2023-05-18 42:16

【785】その予防は本当に有効でしょうか?

合理的行動と迷信行動
3ヶ月チャレンジのお知らせ
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
今、「おはようございます」と言っちゃったんですけどね。
5月18日、夜8時28分ですね。
これを撮って出しすると、「おはよう」も、「へったくれ」もなくなってしまうんですが、どうしようかなぁ、わかんないですね。
でも、撮っておくとアップしないのが僕の悪い癖なんで、撮ったらアップするのがやっぱりいいのかなぁと思ってるんですよね。
誰もたぶん、このグッドモーニングをいつ聞くかとかに興味ないと思うんですよ、実際のところ。
まぁまぁ、私の想像を超えていく方は必ず世の中にいらっしゃるんで、絶対はないですが、なんとなくない気がするんですね。
はい、20日ですね。いよいよ明後日になりましたが、今は私、3ヶ月チャレンジというのを第2期でやっておりまして、
その中の読書タイムという、読書会というサービスをですね、外部の方向けにも提供させていただいて、
これを明後日やりますんで、神保町でやります。
いつも倉田の平道さんと書き上げ塾をやっている会場でやるんですが、
まぁ、暇ならちゃいけませんね。もしよろしければ、リアルでもオンラインでもご参加いただけるので、ぜひご参加くださいと言ったところです。
その日にですね、なんとその日はお忙しで、夜の9時に21時からですね、東京ライフハック研究会をオンラインでですね、北信也さんとやりますと。
こちらは北さんの主催なので、YouTube等で配信されるのに私がゲストで参加させていただくということで、無料です。
もしよろしければ、これもテーマはですね、ハックスフォークリエイティブライフ、北さんのブログが15周年を迎えられるということで、そのお祝いといったことに形式上はなっております。
そのお祝いのために、13日かな、ランチ会やったばっかりなんですけどね。
そういう時に盛り上がったりして、何かこう意気投合したりして、何かをやったりするじゃないですか。
そういう流れで始めることだと思っていただければと思います。
始めるというか、やることだということですね。
これも合わせてのお知らせとなります。
とりあえずそのくらいにしまして、本題はですね、今日も久しぶりなんですよね。
脅迫症メカニズムについて
大橋哲夫さんと宇佐豪さんという方とですね、打ち合わせをいたしました。
その中で、僕の感じの中では脅迫症っぽい恐れについてのお話をちょっとですね、盛り上がったというのも変だけど、そういう話がちょっとディスカッションしたので、
その辺のことをもうちょっとこう、私なりに、私この件かなり重視しているんですね。
でも私はやっぱり身構えるという癖が抜けなかった方で、しかも身構えること自体は、私は全然しょうがないと言いますか、別に身構えること自体はニュートラル。
ちょっと全部やめられればそれに越したことはないんでしょうけど、しゃあないっていうふうに思うんですよ。
そうじゃなくて、このメカニズムの方が問題だと思っておりまして、私は結構ここはラディカルにですね、全部やめるぞみたいな感じでいるんですね。
特に私が今、ほとんどやめるべく真剣に取り組んでいるのが、奥さんを、事前に奥さんの起源をなんとかしておこうとする、この私の心象と言いますか、心根みたいなやつね。
と合わせて、もうすぐ、もう夏になったんで、暑いっすよね、ここのところ。びっくりしますね。
こういう季節になるとあんまり気にしなくていいんだけど、金属を触れるときの静電気、僕これね、同じなんじゃないかと思って、同じなんですけどね、心のメカニズムは。
そうじゃなくて、僕が恐れているものって、不意打ちとそれに伴うピリッとした痛みなんだな、こういうのが私がかなり嫌だと思っているものなんだということが、
これは倉津野圭祐さんのおかげで、だいぶ焦点があってきたんですけど、これをなんとか僕はですね、構えないという、構えるっていうのは今日、大橋さんからもらった言葉なんですけどね、
構えておくと、心構えを持っておくと、痛みに耐えられる気がするんじゃないかっていう話なんだ。
僕はまさにそれを持ってやっていたことこそが、僕の最大の課題だと思っていたから、そこを手放すべく、これは僕の課題ですからね、
大橋さんの課題とかじゃないんで、宇佐保さんの課題とかでも全くないんで、私の課題なんでね、これを持ちかけられれば、私なりに一生懸命喋るんですけど、
基本的に僕はこれをまず自分がとことん、ありとあらゆるアプローチを使って、なんとしてでもなんとかすると、
このなんとしてでもなんとかすると思っているうちはもう一つなんですよね。なんとも思わなくなったらいいんですよ。
でも今の私の段階は、なんとしてでもなんとかする段階でかなりなんとかできてきているというところなんですけれども、
これはどうしてあれなのかというと、どうしてあれというか、このメカニズムって何なのかというとですね、
教科書的なメカニズムだというのが学問的な説明になると思うんですけど、
最近ですね、ちょうどその第2期の3ヶ月チャレンジの方に良いエピソードを教えてもらったんですよ。
村上春樹の小説に出てくるんですけど、空っぽの部屋で10回に1回手を叩く人がいたっていう話なんですって、
村上春樹の小説のエピソードについて
私これ読んだことがないんで、でもいかにも小説家が書きそうなネタだとは思うし、
春樹さんが書いたか本当のところはわかんないけど、書いておかしくないなと思いますね。
村上春樹の小説に空っぽの部屋で10分に1回手を叩くと、当然変に思いますよね。
なんでそんなことをしてるんだと聞きますね。そうすると、その手を叩く男はこうしていると悪い奴が部屋に入ってこないんだ。
この辺に悪い奴なんていないよね。これがこうやって手を叩いているからさ。
これは非常に良い話だと僕は本当に思うんですよ。
これがまさにこの脅迫症メカニズムであり、一番まずいパターンにかまってるパターンだと思うんですよね。
誰もがこれを聞けば、手を叩いていることと悪い奴が入ってこないことの関係は何もないって当然思いますよね。
でも私たちはこれと全く同じことを絶対やってるはずだと僕はこれを、だから村上春樹はわざわざこれを書いたんだし、
そのことを3ヶ月チャレンジの参加者さんは私に教えてくださったわけですよ。
素晴らしい例えなんですよ、これは。
つまりこれは、これが僕が考える、構えることが私の課題だと思ってるんですね。
つまりほとんどのケースでは、もうちょっとリンク、リアリティがある備え方をするから、
ますます僕は立ちが悪いと言いますか、私なんかがやってることはですね、より良くないと思っているんですね。
迷信行動と行動科学
これは迷信行動というふうにも、これは精神分析じゃなくて行動科学のほうで言うんだったと思うんですけど迷信行動なんですよね。
キツツキがコンコンと木を叩いて不吉なことを避けるわけですよ。
キツツキっていうのは木コンコンやってますよね、でもあれを何でやってるかをキツツキは当然知らないわけですよね。
本能ですからね、あれはキツツキの、木をキツツキっていうぐらいだから。
例えば4回叩くとおいしい虫が出てきました、ということを1回体験すると4回ずつ叩くという習性がつくんですよ。
このキツツキのやってることは空っぽの部屋で10分に1回手を叩く男と全く同じですよね。
キツツキはしょうがないんですよ。なぜそれをやってるのかを分かってないわけですからね、全く。
でも基本的に動物というのはこういうメカニズムを持っているわけですね。
おそらくキツツキは、例えば5回、何か嫌なことってあると思うんですよ、キツツキにとって。
いくらやっても穴が開かない日とかもあると思うんですよ。
例えば5回なら5回やって、5回やって3回やったらうまく穴が開いたみたいなことを経験してしまうと、5回やって3回やるという習性がつくわけですよ。
ここでもしキツツキが言葉を話せれば、必ずこう言うはずなんですよね。
5回やって3回やることには意味ないよっていう人にふざけんなって言うと思うんですよ。
俺はこの5回やって3回木をつついて今まで成功してきたんだと。
このやり方は私にとっての成功の法則で、こうやれば成功することは明らかなのに過去のデータがそれを証明しているの。
あなたはそういうことが全く意味のないことだと言って必ずそういう腹の立て方をするはずなんですね。
これこそ僕がタスクシュートを使ってやっている迷信行動と大きな違いはないはずだって僕は思うんですね。
だから僕はこの種のことを全部、基本的には全部ですね、やめにしていきたいというふうに一方では思うんですね。
これがいくつかのことはやめてないですよ。タスクシュートもさることながら家計本もそうです。
ただこれはですね、どんなに有効そうに見える行動だからといって、それが有効だという保証にはならないという点では、
僕は迷信行動と合理的な行動の間の差は基本的に心のメカニズムとしてはね、有効な行動と有効でない行動はありますよ。
そうじゃなくて僕が言いたいのは心のメカニズムとしてですね、
こうするとうまくいくからこうしようっていうこの心のメカニズムによって突き動かされてしまうという意味においてはですね、違いはないと思うんですよ。
僕はこの心のメカニズムに沿ってこうしていないとだんだん人は不安になっていくから、
そうですよね、成功する方法というものを知っていて、それを擬式めいたものに変えていってしまったら、それをしないでいることには不安を感じますよね。
この不安をわざわざ心の中で作り出すというのを基本的にやめにしたいわけですよ。
言ってる意味わかると思ってしゃべっているんですけどね。
有効でない行動と心のメカニズム
普通人はそうは考えないんですよ、なぜか。
なぜかというか、有効かそうでないかの方が大事だと思われる。
有効なことを習慣化したり、意識化したりするのがいいじゃないかって皆さん思ってると思うんですよ。
で、無効なことだけやめればいい。
僕はまず第一に、人はそういうことはできないと一つ思っているんですね。
もう一つは、そういう有効な因果率というものは絶対に発見できないと思う。
人はそこまで賢くはないと思うんですよ。
絶対タスクシュートをやっていれば、ありとあらゆる角度から見て幸せになれるとか、そういうわけにはいかないと思うんですよ。
僕はこれを、僕なりにハマり込んで、奥さんの機嫌を取るタスクシュートリストみたいなものまで作っちゃった時に、
このことをはっきりある程度認識できたんですね。
だからこれをやめなきゃいけないって思うようになったんですよ。
タスクシュートじゃないんですね。
こうしていれば大丈夫だっていうその法則性みたいなもの。
そこに心の焦点を合わせてしまって、それをしないでいることがとても恐ろしくなってくるような心理状態っていうものがあるんだと僕は思うんです。
それが不吉なことを避けるために、ある程度の手順を踏むっていうことだと思うんですよ。
ノーガードでいけない。ノーガードでいくことの一番いいのはですね、気づいてないってことが一番いいと僕は思うんです。
気づいてないという状態でなければ、多分それは心の中で何らかのガードをしていると思うんですよ。
このノーガードっていうのも今日大橋さんからもいただいた言葉なんですけど、ノーガードっていい言葉だと思うんですね。
ノーガードでいくのではなく、ノーガードでいることに気づかないっていうのが大事だと思うんですよ。
傷つきは気づいちゃったから、5回3回とかいう迷信行動から離れられなくなる。
おそらく一生続けますよね、傷つきの生涯として。
そして大事なのは、傷つきはそれを無意識にやってるってことなんですよ。
5回打つ、3回打つとか意識してないんですよ。そうすれば上手くいくんだとも思ってないんですよ。
ただ、そうせずにはいられないし、そうすると気持ちがいいし、そうしないと気持ちが悪いんですよ。
それはあるはずなんですよ。
僕らも全く同じだと私は思うんですね。
因果とこだわり
上手くいく法則にのっとって上手くいかせてるということ、それ自体はいいことなんですよ。
ここが難しい、じゃあ難しいんですよね。
ここを僕は分けられるはずだと思ってるし、分けていきたいものだとも思うんですよ。
他の人のことではないんですね。僕のことなんです。
僕はこれを絶対に分けられるはずだし、現に分けられつつあるし、分けられなかった時の方が僕の人生が悲惨だったと思います。
関係が一見深くあることを、僕らはそれを因果だと思うんですよね。
因果というのは100%そうならなかったら因果じゃないですからね。
石を上に、よくこの例え言いますけど、つまらん例えだと思って言ってるんですけどね。
石を上に放り投げれば下に落ちるじゃないですか。人間が投げる限りにおいてはね。
必ず落ちますね。100回に99回落ちるんじゃないですかね。100回に100回落ちますね。
1万回に至高すれば至高って言うんですけど、1万回落ちますね。
1億回投げれば1億回落ちますね。
99.9%ではないですね。100%ですよね。
成功確率と迷信行動
これを法則。これしか法則と言っちゃいけないと僕は思うんですよね。
この迷信行動をとっておけば、100回のうち7回は上手くいく、70回は上手くいくとかじゃダメだと思うんですよ。
そういうことをやっているうちに、変なところにはまり込むぐらいだったら、
僕はその成功確率7割というのは捨てた方が、私は良かったんですよ。
だいたい成功確率が7割かどうかは大変疑わしいですからね。
空っぽの部屋で10分に1回手を叩いている人は100%悪い人には出会わないかもしれないけど、
私はこの心理状態は控えめに言ってもやっぱり不幸だなって感じがする。
少なくとも自分はこの状態を出したいと思ってはいるんですね。
ただこれはそれをやめるっていうのは結構過酷なことなんですね。
自分の経験から言っても。
でもこれをやめることが僕の一つアトピー、大いにアトピー直すのに大いに役立った。
もう一つは家庭内の人間関係を何とかするのに大いに役立った。
もう一つが今J松崎さんとやっている仕事を進展させる上で大いに役立った。
これだけでも十分だなって思うんですね。
そのために僕がやめようと思った唯一のことは空っぽの部屋で10分に1回手を叩くことなんですよ。
弱さを持ち出すことの意義
これに類することを全部やめるっていうことが自分にとってどんなに大事な意味を持っていたかというのを
今日は何かこう力説してしまっているわけですね。
これに関連して10分に1回手を叩くことで悪人が寄ってこないというのは本当に誰もそれに納得しないだろうから
こういう話だったらどうかな、例えば。
これはですね、しょっちゅうこの番組でも取り上げているこの本は名著なんでぜひお勧めしたいんですけど
反省させると犯罪者になりますですね。
新聴新書です。
今画面見てるから久しぶりに記憶だけでしゃべってないですけどね。
岡本茂樹さんの書です。
これは面白いんですよ。
雰囲気としてやっぱりですね、プラゾンさんを連想させる人なんですよね。
何種のかな、心理学っぽいことを言ってるけれども
心理学の知見とか知識とか人名とかほぼ出てこないんですよね。
こう、ある種のごく普通の例え話で圧倒的に納得させられるケースが非常に多いんですよ。
例えば今の話とあまり関係ないんだけど、こういう言葉があって私はすごく好きなんですけど
人に弱さをさらけ出しましょうって言うんですね。
これもよく自己啓発書等で言われるんだけど、誰も実践しようとしないですよね。
でもこの言葉に続いて自然と出る弱さはその人にとって宝物とさえ言えるでしょう。
なぜなら弱さというものは意識して作り出せるものではないから。
私はこれはすごいいい話だなって、今まで今日してる話と関係ないんだけど
たまたま目の前にある引用なんて引用してみたんですけど
そうなんだと僕も思うんですよね。
自然と自分が持ってるところから自然と出てくるものを僕らは変にないがしろにする。
あんまり良くない癖があるとよく思うんですよね。
意識して作るじゃないですか。
それこそ長所とか人にPRするポイントとかは。
だけど意識して作り出せるものは脆いですよね。
扱ってる人はよく知ってると思うんですよ、そのことを。
意識のうちに出てくるものっていうのはその人の本質を簡単に表現できるんですよね。
でも隠すんですよ、面白いことに。
これは近いことをよく倉野さんもおっしゃってますが
弱さというのは意識して作り出せるものではないですよね。
誰も意識して弱さを作り出したいと思わないけど
無くならないし、無くせないし、ポロッと出てしまうし
隠してるぐらいだからいつも持ってますよね。
これも倉野さんがよくおっしゃるじゃないですか、ギフトモードで。
自分が与えて無くなってしまうようなものは与えられない。
けれども与えても与えても無くならないものがある。
その一つですよね、弱さなど。
弱さがどうしてギフトになるのかというと
なるような日がしますよね。
カウンセリングに例えば通うと
例えばですけどもね、初めて会話をしたような
カウンセラーさんにとっては最初に来るお客さんってめちゃくちゃ
それこそ神様ですよね。
多分そうだと思いますよ。
だからそういう人に弱さというものを持っていくしかないんだけれども
弱さを持っていったら相手は喜ぶということはいっぱいあるんですよね。
この弱さは作り出せるものでは絶対ないんですよ。
弱さが全然ない人はカウンセリングなんか行っても
カウンセラーは何の役にも立てないですよね。
そういう意味で弱さっていうのは非常に有効なケースがあるんだけれども
僕らはそれを出しもしない、見せもしない
絶対にひた隠すみたいなケースがたくさんあります。
日本の殺人事件の現状と重い刑罰
それは僕も気持ちはよくわかります。
で、岡本さんの子。
これも反省させると犯罪者になりますからの引用なんですけど
こういうのがあるんですよ。
事実を見れば日本の少年や成人による殺人事件の件数は先進国の中では段凸に低く
これはなんか想像つきますよね。
十分ありそうな話だね。段凸に低いですね。
私もアメリカに行ってよくわかりました。
先進国で全然殺されることを心配しないでいられる国は
滅多に実はないんじゃないかなと思います。
イギリス行った時も思いましたね。
一向に増加していません。
言い方は悪いですが、そんなに悪くないと思うんですけどね。
日本人は人を殺さないことで有名なのです。
これは日本人はよく知らないんですよね。
多分他国では有名なんですよ。
日本人は人を殺さないことで有名なんですよ。
しかも日本は殺人未遂を殺人件数としてカウントしています。
これ僕知らなかったんですけどね。
殺人未遂を殺人件数にしない方がいいような気がしますよね。
殺人未遂は殺人してないわけですよね。
なんであれ。
でも殺人件数としてカウントしてるんだそうです。
でも段凸に低いわけです。
こうした事実があるにも関わらず今後は何より刑罰は重くなる一方です。
僕はこれはですね。
手を10分に1回叩いてる男と日本という国が全く同じ事をやってる気がして仕方がないんですよね。
刑罰の重さについて
絶対みんなそう言いそうじゃないですか。
この刑罰を重くしている方々は。
俺がこうやって手を叩いているから悪人がこの部屋にやってこの辺にやってこないんだよ。
っていうのと同じですよねこれはね。
刑罰を重くしてるから人を殺さないんだよ日本人は。
全然関係ないような気がしちゃうんですよね。
もともと人を殺さない。
それの一向に増加していない。
で刑罰をどんどん重くする。
これにどうして関連性とか因果率というものを見ることができるのか。
私にはさっぱり分からないんだけれども。
多分これらの話っていうのは刑罰を重くするっていうのを推進する人にしてみればですね。
刑罰を重くしなければ殺人未遂とか殺人事件はどんどん増えていくっていう法則があるんですよ。
この法則は10分に1回手を叩けば悪い奴が寄ってこない法則と全く同じなんですよ。
そしてここの次に得意の万が一のオカルト絶対入ってくると思うんですよね。
万が一刑罰を軽くして殺人がどんどん増えたら取り返しがつかないだろう。
これがノーガード問題だと僕は思うんですよね。
これをやるということは万が一に備えて自由をどんどん減らすということ。
あるいは万が一に備えて恐怖や不安をどんどん人の心に植え付けることがいいことだってことになっちゃうんですよ。
刑罰を重くするっていうのは人の不安というものにPRしろってことだから。
まず間違いなくそうだと思うんですよ。
刑罰を重くすることが犯罪の抑止になるっていうのは。
つまり刑罰を恐れるから恐れなければ犯罪を犯す人たちが犯さなくなるっていうことを言ってるわけですよね。
この発想は僕はまさにガードするってことだと思うし、
それが有効でない場合は一回手を叩く。
手を叩くのをやめて悪い奴が入ってきたらどうするんだってきっと言いますよね。
これらのことは僕は社会問題として取り上げる気はないんだけど、
自分の問題としては大きいなと思うんですね。
刑罰を重くなる方ですっていう言葉はなかなか重くてですね。
僕らの心の中で違反のルールを増やす一方になっていくと思うんですよ。
そのガードするっていう発想からしていけば。
ここでなんでもいいんですけれども、
昨日のログをヘバーノートにとっておかないと、
1日でもかければその日にあった大事なことを思い出さなければならないことを思い出せなかったら、
大変なことになるとか、大変なことにはならないにせよ、なんか嫌なことになるとか、
そういうふうに考えていくことによって僕らは自分ルールを増やしていくはずなんですね。
そして自分ルールを増やせばですね、結局刑罰を重くはしないまでも増やしているようなもんですね。
それを違反した時には嫌な目にあいますよね。
自分に教え込んでいるわけだから。
このパターンが僕をミドルクライシスに引きずったのだと僕は思っているんですね。
ジムマシンは消えなくなっちゃうし、奥さんが恐ろしくて夜も寝られなくなるし、
僕が夜寝られなくなるなどというのは、後にも先にもあの頃しかなかった気がするんですね。
で、お金はなくなっていくし、なんでなくなっていくのかよく分からなかったんだけどなくなっていくんですよね。
この3つの流れに沿って生きていきたいわけないじゃないですか。
単純に経験則だけからしても、この流れは逆転させたいですよね。
自力で逆転させることはできなかったんだけど、だからグッドバイブスの力を借りて逆転させたんですけど、
逆転させてみるとよく分かるんですよ。
土地狂った方向を突っ走っていた。
その土地狂ってるっていうのが、つまり10分に1回手を叩きまくってたってことなんですよ。
この10分に1回ではうまくいかないから、今度から9分に1回にしようと。
やがては毎秒叩くようにしようになってた。
そんな感じなんですよ、私のあの頃の行き詰まりってのは。
まさに毎秒叩くようにしていれば何とかならないだろうかと。
それでも何とかならないなら、1秒に2回ずつ叩こうみたいな。
そういう、人間ってのは面白いもんね。
そういうところがあるんですよね。
なんとなくね、手を叩くっていうのは、なんとなく言い得てみようでしてね、
手を打つって言うじゃないですか。
手を打たない、手を打つことでうまくいっていないのに、手を打つのをやめるっていうのは難しいんですよ。
手を打ってうまくいかないなら、もっと手を打たなければいけないっていうふうに思うんですよね。
刑罰は重くなる一方なんですよ。不思議なんですよね。
事態が悪化もしてないのに刑罰は重くする。
刑罰を重くしても何も不利益はないじゃないかって思うんでしょうね、多分。
僕はこれは心理的な不利益があまりにも大きすぎて、全然釣り合いが取れないと思うんですよね、ある意味では。
人を殺さないことで有名な国の刑罰が重くなる一方っていうのは、なんか変ですよ、とにかく。
トータルで見てなんか変ですよね。
これに相当することを私はしたくないんですね。
個人的な問題と発想転換
タスクシュートはやってるんだけど、緩くする一方にしておきたい。
なるべく使うツールは減らしていきたいし、使う頻度も少なくしていきたい。
他のツールを使うにしても遊び本文で使っていきたい。
こういうふうに僕は百日チャレンジなんかでもお伝えしているんですね。
なるべく真剣にやらない。
なるべく好きだらけにしておく。
好きがなくなればなくなるほど心理的な負担は重くなる一方だとやっぱ思うんですよね。
プレッシャーも増えるし、ルールも増えるし、ストレスも増えるし。
そしてそれらを減らすのにはその方針そのものは逆行しているから役に立たないと思うんです。
特に人が絡むと良くない。
やっぱり人の機嫌を良くするためにツールを使うっていうのはね、
明らかにやってることが何かおかしくなっている感じがするんですよね。
ベースの恐怖感があるからどうしても脅迫的になっていくっていう問題の方が大きいのかもしれないんですよ。
そして例えばここで出てきている、さっき引用したときはあんまり関係ないけどたまたま引用したつもりだったんですけどね、
自然と出る弱さっていう話。
自然な弱さとチェックリスト
自然と出る弱さをその人にとって宝物とさえ言えるでしょうっていうふうに岡本さんは書いてるんだけど、
私はこれを妻に出せなかったんですよね。
ウィークポイントですね。
弱さもそうだし、ダメさもそうです。
そういうものが自然と出ちゃう。
自然と出ちゃうから私はすごくこう、自分がADD的だと思ってた時期があったぐらいなんですね。
皿割るだろう。
財布持ち忘れて家出ちゃうだろう。
なんなら財布持たないまま東京駅まで行っちゃうとか、そういうやつですよ。
それが自然と出る弱さっていうものですよね。
それが出ると奥様の機嫌がますます悪くなるから、チェックリストを水も漏らさぬチェックリストを作り上げていって、
自然と出る弱さを出さないようにしているわけですよ。
つまり意識して作り出せるものというものをなるべく排除し、意識して作り出せるものだけで周りを固めていくんです。
それをやるから大変なことになるわけですよ。
外壁が一番脆いものでできて、意識して作り出せるものはさっきも言ったように非常に脆いんですね。
意識していない時は作り出せないから。
意識していない時に出てこないものを自分の外面にしてしまうと、
人と会う時とか、特に絶対失敗できない時には意識して完全な状態を作り出すしかないじゃないですか。
それは一番まずいやり方ですよね、多分。
この番組がそれをよく物語ってるなって僕は思うんですよ。
このポッドキャストの番組が。
これは意識して作り出せないものなんだ。
僕がなんとなく今日野橋さんと話したことをヒントに、
なんとなくそういう話を三チャレの人に聞いたなと思い出して、
自然と出る弱さとモーニングボイス
そういえばこの話はなんとなく岡本茂樹さんの反省させると犯罪者になりますと近い話だなと思って、
あとは見切り発車でしゃべり出すということをやると、
こういうふうに30分間なんとなくそれっぽいモーニングボイスが出来上がっていくんですね。
これは弱さではないけれど自然と出るものなんですね。
こういうのが岡本さんの言う通り多分僕の宝物なんでしょうね。
これは意識して作り出せるものではないんですよ。
僕が意識して作り出せるのはせいぜいモーニングボイスをやろうということと、
そのためにiPhoneとAnkerのスピーカーを使おうと、
その辺までのマイクを使おうというところまでだと。
あとはもう自然と出てしまうものに任せてやっていると。
だからやっていけるし700回もやってられるし、
一応聴いてくださる人向けて、
一応というのはつまり3万再生とかではないにせよ、
それにしてもびっくりですよね。
決してそんなに僕の感じではまとまりがいいわけでも分かりやすいわけでもない話に
100名もの方が毎日のように聞いてくださるというのは
大変なことだなという感じもするんですよ、僕普通に。
他と比べさえしなければ。
そういうふうに考えてみると、
それができるのはこれを意識して作っていないからだとしか思えないんですよね。
意識して僕が作り込んでいれば、
週に4回これを3、40分の番組を100人聴いているということまで意識して、
この100人を退屈させないようにしようとか、
常に身になるという話だけを持ってこようとかしていれば
早々に退去して100回ぐらい行ったところで
もう100回まで行きましたからその記念にやめますみたいな
よくわからないことを言ってやめちゃってたと思うんですよね。
700も続くと多分800は十分かと思っているんだけど、
そこまで行ったのはやっぱり意識して出るものではなかったからだと。
意識して出るものでないならば、
私が私である限りはこのシチュエーションをセットさえすれば出てくる。
それについてどう言われようと、こう言われようと
聞いてますという人がいらっしゃる限りは
聞いてますという方が
自然と出るものと作り出すもの
昨月チャレンジなり100日チャレンジなりにもいらっしゃるということになってくれば
いることは確実だというふうに意識できるわけだから
この意識を持っていれば
何かしら今までのようなことでいいならば
当然自分は今までのようにしゃべることができるわけですから
作り込んでないだけに
意識して作り出したものでないだけにできるわけですから
それをやればいい。
日本も同じなんですよね。
万が一出てこなくなったらどうするかって考えることほど
おぞましいことはない気がするんですよ。
それに対して
しゃべったことを全部リスするというのがありますけどね
記録を読み返すなり
ネバーノートにそれをいいところをピックするなりしていくということをすればですね
私は啓発を模倣する一方だなって思うんですよね。
つまり出なくなった時への対応策ですよね。
出なくなることへの恐怖感から来る対策ですよね。
それは出なければいけないという風に自分に課すことだし
そういう風に課すことに対策まで打ち始めると
リアルな意味を持ってしまいますよね。
それをやめることはいけないことなんだし
できなくなるということも許されないことなんだし
自分のルールとして
朝になる朝にですね
ローニングボイスの
出ないなら出ないなりに頑張って出すと
リスを読み直すなりネバーノートを見るなりして
文句の出ない内容のものを作り上げなければいけないという話になったら
これまでの何百回も全く違うものを用意しなければならなくなっちゃう。
こういう風にして僕はドツボにはまったんだと思うんですよ。
今はつくづくは思うんですよね。
まさにそういう線で僕は僕をツボにはめていったという感じを持っているわけです。
だから自然と出るのは弱さにかみがえず宝物なんですよ。
自然と出るものは自然としか出ないんで
そして自然となら出るんで
あれこれ手を加えるものってのはやっぱりないんだということなんでしょうね。
そんなような感じでですね
脅迫的に自分がなると
つまりそれは何らかの未来というものを作り出すために
あるいは何らかの未来の実害なりを被るのを避けるために
一定の儀式を
儀式みたいなものを習慣化すること
脅迫的な予防と成功体験
それらをすべて脅迫的という風に内面では意識しています。
そしてそれは原則やらない。
やらないために例えば物事を覚えておかないとか
まして記録には残さない。
記録に残すということは予防をしたいという気持ちを
リアルな方に実現してしまうからですね。
そうすることによって受けなくていい被害を回避できてしまう。
そこにやっぱりリスクがあるんだろうと思うんですよ。
こういう言い方をするとむしろ分かりにくくなってしまうのかもしれないんですけれども
それってつまり未来を作り出せるっていう観念の
なんていうんですかね。
その怖さを
怖さというべきなんですかね。
未来を作り出せると思ってしまったら
もう作り出さずにはだんだんいられなくなっていくってことですね。
私そのことはよくよく知ってるんですよ。
あの静電気除去パッドってあるじゃないですか。
ああいうものに触れてから静電気の起こりそうなものに触れて
静電気が起きなかったって大抵一度でもしてしまうと
もう除去パッドを触れずには
一切金具には触りたくなくなるんですよ。
僕はそうしてアメリカで
ホテルから出られない日を過ごすことをしちゃったんですよ。
あれは結構恐ろしいですよ。
かなりの不利益をこむってでも
外に出ないっていう方を選択してしまいますからね。
もう自分はちょっと正気を欠いてるなっていう自覚はあるんですよ。
あるのに出られなくなってしまうんですよ。
そういうところまで行きかねないっていうものを感じるんですよね。
ある種のオカルトだと
万が一に静電気を食らったらどうするのかって発想を取り始めるんですよね。
食らったってなんてことないじゃないですか。
それを食らうという
ある種の心理的な強さを失ってしまう。
そういうのが私はもう嫌で嫌でしょうがないのである意味
それが人生を
暗く覆ってしまった時期があったんで
たぶん40…
今から考えてみると
1908年に出た頃だから
3、4、5あたりかなって思いますね。
二度とあそこまでは行きたくないと思います。
怒られるのが嫌だとは今でも思うし
それぐらいはしょうがないと思うんですよ。
怒られない方がいいとは今でも思うし
それが本当かどうか分からないってことを言いたいんですけどね。
怒られない方がいいと思うぐらいはしょうがないと思うんですよ。
ただ怒られるのを回避するためなら
何でもやるみたいな心理状態には追い込まれたくないんですね。
そしてそれを確実なものにしていくのは
成功体験なんですよ。
当たってるのかどうかもさっぱり分からない成功法則による成功体験なんですね。
これを精神分析の用語は今日は避けてきたつもりですが
いうところで万能空想って言うんですよね。
万能でない空想ってないだろうって話を先日もしたばっかりだと思うんですけど
万能空想なんですよ。
こうすることでうまくいったという空想を自分が信じ込んでしまうんです。
非常にもっともらしいものとして立ち上げたんですよ。
刑罰を重くすれば重大な犯罪は減っていくということで
パッと聞いただけならみんなは信じないだろうけれども
世の半数くらいの人は信じそうじゃないですか。
なんとなく常識に近い感じがある。
そういう感じのものほど私は危険なものはないと思います。
本を売るとかも全部そうですよね。
ターゲットを明確にするとか。
一見というかパッと聞いた感じ。
逆らいがたいようなもっともらしさはあるんだけれども
オカルトと自由喪失
因果率じゃないってことですね。
因果率ってのは100回やったら100回そうならないと因果率ではないんですよ。
因果率でないものは少なくとも信じなくてもいいと思うんですよ。
そして自分は信じないほうがいいと思っているんですね。
そして一番避けたいのが習慣かと儀式か。
だからどんな習慣も今は
これはだいぶ自分が今まで言ってきたこととか書いてきたことからすると
申し訳ないという、これも罪悪感を持たないって話と整合性が出てくるんだけど
でもちょっと申し訳なかったかなと思うところはあります。
でも今はそうは言っても多くの人に習慣化はしなくてもいいし
何なら避けておいたほうがいいですよねっていう話をしたほうが
この後の皆さんにとってきっといいと思うので
そういうふうに言っておきます。
そうすることで多分脅迫的なものっていうのから逃れられる
脅迫的なものっていうのは結局オカルトでもあるし
自分をどんどんどんどん自由を失わせる
それも内面から失わせる力を持ってしまう
実は外相から自由を奪われることのほうが
まだしもなくらい厳しいことなんですよ、結末としてはですね。
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