開始〜モーニング言ってる
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
8月ついに30日ですかね。30日の8時20分ですね。
昨日アップしたばかりで、またいきなり今日もアップかよという感じなんですけど、自分の中でね。
昨日の夜やったのは例外的なもので、なんで夜やったのかっていうのがね、今思うとよくわからない。
夜やってもよかったような話なんですけど、夜やってしまいましたみたいな感じですね。
モーニング言ってるんですけど、聞くのを朝にしていただければいいかなって。
これを、今朝多分昨日の分を聞かれた方は、今日2発みたいになるんで、
それは多分週、わかんないですけどね、週5上げちゃうこともありますが、週4になることの方が圧倒的に週4、3とかね、
どっかで休むと思うんで、そこで調整していただければ、聞く人がご自由にしていただければいい話を僕が喋ってるだけなんですけど。
9月の10日からですね、書き上げ塾の第9期というのが始まるんですよ。
もしかして今残枠がどうなってるのかとか、ちょっと僕今把握してないというか、前の情報が古いかもしれないんで、
確認していただきたいんですけど、まだ枠はあるだろうと思いますので、よろしければですね、ご参加いただければ。
これはサボってるんだけど、リンクとか全然この番組の一覧とかに貼ってないんで、書き上げ塾出て調べていただければ出てくると思います。
金額が安くないんで、やっぱりリンクでダイレクトで飛んでパッと申し込む。
僕と違ってお金を持ってる方もいらっしゃるからわかんないんですけどね。
僕だったらこれは絶対調べてからじゃないと入れない金額なんで、一応サボってる言い訳なんですが、
検索かけて調べていただいた方があれに入るっていうぐらいの場合はいいかなという感じがします。
最近僕思ったことなんですけど、本1冊書き上げるといっても、毎度毎度やることは全く違うんですしね。
その人のテーマっていったものも書きたいとずっと温めていたものがあるみたいな話をされている場合でも、
そういうものはあんまりないんだけどちょっと書いてみたいといった場合でもですね、
実はその後の展開はその方と最初に会った時のインプレッションとは全然違う展開を見ることが僕はものすごく多い気がするんですね。
ほとんど全部そうなんじゃないか。
精神分析でよく、いや私別に悩みないんですけどちょっと精神分析ってものを受けてみたくてとか言い出した人が、
実はすごい深刻な問題を抱えていらっしゃってて、話がどんどん深刻になってて、
もうすごい長い年月かけられるみたいなことが現に起こるっていうのは、ものの本にはよく書いてあるわけですよ。
すごいよく似てるなと思うんですね。
だから無意識ってこと、最近山崎隆明さんを先日お招きしてから再び無意識ってことをすごい考えるようになったんですけど、
僕ら無意識が何知ってるかっていうのはもちろん知らないわけですよ。
これ知ってれば全意識ってことになって、どっかで認識している事実を私は思い出しましたみたいな話になるんだけど、
そうじゃなくて全然どこにも自分としてはそうは思っていないはずのことを実は自分は思っているといった話ですね。
その全意識なのか無意識なのか非常に微妙なラインのあたりをある意味カウンセリングって探りを入れていく話なんですが、
多分ね、私やったことはないんですけどね、多分そういうものだと思うんですけれども、
私は本を書くってそういうことだなって思うんですよね。
無意識がやりたいと思っていたことを、だからシグナルは来るわけですよ。
だってね、書き上げ塾はかなり僕はリーズナブルだと思いますが、
あの値段を払ってでも本を書きたいという人はやっぱりなんかあるんですよね。
自分が知らない自分がやりたいと思っていることがですね。
そうでなければ6ヶ月かけてやっぱりこう本は本当は6ヶ月で仕上がらないケースが多いですけれども、
6ヶ月かけてお金もかけて簡単じゃない試みをですね、やって何かを作り上げようとはしないんですよね。
だからそういう無意識との遭遇みたいなのを、
自分のライフに取り入れてみてもいいんじゃないかというアプローチでもお誘いしていいかなと。
本の執筆と無意識
今日はそんな風に思ってちょっと第9期9月から始まりますので、10日からですね。
多分まだお申し込みはいただけると思うのでよろしければやってみるとですね、
思わぬものが自分から出てきて、それがそういうことを望まれる方とそうでない方とは当然いらっしゃると思いますが、
そういうのも悪くないんじゃないかなということですね。
そもそも自分がですね、このGood Vibesというものにこう長らく取り組んでいるのだって、
2016年の段階では予想もしない、そんなものはなかったですからね。
Good Vibesって言葉はあったと思うんですけど、倉園圭三さんがそれを提唱するという事実はなかったわけですから。
これによって僕の人生はまた激変しているわけですよ。
表面的にはちょっと佐々木の言うことがガラッと変わっちまったな、もうなんか面白くないなと思うぐらいな、
そのぐらいなんですよ、そういう方もいらっしゃるだろうぐらいな、その程度の変化でしかなくて、
ガラッと変わったとしたって、例えばうちの父親とかがね、
お前何も変わってないだろって言われればまさにそうな、そう見えるはず。
ある程度僕はそういう風に整えてますからね。
急にこの年になって激変ぶりをまざまざと見せつけられると困っちゃう人も結構出てくると思いますし、
そこの人たちが困っても別に僕にとってメリットっていうか、
僕にとって何かやりたいことができるとかはないんで、
表面的にはそのね、整えておくというのか、見た感じはあまり変貌してないと。
本に書くこととかは変わっちゃうんだけど、それは、
例えばGood Vibesを知らなくても多分変わるんですよ、5年6年10年と、
例えばですね、全然変わらない本を断続的に出し続けるというのも、
それはそれで変なものなので、変わるんですけれども、
でもその変化というものを一番目の当たりに知るのは、
こういうGood Morning Voiceとかを聞いてくださっている方々だとは思うんですよね。
ただこれだって以後やったことなので、
例えば第600回700回以降しか聞かないって方にしてみれば、
その人が言ってることはいつもこうだと思われると思うんですけど、
2000そうだな、10年ぐらいの話と今の話は違うと思うし、
僕のライフスタイルは変わってないけれども、
体制みたいなもの、体制っていう言葉が妥当な感じがするんですけど、
いわゆる姿勢とかそういったものが変わっているに過ぎないので、
またからはよく観察していると分かるかもですけど、分からないという程度なんですね。
でも激変している。
これはやっぱり無意識が望んでたことの一つなんだろうなとは思うんですよね。
意識的には望みようのないことだし、
あまりはっきりそういう意識は持ってなかったんですよ。
今やなきチェンジ図っていう有料のマガジンにクラスノケイドさんを誘いしたときも、
彼に書いてほしいと思ったのは、やっぱり新しくなったiPadとペンの関係みたいなのを
僕が書いてくれるということを多分当時は漠然と期待してたんですけど、
今思うとですね、そうじゃなくてよかったなということなんですよ。
別にそれでも全然いいんだけど、やっぱりクラスノさんの書くものというか考え方が
大幅に変わっていたという事実が、僕らみんなを変えたという面が、
こうやって言うとですね、それ良いことだったのって思われるかもしれないけど、
私は断然良かったと思うんですよね。
それで、それによって例えば世の中からライフラップが消えるとか、
言う必要はないんですよ。
そういう規模の劇変、それだって現に起こったとしてもですね、
世の中的には何のインパクトもなくて、ニュースにもならなくて、
今日も明日もモーションの話をニュースはするでしょうけれども、
やっぱり劇変なんですよね。それは僕らの生きる世界では。
でもそのぐらいの変化が、インパクトのある変化が、
私は悪くなかったと思うんで、
それまででは出来ていなかった事が、新しいiPadが出たとか言うだけで、
出来るようになったとは思えなかったんですからね。
例えば私が糖質制限なしでアトピー治せたかというと、
治してないんだけど、これが言いにくいんですよね、難しい。
治してないというのはどういうことかというと、
治ったのであって、治したわけじゃないんですよ。
こういうことがですね、ライフハック的でないんですよね。
ライフハックというのは、○○するなんですよね。
これは良いも悪いもないんですよ。
そうであれば良いこともたくさんあるわけですね。
例えばiPhoneが壊れましたから治しに行きますと、
これはライフハックでも何でもないけど、
でもライフハックというのはこういうことなんです。
つまりそれは自意識の上にあることであり、
その通りに絶対になるとは限りませんけど、
治んないこともありますからね。
でもそういう意図を持っていけば、
おおむねそうなっていいはずの世界の出来事。
大筋それは人工的な世界において起こることなんですよ。
人工的な世界だけじゃないですけどね。
キュウリの種を剥けばキュウリ生えてきますから。
自然の話ですけど、まず生えてきますからね。
でもこれもかなり人工が入ってるからこんなに生えてくるんですけどね。
生えてくる種売ってるから、しかも安くね。
そこら辺が今の人間のやったすごいことなんですけれども、
これだけではできないことってあるわけですよ。
例えば私のアトピーは治そうと思っても治んない。
治るってことが実現はするんだけど、
治そうと思っても治んないんですよ。
それは自分がなったからよく分かる治そうとしてましたから。
30年以上ですね。
一向に治んだから。
糖質制限が一番僕は良い線行きましたけど、糖質制限は必要でしたから。
そしてそれは治ってはいないんですよ。
出てこなくなったというだけで。
でも糖質制限は良い線行ってました。
糖質制限って完全に人工じゃないじゃないですか。
自然がそこに関係してますよね。
病気って自然が関与してますけどね、必ず。
こういう意識だけではできないことを
ここに持ち込まれたと。
偶然に近いんだけど、偶然クラウドさんが
すごくライフハックな、
ライフハックな人ではないんだけど、ガジェットな人でありましたから、
我々の世界の認識としては。
だからこの世界に近いところにドーンと落ちたのが
全然そういうライフハック的ではないものだということだったんですね。
全然そういうライフハック的ではないものだということだったんですね。
これも意図して起こそうとしても
できないことなので、僕はそもそも彼が
2013年、2012年の頃ですね、
何をなさったのかはほぼ知らなかったんで。
考えてみるとそれ以前だって知らないんですけどね。
インターネットマガジンの編集長ですっていう肩書きは存じ上げてましたけど、
それは何をしてる人かっていうのは僕には
未だに分かんないことですから、すごい大変そうだなぐらいのことしかね、
雑誌を作ってたに違いないとか、
あれずっと読んでたんで、読んでたということでは知ってるんだけど
何をしてたのか分からないですよね。
記事作ってたんだろうとは分かるんだけど、
それは何をしていたのかってやっぱり分かんないことは
たくさんあるわけです。
そういうところで行われていたことが
不意に自分にインパクトを与えてくるっていう
そういうことが起こるのは悪いことではないと思う。
これがあれなんですよ。
はい、では次の話題に行きましょう。
まずは、
先日から何度か
ホットにしているリアルゲームってことなんですね。
脱出ゲームとリアルゲームっていうテーマで
リアルゲームと脱出ゲームの違い
喋ってますけども、前回とか前々回とか
その前とかですね。
タスクシュートの人には
便宜上脱出ゲームに今集中されてるんだから
このホットキャストではそうは僕は考えない。
話はしますよ。
つまり脱出ゲームを早々に切り上げた方がいい
ぐらいなニュアンスあります。
ただこれは個別の相談を受けなければ本当のところは言えない。
つまり本当に脱出ゲームを
しちゃった方がいいフェーズもあれば
そういう状況もあるんですよ。
多くはないと思うのでレアケースに近いと思うんだけど
なくはない。
だから脱出ゲームは良くないですとは言わないですし
必要な場合もありますし
現に私だってコロナとなればある程度脱出するべく頑張る。
まあ頑張らなくても脱出できるんだけど
脱出できたんですけどもまあ頑張る。
病気になれば応じて
相応にそうなりますよね。
ただ世の中の私が思うに
7割以上の脱出ゲームはほぼ
いらないんじゃないかなって感じは
完全な幻想に近い私の空想ですが
受けるんですよ。
脱出ゲームしなくていいところで脱出ゲームが行われている
っていうのは確実ですね。
これは早々に切り合えた方が本当はいいだろう。
だから脱出ゲームとリアルゲームは
どっちがいいとかどっちもゲームなんで
どっちがいいとかはないですが
リアルゲームやってる方がその人は絶対幸せになれるだろうな
という感じを私は受ける。
脱出ゲームってのは幸せになるゲームではないんですよ。
そういうふうに誤解されてるんだけどあくまでも脱出するゲームなんですね。
脱出が幸せでしょっていうのは
脱出元が非常に不幸だった場合そうとしか思えないからそうでしょ。
が私アトピーから脱出してみてよくわかったんですけど
脱出ゲームは人を幸せにするゲームではないんですよ。
脱出するだけなんですね。
脱出は大事ですよ。だけど脱出するだけなんですよ。
脱出すなわち幸せではないと僕は思うんですよね。
だから
タスク管理をしてわざわざ脱出ゲームだけするのは
有効に作用することも少なからずあるんで
いいと思いますけれども
ずっと脱出ゲームをしないっていうのは
先日話しましたよね。
そして一旦リアルゲームに入ったらですね
そこで脱出ゲームを続けないというのが大事であるのと
ちょうどこの反対側にですね
脱出ゲームをしているのに
しているその人の考え方の中では
脱出ゲームになっちゃってるのに
リアルゲームのようにやってもうまくいかない
っていう話を今日はちょっとしつつですね
なんでリアルゲームの方がいいのかって話もまとめてしちゃいたいと思って
おりますが
そういう風になるケースがあるんですね。
これは僕GTではわかりませんが
他のタスク管理もわかりませんが
タスクシュートではしばしばそれを目撃するというか
そういうことがあるわけですよ。
どういうことかというと今ここを頑張る
シングルタスクでちゃんとやる
そしてあるがままの自分を肯定するという
おおむねそういう姿勢なんだけど
つまりリアルゲーム的姿勢なんだけど
それは今ここの現実を肯定しているからですね
リアルゲーム的姿勢なんだけど
その人は脱出ゲームをそこに持ち込んじゃうんですね
つまり混ぜるんですよ
これはうまくいかないんですよ
脱出ゲームというのはやっぱり
脱出に邁進しないでやれないんですよね
前のほうが仕事できてたのに
タスクシュートで今ここに集中するというやり方は
部分的な脱出の問題
生ぬるいんじゃないかみたいなことを
考え始められるんです
これは僕はすごい拷問がながっているなと思うんですよ
見ててというかお話聞いてですね
例えば最近どうも苦手な仕事を
やらなきゃなんだとなって
マネジメントのほうになって
年齢上がってきてますからね僕らもね
上司との関係はいいんだけど部下がどうも
最近の若い人はちょっと自分と合わないらしいみたいな
そしてなんか
本来しなくていいような業務を
そういう部下からどんどん持ち込まれていて
でも部下はあんまりまだ仕事できないから
ちゃんとやらなきゃならない
変わってやってあげたいと思うんだけど
なんかこうね脱出ゲーム要素なわけですよ
ここからこの状況を早々に出して
前のようにきちんと朝のルーチンを回して
1日1日を満足いくタスクシューターに戻りたい
みたいなね
そういう話を結構伺うんですよね
これ脱出ゲームに急々としている人よりは
なんか余裕もあるしやり方もわかってるし
ベテラン感あるんですけど
結構大変そうなんです
どうすればここから脱出することができるんだと
なんかJさんとかね私から喋ってる話を
繋いでみると
今やるべきことに1日分のリストに
邁進するといいみたいだし
そこに集中したほうがよくて
未来のことから逆算とかしてばっかりいても
仕事進まないのは経験的に知ってるから
やっぱり部下方
いろいろ言われるし苦手な業務や
マネジメントをしなければならなくて辛い
っていう話を
これもここ100日チャレンジにやってもそうだし
倉園さんに寄せられる
お相談もこういうような内容ってありますけれども
結構頻々と耳にするなと
僕はこれはリアルゲームと脱出ゲームが
一緒になってるなってよく思うんですよ
リアルゲームはリアルゲームに徹する必要がありまして
リアルゲームに徹する重要性
ここにですね
部分否定を投入して脱出ゲームを半分やるぐらいなら
それなら脱出ゲームにしちゃったほうが
大体そうはできないんだけどいいんですよね
やっぱり
ビギナーズラックってあるじゃないですか
それに似た話に聞こえるんですけど
脱出しなきゃもう
俺ダメだみたいになっていて
必死になってる時っていうのは
そういう力っていうのが出てきてですね
シングルタスクにじっくりと取り組むとか
今ここに集中するとか言ってる場合じゃないんですよね
本人がそう思ってるんですよ
だからできることってやっぱあるんですよね
ラックって部分が大きいと思うんだけど
そうやってものすごくむやみやたらと頑張ってるうちに
なんかうまく転がることがあるみたいなのが
手伝ってるんですよそういう時の脱出要素に
あれですねまたピクミンネタで申し訳ない
全然やってない人にはわけわかんないと思うんですけど
ピクミン大混乱みたいな時でも必死にね
XとかYを連打しているうちに
なんかうまく敵倒れたみたいなあるじゃないですか
ほとんどそれは自分の能力とあんま関係ないんだけど
パニックってボタン押しまくってたらうまく倒れたみたいな
あの昔ストリートファイター2っていうゲームでですね
僕はあのあんまり強い相手の時に
このチュンリーっていうキャラを使ってですね
とにかくもうひたすら連打するみたいな
投げ技か蹴り技で勝てない相手に
もうひたすらひたすら混乱させて頑張るみたいな
大体負けるんだけどたまに勝てるんですよね
これに近いんですよ脱出ゲームの要素というの
だから
脱出ゲームをリアルゲームと
リアルゲームのやり方で脱出ゲームをするっていうのは
絶対うまく
絶対とは言わないけど
かなりややこしい事態を引き起こすので
あんまりおすすめできないのですね
リアルゲームにやっぱり一度入ったら
極力リアルゲームに徹する
つまり部分指定しちゃいけないってことなんですね
これはつまり
リアルゲームと脱出ゲームの話の時も
しましたけど
クラゾンさんのポッドキャストを援養して
不満を持たないって話をしたと思うんですけど
それをここに持ち込む必要があるんですよね
不満を少しでも抱かない
だから苦手な仕事とかはないはずなんですよ
苦手な仕事っていう認識はなくなるはずなんですね
例えばその他にも
部下から持ち込まれると
部下に不満を抱いてるじゃないですか
そういうことをリアルゲームでいちいち持ち込んでいると
半分脱出半分リアルみたいな
ここの現実はいいんだけど
こっちは嫌だからここだけ修正しようみたいになるんですよ
私が言ってることの方が不自然に聞こえると思うんですけど
やんないとは思うんで
これもあんまりいい例じゃないんですけど
庭とかやってみるとつくづく分かるんですよね
この植物のこの部分が不満だから
ここだけ良くしようとかできないんですよ
特に僕は素人はそういうの絶対無理だと思うんですよね
ミニトマトの苗とかで
この苗のこの部分だけダメなんだよなみたいな
例えば気泡できちゃってんだよなみたいな
キコンかまあいいですけど
そういうものができるんですよねブツブツみたいな
ここだけ直そうみたいな絶対無理なんですよ
そういうことをやっていると全部をダメにするか
なんか実に残念な結果に終わって
例えばトマトはいっぱいになるけど全然おいしくないとかね
あるいは赤くなった瞬間に全部割れるとか
そういう事態を引き起こすんです
部分肯定部分否定ってダメで
このトマトはオッケーなんだから
全体をオッケーだと思って取り組むか
もうそのトマト抜いちゃう
そうした方がマシなぐらい部分的に上手くやる
部分脱出ってのはまず上手くいかないと思いますね
相手が自然になってくる
会社の業務ってすごく人工的に見えるんだけど
人間関係の部分とかは自然じゃないですか
だから多分この部分的に不満に思うところって
大体自然物なんですよ
人工的に上手くできる能力を身につけてしまった後では
だから上司との関係はそれまでの関係と同じだから
多分悪くないんですよ
会社に入りたての頃ってそういう事を考えないじゃないですか
大体全部先輩か上司だから
同僚の同輩はいるかもしれないけど大きな会社なの
そうすると上司との関係が全てのところから始まるわけで
基本的には自分が身につけている能力を
かなり上司との関係とかそういうところのマネジメント
ここで厳しい時には脱出ゲームがすぐ始まっちゃうと思うんですよ
業務過剰の脱出ゲームとか
上司との関係がパワハラだから他へ移るとかね
でもこれを一通りできるようになった後は
やっぱりそこを好きになるよりほかないと思うんですよね
その職場なりその仕事なり
自分が好きになるよりほかないと思うんですよね
そこを一通りできるようになった後は
その職場なりその仕事なり
私はここでいつも口にしている
私たちのものの見方にニュートラルはないんですよ
ある現実に対して好きでなかったら
もう半分嫌いなんて不満があるんですよね
そのはずですよ僕ら機械じゃない
ある現実を見て好きでも嫌いでもないっていう
ニュートラルは選べない
僕らは好きか好きじゃないんだったら少し嫌いか
だいぶ嫌いか相当嫌いか大嫌いか
なる好きか嫌いかになっちゃうってことですね
だから脱出ゲームの時は
周りが大体みんな嫌いじゃないですか
少なくとも半分以上は嫌いだと思うんですね
そこから脱出しようとしてるんだから
でもリアルゲームに切り替わったら好きになっておくよりほか
仕方がないんですねそうじゃないと脱出ゲームと
人との関係は一期一会が良い
同じことになってしまうので
よほど苦しいなと思ったら好きになる方法を模索する
これが観点を変える解釈を変えるってやつです
そうしないと
多分リアルゲームをいつまで経っても
出られるようにはならなくて
いやずっと脱出ゲームしてればいいんですっていう方も
いらっしゃるかもしれないけれどもそれはつまり
人生をずっと脱出の様相で染めるってことになっちゃう
と思うんですよね
これはですね
少なくとも僕はそれが幸せっていうことはないんじゃないかな
という感じがするんですよね
でもここはもうある意味価値観だし
やっぱりここはリアルにそれこそ接してみて
お話を伺わないと分かんない
でも聞いている限りはですね
やっぱりほとんど私たちは生き物なんで
現実好きになりたいんですよ
現実は全部嫌いでもいいんですっていうのは
例えばこれから食べる朝食
僕まだ食べてないから食事の物は全部嫌いだけど
食べるとかね
あのなんか給食のコスコっていたじゃないですか
僕あれいつ見ててもかわいそうだと思ってたんですよ
僕は全部平気で食える人間だったんで
どれを取っても嫌いなのに全部食うまで返してくれないとかね
いじめになっちゃうじゃないですか
こういう風に生きていくってことだと思うんですよね
好きなものないわけですから
非常に極端な感じがするかもしれないですけど
でも僕らはやっぱり好きか嫌いかになる
例えば食べ物だったらこれは好きでも嫌いでもない
それも好きでも嫌いでもないっていう人を僕は
でも食事は全部ちゃんとしますっていう人はですね
なんか不可解なものを感じてしまうし
あまり見たことがないんですよそういう方はね
やっぱり僕ら接するものは好きになるか
出なければ嫌いになる
そして現実というものはですね
面白いことと言うべきなのかわかりません
面白くないかもしれないんですけど
好きなものに取り囲まれているという状態でないならば
その現実は嫌なものになっていくだろうなと思うんですね
ここにはですね
だいぶ前に繰り返し登場してきた
本が出てくるんですよ
断片化されたものがですね頭の中で頑張っちゃっている感じがするんですね
例えば好きじゃない上司ってだいたいそうなんですよ
この人の全貌なんて知らないんですよね
例えば私の
これを聞いてる人で私のことがすごい嫌いだって人は
少ないと思うんだけどいても
私の本が嫌いだっていう人は
私の部分を必ず頭の中に置いてると思うんですよね
全体像を意識するってのは難しいと思うんです
好きでなければ
だから現実が断片化していくということが起きて
例えば苦手な業務とか苦手な部活とか
私はこういうところが苦手意識あるんですみたいに
全部断片化してるんです
全体像が見えなくなっているときに
これが起こりやすい
すごくそう起こりやすいんですよ
よくあるじゃないですかドラマとかでも
あれも断片のつなぎ合わせなんだけど
犯人の老いたちから全部知ると
犯人が憎めなくなるみたいな話ってよくあるじゃないですか
すごいひどいことをやってる殺人犯とかなんだけど
子供の時からすごい苦労させられて頑張ってたんだけど
そういう時にちょうど悪いヤクザみたいな人に
なんかこう搾取されてみたいな話を見ていると
なんか悪いことしたけどこの人は
嫌いになれないみたいになるじゃないですか
全部を知るとああなりやすいんですよ
だから逆が起こるんですよね
嫌だと断片化しやすいんですよ
そして断片化するとすごく嫌になっていく傾向があるんですね
上司のことを家でも考えているときって
絶対その上司のことが大好きではないときが多いと思うんですよ
例外が恋人なんだけどね
でもこの恋人はすぐ反転しますからね
あれはその恋人の一部みたいなものを
やたら美化して脳内にずっと置いておいた結果
よく起こる現象なんですね
だから僕は人との関係は一期一会が絶対いいと思うんですね
これはもう禅の教えとか関係なく
人との関係は
その人が会っているときが全てだと思うんですね
私は家族ですらそういうふうになるべく
頑張ってするようにして
逆に先日とかのミーティングで
大橋さんなりJさんなりとミーティングしているときは
その時だけはその人のことをすごい好きになっておいて
切れたら極力即忘れるようにする
そうしないと断片を頭に残すと
心に残すと思うんですけど
内的部分対象
部分対象に対する好き嫌い
6文字熟語なんだけど
これは嫌うんですよ僕らは
内的部分対象なんてのはおかしいですからね
相手じゃないしね
相手のイメージでしかないものであり
結局のところ心はそれを自分で持っておくのは煩わしいんですよ
そしてその人に対するネガティブな記憶というものと
結びつきやすくなる
その人に対するネガティブな記憶と結びつかなくても
他の人に対するネガティブな記憶とその人を結びつけてしまう
これは本当僕らやってて
図に書いたらよっぽど変なことしてると思うんだけど
心の中でやるときは全然不思議だと思ってないんですよね
例えばJさんそっくりのちょっとイケてる顔の
お兄さんと昔知り合いでそいつにいじめられました
だからJのことはどうも好きになれないって平気で言うんですよね
それ顔が似てるしかも似てない可能性も高いんですよね
似てるっていうだけなんですよ
これが部分対象で僕らが平気でやっている
一つのことなんですよね
自分の中に顔があってそれと似た形のパズルに嫌悪感があって
それとそれをリンクさせることにより
両方嫌いになりましたみたいな
これ図に書いたらすごい変だと思いますよ
でもこれは僕の中のリアルですからと
インナーリアルって言うんですけどね
あるいは心の現実とかメンタルリアリティって言うんだけど
全然リアルじゃないだろうと思うんだけど
これを僕らはリアルだと信じられる生き物なんですよ
およそですね合っている人と合ってない時のイメージを持つのは
恋愛関係にでもない時は絶対良した方が良くて
実は恋愛関係でも絶対良した方が良い
恋愛関係は特に良した方が良いと思うんだけど
恋愛中これやっちゃいますからね若い人は
だから喧嘩するんですよね猛烈な
その辺は僕は今よく分かるんだけど
若い子が全然分かんなかったから
あれが不思議で不思議でしょうがなかったんですよね
あれが必ず起きましたからね
しかも必ず起きた時には少し変だなって思ったんですけどね
だって必ず起こるということは
そこに法則性のものが働いているわけだから
おかしいわけですよねおかしいなーって思ってたんですけどね
まあまあそんなことがありますので
人と会う時は一期一会が絶対良いと思いますね
そして
好きだという前提で
行くのが良いと思うんですよね
どうしてかというと
好きじゃないと嫌いになっちゃうからなんですよね
さっきも言った通り僕らは
要はニュートラルじゃないから好きじゃなければ
もう嫌いになっていくことになると思うんですよね
好き嫌いって平気で反転するじゃないですか
しかも根拠がいい加減じゃないですか
別に多分何の根拠もないと思うんですよね
この人は信用が起きるから好きだとかじゃなくて
好きだと言ったら信用ができなくても好きなんだけど
根拠とかは
根拠にうるさい人はここで根拠を一生懸命挙げるんだけど
だいたい根拠って雑なんですよ
好き嫌いの根拠って
漫画ですけど
鈴鹿治虫さんの火の鳥の宇宙編という漫画の中で
奈々って女の人がやたらモテるんですけど
最初に恋人だった人に
いるんですね
木崎さんとか言ったかな
木崎さんって男はあんまり感じのいい人じゃないんだけど
付き合ってるわけですよね
だけどそこに牧村っていう非常に分けありの人が登場して
結局奈々はそっちに惹かれていくんだけど
奈々は牧村さんのことを好きになるんですけど
その根拠というのがすごく怪しいんですよ
子供のとき読んだときはちょっとよくわかんなかったんだけど
なんか納得しちゃってたんですけど
鈴鹿さんはすごいんで納得しちゃうんですけど
よく考えてみるとこの奈々って女の人がやってることは
全然納得いかない感じなんですよね
木崎さんをする理由がですね
木崎さんが牧村を殺そうとするからなんですよ
それはわかりますけどね
木崎さんは嫉妬して
牧村を殺そうとするんで
奈々もそんな人殺しだから木崎さんのことは冷めてしまったとかって言うんだけど
奈々はですね最後まで牧村が大好きで
結局宇宙のるけい星とかいうよくわかんない星で
永久にここで2人で過ごすみたいなことを言って
自分は植物みたいななんか不気味なものになっちゃう
そういう話なんですけどね
ネタバレしちゃってますが
別にこのネタバレほぼ無意味なネタバレなんで
これで面白さは損なわれないんで
気になったら読んでみてほしいんですが
何が言いたいかというとこの牧村っていう人は
めっちゃ人殺してるんですよ
人じゃないのかな
でもとにかく無茶苦茶なことやってるんで
だからるけい星とかで罰受けることになってるんですけど
あれシジフォスの神話のあれですね
あるいはサイの変わらずみみたいな世界ですね
でも牧村のことは好きなんですよ
これってすごいおかしいじゃないですか
私これ子供の時も変だと思ったんだけど
木崎さんは牧村を殺人未遂して
だから奈々は木崎さんが
その時大阪医に私は気持ちが消えたとかって言うんだけど
じゃあ牧村に対する気持ちはなんで消えないんだっていう
あの人はなんかシリアルキャラみたいな人なんですよね
ある意味
まあこれはものすごく極端ですけど
でもこれを納得させる力が人の好き嫌いには
なぜかあるんですよね
好きに納得する難しさ
あの話全く納得いかないなっていうの
反応は読んでてめずる
あんまりないんですよね
この点で納得がいかない
この点はみんな意識はしてるんですけど
ブログとかで読むとね
好き嫌いってのは人にとってはそういうもんだと思う
まあこれは半分期が狂ってるみたいなところもありますけれども
それに近いところがあると思うんで
根拠とかでは人を好きになったり嫌いになったりするのは
難しいだろうなと思うんです
ということはですね
好きに納得ってのは難しいことじゃないんですよ
しかもその場だけは
一期一会だからね
結局部分対象好きになってもしょうがないんで
大体部分対象好きになりにくいものは
部分対象好きになってもしょうがないんで
リアルな人を好きになるって言うんであれば
リアルな時だけってことは難しくないと思う
特に仕事とかではそうであった方が上手くいくと思うんですよね
まず好きになっておき
その時だけ好きになるみたいな
関わる時だけでとりあえず
何かをやるんですよね僕らはね
だって電車の中とかでそうじゃないですか
たぶん二度と会わない人たちに不満を持ちますよね
これ先日お話ししたやつですけどね
まあそうそう好きにはなんないですよね
でもだったら嫌いになる理由って本当はないはずなんだけど
人ごみや苦手意識の根拠薄弱さ
軽く人ごみとかって
大体言ってる言葉からしても
他人に対するいかなる意味でも好意は感じられない
必ずしもネガティブとかで言えないかもしれませんけど
人ごみって言葉はポジティブな言葉じゃないですよね
これも結局僕らはニュートラルじゃない証拠だなって思うんですよ
でも電車降りたら大体忘れるじゃないですか
よほど嫌なことでもそこで起きない限りは大体忘れられる
この逆の方がいいと思うんですよね
好き嫌いに関して言えば
好きになっておく
これは私はだいたい万薬を平気でやってた人間だから無理だろうと正直思ったんだけど
全然無理じゃないですよねこれは
やっぱり人間の好き嫌いは根拠薄弱でいいんですよ
特に理由はいらないんですよね
だってさっきのそんな事実はないんだけど
Jに似た人にむかしいじめられたからどうしても何をしてくれても好きになれないって
僕らは割と平気でやるじゃないですか
例えばある種の苦手意識とかも大体根拠は薄弱じゃないですか
いきなりまず持ってますよね
どうもああいうことは苦手だとかどうもああいう人は苦手だとか
この言葉自体に根拠がいい加減であるってことを
まるで言ってるようなところじゃない
どうもだからですね
なぜかわからないがとかって言うじゃないですか
必ずしも嫌なことがあるわけじゃないとかってね
すごく言い訳がましいことを言って
でも嫌いであることは確実だみたいな
そういう変な確信を抱いてますよね
だからこれ多分逆転させるのはそう難しくないんですよ
さっき子供言ったように好きな人が大嫌いになるという逆転現象は
好きな人や仕事に関しての感情の保持
現にみんな体験してるはずだと僕は思うんで
これは親に対する逆転現象を投影してると思うんで
つまり親に対してそう思ったことのない人は
僕はいないと思っているんですよ
おそらく親に対しては恋愛感情から殺意まで持ったことがあると思うんです
この根拠も僕はすごい薄弱だなって思うんですよね
なぜならみんなが持ってるってことから考えて
良い親もいれば悪い親も
この際そうやって言っておきますけどいるじゃないですか
にもかかわらず全ての親に対して子供は
多分深い愛情とかなりの憎しみを両方持ったことがあるというのは
この感情というのにそこほどの根拠は感じられない
そして初対面の人にわざわざ言い訳を言い訳して
親に対しては恋愛感情から殺意まで持ったことがあると思うんです
この根拠で馬を抱くぐらいなら
無根拠で好きになっておきゃいいと思うんですよね
そこで警戒心が働いちゃうんだって人は言うんですけれども
その警戒心を働かせるコストは
明らかに割に合わない
コストという言い方をすれば
そういうものなんじゃないかと
だから好きになっておいて
仕事に関しては好きになっておいて
だから好きになっておいて
仕事をして別れたら
別れたっていうかその人が目の前からいなくなったら
基本忘れる
好きなら覚えておいてもいいんだけど
でも大体ここで覚えておくということを
イメージするとか記憶想起するとか意識するってことは
僕の知る限りそんなにいい結末を迎える感じがしないんです
やっぱりパッと手放すと
そしてあれじゃないですか
好きで会いたいんだったらまた再会すればいいわけだし
仕事であればどうせ再会するじゃないですか
このどうせ再会するのに不満を持っておき
まず根拠もなくあるいは警戒心とかいう
かなり曖昧なメリットのために
不満を持っておいて
その不満を脳内で後で肥大化させていくっていうのは
どう考えてもその人からの脱出ゲームになってしまって
しかもそれをリアルゲームのやり方でやっても
ダメだろうなって感じがやっぱりちょっとするわけですよ