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2021-05-03 26:14

【GMV 368】言いたいことを見せ場にする

攻めのグッドバイブスに挑戦してみます
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
連休中なので、やるかどうか悩んでいたところもありますが、
先日ですね、ぶっちゃけ相談、
倉園圭祖さんと一緒にやっておりますYouTubeの相談で、
攻めのグッドバイブスと守りのグッドバイブスというお題をいただきまして、
多分もう公開されているんですけれども、
攻め守りというのがはっきりとあるわけじゃないと思うんですが、
要は何て言うんですかね、
前向きなことに使うのと、
自分の苦悩からの払拭に使うのとみたいな、
そういう多分カテゴリーがそのご質問の中にはあって、
私はどっちかというと守りの方によるわけですよね。
それは多分僕の気質をすごく反映しているせいだと思うんだけど、
自分は現実に対応する能力が、
能力って言うんですかね、
気が弱いみたいな話ですよね、言ってしまえば。
それがあるもんだから、
これがまず弱さというものへの手当として考えると、
今後もずっとしばらくそうなるとは思うんだけど、
たまには連休中でもありますし、
攻めの方を考えてみようかなと思ったりして、
だったら連休中に出すのがいいかなと、
あまり全然つながってない気もするんだけど、
そんな感じでいこうと思いました。
でですね、これも先日、もう本当につい最近に、
Hello, I'm Jap! っていう電子書籍が
Good Vibes e-books から刊行になって、
Amazon の特に Kindle Unlimited でも読めるし、
電子書籍オンリーですけど、
ご購入もいただけますと。
で、これ書き上げ塾の今期もいらっしゃる
加藤さつきさんという塾生の方が書かれたんですけど、
これが攻めのある意味、Good Vibes の成果だなと思うんですね。
で、Hello, I'm Jap! は小説です。
半分辞伝みたいなところもありますけれども、フィクションで、
アメリカ体験というのがまずベースにありまして、
1983年ニュージャージーっていうタイトルにもあるんですけれども、
1980年代の自信満々な頃の、今でもいけばわかるんですけど、
03:03
自信満々ですけどね、アメリカ人は。
の、なんていうんですかね、
子供が見たそういうアメリカというのが、
すごくこう、不思議なぐらいですね、伝わってきます。日本人には。
ああいうのぜひ私は、アメリカ人にこそ読んでほしいって実は思ってるんですけれどもね、
日本人が見るアメリカの良いところと良くないところって言うんですかね、
すっごい幼稚な言い方をするとそういう言い方になるんですけれども、
現実っていうのはやっぱりああいうもんで、
全然違って見えるんですよ、立場によってね。
でも良いところはちゃんと、同じようにではないんでしょうけど、
良いところはちゃんと伝わってくるっていう、
その結局良いところが伝わってきている作品で、
あの、この作品は、
主張がどうであれ、主張っていうのはそれほどはっきりあるっていうのとも違うんですけど、小説なんで。
グッドバイブス的だと。
で、一番この作品の中でですね、
ここが多分伝えたいんだろうっていうのが、
ちゃんとわかるという形になっているんですね。
で、これをサポートできるのが、
あの、倉園さんの書き上げ塾、
まあ私もやっておりますが、書き上げ塾なんだなと思って、
ここを皆さんにもお伝えできればいいと思うんです。
これは昨日ですね、
博世太郎さんというバイオリニストがですね、
多分有名な方なので大体の方ご存知だと思うんですけど、
テレビの中でバイオリンの講習をすると、
これといった人にしか教えないんですけれども、
すでにだからかなり上手い人たちにちょっとアドバイスをして、
彼の博世太郎さんのようにというのでもないんだけど、
少しポップにですね、クラシックばっかりやって、
バイオリンってすごいクラシックな世界なんで、
ああいう聴いて楽しむとか、ジャズっぽくやるっていうのももちろんあるんですけれども、
あんまりですね、そういうことはやってないっていう人がいきなりあれをやろうとすると、
なんていうんですね、大人しくなっちゃうんですよね、普通に。
すごい上手いんだけれども、上手いってのはうちの子がやってたんで、
上手いのはよくわかるんですけど、
上手いだけみたいになってしまうんですよ、変な言い方をすると。
で、それを博世さんが修正するっていう感じなんですけど、
その中で、ここをそういうふうには弾かないでしょうっていう言い方があったんですね。
博世太郎さんがそう言ったんですよね、その生徒さんに。
06:01
俺だったらこうは弾かないって言って弾き出したのが、
その番組のポイントだったんですけど、
あれなんですよね。
つまり、何て言うんですかね、
ここを見せ場にしたいっていうのって人にはあると思うんですよ。
あるいはその曲の中にあると思うんですね。
で、そのここを見せ場にしたいというところを、
もちろん絶対演奏者はですね、どういう演奏者であっても
クラシックであろうとなんであろうとですね、
ここを見せ場にしたい、どこが見せ場であるっていうのは分かっているはずなんだけど、
分かってないはずないんですよ、あれほど弾ける人たちが。
でもそういうふうに聞こえてこないと。
あれ、すごい高度な感じがするんだけれども、
私、書き合い塾の中で何度かですね、というか何度もですね、
ここを見せ場にするためにはどうしたらいいかみたいなのを、
非常に倉澤さんが根節丁寧に教えてくださっていて、
これはすごいよなって毎回聞いてて思うんです。
これは音楽じゃなくて文章ですけれども、
文章にはありますよね、当然。
ここが見せ場だというところが何箇所かあると思うんですよ。
そこがですね、不思議なんですけれどもね、書いてると、
さらっと終わっちゃうことがあるんですよ。
自分で書いててもあります。
ここで盛り上げるはずだったのに、ここを書くために、
こんなに何文字も何文字も書いてきたのに、
なんかここがさらっと終わってしまったと。
商業本でもありますよ。ベストセラーになっている本ですらあります。
いや、ここを書きたいんだろうなっていうのが何となくわかるんですよ、書き手なんでね。
ところがなんかこう、さらっと終わってしまっていて、
なんかあれって感じが、読んでてもする。
あれですよね、例えばそうだな、何だろう。
音楽で言えば、ベトベンの公共曲第7番の第二楽章ってあるじゃないですか。
超有名なやつ。
特にその第二楽章の中でも、ちょっと単調なんですけど、
ベトベンの第二楽章ってすごい良いですよね。
盛り上げてくるなって感じが、いかにも伝わってくる感じで、
やっぱりそれもですね、これは指揮者なんですけどね、
誰それの指揮っていうのはそういうところに出るんですけど、
ここを引きずり込まずにはおかないっていう指揮できる人と、
なんかさらっと終わってしまうという指揮の人と、やっぱいるんですよ。
当然それは名演奏とか何とか言われるんですけれども、
聴いててその違いっていうのは何度聴いても歴然としていて、
あれがやりたいことの一つなんだと思うんですね。
私もある意味自分で書いてても不思議だったんですよ。
09:03
なんでここがこういうふうに終わってしまうんだろうと。
やるんですよ、盛り上げようとする。
どんな人でもやるじゃないですか。
でも変になると今度はですね、
ここを盛り上げようと頑張りましたみたいなのが出ちゃうんですよ、あまりにも。
もちろんそれどんな場合でも出るんですけれども、
今思い出したんですけど、私オペラを聴くんですよ。
ただしモーツァルトしか聴かないんですけどね。
夜の女王のアリアという、これもすごい有名なやつがあって、
ここをどう歌うかがこのオペラは全部決まるよねっていうようなところなんですけど、
アメリカで見たことがある。
僕何度かマテキっていうのは見たことがあるんですよ、生で。
アメリカで一回留学中にシカゴで見たんですけど、
ガッツポーズしてました。
夜の女王が歌い上げた後ですね。
確かにすごかったんですけど、
もう歌い終わった後にすごいガッツポーズしてました。
アスリートかよみたいな感じなんだけど、
ああいうやつですよね。
ここを出したいっていう。
で、そのためには実は文章ではですね、
グラズノさんの講義を受けてて見ていて思うのは、
文章ではやり方がやっぱりあるんだなということです。
やり方はいろいろあるんだけれども、
これをここを見せ場にするために今までこうやってきたんだみたいなのが、
文章のスキルそのものの中にちゃんと織り込まれていて、
説明をつくんですね。
あれは私は大変びっくりしたんですけれども、
そういうことに気をつけておかないと、
見せ場の見せ場になってくれないんだということなんですよ。
あれはすごい大事だけれども、
教わることはほぼなくて、
いろいろそれで気をつけて読むようになったんですね。
だから最近ブログでも取り上げるんですけど、
トルストイとかでもあからさまに見せ場はあるんですけれども、
なんでそれが見せ場にこの人だとこんなに完璧にできるんだろうと思ってたんですけど、
ちゃんとあるんですよ。
書き方もありますし、
ありとあらゆる方向性から、
それは感じますよ、読んでいれば。
感じてたんですけれども、
より一層感じるようになりました。
柄園さんが時々このような表現は取っておくみたいな言い方をするんですよ。
無造作に使っちゃわないみたいな言い方なんですけど、
それとほぼ同じことをですね、
昨日博士太郎さんが言ってたんですよ。
無造作にこういうところでこういう風に引いてしまうと、
ここが生えなくなるみたいな、
そういう説明の仕方なんですけど、
やっぱりガラッと変わるんですよね。
12:01
本当に同じ人がそのアドバイスを聞いただけで引き方を変えると、
変になるだけのような気がするんですけれども、
上手いんで生徒さんもそんなことは起こらなくてですね、
柄園よくなるんですよ、聞いてる方にしてみれば。
やっぱり今までそういう風には引いてきてないわけですよね。
習ってないからだと思うんですけれども、
もうここを聞かせるために引いているんだみたいなところって、
やっぱりそういう部分が出てくるのであれば、
そのために取っておいて、
他のところでは使わないんだけど、
そこになったらもう一気に放出するみたいな、
そういう話なんですね。
それが随所に見えるんですよ。
さっき言ったHello, I'm Jap。
あれ読んでるとですね、
ここがやっぱり伝えたかったんだろうなと。
これ面白いことに、
書いてる最中はですね、
もしかすると書いてる人は気づいてなかったりするんですよ。
だからさらっと言っちゃう面もあるんでしょうけれども、
後になって、
あ、俺ここ書きたかったんだってことが不思議なんですけど、
あれも後になってわかるんですよ。
そういうことってあるんですね。
あらゆる作品がそうだとは思わないんですけれども、
最初からここを書きたいんだろうなっていうのもあるんですが、
後になってそれがですね、
こここそ盛り上げ場だったんだっていうのがわかるっていうのがあるんだけど、
その時のためにこう、
そうじゃないところでは、
むやみやたらに使わないという、
ある種のテクニックとか書き方をですね、
しないという、
抑制しておくっていう感じ。
によってこう、
不意にですね、
現れるんですよね、そういうのが。
全部の伏線がそこで合流するみたいな、
今までの事例でご存知ないという人はですね、
あれですよ、
最近流行ってるので言うと鬼滅の刃で、
鬼仏寺武三と対決するシーンですよ。
そこに、それがもう見せ場じゃないですか。
なんかあれが急に、
さらっとやられてしまったら、
全然こう、みんなががっかりしますよね。
し、この作者、
頭変なんじゃないだろうかって思っちゃいます。
そういうぐらい、
見せ場ってあるはずで、
で、その見せ場にしか、
あの、ある種の表現は使わないと。
こういう時のために取っておくみたいな、
そういうのがあるとですね、
あの、
少々書き慣れてなかったり、
えっと、
普通の部分が拙かったりしてもですね、
そんなことは全く気にならなくなるという、
あの、効果が発揮されるんだと、
いうことがですね、よくわかります。
だから、あの、
そういう意味で、
HELLO I AM JAPOはですね、
高くはないんで全然。
あの、アンリムに入ってようとなかろうとですね、
入ってればもう無料ですから、
高くはないんで、ちょっと読んでいただいてですね、
どこが書きたかったんだろうと。
15:00
あの、少女漫画とか好きな方はですね、
あれでご存知だと思うんですよね。
あの、いや、
まあ、読んでるかどうかわかりませんが、
古典的に言うとやっぱりこう、
風と木の歌とかの、
あの、ジルベールが死ぬシーンとかですね、
あそこをさらっと書くはずないですよね。
もう、全ページ使っちゃいますよね。
そういうシーンってあるはずなんですよ。
で、ということは、
えっと、彼女はそうでしたけれども、
そうそう他のシーンでは
全ページとかは使わないですよね。
だから、全ページ使うっていうのは、
取っておくわけじゃないですか。
見せ場のシーンのために。
で、それも、
あの、主人公が死ぬシーンなんだけれども、
やっぱりこう、
すごいなっていうのが、
あの、迫力がありますよね。
迫力があるということは、
作者が絶対こう、
意図してるはずなのですよね。
偶然こうなりましたってことはありえなくて。
で、そういうことをですね、
書き上げ塾では、
あの、
びっくりすることに聞くことができるんですよ。
で、私はそんなのは、
一度も聞いたことがなかったですよ。
本当に。
売りたいわけだから、
編集さんが教えてくれても、
不思議はないはずなんですよ。
僕はその、
かなり数は書いてきてるわけですから、
知ってる編集さんも、
お知り合いになった人も、
100人以上いますから、実際には。
でも誰もそんなことは教えてくれてないわけですよ。
だから、まあ、
教える時間がもったいなかったとか、
とうとうあるとは思うんですけどね。
それにまあ、
実用書だから盛り上げるってこともないか、
みたいなのもあると思うんだけど、
そんなことはないんですよね。
それこそGTDとか、
この番組の人しか知らないかもしれませんが、
マニュアナの法則とか、
盛り上げどころはありますよ。
間違いなく。
やっぱり、
そこそこ考えられてはいるんだけれども、
残念ながらですね、
そういう意識が、
十分働かないと、
盛り上がらないんですよね。
全ページあまり退屈させない、
みたいなことを、
実用書では考えがちになります。
でも、
これにばっかり意識を回していると、
今みたいな話は、
全然出てこなくなって、
全ページ読んでいて、
確かにそこそこ笑えたり、
興味深かったりするんだけど、
なんていうのかな、
やたらメモでも取らない限り、
ここといったところが、
頭に残らない、
みたいなことが起こるんですよ。
最近、
割とお伝えしている、
お好み警護さんという、
精神分析の人は、
精神分析の本でも、
盛り上げどころというのを、
すごく意識しているのか、
ご本人の性格なのか、
あって、
そんなに文章が流霊とかではないんですけど、
頭にはっきり残る場所があって、
同じようなことが残るんですよね、
どの本を読んでても。
やっぱりこれですよね。
そのような本の方が、
18:00
面白い気がします。
特に、
慣れていないと、
どこもかしこも、
トーンが同じみたいに、
やっぱり昨日、
博士太郎の番組の、
うまいだけの演奏みたいになってしまうんですよね。
どこを聴いても、
バッチリなんだけど、
2回聴きたいとは別に思わない、
っていうようになってしまうので、
あれ大変もったいないと思うんです。
というのは多分、
これはやり方だし、
盛り上げるとか、
見せ場を作るというのは、
やり方が分かっていて、
誰にもできないみたいな、
神業的な話ではないんですよ。
これがまた面白いことに、
そうでなければならない、
というわけじゃないんですけどね。
グッドバイブスで書いていると、
これがやりやすいんですよね。
理由があるんですよ。
一つになっていくからっていうのが、
やっぱりある気がしますね。
どうしても、
文章を書いていると、
文章っていうのは、
攻撃的になるっていうことは、
あるんですよね。
何かを批判したいという真理って働くんで、
そうすると、
攻撃的になっている場所と、
まさか全編攻撃しまくり、
そういう文章もなくはないけど、
本の中では、
紙の本の中では到底できないんで、
まして実用書じゃね、
全編攻撃攻撃っていう本にはならないので、
どうなるかっていうと、
クラドノさんがよくグッドバイブスで言う、
バラバラ意識って言うんですけど、
本の中でバラバラになっていく感じっていうのが、
あるんですよね。
章ごとにバラバラみたいな。
そうすると、
見せ場に向かっていくみたいなのが、
なくなっちゃうんですよ。
バラバラなんで。
やっぱり一つのところに向かっていくためには、
全部に繋がりがないと、
おかしいじゃないですか。
やっぱり山の頂点に向かっていくわけだから、
全部が、
頂点に向かっていくっていう感じがないと。
だから私、
一番最初によぎったのがやっぱり、
ベトベンの第7番の第2楽章。
あれはそういう感じがいかにもして、
最初のもう、
ワンフレーズから頂点に向かうって感じが、
聴いててはっきりして、
はっきりするような作品で、
どこかだけ何かを攻撃するために
登場しましたみたいなフレーズが、
音楽ですけど、
あるはずがないんですよ。
音楽って、
あるはずがないんですけど、
あるはずがないんですよ。
ああいうもんだと思うんですよね。
だから、
グッドライブス的に書いていく、
攻撃をしないとか、
一つ意識とか、
一つ意識というよりは、
本が一つになっている感じ、
だと思いますけどね。
あと、
時間を気にせず書く、
これもすごく大事ですよね。
なんていうんですかね、
長く聴いてて、
21:00
それこそ思うんですけど、
そういうのめり込んで聴けるような時っていうのは、
何分かかったとかって考えるのって、
言語能談な感じがするんですよ。
この第二楽章は、
5分40何秒でした。
意味が全くない。
そういうことでは全くないって感じがします。
やっぱり、
そういう感じが文章でもあって、
時間を気にして書くとか、
先を急ぐとかいうのは、
本当なくて、
それだと絶対に、
見せ場が何よりも大事じゃないですか。
見せ場より時間が大事とか、
見せ場より売り上げが大事ってことは、
ちゃんとしていれば、
見せ場がちゃんとしていれば、
ありえない発想だと思うんですよね。
だからそういうことも含めて、
すごくフットワイブス的に書いていくと。
ちょっとしたテクニックを追加するだけで、
自分の言いたいことが、
最大限際立つように、
持っていけるんですね。
割とこれは、
ちゃんと書く機材あれば、
それはですね、
もうすぐ第4期になるんですけれども、
といっても6月ぐらいかな。
6月か7月ぐらいかな。
ぐらいになるんですけれども、
よければですね、
これを聞きに来てですね、
聞くだけじゃなくて、
聞くだけでは全然意味ないんで、
自分が言いたいことを、
最高潮に作り上げられるっていう体験を、
していただければいいかなと思います。
僕なんかは昔は、
これ1個作れれば、
もしかしたら、
これ1個作れれば、
もう死んでもいいんじゃないかぐらいに
思ってたんですよ。
最大限の盛り上げっていうやつ。
私の世代で言えばですね、
北斗の剣とかの、
ラオウとケンシロウが戦うシーンとか、
三国志とかの、
赤駅の戦いのシーンとか、
ああいうやつですよね。
そこを描ければいいじゃないですか。
ある意味。
問題はそこまでどう描くかっていうことと、
そこをちゃんと盛り上げられるのかってことですよね。
これ本当に、
昔は僕は苦手で、
苦手だっていう意識もあったせいだと思うんですけど、
気が付くと終わっちゃってるみたいな、
そんなもったいないことをすることはないですよ。
やっぱり慣れてるっていうことと、
何度も挑戦させてもらえたと、
それはすごいラッキーなことですけど、
ことがあって、
私の作品中ではタスクシュートの方が、
ある意味一番これができているかなって思うんですけれども、
それでももう、
全然物足りない。
今思えばですね、
全然物足りないなって感じがしました。
24:01
特にライフハックはですね、
性格的に淡白だということと、
多分そういう過剰な盛り上げというものに対する、
それこそ恐れや不安があって、
変に抑制しちゃうんだと思うんですよね。
だから前編に似たようなトーンで淡々と描かれているという、
それは僕は今思えば、
めちゃくちゃもったいないと思うんです。
やっぱり伝えるべきことというのはあってですね、
そうそうそれをですね、
しかも誰でも伝えられるかというと、
そうはいかないんですよ。
タスクシュートの、
僕が今考える盛り上げどころっていうのは、
僕じゃないと無理とまでは言わないですけれども、
自分の中にはですね、
これを言っている、
これをちゃんと伝えられている人は、
まだどこにもいないという感じがあって、
そういうことは書いてるんだけど、
高くなっていない富士山みたいな、
意味の分からない状態になってしまっているわけですね。
これやっぱりいけないんですよ。
何て言うんですか、
昔のシンセサイザーというのかな、
コンピューターに自動で演奏させたベドベみたいな、
なんか滑稽なものになっちゃうんですよね、
一歩間違ったと。
誰もああは弾きたくないか、
ああ弾きたい人がいるとすると、
よっぽど変わった人、
ちょっと精神的に難しい状態にある人とか、
そういうことなんじゃないかと思うほど、
普通には絶対やらないむしろことなんですよね。
これじゃない方向、
だからちゃんとクライマックスをクライマックスにする、
野球で言えばクライマックスシリーズですけど、
クライマックスをクライマックスにできるっていうのが、
すごい大事ですので、
たび重なるCMになってしまっているけれども、
これやっぱり僕は他で習ったことがないので、
多分これを教えられる人が実はとても少ないんじゃないかと、
最近思うようになってきたので、
よろしければぜひ、
かき上げ塾を受講してみてくださいということで、
ありがとうございました。
26:14

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