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2023-07-10 43:30

直前の行動名を記録してから動く【GMV813】100チャレ編

意識を無意識に乗っ取らせない

サマリー

グッドモーニングボイスの100チャレ編のエピソードでは、タスクシュートというタスク管理方法についてお話ししています。また、レビューの重要性についても触れています。

グッドモーニングボイスの100チャレ編
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
おはようと言いつつですね、現在7月8日土曜日と、夜21時になろうとしています。
全然おはようでもなんでもないんですけど、
今撮りたくなったというのと、撮れるタイミングが来たという、
いかにもこの番組の新しいらしい感じかなと、
要するに気分で決めてるんで、こういうことが起こるというわけですね。
今喋りたいなと思ったということですよ。
そして、喋りたいと思った挙句、
そういえばあれを喋っておこうじゃないかと思ったテーマも見つかったので、
このタイミングで撮ってしまおうと思った次第です。
おそらくこの番組は100チャレ編になるだろうという予感があります。
予感があると言ってもね、ある程度はキーワードも念頭に置いたので、
予感があって当たり前なんですが、予感があるわけですね。
だからこれは100チャレ編として撮る。
でも撮ってみて100チャレ編として機能しなかったらボツにするぐらいなイメージでおります。
一応ね、一応と言いますか、17日海の日のCMをしておきたいと。
倉園圭三さんと何度か申し上げているぶっちゃけ相談のリアルバージョン、
神板橋でやりますので、よろしければぜひ来てくださいというところですね。
ぜひこのぶっちゃけ相談で、相談することというのはあるんじゃないかなと思うんですよ。
今時毎日組織に電車に寄られて行って仕事をしてということになれば、
なかなかですね、それを倉園さんに相談したからといって、
そんなにスッキリするのかと言われるかもしれませんが、
こればっかりはもう体験していただかなければ何ともいいようがないというのと、
私が最近Good Vibesというのは、これはおいおい伝えていきたいと思うんですけれども、
非常に即興性があるのが一つのPRポイントになるなと思っているんですね。
これはね、そうでないことが強調されるこの業界、どの業界だという感じですが、
にあって即興性をPRにするというのは、いかにも危うい感じもしなくはないんですが、
一方でですね、確かにいろんな意味でそうなんでしょうけれども、
私も最近精神分析の本でもですね、
カウンセリングの本でも心相心理の本でも何でも、
実例をもう誇頌に読むというのが習慣になっていて、
本を読んでいるというよりは、カウンセリングレポートを読むというのが日課みたいになっているんですよ。
そしてこういうことがあり、親御さんはですね、育て方が厳しかった、
お父さんは優しかったけれども家にいないとかね、そういうのが書いてあって、
つらつらあって、首相は夜眠れない、上に接触障害気味だと、これ多いですね。
非常にね、食べるということがうまくいかないというケース、
そして不眠だったり、やだら寝すぎる一方で、
そしてはい、食べては嘔吐を繰り返すみたいなそういう話。
話としてはそういうのが読んでて、この辺が厳しいなと思ったんだけど、
実は過食とか接触障害とか挙食とかは全然大事なポイントではありますけど、
決してそれは重大なポイントじゃなくて、
もっと遥かに厳しい問題がその方の心の中で起きているっていうのが延々と読んでいてですね、
やっと語りのようなものが見えてきた。
ここまで6年かかってるとか、平気でこうなっちゃうわけですね。
もちろんそれはそうなんだと思うんですよ。
それ以上早くするのがいいというわけでは、いいとは少しも私も思いませんし、
大事なポイントだとは思うんだけど、あれを読んだ上でですね、
タスクシュートについて
やっぱりこう、果たして6年通えるかここにっていう問題が今十分あり得ると思うんですよね。
即興性があるというのはやっぱり大事なポイントではあると思うんですよ。
結局その後また何か別のものが必要になるかもしれないけど、
遠ざなんとかしのげるっていうのはそれはそれで大事じゃないですか。
遠ざしのげるのがグッドバイオスですっていうわけではないですよ。
ただ遠ざしのげることも大事ですよね。
そういうことはこれまでにもありとあらゆる角度から議論されてきていますし、
そういうジャーナルっていうんですよね。
お高い雑誌を私はPDFで入手してはせっせと読んでるんですよ。
いろいろわけがあるんですね、これにも。
とにかくそういう実例が次から次へと読んでいて、
ただここまでに5年かかったとかね、さらっとそんなことを書かれてもね、
毎週1回行くんだって、前週行ってるかどうかわかりませんが50週、
5年なら250セッションをここまでに費やさなければならないと。
それはそれで大変じゃないですか、ありとあらゆる意味で。
だからやっぱりいろんな角度からのものがあっていいんじゃないかなというふうに、
私は今は思うようにはなっているんですよね。
それなりにちゃんとしたものであれば、これをまた言うのは簡単ですけども、
それをどうやって担保するんだって話になると本当に難しいと思うんですけど、
それはどんな世界でも同じだと思うんですよね。
だからとりあえず1つ体験としていらしていただければ、
おやつも食べられるし、悪くはないんじゃないかなというふうに思う次第です。
これが17日。
最近あまりご無沙汰してたんですけど、7月30日ですね。
この日に東京来伯研究会というものを、通称BECさん、北信也さんと一緒に私もさせていただきます。
この日、ようやく私もなんとなく心がタスクシュートの話をしようと決まったんですね。
毎日毎日カウンセリングの実例みたいなのを読んでいる中で、
タスクシュートの話をいきなりするっていうのを、
自分の中でもちょっと不思議なものを思うんですけど、
そういう私の今の心理モードでもできる話が、
タスクシュート系でもやっぱりまだあるなというふうに気がついたので、
それを30日にしたいと思ってます。
40分っていうのがね、なかなか厳しいんですけど、
何しろ気がつくと僕40分以上、
最近ちょっと1時間ぐらいで、2度連続に1時間ぐらい喋ったばかりで、
反省はしないんですけども、一定の軌道修正は必要であろうというふうに思って、
多分それを思ったから、この夜に撮るということをやっているのかもしれない。
そんな感じですね。
7月30日にトラケンにやりますので、
こちらは八丁堀の旦那の八丁堀です。
ぜひよろしければご参加ください。
今日はタスクシュート絡みの話をしたいと思っておりますが、
これは7月30日に話す内容とおそらく関係はしてくると思います。
一言で言うとレビューの話。
最近ボイシーというところでJ松崎さんに招待していただき、
認定トレーナーのウミさんという方と一緒にKanaedaを収録してもらったんですけれども、
それがなかなかあちらこちらで話題になりまして、
私としては非常に良かったなと思っております。
レビューについてですね。
J松崎さんと私の喋っていることは、
実は方向性としてはほぼ同じで、
そう聞こえたかどうか分かりませんが、
私が聞いた、
理解した限りではほぼ同じ方向を向いていてですね、
なんだこれ、
何にも僕とJの違いがですね、
あるんですよ、
違いはあるんだけど、
方向性として逆だとぐらいに思われているかもしれませんが、
当日喋った内容は方向性としてはほぼ同じ方向を向いてたなというふうには思うんです。
こちらに関してはですね、
ボイシーの方を聞いていただきたいと思います。
ボイシーの方を聞いていただければ、
同じ内容をもう一回繰り返そうとは思わないので、
ボイシーの方を聞いていただければいいと思うんですが、
私は実はですね、
あの中で喋ったもう一つ、
ほとんどあの中でも展開、
膨らませるところまでは至ってなかったんですが、
そっちについてですね、
今、
これは私のまた別の、
自分の活動としての3ヶ月チャレンジという活動をしているんですが、
その中の方にちょっと取り上げていただいたというか、
質問いただいて、
そうなんだよなと思って、
私自身この話題をあまりにも世の中一般で出してなさすぎるという点について、
こちらはもうね、
反省したんですよね、
少しね。
これは僕やっぱり、
これからタスクシュートについて喋るときは、
これを一番前に持っていかないともうダメだなと思うようになったんですよ。
そうしないと、
レビューの重要性
結局のところ、
これは違う、
それは違う、
あれは違うって話をするだけに終わってしまって、
私は一体何でタスクシュートをやってるんだということに対して、
答えたことにならないんだなっていうふうに思ったんですね。
だからこれは虎拳でもこれを喋ろうと、
もちろん全く同じ話をただ繰り返そうという気はないので、
何かにカッコつけてというのかな、
例え話を出しながら、
自分の実践を出しながら、
それこそ7月29日のタスクシュート、
私自身を使いながらでも説明しようと思っているので、
そうすれば毎回毎回一応アップデートできるわけですから、
そういうふうにしようとは思っておりますが、
そうは言っても、
まず自分のタスクシュートの一番やっぱりコアになる、
しかし受けは、
もしかすると一番よろしくない部分を強調しようというふうに思ったんですね。
今回そのことを3ヶ月チャレンジで再度認識させられたといいますか、
別に被害的な話ではなくて、
ここをやっぱり自分はやってるんだから、
言っていかなければなというふうに思ったわけです。
それは一言で言えるんですよ。
タスクシュートっていうのは、
今やっていることをタスク名として書き、
その開始時刻を書き入れる。
一番詰めていく、実はこれなんですよね。
これだけなんです。
しゃべると1分で済む。
例えばこのグッドモーニングボイスであれば、
グッドモーニングボイス開始20時58分。
これでいいんです。
これが全て。
ただ必ず自分の行動に名称を付けられるのならば、
開始直前にこれを書かなければいけない。
僕はこれができれば、
タスクシュート、タスク管理、タスクプラン、レビュー、
全てできたことになるというふうに認識しているんですね。
このことだけを僕は本当は一番最初に言えばよくて、
レビューは何のためにするんですかと言われれば、
直前にタスク名と時刻を書くためですと言うし、
プランはと言えば直前にタスク名と時刻を書くため。
これが常々できるように必要だと思ったタイミングでは、
という意味ですけどね。
できるようにならなければ、
タスクシュートが結局できていることには、
僕の考えではならないんですが、
もしこれができなくても別にそれはそれでいいんですよ。
ここが難しく聞こえるかもしれないけど、
できなかったらそれは既に終わったことだから、
また次のタイミングでこの機会が来たときには、
タスク名を書き、開始時刻を書き込んでから、
その行動を取るということさえできれば、
他のことはほぼどうでもいい。
ていうか、はっきり言ってしまえば私にして、
私自身にとっては完全にどうでもいいことです。
これは流されているとか、受け身的だとか、
受動的だとか、能動的だとか、
個人主義だとか、自由主義だとかということとは、
実は一切関係ないんですよ。
タスクシュートとはこれだという、単にそれだけなんですね。
それで、レビューをもしするのであれば、
これができたかどうかをレビューするんです。
だから終了時刻のタイミングで、
タスクシュートの基本
果たして私が直前に書いたこの開始時刻から今までは、
この行動をしていたと言えるか、イエスかノーか。
これにイエスと答えられないのであれば、
次の機会からイエスと答えられるようにしましょう。
これがレビュー。これだけです。
だから、行動の開始直前に記録を取り、
終了時に記録を取る。
これ全部合わせて記録を取るために必要な時間はですね、
5分。5分でいいはずだと。
24時間中5分。だからこれを取る時間がないというのは、
私には認められない。
それからこれをやるのが面倒くさすぎるというのも、
私としては正直言って認めがたい。
ただ、できないことはあります。
僕も、僕は今ないんだけど、あり得ると。
全然不思議ではないです。
でもこれができようとできないと、そんなことは、
反省したり罪悪感を持ったりするといった
数字合いの問題ではないんです。
できなければ次回できるように、
心がければそれでいいんですよ。
これが全てなんです。
これ以外は一切いらないと、私は思うんですね。
ノートだとか、プロジェクト管理ツールだとかは、
私にしてみればいらない。
他の人がいるというならば、用意されれば。
これは用意するか用意しないかは、
タスクシュートそれ自体とは、
僕の考えでは関係があまりなくて、
タスクシュートとはつまり、
何か行動というものを起こそうとしたときに、
その前にタスク名と開始時刻を書いてから、
その行動を取るということなんです。
これ以外のことはタスクシュートとは別の話だと。
タスクシュートの反中外の話について、
私が理事だからなんだろうと関係なくて、
それはその人たちが自由にやるべきことであって、
私が口出すことではないと思うんですね。
私が考えて言及するべき対象は、
唯一さっきのGood Morning Voiceをやるならば、
それをやるのにふさわしい時刻がどうかとか、
これどう考えてもモーニングじゃないですからね。
そういうこととは一切関係なく、
やりたいと思ったんならやればよろしいんですよ。
ただ、やる前に名称と時刻を絶対に書き込まなければ、
絶対、やる前は絶対書き込まなきゃダメだと思っているべきです。
ただ、やった時に時刻も名称を書いていませんと言うのであれば、
それはそれでしょうがないということです。
ここまでで、
たぶん3ヶ月チャレンジの参加者の方に寄せると、
点々という反応が出るんですよね。
それやって何になるのかというのと、
そんなことできるわけがないというのと、
これできるんですけどね、私は。
5年以上これをやってるんで確実にできると思うんですけど、
しかも特殊な能力は一切いらないんですが、
できるわけがないというのは、
だからやろうやろうとし続けてくださいとしかもはや言いようがないんですね。
これ1分おきにだからものすごく大変だっていう話もあるんですけど、
1分おきにコードを変えなければいいじゃないですか。
それだったら。
1分で終わっちゃうコードもそれはありますが、
それはむしろあんまりそれについて記録を取らなければいいんですよ。
例えば睡眠なんてほら、
6、7時間いくわけじゃないですか。
たった1つですよ。
だってこれしかできないですもん絶対に睡眠に関してはね。
睡眠の記録を取るなら。
睡眠と書く。
23時58分と書く。
寝る。
この順番しかできないでしょ。
寝始めてから書くことはできないと僕は思うんですよ。
だからタスクシュートは全行動について成立するんですよ。
寝落ちしちゃダメってことですね。
寝落ちがいけないっていう話ではないですよ。
寝落ちとはタスクシュート的な行動ではないというだけの話です。
私はこの特にタスクシュートで一番レビューをチェックするポイントとして、
睡眠。
睡眠あんまり言いたくないから言わないんですけどね。
睡眠。
それから電話。
電話対応。
そしてトイレ。
あとなんだろうな。
睡眠。
トイレ。
電話。
メール。
まあその辺ですね。
あとは場合によってはタバコを吸う、お酒を飲む辺りかな。
その辺だと思いますね。
で、行為の評価をしちゃいけないんですよ。
僕の考えではこれもタスクシュートというのは。
全てはMAXっていうのを倉園圭三さんに教わったからそう言ってますが。
MAXなんだけど。
僕の考えではMAXか最低かは関係ない。
タバコを何本吸おうと、ファン座を何十時間見ようと、そんなことはいいんですよ。
大事なのはそれをやる前にその名称を書いたか。
そしてその開始時刻を入れたか。
で、終わる時にちゃんとそれを終了としたかということです。
一旦中止だとしてもですね。
なんとなく始めるっていう行動があるじゃないですか。
そのなんとなく始める前に記録を残しておくんですよ。
それは記録を残しておくことによって自分の行動の取っ掛かりを見るとか反省するとか評価するとかいうためではないんです。
その行動を取るということを意識できているかどうか自分にはっきりさせるためです。
これを徹底することによって何が起きるかというと、にもかかわらず無意識にする行動が発生するはずだと僕は思うんですよ。
ここまで徹底したとしても、つまり1日私の考えでは最大6、70項目にとどまるはずなんですね。
そうしないと5分おきにコードを変えてることになるので、それはそれであんまり好ましいとは僕は思わないんですよ。
5分おきに変えちゃダメだって話ではないですよ。
評価をしちゃいけないと僕は思うんです、この種のことで。
評価をするのが目的ではないか。
これはですね、私は評価をしたいんですという方はぜひしてください。
私の考えではタスクシュートとは行動を評価するためのツールではないから、それはタスクシュートとは関係ないんだと言いたいだけなんですね。
評価をすることが良いとか悪いとかいう話はしていないんですよ。
評価をしたければ評価をなさってください。
ただそれは僕の考えではタスクシュートではありません。
行動を記録するためではないんですよ。
意識を記録したいんです。
意識を記録するというのはつまり、行動の前にその意識を浮かび上がらせることができたかどうかをチェックしたい。
そしてその後、その行動を継続できているかということの意味はですね、
意識に、意識上その行為をするよと。
例えばグッドモーニングボイスを取るよと。
意識上決めたその影響は
その後もその行動をやめるまでは
持続されて然るべきだという考え方に僕は基づいていると思うんですね。
例えばグッドモーニングボイスをしている最中に
喉が渇いたから水を飲みましたというのは良いんだけれども
それはあくまでもグッドモーニングボイスを取るための行動である場合なら良いんですよ。
だけどグッドモーニングボイスを取っている最中に
テレビを見始めまして
気がついたらずっとテレビを見ていてグッドモーニングボイスはやっていませんというのは
自意識でその行動を取るといった後に
何らかの干渉が入り、あるいは介入が入り
行動を無意識のうちに切り替えさせられて
そのことについて自意識は何にも十分な対応を取ることができなかったという意味になるんです。
これが僕は良くないと思います。
自意識の決めた通りの行動が取れるためではないんですよ。
自意識はただそのようなことが起きたときには
何らかの意味で一定の重要な意思決定に関する
常在していなければ常にいなければいけないと僕は思っています。
それはちょうど自意識ってのは総理大臣みたいなものなんです。内閣における。
全部をその総理大臣が決めてはいけないと思うんだけど
それがいいと思わないんだけど
そうしたいっていう意見の人もいるんですよね。
そうしたいならますますなんだけど
自意識の重要性
でも気がついたら総理大臣不在の中で何か変化してましたっていうのは
良くないと思うんですよ私は。
なんかそれじゃ空出たじゃないですか。
自分の心理状態の中で意思決定に関する空出たが起こるようではいけないと思う。
何をしたかは評価の対象にしないんです。
私が評価の対象にするべきは唯一空出たが起きてるか起きてないかだけだと思う。
意思決定に総理大臣が決めた通りじゃなくていいんです。
自意識が決めた通りじゃなくてもいいんだけど
意思決定に関与しなければいけないんです。
だからグッドモーニングボイスをやってる最中にファン座を見ちゃうのはいいんですが
その時切り替えましたという記録は自意識の上で残しておかなければいけないんです。
そしてそれは残すのは恥ずかしいから残しませんということを言った場合は
それは自分の心の中に監視者が混ざっているという意味で良くないんです。
私の考えでは。
ファン座を見ようと見まいと私の自由なんですよ。
私の部屋でやってるんだから。
ここでまるで他人が覗いているかのように
親があなたちゃんと勉強しているのと言って私は部屋覗きに行くからねって
これを心の中に置いたらダメなんですよ。
親が覗いてくるというのはあんまり僕はいいことだと思わないけど
しょうがないと思うんですよ。
子供の権力より親の権力の方が強いんだから。
でも親の監視というものを
実は親の監視じゃないにもかかわらず
自分の心の中に住まわせてしまうのは良くないと思うんですね。
だから同じような理由で何をやっても構わないところで
これをやったらまずいよね。
でもやっちゃう自分は恥ずかしいからその記録が残らないよねというのは
タスクシュート的には僕は一番まずいと思うんですよ。
それだったらどんな恥ずかしいことをやってもいいから
全部記録に残しましょうと言いたいんですね。
その場合必ず記録の切り替えている瞬間というものを
自分の心は目撃しているはずなんですよ。
にもかかわらず恥ずかしいという理由によって
なんとなく切り替わってしまったという事態を
発生させてほしくはないと思うんですね。
私はタスクシュート協会としては分かんないですけど
大橋さんとかJさんがそういう意見に賛成かどうかは知りませんから
でも賛成なんじゃないかなという風に
僕は推定してここで喋っているんですけども
とにかくそういう監視者を自分の心の中に
密かに入れ込んじゃいけないんですよ。
それをやるぐらいならば恥ずかしいことをやった方が
ずっとマシだという風に私は思うんです。
自由な行動と記録
心の健全さを保つために
逆はものすごく不健全なものを
私は感じてしまうんですね。
これは精神分析家とか心理カウンセラー家じゃないですよ。
佐々木翔吾としてはっていう意味です。
なんとなくそれは非常に健全でないものを感じるんですよ。
恥ずかしいからこの記録は抹消しておこうみたいな
そういうスパイみたいなやつを心の中に入れ込むっていうのは
どうしても僕には
何をやってもいいって言いながら
それをやっちゃダメっていうのは
ダブルスタンダードだなと思うんですけれども
それでも僕はこれは嫌なんですよね。
人はもっと全然自由であっていい。
まして密かにサリン作ってるとかじゃないじゃないですか。
自意識と行動の関係
せいぜい密かにファンザー見てるとかじゃないですか。
そんなのははっきり言って全然OKだと私は思うんですよ。
10何時間見ようと20時間見ようと見たいんだったらばですね。
ただ20時間も見るんだったら
途中で絶対休むじゃないですか。
だから休んだら休みましたという記録を残す。
ラスクシュートであればそれを残す。
それはつまり
自意識というものはやっぱり
行為の主体的な変更に
何らかの形で関わるべきだと思うんですね。
自意識が何かの奴隷になるっていうのは
どうしても私やっぱりいただけないなっていう感じがするんです。
この他のことは
この件について言えばあんまり関係ないと
私は思いますね。
ガーッとしゃべってきましたが
基本的に今日しゃべりたいことは
多分概ね以上なんじゃないかなというふうに思うんですね。
だからもう1回言いますけど
つまり行動における
行動の開始直前の事故
そしてその行動が終了した時刻について
自意識の了解があるかないか
それをチェックするのがレビュー。
それがタスクごとにできるから
僕は今はタスクレビューみたいな表現でもいいと思っているんですけど
あるいは瞬間瞬間に
開始と終了においては瞬間瞬間にやるから
瞬時レビューと言ってます。
これをやる限りは
タスク管理をするための時間って
あえてわざわざ1日の中に必要ないと思うんですね。
なるほどこれはやろうと思えば
紙でも手帳でも何でやってもできるなというふうに
私は最近思うんですよ。
あとはそれを見た時に
自分はレビューができているのかと
自分は自由に行動できているのかと
その2点だけを確認すればいいんじゃないかと思うんですね。
あとはそれを何をしようと。
そしてここから先はですね
コメントでいくつかいただいたのが
それでは受け身的になってしまうって話があったんですけども
僕はそこで言われたいことは受け身かどうかじゃないんですね。
それでは社会人としてちゃんとやっていけないんじゃないんですかっていう
多分そういう懸念があったあるんだろう。
私は自分はそもそもですね
そんなことをまずまずですよ
これはまた佐々木昌吾的な意見だと思って聞いてください。
そんなことを自問したくなくないですか。
一応社会人としてやっているかどうかという基準はですね
原則はやっぱり自分自身だけで了解するべきものだと思うんですよ。
例えば私は自分がタスクシュート365日分の人にさらしても恥ずかしいとは感じないし
感じたくもないんですね。
それは中にはいると思いますよ。
こんだけしか仕事してないんでよく恥ずかしくないですねっていう人もいるかもしれないけど
余計なお世話というもんじゃないですか。
なんで私が普通に生きていて別に借金も1円もなくて
ちょっと家のローンを親に借りたっていうのはありますけど
だって毎月毎月相当の額を返しているし
その他については借金もなくてですね
税金の対応も一切なくて
あれですよ。15日ぐらい遅れてコンビニで払ったことありますけど
原則、税金の対応はないと思うし
本の締め切りも実質、あり得ないほど超過したなどということは1回もないし
そういうことですよ。
だから仕事はそんなにしてないかもしれないですし
バジャーマンのごとく働いているとは言いませんけれども
これをもってですね、私が1日こう過ごしていると
英語の勉強とかしてないし朝活とかもする気は全然ないし
筋トレも一切してませんし
今運動すらしてないですけれども
これで恥ずかしいとか恥ずかしくないとか
そんなことを人に言われる筋ではないと思うんですよ
そして僕はですね
たとえこれ私がニートだろうと引きこもりだろうと
そんなのは人の知ったことじゃないと思うんですよね
要するにあれですよ
自分のやることをやってりゃいいじゃないですか
人なんてものをですね
なんで生活指導みたいなものを他人から受けなきゃならないのかって
みんなもっと腹場を立てていいんじゃないかと思うんですよね
そんなふうに思うぐらいだったら
だからなんでそんなに生産的で前向きな人間として
生きていかなければならないのか
僕にはちょっとよくわからないわけですね
そんなふうに自分は今後も生きていきたいとは全く思いませんし
その辺はそれぞれの人々の価値観でいいと思うんですよ
だからこれを野晒しにしようと
少し恥ずかしいと思っちゃうかもしれないけど
それは習慣の問題であってですね
基本的に恥ずかしいことは何もないと思うんですね
ちゃんとやってるよというふうな気がするわけです
だけれども平均的な日本人よりより多く働いてるという自覚はないです
おそらく働いてないだろうなという推測はあります
だからといってこれ以上何かをしたいとは
ちっとも思わないわけですね
そしてですよ
なんとかですよっていう言い方
誰かの言い方と似てたか
今思い出せないし全然関係ないからいいや
長期的な見通しを立てるか立てないかという点についてですね
立てても立てなくても
同じのはずだっていうのがやっぱり思うところなんですね
つまり私は自意識の関与を
全行動の自分が認識できている限りにおいては
全行動の切り替え時に自意識の関与を必ずしてるんです
自意識の意思ではないです
自意識は関与している
ここで変更していいのかという問い合わせを立ててるんです
少なくともここで変更したことを認識しましたね
ということだけは自意識に毎回毎回関与させているわけですよ
締め切りと行動の約束
無意識の意思に行動が切り替わったという点だけは
原則認めない
寝落ちみたいなのはしょうがないと思う
僕は寝落ちってここ
少なくとも5年はしてない
多分15年はしてないと思うんですよ
全くしてないかって言われると困るんだけど
5分もしてないかってことになればそんなことはないですが
でも寝落ちして1時間経ちましたって経験は
ここ15年は多分
すいません1,2日やったら申し訳ないと思いますが
ないような気がするんですね
そしてそれはお前が疲れてないだろうって言われれば
僕は疲れてないってあんまりしょうがないとは思うんですけどね
疲れたいとも思いませんし
ただ人に何かをやれって言われれば
これはGood Vibes以前から極力
即座にではないにしても
かなりの頻度ですぐやるようにはしてましたし
その時には
グラスのけいぞんさんが言う
Good Vibesでいつも本気で全力でやってたかって言われると
多分そうはできてなかったけど
大筋ちゃんとやるようにはしていました
娘のご飯の準備とかも
できなかったって日はないですから
熱があろうとなんだろうと
コロナの日とかはやれませんでしたけど
熱があろうとなんだろうと
朝5時半ぐらいには起きて食事の準備をして
お弁当を妻にバトンタッチするところまでは作って
朝駅まで送るってことぐらいはしてたんで
こういう行動を断続的にずっとするっていうぐらいのことは
毎日してるんですよ 平日はね
私が言いたいのは
ちゃんと仕事をしてるとかそういう話ではなくて
意識の関与が入ってくる限り
締め切りなんてものは意識するに決まっているじゃないですか
7月の下旬には
本書き上がりますね 2章まではって言ったら
2章までは7月の下旬には
書き上がるペースで書こうとはしますよね
私は全時間開始遅刻に関しては
意識の上らせているんだから
途中でスーパーマリオをやりたくなろうと
ゼルダをやりたくなろうとファンザを見たくなろうと
千葉ロッテの試合を見に行ってみたくなろうと
見ててずっと見てても大丈夫かみたいな時の
問い合わせは必ず意識してるんで
原則書くんですよ
書くということがそんなに僕にとって難しいことではないので
いざとなったら書きますよ
暇な時間と行動の選択
ファンザ中断して書こうみたいになりますよ
それは
だから締め切りを超過することがあるにしても
せいぜい3、4日なんですよね
30日も40日も何もせずに経過してしまうことは
私に関しては起きないんですよ
それにそこまで超過するほど書くのが
嫌だってことが第一にないのと第二に
そこまで僕には最初に言った通りやることがない
こんなにいろんなことをしようとしていませんので
ノーションの勉強もしてないですし
スレッツも新しく何かの機能を
一生懸命チェックするというようなことも
してないんですね
なぜなら別にしようと思ってないからですね
新しいニーサの勉強をするとか
一切していないので
原則として暇なんですよ私は
この暇はしかもどちらかというと
方針としてあるって意味だけど
なんとなくの方針としてタスクシュート上の
暇な時間はより多く取ろうと思って
何もしない時間を増やそうとしているということです
可能であればでいい
可能な限り何もしない時間を増やすという方針を
使うのでその時間何かに使いたいという
気持ちはだんだん弱まってきているんですね
今一番もし空き時間があるなら
やりたいのは
カウンセリングの実例を読むということなんですよ
これはですね
理論を読む
はるかに勉強になるなって感じがするんですよね
今となってはワンオンセッションといいますか
私の場合対談という名前にしてありますが
することもありますし
三ヶ月チャレンジでも
一対一で人の話を
対面で聞くと
オンラインですけどねということがあるので
本当にカウンセリングの実例っていうものを
本当に読むと
そうかなるほどなっていうのが
非常に多いんですよ
非常に多いんですよ本当に
狂気かどうかとは関係ないんですよね
人というのは
こういう風に考え
思い
何かにぶち当たった時には
こういう風な行動に出るか出ないかで
選択を迫られみたいなのがですね
本当に
カウンセリングっていうのは
そういう事例が
大量に蓄積されているんだなと
お勧めは別にしませんけれども
本当に自分が悩んだ時
私は自分が少しでも心に悩みがあるなと思ったら
事例を読むんですね
人の事例を読んで何になるのかという感じもされるかもしれませんけど
全然自分と関係なくても
例えばアームカットとかそういうことしたことないですけど
自傷がやめられないという人の事例を読むとですね
本当に心の傷が付くっていうのと
リストカットしちゃうっていうのは何も変わらないなって感じを
読んでてつくづく感じます
自分はしなくても感じるんですよ
だからそういうのも次から次へと
読む時間は欲しいと思うことはありますが
別に読まなくてもいいわけですよ
これを読むまで対談はできないとかそんなことはないわけですよ
読んだことが対談で直接生きるなんてことは
まず全然ないですしね
例えば読んだのはそういうリストカットの
リストカットと挙食の女の子
無意識と自意識
食べられないとかね
オートしちゃうという女の子の話をずっと読むと
16、17歳ぐらい読んだ後で
タスクシュートのレビューっていうのはね
っていう話を聞かれると
全然直接関係ないですからね
僕が読んでるのは何かのためになるから読むと思ってるというわけじゃないんですよ
結果としてためになることは非常に多いですけれども
ためになるから読むと言ったわけじゃないんですよ
でも基本的にこんなの読んでられるということは
時間に余裕はあるということです
この余裕を読むのをやめて原稿書くのに当てれば
原稿進むじゃないですか
だから絶対間に合うと思うんですよね
長期計画とそういう意味において
余計なことをする余裕もあるんですよ
別に佐々木老貴が投げるんだったら
千葉ロッテの支援を見るというのを優先しても
全然大丈夫ですよ
これがですねこうならないというのは
私はやっぱりどこかで無意識というものが
自意識を乗っ取ってしまってると思うんですね
最初の話に戻るんです
あるいは心から野球堪能していたのに
あなた野球見てていいのっていう
親のスパイみたいなやつが心にすみついちゃってるから
野球を堪能するということを
野球を見ている時間に収めることができなくなったり
してるんではないのかなという感じがするんですね
そういうことはよくありますし
野球の堪能
私も若い頃その悩みをやたら持ってたんですけど
こういうスパイは心の中から
全部追放してしまう必要があると思うんですよね
だから私は
何をやっても原則自由だと思いますし
人に自分の行動について
とやかく言われるというのを絶対認めるわけには
いかないなというふうに思うんですよ
それだったら人に頼み事をされた方がよっぽど
頼み事をされたらそれをやると
お前はこういう行動を取るべきだという行動を
取るというのと頼み事を聞き受けるというのは
話が全然違いますからね
筋トレするべきだとかスレッツの勉強するべきだとか
ノーションやるべきだとか
全然話にならないとある意味思うんですよ
それだったらノーションについて書いてくださいとかを
頼んできたらいいというふうに思うんですね
何かこう
佐々木が一生懸命やっている姿を見たいとかね
それっておかしいと思うんですよね
何かを見せるのが私の仕事ではありませんから
ましてその
自分時間を確保して朝勝に勤しむべきだみたいな
やりたければその人がやればいい話であって
私がやる話は
私の仕事であって
どのように私が生きるかを誰かが決定するという話とは
全く関係ないという感じがします
そうするとこれは誰にでも当てはまる話で
何もしなくていいと思うんですよ
人は頼まれ事がないんであればね
全く何にもする必要がないと思うんですよね
何かをする人生で人生を高めていくとかは
たぶん全然
私がやるべきことだとは思わないですよね
それを私に言える人がこの世にいるとしたら
神様だけなんじゃないですか
私はいわゆるそういう信仰は持ってませんけど
一神教的な
たぶんお前に人生を与えたんだからその人生を
クオリティ高めておけよって言える存在があるとすると
ゴッドみたいなやつだと思うんですよ
私はそれ信じてもいないので
いまいちそれの意味がわからないんですよね
人生のクオリティそんなものはないと思うんですよ
あれですね
これは福祉的な本を書いている人立石さんだったかな
人間の条件そんなものはないっていう本が
非常に僕はその通りだと思うんですよね
どういう人生を送っているから
価値があるとかないとか言い始めると
全部優先思想になっちゃうような気がするし
非常に恐ろしい話になっちゃうんじゃないかな
明らかにこれをタスクシュートから言うのは
あまりにも大げさな話であって
やっぱりそういうことを言っているわけじゃないと思うんですよね
要は日々やることをちゃんとやっているっていう話を
されたときですよね
それは私が決めることであり
私からすればそれはタスクシュートで
開始時刻が入っていれば日々やることはちゃんとやっているんですよ
43:30

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