2020-12-26 30:14

【GMV 282】なぜ怒りを手放すか?

怒った方がいいこともあるだろうか?
00:03
おはようございます、グッドモーニングヴァイブスです。
えーと
昨日はついにですね
撮れませんでした。
えー
ごちょごちょあったんですけど、結局
終わってみれば撮れてねーっていうことになっちゃってますね。
えーと、これでちょっと考えたんですが
今冬休みなので、どうしてもですね
途切れるんですよね。
途切れがちになる。
あの、生活リズムが変わってますから。
で、もう途切れてもいいやと。
あのー、そのままアップするか、繋いで
えー
いくつかの回数っていうのかな、いくつか
収録したものを繋いで出そうと
思うようにしました。
で、そうしないと途切れ続けるので。
で、最近結構あの、聞いてくださってる方が
多い感じになってきたのと、ツイッターで
つぶやいてくださる方も多いので、やっぱり
こういうのに影響を受けますよね。
あると、あのー
出そうと、出し続けようという気になるので
あのー、今そういう気になりましたから
出すことにします。
で、えーと、実はこれね、2度目なんですよ。
時々あるんです。こう
どうしてもこれ
まとめて出す気がしないっていう時が時々あります。
えー、やっぱり、あのー
いろいろ
これを話すっていうのはもう
結構たまるんですよ。
昨日1日中出そう出そうと思って
結局出さなかったから。
なんですが、あのー
それは昨日の話であって
それを今日喋ろうと思うとできないんですよね。
そんなはずはないんですけどね。
非常に面白いイリュージョンが起こります。
様々ありますよね。
で、えーと
今日1つCMさせてください。
えー、15時からですね。
あのー、有料ですが
えー、人の顔色を伺ってしまう人のためのセミナーというのをやります。
まあ、HSPっぽい話。
あのー、要するにグッドバイブスと心理学を
架線、かけたようなお話をするんで
それはこれと同じじゃないかと思われるでしょうけど
えー、無料である限りはこれと同じです。
ただしこれは人に向かって喋ってる
つもりではありますが
誰に向かって喋ってるっていうのではないので
あのー
一応有料の方は公開できない内容です。
つまり
特別、特定の人がいらっしゃって
その人の話を聞きながらその人に向かって喋るので
その参加者の方に向かって喋るので
これを外にやっぱり出すというのは問題があろうと。
で、えー、無料にしてもいいように思ったんですけど
無料にするということは
えー、10人とか15人とかのために無料にするということはですね
グッドモーニングバイブスと同じになっちゃうんですよ。
それらの人全てのお話は
この聞く時間がなくなってしまいますからね。
03:02
ので、えーと
やっぱりこれは有料で少人数という風にする以外はないなと。
で、無料で良いという場合は
もうグッドモーニングバイブスで良いということになりますので
あのー、引き続き
えー、こっちを聞いておいていただければいいかなと思います。
で、えーとですね
今日は
んー、さっきも実は喋ってて
2度目なんですが
えー、怒りを手放すというか
怒りを、攻撃を封印するという話が
えー、ごくごくもう
グッドバイブスの基本の型としてありますよね。
で、私これがあったことは非常に良くてですね
なぜかというと私は
怒れないコンプレックスというのを抱えて生きてきたので
怒りを封印する方が良いって言われるんだったら
大変良いんですよ。
怒らなくて済むわけですからね。
あのー、怒らなければダメだっていう
風に思ってたんですよ。
言うするに、言ってみれば。
えー、怒ることはできないけど
えー、マストビーアングリーだと思ってたわけですよ。
だから、えー
大変じゃないですか。
怒れもしないのに怒んなきゃダメだと思ってるわけだから。
それが怒ってはダメだになると
すげー良いわけですよ。
これは大きかったんですよね。
あのグッドバイブスに入りやすかった理由として。
あの、打足になりますか?
あのー、小学校時代私のもう一つ大きなコンプレックスとして
ドッジボールの球が取れないというのがあったんです。
あのー、避けるのは得意で
結構最後まで生き残る方だったんですけど
なんせ取れない。
全然取らないんですよね。
もう逃げることに徹してたから取れないんですよ。
考えてみると、えーっと
ゆるい球とかもあったし
そもそも初年役やってたんだから
えー、取れてもおかしくないんだけど取れないんですよね。
取る気がないというのかな。
あれと似てるんですよね。
怒れないっていうのは私にとっては。
怒ったっていいようなシーンもあったような気がするんですけど
長い間生きてると。
ほぼ怒らずに過ごしてきてしまったと。
で、しかもそのことが良くないと思ってたから
思うにですね
なんで怒んない方がいいのかって考えたことはなかったんですよ。
怒った方が良くて怒ることができないから
怒んない方がいいって発想は持たなかったんですよね。
真剣に考えることはなかったんです。
怒った方がいいんだろうなと時々思いながら怒らぬように生きたと。
で、怒んない方がいいというか怒りを封印する理由についてはですね
ブログでも
倉澤平塚さんのブログとか本とかに
詳しく書かれているのでそっち読んでいただきたいんですけど
私自身が考える怒りを封印した方がいい
理由はですね
一つには実に簡単で
散々この番組では話してきたんですけど
リミドーってもの
つまり私たちが自然に何かが好きで欲しい
06:02
したいというそういう欲求が働くときは
これフロイトが絶対正しいのかどうかを一旦置いておいてですね
自然とそれにブレーキがかかるブレーキも
準備段階に入ると
これを長寿がという話になっている
一番わかりやすいので言うと
食事中の人ごめんなさい土曜日だから考えられるけど
したくなると
挨拶したくなると
これがリビドーですね
そこで
いやいや待てトイレ行けと
これが長寿がですよ
動物ではこういうことは働かない
だから猫にこれをしつけるのはめんどくさい
犬でも
同じですしつけることはできますが
彼らの長寿がに訴えているわけじゃないです
トイレで行かないと恥ずかしいからねとか
彼ら絶対思わない
それはただ
行動科学ですよ
そこでしないと怒られるし
そこですればなんか褒められるからそこですると
それだけです
でも我々はそうではないはずです
だから特定の場所に限らないし
多分ですけど
食卓の前でしようって言ってできる人は
ほとんどいないです
それは犬猫とは全く違う
単なる学習行動じゃないということですね
そこには大変強い社会的なものがあり
しかもそのフロイトが言うには
社会的なものは
私たちの心の機能として最初から備わっている
生まれつき備わっているものなんだと
それがちゃんと機能するようになると
そういうことが言ってみればできなくなる
タブーみたいになっちゃうということなんですね
これを他人のそれをですね
働かせるように
強く働きかけるのがちょっとこう言ってますけど
要するに他人の長時間を
スイッチを入れようという努力が
怒りって起こるってことだと思います
なるほどこれは
まあその絶対っていう言い方ってあれなんですけど
どんなケースでも100%っていう言い方できないですけど
厳粋やめておいた方がいいって
よくわかる気がしました
これは私完全にグッドファイブス
読んで考えるようになれた
しかも割と最近考えついたことですね
自分の長時間働くときの
感じの悪さを思い出せばいいと思うんですよね
働きますよね長時間は
当然トイレ行くだけでも働いてるんですから
働くに決まっています
あの
睡眠とリビドウってちょっと難しいと思うんですけど
やっぱり睡眠もリビドウの働きだと思うんですよね
自然に私たちがやりたいことは全部
基本はリビドウの働きだと思います
スヤスヤ寝たいというのあるじゃないですか
そこでアラームが鳴る
せっかく気持ちよく寝てたのにって思うじゃないですか
09:03
少なからず思うと思うんですよ
このアラームこそ長時間ですよね
アラームをセットするというのがすでに長時間ですね
リビドウが私たちは自然のままに流れていてはいけないという
生活を送っちゃってるわけですよ
であの
うんって思うじゃないですか
アラームで起きるとうんって思うんですよ
それがもう長時間がリビドウの動きを
せき止めたときの不快感
大したことはないケースが多いんですけど
強く働くと
今日もセミナーでお話しすることになると思うんですけど
すげえ嫌な感じがするはずなんですよね
へこむとか落ち込むとか
HSPの人がよく言う
潜在なのに怒られてずっとそれが巡っちゃうっていうのは
まさにこう
お前リビドウを流してていいと思ってるのかみたいな
そういう意味なんですよあれ
お前はリビドウ垂れ流していい気になってるんじゃないみたいな
そういう感じですよ
リビドウ垂れ流すのは当然でしょう
動物なんだから
植物でさえ当然ですよ
生き物はすべて
リブで生きてるわけですからね
でも確かに
例えばですけれども
リビドウを流れたままにしておくということはですね
家から出るとき
ただ黙ってふわっと出ちゃう
鍵もかけない
服装も変えない
で我々は本能では生きてないので
いや外はすげえ寒そうだから
毛を逆立てるとかではやってないので
服を着替えて鍵をかける
生児側の働きなわけです
ところがこのリビドウと生児側が
あんまりこの生児側の働きを支援してばっかり
まあ大概の場合親とかですけど
支援してばっかりつまり
ダメだダメだダメだっていうことを言ってるとですね
鍵かけたんだろうかとか
火消したんだろうかとか
今寝てていいんだろうかとか
いうことになってしまうわけですよね
脅迫神経症じみたことになってしまう
これだけでも全然良くないです
これだけでももう生きるのすげえめんどくさくなるんで
これは起こった結果
十分起こり得る可能性が高いんですよ
人の長児がアクティベートするわけですから
他人の長児が多くの場合は子供のですよね
お前のリビドウダメだ
お前のリビドウダメだって
そりゃ子供はやってられないというかですね
だんだんだんだん自分の行動に
常に疑いを差し挟まざるを得なくなってしまう
遊んでたらダメだし
勉強してても下手な字書いたらダメだし
計算の間違いをしてもダメ
全てリビドウが自然と働くところに
一定の抑圧というかプレッシャーをかけて
それはその子の自分の長児が働くようにしてるんですよ
12:00
これが良いということはあり得ないですよね
で一番ひどいケースが自殺なんだと思うんですよ
自殺っていうのは自罰の究極形態ですよね
例えばこの間もお話しましたけど
対象喪失という問題があります
そもそもリビドウって対象に向かって働くので
その対象は自分自身であったりするケースもあるんですよ
それをナルシズムって言うんですけど
それは一旦置いておいて
例えば私が子供を交通事故で亡くしました
子供に向かっているリビドウいっぱいじゃないですか
私の対象アイですよね
それがそこへ向かうべき対象が
この世の中から消えてしまうと
膨大なリビドウが行き場を失うわけですよ
なんかこうすごいでっかいホースで
放水してると思ってるんだよね
その放水してる水がアイですよね
これが向かう先が必要なわけです
対象アイというぐらいだから
そういうふうに考えたわけです
これがドーッと出てるときが
私たちが生き生きとしてるわけですよ
で、それがないと
で、ドーッと出てたのがなくなるから
うつうつっとしてしまうわけです
生きる気力がなくなるってやつです
しかしこれだけでは私は人は死なないと思うんです
これだけだったら
お猿さんでも起こるんです
自分の子を失ったメスのお猿さんというのは
すっごい嘆き悲しいもんですよ
欲うつ状態にほぼなってます
けど猿は自殺しない
自殺というのは自圧であって
たぶんその単に気力を失う
リビドウが働かなくなるだけではなくて
お前のようなリビドウは元から立てという
長時間の強い締め付けなんですよ
きっとあれは
元から立たなきゃダメ
何でか、例えばですね
そう、交通事故で亡くしたようなケースでは
あの時お前が自然に振る舞って
ついついスマホを見ている間に
あの子は車に跳ねられただろうっていう
こういうロジックなんですよ
そのついついお前がやるようなリビドウの流れ方
そのものが悪だから
そこを元から立たないとダメだ
これが自殺だと思うんですね
生きてるだけで迷惑をかけるとかっていう
言い方あるじゃないですか
これは長時間リビドウ攻撃する時の
決まり文句みたいなもんなんですけど
例えばこう何かを食べたくなるとか
そんなんじゃダメだな
例えば
私がブログを書くとかですね
調子に乗ってるんじゃないと
ブログを書くというのはリビドウの放出ですからね
記事に向かって対象愛を出す
それに対して
いやそんなの元から立たないとダメだよって
誰かが言ってくるっていうのが批判ですよね
それはもう根本的にその記事はおかしいよ
15:02
っていうような感じじゃないですか
その言葉は何を意味しているかというと
私のお前の中の長時間をもっと
要するにあれですよ
昔こういう言い方ありましたね
部活とかなのかな
部活とかで
部長とか副部長とかに
もっと部員をきちっと占めろっていう言い方
あるじゃないですか
あれは統制が取れてないみたいなことですよね
これを他人に言ってるんですよ
怒るということは
私がリビドウ
私のリビドウは私のリビドウなんですけど
統制が取れてないぞと
お前の長時間をもっときちっと占めろと
大体その場合何が起こるかというと
何もしないってことが起こるはずなんですよ
おとなしくなるというのかな
表現しないとか
これが極端な場合食事をしないとか
になっていくんですよね
挙食みたいな
眠れないとかですね
全部いろんな形があるんですけれども
いずれにしても
何かが機能しなくなるようにしろってことですよね
長時間をもっと働かせろと
怒る他人に怒ってるとき
今度自分が怒りたくなったり
人が怒ってるのを見たときに
必ず観察してみていただきたいんですよ
そこには必ず
リビドウの
やはりと気ままな動き
それに対する本人の
長時間に働きかけようという気持ち
絶対あると思うんですよ
これが
起こるというときに
起きてること
私はこれは
良くないと確かに思うようになりました
結局グッドバイブスで
倉園さんが言う通りと
言う通りの構図になってしまうんですけれども
それに
違う言葉でただ喋ってるだけっていう感じもしますが
要はこれをやるということはですね
人が生きてちゃダメだっていうことを
案に言ってるようなものなんですよね
少なくとも人が
好きにしていてはいけないと
そこに対する恐れと不安が強烈にあるわけです
多くの場合実際恐れと不安があります
子供がスマホをいじりながら歩いてます
それに対して怒るということは
子供が惹かれることに対する
鈍度がだらっと流れていると
ろくなことにならないと言いたいわけですよ
ただこれを
具体的に言うだけであればですね
具体的に
一度一度言うだけであれば
一回一回わざわざいちいち言うだけであれば
そんなに強く怒る必要はないはずなんですよね
そうではなく
抽象的にこれを言うんですよ
道を歩く時にはスマホは絶対いじっちゃダメだと
こういう時私たちは
一度じゃなくて100度を今占めるために
強く言うはずです
強く言いたくなるんですよね
100度分を1回で済ませたいから
これは何かの節約なんですよね
時短であることが多いというのがよく
18:02
クラゾンさんもおっしゃいますし
私も言うんですけど
時短だけじゃなくて
1バス100回的なやつなんですよ
抽象度を上げるんですね
でもよーく考えてみると
リビドウが流れることに対する
失跡を抽象度をぐっと上げてしまうと
死ねってことになるはずじゃないですか
そこまで極端な親はまあいないんですけど
でも結局お前はこれやってもダメだ
あれやってもダメだってことは
よく言うあれですよ
お前はダメだになっちゃうんですよ
これをあんまりやりすぎるとですね
死ねまでは行かないにせよ
お前がリビドウを流そうとした時は
全部警戒しておけよっていう話になるわけですよね
スマホを見るとか
ゲームをするとか
全部ダメなわけですよ
リビドウがおよそ流れ出しそうなところ
全部ダメになる
これはまあよくないですよね
その子は多分リビドウをどこかで発散する
しかも親が全く見えないようなところで
極めてよくない形で
リビドウを大量放出する方法を考え出すか
抑鬱的になって何もしなくなってしまうか
過度に自分的になって
まあ今日それがセミナーのテーマの一つですが
人の顔色ばっかり伺うようになるか
そのあたりに落ち着いてしまうと思う
全て何が起こっているかというと
自分の中の長寿が
警報装置みたいになってしまっていて
リビドウが動くたびに自然とワーンってなるから
これを私は知覚花瓶と呼んでると思うんです
実はそれは知覚じゃないんだと思うんですよね
カビになっている対象は
自分の長寿がだと思うんですよ
もう一つ長寿がが
ここから先はもう打足みたいなもので
さっきこれを喋っているうちに
あー難しくなったと思ってリテイクしてるんですけど
もう一つは
よくある
SNSとかでよく話題になっている
今問題になっているバッシングってやつですね
あれが起こるんですよきっと
他人の長寿がを
働かせよう
という時に私たちが考えるのは
常にですね
その人の長寿が機能不全ないし
そいつには長寿ががない
これはひどい話ですね
長寿がが世の中にないんだったら
苦労はある意味ないんですけど
長寿がというのは全ての人がだいたい
原則持っていると思って
しかも機能していると考えて差し支えないんですけど
どうしてもある種の人たちの
それがだから政治に対して
怒りを上げなきゃいけないとか
いう話と似てるんですが
サイコパスの人に対しては
怒んなきゃダメだと
ある意味相手に長寿ががないんだったら
怒ったってダメです
全く意味がないような気がします
怒るだけじゃ少なくともダメで
怒り続けるとかしないとダメで
21:01
それは相手のことが犬か猫だという風に
考えているのと
ほとんど同じです
何でもいいんですけどね
例えば今で言うと
総理が怪しくなってきましたよね
一部の人から見ると
彼には長寿がないか働いてないんですよ
それはありえないんですけど
長寿がなくて総理になれるはずないんで
今の日本で
そうすると
お前の
リミドーのまま生きてやると
日本中が迷惑するから
もっと早く長寿がを
いっぱい発動させて
できれば完成して
できれば欲打つになれ
という調子なんですよ
これがバッシングですね
現にそういうことが起こっちゃいますよね
あまりやられていると
何でしたっけ
後続の
私全然知らないからダメなんですけどね
後続の婚約者の人も
長寿がないように見えている人が
いっぱいいるんですよね
残念ながら
お前もっと長寿が発揮しろと
要するに旬となれということに近い
反省しろというのは
そういうことなんですよね
そんな風に生きていては
みんなに迷惑をかける
やっぱこのパターンなんですよね
長寿がを発揮させなさい
という
プレッシャーをかけていく
非常に興味深いと思うんですけど
長寿がを発揮しなさいと
当然のことなんですけど
他人の長寿がを
アクティブにしようと
スイッチオンにしようと
しているのも自分の長寿がなんですよ
これは
フロイトが確か
忘れました防衛規制の一種です
自分の中のある部分を
批判している人は
他人の中に
他人がそれを平気でやっているのを見ると
許せなくなるという防衛規制があると
言いましたが
この構図だと思いますね
自分の中の理由移動が
許せないんだから
他人のそれだって当然だめでしょうと
それは
ケースバイケースではあります
つまり
食卓でおしっこをしだした人を
見たらそれはやっぱり
何か言いますよ絶対に
多分普通の
言い方では済まないような
気がします
だから理未同が流れ出す
ということにもどうしても
一定の限界はありますが
私のでも人生で生きてきた限り
他人が
長時間を持っていないんじゃないかと
疑うとか
他人の長時間は全く働かない
つまりサイコパスだということですね
だと言い切れるようなケースは
なかったですね
際どいな
という人はいますよ
サイコパスぐらいに
いましたいなかったじゃないです
40年以上生きているとね
でもみんな言うほど
そんなにホイホイホイホイ
24:01
そこらじゅうにはいないです
大変なことになりますからね
本当にそんなことになったら
自分の子供とかは
まして
私はですね
生きすぎているとやっぱ思うんですよね
長寿が発揮せよ命令が
強すぎると
子供がうまく長寿が操れないのは
当たり前なんですよ
それは
だけれども大人だって
一歩百歩なんですよ実は
だってリビドがなきゃ
生きていて楽しくもなんともないですからね
リビドを働かさない
生き方などというのは
だから
だからなんですけどね私は
プランニングというものに過剰に
いろんな意味があります
これも
プランニングというものが問題だなと思う
ただ個人のプランニングを立ててしまうと
どうしてもリビドを
締め付ける方向にしか働きようがないので
つまりノープランだったら
リビド万歳なわけですよ
ノープラン
だけどすごい長寿が強いということは
考えにくいんですよ
これは
長寿が
リビドをコントロールするときに
一番真っ先にやるのは
計画立てることだと思うんですね
その通りに動けば間違いないというのは
先に考えておくのが
一番いいわけじゃないですか
ここでバランスとか言い出すのは
僕は最悪だと思うんですね
リビドというのは
そういうものではないと思うんですよ
ただ
私たちは社会の中で生きているので
アラームをかけなきゃ
なんない日もあるよねというのは
確かなんですね
現に私はほとんどの日が実際はそうなっている
わけなので
ただだからといって
寝た人が永遠に起きないとかってことはない
わけですよ
相当うまくいくはずなんですね
でないんだったらば
自然ってめっちゃくちゃになっているはずなんですよ
人間がきちっとやっているほうが
自然のバランスが取れると考えるのは
大きな間違いです
そうじゃないからむしろ環境破壊とか
温暖化とか起きているわけじゃないですか
逆なんですよねこれは
多分
だからといって
完全に自然に戻すとかいうことはできないので
できない最大の理由
心の中に長寿があるってことなんですよ
この2つは結局
どっちかでは
いけないわけだから
人間ってのはですね
どっちかではいけないということはあるにせよ
他人の長寿がを
云々するっていうのは
まずいだろうと思います
特に今ぐらい世の中が
進んできた場合
他人の長寿がを云々することで
何かが
うまくいくはずはもうないと
どちらかというとやっぱり
私たちは自分の長寿がでさえ
なるべく穏やかに
させておくのがいいわけですよ
人の長寿がをアクティブにするというのは
全く逆ですよね
この流れの中では
ので一回一回
27:03
言うだけならばですね
多分
それだって結局リビート
止めていることに違いはないんですけれども
しょうがないので
道を歩いているときにスマホはなるべく見ないようにしようね
というのは言うんですけれども
穏やかにでいいわけですよね
そうすると
一発百回はできないんですけど
ここをやろうとしなければ
それでいいんじゃないかと
起こるときってやっぱり
手間を節約しよう
というのがあると思うんですよ
手間を節約しようということは
効率化しようということなんですよね
私はこの
効率化というのがですね
もともと好きでは
あんまりなかったんですけど
一度はね
そうは言ってもライフハックで
食ってきたから
効率化ということと
無縁ではいられなかったわけですが
効率化の一つの問題は
やっぱりリビートを
働かせないほうがいい
というニュアンスが強いと思います
だって
効率的じゃないですよね
リビートがいっぱい働くというのは
でもリビートを
節約するということがですね
この人を元気にした試しがないんですよね
そうではないですか
なんかこう
常に空調がかかっていて
移動がすごい少なくて
サプリメントばっかり飲んでる人が
とっても元気だ
というのっておかしくないですかね
私はこの
エフロイトがリビートを
打ってたときに何がどう流れてるのやら
って感じはどうしてもしちゃうんですけれども
でも流れてるわけじゃないですか
睡眠欲があって
寝たくなり
起きたくなって起きる
っていうのは自然な流れですよね
食べたくなって食べて
お腹いっぱいになったら
止まるっていうのは自然な流れですよね
この流れはどこか流れてるところが
あってですね
この流れを節約すればするほど
その人はエネルギーが
温存されて幸せになる
っていう感じがしないんですよね
むしろこう
元気に流れてるほうがいい
若干無駄に流れてるぐらいが
ちょうどいいんじゃないかというふうに
思います
それに対してただ
自然のままで
生きるってことがなぜかできなく
なっているのが私たちなので
長寿が
働くんですけれども
これを強化すればするほど
つまり
多くの場合
全ての場合じゃないですけど
多くの場合
自分のゴールに旗を立てて
そこにこう
理想っていう名前をつけて
逆算して
プログラムを
作ってそのプログラムを
毎日
粛々と進めていくと
いいっていう考え方は
めちゃくちゃ長寿が的です
僕はこれはまあうまく
いかないだろうなと思います
30:01
これを
これが良しとする世界は
叱責だらけになっちゃうという
気もするんですよ
30:14

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