 オーストリアのですねユダヤ人フェミニストの教会員みたいなものの創始者で
多分福祉関係の教科書でちょっとしたものを読めば必ず出てくるすごい人なんですよ。 本名はアンナ・オーではないです。
ベルタ・パッペンハイムとかいう名前だったような気がします。 でこの人を見たのがフロイトなんですよ。
厳密に言うとですね私本読んだ限りではフロイトが見たというよりは当時フロイトと一緒にお医者さんで
こういう仕事していたブロイヤーって人がいた。まだ精神分析という言葉もない頃です。 長寿画とかなんかもちろんないです。
ブロイヤーって人がいたんですよ。その人と一緒に見てたんですね。アンナ・オーのこと。 これ時々言われることなんですけど精神分析というものを発明した人はアンナ・オーだっていう人が
結構いるんですよ。フロイトじゃなくてね。 確かにお話をするとこの方すごい面白い人ですね。
片凸掃除とかって言うんですよね。要するに自分の中で詰まったものをお話しして取り除いていく お話し療法とかって言うんですよ。精神分析のことですね完全に。
でこの人は全く物も食べれず水も飲めなくなっちゃうんですよ。 何にもできなくなるんです本当に。
ただ座ってじっとして一言も喋らずに前を見ている。 冠目とかっていうのかな。あのもうだから石像みたいになっちゃうんですよね。
リビドが機能しないんですよ。なくはならないですよ。リビドがなくなっているってことは死んでるってことだと思うんで。
リビドが機能しないんですよ。生命愛が 発露できない。目は開いているぐらいな感じ。
呼吸もしていると思うんですけどね。でも自分から物も食べられない。 今日はこの話はしませんけれども、だから
マイケル・バリントの甘えって話が大事になってくると思うんですけど、この状態ってあの 精神分析の対抗って言うんですけど子供に戻ると。
子供に戻るから私たちはどんどん精神が機能しなくなっていくわけですね。 善悪の区別だと。トイレでするだと。だんだんわからなくなって。
戻って戻って戻っていくと。一番戻るとどこまで戻るかというとこうなるわけですよね。
用水の中にいる赤ちゃんみたいなもの。 生きてはいる。
それだけっていう感じですね。 この状態が強いはずはないですよね。多分私はこれが超自我が暴走しきった格好だと思う。
これほどやっぱり立派な人なので。 この人はお父さんが大好きだったんです。
でお父さんを失うんですね。亡くなっちゃうんですよ。お父さん。 多分これが生きる対象というものが失われた欲打つのかなり重い形なんじゃないかという気もするんですね。
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私もあれですよ。多分今は何とか頑張れるかなって感じなんですけどそれもグッドバイブスのおかげですが
3歳ぐらいだった時のうちの娘を失ったらこれだったでしょうね。
だからこのアンナ王さんにとってのお父さんというのはお父さん先に死んじゃうのはしょうがないですよね。
お父さんなんだから。 すごい存在だったんだと思うんですよね。
でも看病の甲斐もなくっていうのが多分彼女にとってはすごいいろんな問題を引き起こしたんだと思うんですよ。
それをフロイトとブロイヤーがなんか涙ぐましいとしか言いようがないほどケアするんですよ。
ものすごいケアです。 私はだから甘えっていう概念はすごい大事だと思うんですよ。
だって甘えなかったら多分アンナさん死んでましたよね。
そうしていたらこのベルトパッペン俳優さんは死んでることになっちゃうわけですよ。
この治療もものすごい有意義だったと思うんですよ。
だけどこれが精神分析だったのかというと精神分析の原型みたいなものだとは思いますけれども
精神分析だから治ったのかなぁとは思っちゃいますよね。
私はこれはケアが治したんじゃないかとしか思えないところがあります。
何しろもうすごいです。ブロイヤーさんは特に。
朝に駆けつけてきてお水飲ませるんですよスプーンで。
自分から何もできないから。
物も食べさせるし。もうだからあれですよね。
生まれたての赤ん坊のケアをブロイヤーがしてくれているようなものですよね。
でここもエリプスコンプレックスじゃないですか。言ってみれば。
お父さんの代わりになってあげたわけじゃないですか。フロイトとブロイヤーはですね。
お父さんいなくなっちゃったからですね。
まあこういう解釈を安易にするのは考えものなんですけどでも
私はあれを読んでどうしてもですねこれはカウンセリングとかそういう話じゃないような話もしてませんし
話もしてない時期がありますし。
1日だって大変ですよこれ。
私できる気がしません。1日だって。自分の娘では頑張りましたけどそれだってかなり妻がやってくれてますからね。
1日だって全く話も。例えば自分の妹とか
もう四十過ぎてますけどこうやってスプーンでお水飲ませて
なんかミルクとか飲ませて
なんなら寝かせてみたいな。大変ですよね。
それはカウンセリングじゃないだろうと。
いくらお金もらったって合わないじゃないですか。お金と話をするならば。
だからこれはケアの域を完全に超えてると思うんですよ。
まあ介護ですかね。
まあそうは言ってもこれはあくまでもそういう精神的な治療の一環として行われたわけですけれども
甘えってのは大事だと思うし
よく言うんですよね。そうやって一方的に自分がコストをかけて何になるみたいな話。
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10日じゃないわけじゃないですか。10日じゃないからお金がそこで必要なわけですよね。
自分にとって価値のないことをするんだからその分補填する金をくれと。
でもブロイヤーもフロイトもそういう感じでやってないんですよ。
とことんやるみたいな感じで。だから精神分析が誕生したわけじゃないですか。
私はこういうことがあると思うんですよね。
でこういうことがあるということはつまりわからんわけですよ。
事前にそれのやってることの価値だの意味だのという。
絶対無理です。精神分析がここから誕生するとか事前に察知するとかありえないですよ。
あの
それを察知できるはずがないですよね。フロイトの著作集みたいなものを読むとよくわかるんですけど
まあこれは計画にのっとって開発されたものじゃないなっていうのは実によくわかります。
この冒頭のケアの仕方からしてもそうですし、そもそも一緒にやってたブロイヤーさんはもう精神分析の人じゃないですからね。
フロイトとたまたまわかっちゃってるんで。それくらいわからないことだと思うんですよね。
こういう何がそこから出てくるのかということは。
完全に生存機能を失ったような女性の世話を1日中やってて何になるんだって言われたら困っちゃうじゃないですか。
でもそうじゃないんですよねやっぱりね。やる意味あるんですよ。
それこそフロイトとかブロイヤーはリビドウでそれを頑張ったわけですよね。
それは絶対にいろんなところでいろんな人は、私も含めて思うことは絶対あります。
本当に等価なのかと。マックスなのかと。でもですね、やっぱりここでマックスだと思っておかないとどうしてもリビドウを裏切ることになりまして、長寿が優勢長寿が優勢になっていくわけですよ。
人間の社会は文化の社会ですから。トイレでトイレをするのが当然ですからね。当然じゃないですか。
本能でこういうことはできないです。でもやっぱり当然、いくら当然でも本能ではない。
だからといってトイレに行くのが面倒くさいからしたくなくなりました。
やばいですよそれはやっぱりね。やっぱり等価なんですよね。ここもすべてが等価だと思います。
等価だということは長寿がと寿がとリビドウは当然対等じゃなきゃいけないし、対等だということは一つのはずなの。
だいたい一つに決まってますからね。私の中で働いているものなので。
で、すべての行動がそういう意味で等価であるならば、統合されているのが一番いいならば、だって1日なので統合されているのがいいに決まっていると思うので、
実際には分けられないわけですからね。1日のどの行動をとっても他の行動とつながっているので、やっぱり一つなわけじゃないですか。
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私が一つ意識といってはっきり意識できるのはここまでなんですよ、とりあえず。
ただ、この中には絶対他人のための行動が大量に含まれてきます。
このグッドモーニングワイブですら、自分一人のためにやっているなら、後悔しませんからね。
後悔するってことは他の人のためにやっているものがあるわけです。
で、自分のためにやっている部分もどっかにありますよ。お金じゃないですけど、ありますよね、どっかに。
だから時代は分からないんですよね。こういうことを真剣にやればやるほど。
レベルは大きく違いますよ。
今日取り上げたような、ブロイヤーのアンナ王さんにやってあげたようなことの時代の区別の無さまでは行かないけれども、
でも結局時代の区別なんてそういうことだと思うんですよ。
他人のためなのか自分のためなのかは、はっきり区別できないレベルの領域に入ってしまわざるを得なくて、
はっきり区別できるはずがなくて、
自分のためにやっている、あなたのためにだけやっている部分があるから、そこだけちゃんとお金くださいねって言ったら、あの治療はなかったと思うんですよ。
グッドモーニングワイブスもないんですよ。お金にはなってないわけですからね。
で、ここで区別ができないということが大事で、で、いろんなタスクがありますが、やっぱりその全てのタスクの中に他人っていうのがあって、
自分一人のためにやっていることが一個もないわけだから、あるわけですよ。
どこかに他の人の繋がっている部分が。そうするとそこを分けないように、分けるように意識しないということは、要するに一つだってことになりますよね。
さっき言った通り、全行為、そして自分の中の、えーと、まあ、規律と愛情欲求と自分自身みたいなものを分離しないということであればですね、
ここが一つであって、一日という行為の全ても一つで繋がっていて、これがじたば繋がっているということの先に、えーと、一つ意識ってあると思うんですよ。
だから本当は一つ意識から出られることなんてないとも言えるという気がするんですけど、ただそこを分けよう分けようとしているところが私たちの世界にはあるんですよね。
一つの文化的な価値観として、しかも長寿が言う通りのきちっとしたタスクリストをやっていったら、えーと、すごく長寿が満足してすごく幸せになれるような気がするという、そういう考え方の人はいっぱいいらっしゃいます。
私はそれは大変危険な気がするんですよ。やっぱり。私はどうしてもその先にあるのは冠目章みたいな、えー、リビドーが全然機能しない世界。
だって何かがやりたいからやるわけじゃないですか。結局、突き詰めて言えば。リビドーが働くからやるんですよ。どんなことであったって。
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えー、食欲も排泄も性欲も睡眠欲も全部を抑え込んで、ただリストが美しければいいって思って、どう考えたっておかしいじゃないですか。
で、すべてのその時短もくっきりと分けて、長寿がと寿がとリビドーもくっきりと分けて、えーと、すべてこう、時堕落で奇妙、あの、しょうもない。
つまりそれは、えー、1日2日ですぐ判断できる意味でしょうもないことは一切しないということ。
そうやって、えー、生きることがいいって思えるっていうことからして、奇妙かなという気がするわけですね。
これが大体、えー、もっと好き勝手にできるかどうかというようなことについての、私のなりの、こう、感じなんですよね。
つまり、まあ簡単に言うと、その、もっと好き勝手できるかどうかとか、もっと好き勝手しちゃうんじゃないかというようなこと自体が、えー、長時間的な心配なので、いらないと思いますね。
それによってあれですよ、その、トイレじゃないところでしちゃうぐらいになってしまったら問題ですけれども、そんなことしないと思うんですよ、決して。
全く長時間働かないようなふうになるっていう心配って全くいらないと思うんですよね。
結局でも、それを心配されてる面があるわけですよね。1日中YouTube見ちゃうんじゃないかしらって。
1本間違えたら1日中DMM見ちゃうんじゃないですか。
ちなみに私はそういう日は結構ありましたよ。タスクシュートにも残ってます。そのまんま記録しますからね。
10日だと思うんですよ。どうかとは思いますよ。
どうかとは思うけど、絶対そっちの方が価値が低いっていうふうには私は思わない。
その時間を代わりに中国語の勉強していた方が良かったとか、フロイトの本読んでた方が良かったとは僕は思わない。
それを思い始めると、やっぱり上下ができちゃいます。
で、上下ができちゃうということは、下の方をやるときに残念な気持ちを抱きますよね。
そしてそういう自分がいるわけじゃないですか。そういう自分を罰するとか、抑えるとか、破壊するとか、どれも絶対したくないんですよね。
それはもしかすると自分の脳内のどこかを壊すということを意味するわけじゃないですか。
多分そんなに暴力的なことは成功しないと思いますけども、でも意図としてはそれを意味しますよね。
そうして良い結果になると思えなくないですかね。
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