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2022-10-14 34:43

【689GMV】『ねじまき鳥クロニクル』雑感

クミコはなぜ水玉のネクタイを取りに行かなかったのか?
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月12日の水曜日ですね。
19時半を回ったところです。
はい、えーと、これは多分金曜日にアップするはずなので、
まあ、めでたく1週間が、まあ私の中ではですね、
グッドモーニングボイス的には終わったという程度の意味ですけれども、
まだあの、黙金とありますからね。
でもまあ、ややほっとしていると言いますか、そういうのもあります。
で、えーとですね、まもなくこれ10万再生いくんですよね。
なんかこれ結構すごいんじゃないかとちょっと思ったりします。
10万再生ってなんか不思議な感じがしますよね。
あの、もちろんこう、全部をがっちり聞かれたとは思わないんですよ。
それは多分そんなことはなくて、だけれども、
とはいえブログのビューと違ってですね、
1再生というのには一定の意味を感じるので、
700回も行きますし、10万再生って、
まあ10万再生の方が先に行きますけどね、
ちょっとびっくりしていたりします。
あのー、で、繰り返し繰り返しになっちゃいますけれども、
えー、15日の土曜日に働く人のための心理セミナーというのをやります。
第3回になりますね。
えーと、まあよろしければこれをチェックしてくださいと。
今度の内容も多分精神分析的な話にはなります。
えーと、まあ対象関係の話に戻るかなと思っているんだけど、
そのあたりは最後の最後までですね。
当日の来ていただく方の顔触れなり、
ご質問なりを受けて少し動かす可能性はあります。
まあ精神分析じゃない話にはならないと思うんですけどね。
そんな感じです。
で、前回ですね、えーと、
倉園さんにどういう話を聞いてもらって、
どういう風に、まあその後私が回復して、
回復っていうか、まあ無事ですね、
中年の危機で死んじゃったりしなかったのかということをお話ししたんですが、
えー、それで所々ネジマキトリクロニクルって言ってたにもかかわらず、
ほぼ何の関係もなかったわけですが、
えーと、今日はその次、続きみたいなところから話したいと思うんですね。
で、えーと、まあ間もなく泥棒かささぎ編、
は読み終わるわけですよ。
で、あそこには分析的な、というか、
一面全部分析的と言ってもいいような内容で、
えー、まずこれなんですね。
このことを、えーと、こんな風に読むということができるようになるだけでも、
03:01
精神分析ってものを、えー、知っておくのは面白いことだと。
まあこの種の話は時々しますけれども。
別に、あれを分析的な内容、あのー、コンテンツだと思って読む必要はさらさらないんですよ。
ただ、そういうことを含み込んで読むのも面白いっていう程度です。
で、どこら辺がそうなのかというと、まあ色々あります。
えーと、一番ね、あのー、僕が強調しておきたいのは、
カウンセリ、カウンセリンじゃない、
えー、クリーニングに出してしまった水玉模様のネクタになるものが、
あのー、エアポケットみたいになっているということなんですね。
そんなことは私は、えー、決してない人間なんだという風に奥さんはおっしゃってますけど、
決してない人間だからこそそういうことが起こるんですよ。
これもカウンセリングでは、特にこう、かわいはやまさんなんかの本を読んでると、
一冊に一回は絶対出てくるテーマだなって思いますね。
あのー、何と言ってもいいんですけれども、影とか言ってもいいんですけれども、
こう、それが、えーと、視界から消えてなくなってしまう。
すべてのことを、あのー、コントロール下に置いていていたり、
大事なことはすべて、こう、記憶の全意識ですよね。
思い出そうと思えば思い出せる領域に置いておこうとすればするほど、
えーと、全意識が広くなって収集がつかなくなっていく。
こういうことは、あのー、知的生産系の話ではもう、
繰り返し繰り返し出てくるテーマだと思うんですよ。
えーと、うー、一旦ちょっと電話がかかってきましたので、えーと、
エイムしますね。
非常にびっくりしますよね。
えーと、最近ですね、実家が引っ越しをするというので、
こう、頻繁に電話がかかってくるんですよ。
えー、大体、大した用事ではなくてですね、
あのー、今のうちにアマゾンから買って、
アマゾンからの買い物を私に電話でね、あのー、
注文するというのはすっごいめんどくさいことだと思うんですけれども、
えー、うちでは割と実家は平気でこれを、この方法が確実だとても思っているのか、
これをしょっちゅうやるんですよね。
あのー、自分でクリックした方がよっぽど簡単だと思うんですがね、
あのー、スマホかなんかね。
えー、これを電話で、えーと、たぶんメモかなんかしたい、
例えば書籍タイトルとか、えー、著者名を言って私に、
で、私に買ってもらって、で、代引きで買わせるというね、
すごいこう、ものすごい仕組みだな、これはと思ってしまいますが、
あのー、つまり、こうやって、
チェックリストに入るわけですよね、何らかの形で。
あのー、うちの父はチェックリストではなく、これはメモっておいて、
06:03
電話をかけようとするタイミングでかければ忘れないんですけど、
これが全意識なんですね。
こういうものをノート術なり、さっき言ったように、
知的生産のノートの方法論、エヴァノートなんかもそうですけれども、
すべてこの考え方なんですよ。
全意識の覚悟を、
全意識の覚悟、あのー、半径を広げたくて、
広げたくてやっているわけじゃないですか。
ところが、例えばエヴァノートで何万ものノートがあって、
適切なタグを、適切なタグをつけるのはもう早く神業の領域に近いんだけど、
えーと、つけても、全意識というものの外に外にと漏れていきますよね。
数が増えれば当然こういうことが起こるわけですよ。
私たちはここで何かを恐れているんですね。
その恐れというのを、あの久美子さんというねじ巻鳥の主人公の奥さんは非常によく体現されているわけです。
なぜなのかよくわからないけれども、読んでいるうちに明らかになってはいきますけれどもね、
なぜなのかわからないけど、彼女の意識できる半径というものには限界があって、
我々みんなありますけど、その外へ漏れてしまうものが大事なものなんですよね。
大事なものが外に漏れると思っているから怖いから、
ありとあらゆるものを管理下に置く、コントロール下に置きたいという意識がますます強くなるわけですけれども。
で、この本のテーマは間違いなく井戸掘り、つまり下へ下へと掘っていくわけですね。
私たちはもうそれしかできないんですよね。
つまり自分の半径というものの外側に本当の意味で接触するのは怖いので、
怖いからこそ自分の半径というものをはっきりさせて、なるべく自分の領域だけは確実に保守しようと。
そういう考え方で彼女は家にあるものはすべて管理できている。
おそらく自分の全意識の中の記憶もかなりの程度しっかりさせている。
だから彼女は会社では有能なんですよ。
でも不思議とエアポケットみたいな、とっても夫と一緒に大事にしているネクタイというものの管理というものがですね、
うまくいかなくて弱っちゃうなと彼女は言っていた。
非常に自分で自分が信じられなくなるわけです。
そんなことが起こればね。
もう一つ彼女はものすごく大事にしている。
夫と一緒に最初に飼い始めた、生まれて初めて猫を飼うということができたところの猫がどっか行った。
この話はそこから始まるんだけど、猫がどっか行くというのはめちゃくちゃ象徴的じゃないですか。
これは分析なんか知ってようと知らずとも全然問題なくこの話に何を言わんとしているかがよくわかるというものですよね。
09:00
意識の自分のコントロールの半径の外に猫なるものは出て行っちゃうんですよ。
これは彼女の意識している記憶というものが猫のようにどこか彷徨ってしまうということがどれほど彼女にとって深刻な事態であるかというのを象徴しているわけですよね。
だから夫に荒ぬ言いがかりをつけるわけですよ。
あなたは猫をちゃんと探してくれないと。
この言いがかりも非常に精神分析的で、同時にいかにも夫婦喧嘩でありそうなセリフのやり取りであるところがまさに小説家なんですよね。
一流の作家なんですよ。村上春樹さんが。
いかにもあなたはちゃんと猫を探していないとかいうことをいきなり言われる夫は、僕はちゃんと探しているんだといかにもありそうなやり取りじゃないですか。
でもこれは彼女の夢の世界なんですよ。ある意味では。
彼女の夢を主人公のストーリーとして語っているといういかにも現代小説ですよね。
つまり猫はどこかに行ってしまう。だって猫ってそういう生き物ですからね。
まるで我々の記憶みたいですよね。
大事な猫ほどどこかに行ってしまうわけですよ。
で、二人で飼った猫というものをちゃんと夫は探してくれない。
夫は何かを忘れているんですよね。この話も途中で出てきますね。
二人で最初に飼った猫のあの時のことを覚えているかというやり取りがあって、これが善意識っていうものですよ。
夫は多分あやふやになりかけているわけですよ。
もっともその夫とのやり取りが、実在する夫とのやり取りなのかどうか大変微妙な雰囲気がありますけど、小説の中では。
で、こういうふうに見ていくと、私たちはつまりそういうことを実は知らないっていうのが作品の最大のテーマだと思うんですね。
どれほどこの猫を大事に思っていたかあなたは知らないんだって言ってるじゃないですか。
それはそうですよ、当然。だってあの久美子さんというのは大変な思いをして生きてきているわけです。
お家が実に独特の世界観のお家ですから。
一番多感な時期になぜか祖父母に預けられた。
でもこんなことはよくあることですよね。
いかにも普通にありそうなことばっかりです。
ばっかりだけれども、その多感な少女時代を祖父母のもとに預けられたなどということは、恋人だって知らない話なわけです。
で、よくある話ではありますが、恋人の方は一体僕は彼の彼女について何を知っているんだろうって話になるんですけど、
何も知らないんですよ。
で、私たちはそういう意味で何も知らないんですよね。
だって相手の全意識について全部知っていたら大変不気味ですよね。
いくつかは無意識でしょうし。
だけどこの猫がまた傑作なことにですね、この話の中でも、
つまりその久美子さんを祖父母に預ける多感な時期に経済的に困ってもいないのに平気で祖父母に預けるような真似をする
12:04
そのお家の一番いびつな価値観の象徴のようなお兄さんなんですよね。
綿屋昇って言うんですよね。
という猫に名前をつけてるんですよ。
この辺の話っていうのは本当にですね、どういうつもりで一体その
この奥さんはそんな名前をその一番よりにもよって大事な猫の名前にしちゃうのかと。
綿屋昇っていう猫がどっか行っちゃうっていうのがこの話のスタートでした。
それがどういうわけかいろんな戦いを経て野望犯事件みたいなね、
日本とソ連が衝突するんですよね。
国境をめぐって衝突する話になっていくという。
そういう話が大体第一巻の大体のあらましなんですけど、
つまり一人の人間を取り巻く、あるいは一人の人間が住んでいる家全体を取り巻く
事情なり歴史なりを追っていくとこういう話がボコボコボコボコ。
僕の話の中で野望犯が出てくるかどうかは分かりませんけど、
でも私の祖父だって満州に行ってるんですよ。
そういう言い方をするならば。
満州で兵隊やってたんですね。
しかもね、その時の話はもう私は聞いたことがないので分かりませんけれども、
私の母に至ってはサハリン出身ですからね。
生まれたという意味で言えばそうなんですよ。
カラフトと言ってますけれども、要はサハリンですよね。
別に普通に戻ってきてるんですけどね、二人ともね。
シベリアとか行ったわけじゃないんですけど。
でもそうなんですよ。
つまりちょっと掘ってみるとすぐそういう話出てくるわけですね。
私の結局、自分自身の倉園さんに相談した話の内容だってですね、
深掘りしていくと結局妻に母を見ちゃうという話なんだけど、
妻に母を見るから何か問題があるのかというと、
この問題が発生するのは結局、
妻が怒った時に母の怒りのようなものに触れていると
私が感じてしまうその恐怖の予感がですね、話を一層ややこしくするわけです。
そういうものに私は触れたくない、触れたくないと思うから、
例えばお金がなくなってくるとそのことを妻に告げたくないわけですよ。
妻に告げたくないにもかかわらず、
例えば奥さんが何かちょっと高いものを買ったりすると、
私はそのことを妻に告げずにはいられなくなるんですね。
こういう形で出るんですよ。
でもそれはどうしてそんな風な形で出るのかというと、
うちの母がお金にものすごい困ったほどがあるからなんですよ。
間違いなく。
うちの母はお金のことになるとスーパードライになっちゃうわけです。
ビールの宣伝みたいですけどね。
スーパードライになっちゃうわけですよ。
私が子供の時からそうでした。
結局、母が最後に口にしてしまうのは
15:00
人間、お金さえあれば生きていけるんだからっていう決め台詞があるんですね。
母は別に日頃主宣道やってるわけでもなんでもないんですよ。
結構無駄に金使うしね。
だけど、母はですね、怒りというものがあって、
怒り狂ってしまうと、私の子供時代の感覚で怒り狂ってしまうと、
人間、金さえあれば生きていけるんだからっていう決め台詞で締めるんですよ。
このことを私最近思い出したんですけどね。
これを私がたぶん3つか4つの時から聞かされてるから、
私はこの金にまつわる不安というものと
母の怒りの声っていうのが結びついちゃってるんですね。
だからお金がなくなりそうになると、
私、母に怒られそうになった不安を覚えるわけですよ。
そこをなんとかしようと頑張ろうとするから、
妻とのいざこざの中に金銭的なものが入ってくると、
恐怖感にとらわれるっていういきさつがあるんですね。
ところでどうしてそんなことになるんでしょうってことになると、
母が要するに幼い頃お金がなくて嫌な思いをした。
実に実に嫌な思いをしたんですね。
それはもう最近話題になってるあれですよ。
二世信者みたいなものなんですね。
うちの祖父というものが非常に宗教かぶれな人だったわけです。
だからうちの母はうちの父、つまり坊主なんぞと結婚させられてるわけですよ。
非常にピタッと符号してくるじゃないですか。
ネジマヒドリクロニクルみたいにね。
あんなに劇的な話はボンボンは出てきませんけれども、
何かあるわけですよ。
あの、父母未生以前の本来の自分とかっていう言い方が仏教にありますけれども、
父母が生まれる前からあったことが私の中にDNAみたいに、
これDNAじゃないですけどね、すっかり入り込んできているわけです。
私の中の分裂気味な部分と私の中のヒステリーな部分というものは、
既にですね、母が生まれる前からあったんですね。
カラフトにいる祖父の中にあったんですよ。
どうして祖父は宗教かぶれなんでしょう。
祖父はですね、多分ママ母に育てられているんですね。
そして非常にこう、ある意味気の小さいところがあって、
こういうところ私にもあるんだけれども、商売上手ではないんですよね。
でも洋服作るのは上手。
で、テーラーやってたんだけれども、
テーラー岡本とかいうのかな、やってたんだけれども、
まあ腕はいいわけですよ、服の。
でも商売をする能力は全然高くない。
そういう人ってどうなるかっていうと、すごく祈り出すんですね。
この真理ってあるんですよ。
よくですね、昔の商売やってる人のところには、
紙棚みたいなものがやたらと飾ってあったりするケースって、
18:00
まあこれは商売の上手い下手に関わらずなんだと思うんですけど、
でも商売って運ってところあるじゃないですか。
腕だけ良くてもどうにもならないことっていっぱいありますよね。
だから宗教なんですよ、ここで。
そうでなくても、多分サファリンから引き上げてきたりした時には、
いろいろ理不尽だったと思うんで、祈りたくなる気持ちって絶対あるんですよね。
そっちが工事すぎてるわけです。
で、全額そっちに継ぎ込むと。
だから家から金がなくなるんですよ。
というのを母は知ってるので、すごく金の苦労ってのが嫌いなんですね。
そういう金に困っているくせに、祈ってさらにそれを金に継ぎ込むっていうようなことで、
身の破滅を招くと。
そういうようなことが嫌なんですよ。
だから母の根底には、ものすごいその種のおじいちゃんのね、
宗教にかぶれては、ちっちゃい娘でも平気で引っ叩くみたいな、
そういうDVっぽい、そういう世界の恐怖ってのがあって。
それが思い出されると、子供に容赦なく独特の怒り方をすると。
それを私が恐れているから、そういう怒られ方をしたように奥さんに送られたように感じてしまうと、
その恐怖で私が一杯になって取り乱すんですよ。
こういう背景があって、私はですね、脅迫的な防衛というのを強烈に身につけていくんです。
あの久美子さん、そっくりなわけですよ。
ただ会社で有能に働けないだけであって、全然ダメですね、これでは。
でもあらゆる自分にまつわる書類やら、情報やらを、
時々昔も今も紹介してますけれども、クリアファイルに徹底的に管理して、
タスクシュートで時間の管理も全部やって、
自分が苦手そうな皿の食器の用意の仕方とかを全部チェックリストにして、
つまりこれは私の脅迫防衛なんです。
悪いことではないんですよ、脅迫防衛というのは。
適応的である限りにおいては。
あの久美子さんのようなレベルに入っていくと、明らかに問題を感じますけれども、
手前のところで止めておく限り、別に部屋が片付いていようと、
引き出しがそれなりにきちんとしていようと、それ自体が問題なわけじゃないじゃないですか。
問題になってくるのは、これと何度も言っている通り、
脅威的な恐怖が圧倒してしまって、
あらゆる管理というものを完全にしておかなければ、
身が破滅すると思うような時に起こってくるんですよ。
そんなふうに思うって不思議な感じがするかもしれませんけれども、
チェックリストに通りにやっておかないと、
早朝に奥さんが、そんなことじゃ間に合わないでしょって言われると、
この時に言われた感覚が、私が母に言われた感覚で、
3歳児の頃の呼び覚ましで、そのまま行ったら大変なことになるんだからと。
どんどんお金がなくなって、どういう展開からそういう話になるのかな、
21:02
必ずそういうところに落ち着くんですよね。
そこで、母が言われた感覚が、
私の母の言われた感覚によって、
母の言われた感覚によって、
私の母が言われた感覚によって、
どういう展開からそういう話になるのかな、
必ずそういうところに落ち着くんですよね。
みんな食べていくこともできなくなって、
みんな死んじゃうんだからね、みたいな話になって、
人間でもお金さえあれば何度かなるんだから、
という真面目なゼリフに届くんですよね。
これが実に、私の感覚の中に、
びっしりあったんだなっていうのを、
倉園さんに話して以来、
次から次へということは、
逆に言うと、45年くらいは、
28から45までの間は、
こういうのに苦しんでいたにもかかわらず、
私は大してこれに手を打つこともなく、
邁進していったわけですね。
この母に罵声を浴びせられるという心理状態を、
再現しないように、
ライフハックさえしていけば、私はうまくいく。
現に30代中盤付近は、
それで相当うまくいっていたわけですよ。
だからこういう方法に頼るようになるんですよ、人間は。
一つには、心の平安のようなものが、
これで得られる気がするじゃないですか。
するんですよ。
家に母みたいな人がいなければ、
しかも母ももう35くらいになったら、
そういうことを言わなくなりましたから。
しかも、本を出したじゃないですか。
本を出して、本が売れて、
お金が入ってくるようになると、
母に対してそういうことで責められても、
怖くなくなりますよね。
それでも怖いということになってくると、
ボーダーに近づいていくと思うんですけど、
僕はそうなれば全然怖くないという領域に
入っていたんですね。
これはやっぱり神経症水準なんですよ。
現実と交互しているんですね。
本当にお金がなくなると、
昔のことを思い出して、
妄想分裂ポジションに叩き込まれるんだけど、
本当にお金がないわけじゃなくて、
お金がないときはもっと強気でいられるわけです。
母がつまんないほど言っても、
めちゃくちゃ言い返せたりするわけですよ。
今思うと、30代後半の私は、
母に対してひどかったなって気がするんですよ。
こういうところで、
密かにリベンジが行われているわけですね。
だからなんだと思うんですよね。
私が思うに40代過ぎてから、
中年の危機みたいなのを招きやすくなるのが、
この路線で押していくと、
母でない人間にまで同じように、
自分の立場を強くして、
とことん募っていけば、
押し切れるんじゃないかと思ってしまう。
でもこの価値観って、
押し切っている間以外は通用しないんですよね。
母じゃないわけだから。
こういうことを回転させていった挙句に、
私が2017年頃に招いた。
24:01
招いたと言うべきなんでしょうね。
一部は招いた。
一部は、私の力の及ぼわないところからやってきた。
ところでぶち当たったんだろうと。
そんな気がしています。
あの話は井戸掘りですけど、
要は井戸っていうのは、
自分の歴史なんですよ。
記憶なんですよね。
そこをただ下に、
ドリルのように掘っていくと。
だけど、これはこれからの展開なんだと思うんですけど、
ところがそうしていくと、
イヤでもオウでも、
人の真相とつながっていく。
この辺はものすごくユング的だと思います。
フロイト的というよりは。
フロイト的にも結局こういう話になっていくとは思うんだけど、
つまり下に掘っていけば、
横とつながっていかずやろう得ませんからね。
例えば家の歴史みたいなものを掘っていっても、
結局他人が出てきちゃうじゃないですか。
私がさっき言ったように、
祖父は満州に兵隊として行っていたとか、
母はカラフトで生まれたとか、
結局気がつくと横に広がっていきますよね。
自分の盾を掘っていったとしても、
こうやって行って、
つまり現代人というのは、
今、横のつながりというものを直接持つことが、
かなりもう無理なほど、
村上春樹に言わせればね、
無理なほど孤独になっているから、
だからこそもう孤独なまま、
盾に掘っていくしかないんだという、
ある種非常に軽傷ならしているような、
やっぱり本なんですよ。
だいだい結局そういうもんですけど、文学って。
で、盾に掘っていったとしても、
でも結局そうすると、
横の広がりというものが出てきちゃうよね。
考えてみれば、
自分の歴史一つ取ってみても、
私は前は青森県にいましたし、
その前は北海道にいましたし、
横の広がりって出てきちゃいますよね、空間的に。
どうしたって。
こうでない人って多分いないんですよね。
だから盾に掘っていけば、
非常に深いところでは、
人とつながっていけない。
だから、
盾に掘っていけば、
非常に深いところでは、
人とつながっているということが、
だんだん分かってくると。
そういうふうにして私たちは、
盾に掘っていくというやり方を使って、
ひとつ、
つながりを回復するってことができる、
っていうのは多分、
暗示されているようなところまで、
私は今読み返しているわけです。
ここら辺から先はね、
かつて読んだほどがないんで、
なんとなくそういうふうになっていくんじゃないかな、
という予感を立てながら、
読んでいるだけなんですけれどもね。
ただ、
渡谷昇っていうのは、
この話の中では、
不吉なキーワードのひとつなんですよ。
非常に私は重要だと思う。
一番重要かなっていう感じがしています。
猫なんですけどね。
こういう猫みたいな話、
結局自分が好きでもない、
夫が非常に嫌っている兄の名前を猫に変えて、
非常に嫌っている兄の名前を猫に付けるっていう、
そういう、
なんていうんですかね、
これもエアポケットですよね、
要するに。
27:01
このエアポケットっていうのもですね、
もっと上手い言い方ないかなと、
自分でさっきから考えているんだけれども、
なんていうんですかね、
一番やってはいけないことこそ、
盲点になって、
ついやってしまうみたいな話です。
これが私は、
その脅迫症の非常に重要な、
なんていうんですかね、
脅迫症などというのは、
脅迫的防衛なんていうのは、
ライフハックみたいに、
別に何の害もないんですよ、もともと。
突き詰めていこうとすればするほど、
ちょっと不吉になっていき、
やがて、
とっても何か、
まずいところに、
まずい穴をですね、
穴みたいなもの、
井戸って面白い比喩だなって思うんですよね。
ウルカミハルキってほんとすごいですよね、
そういう意味では。
ここまで読んでもなお、
脅迫という表現があるんですけど、
すごいとはほんと思います。
つまり、自分の墓穴を掘っちゃうんですよ。
墓穴を掘るっていうのは、
すごくいい表現だとやっぱり思いますね。
何かやっちゃうんですよね、
そういうことを。
だいぶ前ですけど、
この番組で、
鋭気で嘘をつく人たちっていう本を
繰り返し紹介しました。
あの筆頭で出てくるのが脅迫神経症なんですよね。
私、あれ分厚い本なんですよ。
そして非常によく売れた本です。
ブックオフかなんかで
脅迫神経症なんですよ。
あまりにも売れた本はだいたいそうなるんですよ。
非常に面白いだろうと思って読んで、
一つ目が脅迫症だったのが
ガッカリしたんですよ。
何かやっぱり、
ああいう本なんだから、
カウンセリングのね、
アメリカのですけど、
自画心理学で超有名な人が書いた、
ほんとにベストセラーになっている
外国の本なんだから、
すごい何か怖そうな話が
やっぱり出てきてほしいじゃないですか。
脅迫神経症なんて、
あれですかっていう感じ。
当時は私は非常に高校生か大学生ぐらいだったんで、
子供だったんですけれども、
でも私の気持ちとしては
そういうのがあったわけですよね。
大変なんですよ、もちろん本人にしてみれば。
大変なんだけど、
でもやっぱり逃亡失調症とかの話を
ついつい期待するってのも変ですけど、
そういうふうに読むものを、
最初に出てきたのが脅迫神経症で、
うーんって思ったんだよね。
読んでいてすぐにすごい怖くなります。
って思いましたね。
つまり、
人を引いたのではないかと
あの人は恐れる。
車を運転してるとね。
やがてはその引いた現場まで行ったら
引いてなかったって
ホッとするために夜中に2時間も
車で飛ばさなきゃならないような
羽目に陥る。
重度なんですよね、非常に重度です。
やがてここから先がやっぱり不気味なんですよ。
いずれ橋とかを渡ろうとすると、
橋を運転中崩落するんじゃないかという恐怖に
かまって、
橋に渡ることが一切できなくなっていくと。
その時にふと考えつくのが、
30:00
この橋を渡っても大丈夫だということを
悪魔に保証してもらうために契約すると。
代わりに悪魔にですね、
自分の一番可愛がってる末の息子の
魂だかなんだかを
差し出すという
仮の契約を結ぶっていうんですよね。
非常に病的なものがあります。
そしてですね、
脅迫神経症というのは
非常に迷信深いという風に
ありとあらゆるところで書いてあります。
多分DSM読むと書いてあるんじゃないかな。
非常に迷信深くなると。
だいたいぶつかってもいない車が
ぶつかるという予測を
不安に駆られてる段階で
ある意味迷信深いんですよね。
これは確信の
なんていうんですかね、
確信の不足っていうものなんですよ。
愛と憎しみというもの
つまり分裂なんですけど
結局いいおっぱいと悪いおっぱいの話に
戻っちゃうんですけど
いいものと悪いものが
同じであることは知ってるんです。
神経症水準だから。
まさか同じじゃと思いませんでした
というレベルは超えてるんだけど
いいものと悪いものが
自分の心に同居していて
その二つが混ざってきているときに
もちろん混ざるんですよ。
普通は中間なものだけど
だけれどもこの人たちは
悪いに分けておきながら
そのまま混ぜてしまってるんで
いいんだか悪いんだかが
分かんなくなるんですよ。
こういうところから道徳的な
善悪の曖昧さみたいなものが
本人を非常に困惑させるんですね。
これやってること不思議じゃないですか。
一番自分の好きな息子を
わざわざこう
生贄に差し出すみたいなことを
やってるわけですよ。
好きなんだかそうでないんだか
よく分からないじゃないですか。
こういう曖昧さみたいなものが
非常に苦しめる。
一方ではすごくはっきりしてるんですよ。
良いものと悪いものが
ズバッと分かれている。
自分が死ぬのは絶対怖い
っていうのははっきりしている。
なんだけれども自分は死ぬかもしれない。
そういうところで確信が持てないわけですね。
いろんなところで確信が持てない。
大体そうじゃないですか。
手を洗うのをやめられないのも
閉じまりを何度も確認するのも
確信が持てないからなんですよね。
エクセルの表計算で
何度も何度も計算をし直すっていうのも
確信を持つという機能が
押し出されてしまってるわけですよね。
良いものと悪いものという分裂に圧倒されて
どっちだかを決めることができなくなるんです。
いろんなことについて。
だから迷信深くもなるわけですよ。
どうしても超常的になってしまう。
そういうふうに考えていると。
考えてみると
いつか何かが起こるかもしれないということで
いつも怯えるっていうのは
いろんな意味で迷信というものと
よく似ています。
不吉なんですよね。
例えば
SNSで自分の悪口が
言われてるかもしれないという恐れっていうのは
ある意味非常に
ホカルティックな恐れでもあるわけですよ。
ものすごく現実的に
本人には思えるんですけれども
これがあんまりすごくなってくると
33:01
つまりそれっていうのは
乗ってる電車が脱線するかもしれないとか
外を歩いていたら
雷に撃たれるかもしれないとか
そういうのと何にも変わらないですよね。
そういう心理的な状態が
どの現実について着目するかによって
このような現象は至る所で
発見できてしまうっていう
そういう多分
症例なんだろうと思います。
なんていうかね
こういう風にしてねじ巻き鳥を見ていると
つくづくですね
あちらこちらで不吉な影ばっかりですよね。
不吉な影に脅かされ続けている
主人公夫妻っていうか
その
夫婦なわけですよ。
秘密は良くないなと思いながら
なんか奇妙などうでもいいようなことを
すぐ秘密にしてしまうって
あれも非常にですね
恐怖から来るんだろうけれども
確信が持てないんですよね。
結局
僕の言うことを信じてほしいとかって
言っておきながら
決して相手が信じるということが
信じられなかったりする。
一方で奥さんは奥さんの方で
なんかこうどっかでもらってきたよね
オーディコロンを
何にも言わずにもらっておくと
あるいはつけていると
思いながらも
夫はこれについても
何かを言うということによって
引き起こされる面倒な事態の方が怖いと
そんなようなこととか
ゴロゴロゴロゴロありますよね。
ああいう不吉さっていうものが
つまりすごくこう
脅迫症的な恐怖っていうものを
連想させる
そういう話なんですよ。
これに私も
多分に苦しんでいるところがあったと
この前回に話した話は
やっぱりそういう話でもあるわけですね。
ご視聴ありがとうございました。
34:43

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