00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日は、気がつくとやるタイミングを失っていました。
今日も時間的には出遅れがちになっています。
不思議で、別に学校もお休みになったので、もっとスムーズに行きそうです。
気がつくと、時間が無くなっているのです。
昨日は撮る時間もなく、夜が来ていました。
夜は早いということもありますが、
このまま行くと、年末全部これで無くなっていくと思ったので、
撮る時間を確立させようと思いました。
昨日は、夜明けにバタバタしていたということもあるのですが、
寒かったからか、眠れなかった感もあって、
ぼんやりしているし、朝がどんどん終わってしまったという感じでした。
あまりないことです。
今日とか、年末じゃないですか。
振り返りをしようかとか、いろいろ考えたのですが、
いろいろ考えると、また落とすことにしかならないと思ったので、
とりあえず、いろいろ考えずに、普通に行くことにします。
今回、何をCMするか悩んじゃっているくらいですが、
最初の整理で100%役に立つノートシステムを手に入れるというタイトルで、
デジカルさんというところからアンリミで出している、
短めの紙にすると50ページくらいしかない電子書籍がアンリミ対応で出ています。
この話をしようかなと思っているのですが、
これは私としては、ある意味第1弾となる、
ウッドバイブスなライフハックみたいなものです。
ライフハックなんだけど、ウッドバイブスで行く。
とりあえず、ここ1年は何となくそういうテーマが背景にあって、
これからそういうのをやや本格的にやりたいかなと思っております。
やっぱり、ずっと長らくライフハック界隈でやらせていただいているので、
ウッドバイブスになると、当然、ぐっと舵を切っちゃうことになりますが、
03:01
ライフハックをやめずにウッドバイブスで行くということを合流させると、
どうしてもこの辺の話をまずは打ち立てていくしかないなと。
本を書くにしても急に精神分析の話とか、僕が書くのは無理があると思うんですね。
やったことはないわけだし、精神分析を勉強しているライフハッカーの
精神分析の本ですというのは、やっぱり不十分ですよね。
なので、とりあえずまずはウッドバイブスというか、
こういうものを織り込んだライフハックというのを、
どういうやり方になっていくのかをお伝えできるというのは、
割と悪くないんじゃないかと。
今回、かなり懸念はしていたんですよ、この最初の整理での本も。
中身がないってこともないんですけど、たったこれだけのことを50ページくらいですからね。
どう受け止められるものなんだろうと。
その辺はイリュージョンも多々あるんですけど、
面白いことに、例えばAmazonのカツタマレビューを見ると、
星5が48%なんですけど、ついで多いのが星1の16%で、
あとは横ばいみたいな感じなんですね。
これ数はそんなに多くないので、たぶん13件しかないうちの星5が6件で、
星4と2が1件ずつで、たぶん星3と1が2件ずつだと思うんですよね。
で、たぶん6足す1足す2足す1足す2で、
1足す2足す1足す2はいくつだろう?
あ、もう1つ足りませんね。
でもこの辺だと思うんですよ、実際には。
なんてことはないというか、少ないじゃんっていう感じなんですね。
だからこの少なさでは全体統計測れないんですけど、
なんとなく今までの私の本の見た感じの印象と、
これはカスタマレビュー違うなという、
はっきり言って5と1が多いというのは、ある意味僕はいいと思うんですよね。
評価が分かれるってやつですね。
やってることが実験的だし、本ってそもそも私はよほどのことがない限り、
基本実験的なものだと思うんですよ。
実験的なものの評価が固まるっていうのは、
もちろんそういうぐらいものすごくいいとか、ものすごく悪いと思われるというケースあるんですが、
掃除で割れるはずだろうと、割れるのが妥当だよなと思うんですよ。
で、この本の趣旨は、
要するに、普通に情報整理とかノート術という話をした場合、
僕らは一人称と、僕が今回命名したんですけど、
一人称のノートに執着しがちだけど、
06:03
三人称を中心に聞き換えましょうという、たったそれだけなんですね、言ってしまうと。
それで一人称、三人称というのは、
誰のために書いているのかよくわからないノートのことは忘れましょうということなんですよ。
パッと散歩中にアイディアが閃くけども、
このアイディアは一体誰のために使うんだろうと、
自分で書きたいから書きたいのか、
自分で書きたいから書きたいのか、
このアイディアは一体誰のために使うんだろうと、
自分で書きたいから書き留めておくんだけども、
自分という以外の人物が出てこないのであれば、
そのノートは取ってもいいし、エヴァノートに入れてもいいんだけど、
基本的には売っちゃっておきましょうという、
捨てましょうというわけではないんですけど、
売っちゃっておきましょうという趣旨なんですね。
だとしても、エヴァノートの使い道というのはたくさん残るし、
むしろそっちの方が請求書とかね、
いざという時にそれがない時の方が困りますよということを、
舞台例を挙げて、ついでにノートの整理の方法も追加して書いておいたと。
なぜ?まずですね、
まずある程度これを言う必要はもともとあるなと思ってもいたんですよ。
超整理法とかあるじゃないですか、さまざま。
見ているといつも思うのが、
絶対に無くしちゃいけないものと、
本人だけが絶対に無くしちゃいけないと思い込んでいるものとが混在しがちで、
これはもう割と皆さんそうで、
学者さんだから当然なんだと思うんですけどね、
絶対にこういうネタとかアイディアを失いたくないという、
それは思いなんだけど、
外してそれは無くなってそんなに困ってないと思うんですよね。
一方で契約書とか、
無くなると本当に困ることがあるものもあるわけですよ。
一緒になって。
で、こっちだけ整理すればいいじゃないっていう風に思わなくもなかったし、
やっぱりその2つはですね、
分けた方がいいだろうなと思うんですよ。
で、私はそれを昔はアナログで分けてたから、
場所が分かれるという結果になったんですけれども、
だからノートの一元化って話になっていくんですよ。
場所を分けるっていうのは簡単な用語で、
場所っていっぱいになるから難しいんですよね。
多くなればなる人ほど、
場所というものは合体していってしまうんですよ。
そもそも場所って動かすからダメなんですよね。
場所で分けるっていうのは有効なようで、
ちっともそうじゃないわけです。
で、デジタルの方がですね、
実はツールで分けるってことは可能になると思うんですね。
私はその3人専用のノートブックを
1個持っておいた方がいいっていう風に思うんです。
で、それは何かっていうとエヴァノートだろうと思うんですね。
で、これが一番大事でしょうと、
09:02
ここで意見が割れると思うんですよ。
いや、とんでもないですと、
私の知的アイディアの方がよっぽどそんな
契約書や領収書よりも大事ですっていう意見はあると思うんですよ。
だからここで意見が割れると思うんですよ。
だからここで意見がまず割れないとおかしいと思うんですけど、
私の中ではそういうことはないんですよ。
なぜならば、
もし何かこう請求書、契約書等、
あるいは娘の通知表とかね、
無くなろうものなら大変なことになるというか、
大変私は言われるだろうと思うんですよ。
一方で、例えばこのグッドモーニングバイブスをするためのネタとかは、
無くなったってちっとも困らないんですよ。
本当のところ、やんなきゃいいわけですよ。
まさになってできないって言うならばね。
で、自分は今日もそうでしたけれども、
ネタ別に取ってあるわけでは今はなくて、
ネタなんか取っておかなくても、
しゃべれるわけですよね。
だから取っとくのはいけないわけではないし、
取っとくのが必要だと思うならば、
ほっといたらいいんですけれども、
これの整理にあんまりかまけるのは、
多分時間がもったいないというか、
時間もイリュージョンかもしれませんが、
いつまでやってても終わらないし、
しかもそれは無くなって困ることも滅多にない。
使わないネタのほうが絶対多いと思うんですよね。
ネタとか取ってきたある人は特にそうだと思うんですよ。
という提案なんです。
別にこれをやっていただく必要はないかなと思うんですけど、
例えばメモをどうしても取っておきたいということであれば、
そっちはスクラップボックスにしちゃえばいいと思うんですよ。
こういうことをやっていくことによって、
非常にレイハックらしさが増すとともに、
知らぬ間にそういう時間を使って、
タスクシュートがすぐバンバンになって困ったことになると僕は思うんで、
そこもグッドワイブス的なんですよね。
自分だけのための時間を最優先で持たないと、
別にこの自分の時間問題というのもよく出てきちゃうんですよ。
別に自分の時間を持つのは悪いわけじゃない。
そもそもグッドワイブスに悪いことって何もないんですよね。
罪悪感を持たないんだから。
悪いことをしたと思うから罪悪感を持つわけじゃないですか。
グッドワイブスで自分だけのための時間を手放しましょうって言ったとき、
手放せない自分に罪悪感とかを持つ必要はさらさらないと思うんですね。
ただ、こっちがなくなるといいことが一つは起きるんです。
つまり空くんですよ。
場所も空くし、ツールの負担も減るし、
何より自分がそれらに使うべき時間を減らすことができて、
12:00
これがですね、ライフハックやってればやってる人ほど馬鹿にならないと思うんですよね。
だってノートは一冊にまとめなさいなんかもそうですけれども、
貼ったり切ったりしてるじゃないですか。
もし本当にやるとすると、あれだけで私は優にですね、
1日の3分の1、それは言い過ぎかもしれませんが、
作業時間のトータルで言えばですね、まとめてやらないと思うんだということは、
トータルで言えば少なくとも10%は行くだろうと。
で、タスクシュートをよくやってる人なら知ってる通り、
10%行くやつってのも睡眠・お風呂・食事の類ですよ。
その次にノートの整理とか来ちゃったら仕事にならないと思うんですよね。
それくらい私らはですね、そんなに10%ってそもそも
どのくらいの時間かもご存じない人は普通だと思いますけれども、
1日の1%って15分なんですよ。
これは覚えておくといいかなと。
別に覚えておいていいことは何もないですけどね。
試験とかに出ませんが。
だから10%って150分ですよ。
長いじゃないですか。相当なもんですよね。
もうちょっと本当は長いんだけど、まあいいや。
そういうことなんです。
15分というのは僕は結構、時と場合によっては、
連載の8割は15分でかけてしまうので、
1%ですからね、1日の。
1%でできることって結構あるんですよね。
これを10%をノートの整理に使ってしまったら
まずいでしょうという感じもしなくもない。
別にいいと思うんですね。
150分ノートの整理に使うということは
梅澤さんみたいな先生であればあり得なくはない。
ただこれは学者かなというふうにも思うんですよね。
あるいは書類整理をこととしている人みたいなね。
そういう感じを込めて
ウェットワイブスで行くというのは
つまり3人称に対応しましょうということなんですね。
依頼を即座にやるというのと同じなんですけど。
何て言うんですかね。
目の前に来ている人も
税務上の書類の整理って目の前にいませんから
来るかもしれないからやっておく的な感じじゃないですか。
こういうのを3人称と私は呼んでいて
実に多いんですよね。
実に多いです。
これだけをエヴァノートに当て込めば
多分基本それで困ることは起こらない。
ネタは見つからないとか
ウェブクリップしたはずのものがないとかいうことは
起こるでしょうけど
それは多分致命的なことにはならない。
だから3人称対応で行くというのは
ライフハック的に見ても
グッドファイブス的に見ても
ここで落とし所が見つけられるっていう風なつもりで
50ページほど書いたんです。
今のような話を投入すると
15:00
多分本一冊になるなって感じがするんですよ。
背景の説明を始めなければならないですし
あそこに書いたのは本当に概略なんで
まだ概略以外に書いているものは
どこにもないですけども
概略なんで
この感覚をタスクシュートにも
エヴァノートにも適応していくと
一応グッドファイブスなライフハックになっていくなって思うんですよ。
割とここから私が
言いたかったことでもあるんですが
これを言うとですね
えらいラディカルな感じがする。
だから星1とかもつくんでしょうけど
僕はですねこれ
結果としては
何も違わないと思うんですね。
今まで自分らがやってきたことは
おそらくこうであっただろうと
どうしたかったかっていうのはまた別だと思いますよ。
でも私タスクシュートでも
時々言うじゃないですか
グッドファイブスで行っても
行かなくても
結果はあまり変わらないはずだと
現に私がそうなんですよ。
結果は変わってますけれども
劇的な変化は見えてこないんですよ。
理由は単純で
依頼優先にしても
依頼に即座に答えても
依頼に対して
少し待たせてから答えても
やってる時間の使い方は
あんまり変わらないんですよ。
エヴァのとも同じで
第3人称系のものを中心にしようとしても
第1人称系のものを中心にしようとしても
私の性格から言って
1人称中心には展開できないんですね。
さっき言った通り
それをやってる時間を
10%とか取れない。
10%ぐらい取らないと
そういうものを徹底的に整理するって
なかなか困難なわけですよ。
やっぱりだから学者とか研究者とか
整理を断とする人みたいにならないと
ならないと思うんですね。
これをしたいという気持ちは別としてですね。
実際そうしてるかというと
僕はそうは思わないんですよ。
私例えばエヴァノートのインボックスは
依然としてゼロです。
これを言うだけでも驚かれるんですよ。
でも私に言わせれば
インボックスを空にもできないうちに
1人称の私のためのネタ、アイデア、メモ
ウェブクリップ、その他諸々
つまりいつ、どこで、誰のために使うのかもわからない
ただ自分がいいな、価値が高いなと思ったものの
整理を徹底しているという人が
インボックスも空にできないってことは
僕には信じられないんですよ。
僕はインボックスを空にするということはできるんです。
1日10%も使ってないですよ。
でも多分自分にとっては適切だと思えるような
ノートブックに手を振り分けて
タグをつけていくなんてことは
日常やっているんですよ。
数分もかけてないレベルでやってるんですよ。
だから1日の1%もいらないんですね。
これを言っても
いやそれをやる暇や手間や苦労は無理です
っていうのであれば
1人称の情報整理は
ほぼ不可能に近いと思うんです。
18:02
3人称の情報整理で精一杯になるはずなんですよ。
だからグッドマイナス級に
やってもやらなくても
結果は変わらないと思うんですよね。
私たちは誰も
本当のところ
アイディアを失ってもいいけど
税務署に提出する書類を失っちゃダメだって
思ってるんですよ。
それがむしろ逆転できる人って
凄まじい人ではないんですよ。
逆転できる人って
凄まじい人で
倉下さんとかそうなのかもしれないんだけど
いやもう別にレシートとか領収書とかね
税務署に何を言われて
どれぐらい追徴されても全然構わないけど
俺はこの自分が考えた
小説のための一文だけは
絶対に無くさない。
本を書いて
お金貰うための請求書とか領収書は
どっかやっちゃう。
これは凄い人だと思いますね。
私だったら。
だからここは逆転するってことは
本来的に
大抵の人にはないと思うんですね。
あとは思いっきりの問題というか
ある意味
それでいけるんだと思えるかどうかの
問題であって
タスクシュートに関しても
同じようなことを私は
よく言うわけですね。
自分の時間というものを
いくら大事だと思ってても
そうそう取れるものではなく
ちゃんと生活していて
会社に行っていて給料ももらっていて
たぶん無理なんですよ。
自分の時間がほとんど無くなるのが
現実なんですね。
あとはもうウッドナイフス的に
いけるかどうか
依頼されているということは
本来トータルとしては
最終的には
自分のためになっているのであって
自分と他人というのは
そこまで明瞭に
分化できるものではない
という感覚を持てればですね
搾取されているとかいう
そういうふうに思ったり
自分は人生を損しているんじゃないだろうか
と思ってみたり
さえしなければ
その時間の枠組みの中で
自分の時間を持ったかのように
言ってしまえば
幸せに感じるということは
何ら難しいことではない
自分はそれを
ここ2年で大体
確信できたかなと思うんです。
ここ2年とその前の2年とで
時間の縁グラフとかにした場合
自分の時間になるものの比率が
大きく変わったかというと
それはないんですよ。
昔は1%くらいそれこそ
あったかもしれないのが
今は0.5%くらいになっています
という程度の縁グラフには
見えてこない差ですよね、あれは。
ビビタル差なわけです。
それも自分の時間というのは
どういうラベルを何に貼るかで
違ってきます。
書類整理なんてましてやで
自分のためのメモと
自分じゃないもののための
契約書のようなものを
こっちを優先したからといって
不幸になるとか
21:01
損をするとか
搾取されるとかましてや
ないわけです。
そんなことは。
あとはどう捉えるかだけの
問題じゃないですか。
そうなってくると
どうせ今までやっていた通りに
やるんだから
それをあえて肯定的に見る
ということをせずに
ウッドワイプスでもそうですけれども
あえて肯定的に見るということを
しなくても十分肯定的に見る
ことは可能ですよという
そういう文脈。
それを言うためだけにしては
結構ウッドワイプスにせよ
精神分析なんか特に
話がややこしいなと思われる
と思うんですけど
母子一体というのは
そういうことですよね。
これがだから社会で
実際問題になっていますが
母ってのは
自分のためになってないんですよね
赤ちゃんに何をしてあげようと
でもそれは自分のためになっている
と思えればいいわけです。
赤ちゃんだったらもう
完全ですよ。
赤ちゃん側から見れば
お母さんのためになっていると思うものは
全部自分のためになっているに
というか全部自分のためにしていることが
お母さんのためにもなっているという
状態なんですよ。
こういうことがあった
ということなんですよ。
大事なのは。
うちの母はろくでなしです
という話とは関係ないんですね。
育児はお母さんだけが
するものじゃないという話とも
違うんですよ。
ただ自分が赤ちゃんだったことは
あるよねということなんですよ。
プラス自分が母体の中に
いたことはあったよね
ということなんですよ。
この母体の中にいたときに
自分にとっていいことは
いいことじゃないですか。
この二つが一致しないというのは
両者が一体である以上
一致しないということは
できないんですよね。
こういう状態というのが
私たちにあり
これが嫌とか嫌じゃないとか
言っても始まらなくて
多分この母子一体とか
甘えというのが嫌だという話は
依存と搾取の話になっているから
なんだと思うんですね。
バラバラ意識ですよね。
グッドバイブスというところの
意識ですよね。
でも我々は依存というのが
嫌かもしれないんだけれども
しているのは間違いない
と思いますよ。
大体酸素に依存しているじゃんって
僕はよく思うんですよね。
地球じゃないと生きていけない
じゃないですか。
どんなに自分の独立精神が旺盛で
自分は一人たった一人でも
やっていけるんだと
人の力なんて頼ってないんだと
いう人であっても
いきなり月とかにやられたら
ここはしょうがないと思うんですよね。
大体重力に依存しているじゃないですか。
重力とか気圧の薄いところに行くと
みんな体調がおかしくなって
しまいますよね。
24:01
つまり人間の独立というのは
その程度のものだと思うんですよ。
普通の人はですね、
自分じゃ家は建てられないと思うし
自分で服だって作れないと思うんですね。
それは金で買っているとも
言えなくはないんですけど
でもやっぱり酸素と重力は
金で買っているわけじゃないですよね。
そういう意味で
どこかで私たちは
一体ということはあるのであって
一体である以上
自分だけのために
何かをするということは
できないわけですよ。
やっぱり何かのために
何かをしちゃうし
同時にそれが自分のためになるしかない
というそういう状態が
ずっとあるわけですね。
ここでむしろ
そのことを不愉快に思うとか
安易にそういうことは
できないということが
つまり土居さんの言う
うまく甘えられない
ということなんですね。
甘えの話でもそうなんですけど
言ってみればですね
自然なものの見方というのは
多分
自然なは多分
ダメなんでしょうけどね
こういう言い方では
でも私たちが自然にものを見ると
意味付けしてしまう。
この段階で既に甘えはしているんですよ。
間違いないと思うんですね。
というか甘えずに
ものを見ようということは
つまり意味付けは一切やめよう
ということであって
例えば虫を見て不気味だとか
一切思うなっていうのは
ある種の人にとっては
すごく頭のいい人にとって
だとしても難しいんですよ。
蜘蛛を見て
全く他のお花とか見てるのと
全く同じように
だってそう見えないと
おかしいと思うんですよ。
猿だったらそれに近いと思いますよね
何でもいいんですけれども
例えば水槽の中にいる目高にしてみれば
同じだと思うんですよ。
何ら変わらない。
つまり僕らは僕ら流の見方をするしかなくて
この僕ら流の見方っていうのは
要は母親機能ってことになるわけですね。
はしょってますけどね、今日は。
お母さんがそういうものの見方を
教えてくれたから
僕らそういうものの見方を
するようになって
一体感というものが
残ってるわけなんですね。
最初は本当に一体だったんだけど
お腹の中にいたから
いきなり外に出ると危険というか
精神が持たないので
一体感というものを維持したまま
一緒にいると。
そのうち一体感というものを
維持したまま一緒にいなくなると。
独立しますからね。
遊びに行ったりもすると。
でも一体感は残ってるわけですよ。
これがうまく残んないのが
病理なんですよ、精神的には。
一体感が残ったまま
親も死んでしまうと。
でもやっぱり一体感は
残ってるんですよ。
この一体感が残っているのが
嫌だという理屈なんだけど
この嫌だというのは既に
27:00
土井さん、土井武夫さんの
甘えの構造的に言うと
うまく甘えられていないから
何かが精神的に生じつつある
という状態になるわけですよ。
神経症ということになるんですね。
なんで最初エヴァノートの話
だったはずなのに
今こういう話になったかというと
ここが行業史という風に
僕が感じたところなんですが
三人称と一人称を分けないという話を
したいわけですね、最終的には。
自分だけの時間というものが
欲しいという
自分だけの時間を
自分だけの時間というものが
欲しいという問題は
自分だけの時間が取れないと
解決しないかというと
そうではないということ。
タスクシュート上で
そうなんだけれども
エヴァノート上で言うところの
三人称、タスクシュートでも
同じですね、依頼者がいること
つまり自分がそれをしようと思って
したくて始めたことでないことを
するとき、それをしても
自分の時間と同じように
感じられるためには
一気に飛躍するようだけど
母子一体的なものがいるわけですよ。
自分と他人が一体であれば
いいわけですよ。
そうすれば他人のために
自分を使っていても
自分のために他人を使っていても
同じになるから
本当それは同じにはなりませんよ。
社会的にはそうは認められていないですからね。
でもそういう部分というのがあって
私たちには、つまり
親の元を離れようと
親が亡くなろうと
一体感が残っているという
その一体感は
でたらめなものでも
気安めなものでもない
ということなんですよ。
それが精神分析で
強く言っている部分だと
私は思うんですね。
特にイギリスの対象関係論で
言っている主張って
そういう話だと思うんですよ。
これは完全に剥奪されると
この一体感が残っている
この一体感が全く残らない人は
正気を全く保てなくなると
そういう事例はいくらもあるわけですね。
信じられないということはあると思います。
目の当たりにしたって信じがたいという
そういう理屈が
本当になりだっているのかどうかを
実証する手段はないですしね。
ただ私は
状況証拠みたいなものが多いけれども
この話は十分信用に値するし
現にこの対象関係論的なアプローチ以外の
アプローチというのは
ほとんどむしろ合理的なものは
残っていないような気がするんですね。
神経症患の患者さんは
カウンセリングで十分見られているけれども
私の知る限り
30:00
私の身内を含めてですね
精神病水準になってくると
薬理療法以外はほとんどまともに
なかなか
ケアしてもらうのすら難しいというのが
実情なんですね。
それは本人がいけない面もありますけどね、もちろん。
そう考えてみると
だって最初から精神病だったわけじゃないわけですから
途中からなったんですから
そうすると遺伝的になったというのもおかしいし
そうではないんですよ。
やっぱりこれは心理的なものだったはずなんですね。
そうした心理的なものというところの
一番納得がいくのは
母親機能がほぼ無機能になったとき
何が起きるかということを
私はその文脈で知らされるほうが
分かりやすいんですよ。
非常に納得がいく部分があると。
その機能を回復しようとしたときに
非常に本人のある意味
非常にある種の意固児になって
自分自身が
自分自身が
何て言うんですかね。
非常にある種の意固児になっている
独立精神みたいなものがあって
こいつが物凄い邪魔をしている。
この意固児になっている独立精神というものと
自分だけの時間と
自分だけのための
アイデアで
自分というものを
より豊かな利益を
集中させて生きていきたいという
ライフハック的な発想
ライフハックのベースにそれがあるないは
人によると思うんだけれども
そういう一つのライフハック的な発想が
凄く類似している。
酷似していると言っても
良いくらい似ている。
というのを
今年は一年
一生懸命喋ってきた気がするんですね。
ライフハッカーの人たちは
別にそうは言っても
そういう病理にいるわけではないので
ここを逆転させることが可能だと思うし
逆転させて
実質したものはあまりないと思うし
しかも逆転させて悪いことは
信じてもらうしかない領域ですけど
悪いことは起きないだろう
という理屈を私は
私なりにこね合わせて
喋っているわけですね。