家族のトラブルとその影響
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1299回をお送りします。
12月23日火曜日9時25分です。
今日はですね、これを撮っているはずではなくて、今頃電車に乗って実家方面に出かけているはずだったのですが、
いろいろとトラブル、トラブル、トラブルで、トラブル3連続ぐらいが起きまして、一つ一つは話しにくいことも、話しにくくもないんだけど、でも話しやすくはないこともあれば、話しても何の興味も引かれないようなこともあるので、
まあ、なんて言いますかね、スパスしますけれども、できればね、本当は今日はこれを撮るのはいいんですけど、これを撮っているのではなくて、そっちに行ってないと来月からがきつらくなるんじゃないかっていうね、全部私的な、極めて実家系の話だったり、
家族系の話だったり、どれもですね、トラブル、しょうがないトラブルばかりなんですよね、あの風邪ひくとかね、そういうものがこう複雑に絡み合って、すべての予定がどんどんどんどん変わっていくというね、これをやって、ただ来年から大丈夫なの、まあしょうがないんですけどね、本当にね、来年にこれをすべて持ち越す格好になっていったという話でして、
来年も早々からとても忙しくなるのではないだろうかと思っておりまして、まああの先々恐々というよりは、いやこれ間に合うかなっていうのはちょっとありますね、間に合わないとまた非常に厄介なことが起きるので、絶対間に合わせなければならないんだけれども、でも間に合うのかっていうのがあの関係者も、関係者と言えばいいのか、うちの親どもも全く全然少しも協力的でないという、
気持ちの上だけやたら協力的なんだけど、何一つ協力はしないという非協力的ぶりがですね、もうなんかこう難しいんですよね、難しいっていうのは何が言いたいかというと、日常も減ってるしね、あのそんなにこう、あの年になってそんなことはできんのですけれども、いややりたいって言うし、やるって言うし、やろうと思ってるって言うんだけど、でも実際には毎日テレビを見て過ごしてしまっていて、そりゃそうだよなとは思うんですけれども、
まあその、だからと言って全部を私がやれるかっていうと、それは無理なんですよ、やっぱり遠くに住みすぎていて、そういう意味ではね、毎日のように役所に行く仕事っていうのが発生するはずのところ、ご本人たちは1日も役所に行かないという、なんかこう何かのコントみたいだなって感じがしてくるんですけどね、で行った時に全部やろうとしても、お役所さんなんで向こうもね、これはもっと前に申請しておかないと困りますよみたいなことを言われて、
しかもそれはご本人がとか、そこに住んでる人がとか言われると、全部ご本人じゃねえ、そこにも住んでもいいねみたいな、だったら代理なんとか署名を申請してくださいみたいなことを言われるんだけど、その申請がまた受理された頃に私家に帰るみたいな話になっててですね、
あのなんか本当にこう、父として進まないわけですよ。1日でやることが1ヶ月ずつかかるみたいな、それが1週間分あると7ヶ月かかっちゃうみたいな、そういう間にまた事態が悪化していくっていうですね、あの非常にこう、まあそろそろやっぱり、まあなんか雇い入れるとかだなっていう感じを、またこれはね、母が大変嫌っていう面白い現象なんですけどね、面白い、笑ってしまいたくなる現象なんですけど、
例えばもうどう考えてもですね、あのなんかこう本題になかなか入れないですけど、どう考えても家があのゴミ屋敷とかしたんですよね、まあこれは主に、まあこれも兄弟の話なんですけどね、まあそれは母が一生懸命片付けて、この間父は全く何も動こうとしないというのが全く不思議なんですけど、いや俺やるよって言うんだけど、もう絶対テレビから動かないんですよ。
なんかね、で、まあ母の片付けも以前は確かに父が何もしなくても全然良いレベルだったんだけど、今はもうなんか自分が片付けたのがどこであるかを覚えておくのが相当困難って感じで、ただですね、そのように言われるのはプライドが傷つくわけですよね。
ね、私は絶対これ業者入れないと無理だろうって思うんで、業者を入れようとするんだけど、母はね、これを見られるのも嫌だと、別に自分が散らかしたわけじゃないからええやんっていう形で言うんだけれども、まあとにかくその見られるのも嫌なんですよね。
で、結局のところ母がやるんだけど、母がやると結局掃除がぐるぐるぐるぐる同じ場所を巡ってしまうわけですよ。これをそっちに置く、そのことを忘れる、だから今度こっちに戻す、そのことを忘れるっていうことで、
ゴミの山の置き場がですね、こうルーティーンのように回るだけで片付いていかないんですよね、見ているとね。でも私が手を出すのはまあ嫌がるし、業者が手を出すのはまして嫌がるし、父に協力してほしいけど父は協力する詐欺になっちゃってるし、多分あれはする気はあるんだけど何すればいいのかはわかんないんですよね。
いや非常にこうすごいことですよ。でもそんなことやってる場合じゃないんですよ。部屋の片付けは二の次にしてでもやらなければいけない申請は山のように溜まっているのに、これは誰も申請しに行かないという、だから私が結局申請してはちょびっと進み、もしかするとこれはもう申請手続きがすべて終わる前にご両親とも他界するんではないですかっていう風な目で市役所の人は見てるんですけど、いやそれはしっかりごもっともなんだけどねっていう感じなわけですね。
カウンセリングのリテラシーの必要性
いやー面白いもんですよ。何かが何かが気の不全を引き起こしていますね。何もかもが気の不全を引き起こしているという、この中でですね、良いことなのか悪いことなのか非常にこれも難しいんですけど、妹のなかなか退院ができないという状態が続いておりまして、これも非常に先日も精神科の先生に話を細かく伺ったんですよ。
珍しくね、あのこの先生すっごい自信満々だったんですけど、薬の調整ということについて、もう前の病院とか微妙にディスってて、いや前の病院何やってたのかなみたいな感じで、いや俺に俺がやればもう一発なのにみたいな感じで、確かに年の前そうだったんですよ、この勢いで一発で行くかみたいに思ってたんだけど、何かガクッとこう自体がですね、何か進展しなくなったというか非常にややこしいことが起こり始めて、何かちょっと自信を失ってて、もう何か古い薬、古いっていうのは
昔に発明されたっていうね、薬なんだけど、これを試すしかないかみたいな、でも何かこんなのが効くんだったら元々効いてるよなみたいな、そういういやいやいやいや待ってくれよっていう見通しがあったんじゃなかったのかっていう、それ何かさ、あのあれですよね、今新しいパソコンを使ってるけど、何かちょっと動画の編集うまくいかないから、ちょっと古いパソコン出してくるわみたいなノリなんですよ、ほぼ、ほぼそういうノリで、いやそれダメじゃねっていう感じが、素人的にもするんだけど、他に方法ないんすよねみたいな感じで、
いやいやいやいや、大変難しくなってきましたねっていう、ちょっと先日ね、昨日なんですけどね、先生と、いやいや難しくなってきましたねみたいな感じで、そうっすねみたいな、何かこうタクシーに乗ってて、運転手さんが俺も道迷っちゃいましたよみたいなことを言い出したっていう感じで、でも運転してるのはその人だけだから、もう乗っかっとくしかない、ないよねっていう、何かもう見知らぬ年に来ちゃったんだけど、こう、で運転手も迷ってる言ってるんだけど、これ大丈夫なんかみたいな、そういうノリです。
いや本当に、全部がギャグとかしてきましたね、まずいっすよね、いや、こんなことで8分も喋ってるのもまずいっすよね、だから今日も本題に入りますが、先日、昨日ね、あの物作業のリクエストを受けて、そのお話をさせていただいたんですが、何かね、何をとちくるったか、タイトルが物作業員とかになってて、作業員って、何かこう、それも指摘されて言いがすいたんですけど、まあ要するに変換ミスなんですけどね、
あの、iPhoneだから変な変換が勝手に紛れ込んでいくわけですよ、最近ね、特に酷いんですよ、何か、Aヘがでしゃばりすぎていて、何かどんどんどんどん変えていってしまってですね、もう自動変換的なものを打ち切ろうかなと思うぐらいなんだけど、それはそれですごい不便になるんで、ちょっと痛しかゆし感がありますね。
魔女の宅急便を思い出したんだけど、物作業員ってちょっとどうかっていう、でもそれもいいかなと思って放っておこうかと一瞬思ったんですけど、でもリクエストいただいたタイトルだったからやめようと思ってですね、院を取りました、物作業についてですね、お話ししました。
物作業はそのなんて言うんだろう、得意分野ではないわけですね、私にとってね、あのやるのがってことですよ、概念はそんな難しい概念だと思わないんだけど、物作業というものはですね、こう精神分析だなって思うんですね、結構中核的な部分ではないだろうかと、あのカウンセリングが何かで、戸綾太さんも集結についてすごい書いてたんですけど、私やっぱり集結ってのは非常にややこしい話になっていくと思うので、
3ヶ月ちゃらみではそういう集結云々の難しさをちょっとスキップさせていただいてですね、3ヶ月経ったら集結する、継続じゃなくて、継続って言っちゃうんだけど、継続じゃなくて、まいきまいき入り直していただくという形を取ることによって、ここでやっぱり一旦判断っていうのかな、現実に目覚めるじゃないですか、やめてもいいんじゃないっていう風になるということが大事だなって思うんですよね。
一方で、やっぱり私の方としては、まだやれることはあるし、ビジネスでもあるし、引き止めたくなるじゃないですか、この引き止めたくなるという気持ちと、一旦やめることを検討するという形が整うことによって、例の何でもかんでもその言葉に押し込める、削除って言葉、あれは私は非常に良くない言葉だと最近考えるようになりました。
削除と言っておけば、不当に扱われたことを全部それで説明できちゃう感じがするわけですよね。
でも削除と言っている話をしているとですね、やっぱり最近この話、つくづく考えるんですけど、ユーザーリテラシーっていうものはどうしても問われているという事実をスルーできるような感じがするんですよ。
私は善意だから、善意だということは確実なんで、話として取り上げるのは難しいなと思うんですけど、正規のカウンセラーの方が何かとノーリテラシーでいいんだっていう、それはカウンセラーの決意と覚悟としてはわかるんですよ。
でもそうじゃないのが実態なんだから、あそこをあんまり強調するのもですね、なんか自分で自分の首を絞める上に事実に反しているなとも思うんですよね。
そもそもカウンセリングを受けに来れるっていう段階で、相当、相応のリテラシーを要求しちゃってるじゃないですか。
しかも正規がいいですって、正規って何よっていうのだって知ってる連邸があるじゃないですか。正規とは公認心理士と臨床心理士のことを日本では言うんですっていうのだって、こう言えば通るっていうのもやっぱりリテラシーを要求するじゃないですか。どっちも漢字5文字だしね。
臨床心理士、5文字だよね。で、公認心理士の死は医師の死ですとかね、そういうこともですね、リテラシーだと思うんですよ、やっぱり。
だからリテラシーなしで来てくれればいいんですっていうところの言葉には、そのカウンセラーの善意があっても真実でない部分は絶対あると思うんですよね。
これは心理カウンセリングで考えるから、なんかよくわからなくなるんですよ。例えば婚活サイトに登録するとか、あるいは美容院に行くってことを考えれば、リテラシーが問われるのは絶対確実だという。
リテラシーとサービス
だって、下手な婚活サイト行くと結婚もできずに時間とお金を無駄にするじゃないですか。それはみんな知ってることだと僕は思うんですよね。みんなは知らないかもしれないけど、使う人は知っておかないとややまずいことなんじゃないかとは思うんですよね。
パッと行けば誰とでもいい感じで結婚できるんでしょっていうのは、ちょっと、ちょっとこう足りないじゃないですか、考えとしては。だから、その、なんて言うんですかね。
美容院もそうなんです。僕美容院に行った時に、明らかにここはリテラシーが問われてしまっていて、俺全然それないわ。紙どうして欲しいのかって聞かれると、わかりませんってなっちゃう。ダメじゃないですか、基本的に。
わかりません言っててもいいんだけど、でもわかりませんと言うという答えが常に何かを意味しちゃうというようなね、ことがあるわけですよ。あと、ヒゲは剃ってくれないとか。これはリテラシーですよ。床屋ヒゲ剃ってくれますからね。
だからリテラシーがやっぱり問われちゃうんですよね。問われないサービスなんかないから、まして心理カウンセリングはすごい問われるから、あの、問われてるんだよっていう一定のことを知っておかないと不利益こむっちゃいますよねっていうか、どちらかというと利益を引き出しきれないって言った方がいいと思うんだけどね。
どうしてもサービス提供があって言いたがるんですよ。いや何にも知らなくても全然いいんですみたいな。夕田さん何も知らないでお任せくださいみたいな。任せることができることがすでにリテラシーだと思うんですよね。特に心の悩みとなってきた時に人に任せられるというのはすごいリテラシーで、だからそんなことを言っていても本当じゃないなっていう感じはします。
で、やっぱりどうしてこういう話を今始めているかというとですね、私が昨日精神科の先生と喋ってて、自分はやっぱりこの種の話にはリテラシーはある方だなと思いながらすごい喋ってたんですよね。リスペルドンとか言われても、何って言われても基本的にそれがどの辺の薬でいつごろ発明されたみたいなことは一通り習ってはきたんで知ってはいるわけですよ。
全く目新しい言葉だってことはないし、先生が何やろうとしているのかも聞いてればわかるわけですよね。細かい部分で何をするかができるできないって言ったらもう医者の領域ってすごいんですけど、そもそも権限がすごいから。でも話聞いても全然わからないわってことはないわけで、これが法律系だったら全然わからないと思うんですよね。あのレベルでは全く話聞けないと思うんですよ。
で先生が長くなりますよいいですかみたいなこと言ってそれはあんたが嫌なんでしょっていうだからお医者さん忙しいからね。でも実際には7分ぐらいだったんですよ。つまり私は聞いてて意味が全部わかるから問い返しがないから長くはならないよ。まあ7分だって向こうからすると長いんでしょうけど7分ぐらいかけてくれよっていう感じさっきのような事態だったから7分ぐらいかけてもらわないとっていう感じだったんですけど10分はかかってないですよね。電話ってほらあの通話時間残るからあの10分かかってないな。
まして私はタスク手段に記録するから10分かかってないのははっきりわかるわけでまあこれはしょうがないよねっていう長くかかるって言ったってこんなものがしょうがないよねっていう感じがしたんですけどね。だからそのリテラシーってどこでもかしこでも通われてしまうんで、すごく勉強しましょうねって話ではないんですけれども全くそうではないと僕は思うんですよね。別に私はアメリカで勉強しとってよかったわとは少しも気に思わなかったし、いやこれこの先どうなるんだよとしか思わなかったんですから
リテラシーありゃいいってもんでは何でもないんですけれどもあったって解説できないことはいっぱいありますから。ただあった方が話早いということと安心ではあるということと、その搾取という言葉に何でもかんでも押し込めないというのが大事ですよね。
何でもかんでも搾取にしちゃうと、例えばうまくいってない実家でさっきみたいに仕事してたってお金になるわけでは全くないわけですから、せいぜい親がロジャーズで買ってきた寿司を食わせてくれるとかそういうレベルなんですよ。それでいいですけど、別に親は私を搾取してるわけじゃないわけですよ。意図ははっきりしてますからね。私が手伝ってるだけです。
こういうのを搾取ってあっさり言っちゃうっていうケースがあるじゃないですか。それはその怒りとかその人の忙しさとかあるわけだけど、でもこう一つの言葉に何でも押し込めるというのは極端にリテラシーが乏しい時によく起こる現象なんですよね。で、絶対この言葉は避けといた方がいいと思うんですよ。搾取じゃなくて、例えばそうだな、ただ働きの方がまだマシだと思うんですよね。
ただでも働いてるよっていう意味、搾取っていうのは何にもならないのに金を取られてるっていう感じ、あるいは何にもならないのに全く意味沿わないのにひたすら労働力だけ取っていかれている。そしてそれが誰かの極端な利益を生むか、ないしは何も生んでないか、そういう定義が、定義じゃないかもしれないが、そういうニュアンスがあって、だけどこれはニュアンスだけで考えているわけですから、3ヶ月チャレンジに長くいることを搾取とは言わないと僕は思うんですよね。
長くいるのは、やっぱり搾取されたと言っておけば、まるで正義の話になっているみたいになるのが最も問題があるかなと思うんですよね。
だってその人が正義を唱えたいなら、そしてサンチャレを潰すことが正義だって言うなら、それはそれでまた別の主張だと思うんですよ。そうじゃないじゃないですか。何とかしたいと思うことが他には全然あるのであって。
正義っていうのがやりたいわけじゃない上に、このサービスを壊したいわけでもないのに、この言葉が出てきちゃうとするとですね、やっぱりこの言葉がすごく力を持っていて、難用感があって、そして一番問題があるなと思うのは、リテラシーがある意味ない方がいいみたいなニュアンスが出てきてしまっている。
だから、私だってだってもっともっとずっと無知であればですね、昨日の精神科の先生に、いや搾取されているとか、妹は騙されているとか、我が家はみんな騙されていて薬漬けとかって言うじゃないですか、あの言葉も、父も言うんですけどね、薬漬けとかじゃないんですよっていう、それしか方法がないからそういうことになっているのであって、
その方法がないところになぜ今追い込まれているかというと、結局のところそれは長らく誰かが放置していたせいであって、そうするとほら犯人探しみたいになってきますね。この犯人探しをしていると、それを言った人が犯人なんじゃねって話になってきたりするわけですよ。
その先生がいやいや俺別にやりたくてやってるじゃないしって言い出したら、もう収集つかないじゃないですか。これは埼玉県知事の命令なんで、あの、俺やりたくもないからやってるとかは言っちゃダメなんですけど、でもそういうことを言い出しかねない状況を生み出してしまうと、もう収集つかなくなると思うんですね。手に負える人その人しかいないみたいなレベルに入ってきてるわけなんだから。
搾取の誤解
それなのに、家族の人が勝手にやればみたいになったら、ただただ家族は崩壊していくだけなんで、本当に。誰かの手に負えるレベルはもうとっくに取り越してますからね。だからすごい問題なのであって、そういう時にこう、くつりづけとか搾取とかいう言葉はもう基本的に事実に反する上に絶対やめといた方がいいと思うんですよ。
第一、お金は公的なところからもう出ているわけですからね。搾取じゃないわけですよ、全然。それはなんで公的なところから出なければいけないかというと、やっぱりこれは公的な利益に最終的にかなうからだと僕は思うんですよね。
家が完全に崩壊してなんかみんなが罵りあったり殴りあったりするっていうのは、多分公的には決していいことじゃないんだと思うんですよ。社会的でもいいですけどね。だからこれはどこかから拒出する意味はあるわけですよね。私そういうふうな、そういうふうな仕事ではサンチャレはないですが、なるべくそっちに寄せていきたいというのはずっとあります。サンチャレに関してはですね。
何かを達成するというのではなくて、やっぱりそれはそうなると思うんですよ。その利益を享受する。それはいいんですよ。それはそれで。誰かのところに集中的に利益が向かうというのをサポートしますっていうのもビジネスコンサルなんだからありだと思うんだけど、できれば極力こう、なんていうのかな。
極端な不利益を未然に防ぐことで、その周辺から広がりうる公的な利益がよりスムーズに広がる。だから公共機関みたいにこういうこと言ってるとなっちゃうんですが、そうではないつもり。そうではないんですね、現にね。税金がもらってるわけじゃないし、NPO法人とかやってるわけじゃないし、あの手続き煩雑すぎて、なんか見ただけで嫌になって、僕はNPO法人とか抜かないなと思ってやめたわけですけれども。
抜かない。絶対に抜かない。私どうも公的なものって抜かないなって思いますね。なんかこう、ついつい一人で全部やりたくなってしまうんですよね。気楽だから。結局。それこそ作集とか出てこなくて済むじゃないですか。だからもうなんか一人でやっとけば楽は楽ですよね。
しくじっても全部自分が引っかぶればいいんでっていうところはありますよね。しくじりたくないんでサポートいただくわけですけれども、まあこれでもしくじっても自分が引っかぶればいいって本当楽だなっていう感じを持っちゃうんで、そういうところがやっぱり自分が公的なものに向かないなっていうのと多分関係が割とありますよね。
まあとにかくこのポッドキャストも、このポッドキャストそれ自体がですね、公的な利益を生んでるとは全く思わないのですが、でも無償提供なんで、一応無償提供というのに値しないかもしれませんが、とにかく無償で提供していることは確かなので、
まあこの喋るだけで何かの役に立つんだったらそれに越したことはなかろうと、もうあの書くみたいなことはほんとやめてきましたからね、なんつうんだろうな、そのその場で出したものがその場で受け入れられない、つまり編集というやつですよね。これに対する考え方だと思うんですよ。編集はおもてなしだっていうのはその通りだと思うんだけど、私はこの編集しなきゃなんない、準備しなきゃなんないっていうのが相当何とかしたいっていうのがあるんですよね。
ちょっとも減らないんですよね、これが。不思議なことに動画であれ何であれ、なんかAIが出てきてくれば出てきた分だけやること増えてるんじゃないかって思うぐらい減っていかないなーって思うんですよ。何かをちょっとでも加工するだけでも全然やる気がしないんで、
あのなんかね僕はここんところで自分は誤解を受けてるってよく思うんですよね。僕なんで著者をやってるかって言うと編集しなくて済むからなんですよ。
編集者じゃないってことなんですよね。編集者とほど僕にとって合わない。編集者兼著者って言いますよ。だから全ての人が著者と編集が対立的なパーソナリティーなわけじゃないんですけど、私の中では対立的なパーソナリティーなんですよ。
編集に渡しとけばいい感じに本にしてくれるってのが僕にとってものすごい大事なところで、自分で本を作ろうという気はないんですよね、僕は。それがあの
いわゆるkdpみたいなやつ。あの 自分であのkindleで売るやつね。あれもなんか倉園平塚さんのgoodvibesの時に携わってみたんだけど、いやこれ俺全然向かないわという。
まず何が向かないって知識よりもはるかにモチベーションが限りなくゼロに近いっていうね。 もっとずっと楽に作る方法もなくはないんだけどそれでもやりたいとは全く思ってないんですよ。
だから物作りって一言で言うけど、僕は物作り感って実は全然ないんですよ。 物を作りたいっていうのは全く感じないんですね。物は作りたくないって思うんですよ。
好意と悪意の心理
書くのはいい、だけど物を作るのはごめんだって思ってるところがあります。 形にするのは誰かがやってほしいですね。
なんかこれはね昔からあるんですよ。形になってないものがギリギリ形になる。 あの手前の段階までは持っていく気になるんだけど形にしたいとは思わないですよね。
で形にしたい人に主導権握られるのも好きじゃないんですよ。 しもなりやすいんですよこういうのって。なんかメルマガとかやってると気がつくと
こういう風にやってくださいみたいなの。注文が下請けみたいになってくるんですよ。 だんだんだんだんで。なんかねタイトーもしくは少なくともこっちがクリエイションしてるじゃんみたいなところがあったはずなのに
気がつくと下請けみたいになるんですよ。この仕事めんどくさいなーって思うのはそこのところなんですよね。 別に先生扱い行かれなくてもいいんだけど先生扱いして人を下請けにするのが実に上手い編集さんっていて
まああの非常に複雑な気持ちになりますね。でもそういう人と組んでる方がやっぱ楽ですね僕としてはね。
あの いいように転がされていてお金も少々向こうに多めに持ってかれてもいいから
過剰に注文を出さないでほしいっていうのがありますね。 そしたらなんかこう黙って買いとくからみたいなそういう感じの人間ですね私はね
多分ね良くないんですよね。良くないんだけど何とかこれでできないかなって思ってるわけです。 直す気はないんですよ。この年になるとやっぱりそんなところを直せないんですよね。
ものすごいこれってパーソナリティにおいては抵抗が強いんでやりたくないっていうのがちょっとやそっとではないんですよね。
ちょっとやそっとならやるんだけど ちょっとやそっとじゃないやりたくなさがここにあるんで人と組めないなぁみたいな感じ。
著者とは組めても編集さんと組めないなぁみたいな だからこういう編集するからスタッフさんどうですかみたいな話って少しずつ減ってますから
あの多分そういうのに乗っかっといた方がいいんでしょうけど 前のピボットがそうでしたねいいんでしょうけどああいうのはでも
やった後でもうなんか後悔だけが残っていく なんか苦い気持ちが残ってるんですよね
だから あの自分好き勝手に喋りたいっていう人間でその編集はできれば一本にやってほしいっていう
人間だなって思いますね だからこれが続いている感じがします続いているというか続いているというのは
皆さんがよくおっしゃってくれることであって私は続けようという気は全くないので マイナスはただとってこれがねなんかうまく伝わらないんですよね
タスクシュート人気だと思うんだけどタスクシュートの説明でこれをしてさえも 果てなって感じになる方が少なからずいるんですよね
だから1週間はとか1ヶ月はとかって言い出すんだけどそうでは全くないんですよ 今日で終わりなんです
それが毎日続いてるじゃないですかこれをなんていうのかななんか境地とかって言われ ちゃうんだけどそうでは全くないと思うんですよね
これは学校教育の悪しき弊害ですよ 弊害は悪いから悪しきはいらないね弊害ですよ
なんかね三日坊主とか継続は力とか言ってるからいけないんだと僕ね最近習慣化って言葉を ほぼ使わないようになってるはずなんです良い意味では
なんか悪癖みたいなものは使うんだけど習慣化とか継続力って言葉をそういう本出しておき ながら何なんですが極力避けるようになってんですよね
なんかこう3日続けるとか1週間続ける1ヶ月続ける100日続けるみたいなことに意味があるっていう意味は生まれるんですけどビジネス的には
ただ そう思ってやってないのにそしてそう思ってやらないのが秘訣ですみたいな言われ方するじゃないですか
でもそうだ限りないと思うんですよなんかそう思ってやってる人もいると思うんですよね 僕はそうは思わないんですよ
これを明日も続けようとか思ってないんですよ だから続くとかでもないんですよとにかく今日はできるってことなんですよね
そうそうとにかく今日はできるってことなんですよ他のことはいらないと思うんですね だって明日があるかどうかなんてわからないんだからこの話もそうするとそれはそうですけどとかって言われるんだけど
アドバイスへの抵抗
でもそうじゃないですか 今の時代ってやっぱり熊には遭遇するかもしれないしどこで地震起きるかわかんないし
明日もあるかどうか確かに確実ではないと思うんですよね 確率が高かったとしても明日これができるかどうかに至ってはますます今日やんない予定でしたから
あのますますわからないじゃないかって思うんですよ ただし今この段階で28分32秒だから今日はできるよねっていう
少々でかい地震が来たり しても今日は多分これのアップはできるんじゃないかなって感じがする
この感じがすごく大事で他のことはいらないと思うんですよね こういうことにはもちろん編集するとかもっとこう
インフルエンスでかくするということになってくればいいます もっとちゃんとやることがね必要になってきますよねでも私は自分ができるギリギリの
ラインをまあエアポッツアップルの音エアポッツ一本取れば耳は塞がないから顔 熱くならないし音声で人から怒られるほどはひどい音声にならないし
あのこれでノイズキャンセリングすればこの空間で集中できるぐらいには集中できるよう になったし
これで全部がまかないるなってなったらこれでいいんですよね マイク追加したいとか編集したいとかは言われますよ
そういうふうなことはねでも絶対やんないんですよ これも割と大事なんですよ絶対やんない
その人の言うことが最もだと思うからやるとかやらないとか関係ないんですよ その人と私は違う人なんだからこの感じがですね
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ねそんな抜粋の人間が対してそれによって利益を得られていないことがその人の人生 とって何でもないじゃないですか全く知らなくてもいいことじゃないですか
で現に知らないでそうなってる人って世の中にいっぱいいるはずでしょう僕以外にもね だからなんかねこう
アドバイスを受け入れる受け入れないというのは実に些細なことでしかないと思うんですよね そういう意味では私のこの3ヶ月チャレンジという
アドバイスって一つとってもですね実に些細だなと松木くんヒロさんが言ってるのは 謙遜ぽく聞こえるんだけどものすごく謙遜じゃないと思うんですよね
私たちにできることはほとんど何もないっていうのを彼はあんなになってビオンの本 とかさ
グリッドとかあんなにこう本当にもう人生のどのぐらいをかけているんだろうという ちょっとでもその人のこう
痛ましい不幸を少し軽減するということにはあんなに全力を挙げてても私たちにできる ことはほとんど何もないみたいな
でも松木さんのその話の中でですね僕がむしろ感銘を受けたのは彼のお医者さん時代の お話で
あの 医学部に入ってまぁ彼はお医者さんになれって言われていてなれなかったらもう首くくろう
みたいな高校生を持ってすごい良くないことだってから帰ったんだけどでもそれしか ないような気がしてたと入ったんですよねだからそのぐらい
そういうあのある種の厳格性を持った家に生まれられたんでしょうね で
でお医者当然医学部に行くとだから精神無石化とかになるっていうのないわけですよ最初 から全然で医学部に行って最初に衝撃を受けたのはこの世には何と藤野山
が多いことかと全然治療できない病気ばっかりじゃんということに気づいたと あれは私はすごい思うんですよね
我々は何か体調崩せば医者に行けばいいぐらいに思ってるけどそうじゃないんですよ ね
ずれそうですよねだってやっぱ僕いつもいう職位よく出し持ち出すけどギャートルズの 時代何なら江戸時代とかでもいいですけど
病気にかかったら大変なことになるじゃないですか 我々すぐ病気にかかっちゃうけどなんか疫病の流行とかって江戸時代とかなんかゲームとかに
出てきますけど 行き寄ったからインフルエンザとはですよね
死んじゃうわけですよねそういうのにかかっちゃったら 子供とかはましてや
タミフルとかがあるわけじゃないし抗生物質もないし なんならその清潔の水だって手に入れがたいっていうような世界ではでそれ
人類何万年もそれでやってきてるわけですからね つい最近ですからねこういうものが全部完備されてきたのでも
治んない病気のほうがほとんどっていうか少なくとも医療があんまり手を出せて ない分野ばっかりなんだなとで一番信頼されているのは世の中で医療じゃないですか
医者って明らかにお医者様はお医者様じゃないですか これに比べると死に臨床ができることって実に少なさそうだっていうのはよく感じられる
ところですよね 私もこうあれは非常に重要だなと私たちにできることはほとんど何もない
心理カウンセリングの重要性
だからアドバイスって聞かねえってことですよねましてや だってあの結局のところアドバイスの専門家ですから心理カウンセラーって僕が思う
結局のところたとえそれが沈黙であったとしてもアドバイスの専門家ですから 東映同一化かもしれない視点いいかもしれないけど定義が起きること自体が既にアドバイスの
線プロのをやっていることですからと思うんですね プロのアドバイスですから定義ということと逆転移ということが起きたというだけでも
あなたのことお父さんだと思ってしまいましたはいそれはもうアドバイスですよね プロのアドバイスですよねあなたのことお父さんだと思ってしまった時点でもプロの
アドバイスですよね でもそういうことをなんかもうドイツ語とか英語とか文献とか調べまくって
頑張っていてもできることはほとんどないんですよ アドバイスは聞かないんですよね
でも必要なんですよ そういうことなんじゃないかと思うんですよねやっぱりそういうことってどういうことだって言われる
とつまり アドバイスというのは聞かないんだけれどもないともっと困ったことになります
ということなんだと思うんですね で聞かなかったって必要だってなった時に受けに行かなきゃなんなくなるわけじゃないですか
で聞かなくったって必要だとなった時にカウンセリングを受けに行けるというのが相当のリテラシー なんですよ少なくともが国において
だから聞かなくったってこれがもう分かってるってことがすごいんですよ 聞かなくったってアドバイスがないよりはあった方が良くて非正規よりは正規がいいって
ことを非正規の私が言ってるということについて ここで聞いていられるということがすでに相当のリテラシーなんだと思うんです
私 そういう盲点と言いますかねじれと言いますか影と言いますかがあって
信じることの難しさ
それと搾取はきちっと分けなきゃいけないと思うんですよね 謙遜で言ってるとかじゃないんですよこれはまだまだ
えっとこの分野は広いし未知の領域だし 聞かなかったから搾取だっていう言い方ができるのは
聞く方法が確かに確立させてられている後の話じゃないですか 医療の分野でも同じだって話がどこかにあるってことですよね
富士の病がこんなに多い だから富士の病に今の段階でですね治療法が分かってない
あの病気にかかった人がお医者さんに行って治せなかった治らなかった 搾取だそれはおかしいじゃないですか
治す方法はこの世にあるんだったらそうかもしれないけどないのにないんだからでも ないなりに最善を尽くします
あとはこれをですねどう最善を尽くすとか言っといて何もしなかったでしょうっていう人だって いらっしゃると思うんだけど
ここはだから信じる信じないの話にだんだんなってくるわけですよね
確立した医療法があるならば信じる信じないの話ではないですよ 最善を尽くさなくたって治せるんですから
ある種の薬を飲めば でも最善を尽くしても治せない病気になっている場合
これは搾取も何もないわけですよまあ搾取はありますだとしても 搾取はあるからこそ余計
リテラシーって必要だと思うんですよ その人が最善を尽くしているのかどうかの見極めるってことはある程度
見極めることはできませんが検討することは必要だと思うんですよね でも検討ができたからといって見極められるわけじゃないんですよ
あの夏目漱石に後陣って本があるじゃないですか 話が飛ぶようなんだけどあれ見極めようとしてしくじる話じゃないですか結局
美容によっては弟だっけ弟だかを自分が要するに自分の奥さんが自分を愛してるって 信じられないわけですよね
だから弟と一夜を共にさせてセックスしなかったかみたいに やってることはすでにおかしいじゃないですか
オブジェクシブな感じってありますよね パラノイアパラノイックかなこれはなぁ
いずれにしても信じられないってそういうことですよね あの私時々梅津和夫さんの嘘っていうあの作品を紹介するんですけど
あれもすごくそういうものを考えさせられる話だと思うんですよね 信じられない人にとっては
出口ってないと思うんですよ だって信じられないんだから究極のナルシズムだと思うんだけど
信じられないじゃんとかって平気で言う人いるんだけどいやだからそれはあなたが自分を 信じてるだけだからっていう自分の世界以外の現実があることを信じていないから
信じられないわけですよ 現実なんかないんだって言ってるわけですよね
現実なんかないんだってことじゃないですか結局のところ 人の善意がありますって言っても善意っていうのは結局外にあるものですからね
ナルシシズムと現実認識
で証明はされないものですから現実があるってことはですね だから現実に善意がある信じられませんっていうことになった時にはつまり自分が大事だから
裏切られたくないというその自分の気持ちだけが信じられるって言ってるのと変わらないと思うんで だからそれは究極的にはナルシシズムだと思うし
まあ夏目漱石の後陣の世界ですよ あれは全然酷い目にあってないのに彼は地獄に生きてますよね完全に
全然酷い目にあっていないのに地獄に生きるということの辛さについて あの作品はものすごくよくかけていて
まぁえぐいっちゃえぐいですけどあれをでも結構コンパクトにある意味そんなにこう スマートにではないけどかなりコンパクトにまとめられているのがある意味あの
梅津和夫さんの嘘っていう小作品だと思うんですよあれは私は非常にちょっとこう 梅津和夫さんらしいこうなんていうのかな
小回りの行くべきところがなんかこう ちょっと交差点の回り方が膨らんじゃいましたねみたいに
いう感じはあるんですけどでも作品のその レベルはとても高いなって感じがするんですよね
絵といい やっぱ彼は絵が上手いんでね
絵が上手いなーっていうあの表情には非常に感じらせられるものがあります ナルシシストってああいう苦しみを背負っちゃうよなっていう
あの奥さんがですねその酷い扱いをされている奥さんがですね最後にこう 言うんですよね主人公の男にねまあその信じられない男にね
あのあなた振り向いてご覧なさいあのセリはとてもいいと思うんですよねまぁあんな ことありえないですけどね漫画ですけどね
要するに振り向いたら私がいないっていう状態を見てしまったら要するにあなたずっと 夢の中に生きてたようなもんだみたいな話だし振り向かずにどんどん行くということになると
要するに 生きてこの世には戻ってこれない方に行っちゃうってことだし
で奥さんは嘘をついているのかどうかはわからないわけですよ結局 で奥さんは嘘をついてないと言っているわけですよね
つまり奥さんはすぐ前衣の人だと信じるならば 振り向くべきではないっていうシーンなんですよねあれはね
あれは非常にでも後人だなぁとは思うんですよね 梅津和夫さんは後人読んでないはずないから
やっぱこれ結局後人の世界だなぁというでもその怖さは子供にも一発で伝わるように しているという意味では漫画ってすごいと思うし
漫画家さんすごいなぁと思うんですよねアルシシスムっていうもののあの地獄のような 心理ってああいう感じが
しますよね非常にある意味を恐ろし覚めない夢ってこういう覚めない悪夢みたいな 何も酷い目にあってないんですよ
自分が好きに選んでいいわけですよ振り向くにせよ洞窟に向かうにせよ 別に好きで選んでいいわけなんですよ
その洞窟をまっすぐ行くと崖から落ちて死ぬことになってるんですよその主人公の男の 人の頭の中ではね
でその奥さんに行かせたんですよ ところがその洞窟は不思議な洞窟でずーっと駆け海の方に駆けの方に向かっていくと
なぜか出てこれるということになってるわけですよ これについてあのノートでねすっごい細かーく
実は大きなカーブを描いているのだみたいな まあ割と身も蓋もないことを書いて細かーく書いていろいろ検討されている
あのとても面白いノートの記事があったりもします ああいう解釈を入れてしまうとナルシズムも何も減ったくれもなくなって一気に話の
ぶち壊しになるんですけどあの記事私大変好きでもういつも読んでますね だからノートとかドキドキ書いたらいいのかなぁと思うんだけれどもなんかこう
そんなに暇なことやってていいのかなっていうのを自分がやるとなるとですね さすがにちょっとそれはまだまずいんじゃなかろうかってでもそんなこと言ってたら
結局全部老後の楽しみになっちゃいますしね今日は非常に取り留めもなかったんですけど あの後陣の私はあれはナルシシズムっていうもののある
抗議に言えばですよナルシシズムってああいうふうには言われてないですけどでも僕には 自虐的ナルシシズムとか
悪意を探す心理
ある意味ではその北山治さんのユーズルのイルイコンの話とか そういうところに潜むなんて言うんですかね人間というものが出口を求めている
出口を求め始めてしまったらすでに何かにハマり込んでしまう だってあれだってそうじゃないですか覗かなきゃいいんですよ
覗かなきゃいいんだけど覗きたくなるじゃないですか人間てのはですね ここで何が行われているのか
知らなきゃいいのに知りたい知りたいっていうことになって知ってすべてをぶち壊しに してしまうわけじゃないですか
それはつまり信じられないってことだと思うんですよね現実というものを自分が把握できる 形にしないと気が収まらなくなってしまうという
ある種の問題だと思うんですよ客観などというものは他人の目に任せておけばいいのに 主観から客観を知ろうとするわけですよねそして知りうると思ってしまう
絶対できないことなのに絶対無理じゃないですか弟さんと奥さんが一夜を共にしたけど セックスしなかったかどうかなんて
証明の仕方がないですよねそしてましてやその奥さんが愛してますって言っていて 一夜を共にしてないんだけど読者には分かるんだけど
だけどお前の言うことなんか信じられんでなったら信じられないじゃないですか やっぱり結局は意味は全くないですよねこの見極める見極める見極めるって言って最近は
なんか ai が書いたのか人が書いたのかを見極める方法が必要だみたいな 必要なのかそれって感じがするんだけど読んで面白ければそれで良くないっていう
のが耐えられないっていう心理があるわけですよね 結局はだからこの本当にそこに心はこもっているのかとか魂はこもっているのかと
証明の仕様がないじゃないですか魂があるのかどうかだって証明の仕様がないのに なんで魂がこもっているか文章かどうかを読んだだけで分かろうとするのか
という謎な欲望ですよね自分の主観から客観を知り得るというふうに誤解してしまって で客観的真実それも愛してるかどうかとか魂がこもってるかどうかとかいう
もともと客観的な事実があるかどうかが疑わしい事象にわざわざそこに相手のしかも 善意というものを乗り越えていって譲る善意でしたよね
良い事しか起きなかったじゃないですか 羽ボロボロになっても肩を折ってお金儲けさせてくれたわけだから善意しかない人間の善意を
わざわざ疑うことによってでもやりますよね我々はしょっちゅう いやいやいいスピーチでしたよとか言われてもいやこいつ絶対腹の中ではこの
クソスピーチと思ってるわみたいなことになるわけじゃないですか プレゼントか全部そうですよねだからあなたのこと好きですっていうことを信じないわけですよね
あなたはよくやったと思いますっていうのも信じないわけで 私たちはあなたに行為を持ってますよのことごとく乗り越えていって真の悪意を見つけ出すの
だみたいなノリになってるわけですよ AIが書いてたって別に面白かったならそれでいいじゃんってことができないんですよね
AIが書いていたということは自分の労力が搾取されたということだっていうふうに 思ってしまうわけですよ
善意を乗り越えて悪意を探しに行くわけですよ もし何かタイミングが合えばですね
後陣は読むのめんどくさいかもしれないけど 植津和夫さんの嘘はどこに収録されたのがちょっと嫌だとかだったかな
それはわかんないんですけどわかんないっていうのはあれですが 多分でもAIに聞けばすぐ教えてくれるんで植津和夫さんの嘘はどっかで
ただあれを読んでスッキリは絶対しないですからね スッキリしないところが大大のポイントですから