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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
年末で、もうすでに昨日ですね、振り返り、全然振り返りの話にならなかった気もするんですが、
いろいろエヴァノートとかね、ライフログが僕の手元にはあるので、振り返ってみたりしているんですけれども、
まあまあ、毎年同じようなことをやっているようで、結局結構違うことをやるんだなと。
象徴的というわけではないんですけど、今、間もなく脱稿する本の原稿のゲラがこのタイミングで渡されたんですね。
つまり、正月で見ましょうね、という初行ゲラなんですよ。
別に文句言ってらっしゃらないんですよ。
要するに、自分はずっとこれをやっているなというのが、年末年始にやっていることって、結局ずっとやっていることだと思うんですよね、その人がある意味では。
まさにこれを自分はずっとやってきているんだなと思いました。
で、やっぱり去年の暮れの頃も、ゲラではなかったんですけど、やっぱり結構原稿に追われているか、追われちゃいないんですけどね。
なんかこう、よくある漫画みたいに編集さんが追ってきているみたいな、そういうインパクトは、僕がそういうのを持ったことは本当に一時だけだったんですが、
そういうことではないけれども、でも年末年始もこれを見ていると、ゲラを見ているというのが今の自分なんだなとは思います。
それで、というふうにいろいろ振り返ってみると、やっぱりこのグッドモーニングバイブスはね、全部聞き返す暇とかは到底ないので、
ざざっとタイトルを見て、興味のあったやつだけを聞き返したりもしているんですけれども、
ちょこっとですね、全部聞き返す暇とかは本当にあり得ないので、一日中やってても終わらないと思いますからね。
やっぱり精神分析が圧倒的に増えてきている。
これは反動も間違いなくありますね。
今までずっとこれを封印してきたから、特にですね、やっぱり好きだろうと何であろうと、行動経済学を紹介したかったんですよ。
あれは比較的新しいというか、最新に近いんでいいんだけど、ネタがすぐ途切れるんですよね。
面白い話ばっかりガンガン上がってこないので、やっぱりネタ待ちですからね、研究結果を待っている側としては、
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ライフハック好きな人が読んで何ら違和感なく読めるものというのを探していくと、結構すぐ尽きるわけです。
行動科学、いわゆるネズミのレバー倒しですけれども、あれも大変面白いんですが、
やっぱり限界はありまして、全部ネズミのレバー倒しで説明しようとするものですから、やっぱり限界がすぐあるんですよね。
そうは言っても、かなり基礎的な話でも、そんなには知られていない面もいっぱいあるので、割とそれで本を書けたりもするんですけれども、
日常に応用しようとしたときには、仕掛け学とかいうのも本として出ましたけれども、面白いと思うんですけれども、限度があります。
例えば、行動科学だけで本一冊書けるかというと、結構際どいところがあるわけです。
やっぱり行動、肉体のスキルアップじゃないんでね、本格というのは。
鉄棒は間違いなく行動科学的にやれば上手くなるわけですよ。鉄棒とかだったら。
テニスとかでもかなりスキル的なものを要求されますが、なんとかなるんですよ。
でも本格というのは、指先のスキルではないので全然違いますよね。
指先のスキルはタッチタイピングのスキルなので、タッチタイピングのスキルは間違いなくあれで上手くなるんですよ。
昔北斗の剣のタッチタイプとかがすごい売れましたよね。まさにああいうのが行動科学の上手い応用例だと思うんですね。
でもあれは、あれでできるようになるのはタッチタイプであって、文章を作ることではないんですね。
文章書き上げ塾、倉園さんとやっている書き上げ塾が5期スタートしてますが、
なんとまだ何とかやりたいという方がもしいらっしゃったら、あと1か月くらいは、1席くらいだと思いますが、何とかなるので、
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まだ申し込みができる状態であればですけど、つまりこの段階は企画を立てる段階なので、
書き始めるのが1か月後くらいからでも間に合うような設定、5ヶ月ありますからね。
5ヶ月で3万字いければ十分だと思いますので、文字数というのはその人のテーマによりますけれども、
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よろしければご参加ください。
というわけで、ずっと長く基本的には黙っていた精神分析がブワッとここに来て出てきていると。
やっぱりやっててよかったんだなというのを最近2つほど報告いただいた話にありまして、
1つは夢分析読むようになったという話を聞いて、僕は衝撃を受けたんですよ、本当に。
夢分析というのは多分、買っている人はいっぱいいると思います。
新潮文庫のやつで夢分析読むといいぞみたいな、しかも夢分析ってすごいかっこいい感じがするじゃないですか。
夢を分析すると全く新しいことが分かってくる。
フロイトが、精神分析って彼も名付けちゃってますけどね、あれを出した時もそういうワクワク感があったんですよ。
DHロレンスっていうチャタレー裁判で有名になっちゃった作家さんがいますが、
彼なんかはそのワクワク感を同時代でまともに書いてますから、こんなにワクワクさせられる学問研究にぶち当たって読んでみたら、とってもがっかりしたっていうのがあるんですよ。
私なんかに寄せればDHロレンスはまさにフロイト的なんですけれどもね、
フロイトが書いていることを小説に書いたらああなるだろうっていう小説家なんですけれども、
それでも彼はフロイトが非常に興味を持つんだけど、結局DHロレンスという人は素直な人じゃないので、
ああいうことになっちゃうかもしれないんですけど、あなたフロイトじゃないですかっていう気がするんですけど、あんまりフロイトのことをよくは言ってないです。
そういうこともあって、夢分析を読んでいるというのが私の影響なんでしょうね。
だとすると非常にちょっとびっくりだし、なかなかやっててよかった感が、こういう方は一人いらっしゃればもう十分だと思うんですよ。
夢分析なんて読まないですから、本当に。精神分析の人は読みますよ、絶対に。
あれを読まないということは考えられないけど、まあまあ読まないですよ。
もう一つは、こちらは夫をグーで殴る私をやめたいみたいな漫画を、あれはフェミニズムの漫画なんですけどね、
あっちだったらまだ若者です。それでも多分これを読むことは、私が言う話をしなければまず読まれることはなかったかもしれないなっていうので、やっぱりとてもよかったなと思うんですよ。
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フェミニズムの観点というのは、やっぱりそれ好きな人じゃないと読まないですからね。
そしてフェミニズムというものがいろんな意味で精神分析と、どんなにお互い仲が悪くなっても意識し合わないようにはいかないんですよ。
母親って言っちゃいますからね。実母じゃないって私は必ずフォロー入れますけど、これはフェミニストの人のためにフォロー入れてるわけでもないんですよ。
実母じゃないっていうのは男親でもいいからなんですよ。でも母親って言いますからね。ここがもうダメだって言われればダメでしょうし、しかも実証科学とかではないじゃないですか。
実証科学の世界で父親が母親ですってわけわかんないじゃないですか。父親が母親ですってなんか呪文みたいになっちゃいますよね。
でも父親が母親ですっていうのは精神分析的には全然おかしな話ではないと思うので。この精神分析って言葉なんですよね。
夢分析の本っていきなりあれを大学生が読めば当然わけがわからないはずです。特にきちんとした教育を受けている人ほどダメだと思うんです。
きちんとした教育を受けていない人がそもそもあんなものに手を出そうとは多分思わないと思うんですけど、きちんとした教育を受けているということは、つまり実証科学的だということですよね。
私たちはマテリアルなものを信じているわけですね。物質的なものこそがあると信じているわけです。
だから物質的なものが例えば変化するとなったらもう100%絶対変化しないといけないわけですよね。
この家族は心理学をそれに近づけたから偉かったわけですけれども、心理学はそうはでもいかないじゃないですか。人によっては反応って違うから。
リトモスシーによく言いますけれども、レモンの水をつけると赤くなるとか、100%赤くならなかったらダメじゃないですか。
マテリアルなものですし、科学ですからね。赤くなるんだけれども多くの場合、たまに白くなっちゃうんだよなみたいなのはダメなわけです。
そういうのは科学とは基本的に見なされない。でも夢分析となってくると、だから夢占いと夢分析の違いなんだみたいに言われちゃうんですけどね。
お父さんの夢が出てきました。ということはそれはエリプスコンプレックスですとかって、そんなことは100%言えるはずはないんですよ。ありえないですよね、そういうことを100%言うっていうのは。
でもあれは、分析って名前がいけないのであって、僕はかっこいいから広まったという点で、ある意味あれはマーケティングの勝利みたいな意味があるなと思うんだけれども、名前としてはまずい名前なんじゃないかなと思うんですね。
フロイトがすごいのは、カウンセリングというものを徹底的にベースに置いたことなんです。
理論を構築しようと必死になった時代ですから、万有引力から次期のエネルギー保存の法則みたいなやつですね。
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あの頃エネルギーというものを科学的に扱えるようになったので、フロイトみたいな人がですね、あの人はそれこそちゃんとした大学を出ているすごいエリートなので、
当然、心のエネルギーとかいうことを言いたくなるわけですよね。リビドとかって言うわけじゃないですか。
しかもそのリビドが完全に間違ってるとは言えないからいよいよややこしいんですけど、性欲っていう風に訳されちゃってますよね。
でもリビドは性欲とイコールなのかっていうと、はっきり言って大いに疑わしい気がするんですよ。
彼が言ってるリビドっていうのは、固着って言うんですけれども、固着っていうのはつまりこだわっちゃうということなんですね。
過去の何かにこだわっちゃう。そういう意味では、なんて言うんですかね、それが性欲であることももちろんあるし、
しかもフロイトのいう性欲って幅が広いので、それも性欲あれも性欲ならば確かに性欲なんだけれども、
以前でなくてもなんでもいいんですよ。
カウンセリングってどうしてもやっぱり子供の頃の話に行くじゃないですか。
子供の頃の話になぜ行くかというと、過去を遡りたくなるからですよね。
だいたいカウンセリングをやってれば、どういうカウンセリングであっても正式なものであろうと、
結構ヤバめなものであろうと、ここに行くはずなんですよね。
その人の話はなんか不思議だなとか、なんかちょっとこの人ずれてる気がするなって思うわけですね、話を聞いていると。
そのずれってのはみんなにあるわけですが、このずれは一体どうして発生したんだろうって思うわけですよ。
どうして発生したんだろうというのをちょっと探ってみれば、
だいたいご家族の何かとか、大学に落ちたとか出てくるわけですよ。
過去のことですよね。
大学に落ちたことがそんなに引きずっているというのならば、大学に行きたかったんですよ。
大学にそんなに行きたかったのがどうしてなのかという話をしたときに、
リビドウというのが出てくるわけですね。
心のエネルギーをそこにいっぱい投入したんですよっていう。
だけど結果が2回受けても3回受けても、大学のレベルを下げても受からなくて、
それ以来という話になったら、やっぱりそこには何かをこだわりがあると思うしかないですよね。
こだわりがあるということは、どいたけおさんの話じゃないですけど、甘えがあるということじゃないですか。
こだわったまま自分は今もいるんですというのは、何かに甘えがあるということだし、
甘えというのがすごく幅広く性的なんですよ。セクシャルなものなんですね。性欲なんですよ。
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甘えというと、甘えた声とかも言うじゃないですか。
その固着しているというのがこだわっているということなんですよ。
リビドウが固着しているというのは、こだわっているということです。
その人の心のエネルギーは未だに大学に向かっているわけですよ。
その大学に心のエネルギーを投入して、その先の展開を見ているわけですよ。
この大学に行き、英語学科とかに行って、アメリカに留学もしできて、
何か素敵な彼女でも見つかってとか、あるわけですよ。
そうすると、そこには絵がありますよね。イメージがあります。
リビドウはイリュージョンを作り出すんですね。
そのイリュージョンにこだわっているから、今自分がやってやるかもしれないことになっている。
例えば、市役所で働くとか、ある人から見れば、
すごい市役所で働くということにこそエネルギーを投入するんだけど、
その人は市役所で働くということが全然面白くない。
フロイトに言わせると、それはリビドウがというエネルギーがですね、
大学の方に、英語の方に向かっちゃっているから、市役所の方には向かわないから、
全然面白くないんだって話になってくるわけですよ。
ということを夢分析の中には書いてあるんだけども、
夢分析というタイトルからこれを連想することはないじゃないですか、あんまり。
だけれども、実際カウンセリングというものをやっていると絶対こういう話になるんですよね。
こういう話って黙っていても何度も聞いていれば出てくるんですよ。
その人は結局過去のことを話し始める。
その過去のことというのも本当か嘘か分からないわけですよ。
その辺ですごくグッドバイブスと似てくるところがあるわけです。
なぜならグッドバイブスもある意味カウンセリング的だから、
多分倉園さん自身がセルフカウンセリングしたことと関係があり、
身近な人とのカウンセリングが必要なような関係の中で、
私との関係も最初そういうところがありましたから、
中で培ってくるものはそういう話になっていくし、
そこを理論立てようとすると似てくるんですね、この種の話はどれも。
やっぱりどうしても過去何があったのか、そして何よりも大事なのは本当にあったのか。
フロイトはここでつまずいたわけです。
最初は本当にあったんだと思いました、彼は。
ヒステリーという問題は、つまりトラウマだと最初は考えた。
トラウマだということは、さっきの大学受験じゃないですけど、
大学受験は本当に行ったわけですよね。
大学に本当に受験して、大学の受験勉強も本当にして、
大学に本当に落ちたんですよね。
これ当たり前じゃないかと思われそうですが、
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それではないはずなんですよ。
例えば、じゃあ大学に行ければ人生バラ色だったはずなのに、
その人が一生懸命言ってるとして、それ本当なんですか?
っていうと、どこから本当で、どこから本当じゃないかっていうのの
区別が必要になってきますよね。
明らかにそこを大学に受かってさえいれば人生バラ色だというのは、
本当じゃなさそうな日がするんですよ。
そしてここからがややこしくなってくるところで、
人によってはですね、実は大学受験してもいないのに、
大学受験したと思い込んでる人とかが出てくるわけです。
ここで多分最初にフロイトはつまずいたんですよ。
ヒステリーという昔のことを一生懸命言う人がいっぱいいたわけです、当時。
いっぱいお医者、結局最初にフロイトは医者になるんだけど、
医者になってもそういう人たちが来るわけですよ。
ヒステリーは体の不調を訴える心身症なので、
体のどこがどこで動きませんとか声が出ませんとか言うんで、
当然喉を調べたりするんだけど、何も問題がない。
ここからということは精神分析って話になっていくわけじゃないですか、今の時代なら。
そこから入ったんですよ。
そうすると結局それは心理的な問題なんだけど、
心理的な問題だということはですね、本当か嘘かは本当はわからないわけですよね。
お父さんが実はちょっと良くない人でみたいなことを言ってるんだけど、
会ってみるといい人だったりするわけですよね。
そうするとそもそもいい人ってどういうことなんだろうとか、
お父さんにされたと言ってることは本当にされたんだろうかとかいうことが出てくるわけです。
そこでメンタルリアリティって話になってくるわけですよ。
心的現実みたいな話になってくるけれども、
そんなことを言ってしまったらですね、夢と同じじゃないですか。
つまり本当になかったんだけれども、大学受験一生懸命したとその人は思い込んでるんですけど、
実は真っ赤な嘘でしたということは、実際にそういう人はいらっしゃるんですけれども、
じゃあそいつにお前は嘘つきだって言ってもダメなんですよ。
その人は本当に受験をしたと思い込もうとしてるし、少なくとも、
心のどっかで怪しいなと思ってるかもしれないけれども、
でも自分も大学受験をしたんだと、何回も受けて落ちたんだと、
いうふうに思い込んでるケースもあるんですね。
これを嘘だとも言えない、でも本当ではない。
こういう話が私たちの見る夢とよく似ているわけですよね。
夢を見たというのは本当ですよね。
でも夢の中で起こった出来事は実際には起こってませんよね。
こういう心理的な機能が私たちにはありまして、
それははなかだ本人を困惑させるわけですね。
本当にやったわけじゃないんだけれども、本当にやったことのように
自分をそれにこだわらせる、縛りつけてしまう。
そうするとその人の現実に対して決していい働きはしないことがあるので、
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本人はすごく困惑するということになるわけですね。
そういうことってだいたいが、生育歴とか、養育歴とか、
入幼児の時代とか、完全に忘れてしまっている。
この忘れている理由もフロイトの説明は私はなっていないと思うんだけれども、
でも忘れているってことが大事でしょっていう話なんです。
2歳以下の頃のことは僕らは忘れているし、
私たちはだいたい見た夢のことも忘れているんですよ。
2つの意味でこれは大事で、忘れているこだわりがあるという、
変なんですけどね、こだわってるのに忘れている。
こだわってるのに思い出せない。
でもやっぱり思い出したくないことって、
先日シベリア翼流の特集やってて過酷極まりない感じでしたけど、
喋んないと言うんですよね、絶対に。思い出したくないんですよ。
でもこだわってはいるじゃないですか。
私たちはことが深刻になってくると、思い出したくはないけど、
こだわっているってことが出てくる。
しかもですよ、それがシベリア翼流みたいに過酷とはいえ事実あったことならば、
まだ記憶は扱いやすいんですけれども、
事実あったわけでもないんだけど、それに酷くこだわっているんだけれども、
にもかかわらずそれは実際にあったことではない。
例えば悪夢がトラウマになっているみたいな話になってくると、
もう取り扱えないんですよ。本人にはとてもじゃないけど。
それを思い出したくはない。
でも自分の心はそれにこだわってしまっている。
しかもそれは事実あったこととも言いがたい。
っていう話になってくると、
本人にとってもどうしていいんだかさっぱりわからないじゃないですか。
でも僕たちってどうしていいんだかさっぱりわからない自分の性癖みたいなものに
よく苦しめられますよね。
例えば私でいうと静電気みたいなものですよ。
よく苦しめられるわけです。
なぜそれに自分がそんなに怯えているのかはよくわからないわけです。
他の人を見てもそこまで私ほど気にはしていないし、
しかも私だって静電気のために致命的な怪我を負ったとかいうことは一回もないわけですよ。
それで火事になったとかいうこともないわけですね。
だから事実そういう私がこだわっているほどのことは起きていない。
事実はそういう事実はなくて、
しかしこだわらせられていて、
本人の現実生活には真冬になったりすると多少差し支える。
こういうことはあるんですよね、なぜなのか。
そういうのを探りに行くときには夢とか、
2歳以前の自分は完全に幼児期健忘ってフロイターを名付けたんですけど、
そういった思い出せないようなことに秘密があるというか、鍵があるんだというふうに考えるんですね。
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そこに何か固着しちゃっている。
固着って今あんまり精神分析では重視しないかもしれませんけど、
何かこだわってしまっていることが、心が勝手にこだわってしまっていることがあって、
それをまず見つけていかないと。
この見つけていく作業は自分一人では今言ったように、
混乱の渦に巻き込まれて無理になってしまうので、
他の人と一緒にやりましょうねという話なんです。
これを今言った通りのものだと仮にして、
分析と言うべきなのか、疑わしい気がするんですよね。
これ分析ではないんじゃないかと私は思わなくもないんです。
ただ、例えば自助伝とかあるじゃないですか。
自伝書きましょうみたいな、自分紙書いたぐらいではうまくいくケースもありますよ、もちろん。
でも自分紙書いたぐらいではうまくいかないケースが多いです。
一つには自分紙というのは書くときに既に価値観があるんですよ。
よく言うじゃないですか、自分紙の中で自分で成功したことをこっちに書く。
自分としては残念だったことをこっちに書く。
ここに一つの価値観がありますよね。
こいつ自体を揺さぶりをかけないと、
その本人にとっての効果って薄いと思うんですよ。
自分の現在の価値観そのものが自分を苦しめてるっていうケースが厚いんですよね。
これを使うべきケースなわけですね。
ライハックもある意味そうですよ。
変化というものを求めるということは、
今のまんまの状態で完全にあるがままでいいってグッドバイブスで言うんですけど、
それはあるがままではいけないとその人が思ってるせいなんですね。
だからあるがままではいけないと思ってるのは、やっぱり固着があるケースが多いんですよ。
あるがままの自分でいいはずがない。
大学2回も受けて落ちたんだからとかってのは、
これは本人のこだわりじゃないですか。
しかもその人が実は落ちてなかったりすると、
一層話がわけわからんではないですか。
その人が自分史を書いたからといってうまくいくケースはあると思うんですけど、
自分で自分史を眺めただけでは十分ではない場合が多いんですね。
やっぱり自分はここで2回も大学に失敗して本当にダメだって思うだけではダメですよね。
十分じゃないですよ。
他人が聞けば絶対にそうは思わないんですよ。
なぜこの人はこれにこんなにこだわってるんだろうと。
特にカウンセリング的な資質がある人は必ずこの疑問を持つと思うんです。
そこでさっきも言ったように、過去に遡っていくと。
この過去に遡っていくっていうのは結局、記憶を探っていくって話であって、
過去には遡れないから。
記憶を探っていくって話であって、
記憶を探るのはどうしてかというと、
リビドーがそこで止まっちゃってるからなんですね。
これは重度ではなくても比較的中度のちょっと神経症気味の人とお話になってみると、
必ず皆さん気づくことだと思うんですけど、
この人って年齢にしてはちょっと子供っぽいこと言うなって感じると思うんですね。
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この種の問題で悩んでる人は。
理由はある年齢のところで固着が起こってしまっていて、
そこの年齢のところに強いこだわりがあるから、
例えばどう見ても実際には50代半ばなんだけれども、
そのこだわりは思春期の問題だっていう感じのことが少なくないわけです。
という話が実際のところは夢分析というものの中にあったりするわけです。
まあ夫をグーで殴る私をやめたいもそうなんですよ。
その固着の多くの原因は自分では相当の一定の努力をしないと思い出すことすら困難で、
思い出したとしても事実であるということを認定することは多分できなくて、
ただ問題なのはなぜそのようなこだわりが生まれてくるのかと。
そこで例のあれですよ、母親という言葉をどう扱うかなんですね。
それはある種の社会的な方面からすると受け入れがたい言葉かもしれないんですが、
でもやっぱり最初に出会う人間は母親だからここに大きなポイントが発生してしまうじゃないかと、
その意図は考えたわけです。