1. グッドモーニングボイス
  2. ふりかえらない【GMV 908】
2023-12-27 46:46

ふりかえらない【GMV 908】

レビューに損や得はない。

サマリー

彼は、振り返らないことや何もしないことによって時間が空くことの大切さを語り、過去の振り返りや未来の計画をしない生き方の意義を考えています。また、最近の野球界の動向を追いながら、大谷翔平選手のメジャーリーグでの活躍について語り、メジャーリーグのマーケティング戦略について理解を深めようとしています。さらに、ネットコミュニティの盛り上がりや技術ブログの執筆、GPT-4の圧倒的な実力について物思いにふけることが重要だと思っているため、カウンセリングや精神分析が人間にとって必要不可欠な活動であると考えられます。そして、ライフハックは有効だと思ってしまいますが、振り返ってみると関係者や甘えが重要だという結論に至ります。

振り返らないことの意義
おはようございます。グッドモーニングボイスです。12月27日、水曜日、10時47分です。
年の瀬ですね。12月30日の、倉園さんとのグッドバイブス×タスクシュートという、今年最後のセミナー主催となると思うんですが、
こちら、どうやらそこそこお参加いただけ感じになってきたので、これからお申し込みいただける方が結構多いと信じておりますので、
ぜひですね、割引コードを発行しておりますので、
ゾノキバ1230、ゾノキバ1230ですね。これで多分お分かりいただけると思いますので、こちらをお忘れなくお申し込みください。
ではですね。
今日はこのくらいでいいと思うんですけど、お知らせは。
そうそう。今、年の瀬じゃないですか。12月27、27、28、29、30、30日、あと5日ですが。
よくこの季節になると、振り返りネタにみんな走るんですよね。
これ別に、全然、当然起こる現象の一つとして、
ブログでも何でも、今年を振り返りネタに、みんな走るんですよね。
これは別に、全然、当然起こる現象の一つとして、ブログでも何でも、今年を振り返りネタに、みんな走るんですよね。
を振り返るまあそもそもメディアがそうなっていきますからね あのこれをしないというのは今年の私のまあ今年の子私のってわけじゃないですけど
実は私ほとんど毎年ほとんどしてなかったんですよ あれはほとんどネタだったんですけれども自分で振り返るということはまずしない
買ったんですけど別にこれはあのするしないは全然いいと思うんですよ えほぼ趣味の領域でするってことも多々あるじゃないですか
写真振り返ると楽しいみたいねえっと私はしないんですよ でえっとこれしないことにあのなんて言うんですかね
何も思わなければいいと思うんですよね つまりみんなしてるからしないととかみんなしてるのにしないのはみたいに思わなければ
ですね 時間がたっぷり開きますからね
その間何もしないとこれをですね私は一つ 今年
やろうかなぁと思っているんですねつまり何もしない この何もしないっていうのがねやっぱ大事だなぁって本当思うんですよ
えっと別に何かしてもいいんだといいんですよ全然ねえっと 何かしてはまずいことが起きるわけではないです
ただ何もしない何もしないということによって何も失わない特にこの機会を一視ない みたいなねえっとこれを意識しないというのが
でこれほど これがどれほどで fuel
あのに説明できないんですよね説明するというの がおかしいなぁ話になるんで
あのどここうこういう風にいいですって話は全部同じもの 移行調るんでね例えば何もしないと健康に良いですとそれはそれつまり何かすると
健康買いするみたいじゃないですかそんなことわかるんですよ だから何もしないといいう
いう本当の良さを伝えるには 8
何もしないことによって、その良さを味わいましょう以上のことは言えないんですね。
ある気がするんだけど、どれを指差してもあんまり意味ないなって感じがしますので、
私は何もしないことによって明らかに仕事が進むようになったけど、
これを言うと結局、何もしないと仕事が進むんですね、になってしまうじゃないですか。
それは人によると思うし、何もしないから仕事が進むわけではないんですよね。
だからやっぱり何もしないメリットを具体的に呼び表すとですね、
それなりに良いのもあるんだけど、結局同じことになっちゃうかなと思うので、やめます。
何もしないことは私にとっては大事なので、
特に今までやっていて、かつやりたいわけじゃなかったこと、
振り返りとかね。
1年を振り返るとか、レビューとか、これらをやめるということによって時間が空くわけですよ。
そして何もしないと。
これがいいなっていうふうに今は思っていて、もう賛同されなくてもそれはそれでいい。
これも大事ですよね。
賛同されなきゃ嫌だってことになってくると、結局それを振り返りに価値があると人が言うからやるになってしまうじゃないですか。
同じことになりますよね。
賛同されなくても全然いいはずなんですよ、こんなことはですね。
なので、何もしないというか、何もしないのが別に理由じゃないんですけど、
したくなかったことはやめ、かつその間に何かをやらないという話ですね、これはね。
振り返らないというのも合わせてですね、私はこっちはね、割とやりたくてやってたんですけど、
来年こうしようみたいなのも一切やらない。
そうするとですね、すごいこう変わってくるのが、
本当に未来と過去というものが、意識しようと思えば意識できますよ、それはね。
でも意識しようとしなければ、意識されることがなくなっていく。
なんていうんですかね。
例えば私は、ここ例年、もう自分の年賀状って書かないですね。
最初やっぱり、ある種の年賀状を書いてない感みたいなのがあったわけですよ。
罪悪感までいかないんだけど、書いてないなっていう、なんか書かなきゃ。
このぐらいの人には書こうかなみたいな。
一切やめてから、年賀状というものを書こうという気持ち自体が消滅したんですね。
なんかもう全く、だから来ると驚くぐらいな感じだったんですよ、自分にね。
自分に来ると、あ、年賀状自分にまだ来るんだみたいな、そういう驚きが発生するぐらい、
年賀状というものが私の視界から消滅したんですね。
というか私の、もはや今年は世界からも消えてる。
まあ今年は、夢中ということもあるんだけど、
もう世界から消えたんですよ。
あの、年賀状ってこの世の中にあったよねっていうぐらいになっちゃったんですね。
私の世界にはないっていう。
で、えーと、いろんな理由がありまして、娘以外は誰もうちでやってないから、
もうほぼ消えたみたいな感じになってるんですけれども、
えーと、でも手伝わされるんですね、人のは。
だから手伝うものになったわけですよ。
これと似ていて、えーと、僕過去の振り返りってしなくなってきて、
過去ってものが消えつつあるんですよ。
これは、えーと、すごく切なかったんですよ。
切な的だとかいう話を聞くこともありますよね。
あの、瞬間瞬間に生きてる。
でもですね、これはなんかそういうことではないような気がするんですね。
例えば私の母なんて、別にレビューとかしないわけですよ。
人生で多分一回もしたことがないぐらいしてないと思うんですけど、
あの、母がですね、なんか瞬間瞬間に生きてるような感じはしないんですよ。
別に。
で、あのー、時間のこう繋がりなり連なりなりは、
意識にはない。
自然に人間が入ってくる。
入ってくるようにできているので、
その長短はあると思いますけど、
入ってはきていると思うので、
私はこの過去の感じってもう持たない、
持たなくなってるんだけれども、
だからといってこう、
昨日、一昨日、その前みたいなのが、
過去の振り返りをやめる
意識しようと思っても全然意識できないとか、
別にそういうわけではないんですね。
ただ意識していないと。
で、ここに損得ないなってことが大事なんですよ。
別にレビューするからといって、
得することはないと思うんですよ。
やらないからといって損することはない。
その逆も、死んで、
下から損することって別に僕はないと思うんですよね。
だから、やらないから得することも、
別にないと思うんですよ。
ここに損得はないと思うんですね。
本来的に。
だから、あのー、
瞬間瞬間に生きているとかっていうのは、
多分ですね、これは、
そうじゃないように生きている人から見た、
抽象的な観念なんだと思うんですよ。
話がちょっと難しい言葉になっちゃったけども、
そういう言葉が、
まだ僕、考えつかないんでね。
多分、過去という観念が、
ある種の形状を帯びてくるんだ、
形を成してくるんだと思うんですね。
だから、その生き方は切な的だって感じがするんですよ。
別に、この生き方に切な性はないんですね。
今ここを生きるとかって言うけれども、
そうに違いはないんだと思うんですけどね。
今ここ感が強くなることはあっても、
別に、
今ここ以外のことは何も意識できなくなる、
とか言ったことではないんですよ。
何より大事なのは、
ここにやっぱり、
三徳がないってことかなと、
そんな感じがしますね。
これと少し、
絡みがありまして、
過去の振り返りを、
2023年ってこんな年だった、
みたいなレビューを、
ログあるんで私の手元には、
タスクシュートの。
見返すということがなく、
1日のレビューも、
もうほとんど全くしていませんが、
何か思い出すときにはするんですよ。
昨日どこ行ったかが、
奥さんに聞かれたとかですね。
そういうときに、
昨日なら思い出せるけど、
先月どこ行ったかゆえ、
みたいな場合には、
未来のプランを立てない
私はそれが言えるってことを知ってますからね、
周りの人は。
それは調べて答える。
何でもないから、
レビューと関係ないんですけれども、
そういう利便性の上では、
やりますね。
まして、
プランは、
僕はプランって言うべきなのか、
分かりませんが、
2024はこうしよう、
みたいなのも、
全然ないわけですよ。
こうなるだろう、
みたいなのは、
意識に自然入ってくるんだけど、
プランって終わるんですね。
あんまり意識はしていないということです。
なぜならば、
だいたいそうなった試しがないからね。
これも結構僕は、
むしろタスクシュートなんかやってると、
そういうふうに意識するようになるんじゃないか、
と思うんですけどね。
そうならないかもしれないっていうのが、
強くむしろ意識される気がしますね。
その通りになったことはないんでね。
だいたいそうじゃないですか。
コロナとかって、
分かるはずがないですよね。
この年にコロナが来るぞ、みたいな。
そんなことが、
これも繰り返し言ってますが、
分かるくらいなら、
私、この商売してませんから、
全然違うことをした方が、
よっぽど仕事としては、
人の役にも立つでしょうし、
お金回りも全然良くなる。
だって、コロナが予測できるって、
凄まじいことですよね。
多分、大谷翔平さん並みに稼げる気がしますよ。
そんなことが、
100%の確率で的中できるなら。
ただ、
命が危険なんじゃないかっていう気もするんですけどね。
そんなこと分かったみたいなことに、
なりかねないですよね。
そんなことが本当にできちゃったら。
かなりヤバい人な気がします。
あれですよ、
当たるも発見っていうレベルではないってことですよ。
100%で、
それが予知できるってことになったら、
極まりない感じがします。
だから、
少なくともタスクシューターやんないですね。
そんなことまで分かるようになったんだら、
やる必要がないですよね。
どこにもない感じがしちゃうんで、
全く世界観変わると思いますから。
最近の野球界の動向
私、そういうことは一切できませんから。
別に、
命の危険を顧みて言ってるわけじゃなくて、
できないからかかったりするわけですからね。
かかりましたからね、僕はね。
話がそれましたが、
つまりですね、
予測できない以上、
予測ってのは、
ままごとに息を出ないとは思うんですよ。
別にこれは、
ままごとがいけないって話ではない、
と思うんですよね。
先日、
例えられてましたけど、
スーパーマリオをすることに、
問題があるわけじゃないという話ですね。
スーパーマリオが上手くなることにも、
別に問題はないですよね。
という話なんですよ。
あくまでも予測をして、
予測精度が高くなる感じがするというのは、
悪いとは思わないんですよ。
それが、
何かの得を多分意味しない、
一時的に収益的な得があるってことは、
起こりますよ。
デイトレーダーしかありですね。
予測ができないよりは、全くできないよりは、
100%ってことはないはずだけど、
予測精度が高まった方が、
一時的な得はする。
ただそれが、
何か本当に何かの得になってるかどうかは、
分かんないっていう話です。
だって、
お金持ちになって、
割と不幸になるっていう話は、
よく聞きますからね。
これも、
その不幸がまた損かどうかは、
また別です。
何しろ、
最後までは分からないわけですから。
自分が幸せになってしまった、
みたいな話もある。
ああいう話は受けるんだろうけど、
その後、幸福になったかもしれないじゃないですか。
そんなことは、
追ってないんだから、
分からないと思うんですよ。
結局、最後の最後まで、
それは分からないと思うんですよね。
子孫が幸福になったかどうかとか、
言い始めたら、
キリがないじゃないですか。
キリはないんですけど。
どっかでキリをつけないと、
そこでキリをつけるというのは、
昨日話した、
昨日じゃないか、
先日話した通りですよ。
そこでキリをつけたい人の価値観なわけですよ。
こいつを不幸になってほしい、
みたいなのが、
どっかになければ、
不幸になったところで、
というわけで不幸になりました。
やれないですよね。
幸福になってほしいなと思ったら、
幸福になったところまで、
大谷翔平の活躍
話を引っ張ろうとするじゃないですか。
そこに反映させているんだろうと思うし、
それはそれで、
不思議なことではないです。
なぜなら、
私が先日お話した通り、
ロッテのスリーランドが、
すぐ僕が思い出せば感動できるわけですよ。
これは、
それに価値があると、
そういうところに価値を置きたいと思っているからであって、
置きたいと思っていない人からすると、
あれは、
見ても意味不明だったりしかねないわけですよね。
そのぐらい、
ロッテのスリーランドの人たちには、
どこにも見つけするかで、
めちゃくちゃ開きがある、
同じ世界を見ている人は、
この世に一人もいないはずなので、
だから、
他人のレビューをするしないの価値というものを、
客観視することはできないわけですよ。
した方がいいよっていくら言っても、
無駄と言えば無駄なわけですね。
しない方がいいよっていうことも、
まだないわけですよ。
ここの話は、
この年の瀬だからしているということもあるわけですけど、
これをうんと引っ張ると、
長く見るとですね、
この年の瀬が出てくるわけですよね。
2023と2024みたいな話になってくるわけですね。
これをうんと縮めると、
デイリーレビューとデイリープランの話になっていくわけですよ。
だから、
これを縮小しているか、
引っ張っているかの違いで、
規模が違うとですね、
それなりの意味の違いが出てきますけれども、
あんまり、
そこに本当のところの意味は、
あんまりないだろうなと。
あんまりないというのは、
これも同じようなことになるし、
どっちをやっても、
心理的には同じ話になってくるはず。
人ってのは、
特殊な生き物で、
これが大好きというふうに、
なりやすいというか、
なるんですよね。
これが好きなんですよ、
人は。
多分だから、
一歩間違うと辛くなるし、
しかも、
その辛さというのは、
僕らが得なくていい辛さ。
本当。
例えば私がここで、
2024の抱負を持ってしまうと、
大概辛くなるんですよ。
なぜかというと、
今年うまくいかなかったことを思い出すでしょう。
これを考えれば、
めちゃくちゃ僕はおめでたくて、
2024はひたすらバラ色のことを
思い浮かべるだけで済むのであれば、
多分なんてことはないんですよ。
本当になんてことはないと思うんですよね。
ないしてそうはしないんです。
より、
私の2024、
幸福度を高めるために、
2023でうまくいかなかったことを、
一生懸命思い出す。
この操作が、
いかにも余計な感じがするんですよ。
だってそれと同じことが、
2024に起きるとは、
限らないというか、
ほとんど起きないと思うんですよね。
この種の実験を、
私は実際は何度かしたことがあって、
すげえ不毛だと思って、
やめたんですよ。
同じ悪い事態が起きる想定のもと、
それを起きないように、
手を打つことによって、
自分はより幸せになるっていう、
この複雑、
極まりないプロセスが、
すんごいうそくさく感じるわけですよ。
仮に、
その不幸なことが、
2023に起きた不幸とみなしたことが、
2024に起きなかったからと言って、
だから幸福になるって話じゃないような、
気すらするんですよね。
これは、
実にあんまり、
話をシリアスにすると、
悲惨な話になってくるんで、
くだらん話にしますね。
これを最近、
僕はポッドキャストで心がけてるんですけど、
PDCAの限界
くだらん話にすることによって、
みなさん聞きやすくなるのではないか、
という期待をかけてるわけです。
どうせ、
悲惨な目にも当てないのに、
話って変なんですよね。
悲惨な、
シリアスにしていくと、
悲惨っぽく聞こえてくるんですよ。
これは一応、
そっちを意識しているつもりはあって、
聞いてて、
あまり嫌な気持ちにならない。
何で人が嫌な気持ちになるか、
わかったもんじゃないから、
そこは難しいんですけど、
僕はそういうつもりが全くなかったというケースは、
少なくないですからね。
しょうがないですよ、
いわゆるコンテンツ、
いわゆる表現系で、
人が思わぬ傷つき方をするというのは、
いやいや、
そんな解釈ないだろっていうのを、
昔、彼女ができなかった問題で、
彼女ができるシーン、
例えば、
あだちみつるさんのとかですよ。
男女が歩いてるだけで傷ついちゃうんですよ。
あだちみつるさん、
そういうつもり全然ないじゃないですか。
だから、
ほんと困るなって思う。
そんなこと言ってたら、
何にも本当に書けなくなっていくんで、
やめましょう。
やめますが、
でもしょうがないからね。
考えつかないから。
ほんとに。
で、なんだっけ。
何の話をしてたんだっけ。
あ、そうそう。
だから、つまり、
極めてしょぼいこと。
例えばですね、コーヒーを、
昨日思いついたんですけど、
ここのところ、
最近考えつき始めたんです。
深入りが僕は好きだと。
で、前はね、デカフって嫌いだと思ってたんですよ。
というか、苦手だと思ってたんです。
だから、デカフェを避けてたんだけど、
僕、一時そうなってたんですよ。
だけど、実は僕はデカフェが好きだということが、
先日あたりに、
不意に判明したんですね。
で、最近、デカフェに切り替えてるんだけど、
デカフェなの?ちょっと分かんない。
デカフェっていうのの使い方が間違ってるかもしれない。
とにかく、深入りというのが
苦手だと思うんですよ。
だから、朝入りばっかり飲んでたんだけど、
それは大きな間違いで、
だから僕はPDCA嫌いだなって思うように、
いろいろ最近なってるんですよ。
一時の気の迷いみたいなので、
PDCAやりだすと、
分かんない方向に向かっていくことが、
結構あるんですね。
結構、幸不幸とか、
良い悪いという時の判定って、
実はすごい難しいと思うんですよ。
だから、繰り返しやるっていう話も、
タスクシュート界隈でも
一時流行ったんだけど、
繰り返しやればやるほど、
沼るんですよ、一歩間違うと。
僕、繰り返しやったから、
いや、私アメリカーノがいいんだって思い込むようになって、
アメリカーノばっかり飲むようになって、
しくじってたわけですね。
なんかね、しっくりこないんですよ。
アメリカーノを目指すみたいな、
間違ったことをやり、
そういうことを一切やらなければよかったんだけど、
これがね、起こると思うんですよね。
この、今、なぜこのしょぼい、
例を出したかというと、
しょぼいと救いがあるじゃないですか。
どうせ佐々木が、
浅煎りか深煎り飲んでるだけじゃないですか。
そりゃいいじゃないですか。
なんかこう、シリアスじゃないってことね。
で、僕は、PDCAをしないっていうのの、
一つの、
こう、
一つの理由に、
こういった経験が、
山ほどある。
実はですね、
幸福を全然いい方向に向けられてないなと。
で、
考えてみれば、
いい方向に向けられるはずがないなと。
あの、私、
時々お話ししてますけれども、
まあ内的対象みたいな話でもいいんだけど、
自分の中には自分がいっぱいいるというか、
自分というのはやっぱり、
秒ごとに変化してる。
最近それを感じるんですよね。
あの、周りの人がちょっと年老いてきたせいもあるんで、
人間って変化してるな、
ずーっと変化してるなって思うんですよ。
前と同じっていう前提が必要なんですよね。
改善するためには。
前と同じ私だから、
ネットコミュニティの盛り上がり
例えばですけど、
アメリカンが好きっていうことになれば、
前好きだった時の自分のままだという、
味覚その他含めて。
でもそれが、
1日経つと全然違う人間である可能性、
あるんですよね。
だから、
一定の方向性を持たせるのよくないと思うんですよ。
で、これをさらにね、修正するために、
結構危険なことやってる面もあるんですよね。
ライフハックって。
一定の自分に保つっていうのがあるじゃないですか。
だから、
これは僕がミッションとか、
あるいはですね、
アイデンティティというものを、
固めていくという作業。
これはある程度可能なんですよ。
人格を固定化していくという。
つまり、
同じところをなぞるように生きていて、
それだけじゃ済まないんですよね。
同じところをなぞるように生きていて、
かつ、
自分の好き嫌いを、
安定させるように持っていくことって、
可能なんですよ。
そうすると、
技術ブログを書く
これは、
ちょっとオカルトっぽくなっちゃうんですけども、
現実世界と自分の、
ズレがひどくなっていく気が。
ていうか、
僕の、
やっぱり深刻な話になっちゃったな。
本当はこういう話したくなかったんですけどね。
40半ばの、
僕の中年危機っていうのは、
これで起きたんですよ。多分。
だから、
自分の、
アイデンティティとか、
タスクシュートに責任はないんですよ。
私が、
アイデンティティを安定させたいと。
自分と自分の環境の、
環境の安定、
および環境に適合している、
自分の安定を目指したために、
固定化していったんですね。
GPT-4の圧倒的な実力
私という存在が。
でも、固定化できないじゃないですか。
私は日々年取ってるんだから。
現実に合わせて、
変化していかないと、
不適合が起きていくはずなんですね。
そこに、小さなズレがですね、
日々蓄積されて、
大きなズレを生み出すんですよ。きっと。
僕に起きたのは、
結局そういうことだと思うんですよ。
変化しなきゃいけないのに、
変化しなかった。
人は、どうしても良い変化を望むじゃないですか。
そして、
悪い部分だけを変化させて、
良いところは維持したい、みたいに考えるんだけど、
その考えに、無理があると思うんですよ。
良いってのが、
やっぱり、トータルでは分からないと思うんですよね。
いろんな意味で、良いがある。
だって、アメリカンが好きなのも、
良いじゃないですか。
ガイリーが好きなのも、良いじゃないですか。
なんなら、紅茶が好きなのも、良いじゃないですか。
良い部分を維持するって言っても、
コーヒー好きだけど、紅茶嫌いな人は、
私、害してそれに近いんだけど、
逆も当然いるわけですよ。
コーヒーより紅茶が良いと。
この良いは、良いわけですよ。
だけども、
何が良いかっていうと、
必ずしも、その人にとって、
そうでもなかったりする。
そばを食べられない人だっているわけですからね。
アレルギー等で。
でも、その人が変化して、
食べられるようになるケースもあるんですよ。
世の中にもね。
難しいんですよ、良いっていうのは。
こういう人が、そばを食べないのが、
当然なんですけれども、
命に関わりますからね。
でも、食べられるようになる方が良い場合もあるし、
食べない方が良いに決まってるという、
良いもあるし、難しいんですよ。
変化しますから。
だって、私のアトピーって、
究極的には、皮膚上の免疫疾患なんだけれども、
治ってしまったということは、
つまり、免疫質が変わるということを、
これは意味しているわけですよ。
しかも、これは私の場合、
グッドファイブスで、
グッドファイブスで良くなったっていう言い方には、
語弊がある。
非常に難しいんだけど、
グッドファイブスで、
私の免疫的な動きに、
変化が起こったことは確かなんですよ。
起こったなら、しょうがないですよね。
なんでって言うんですけれども、
しゃーないんですよ。
先日、今日たまたまね、ツイッターで、
ストレスでジンマシンが起きて、
そのジンマシン、薬局で、
ジンなんとかっていう、
みたいなんですけどね。
良いじゃないですか、それで治ればそれで。
だから、つまり、
僕、あれだったら無理だったと思うんだけど、
つまり、そういうことなんですよ。
良いは、誰にとっても、
いつであっても、どのような状況であっても、
それが良いとは言えないんですね。
グッドファイブスにしても、
その時の、その人の、その条件って、
やっぱり、あるんで。
誰にね、なるべく、
蔵野のけいどさんは、
普遍的であるように、
努力されてるけど、
普遍ってのは、難しいわけですよ。
78億全員にとって、
良いことが良いとは、
到底言えない。
そんなことは、無理な話なんで。
だから、あれは、身近なとか、
半径何メートルとか、
そういう言い方も、
決して、のの医者の世界だけではないし、
社会科学の世界でも、
人文科学の世界でも、
これ、言うんだけど、
言うんですよ、やっぱりね。
でも、一方で、なんて言うのかな。
それが、本人にとってだけ良い、
って言うんでも、
それはそれで、困るじゃないですか。
それに、その本人だって、
変わるわけですしね。
だから、
むやみにPDCAは、
したくないな、とは思うわけですね。
何か、ちょっと、
改善しなければならない、
できている以上、あるんだけれども、
その改善が、
善かどうかは、本当に、
微妙なレベルから、
大きなレベルまで、
疑わしい。かなり疑わしい。
相当、疑わしいと思うんですよね。
ずっと、改善していて、
すっごい良くなりました、というのが、
かなり悪いことであるような、
私のケースね。
あり得るんですよ、それは。
残念ながらね。
現実は、変化し続けているし、
自分も変化し続けているので、
ここに尺を当てて、
善と悪って分ける、
あるいは、都合が良い悪いって分ける、
あるいは、損と得って分ける、
あるいは、便利と不便、
さっき言ったかな、快不快、
全部、危険なんですよね。
そっちの方向が、常に、
プラスだとは、限らない。
動いてるんだから、当然ですよね。
プラスを指していたところが、
マイナスになっていたりするんで、
だから、良いっていう面があるんですけどね、
本当はね。
だって、そうじゃないと困るじゃないですか。
マイナスの人は、
ずっとマイナスの人生を生きていかなきゃならない。
負のループとかって言うけど、
僕は、ああいう言葉は、とても怪しげだと思うんですよね。
そのループが、負であることが、
どうして、その人に分かるんだと、
思うんですよ。
分からないはずなんですよ、絶対に。
それが、負であることが、
確証できるなら、
正のループも、当然あるわけで、
さっき言った通り、
コロナが来るとか、
デイトレードの取引が、
正のループが分かるっていうのは、
結局そういうことですからね。
そのループ、常に正向いていることが、
分かるって意味になっちゃうんで、
それが分かるというのは、
僕は、命に関わると思うんですよね。
本当に、そんなことが分かる人がいると、
絶対、人に狙われると思うんですよ。
だって、その人って、
巨万の富を生みますからね。
どう考えても、そういうことになると思う。
だから、僕は、負のループというのは、
まるで信じないというか、
まるで信じられないわけですよ。
そんなことが分かる人が、
2023が終わりますので、
2024の抱負を作るとか、
ミッション作るとか、
逆算するとか、
2023を振り返るとか、
全部OKだと思うんですけど、
これを聞いている方には、
一つはお勧めしたいのは、
一種の冗談だというぐらいに、
とどめておいて、
一種の冗談だ、
ぐらいに思ってやると、
ちょうどいいっていう感じがします。
やりたいということであればね。
やらなくて損することはないはずです。
やって損することも、別にないけれど。
ここに、やっぱり、
先日、
カスクシュードジャーニーで、
Jさんが一貫して、
このテーマで推しているなと思った、
そのテーマですよね。
価値が下がることがないと。
渋谷で、倉園圭道さんに聞いたときの、
基本変わらない話になっているんだけど、
価値が下がることはないと。
でも、これは、
ある程度は、
私たちの世界では、
そうなっていたはずだと思う。
だって、基本的人権の尊重って、
そういうことですよね。
憲法にまで書いたじゃないですか。
これは、
人はそんなのを尊重したくないんだ、
っていう人も結構いるんだけど、
僕はそう思わないんですよね。
戦前に、
アマカス事件っていう事件が起きましたよね。
名前が信じられない。
何だろう。
何で名前が出てこなくなるんだろう。
有名な、
あの人、
あれですよ。
アナキスト、アナキスト。
あのアナキストさん、
すごい可哀想ですよね。
別に、そんなに、
アナキストだから、
すげえことをやったっていうわけでも、
ないんですけれどもね。
大杉栄。
と思うんですけどね、
僕はね、
大杉栄の本、
所々読んだんですけれども、
大杉栄の、
意味不明な事件で、
まあ、でも、
とにかく、
幼い子を連れてって、
憲兵所かなんかで、
惨殺したという、
ひどい事件が、
大正12年かな、
あたりに起こるんですよね。
で、これ、
関東大震災の、
大正12年じゃないですか、
混乱していた、
最中に起きたことなんだけど、
あの、
重罪になるしね、
アバカス日本にいられなくなるし、
で、
何がポイントだと、
僕が思うかというと、
この時代の、
アナキストの親類だって、
そういう風に連れていかれて、
殺されては困るぞっていう風に、
物思いにふける時間の必要性
人は思ってたって事なんですよ。
今の時代は、
もっと遥かに、
こんな事が起きたら、
なんていうのかな、
人の価値というものが、
こういう理由で、
つまり、当時、
無政府主義って、
そう思ってるだけでもダメですから、
帝国主義ですからね、
日本は。
かなり、
宗教色の強い帝国主義だから、
無政府主義っていうのは、
全然ダメなわけですよ。
でも、無政府主義だからといって、
関東大震災の、
何か拷問しちゃいけないと、
人々は思ってたわけですよ。
だから大問題になったんですよ、
当時だって。
こういうぐらいの事が、
あるわけだから、
僕は思うに、
レビューしないから、
人間の価値が下がるって、
思えないと思うんですよ、
僕らは、本当のところ。
つまり、
レビューしないから価値が下がると、
思えないということは、
損はしない。
この感覚が、
何て言うんですかね、
割と細かなところで、
徹底していくことによって、
損をしたっていう感じって、
ふっと入ってくるんですよ。
例えば、
今あんまり皆さん関係ないと思うんですけど、
TOEICの点とかね、
当然取れるはずのところで、
しくったとかで、
損をしたって感じがすると思うんですよね。
で、損をしてないっていう、
この感覚の問題、
頭で考えれば、
損をしてないことは、
確実だと思うんだけど、
私は、感覚の問題なんで、
しちゃうんですよね。
損をした感じっていうのは。
簡単に言うと、
自動販売機で100円玉が返ってこず、
飲み物も飲めなかった、
っていう場合でもいいんですけど、
こういう時、意外と来るんでね、
カウンセラーとクライアントの関係
面白いなって思うんですよね。
こういう時、意外と人って怒りますもんね。
でも、損はしていないんですよ。
別に。
とにかく、
この損をしたという感じを
持たなければですね、
えーと、
なんかですね、
なんで今、
僕と思ったんだろうな。
こういうのを最近、
精神分析の用語で、
物思いにふけるって言うんですよね。
僕、物思いにふける時間を
増やしてるんですよ。
だから今、
習慣なんだろうなと思ったんですけど、
物思いにふける時間って、
本当に言ってたんですけどね。
イオンが物思いってのを、
ほぼ精神分析用語にしたんですけど、
物思いって本当大事だなと思って、
一生懸命、こう、
物思いにふけてると、
人にね、
結構ね、あんまりいい顔されないんですよ。
でも、えーと、
お母さんを赤ちゃんの前にして、
物思いにふけるっていうのは、
絶対やるんですね。
僕も結構やってたんですよ。
すごいあの時間は必要なんですよ。
僕らが物思いにふけてるんですよね。
で、僕はこれやっぱりね、
こういうのが必須だと思うので、
えーと、
何て言うんですかね、
そのカウンセリングってのは、
そういう活動というか、
そういう行為なんだよな、
という営みというんでしょうけどね。
あのー、
人と話しててもそうじゃないですか。
えーと、
割と、
ある種の人にとっては、
グッドバイフスでもいいんだけど、タスクシュートでもよくて、
えーと、
この反論に対しては、
こういうのが自明だなっていうのがあったりするわけですよ。
えーと、
例えば記録が残せませんみたいな話で聞いて、
あ、それにはっていうふうに、
もう答えがある程度、
マニュアル化されているぐらいの答えがあるんだけど、
ふとですね、
えーと、
それを聞いて、
物思いにふけちゃうわけですよ。
あー、そうですかーみたいになって、
そのまま黙っちゃうんです。
で、聞いてる人不安になるじゃないですか。
ってことになるんだけど、
そうじゃないと僕は思うんですよね。
ここで反応したような答えを、
この人に返してもダメだなと思うのが、
まず、第一歩だと思うんですね。
で、
愛情の重要性
で、考えを引き取るというのが、
つまり、
なんかあるわけですよ、そこには。
単に記録が取れない、
記録が取れないに対する答えなんて、
えーと、
10年来の蓄積があるから、
タスクシュート側にはいっぱいあるわけですよ、
どれを言っても、
あんまり刺さらないだろうなって思った時に、
止まるわけですよね。
で、止まって考えるっていうのが、
まず僕は、えーと、
まあこれは、
蔵園さんがよくおっしゃるっていう形で、
愛の行為だって、一つは思うんですね。
愛情がなければ、
ここで、
言い淀んだり、困ったり、悩んだりはしないはずだと思うんですよ。
この人に、
えーと、
ハンデをしたような答えを出しておけばいいと思えば、
すごい簡単なわけですよ。
だから、
山ほどあるんだから、そんな答えは。
だから、黙ってしまうと。
で、黙った人は別に、
それについて考えなくてもいいわけじゃないですか。
相手が、えー、
記録が取れないで困ってる、
ふーんって済ませてもいいわけですよ。
でも、えーと、
なんか考え始める。
これは、赤ちゃんが何か、
何かをやってるっていう時に、
母親が物思いにふけるってことが始まったということは、
やっぱり愛情がそこにあるんですよ。
これを、えーと、
言いたいことが大事だっていうのが、
まずビヨンが言いたかったことの一つだろうなって思うんです。
全部かもしれないけど、
少なくともこれはあるだろう。
赤ちゃんは、それをやっぱり、
認識するんだと思うんですよね。
お母さんが、
物思いにふけったってことが、
えーと、
わかんないですよ、もちろんね。
だけれども、そういう雰囲気を、
認識するんだと思うんですよね。
ここで物思いにふけるってことを、
一切しないお母さんと、
えーと、調香を始めるお母さんとでは、
赤ちゃんの情緒の育ち方は、
大きく変動すると思うんですよ。
だから、えーと、
自分で言うのは恥ずかしいんだけど、
でも、物思いにふけるっていうのは、
どんな時でも必須だっていうふうに、
自分は思うようになったんですよね。
あのー、
いい答えを返すことより大事なんじゃないかってことなんですよ。
赤ちゃんが望むことっていうのは、
えーと、
何であれ、例えば、
喉が渇けばお水をあげる、
お腹が空けばミルクをあげるっていうのが、
一切なんですけれども、
赤ちゃんにとって大事なのはやっぱり、
ミルクや水は大事だけど、
それ以上に大事なんですよ。
だからこの物思いにふけるということを、
カウンセラーがするってことは、
えーと、だってカウンセラーってそういうことをしなくたっていいわけですよ。
別に。
何を考えてるとか、
こう考えてるとか、
あー考えてるとか、
えーと、
手に余るな人を紹介するとか、
どれでもいいんだけれども、
答えじゃないじゃないですか。物思いにふけるというのは。
考え込んでしまう、みたいな。
でもそれは、
カウンセラーが真剣になっているっていうことですよね。
答えが出ないってことなんですよ。
で、本当はクライアントがやるべきことですよね。
そこで、
自分の問題について、
真剣に思い悩むと。
だけれども、えーと、
これが不在論のところの話なんだけれども、
考えるという能力が、
なぜか剥奪されているので、
そのクライアントさんはね、
えーと、自分が鬱になったとか、
行き詰まったといったときに、
考えることができない。
だから、代わりにカウンセラーが考えるわけですよ。
こうやって東映ドイツ化が進行していく、
というのが、すごく大事なんだと思うんですよ。
外に向かって、
何かが、えー、
まあ、糞便と、
クライアント、クライアントは言うんだけど、
まあ、とにかく自分が考えられないものを、
まあ、ある種の不快、
ある種の満たされなさを、
外に向かって投げ出すと。
そうすると、それを引き取って、
代わりに考えるっていう人が登場するっていうのが、
まあ、愛情ですよね。
人間には、こういう営みが必須だというのが、
まあ、精神分析をはじめ、
カウンセリングの考え方なわけですよね。
だから、物重いと、
ビヨーンは言ったわけですよ。
で、さっき私が止まったのも、
結局、えーと、孫徳の話をここで、
えーと、なんていうのかな、
壊れたレコードみたいにね、
言っててもダメなんだろうな、
と思ったところで、ふと止まったんだと思うんですよ。
こういうふうでないと、
えーと、
僕らは真面目に考えようとしないんですよね。
こういうふうにいかないと、
すぐ答えを出そうとしてしまう。
考えても、
正解ないわけだから、ここに。
答えは出ないんですよね。
でも考えるっていう、
つまり、ラガちゃん、
これがまあ、ウィニコットって人が言った話ですけれども、
えーと、
ニードに対して、どんなニーズであったとしても、
完璧な答えではないし、
時々、大いに間違うと。
でも、大事なのは、
えーと、物重いにふけて、
深刻に悩んで、
そして、とりあえずもニーズを出すと。
これが、やっぱり、
私たちが人に期待できることなんだと思うんですよ。
他人に期待していいこと。
これで、
つまり、えーと、
損得ではないと思うんですよね。
損得だけだと、
自動販売機みたいになっちゃいますよね。
えーと、何々が必要だから、
このボタンを押して、
これをもらう。
これによって、
私たちが手に入れられるのは、
物ばっかりで、
難しいことなんだけども、
難しい話だなって思うんですよ。
欲しいのは愛情なんだけれども、
人はこれを要求できないし、
これを渡そうとしないんですよね。
で、愛情を渡す代わりに、
えらい高いものを渡すとか、
そういうことはするんですよね。
ライフハックの甘え
こっちの方が難しいのに。
で、相手の満足は、
著しく少ないのにもかかわらず、
この方がいいと思ってしまうんですよ。
ライフハックしかありなんですよね。
ライフハックは、
難しい解決策を
提案しますよね。
時間が足りないとか。
本当は大事なのは、
そこで時間に間に合うとか、
そういう話ではないんですけれども、
安心感と満足感と
甘えなんですけれども、
そういうのはダメだってことに
してしまいがちなんですよ。
究極的にはそういう話ですよね。
だから、
振り返って、
もう、
振り返りたければ、
振り返るっていうのが、
正解なんですよ。
で、振り返るときには、
今の話の
つながりで言うならば、
やっぱり、
関わってきている人が
そこに現れるはずですよね。
どういう振り返り方をしても、
そこに関係者というか、
人間が、
身近な人の存在というのが出てくる。
彼らは、
どう甘えたかったんだろうっていう風に、
というか、
違うな。
これからどう甘えてくるんだろうっていうのが、
鍵かなと。
あるいは、
甘えの重要性
自分は、
これからこの人にどう甘えていくんだろうっていうのが、
鍵かなって感じがします。
あえて言うならば、
2024年に目指すってことは、
それかなって感じですね。
私はこの番組を今日で終える気はないんで、
そういうわけで、
よいお年をっていう話はしませんけれども、
つまり、
今年はまだ続けるつもりでおりますが、
そして私は別に2023と呼んで、
区切りを入れる気はないですけれども、
そうですよね。
この番組を聞いてくださっている方にも、
私は甘えているわけなんだけれども、
つまり、
甘えたいっていう欲求があって、
それを満たしているつもりでいるっていう話なんですけれども、
これが、
できなければ、
発信なんて、
絶対できそうな気はしない。
やっぱり。
何もできないということになってしまうと、
何もできないって感じがします。
よく言うじゃないですか、
例えば、あのーとかえーとーって一切消すみたいな。
それはできますよね。
真剣にそれをやろうとすると。
でもそうすることによって、
失うものがありますよね。
確実に。
最初から、今えーとー言ったけど、
完全に決めている台本を読み上げるようなやり方になりますよね。
こうして僕らは、
愛情と甘えを双方とも失うんですよ。
一発で。
あまりにもよく起きている、
気がしますね。
昨日私はたまたま、えーとー、
娘の、
部活の、
なんか発表会みたいなのを見に行ったんだけど、
本当にそういうのって、
学校とかは、
如実に出るなーという感じがしますね。
子供は、
正解を出したいですもんね。
音楽の発表会でもなんでも。
その場合、
すごく技術的に、
今の子って本当に技術的にはすごい、
すごくなっていくんだけど、
それでもやっぱり、
これをひたすら出すっていう、
場合の演奏と、
甘えが成立している、
世界の演奏っていうのは、
全く違うんだなというのが、
僕がそういう視点で見ちゃうからなんだけど、
面白いですよね。
そういうのって。
どっちが正解というわけではないんですよ。
僕の場合は、
スキルっていうのは、
あのー、
やろうと思えば、
ここまで来れるっていうのも、
面白いと思うけれども、
多分子供でやることだから、
やっぱり、
だって子供がですね、
マーラーを完全に理解して弾くっていうのは、
なんだかちょっと、
奇妙な感じがするわけですよ。
マーラーの人生から考えても。
だけれども、
スキルだと、
あそこまでいってしまうんだけど、
そこに甘えがすごく少なくなってしまうと、
多分これ、
でもまあ、
これも昔から教育界ではよく言われていることだし、
しょうがないんですよね。
やりたい方向に先生が引っ張っていくのは、
当然だし、
そこにも甘えは甘えでありますからね。
いいんでしょうけれども、
まあそういうことを、
思うなあという。
だから表現ってのはやっぱり、
甘えなしの表現っていうのは、
奇妙なものになる感じがするなと思うんです。
でもまあ、
スキルをとことん突き詰めていきたい甘え、
みたいなのもあるから、
どれも正解と言っても、
いいんでしょうけどね。
まあそんな感じで、
最近は、
物思いというものについて、
悩んではいないんですけどね。
読んでるわけですね。
ビヨーン。
46:46

コメント

スクロール