2022-08-16 29:27

【653GMV】「失敗」が必要ならそれはもう失敗ではないという話

必要な失敗とセレンディピティ

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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ただいま8月15日の月曜日の20時40分になります。
これを言うことに何の意味があるのかは、いまいちよく自分もわかっていないんだけど、とりあえず優秀感を忘れなければですけどね、つけようと思っています。
今日の朝ですね、なぜ配信がなかったかというと、昨日の夜はこの収録をせずにノートを書いたからなんですね。
ノートを書くよりもフォトキャストの方がいいっていう方とその逆の方とかいらっしゃるんですけれども、
ノートも週に2回ぐらいは出しておこうと。
フォトキャストも週に3回ぐらいは。
あとはもうネタとの兼ね合いで、ここが1対4になるか2対3になるか逆になるかはわからないんだけれども、
とりあえず当面はそんな風に、夜にやりたい方をやって出そうと思っています。
今日はですね、つまり週の最初の収録のためにネタがいっぱいあるんですよ。
3つか4つあるんだけど、これがですね、不思議なことに、月曜日に今日喋っちゃうと、
残りはですね、消えるという傾向が強いんですね。
なんだかさっぱりはないんですけど、3-1はゼロみたいなそういう困った現象が起こるんだけど、実際起こるんですよ。
それで、今日はまだ何を喋るか決めてないんだけれども、
多分これについて喋るだろうと思っているのが、先日やった会議なんですね。
会議、ミーティングですね、オンラインの。
大橋さんとJ松崎さんと、彼はドイツからやった、あとエフタさんもいたかな。
4人でやったミーティングのお話で、私はこのミーティングのやり方がですね、やり方じゃないんですね。
で、起きたことが、私流に言うすごい会議ってこういうもんだって思ってるんですね。
このすごい会議はぱっくりで、大橋善太郎さんというね、この名前を聞いたのも大橋絵都夫さんからなので、ここで大橋かぶりで僕は覚えたんですよ。
何の関係も多分ないんですけどね、たまたま苗字が同じというだけで。
でも、私の中では馴染みの深い名前でですね、全然馴染みないんだけど、馴染みの深い名前で、
大橋さんとずっと仕事を始めた時からもうずっとですね、スカイプで話を始めて、週に2回以上は話すと。
最初はもっと頻度が高かったんですけど、依然としてそれが続いている。
これのベースにはすごい会議が実はあるんですね。
最初の頃、大橋絵都夫さんは彼のこと、大橋善太郎さんのすごい会議をかなりよくご存知で、その話を交えながらああいうものを始めたんですよ。
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大橋絵都夫さんという方はですね、まんまはやらないんですよね。
すごい会議のまんまを再現したわけじゃないんだけど、意識していたのは多分、
確かだと思うんですよ。
僕の記憶違いで意識していたのはもっと後かもしれませんけどね。
それでも2010年よりは前に、大橋善太郎さんの名前を交えながら、我々ずっと会議をそれこそしてたんです。
2人ですけどね。
しかも、それはその後知ったことなんですけど、
倉澤圭三さんは大橋善太郎さんとご一緒に仕事をされてたんですね。
だから、私の中では大橋善太郎さんという方の名前はすっごくしっかり入ってきているんだけど、
全然知っている人じゃないし、しかも私はすごい会議を読み切ったという記憶がないんですよ。
これはですね、私はああいうものが苦手なんですね。
そんなことは早く言っておけよって話もあると思うんだけれども、
私は大橋善太郎さんという方の名前を、
大橋善太郎さんと最初に知り合った頃も、倉澤圭三さんと最初に知り合った2000年、これは今よりだいぶ前なんですけどね、
頃もですね、大体男性と最初に会って、しかも一人で仕事をされているような方にはケオされるという性格なので、
これは私の、すごくいわゆる男性社会にコンプレックスがあるというか、
そのまんまでちゃうというのを反映しているんですけれどもね、
これですね、ついでに全くまた脇道にそれているんですが、
フロイトがそうだったんですよと言われています。
彼はですね、後から見ればですよ、後からフロイト伝を書く人はみんな言うんだけど、
明らかに自分よりも大したことのない人に、
すぐ浸水して、その人に何も言えなくなっちゃうんですね、厳しいことは。
要するに下手に出ちゃうというような話ですよね。
有名なのがフリースという人で、要するにフロイトに比べればフリースという人は、
言ってみればその歴史に名前が残るような人じゃないんですよ。
フロイトがただフリースに向かって、フリースは男性ですね、
名前がフリースに向かって、フロイトがフリースに向かって、
フロイトがフリースに向かってフリースは男性ですね、
メチャクチャ手紙を書いたと、ただそれだけで名前が残ってる人なんだけど、
フロイトはフリースこそ自分を理解してくれるすごい人に変わって、
手紙をバンバン書く、有名なんですよね。
フロイトは手紙をまずすごく書く、
あと男性関係で必ず自分のお父さんみたいにしちゃう。
多分フロイト自身はそのことを気づいてなかったはずはないですね。
これはどう考えても陶冶なんで、
転移と言ってもいいレベルで、そういう現象が起きちゃって、
しかもだいたいそれはフロイトと組むという人はフロイトほどの人ではないんだけど、
フロイトとの関係では上下関係でフロイトが下になっちゃうみたいな、
そういうのが彼の性格的なある種の脆弱さみたいなものとしてよく指摘されています。
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それと同じようなことが僕も起こりがち、これは相手の方が下とかそういうことはないですけど、
要するにそういう男性っているんですよ。
男性との関係でどうしても相手を親方みたいにしてしまうという、
自分がなんとなくサブキャラみたいな感じの位置に入っちゃうという、
父親との関係があるんです。
私の場合完全にそうです。
私の父という人はそういう人だったんですね。
常に自分は偉いっていう感じのタイプ。
そしてそのことにいちいち不快に思っているとめんどくさいじゃないですか。
自分の父親がいつも言ってみれば上から目線であるということにいちいち不愉快だと思っているのは、
私のような人間からするとめんどくさいわけですよ。
すぐにだから父親がどうであれ立ててしまうと。
こいつはアホなこと言っているなと思っていても立てちゃうというのが癖になっちゃうんですね。
多分そういうことがフロイトにもあったんじゃないかという気がしますね。
それで話を元に戻すんですけれども、
というわけで私は全然それほどこうしたいなということもなく、
すごい会議をやっていくみたいなことを平気でやっちゃうというところがあって、
でもすごいという感じをいまいち抱いていないと。
私は昔からファシリテーションが下手だと言われて、
面と向かって言われるんですよ。
今日のファシリテーションなってませんねってことを平気で初対面で、
これも僕のキャラなんですね。
こういうことは女性によく言われるんですよ。
サラッとこういうことを言う女性に、僕はサラッと言われちゃうというタイプだと思うんですね。
ファシリテーションがなっていないのは客も承知なんだけど、
ファシリテーションがなっている会議って僕は非常に関心しなくて、
よく覚えているんですけど、
私が5歳からの時にはもう家にテレビがなかったんですね。
それはまた例の私の父親の、
俺は偉いという人の子供にテレビを見せるべきではないという、
教育方針によってそうなっちゃっている。
こういうところがあるからやっぱり、
そういう男性関係の妙な影響が。
これ仲良くなれないって意味じゃないですよ。
私父親とは仲良かったし、
本当のところ激しく争ったってことはないんですね。
ただ、どう考えてもそんなことをしてもしょうがないだろう。
このテレビもそうだったんですよ。
どう考えても意味のないことをやってるなと。
6、7歳の時から思ってました。
それに対して一時逆らおうという気は起こらないんだけど、
くだらないことを考えつくよなとは思ってました。
ファシリテーションといえば、
私3歳の時はテレビがあったんですよ。
これもどうかと思うんですけどね。
3歳の時にあったテレビで、
09:00
小白歌合戦を見ていた記憶がなぜかあるんですね。
歌番組なんて特に好きだった記憶はないんだけど、
それを見ていた記憶があって、
何かとちったためにNHKのアナウンサーが
部署を移動させられたって話を聞いて、
くだらねえなって。
3歳時ですよ、間違いなく。
4歳時以降の時、朝霞に来てからテレビがないんで、
むつにいた時なんで私がテレビを見たことがあるのは、
本当にそういう記憶があるんですよね。
そういう頃から一時乱れぬ、言い間違いのない、
綺麗なファシリテーションというものにこだわるという思考回路は、
非常に僕にはつまらないことに大人ってのは、
地道に挙げるものなんだなっていうのがあって、
今49歳に至るまでこれに関心できないという性格なんですね。
つまり私がファシリテーションが得意じゃないのは、
明らかに三つ子の魂的な何かなんですよ。
これを綺麗にやりたいという欲求が僕の中にないんですね。
どうしてなのかわからないんだけど、
芽生えたことすらないんだと思うんですよ。
ここにこだわるという、そこに価値が見出せないんですね。
これはよしよしだとは思うんだけど、
もう直りはしないんじゃないかなっていうのがあります。
3歳から50歳くらいまでですからね。
ちょっと無理ですよね。
で、先日の会議の話だったけど、
これが全然私の中では綺麗に進行していなかったんですね。
珍しくコウハシさんがいろんなことを提案してください。
いろんなことを提案すること自体は珍しくないんだけど、
結構時間が経ってもいろんな話が出てくるなってことに、
妙に興味深いなと思っていたんだけど、
Jさんがなかなかピンときている感じがしない。
わかんないんですけど。
いやそれはピンときませんねとか言わないんで。
わかんないんですけどね。
こういう話が出た時に、
まず例の心理的安全とか言うじゃないですか。
僕はあれも好きじゃないんですよ。
心理的安全というものをさあ確保しましょうっていうようなやり方で、
それができるとは思えないんですね。
家族間の会話ってそうじゃないですか。
いっくら仲のいい家族でも緊張感が高まってくるときってあるわけですよ。
うちなんか仲がいいと思うんだけど、
やっぱり3人で喋ってても、
娘も含めてですね、なんか好質の感じ、
空気が好質って言い方を精神分析ではするんで、
他の世界でもするかなと思うんですけど、
固くなるんですね。
これ心理的安全ということをいっくら心がけようとしても無駄で、
普段だったらうちなんかもう本当それこそ心理的にはどう見ても安全な感じなんですよ。
そうじゃなくなる瞬間ってあって、
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しかもそういうときに心理的安全を心がけたところで、
あんまり意味ないような感じが私なんかはするんですよね。
で、明らかにこれは心理的安全だけの話ではなくて、
別に私ですらですね、
Jさんとか大橋さんに言いたいことは言えるんですよ、概ね。
でもああいうときに、
なかなかこう話がまとまっていかないっていうときにですね、
事さら問題が心理的安全にあるのかっていうと、
そんなことはないと思うんですよね。
ここでアイデアを出すということについて、
ストップウォッチで時間を切るとか、
そんなことをやっても無駄だっていう感じしかしないんですよ。
で、時間は過ぎていくじゃないですか。
そのときに僕がですね、
不意に込み上げてくるものがあったんですね。
後から考えてくるとあれ不思議だったんですけれども、
これをずっと言っておかなきゃ駄目だなって感じがしたんですよ。
で、ここで先に結論を言っちゃいますけれども、
これを言っておいちゃ駄目だった内容だったんですね、
と僕は後で思ったんですよ。
だけれども、そのとき込み上げてきた感覚は、
これを言っておかないと駄目な気がするっていう感覚だったんですね。
で、言ってみるとですね、
あのときに私が担ってた役割って、
ユング的に言うとトリックスターってやつなんですよ。
殴られ役なんですね。
この殴られ役って、好んで殴られたい人っていないんで、
世の中には。
結果として殴られる役になっちゃうっていうのが大事なんですね。
だから僕はここですごく心理的安全性って話とは逆だって思うんだけど、
むしろ無謀な人間じゃないといけないと思うんですよ。
日本で一番有名なトリックスターっていうのは、
カエンハイオーさんも描いてましたけど、
トイトミヒデオシなんですね。
彼は本当にそんなことはなかったんじゃないかと思うんですけど、
よく倒け!とか言って信長様にぶん殴られるわけですよ。
あれ、好んで殴られているかのように、
漫画みたいなものじゃ、それこそ漫画みたいですけどね、
書かれてますけれども、
まさかそんなことはないと思うんですよ。
彼は殴られるじゃないですか。
柴良太郎だったかな。
こんなに殴られるほど、
俺は殿様のそばにいるんだぞということを
いつも自慢にしていたという話を書いてあるんだけれども、
トリックスターっていうのはそういう立ち位置なんですね。
そうして殴ると、
信長様がふといいアイディアを考えつくという話なんですよ。
これとそっくり同じようなことが、
先日の会議の最中に起きた感じがしたんですね。
なんとなく大橋さんの話がずっとあって、
僕は結局それよりいいアイディアを自分が思いついたと思い込むわけですよ。
思い込んだわけですね。
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それを喋ってみたら、
それは良くないなって感じでJさんが
違うことをパッと話し出して、
それが良かったんですね。
この展開っていうのが僕は非常に感銘を受けたんですよ、自分で。
良い展開だったってつくづく思ったんですね。
この役を僕が担わないと、
ここに着地できなかった気がすると。
で、私のアイディアっていうのが結果的にすごいダメなアイディアで、
ここで例のあれですよ。
先日ポッドキャストでも喋った
打ちひしがれる感が出たんですよ。
うわー、俺やっちゃったわっていうか、
すっげー恥ずかしいこと喋ってたわって感じがしたんだけど、
よーく考えてみると違うんですよね。
僕はこれ喋らなきゃいけなかったんですよ。
この役回りを大橋さんが担うっていうのはなんか不自然なんですよね。
この人間関係の中で。
そんなことはないのかもしれないんだけれども、
あの時いた4人の中で、
この私の役回りを大橋さんが担うっていうのはやっぱりね、
ピンとこないんですよ。
それになんとなくなんだけど、
あれを言うのは僕が言う感じってあったんですよね。
僕が打ちひしがれようと失敗しようとそんなことはいいんだけれども、
でもここで反省しちゃうとですね、
やっぱり2度目はやりにくくなると思うんですよね。
だから反省しないって大事なんだなと。
反省しないにもかかわらず、
やらかす必要はあるんですよ。
あれを最初から僕がやらかすことによって
Jさんがいいアイデアを思いついたわけではないかもしれない。
最初からJさんはああいうアイデアを持ってて、
言おうと思ってたのかもしれないんだけど、
言うきっかけをつかむために、
やっぱり僕があれを言って出しちゃうっていうのがあったんだと思うんですね。
もしかするとあれを言ったために、
彼が忘れていたことを強く思い出したと。
そういうことなのかもしれないですね。
ユングの言葉を使うなら、
あれセレンディピティってやつなんだけれども、
今日はちょっとユング付いてるな。
トリックスターにセレンディピティ。
このパターンはでもとっても多いんですね。
だからヨシに僕はたわけえって言われて、
で、信長様はJだけど、
うまいことを考えついたわけですよ。
なぜそういうことが起きるのかは、
説明できないんですよね。
だからセレンディピティとかっていう、
良い偶然とか意味のある偶然みたいな、
意味のない言葉が出てくるわけですね。
意味のある偶然って言ったって意味ないじゃないですか。
何の説明にもなってないんですよ。
なぜそれが出てくるかの説明には
なってないとは思うんだけど、
私もああいう場面に遭遇してみると、
だから綺麗なハシリテーションって
ダメなんじゃないのかなっていうことを感じるんですよ。
ただこれ、どうやれば再現できるんですかって言われると、
僕は困っちゃうというか答えられないに等しいので、
ただこういうことを心がけておくと
いいんじゃないかと思いますっていうのは、
今のところ言えるせいぜいなんですけれども、
18:00
つまりですね、みんなわりと必死だった感じがあるんですよ。
その時4人だったんですけれども、
なかなか大事な話がポンポンポンと出てきましてね。
みんながわりと前向きに、少なくとも感じる限りではですね、
みんないつもよりも、いつもよりもって言うと
いつもそうでないのかって話になっちゃうんだけど、
でもやっぱりある程度真剣にみんなで話し合った感じがあって、
それだからこそ簡単には決まらなかったんですけど、
そういう時に僕がいい気になっていいアイディアが出せたっていう気になったかのようにしゃべる。
こういうのがでも大事なんですよね。
だって秀吉ってそういう感じのキャラクターじゃないですか。
僕はそういう感じのキャラクターじゃないかもしれないけど、
ある種のうかつさってものが出てこないと、
出てこられないものってのがある。
前に河合駿がキッチョムさんの話で、
山に仏法僧がいますってキッチョムさんがうかつにも言うわけですよ。
山に仏法僧がいると。
仏法僧っていうのは鳥の名前だって話なんだけど、
実にありがたい鳥だからということで、
殿様がそれを聞きに行くと、
なんとそれはただのヤマバトだったって話なんですよね。
キッチョムさんは秀吉と同じでひどい目に合わされるんだけど、
ここで大事なのはそうすることによって、
その山にはちゃんとした道が舗装されて、
みんなが拝みに来るようになったみたいな、
そういうオチなんです。
こういうことってあるんですよ。
僕はこれを会議で再現したいなっていつも思っています。
別に誰かが殴られなくてもいいんですし、
僕が別に殴られたわけじゃないんですよ。
こういうことがないと何もないんじゃないかなって思うんですよ。
ただただアイデアというものがみんなが心理的安全性の中で、
短い時間でアイデアがまとめ上がるというのでは、
僕には全く物足りない感じがしまして、
ぜひこの状況でこの人たちでなければ出てこない何かが、
しかもこの時にしか出てこないようなものは、
その時に出てくるんでないとダメなんじゃないかなって感じがしません?
わざわざミーティングをやるのに再現性があって、
この方式を取り入れすれば30分以内にアイデアがまとまりますと言うんだったら、
どんな時でも同じことが出てきちゃいそうな感じが僕はするんですよね。
その時にJさんに言われてみて、
なるほどその通りだなと思うようなことは、
後から考えるまでもなく、
前からその通りだなと思えてもよかったような話だったんだけど、
私は少しもその時は思えなかったんですよ。
こういう思考停止感と急に視野が狭まる感じっていうのも、
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僕はその時は場の力も借りて言えたって感じがするんですよ。
こういう時に用心深くなって、
馬鹿だと思われるのが嫌だから黙ってよっていうのは簡単なんですよ。
実に簡単じゃないですか。
気心知れてる関係の仲なんですから黙ってればいいわけですよ。
私の母は本当にそういうことをよく言う人で、
あなたね、ちょっと黙ってればいいじゃない。恥ずかしいでしょ。
よくそんなことを言ってたんですよ。
僕はそれに強く反発する感情があって、
ぜひ恥ずかしいことをやってやろうという年代があったんですけど、
そういうキャラクターも僕の中に育ってるんですね。
僕はこれは母がああいうことをうるさく言ったことと深く関係があると思っています。
これもまたやらかすってことの一つのポイントなんですよね。
僕がやらかすんだけど、それは母がやらかしてくれてるから僕がやらかすんですよ。
母がやらかすのが嫌だってあれほど言っているっていうことが教育上のやらかしなんですよ。
これすごい大事なことなんじゃないかって僕はよく思うんですよね。
今の話の中に僕が込めているのは、
つまり世の中に失敗と言われるものが本当は存在しないということなんですよ。
一見、みっともないことはいっぱいあるかもしれないんだけれども、
それがなければ何も出てこなかったであろうことってきっとたくさんあるんじゃないかって思うんですよね。
失敗を活かしましょうみたいな話とはなんかちょっと違うような気がします。
ユングでいえばトリックスターとセレンディビティなんだけれども、
ウィニコットをやっぱり持ち出すならば、
ここというところで失敗できないカウンセラーはカウンセラーではないみたいな結構厳しい言い回しなんだけど、
そういうのがあるんですよね。
散々先週出ましたけど、打ちひしがれるほど、
どこからどう見てもそれダメでしょっていうことをついやっちゃうっていうことによって、
話がぐっと前へ進むってことが起こるんですよね。
それがあの時、それはカウンセリングではないですけど、
怒った感じが強くあったんですよ。
ああやっちゃったなっていう後から指摘されればですね、
つまんないこと喋ってたなって思うんだけど、
それを私が喋ってなければ、ああいう着地点に着地したかなと。
これはですね、その着地点に着地したことによって、
今後J松崎株式会社がどんどん大きくなりましたっていう、
そういうレジェンドが完成するって話ではないんですよ。
そうなったら実に素晴らしいんだけど、別にそうならなくたっていいんですよ。
よく精神分析で言うんですよね。
ここは議事の家族ですと、その話よくしてますよね。
議事の家族ですっていうのはどういうことかというと、
ここで議事の結婚が行われましたと。
そしたらですね、はっきり言ってしまうと議事のセックスが行われるわけですよ。
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インターコースって表現をミニコットだったかな、取って。
フロイトも取ってたかな。とにかくインターコースなんですよ。
インターコースっていうのは要するに上品に言った成功ですよね。
セックスを上品に言ってみたと。まさにそういう状態なんですよ。
そうしたら子供が生まれなきゃいけないんですよ。
生産的なカウンセリングというものはそこのところで、
それまで想像できなかったような、
2人だけの会話では決して生まれなかったような何かが、
3人目っていう言い方をする人もいたと思うんですけど、生まれるんですよ。
私はそれがアイディアってものだと思うんですね。
アイディアというもので、アイディアというものがですね、
今の話からすると、小綺麗に生まれないじゃないですか。
表現としてはインターコースかもしれないけれども、
インターコースってのはやっぱり生々しいわけですよ。
おそらくアメリカでちゃんとした会で、
インターコースって表現とっちゃダメだと思うんですよね。
それぐらいは生々しい表現だと思うんですよ。
そういう生々しさが出てくるという時には、
まして精神分析やカウンセリングだから、
綺麗にはまとまらないわけですよね。
どう考えてもちょっと見るに耐えないとか、
恥ずかしくて顔を痛くなるところから、
生産的なものが出てくる。
そういう瞬間というものに立ち会った時に、
綺麗に言えばセレンディフィティなのかもしれないけど、
やっぱりそこにトリックスターがいるわけですよね。
ぶん殴られる人が必要なんですよ、ある意味では。
全く戸畑さんはギリギリのラインまで描いてますけれども、
あなたはカウンセリアとして全くなっていない。
人の心が少しも分かっていない。
私はこう言ったの、あんたはそれを聞いてもいなかった。
というようにめちゃくちゃ言われるシーンありますよね。
ああいう時には本当に痛たまれなくなっていると思うんですよ。
でもあれほど痛たまれなくなっていたのは、
実は患者さんの方でもあるわけですよね。
そういう風な目に散々パラってきたから、
トエド五日でそういうことを言われた。
だからカウンセラーは、
その患者さんが散々ひどい目に合わされてきた、
そのひどい目に合う役を買って出ているわけですよね、
トリックスターとして。
トリックスターはでもすぐに立ち上がれるんですよ。
だるまさんなんですね。
すぐぶん殴られるんだけど、ひょいと立ち上がれる。
なんか秀吉もそういう感じだったじゃないですか。
やたらボコボコにされているのに、やたら打たれ強いじゃないですか。
僕は決してそんなに打たれ強くはないですけれども、
殴られてすぐピョコンって上がってくる。
子供向けのボクシングのおもちゃですよ。
殴られるんだけどピョコッとすぐ立つわけですね。
これがないとできないんですよね。
こういう人がいないと生まれないものがある。
殴れないからね。
安心して殴れる。
だから殴るために殿はそばに置いてるんじゃないんだろうかっていうぐらいの
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そういう話なんですけれども。
私は別に殴られたわけじゃないし、
そんなにひどい目に遭った人もないんだけれども、
この役ってでも普通やっぱり、
なんていうんですかね。
誰もそんな役に成りたくはないわけですよね。
どんなやり方をするにしても、
これを再現するってのはおかしいと思うんですね。
ある意味では。
これはそれこそだいぶ前に、
最初の頃に渋谷で倉田の刑事さんがグッドワイブスの話をなさるときにしてましたけど、
一期一会なんですよ。
何度も顔を合わせる人との一期一会なんですよね。
その時にしか出てこない何かなんだと思うんですよね。
ファシリテーション云々っていうのはきちんとやれた方がいいのかもしれないし、
濃縮する会議っていうのも大事なこともあるんだろうと思うんですけれども、
やっぱり妙に時間がかかり、何が生まれるのかもわからず、
誰かがやらかしてくだらない話をして、
くだらない話になっちゃって何か生まれる。
だって家族の会話っていうのはそういうもんじゃないですかね。
結局家族の会話ってものは結構面白いものがポンポン出てきていると自分よく思うんですよね。
奥さんと会話するときに事前に準備しませんよね。
完全にノープランだと思うんですよ。
でも私はその時に話をしている時が一番生産的だな自分はと思えるんですよね。
余計なこと考えていませんから。
で、やらかすことはありますよね。
喧嘩になっちゃうこともある。
で、いいんじゃないかなって思うんですよ。
だからこの世の中に失敗というものはないのではないかと。
そういうふうに考えてみるとその会議とかその会話とかそういうミーティングなんでもいいんですけど、
価値マックスじゃないですか。
そこに参加している人はみんなやらかそうが、一見やらかそうが小切れにまとまってなかろうが価値マックスじゃないですか。
この辺がむしろ大事なんじゃないですかねっていうふうにあの日は体験的に感じました。
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