サマリー
このエピソードでは、kigiさんとシュウショウさんが会話を通じて、思考のレイヤー分けやコミュニケーションの方法について深く掘り下げています。特に、自分自身の理解の度合いや他者との意見の違いをどう受け入れるかに関する議論が行われています。また、感情の表現や怒りについての考察があり、特に敬語を用いた怒りの表現に関する討論が中心です。さらに、アドラー心理学の目的論に基づく怒りの扱い方や関係性の変化にも触れられています。
会話の始まり
なんで僕はビリビリなのかな?
HSPって、生きてる間ずっとそんなキスなんだって。
それは偶然。他のことも全部、たぶん全部、偶然。
だったら、みんなが自分らしく、最後は笑えたらいいな。
撮り始めちゃいました。
みなみさんの話が出て思い出したの。
そうですね。みなみさんとの話を聞いて、
あ、kigiさんとシュウショウも撮ろうと思ってたんだったって思い出して、
今、急遽録音回してます。
お願いします。
お願いします。
kigiです。
自己紹介しときます。
シュウショウでは自己紹介いらないんじゃないですか。
いらない。あ、そうですね。
声でさすがに分かるじゃないですか。
確かに私は。
分かんないけど。
まあ、シュウコウでもだいたい分かってくれる気がするけどね。
そうです。かもしれないですね。
漫画一位と思って。
ありがとうございます。
でも、なんかさっき、前回というか、みんなで一緒に撮った時の話の続きみたいなことを言ったけど、
そのどっちかというと、その後に言ったシュウショウでこういうゆるい感じで流したっていいんですかっていうののほうがショックで、
コミュニケーションの課題
ショックというか、いかんなと思って。
本当ですか。
だからなんでもありっちゃありでしょって喋りたいなって思いますけど、
なんかその固くなっちゃう原因がもしあるとしたら、
大輝くんと二人で喋ってる時に、
二人ともその、あ、そんな手前でこんなに違うみたいなところが不思議すぎるし気になりすぎるから、
一生懸命そこを掘り下げようとして、
その必死さが真面目さみたいに出ちゃってんのかなとか思って。
そうですね。かもしれないし。
だから丁寧、丁寧なんですよね、会話が。
なんかおっしゃってくださってましたね。
大輝さんでおっしゃってくださってましたけどね。
かもしれないで、最初の頃に。
なんかその認識のずれとか、なんとなく感覚が違うみたいなのを一切無視しないみたいな、二人ともが。
そうですね。気になっちゃうから。
だからそれがゆるさとは遠いところに行ってるかもしれない。
でも私はそれが好きですけどね。
あれを残しつつ、ゆるさも同居できるんですかね。
たまに大輝さんとかが、表情はポッドキャストなんで見えないけど、
でもたまにめっちゃ真顔で冗談みたいなの言うときあるじゃないですか。
真顔かどうか知らないけど、真顔やろこれみたいな。
ありましたっけ?
冗談なのかボケなのか真面目なのかわからないトーンでボケるときがあるんですよね。
たまに。
今の笑うとこですよみたいな感じで自分で訂正する。
あったかもあったかも確かに。
あって、たまにそういう笑いの要素が潜んでる感じがしますけど、気づきにくいです。
大輝くんはお笑い感度というかセンスが研ぎ澄まされすぎて気づけないときがあるんですよね。
そうそう。ほんとそう。
レベル高いんですよね。
そうですよね。
すごいなんか、自分一人でめっちゃ笑ってるときとかもあります。
そうでしたっけ?それすら気づけてあげられてなかったかもしれない。
それもあります。めっちゃつぼってるときとかあります。
何が面白いの?
鈍いですよね。敏感さんのくせに鈍いんですよね。
面白い。それも面白いなと。
後で聞いて恥ずかしくなるかもしれない。これ気づけやーって思いますけど。
あれも面白いですね。
そっかー。
それはそれで面白いです。
なんか雰囲気的にはそんな感じでゆるさを強調させたいなーって思いながら
何?しゃべりましょうかみたいな。
そうですね。ゆるさ、ゆるさ。
そうか。ゆるさ。
なんとなく私は手法の方がゆるく、普段は気持ちとしてはゆるく聞いてますね。
ながら聞きをするのは手法で、手法の方はもうちょっと聞きます、ちゃんと。
そっかー。
なので、何か内容がそうなのかなーって思います。
特に旅の途中の手法とかは雑談とかが多かったりするし、
なんとなくその場に一緒にいるような気持ちになって聞いてるみたいな感じなんですけど、
通常の方は結構テーマがしっかりあったりするし、
テーマがなくても、なんとなく今日はこれがテーマだねって途中から鳴るみたいなのあるじゃないですか。
ありますね。
そうやって一つのテーマにフォーカスしたら、結構みんながそこに向かっていくから、
それを結構集中して聞きながら、みんな意見が違ったりするときに、
自分はどう考えるかなっていうのをちょっと考えたりしながら聞くから、
だから結構集中して聞くのかもしれないです。
なるほど。
意見が何とかあって、対立というか、違う意見が3つ4つ出たときに、
自分はどこにヒットするのかって絶対考えるじゃないですか。
だから考えることが多いって感じです。
自分はこの人に近いけど、この部分はこの人に近いなーとか、
なんかそんな感じで、聞き比べながら自分の考えとか立ち位置を確認するみたいな感じがして、
結構聞きながら内省するっていうか、そういう感じがするから、
そういうとこが私は結構好きなんですけどね。
なるほどなー。
でもなんか軽くはないかな。
軽くはなくてもいいのかな。
今の話で、週4にも週4にも両方課題があるって感じちゃって。
そうですか。
週4はむしろ、最近ゆるくなりすぎっていうと言いすぎなんですけど、
どっちかっていうとちょっといただけた方の紹介だったりとかに終始してしまっていて、
僕がどう考えるみたいなことを言う機会がめっちゃ減ってるんですよ。
あの最後の部分とか。
うん、あれで定型文として読み上げてはいるけど、
あそこね、スポーティファイフォークリエイターズとかで、
たまーにそれを離脱率みたいなのを見ると、
あそこからガツンと聞く人減ってるんですよ。
でも毎回聞いてる人は同じ文章だから聞かないんでしょ。
思考のレイヤー
だからあそこで言ってるからいいやはもうダメなんだなって。
あーそうかもしれない。でもそれはそうかも。
で、この間東京オフ会があったときに、
自己紹介プレイリストみたいなのを漢字会の方たちが作ってくれて、
改めて自己紹介的にこういうことを考えてる人間ですって喋ってたら、
ひろろさんがそれそれみたいな感じの、
しゅうさんのそういうのを久しぶりに聞いたからもっとやってほしいって言われて、
確かにそれが抜けてなくなったから、むしろながらぎいきで聞けちゃうぐらいな感じになってるのかなと思って。
確かに確かに。
あまりそれでながらぎいきできないようになるのは違うけど、
何と言うか、織り込んでいけばいいんじゃないですか。
そうそうそう。織り込みが課題かなと思います。
すごい急ハンドルを切って急に曲がるみたいなことをしたらいいんじゃないですか。
そうですね。
いいと思いますけどね。
ちょっとその話と矛盾する話になるかもしれないけど、
これが終章でもまだ配信はされてないかな。
大輝君と2人で喋った時に、あれ?配信されたかもしれないな。
2人、週4でも言ったような気がするんですけど、
深井さんの幻会議ではめちゃくちゃいいっていうのに反応したのがあって、
最新回じゃなくて前回の回だから、これ喋ってももう聞けないんですけど、聞いちゃった回だと思うんですけど、
生きづらさについてみたいな。
私全部聞いてますよ。
生きづらさについて面白くなかったですか?
あんまり覚えてないな。
あ、そっか。
どんなのでしたっけ。
言ってくれたら思い出すと思います。
たぶん毎回面白いなって思ってるので。
先生さんが人生めちゃくちゃうまくいってないって思ってるみたいなのを言って、
深井さんがそれが一番面白いなって感じで始まる。
だいぶ後半なんですけど、たぶんあれ生配信でやられてて、
たぶんその場でコメント欄みたいなのにしたやつでだと思うんですけど、
自分のことを理解できていると思いますか?みたいな。
たぶんそんな質問に答えてるように聞こえたんですけど、
深井さんがめっちゃ理解できているっていうふうな認識と、
全然理解できていないなっていう認識が同時にあります。
先生さんがどういう表現されてたかな、ちょっとその答え方忘れましたけど、
それに対して深井さんがレイヤーになってるってことですねって言ったんですよ。
すごい理解できてるっていうレイヤーと、
全然理解できてないっていうレイヤーとある。
グラデーションじゃないってことですって言ったんですよ。
言語がうまいなーみたいにおっしゃってて、
うわーそれそれって僕思って。
それ言ってたのは金鋭さんですか?
いやいや、深井さん。
深井さんが言ったんですか?
深井さん。
だからやっぱ深井さんの言語が気持ちいいなって思ったんですけど、
それもまた大輝君とだいぶ前に、
深井さんのこの言葉が良かったみたいな、
いつも深井さんの言語が響いてなんですけど、
それがそのまさに同じことだったなと思っていて、
そのレイヤーが分かれるっていう感覚。
前に大輝君と話したのは、
また幻会議じゃなくて、
個展来る限定特典で来てる大原さんとか、
ゆうげんさんとしぐちさんと4人で喋ってる会かな。
それの中でちょっと話題の流れは忘れたんですけど、
今はビジネスパートでっていう主語だったかなーっていう気がするんですけど、
現状と現状認識と今後こうなってほしいっていうのは、
それぞれ全部別なのに一緒二人して話す人が多い。
それも分かりやすい表現だなと思って響いてたんですよ。
だから僕そのレイヤーを分けるっていうことに、
すごい響くタイプなんだなと思ったんですよ。
収賞で話したりしても、
その話もめっちゃ分かる部分があるみたいなのと、
また違う人が、
私は違ってこういう感覚って言ってるけど、
そのレイヤーも自分も持ってる。
もう何個も本当は持ってるんですよ。
それぞれ整理して話したいけど、
一個に絞るともうそっちの話に流れていっちゃって。
そうか、なるほど。
そうか思ってて。
Qハンドルでグーッみたいなのって、
同一レイヤー上の話としてその話の方向を変えるみたいな感じでしょ。
そうですそうです。
同時に存在しつつ、
それをうまく表現したいみたいな欲求があるけど、
やり方は分かってないけど、
その感覚だけを今は伝えたくなっちゃって。
でもそうですね、それで言うと、
Qハンドル切って全然違う話してて、
抽象とかであんまりいらっしゃらないような方と話してる時に、
Qハンドル切ったとしても、
それはその人との話題のレイヤーの上での話ですよね。
そうなんですよそうなんですよ。
なんですけどそこをレイヤーって認識していないと、
なんか今までの話を台無しにされたって感じられるかなっていうのが気になったり。
それは誰がそう感じるんですか?台無しにされたって。
その場にいるメンバーもそうだし、聴き手ももしかして。
聴き手のことはそんなに気にしなくてもいいかもしれないけど。
さっきのレイヤーの話はそのまま残していいっていう気分で、
でも間にお笑い的な要素のためにQハンドルの話を吹っ込んだとしても、
そっちに流れるのが怖いみたいなビビリがあって、
なかなかできなかったりとか。
全然ちょっと違うかもしれないですけど、
前私がしゅうさんに夫とのLINEを送ったじゃないですか。
あれもなんかまあまあQハンドルがなかったですか?
急にしゅうさんは出してくるみたいな。
ちょっとね、内容を忘れちゃいました。
アウトプットがさっき言ってそういうことじゃないって思った記憶だけがあるけど、
文脈的にどんなQハンドルでしたっけ?
要はLINEのやりとりの時に、
私はカッコ笑いみたいなのを、
Wでよく表現するんですよ。
でも夫は漢字の笑で表現するんですよ。
で、めっちゃ大爆笑みたいな時は笑2つで、
普通の笑いの時は笑1個なんですよ。
でもWだったら10個でも20個でも重ねれるから、
本当の大爆笑と小笑いの差がつけやすいっていう話をLINEでしてたんですよ。
で、じゃあ笑だけだったら、
20個ぐらいの時の気持ちはどう表現するつもりみたいなのを聞いたら、
それは2個でいいみたいな。
で、2個じゃわからんって言ったら、
でも2個目に全部入ってるからみたいなこと言われたから、
そんな想像でしかないし伝わらないみたいな言ったら、
でもそれは表現することは全部、
自分でアウトプットしたことは全部表現だからみたいな。
しゅうさんも言ってたと思うけど、
突然出してきて言ってないからみたいな。
そういうことじゃないからみたいな。
そういう切り方もある。乱暴な切り方もあるなって思います。
感情の扱い方
そっからそっちにつなげていくのはやろうと思えばできると思うんですよ。
その場でね。
全然違う話してたけど、
無理やりそうやって切没していくみたいなのもあるなとか思ったりはしました。
そうですね。確かに。
それで、なんだろう、
元の話にも自由に戻れって、
戻れますよ、たぶん。
それを僕がもっと自分の中に落とし込めたらいいんだろうなっていうのはある程度感じてはいるんですけどね。
しゅうさんは確かに安心できる場だから、
それにちょっとずつチャレンジしていきます。
そうですね。
台無しにされたとか誰も思わないと思いますけどね。
ちょっと極端な言い方はしてるんですけど。
たぶんなんか、あれなんかちょっと気分がえしたかなって思ったら、
えっ、何の話でしたっけって言えばいいんですか。
えっ、どういうことどういうこと。
ああ、元に戻るってこと。
そうそうそう。
確かに。
確かにな。
そういう技も身につけていかないといけないですね。
ありがとうございます。
しゅうさんそういう技いっぱい持ってそう。
そんなけさなかい女みたいに言わないでください。
いやいや、そんなこと言ってない。
そんなこと言ってないけど。
なんか気の利いた表現とかいっぱい持ってらっしゃるなみたいな。
持ってきたっていう、他褒め言葉。
ありがとうございます。
さっきのあれですよ。そんなこと言ってないって言わせて。
アウトプットの話。
そうですよね。
そうそうそう。
それはなんか、全然、なんとなく空気、たぶん読むのがお上手だと思うので。
お上手っていうかね、怖いから読むんだろうね。
怒りと心理学
分かる。その部分はすごい私も分かるので。
なんかあれこの人ちょっと今楽しめてないかもとか、
なんとなく乗ってないなみたいなのとかは感じてしまうタイプなんで。
そういう時にやっぱりなんかちょっと先回りしてしまったりとかもあるし、
どうすればこの場をうまく楽しく過ごせるかみたいなのが
なんかちょっと考えちゃうタイプなんで。
分かるとこすごいありますね。
キリさんって怒ることってあるんですか?
ありますよ。ありますあります。
それがね、さっきのぐらいでは怒んないんだっていう風に、
もちろん分かるんですけど、
じゃあどの辺でキリさんって怒るのかなみたいなのが今一瞬気になっちゃって。
デスレイヤーで気になっちゃって。
デスレイヤーですね。
怒る、でもなんか、どんな感じで怒るっていうのがなんか、
いろんなケースがあるじゃないですか、
なんかその、コラーみたいな感じとか、
すごい怒鳴るとか、
もう私は怒ったみたいな感じはあんまりないかもしれなくて、
あんまりそういうのはなくて、
なんか静かに怒るみたいな感じ。
だからなんか、急になんか冷たくなったりとかしますね。
なるほど、そっか。それもでもめっちゃ怖そう。
そうでしょ。
ごめんなさい。怖そうです。
でもそのほうが怖いと思う。
ありますよね。僕はあれが苦手なんですよ。
敬語になる怒り方が苦手なんですよ。
そうそうそう、それ怖い。
あれ苦手なんですよ。
僕はそれが全くないタイプなんで、
いやもう異次元に怒られたぐらいな。
そうですよね。でもそうなるときってよほどですし、
そうなるときっていうのはもう、ある意味じゃ、
線を引いたときだったと思います。
あなたとは会い入れないですっていう、
その表現のひとつが敬語だったりとかすると思うんで、
なんか、要は関係性を振り出しに戻してるじゃないですか。
敬語になるってことは。
それまで親しかった関係性を振り出しに戻してる感じがするから、
なんか、セットみたいな感じになる?
そっか。でも最初の敬語、
知り合い始めのときの敬語はめちゃくちゃ、
なんか本当に相手を尊重している敬語だけど、
怒ってるときの敬語は、
また別レイヤーが曲がっちゃうかもしれないけど、
アドラー心理学で言う原因論と目的論って分かります?
分かんない。
ティーチャーティーチャーで言ってた気がするけど。
言ってたかも。
僕、嫌われる勇気っていう本を読んで、
すごいあれも自分に影響を与えた本なんですけど、
アドラー心理学はそういう意味では目的論なのかな?
影響を与えたって言いながらウロウボイでしょ?
だいたいの人は今まで怒りっていうのには原因があって、
だからその原因があるもんだからしょうがないみたいな、
怒ることは正しいぐらいな流れで来ていたけれども、
本当は目的がある。
怒りには目的があって、
平たく言っちゃうと相手を変えたいから怒るんだっていう意味で、
さっきリセットっていう言葉に僕が違和感感じちゃったのは、
本当に初めましての頃は相手を変えたいみたいなのは全くない敬語だけど、
その怒りの中に敬語、怒りの現れとしての敬語は、
そこまでの怒りを表現して、
相手をやっぱり変えたいみたいな期待を感じるんですよね。
期待というか、強制力みたいなのを感じるから僕めっちゃ怖いって思う。
本当、私逆で思ってました。
そうですか。
敬語とか、怒らないっていうのは、ある意味冷たい態度なんですよ。
だと私は自分で思ってて、
相手に興味があったりとか、相手に変わってほしいという希望とかを持ってたら、
もっと怒ればいいんですよ。
でも怒らないっていうのは、諦めてるんですよ、関係を。
なんていうか、怒るのもエネルギーいるし、
怒る方も自分も傷ついたりするじゃないですか。
そうですね。
それが嫌なんですよ。
その人のために自分が傷ついたり、自分が拳を振り上げて自分の拳が痛くなるのを、
ほどの労力を吐きたくないって思ってしまう。
結局、愛情がないんだと思うんですよ、それって。
だって例えば、全然関係ない人が迷惑な行動をしてたりとかしても、
うわーとか思いながら、特に何も言わなかったりするけど、
自分の子供が同じようなことをしたら、ダメでしょって怒ったりするじゃないですか。
それは自分の子がそこで何かその先誰かに怒られたり失敗したり傷ついたりしてほしくないから、
今言わないとっていう気持ちになると思うんですけど、
全然関係ない人だったら、たぶんそんな怒る労力は咲かないと思うんですよね。
そこに怒るっていうのも一つの愛情っていうか、だなってすごい思ってて、
相手に対する期待とか関わろうとする気持ちの表れが怒るっていうことかなっていう風に思うから、
もう会わないんだったら関わらなければいいやっていうのは、
思ってしまうと怒るっていうところに至らないみたいなのもあるのかなって思って。
そうですね。ざっくりそう思います。ざっくりとか言っちゃって申し訳ないですね。
すごく一番土台となるようなレイヤーでそう思う。
すいませんね、なんかややこしい言い方して。
ちょっとね、もうそうやって整理して喋ることで何とか伝えたいなみたいな思いがあって、
たぶんね、しばらく僕これ癖になっていくと思うんですけど、
それの中での分岐というか、本当に相手を諦めたっていうか、
愛情がなくてもいいやっていう風なところまで行ったら、
逆に相手が怒りを感じないぐらいのところまで最終的には行くのかなと思ったんですよ。
相手が怒りを感じないところ?
静かな怒りとして低語になっている間は、
それをやっぱりすっごい怒っているみたいに感じると思っているし、
僕もよく感じるもんで、その間はまだ諦めてないって感じですよ。
諦めてないやり方に怒りを使わない方法もあると思っていたりして、
それがたぶん僕の解釈ではアドラーの言う目的論としての怒りを本当に認識したときに、
このやり方で相手を変えたいっていう風に思う人だというか、
思えるのかなというのが僕の中ではちょっと疑問だったりして、
本当に愛情の裏返しとしての相手のアクションなんだとしたら、
怒りを持って変えたいっていうのが、
僕の本当に勝手な感覚で言うと、
ちょっとバカバカしく感じる人が多いんじゃないかなと思っていて、
分かりやすい例えで言うと、下風と対応の下風の弱、
コートの人のコートを脱がそうとする行為が怒りを持って変えようとしていることって感じるから、
それじゃなくて対応的な変え方に変わるんだとしたら、
本当に怒る必要なくなって、
関係性の変化
なんでしょうね、
怖くないっていうようになる気がする。
そうですね。
でも、もし怒らないんだとすればちょっと悲しみますね。
悲しみになるかも。
分かります。
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