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おはようございます。100日セラフィ第1037回をお送りいたします。
こちらの番組はですね、もともとスポティファイ、アンカーで収録していたものをスポティファイでアップしておりました。
最初、グッドモーニングバイブスという名前で、こちらはですね、倉田の慶三さんという方が編み出されたと言いますか、
グッドバイブスという思想の一種かな、自己啓発という考え方を取る人もいらっしゃると思うんですけど、そういったものを実践中の私が毎朝ポッドキャストから配信するために作った番組が大元になっております。
その後、グッドモーニングバイブスはですね、もうちょっとどんな話題でも、それこそ私はタスクシュート協会の理事というのをやってますんで、
仕事術、タスクシュートといった話もするようになり、その他雑談もするようになり、概ねカウンセリングを中心に精神分析の話をやたら織り込むようになったので、
グッドモーニングボイスと、バイブスをボイスに変えて、頭文字はGMVのままでですね、解消せずに、そのまま旋回をスポティファイで迎えたんですが、
最近スポティファイの方のバンドルしていたAnchorのツールが使えなくはないんですけれども、すごい使うのが難しくなりまして、
毎回毎回これをやるのはとてもやっていられなくなりましてですね、引っ越そうということにしたんですね。
その前に3度目の解消をしておりまして、直前に旋回を迎えたところで解消をいたしました。
名前はですね、働く人に送る精神分析チャット。これは精神分析の話をものすごく僕がするようになったためにですね、
働く人というのはお金を稼ぐという意味ではなく働いている全ての人、つまりほとんど全ての人に向けて、
私は精神分析の発想というのは大変役に立つと思ったものですから、精神分析の話をすると。
でも私は別に精神分析家というわけでも臨床心理の専門家でもありませんから、精神分析の話をチャットすると。
まあチャットですね、おしゃべりするといった意味を込めてお送りしていたわけですが、先ほど申し上げたような、
このバンドルしているツールが事実上なくなってしまったために、完全になくなったわけではないんですけど、
まあそれにしても普通に使うにはとっても面倒くさくなりまして、もう思い切ってこのスタンドFMの方を試してみようと思った途端にですね、
100日セラピーという、まあその後ほどこれも説明しますけど、Jマスザキさんと、今説明しちゃおう、
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Jマスザキさんという方とですね、タスク修道協会のJマスザキさんの仕事の一環としてタスク修道を実践しながら、
100日間、先送りゼロを目指すコミュニティ100日チャレンジというものから多分インスパイアされて、
100日セラピーという言葉がいきなり思いついてしまって、これ頃がとてもいいなと思ったのでですね、
この際もうスタンドFMでやるこれは100日セラピーといったタイトルに切り替えちゃおうと思った次第です。
このようにして始めた100日セラピーは、当然これが第1回なんですが、解消に解消を重ねて私はポッドキャスト投資番号にさせてもらっております。
これは僕の勝手なんでね、投資番号で1037回目となるようなんですよ。
なのでこちら100日セラピー第1037回としてお送りさせていただくことにします。
なんかもうめちゃくちゃなんですけれども、とりあえずそういうわけです。
よくわからなくなったら私にDMでもいただければと思います。
多分名前についてはどんなご意見をいただいたとしても、私の勝手にしちゃうと思いますけれども、
とりあえずですね、意見をいただければ、ほとんどいただいたことはありませんから全部読みます。
1037回目の100日セラピー。
本日は8月15日木曜日21時41分。
おはようございますとか言っちゃってるのもですね、もう撮る時間はまちまちなんですけれども、
撮ってる時間が朝だろうと夜だろうと真夜中だろうと昼だろうと全部おはようございますになります。
もともとグッドモーニングバイブスだったという背景があります。
ここにはいずれ名前は元に戻すかもしれませんし、このまま行くかもしれませんけれども、
とりあえずしばらくはこれで行こうかなと思っています。
そして100日セラピーという名前にしてみてですね、これをですね精神分析に縛られることもある場合ということで、
精神分析の話から多岐に渡ります。
こういう話をしてほしいといったご要望もいろいろあると思うんですけど、
そういうものはですね、私にダイレクトで話しかけることができる人はそうしていただきたいし、
DMをいただくという方はですね、ぜひお寄せください。
私は全部読みます。ほとんど来たことないんでね。読みます。
読んだからどうってことは必ずしもありませんけれども、
質問いただければ質問にもお答えするようになるべくいたしますので、お気軽にお付き合いいただければと思います。
最初にお知らせがありまして、明日8月16日にはタスクシュートクラウド2というものがですね、
いよいよJ松崎さんの先ほど申し上げたJ松崎さんからリリースされます。
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私もこのタスクシュートクラウド1から2もいずれもですね、非常に深く関わっていて、
私知ってる人ばっかりだと思いますけど、これを聞いてる方は、だからもうとっくにご存知だと思いますが、
私は仕事をほとんどタスクシュート1本で、今も本当にタスクシュートの上で仕事をやっているという状況です。
ので、これをぜひ皆さんにも気が向いたらですね、お使いいただければと思いますので、こちらでCMをしたいたします。
私はこのツールはですね、タスクシュートクラウド2は、さすがにJ松崎さんが構想を5年かけて気も入りで作っただけあって、
その間も大変な紆余曲折を経て作っているだけあってですね、大変完成度は高いと思います。
で、仕事にも非常に役に立つと思いますけれども、こういったツールっていうのは好き好きなんで、
本当にデザイン一つ取ってもですね、本当に好き好きなんで、好きになれなきゃどうにもなれないというところはあると思いますので、
とりあえず私は強くお勧めするといったところに留まると。
私の使い方はですね、とにかくこう、なんていうのかな、
私は避けられないことって呼んでます。やらざるを得ないことって言います。食事、トイレ、睡眠ですね、もうこの3つはやらざるを得ません。
私たちが生物である以上はですね。そして我々はクラゲとかじゃないんでね、寝ないわけにはいかないんですよ。
だからもう寝る。寝るというのは、寝ないで済む日もあるということではなくて、いずれは寝なきゃなんだかなるってことね。
いずれは食べなければならなくなる。いずれはトイレに行かなきゃなんだかなる。これはもう避けがたいじゃないですか。
お風呂って入れてないですからね、私はね。お風呂は100日間避けることだってできますが、トイレはそうはいかないということですね。
これに準ずる活動しかタスクシュートに入れないことが、私に、もう一つある、もう一つありますね、もう一つあります。
やってしまったこと。避けられませんからね、やっちゃった以上。やってしまったことを評価しないということ。
だからやってしまったことはもうやらざるを得なかったというふうに見出します。
やってしまったこと、やらざるを得ないこと、そしてやらざるを得ないことに準ずることですね。
例えば私で言えばですね、お風呂。お風呂はやらざるを得ないと私が思うこと。
絶対に避けようと思えば避けられますけれども、絶対に避けようと思わない限りはやってしまうことは、全てやらざるを得ないことに準ずること。
この3つだけをタスクシュートに入れて、それをこのタイミングでやるためには、もうこれといったやる気も意志力も決断力もいらないなと思ったタイミングでやることしていれば、おそらく人生はおおむね大筋うまくいくだろうっていうのが私のタスクシュートです。
これについてですね、同意できるできないは様々あると思います。
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そういう話もすることもあるかもしれませんが、いずれにしてもいつかその話もできたらいいかなと思います。
で、今日の本題ですね。
タスクシュートクラウド2は明日リリースですから、使ってねということですね。
スタンドFMに切り替えて、初日の本題はですね、全然いつもと全くあや変わらないやつを話していこうと思うんですけどね。
接触障害かな。
接触障害について話していきたいかなとざっくり思っています。
僕は接触障害そのものに深い興味があるとかいうわけではありません。
接触障害というのは精神分析であれ、様々なアプローチがあると思うんですけれども、知見も溜まってきてると思うんでね。
私はこの種の話っていうのは必ずですね、今日そういう話をたまたま受けたので少し考えたんですよ。
正式というものに対する反発というのか怒りのようなものがあるでしょう。
正式のカウンセリングに対する。
これは私はですね、必ずあり得ることだと思っています。
そう簡単に治らない病気というものに対する権威というものほど、人をある意味苛立たせるものはないという気がするんですね。
例えば私にとってのアトピーがそうでした。
今はもう何にも感じることはなく、正式の医療というものに深い感謝しかないですけれども、治んなかった当時はやっぱ腹立たしいですよ。
これじゃないと治らないぞって言っておきながら、それでは治らないわけですからね。
民間療法というものを非常に批判的なのはわかるんですよ。
でも民間療法でも正式でもですね、治る確率でものを言われても、当事者はやっぱりこれでは納得がいかないわけですね。腹が立つわけです。
変異があるというなら治せよってことなんですよ。
治りもしないのに変異だけあってあられてもですね、やっぱり治っていない患者としては、治す以外の欲求を権威筋には特に絶対に持ちませんから、
治す確率が権威の方が高いとかなんとかいう話は、一人の当事者にとっては戯言に近いんですよ。
冷静に考えればそうでないのはわかります。
でもそんなに冷静じゃなくなってますからね、既に何十年も病気の場合、特に権威の人はアトピーじゃなかったりすると、
別に権威の人がアトピーになるべきだっていう筋合いは全くないんですけれども、そういうことが起こります。
これが私が思うに、安全病気を完璧に治すことができない限り、のの医者はいなくならない。
なぜなら当事者がのの医者になるからだっていうのが、私ののの医者に関する考え方であって、
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ここには例えば不登校、あるいは接触障害、あるいは夫婦の不中といった問題には決まって登場するはずの課題だと思うんです。
だって夫婦の不中を完璧に治療する医者っていうものがいるわけがないじゃないですか。
普通に考えてもそんなことはあり得ないですよね。
だから夫婦の問題だって正式のカウンセリングにかかった方がいいですよと正式の方が言うのは当然です。
私はそれに対しては1%も反論はないんですけど、しかしながら夫婦の問題について介入するのの医者がおり、
存在する占い師がいるのはこれも至って当たり前のことだろうと思います。
永久にいなくはならないでしょう。
占い師という占い師を強制収容所に連れてって電気出口を与えるとかすれば1人もいなくなるとは思いますよ。
でもそういう問題になってしまうということですよね。
これは昔の創始家なんかが言っていた話に似てますよね。
最近ある国の王様が言った、創始家なんか忘れましたけどね、
最近は受賞というものが多すぎると。受賞というのは要するに今で言うPhDみたいなものですね。
受賞が多すぎる、博士が多すぎるというわけですね。
いやいや、本当の受賞以外はみんな死刑という法律を出してみてくださいと王様に。
受賞は1人もいなくなります。そういう話なんですよね、これはね。
こういうことを言ってても私はしょうがないと思うんですよ。
それでは何にも得るものないじゃないですか。本当のとか言い始めてみたところでね。
で、こういう話をひとしきりしてですね、どういうところに話が向かっていくかというと、
つまり、接触障害になって当然様々なアプローチがあるわけです。
対象関係論というのはそのうちの一つであり、もしかするとある種の観点からすると、
野の医者に近いものかもしれません。精神分析などというもの。
生まれた時は間違いなくフロイトは野の医者以下ですよ。
あのヤバい占い師の、頭のおかしない占い師みたいに多分思われたと思います。
だってウィーンでは、その後のナチスドイツのおそらくというか確実にそのせいですけど、
精神分析消滅しちゃいましたからね。ほとんどの、ほとんどのじゃなくて、
ほぼ殺された人以外は全部フランスかイギリスかアメリカに逃げました。
だからこそフランスはラカンハだけれども、イギリスで英国分析協会だっけ?
忘れましたけど英国精神分析協会だったと思います。
そしてアメリカで自我心理学と。みんなユダヤ人が逃げた先ですよね、これはね。
そしてその戦勝国です。ここで精神分析が流行ったというのは、そういう歴史なんですよ。
ナチスドイツがむちゃくちゃ流行ったから。だから有名な話ですけど、
アメリカでは医学もその後進んだし、脳科学は著しく進んだし、精神分析も大いに進んだんですよ。
全部アメリカに良いところ持ってかれたんですよ。追い出したから。ドイツから。そういう話ですよね。
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ということは決してその本国、創始者の国であった、当然ウィンですけれども、
メラニ・クラインだってハンガリーの人だったと思いますけど、ちょっとこれも適当なこと言ってますが、
いつれにしても、東西冷戦の頃の、いわゆる東欧の方の国の方で発展した発想だったんだけど、消滅しちゃったわけですよね。
むちゃくちゃなことやりましたからね。こういう歴史の話もいろいろしていきたいわけなんだけれども、
でも私が念頭にあるのは常に仕事がはかどらないという話です。
そして仕事をする気にならないとか、自分自身に不安がある、これですよね。この話が本当はしたいわけです。
そして接触障害というのは、もちろん今手元に接触障害の本があるせいもあるんだけど、
接触障害という問題っていうのは結局親子関係というものをものすごく色濃く反映してくるじゃないですか。
私は接触障害の本を読んでいて、つくづく思い出すんだけれども、給食って残す子が多かったよなーってことなんですよ。
私は小学校6課年で給食って1回しか残したことないですよ。6課年で1回ですよ。
ものすごく私は病弱だったんで、何かというと休むんですよ。何かというと熱を出し、何かというと休む。
一番ひどかったのが幼齢菌感染症ってやつでも本当に死ぬんじゃないかと思った。あれ小学校2年だったと思いますね。
そういうでも病気にめちゃくちゃかかるんですよ。だから何が起こるかというか、どんなことが起こるかというとですね、
大人の権威って言えばすごいんで、食べると強くなるっていう神話のようなものがあった。
本当に食べさえすれば元気になって健康になって強くなる。めっちゃ僕は健康になりたかったので、ご飯残さなくなったんですよ。
どんなに嫌いであっても。全然口に合わなくても。で、今思うとちっともいいことはなかったんですけれども。
好き嫌いしてるやつの方がよっぽど健康なんじゃないかなって気がするんだけど、僕はもう好き嫌いというものをしなくなったんですね。
それはそれで得たものはあるんですけれども、だからどうやっても人生って得るものはあるなと思うんだけども、
まあそれにしてもつまらないことをやってたもんだなとも思うんですね。
で、こうやって食べる子供の観点からすると、それはそれは給食ってみんなよく残してますよね。
うまくなかったってのはわからなくはないんですけどね。飽食の時代にね。
本当に残すよねっていうのはありました。
今思うと少なからぬ女子はやっぱり既に食欲をコントロールしにかかってたなと。
男子はね、まだあの頃はそこまでいかないんですよね、ある意味ね。
食欲をコントロールしてまで親からの自立というものをですね、無意識に近いですね、女子もね。
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無意識に近かったと思うんだけど、その辺のある種コミュニティの精神主義みたいなのっていうのは、女子がやっぱりやや先行しますね。
言われるほど女子が圧倒的に先行はしないと思うんですけど、1年弱ぐらいは先行していた気がします。
同学年の男女を見るとですね、頭のいい男の子であったとしても、要するに社会的な振る舞いとしてはアホですよね、男子っていうのはね。
非常にそっちの方が面白みがあるような気もするんですけれども、自立心のために給食を食べないみたいな発想っていうのは、
当時の男子には空腹には全然勝てないっていう、めちゃめちゃ食べちゃうみたいな、そういう方がごくごく当たり前でした。
ここはものすごく私は重要なポイントだと思っています。
やっぱりこのSのコントロールですね。
このSってのは単なる生理的欲求ではないんですよ。
コントロールしたくなるような、ある種精神を含むものであったとしても、例えばダラダラしたいっていうのは、生理欲求そのものではないですよね。
ゴロンと横に転がりたいとか、ダメ出しをされてつらいから床に突っ伏したいみたいなのは、生理的欲求とは言えない。
でもこれは長寿がの欲求であるはずはないんで、やっぱりこれSの欲求なんですよね。
なんだっけ、思い出しましたけど、レズ風俗の女の人が書いてましたね。
寂しくてレズ風俗に行きました。
あの人が書いてましたね。
カウンセリング受けに行って、あれは非常に大事なポイントなんですけどね。
本当に小さな一コマでポッと書いてあるだけなんですよね、残念ながら。
話なんかいいからハグしてくれよと、抱きしめてくれよと、誰でもいいから抱きしめてくれよっていう女の人がいて、いやーかわいそうだなと思うんだけれども、抱きしめないことがめちゃくちゃ大事なんですよ。
まつきくにひろさんがね、精神分析家のまつきくにひろさんが書いてましたよね。
触診をしない医療ってのはありえない。
そうですよね、私も何かって言うと、あの聴診器で、はい息を吸ってください、吐いてくださいってやって、触られますよね、必ず触られる。
触診しない医療ってのはないですよね。
一方、触診をするカウンセリングってのはやばいですよ。
あの遠畑海斗さんが書いてますよね。
イエス・キリストは触るから奇跡が起こせると。
ところで我々が触るとセックハラになるみたいな、非常にあの人は面白おかしく書くんでね。
触るっていうのは非常に危険なことが起こるわけですよ。
もう目が急に見えるようになっちゃったりもしかねないほどなので、非常にこう危ないわけですね、触るという。
触れると何が起きるかわからない。
精神分析はハラハラドキドキって言ったのは遠畑さんなんだけど、ハラハラドキドキを越しちゃうんですよね。
触れると奇跡が起きてしまう。
奇跡が起きるということは爆発するかもしれないってことですよね。
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だからこの触れないというのがもう絶対大事なんだと。
確かに心療と心身医療ですね、心の医療、精神医療と身体医療は似たところがあると。
一対一で患者を見るし、患者と先生がいるし、ある意味病気を治すために2人が会うと。
決定的に違うのは体に触れるか触れないかっていうところだっていう。
この話は私は非常に大事だと。
だからレズ風俗の人が言ったところは、心療ですから、心の病に関するカウンセリングだから絶対ハグはしてくれない。
ここでハグをしてしまったら台無しですよね。
フロイトが転移性恋愛について、まさに転移性恋愛ですよ。
医者と患者、当時で言えばね。
フロイトとおそらく女性の患者が恋に落ちると。
ずっと毎日毎日会っていて、先生は私の言うことを何でもわかってくれる素晴らしい先生だ。
ちょっとボーダーっぽい、ヒステリーっぽい患者さんがくれば絶対恋愛状態に入ってしまう。
唯一私のことをわかってくれる素晴らしい先生ってのが、唯一私のことをわかってくれる素晴らしい男性ってものに変わってしまう。
そしてここでハグしちゃったら、キスとかしちゃったらもうアウトですよね。
すべてがぶち壊しになる。患者と医者じゃなくなっちゃいますからね。
医療行為ではなくなってしまうんですよ。
単なる駆け打ち一歩手前になってしまうわけですよ。
このことを書いてフロイトがドックレースにソーセージを投げ込んでしまったら、
もうドックレースはぶち壊しでしょうっていう風に書くんですよね。
ところで、なぜそこにソーセージって書くんだお前はっていう話なんですよね。
フロイトっていうのはやっぱり必ずエグく書かないと気が済まないようなところがおそらくあるんでしょうね。
で、接触障害の話に戻るわけですけれども、
接触障害というものはもちろん一つのパターンとしてなんですけど、
でも昨今Xでもなぜか急に話題になった不登校にしてもですね、
やっぱりベーシックなところに、一番根底のところに、
子どもは親を喜ばせようとしすぎるぐらいしているっていうことを忘れてはいけないと思うんですよね。
特に親子関係がうまくいってる場合はともかくとして、
うまくいかなくなった時は子どもがやっぱり必死になってしまいますよ。
私も子どもの頃のことを思い出すと、やっぱり30過ぎた頃のしっかり落ち着いてしまった頃に比べるとですね、
いや、子どもの頃は子どもってのは親が好きだよなぁとすくずく思いますね。
とにかく親に褒められようという、親にいい顔をしようとしすぎるんですよね。
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だから今思うと、やっぱりね、これを言うのはちょっと心身に寄りすぎかなと思うんですけれども、
やっぱり私は親の希望をかなえて病気になってたんだなと思うんですよ。
だって私50になって50になってですよ。体力がこうも衰えて、体力の衰えははっきりわかります。
階段登りきったところで少し息切れとしますからね。
考えられないことです、昔だったら私にはね。息切れするんですよね。不思議だなって思いますよね。
まあでも不思議じゃないのかもしれない。昔は人生50年だったわけですからね。
で、風邪1年で1日も効かなくなってきたんですよ。
今思うと、子どもは気をつけないからっていうのはあるにせよ、
私みたいに年から年中風邪ばっかりひいてたのは、親の期待に応えてたんですよね、私はね。
まあここはめんどくさくなるんですっ飛ばしますけど、やっぱり私は病弱で頭が良くて優等生でっていう、
ある種の親の想像通りの子どもを演じてたんでしょうね。
全く無意識ですから、だって嫌じゃないですか。結局親の願望を叶えるために熱39度出して、
で、親だってそんなの意識してるわけじゃないから、何お前また風邪ひいてめんどくさいとか言われてしまうわけですよ。
でもこういうやりとりも含めて、親の期待というものに応えてしまうんですよね、子どもは。
間違いなく私にはそういうところはありました。
自分は病弱だと信じきってましたから、親同様に。
親も私を病弱だと信じきってた。いまだに言うんですよ、それをね。
もうやってられないっていうか、もう付き合ってられないからね。いやいやいや、私は健康なんだよと。
これもまた思い込みってものが怖いところで、健康なんだって思い込み始めたら全く病気をできなくなったというのかしなくなったというのかね、そういうふうになったわけですよ。
これほどまでに子どもが親の願望を叶えてしまう。
今思ってもですね、やっぱり子どもって危ういっていうか可愛いっていうかそこら辺が難しいんですけど、
3、4歳で歩くのがやっとになってくると、やっと歩けるようになってくると、
なんか親がですね、めんどくさがりですからね、親なんて。
せんべい取ってきてとか言ったら、はじかれるように飛んでってせんべい取ってきてくれるわけですよ。
で、これが中学2年ともなればですね、もう何そんなめんどくさい、自分で取ってきてよって必ず言われますよ。
これはやっぱり必要ですよね、絶対に。
同じようにはじかれるように飛んでて取りに行ったんじゃまずいですよね。
どこからどう見てもそのまんま一人で生きていけるようにはならないですから。
親が言ったことは100%真実ですっていうがままに動いてちゃダメなんですよ。
だから反抗期ってものが出てくるわけだけれども、それは親目線で言ってる話ですよね。
子どもは別に反抗してるわけではない。
親は子どもに自立してほしいとも思ってるわけですから、アンビバレントにならざるを得ないわけですよね。
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ここに親大好き度があまりにも強く、しかも親が親目線というものがですね、意識してる方面しかなかった場合、ここが大事ですよね。
意識してる部分っていうのは、やっぱりいつまでも子どもは親の言うことを聞いていてほしい。
これ意識してる部分はそうでしょうよ。
そりゃね、味かれるようにせんべい取ってきてくるのが可愛いですよね。
だけどこっちしか意識していないということになり続けてしまうと、それはやっぱり困りますよね。
無意識の方では親はやっぱり自分先に死ぬと思ってるわけですから、少なくともこれは無意識じゃないよね。
自分多分先に死ぬよなっていうのは無意識とは言えない。
でもとにかく無意識では親は子どもに独立してほしいと思ってるわけですから、
こっちの願望も子どもは叶えようとしてくれてるわけなんで、どうしたってここは葛藤が生じます。
親が大好きであればあるほど、親が意識的に望むことと無意識に望むことが分かれてくる。
だって永遠にずっと親べったりで、永遠に自分であることもできずに、
永遠におんぶして、永遠にバナナの顔を剥いてあげてってのは困るわけですよ。
それを望んでないでしょ、親の方だって。
やっぱり学校に行ってほしいと思ってるわけでしょ。
でも私が言ってる通りに学校に行ってほしいっていうことが永遠に続くということになってくると、
これやっぱり一生赤ちゃんでいなければいけないってことになるわけですよね。
一生一次原則で生きていかなきゃならないってことになるわけですよね。
二次家庭でも生きていてほしい、現実原則も受け入れてほしいということになってくる。
自分が死んでも一人でお金を稼いで、どっかでいい人見つけて子供まで育てろってことになってくるとですね、
やっぱりこれはですね、親が言ってる通りに動くっていうのではまずいわけですよ。
ここでめんどくささってものが出てくるわけですよ。
親が何かを言うたびに実にめんどくさいわけですよね。
親が何かを言うたびにこの二つを同時に満たさなければいけない。
親が言った通りに動きながら親からは独立するっていうことを成し遂げなければならないわけですよ。
これをややこしくしたのがエディプスコンプレックスってやつなんだと思うんですけれども、
この感情は当然ありますよね。
それが子供なりに、子供というのはまだ未成熟なのでどっちにしてもですね、
子供なりにこのジレンマを解き明かそうとしたときにですね、
学校どうするのかっていう問題が一つ出てくるわけですね。
親の言う通りに学校で全てうまくやりたいんだけど、
学校では全てがうまくいくわけではないっていう事態に直面したときに、
いかないという独立精神っていうものが当然生まれてくるわけですよ。
私は私の判断で学校に行かないということが、
むしろ親も望んでいる親からの独立という私のコントロール、
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私が人生をコントロールするっていう方針の一つとして非常に単純ですけれども、
いかないという選択がここで無意識のうちに現れてくるんですよ。
すっごいこれはややこしい葛藤になりますよね。
でも当然ですよね。
もう少し手前のところにフィーディングに対する拒否があるんですよ。
だってフィーディングしている内容がまずかったらやばいじゃないですか。
親というものが完璧であればいいんだけれども、
完璧ではないから先に死ぬわけでしょ。
完璧ではないから病気になったり、人によっては寝込むってことが起きてくるわけですよ。
親は完璧ではないので、親が言ってる通りのものをひたすら食べまくってちゃまずいわけですよね。
フィーディングってのはエサやりですけれども、
私はエサをただいいダクダクともらってはいけないってことになってくるわけですよね。
ここで食に対するコントロール欲求というものが出てきたとき、
食べたくないものを食べるというのはですね、
非常に面倒くさいことになってくると思うんですよね。
その人の主観というのかな、心情の中で非常に面倒くさいことだと判断しなきゃならないし、
食べたくもないわけだから。
でも食べないというのは親の望むところではない。
でも何でもいいなりになって食べるのもまた親の望むところではない。
親の望みは叶えない。実に面倒くさいですよね。
この面倒くささがもう少し大人っぽく現れるとどうこうなんだろうし、
子供っぽく現れるともう少し違った形になるんでしょう。
いずれにしても子供っぽいとか大人っぽいというのはあんまり意味のないことであって、
その時社会がその年齢に応じて何を望んでくるかと。
ただただ食べることを望む社会が子供に食べることを望む年齢もあれば、
学校に来るってことを望む年齢もあるでしょうから。
だからこの番組で、この番組じゃないけど、前にお話ししました通り、
飛行という少年たちはすぐ年齢を上げていくんですよ。
おじさんがやりたいことをワコードがやるとですね、不良少年になっちゃうわけですね。
酒飲んだりタバコ吸ったり、悪体ついたりするっていうのは、
ある意味おじさんがやってることなわけですよね。
車の運転してみたりですね。
お父さんになったりすると全然どれも必ずしも大好きで面白おかしくやってるわけじゃないんだけど、
なぜかあれが先取りするとかっこいいかどうか大変だから疑わしいと思うんですけど、
かっこよく見え始めかねないというところがあるわけですよね。
つまり社会が要求する通りの行動をとっているだけだと、
自分が自立するっていうことに、これもまた社会が望むことですからね。
親が望むことでもあって。
で、こういう話を全部含み込んで考えてくれているのが、
私にとっては分析的な話だったわけです。
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そしてこの分析的な話の中に、
私がどうしても解けなかったいくつかの問題。
一つは例えば私が自分がモテないということに悩んでいたという問題。
あるいはお金を稼げるという自信が持てないという問題。
そういう問題がありました。
あるいは、なぜか皆様がよく私のところに寄せていらっしゃる仕事をしなければならない、
例えばトゥードリストに書いてあることを一向にやろうとしない自分が登場するという問題に、
すべてこれは不登校だろうと、接触障害だろうと、
すべて抵触してくる感じがするんですね。
抵触というか、絡んでくる感じがするわけです。
で、フィーリングっていう話を一つとってみてもなんですけど、
いずれ親は私にフィーリングはしてくれなくなります。
当然ですね。私はもう覚えている限り、それをされたという記憶はほとんどありません。
サジ出してショウコアンしてっていうのは覚えていません。
つまり私は自分で自分にフィーリングしなきゃならない。そうですよね。
給食に行くと先割れスプーンがあって、スプーンでアンして私が食べる。
私が私に食べさせる。これはフィーリングですよね。完全に。私にとっての。
自分で自分にやってるんだけど。
つまり母親というものはいずれ自分自身の中にインストールされて、
私が母子、一人で一人母子をやり始めるわけですね。
めんどくさいわけですよ。
これがめんどくさくなるかどうかは重大な問題になりますよね。
自分で自分にフィーリングするのがめんどくさいと。
ここまで分裂してしまうと大変ですよね。
私は自分にスプーンでご飯を食べるのがめんどくさいと思った瞬間がありません。
50年生きてきてそう思った瞬間はおそらくありません。
コロナで39度くらいの熱が出て、手が痛い時でも自分で自分にフィーリングするのが面倒だとは思いませんでした。
だからこれがめんどくさいとなった時、いますよね。
私は覚えがあるんですよ。
小学校3年くらいの時かな、女子児童が給食を食べるのめんどくさいって言ってたのが非常に鮮烈な印象を残してるんですよ。
怖いなと思ったんですよ。
めんどくさいって何がめんどくさいんだろうと思ったんですよ。
こういうことが頻々と起きてますよね。
私はまだ当時算数のドリルを先生が解けって言ったら、弾けるように解く子でした。
弾けるように牛の子が3歳の頃にせんべい取ってきてくれたように。
パパ、取ってきてあげるよって言ってバーって出してくれるわけですよ。
かわいい。ああいうかわいい子でした私は小学校3年の頃。
12たす28みたいなのをバッと解いてみせる。
これは全く同じで幼いんですよ。
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優等生ってのは幼さが残ってるから優等生なんですよ。
大人びた女子児童さんなんかはやっぱりめんどくさいって言ってたんですよ。
あれは鮮烈ですねやっぱり。非常に鮮烈でした。
私はそういう子を簡単に好きになっちゃってたんですよ当時。
分かります?大人っぽく見えるわけですよ。子供の目からしてみるとね。
めんどくさいって言って鉛筆も握らない。
でも鉛筆を握るのがめんどくさい感触ってもう皆さんはご存知あると思うんですよ。
僕はスプーンを自分の口にもとに運ぶのがめんどくさいという感触は知りません。
生まれて一度も持ったことがない。
それは多分食べ物に対するリビドウが強いんでしょうね。愛が強いんでしょうね。
でも鉛筆を握るのがめんどくさいと思った瞬間は私にだってもちろんあります。
これが人の独立ってことじゃないですか。
だから女子児童は正しかったんですよ。ちょっと早いけどね。
さっき飛行少年の話もしましたよね。彼らも正しいんですよ。
無理やりだけれど。
太いズボンを履いてタバコ吸うのは自立なんですよね。
非常に拙速気味なのでうまくいってはいないけど自立に違いはないんですよね。
私はある種の彼らのできることができないんですよ。
例えば大人と交渉するとかが当時は全くできない。
大人の言いなりになることしかできないんですよね。
そっちの方が褒められるし社会とうまくやっていきやすいんで。
ただいずれ言いなりになるってことには限界が来るわけです。
なぜなら言ってこなくなってくるからね。
だって大人というものは最終的には完璧な存在なわけではないですから。
例えばここにあらゆるエディプスというものにはあらゆる野の医者がいるっていう問題と同じ問題があるわけです。
野の医者っていうのは自立した存在でしょ。下手くそかもしれないけれども。
言いなりになることができないから野の医者になってるわけですよ。
言いなりになることはいつかどこかで必ずできなくなるわけです。
例えば全ての医者完璧ではないと私さっき言ったんで。
医者の言いなりになっても病気は治んないという事態をいずれは引き受けるしかなくなるわけです。
だって医者は不老不死の存在を作り出すことはできませんからね。
アトピーという病気は治すことができない。
治すことができないけど正式の医者に従っていなさいっていうのはやっぱり
言いなりになっていたら永遠にひたすら治りもしないのに
大学病院とかに通ってよくわからない検査を続けて
よくわからない結末を迎えるわけですよ。
松本邦博さんが接触障害の本で
誰もこれを身体の課題だとは考えてもいないのに
つまり接触障害って心因性のものだということは
全ての医者が分かっていたように見えるのに
ホルモンバランスとか一生懸命そういうものを測定していたという
とても不思議な光景があったと書いてたんだけど
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そういうことが起こるんですよ。私も全く同じ経験をしました。
アトピーの時に身体中の血を抜くのかぐらいの勢いで
大量の血液検査をして血の中にあるなんとかなんとかという物質とかの量を
あるいはダニが入っている量とかを測っては
いやオタクの血液中には少しだけダニが多いですねみたいなことを言う。
平気で言う。で私は頭がおかしくなってたんでその頃は腹が立っていたんで
私の部屋をひたすらバルサンと開くみたいなことをやってたわけですよ。
全然良くならない。当たり前なんですけどね。だって心因的なものなのに
身体の血の中をいくら綺麗にしても無駄ですよ。そんなに綺麗にはなりませんけどね。
つまりこういうことっていうのは社会込みで文化込みで起きることで起きることなんです。
どっかで人は結局は自立どんなに自立するのが嫌でどれほどいいなりになって頑張っていたくてもか
いいなりになるってすごい大変ですからね。1日10時間ぐらい勉強しなきゃならなくなりますから
いずれは親のいいなりになって頑張っているってことはそういうことを意味しますから。
全然楽じゃないんだけどでも頑張っていいなりになるわけですが
人によってはどっかでやっぱりドロップアウトするわけですよ。
いつかは絶対しないわけにはいかない。私のように結局相当長時でからドロップアウトすると
野の医者になっちゃったりするんです。後になればなるほど社会に対する反抗心っていうのは
むしろでかくなっていくわけですよ。10代であればタバコ吸っとけばすぐお話だったのに
40代でそれをやるから野良カウンセラーになっちゃうわけですよ。そういう面であるわけでしょ。
どう考えてもね。そういう面があるからこそ私たちは面倒臭くなるわけです。
どっかで必ず面倒臭いという気持ちを引き受けないわけにはいかなくなっていく。
面倒臭いって飛行少年が福井とするセリフだったじゃないですか。
面倒臭いってなんか面倒臭い以外の語彙がないのかぐらい面倒臭がってるじゃないですか。
あれはとっても意味があると思うんですよね。拙速だけど早すぎるけれど。
面倒臭いんですよ。どこか必ず。
例えば正式のカウンセラーになる。臨床心理師になる。今でいえば公認心理師になる。
つい最近ですね、Xに面白い一覧表があったんですよ。難易度の難しいのと簡単な職業の
職業別資格一覧みたいなのがあって難しい優しい。
医者になるとかが難しい。一番難しいのはパイロットとかね。
練習が低いやすい。これだと当然ですね。低い高い。高くて優しい方がいいじゃないですか。
高くても難しいのが医者とパイロットなんですよ。低くて優しいのがなんだったっけな。
あるんですよね。でこれ良さそうだなっていうところにクレーン車のなんかクレーン車技師みたいなのがあって
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比較的高くて資格を取るのはとても優しいみたいな。そうなんだって思ってすごい勉強になったんですよね。
で当然私はですよ。公認心理師と臨床心理師どこに入るんだろうと。
練習は低い高いでどの辺で、難易度高い低いどの辺で多分割に合わないやつなんじゃないかなと思ったんですよ。
難しくて練習安いってやつね。ところがそうじゃないです。ないんですよ。
臨床心理師と公認心理師はない。
まあ比較的新しい資格だからないのかもしれないけど私が探した限りなかったですね。びっくりしました。ないのかと。
公認会計士とか税理士とか弁護士とかもちろんありますよ。
でそれこそクレーン車なんとかもあれば栄養士もあれば福祉士もあるわけですよ。
公認心理師がないわけですよ。面白いなあと思いました私は。
野々医者が罰告するみたいなことを言いますけれども、そもそも公認心理師ってなんか世の中には認識すらされていない世界なのかと。
このなんか冗談みたいなマトリックスの表の中にそもそも公認心理師はないと。
世の中にあるんだけどあれになるのはめんどくさいですよ。
大学院を卒業してしかもその後でなんかよくわかんないけれども試験やって知りませんけどね。
お金もかかるし年数もかかるししかも今のところはなかなか普通に食べていくのも難しいというようになってます。
めんどくさいというのはですね言いなりになれないということなんですよ。
独立しなければいけないっていうことが背景にあるわけです。
この年になって独立するっていうのはやっぱり少なくとも年収で少なくとも300万は稼ぐっていう意味になるでしょう。
妻子持ちであればそれだけでは済まされませんよね。
そして言いなりになるっていうのは両立しないんですよ。
これは私は接触の話でもいわゆる不登校でもそうですし、めんどくさいという言葉が運搬さない頃から、
それこそ宮崎駿さんのこれは倉園圭祖さんのGood Vibesの話を聞いているときによく出てきたんですけれども、
宮崎駿さんはあのコンテ描くときね、めんどくせーめんどくせーと言ってると。
ああいう退科のおじいさんからそうだな10歳ぐらいの少年少女までひたすら皆さんめんどくさいを大合唱していらっしゃるわけですね。
それは言いなりになってはいられない。独立しなきゃならない。でも独立するのは簡単じゃない。
だからそして私は独立と言いなりを両方同時に求められている。
むちゃくちゃじゃないかと。めんどくさいではないですかと。
食べることから、それこそチューインガムからなんとかまでじゃないですけど、
食べることから芸術作品を作ることまで、すべての分野においてこれが覆ってるわけですよ。
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エディプスコンプレックスだと思うんですけど、本当に皆さんがおっしゃる通りめんどくさいわけですよ。
税務署も言うじゃないですか。確定申告しろしろと言うじゃないですか。
私たちの言いなりになりなさいと。お金もきちんと納めなさいと。
納める必要があるお金は全部納めなさいと。
それの言い訳をしなきゃならないんだったらその言い訳も書類からきっちり揃えてやりなさいと。
でも我々は自分で自分を食わせるようにならないといけないよって言われてもいるわけですよ。
やたらと国の世話になるなと。
それは税金から出ているんだからみんなに迷惑かけるんだぞみたいなことすら言いかねないわけですよ。
これは非常に新自由主義的な、それも非常にダークな側面だと思うんですけど。
実にこれはめんどくさいじゃないですか。
みんな揃ってそう思っているわけだけれども、必ずさっきの一番最初に言いましたよね、タスクシュートの時に。
やらないわけにはいかないでしょ。
だからみんな確定申告ってやるわけですよね。
避けられない。やらないわけにはいかない。
トイレと同じなんですよ。
だから私のタスクシュートにも税務の整理っていうものは必ず入ってます。
毎日リピートで入ってます。
これはやらなければならないことに準ずる。
中でも相当厳しい。
入浴以上にマストなレベルにあります。
私も必ずこう思います。
めんどくさいよねっていう感じがします。