1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. ぼくらは「悪夢」を生きている..
2024-11-07 47:13

ぼくらは「悪夢」を生きている【1085】

人は共通世界に生きながら、それぞれの投影の世界を生きている。
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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1085回をお送りします。
えーっと、11月の7日、木曜日、朝7時27分です。
びっくり寒くなりましたね。放射冷却感があります。もうなんか、秋がない。
夏から冬へという感じで、まあこれ、しゃあないけど、良くないとは思いますね。
くしくも、昨日、米大統領選が結果になって、まあ温暖化的には厳しいでしょうね。わかんないですけどね。
まあまあでも、私は別にアメリカ選挙民でもないですし、そうか、みたいになって、えーっと、まあ僕はそもそもあんまりニュースを見る方ではありませんから、
そうか、みたいになって、野球のニュースはめちゃくちゃ見ますけどね。
あのー、またこれを涼しくなったから、涼しくなったで、撮っていこうと。
まああの、僕も、なんて言うんだろう、あんまり、これはまあ、クラゾンのケイドウさんのね、グッドバイブスのおかげですけど、
ほぼ全く疲れないって感じになってるんで、今日は寝不足なんで、ちょっとこれから寝ますけど、
あのー、全然元気なんで、この元気さというものについて、もうちょっと語れたらいいのかなぁと思いつつですね。
今日は全然別の話をしたいと思っております。で、えー、繰り返しのお知らせとなりますが、
11月の17だったかな、すぐ日付がですね、でも近いですよね、もう11月の17日、11月ですよ、
11月、今月の17日の日曜日に、はい、タスク集と手帳術の会を渋谷にて開催します。
14時、16時、懇親会もありですので、えーと、まあ私となんか話したいという、
えー、まあ僕の、僕からすると若干気徳な方で、えーと、気徳って言葉は昔流行った時代があったんですよ。
ほとんどこれでしか使わないぐらい使わない単語ですが、まああのいらっしゃったら是非、あの遊びに来てやってください。
渋谷なんで、出やすい場所だと、半島県としては思います。あの神奈川からでも埼玉からでも千葉からでも、
割とこうアクセスしやすいと思うんですよ。渋谷ってすごいよなぁと思うんですよね。
あの、私なんかは実際は品川に出る方がよっぽど早いんですけど、近いんですけど、でも渋谷に出るのがそこから考えて厳しいかっていうともはやそうでは、まあうち遠いですからね、都心がね、非常に。
でも埼玉にいた時もやっぱ渋谷って出やすかったんですよね。品川って埼玉からになると今度断然出づらくなる感じじゃないですか。
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まあまあそんなことがありまして渋谷でやっております。やっぱ皆さん来やすいところとそうでないところは違うんですよね。
来やすいとすると多分やっぱ大手町東京周辺ってことになっちゃうんですけど、こうするとかなり千葉寄りになって、
まあ、あのそんな出にくいかっていうとそんなこともないんですけどね。
まあでも渋谷はやっぱり一番僕のこれまでのセミナー人生では人が集まる方かなと思っておりますので、よろしければどうぞ。
17日の日曜日の14時です。はい本題に入ろう。
あの最近ですね、店員の話をし続けていて、やっぱりやや難しいと。難しいと言われるのは多分実際難しいっていうこともあるのとありますが、
私のやっぱり説明が店員はこなれてないなぁとは思うんですよね。不在論とかの方がまだマシだと。
それはつまりベースがBEYONDだとめっちゃ難しいっていうのがやっぱりあります。まあ不在論だって松木さんが書いてるからやっぱりBEYONDなんですけどね。
いやBEYONDすごいなぁと思いつつも、あの難しいなぁともやっぱり思うんですよね。なんかね頭に入りにくいことがいっぱいありますね。
それは用語のせいなんですが、この用語のせいですっていうのも指摘されてそれもその通りです。
これも私の説明がこなれないせいが大きいんですが、同時にやっぱり私たちがですね、いかにこう一般的に学校で習うことのリテラシーが高いかというのがあると思うんですよ。
まあ私なんか明らかに理解してませんが、それでもベクトルって言ったらなんかわかるじゃないですか。なんか我々多分少なくとも私の理解しているベクトルは間違ってるんだけど、それでもわかるじゃないですか。
聞いたことがないってことはないじゃないですか。それを使って操作する勉強までさせられている。
三角関数とかね、わかるじゃないですか。それに比べると僕思うにアルファ機能って難しくないはずなんだけど、聞いたことがないんですよ。残念ながら。
我々だってですね、ベクトルとか三角関数とか微分析文とか言っても、それにまつわる名前とかは知らなくていいんですよ。
そういうことって精神分析の世界ではかなり起きにくいと思うんですよね。
アルファ機能知ってますが微音は聞いたことないですって人はいないと思うんですよ。残念ながら。これやっぱり人口に感謝していないということがこういうことをつくづく意味してると思うんですよね。
よくよく知られている概念は概念がちゃんと、概念を知っておけばある意味いいわけですからね。
万有引力といえばニュートンとか相対性理論といえばインシュタインとか、名前付きで出てくる超ビッグネームもありますけれども、我々大体ですね、そうか、
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地動説とかになればコペルニクスみたいに出てきますかね。でも、例えばウイルスとか発見とか、多分詳しい人じゃないとよくわかんなくなると思うんですよ。
二重螺旋となると出てくる人名出てくるかなぁ、ギリギリかなっていう感じなんですけど、多分生物でアミンとかチトシンとかいうのが出てくるにもかかわらず人名は出てこないっていう人はたくさんいらっしゃると思いますね。
でも精神分析ではなかなか難しい用語であればあるほど、それはもう、
ホエドイツカは知ってますが、ラインって人は聞いたことないですって人はほぼいないと思うんですよね。
やっぱりここが、チョージが知ってますがフロイド知りませんとかありえない感じがするんですよね。
これがやっぱりね、リテラシーが担保されてない世界の難しさだと思うんですよ。
で、なんでじゃあそのリテラシーが担保されてもいない話をあなたは永遠と喋ってますかっていうのは、毎日のように喋っておりますけどその理由は、これしか情緒を手厚く扱えている学問体系みたいなものがないのにもかかわらず、それはすっ飛ばされている。
なぜなら今、情緒学問体系的に理解するということは非常に低く見積もられているからなんですよね。
これがですね、こうこうこうで私は問題だと思いますっていうと納得はされるんだけど、現実的にこうなっているっていう点については、そんなにそれで困ることありますかねって感じになってしまうんですよ。
私はみんなこれで困っていらっしゃると思っておりますから、これを細々と一生懸命喋っておりますが、だいたい気づかれもしないみたいなところはあるんですよ。
これは原因論みたいな話とも関係があるんだけど、最近私定義というものを一生懸命集中的に定義を覚えがきで偏った勉強の仕方だと思うんだけど、かまわずそれで突っ走っておりますと、
やっぱり定義っていう概念が僕が原因論のようなものだと感じているんだけれども、このやっぱこういうアプローチの仕方ですよね。
原因が分かる分からないじゃなくてアプローチの仕方、なんか難しいこと言ってるなと思われると思うので具体的な話しますね。
私たちは歯医者に行って、ああ虫歯ですね残念ながらみたいなことを言われてゲーって思うじゃないですか。
しかし虫歯になった原因って必ずしも特定されないし、全く言及しない歯医者さんもいっぱいいますよね。ちゃんと歯磨いてないとか本当かそれっていうような適当な理由でいいわけですよ。
なぜなら理由は少しも大事ではないからですよね。虫歯、直す、直し方も決まってる。直す以外の選択肢は原則ありえない。痛くても直す。
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まあ、選択の自由は与えられるけど放っておいても良くなりませんからね。どんどん酷くなりますよっていう、なんかもう
なんて言うんだろう、突き放されて結局は直すしかない。そして大事なのは現象としての虫歯ですよね。虫歯であるかないかは誰が見ても明らかですよね。
きっと本人に明らかじゃなくても歯医者さんには明らかですよね。で、それは見てわかりますよね。
で、現象ですよね。つまりそれは症例診断をしているだけですよね。なぜ虫歯になったのか。甘いものを食べ過ぎているのか。
もともと歯に脆弱性があるのか。疑伝なのか。虫歯菌みたいなものが繁殖しやすい口内環境なのか。全部あるんでしょうけど原則的にそこはほぼどうでもいいというか
ほぼ言及されませんよね。まして実はね、あの5歳の頃に歯を掘った経験がありまして、みたいなそういう昔話が始まることは考えられない。
つまり症例というものは現在、今ここにどういう症状があるか、これを見ればいいわけです。
私たちが医療に通ってまず体験するのはほとんどの場合それのはずです。今何が起きているのかを判定されますよね。
聴診器一生懸命当てられるとか、歯一生懸命見られるとか、今そこでどんな現象が起きているのかを正しく判定するのが今の医療においては抜群に大事で、おそらくこれがとても正しいアプローチなわけですよ。
でも私はおよそ情緒関係、人間関係にこれをまんま適用するというのは苗種ではないと思うんですよ。
これはつまり原因というものはさして重要じゃないんですよ。結果が完全に特定できる世界では。
もちろん原因は全く問われないわけではないんですけれども、すごく直接的で直近の原因しか基本問われませんよね。
歯ちゃんと磨いてない、ブラッシングがうまくいってない、コロナになりました、直近誰と会いましたかってことですよね。
子供の頃に、親にどう育てられたか、そんなことは関係ない。関係あったとしても、まぁそんなこと一生懸命探ってる暇があったらさっさと治そうねっていうことで、現に治せますからね。
だからその症状はどんな病気であるのか、そしてどんな病気かを特定できれば、大抵の人のそこら辺の普通の難しくない病であれば治るわけですよね。
だからこの方法は非常に発展したし、皆さんこれを採用しているし、そこに何の疑問も抱かれることは、
まあ疑問を抱く方はいらっしゃるかもしれませんが、一般にはこれにいちいち疑問を抱く人はまあ多くはありません。
で、これに慣れたせいなのか何なのかわかんないんだけど、我々は情緒的な問題を、精神的な問題を抱えても、これと基本同じアプローチを取ることに今はなったんですよ。
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ここがすごいなって思うんですよね、本当に。
あったつ障害とかHSPとか、これは実は正式の医療では、正式には診断名として採用されておりません。
現在これをしゃべっている段階ではが、やっぱりあれもチェックリストをチェックするんですよ。
それは虫歯のチェックリストとか、コロナのチェックリストとか、インフルエンザのチェックリストとか、
患者全息のチェックリストとかと全く同じようにですね、コロナのとかはともかくとして虫歯のチェックリストなんてしませんけど、
会社さんは見ればわかるから、でも原則やってることは同じで、ナルシスティックディスオーダー、自己愛性障害なのか、それとも縁起性障害なのか、
分裂、消失、人格障害なのか、などなどのことは、今言ったようなことは、
ICDなりDSMなりのインターネットでも見られるデータベースのカチッとしたチェック項目、これらの項目だけをチェックしてるのでは本当はないんですが、
でも診断マニュアルというものがありまして、それを見て3ヶ月間このような状態が続き、かつ以下の12項目のうちの4から7項目に当てはまる場合はうんたらかんたらと書いてあります。
これは今ここでどういう症状がその人に発生しているかを見て、それの正式なあるいは正確なアセスメントをするということが何よりも重視されているという意味で、
体の病気を見てもらう場合のやり方と全く同じようなパターンがそこに投入されているわけですよ。
見ないとは思いませんけれども、原因というものがそこでは基本的には歯に虫歯になった原因と似たようなものとして取り扱われている感じになっている気がするんですね。
だから我々は精神力動的な用語というものにはとてもとても疎くてもいいことになるんですよ。
虫歯の治療するのは歯医者さんじゃないですか。だからエナメルシスがどうのこうのとか第一小球子がどうのこうのとか知らなくてもいいわけですよ、我々は。
このようにして我々はその原因となるものを探らなくなっていく関係上、そして見てわかるという診断基準がそこにある以上、自分の状態がなぜそうなっているのかについての関心が薄れていくんですね。
だって強く持ってたって一歩間違えたと診断の邪魔にしかならないんで、いやでも先生こここうなんだよとかいうその時間が余計だってことになっていくわけですよ。
ここに専門家に任せなさいっていう至極真っ当で最もなご意見がありまして、その通りなんですよ。大体そうしとけば間違いない。
ただ精神の話も本当にそれで済むんだろうかっていう話はあるんですよね。
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会社に行ってめっちゃなんかよくわかんないけど腹が立つことがあるというか、よくわかるんですよね。
例えば上司が理不尽なことを言ってめちゃくちゃ腹が立つんだが、その上司はずっといる人でどうにもこうにもならないから、ひたすらこっちも堪忍して腹を立てているより他仕方がない。
まあそれは全然ごく普通、当たり前のことですね。
これとちょっと違う話ですけど、最近私はポッドキャストで夫婦関係学ラジオという、いかにも私が聞きそうなタイトルでしょのを聞いていて、
アツさんという方がやってらっしゃるんですけどね。
アツさんという方がキャスターを務めているポッドキャストですね。
で、夫婦関係学ラジオ、その中で出てくる奥様というのが、婚活パーティーに行ってお金持ちの男性と接触して行って、
まあそれはいいんだけど、はっきり言ってそれはうちの奥さんだしみたいな、夫さんからのお悩み相談なんですよね。
悩みをするよねそれはね。
悩むかどうかは人にもよると思いますが、悩み相談だよなという。
そしてその人は、なんか人の良いご主人なのだなと思ったんですけれども、
そのポッドキャストの中の話ではですよ、
稼ぎが悪いということで、奥様の実家の方に行って、そこで転職して、就職しなおしなさいということになって、
そうすると稼ぎが良くなるっていう、そのロジックがよくわからんかったんですけれどもね。
その通りにして、これってすごい不思議なことですよね。
だっちゅう逆転していたら、かなり炎上しそうな案件だと僕は思ったんですけどね。
だってね、私の妻に向かって、お前稼ぎ悪いから、俺の実家に行って、そこで就職しなおせと。
そんなことしたって稼ぎ良くなる感じしないと僕は思うんですよね。
かつ、しかもそのご主人は家事育児も頑張ってるんで、奥さんがもっと仕事に、奥さんが稼いでらっしゃると思うんですよ。
で、仕事に精を出せるように家事育児頑張ろうと思って、家事育児教室みたいなのに買い出したら、奥さんが、
まあこういう話だったと思うんですよ。ちょっと違うかもしれないけど。
切れて、お前なんで家事育児頑張ろうとしてんだと。金稼ぎよと。そういう話なのねと。
これで切れられちゃうのか。かわいそうになあと思ったわけですけど、
まあまあ、このご主人はさぞ怒っていて、もしかしてその怒りを否認していて、
抑鬱的になってる気がするんですけど、僕はこういうふうに見るわけですよ。
で、まあそれはいいんですが、こういうことってありますわね。
で、ここで問題になるのは、僕が見るとですよ。僕が見るとまずちょうちょうに問題を来たすんですよ。
うーってなるわけですよ。苦しい。悲しいし、腹立たしいし、しかもその腹立ちを否認すると、
俺はダメな夫だからこういう目に合うのも自業自得なんだみたいになって、
18:03
抑鬱っぽくなっていって、つらくなる。
ここで症例診断をされてしまうと、3ヶ月以上あなたは抑鬱的気分が続いていますか。
このアプローチは真っ当な感じがするんですけれども、あなたはどうもちょっと鬱っぽいですね。
ということで認知行動療法で、あなたの認識というもの、たぶん認知は歪んでますよね。
なんかいいようにある意味言うことを聞いちゃってるし、
それであと抑鬱剤を少し軽めのやつを、あと睡眠剤などを出しましょうみたいな、
わかんないですよ。わかんないけど、そんなようなことになっても不思議はないなと。
でですね、これ原因と言ってもしょうがないのかもしれないけど、原因はやっぱりこの結婚生活にあるわけじゃないですか。
だからそういう奥さんとはさっさと別れなさいみたいなアドバイスがされるのかもしれないんですけど、
それは行動を変えるってことですよね。あるいは認識を改めるってことですよね。
つまりそれはあまりにも今ここに起きていることに集約しすぎてないかなって感じがするんですよ。
今ここ今ここ言ってるのに今ここではいけないのかというと、今ここでいいんですけど、
でもちょっと蝕とアプローチが似すぎてると思うんですよね。蝕はいいんですよ。
今あなたはC3になってます。歯の治療がいります。
演技費はこの際一旦置いとこうと。
飴玉舐めすぎたとかどうでもいいですと。とにかくC3なんとかしなさいよ。
なんとかできるし。これはいいでしょう。
でもその欲打つなんとかしなさいよ。幸運罪。
で、まあ話も聞きましょうと。
あなたの認識の歪んでるところを修正して、場合によっては離婚も検討するみたいな。
わかんないですけどね。わかんないですけど、結婚生活を続けるんだったら、
こういう話し合いをするとか、こういう方向性を持つとか、
基本的にそれでOKだと思うんですよ。
僕はこれに意を唱えるつもりはない。
ここで薬を飲めるかどうかについては人によるだろうなと思いますし、
人によるべきだとも思います。
つまり睡眠導入剤で何であれ、別に飲んですぐにすごい害があるとはとても思えないので、
あんな軽いもので。
大概の人は大丈夫だと思うんですけど、そこはもうわかんないんで、
専門の人が指導して、かつそれを飲むかどうかは本人の意思判断になっていくんじゃなかろうかと、
自分だったら自分の自由だとやっぱ思いますからね。
で、これでいいと思うんですけど、
僕はそこで、どうしてそこで怒りを否認するんだろう、
ということは断然、断じて気になりますね、断じて。
21:00
それを考えても仕方がないというのには同意できない。
で、そもそもなぜそこで普通にロジックが変だということについて、
気づいているかもしれないし、気づいていないかもしれないし、
気づかないようにしているかもしれないし、
無視することに決めているかもしれないけど、
まあ、たまたまうまくいくという事例は別として、
結婚した配偶者の実家に近いところに転職したところで、
収入が倍になったりするってことは普通にないなと。
で、ないんだったらそれを、その理由では私は選択できないなと思うんですよね。
だから離婚だって話では全然ないんですけどね。
で、もう一つは、その奥様の情緒ってどうなってるんだろうって考えたくなるわけ。
その結果何を僕は考えてしまうかというと、
つまりその奥様の見ている世界と、
この旦那さんの見ている世界は、夫さんの見ている世界は全く違う世界だ。
でも結婚生活は続けてるし続けていきたい。
だから同じ風景を見ていたい。
でも全く違う世界を見ている。
この全く違う世界を僕は東映同一かと呼びたいんですけれどもね。
とにかく全く違う世界を見ているということは、
その人たちは現実を見ているのではなくて、東映してるんですよ、現実にきっと。
でも僕らみんなこれをやってるんですよね。
自分のことは一旦置いといていいと思うんです。
自分がどうしてるかなんて。
このお話を聞いていて、
夫さんと旦那さんの見えてるものが違うなってことは、
どんな人にでも大体同意されると思うんですよ。
自分に自信があるとかないとか関係なく、
自分の自己肯定感が高いとか低いとか関係なく、
このお話だけにまず目を向ければですね、
このお二人は違う世界に生きている。
でも、でもですよ。
僕らは違う世界に生きているといったって、
そのご夫婦は一緒に電車に乗るときに、
例えば、わかんないけど乗ってないと思うけど、
トキ333号に乗りましたというときに、
二人ともトキ333号には乗れるんですよ。
僕が何を言いたいかというと、
違う世界に生きているのに、
その人たちは共通言語が使えて、
同じ世界の同じ電車とは何を指しているかはわかるんですよ。
この不思議な現象に、
同意って言葉を使ってるんですよ、私。
夫婦関係学からすげー離れてるだろって言われると、
申し訳ないんですよ。
これは僕の世界の見方なんですよ。
ここはもうご勘弁くださいとしか言いようがないんですね。
普通に見ればいいんですよ、夫婦関係学的にね。
あるいはそのご夫婦と話し合えばいい。
場合によっては専門のカウンセラーに見てもらうのも全然いいと思う。
僕が言いたいのは、そういうことではないってことなんですよね。
正式かノラかってのは実は、
はなはだ返答違いな議論だって僕は言いたいだけなんです。
24:02
正式に通っていて、
全然違うことについて考えたっていいだろうってことなんですよ。
なんかこの世の中は、
おかしなことを僕らに強いている気がして仕方がないんですね。
会社に行って、
虫歯治療しながら、
いやー、なめ玉なめすぎてるかなーとか思うのはいいと思うんですよ。
妥当じゃんってことです。
会社さんではそこを必ずしもさほど重視しないかもしれないが、
これはこれでありでしょうっていうことなんですよね。
ここはね、それは当たり前だろうって言われるかもしれませんが、
そうでもないんですよこれ。
例えば、
なんていうのかな、
検討違いなことをすることが今の世の中だんだん
うるさくなってきてるんですよ。
不思議だなーって思うんですよね。
例えば、コロナになりましたと。
これはダメだな。
もっと日頃から自分を鍛えるために、
ランニングと寒風摩擦しようみたいな。
それは土違いかもしれない。
はっきり言って。
コロナになったことと寒風摩擦はかなり関係ないかもしれない。
でも別にいいじゃないですか。
どうしてこれがそんなに徹底的に結びつき、
徹底的に有効で、徹底的に建設できれなければならないの。
関係ないことしたって別にいいじゃないですか。
そして関係ないことは少しは関係ありそうで、
あるだけでいいじゃないですか。
それはこう、
ウェルクっていう問題があったんですけどね。
健康的な話で嘘を流してビジネスに乗っかるのは、
有害だみたいな話になっちゃいやすいんですよ。
もうちょっといけばこの話はすぐそういう方向に持っていきます。
夫婦関係学でさえ、
今度そういう話をしようかなと思っているんですけれども、
そう言われ得る可能性はあると思うんですけど、
僕はそれは非常に世知辛いというか、
めちゃくちゃ不自由だなって思うんですよ。
なんて言えばいいんですかね。
カップルセラピーってありますけれども、
なくたって別にやったっていいじゃんと僕は思うんですね。
なぜならば、
占いだっていいじゃんってことなんだけど、
これは詰めていくとね。
これは僕の考えです。
夫婦関係学とは関係ないです。
たまたま出してみた。
僕が定義を説明したくて出してるんだけど、
たまたま昨日一昨日それを聞いてて、
面白い話だなと思ったんでね。
そういうことを喋ってるわけですよ。
なんで占いとかじゃダメなんだろう。
こういう占いとかね。
それが正式じゃないのは当たり前のことは話ですよ。
それとこれとは別の話だってことですよね。
別にしとけばいいじゃないかってことなんですよ。
なぜならば、
僕らは情緒自体を扱いたいからなんですよ。
情緒自体を歯医者さんに、
歯の話は歯医者さんだけに完全に預けてるわけじゃないですよね。
僕らブラッシングしますよね。
歯をピカピカにするとか好きですよね。
いいじゃないですか別にそれで。
なぜこれが何かこう、
もっと本当に科学的であるとかなんとかいう話に
27:00
全部が取り込まれていかなければいけないのか。
特に情緒は。
情緒はどうせ取り扱われてないと僕は思うんですよね、正式には。
だって幸福剤というのは一見あるいは幸不安薬なんて特にそうですけど、
不安という情緒を直接取り扱ってるようでいて、
基本無視してもいるという非常に独特の取り扱い方をしている。
不安を沈めるために薬を飲む。
それは不安というものを直接的に取り扱いすぎていて、
全然無視されているようにも見えるんですよね。
人の人は気持ちの上で不安だわけでしょ。
それは大体においてはお金のこととか老後のこととか、
夫婦関係のこととか会社の人間関係とか、
何であれ何かその人と外部の対象との関係がこじれていて、
そしてそれをこじれさせる主体的な原因がおそらくあり、
かつ世の中の文化的な価値観というものがその適応を害している。
そういうようなことがあるから、今すごい堅苦しく言いましたけれどもね、
一般論として言いたかったから。
あるからその人の気持ちというものに難しさがあるわけじゃないですか。
もっと簡単に言うと、付き合っている人がずっと既読無視するとかそういうことでしょ。
それでつらくなっていると。
何かそれについても必要じゃないですか。
なんで既読気にならなくなったでいいんだろうかっていう風に、
多くの人が少なくともみんながじゃなくてもですね、
3割以上の人はそういう風に感じても当然だと思うんですよね。
これが虫歯になっている原因は、
昔お父さんとお母さんがちゃんとブラッシングを教えてくれなかったからっていうのは、
僕は考えるには対する考えだと思う。
歯医者ではそこは無視すると思う。
全然そこはいいと思う。
だからこれとそれとは別個に取り扱うっていうなら、
別個でもいいと思うんですが、
とにかく取り扱った方がいいとは思うんですね。
なので私はこの情緒の話に行きたい。
でなると心理学っていかにもなんだけど全然取り扱ってくれないんで、
やっぱり精神分析に、そして対象関係論にという風になってるんですよ。
それがこの番組の流れなんです。
さっき途中言いかけましたけど、
トキ333号に二人で乗ることができる。
その二人は現実というものがなんだかを知ってる。
幻想とか幻覚を見ているわけではない。
トキとはどことどこをつないでいて、
どこに行って切符買えば、
二人とも同じ列車に乗ることができるってことができる。
という意味では同じ現実に住んでいるはずなのに、
明らかにそのご夫婦は全然違う世界にも住んでますよね。
これが投影なんですよ。
投影というのはまるまる幻想世界ではないってことなんですよ。
投影は現実に追っかぶせて、
30:00
現実というものの意味とか価値とか、
そういったものを意味とか価値とか、
どんな気持ちにさせるものかとか、
どういう、なんだろうな、
何をもたらしてくれ、
何をそこで貢献するべきかといったようなことについての、
何と言えばいいんでしょうね、
そういう風景を一遍させるものなんですね。
なんですが、だからといってそれはまるまる非現実ってわけでもない。
奥様のご実家に行くことによって、
自分が引っ越す、そして奥さんとやっぱり一緒に暮らす、
そこは奥さんの馴染みの土地である、
それは間違いないんですよ。
そういう意味では共通認識がある。
ただし、奥様のご実家に近いところで働けば収入が増える。
奥様はそういう世界に生きており、
自分はそういう世界には生きていない。
これ多分夫の方が妥当だと思いますね。
こういう意味では全然違う世界に生きている。
投影をしているというのは特定の人に起こることではないんですよ。
僕らは投影を通してしか、
多分世の中というものと接すること自体ができないと思うんですよね。
だって自分の見えるものしか見えないし、
自分の知っているものしか知らない。
で、現実は常に投影された世界の外にあるので、
私も含め全ての人は現実そのものに触れることはできないっていう前提があると思うんですよね。
ただ、現実そのものに触れることはできませんが、
確かに現実は私が知る世界の外にある。
ここに希望を見るんです、僕はね。
なぜならば、私の3ヶ月チャレンジはじめとして、
お悩み相談でいらっしゃる方は
すべて投影世界に苦しめられている。
苦しんでいなければ、
僕なんかに相談するはずはもはや全くないと思うんですね。
これも繰り返し言ってますけどね。
私のところにお話をしにいらっしゃるということは、
自分の生きている自分の世界が自分に対して辛い、
辛くあたる、ストレスフルである。
それは自分のせいかもしれないし、他の人のせいかもしれない。
ここをそもそもなかなかどっちの主張をしている、
どっちの気持ちになって傾いている方も、
どっちの方も自分の世界なんてバイアス強いんですけれども、
そこは認められないんですよ。
自分のせいであるっていう人にしてみると自分のせいなんだし、
人のせいであるっていう人にしてみれば人のせいなんですよ。
でもそれはどっちも自分の見ている世界、
さっきのご夫婦の世界と似てるんですよ。
現実世界でないわけじゃないんだけど、
自分の見方というものがそこに強烈に投影されているから、
投影なんですよ。
投影ワールドですね。
本当はここで、ここで転移って話をしていきたいんですけれども、
今日それをやっていると話がややこしくなるばっかりなんで、
33:02
投影で押し切りますが、投影世界。
で、投影している世界に自分がいるんで、抜けられないんで。
だから、希望を持つことができるとすると、
その投影世界外に希望を持つことが望ましいと思うんですね。
投影世界そのものが素晴らしければ、お悩み相談はしないと思います。
悩む理由がない。
自分の見ている世界は自分にとってとても好意的、
自分はこの世界でとても愛されていて、いい目を見ています。
すごい困りますってことはないと思うんですよね。
それは困らないでしょうからね。
うまくいってないから、うまくいってない気がするから。
相手のせいであれ、自分のせいであれ、何のせいであれ、
でもそれは半ば以上に自分が色づけている世界。
その色のおかげで、自分のせいだか相手のせいだか、
他の何かのせいで苦しいことが起こるわけだと僕は思う。
そしてそういうことであるならば、
その色づけの外に色づけていない、
あるいは自分の色ではない色の現実世界というものがありまして、
あるいは外的世界というものがありまして、
直接見聞きはできなくても、それは確かにあるんで。
本当は我々はそこに生きているから、そこのことを意識すれば希望がある。
つまり今は悪夢を見ているかもしれないが、
悪夢は悪夢なので、無なので、夢はないんで。
だからその里側の世界に意識を向ければですね、
行くことはできなくても意識を向ければ、
こんなにひどい夢でうなされずに済むだろうという話を、
3ヶ月チャレンジというところでは繰り返し繰り返し提供させてもらっているんですよ。
ここで何とかうまくいかせる方法を考えるっていうのも一つのやり方なんですけど、
でもそれだってですね、結局は外的世界というものにアプローチするっていうことを含むんですよ。
で、今日定義の話まで持っていけなかったんですけどね。
大事なのは、この投影世界から完全に外に出ることはできないが、
現実世界は外にはあるっていうのってどういう意味になっていくかというと、
私は夢を見ているというその夢の世界で、
来ていながらにして、しかもそれは夢なんだという意識を失わないように頑張るってことなんですよ。
プレイングマネージャー、古田篤さんだったよね。
野球やりながら監督もやってるって、あれあれまさにあれなんですよ。
ライダー俺とかってやつですよ。
だから夢見てる。プレイをしてるわけです。
プレイは夢なんで。プレイですからね。
その中に入ってって野球やるんだけど、しかしその野球の栽培もしている。
36:04
この状態、栽培をしてるってことはその試合作ってるってことじゃないですか。
作ってるのにお前その中で野球やってるわけじゃないですか。
物語作家がですね、物語を書きながらその物語の中でハリーポッターみたいに冒険を始めちゃうようなものなんですよ。
この状態が僕らの生きている上で一番苦しまずに済む状態なんだと自分は思うんですよ。
だから東映世界を見てます。東映世界の中で生きてます。
でも東映世界を作ってるのは私ですっていう、この関係を見失わない。
ずっと見失わない。無理なんですが、僕は無理です。
無理ですが、でも私はセッションやってるときはこの意識を保つ努力を常に最大限払って。
だから時々陳詞もこうみたいになっちゃうんですよね。
もうこうしてるじゃないんですよ。
この状況って僕が巻き込まれてる、その話してるうちに巻き込まれていくんで。
佐々木さん例えば、こここういうひどいことがあるんです。
ひどいですよね。同意してくださいっていう、この同意をする役をさせられながら、
でも同意させられている私というものとこの人が話し合ってる世界ってのを、
東映で作ってるのは私だっていう意識を保ち続けるために、かなり厳しくなってくると、
もうこう、これがだから物思いっていうやつなのかもしれないんですけど、
何かにふけてるみたいになってしまうんですよ。
これはただ僕は頑張ってるだけなんですけれども、何かを考えてるとか物思いにふけてるとかでは、
物思いにふけてるのかもしれませんけれども。
プレイングマネージャーって言葉が僕にとってはいつも命綱になってますね。
さっきのそのご夫婦、全然プレイングマネージャーになってないわけですよね。
完全に巻き込まれてしまっている。
まあそういうもんですけどね。
絶対あなたは私の地元に行って働けば稼げるわよ、みたいになっているっていうのは、
完全に巻き込まれてるじゃないですか。
自分その中でプレイすることで精一杯になってて、全然マネージャーになってない。
そういう自分ワールドは自分の頭と心が作り出しているんだけど、
そういう認識が全くないっていう状態に入ってる。
この状態はいいことを言っててもそうでなくても上手い結果を生まないって僕は思うんですよ。
なぜなら人間はそこでは本当は生きてないから。
自分の夢の中だけで生きてる人はいないんで。
その夢は舞台設定としての現実ってものを持ってるんで。
舞台設定としての現実って表現でそことこいいと思うんですけどいかがでしょうか。
あのね、浦島太郎の演劇とかで玉手箱やるじゃないですか。
でも現実に玉手箱はないんで、中からドライアイスの煙が出てきてこの間にヒゲつけるでしょう。
浦島太郎役になった人は。
で、そこで幼稚園の子供たちは毛投げにヒゲつけてるんだけど、
39:00
どうしたってつけてる時の様子が見えるからみんな笑うじゃないですか。
親とかね。
この時のヒゲって現実のものですけど、ヒゲはヒゲでしょ。
これをヒゲだと思ってみようねっていうのが投影じゃないですか。
そうしないと演技にならないじゃないですか。
だからヒゲはヒゲですが、しかしそれは多分なんかの毛でできてるわけですよね。
作り物ですよね。
ヒゲじゃないですよね。
幼稚園生ヒゲ生やしませんわね。
つまり現実というものが外部にはあるんだけど、僕らは投影世界を生きるんですよ。
僕らは演劇の世界を生きるんですよ。
でもこれは演劇であるという部分をどこかで意識するはずなんです。
なぜならばしょっちゅうでだらめなことになってるんで。
つけヒゲなんで。
つけヒゲはヒゲじゃないんで。
奥様の実家に行ったところで、ご主人の年収は2倍にはなりっこないんですよ。
それどころか半分になるかもしれないですよ。
それが現実ですよ。
しかし奥様はそういう夢を見ている。
僕らある程度それに乗っかってるんですよ、お互い。
ある程度それに乗っかってつけヒゲだってことはわかってるんだけど、やっぱそれはヒゲだというふうに見ている。
これがですね、本当にヒゲに見えてしまってる。
それはもう全然ヒゲだし、つけヒゲじゃないし、みたいになってしまってる状態が少なくとも神経症なんですよね。
そこそこ重度。
投影を現実だと完全に見間違えてる。
このうちのお父さんだけはひどい人だ。
ひどい人だという投影をされた、よく知らない人ではなくひどい人だ。
確信してしまう。
この上司だけは許せない。
この上司だけは佐々木が何と言おうと私の投影ではなく、客観的な悪人である。
客観的なパンハラ上司以外のいかなる存在でもありません。
そういうふうに見えますっていうのは、やっぱりプレイにあまりにも没頭しすぎて。
と思うんですね。
それはママごとやるときはそうであるべきなんですけれども、
没頭しすぎるぐらい没頭した方が生きてるっていうその世界で生きられるんだけど、
おかげで死にたくなるんですよ。
そこまで行ってしまうとね。
その外側がなくなると希望も夢もなくなってしまうんで。
この言い方変なんですけどね。
希望とか夢が現実界にあるものになっちゃってるんで変なんですけどこの言い方は。
でも僕らなんて言うんですかねこの投影というのは。
光当てるじゃないですか。
ミラーボールみたいなやつで。
そうするとなんかこうディスコみたいな空間が出来上がるじゃないですか。
あれなんですよね。
空間そのものをミラーボールが作ってるわけじゃないけれども。
空間というもののその雰囲気やこの空間はこういう空間なんだよねと受け入れるその空間の受け入れ方は。
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まさにですね。
ミラーボールが作ってるんですよ。
これはミラーボールが作ってるんだなっていうことを認識しておくしかないんですよ。
作ってるんで実際に。
夏さんがすごいいいことをおっしゃってたんですよ。
あのその夫婦関係学のこの奥様の中で。
お金で愛を図ってるっていう。
お金で愛を図るというのは価値観ですよね。
そして価値観というのはまさに天意だと思うんだけども。
まあ投影を作り出す。
男というものに金鶴であるという投影を作り出す。
というか投影をしていくわけです。
そうするとその結婚とか恋愛とか男性の価値観激減するというか一気に下落しますよね。
交換可能なパーツになってしまうっておっしゃってたんですけどそういうことだと思います。
夏価値観っていう話にこの番組だったらしょっちゅうしている話ですけど価値観一気に下落するわけですよ。
大統領選で昨日株価上がってましたけど株価を暴落するように結婚とか男性とか恋愛の価値が暴落するわけです。
だってそれは金なんで。
金だったら別に金が稼げれば他の方法でもいいわけで。
男じゃなくてもいいわけで。
株でもそれこそいいわけで。
だから出す価値化していくんですね。
一気に下落していく。
これは投影の結果ですよね。
でも男性の価値とか恋愛の価値とか結婚の価値はその人の投影の外にあるものじゃないですか。
現実というものはその人がどう見るかの外側に実際にガンとしてあるものじゃないですか。
見えないけど。
見えないし勝ち付けられないけどでもあるんですよね。
その髭は何かの毛でできているものであるということはやめませんよね。
髭であることはやめても。
意味付けの外に現実がありますよね。
そういう話なんですよねこれは。
だから問い辞めれば価値は戻ってくる。
一番このお話で夫婦関係学ラジオの中で苦しんでいらっしゃるのは誰かというと
苦しんでいるという登校されてくるご主人ではなくて
多分その夢から覚められない奥様の方だと私は思うんですよ。
この苦しみとはつまり情緒の苦しみだと僕は思うんですよね。
そういう奥様をチェック項目でどういう症状であるかを判定したりアセスメントするのは大事だと思うんです。
ここで無視されてはいけない気持ちというものがあると思うんですよ。
お金がない人生はあまりにも惨めで
自分の人生にお金というものを
つまりそれは万能空想なんですが
万能なるお金というものをふんだんに取り入れなければ
つまりお金がない私そのものというのはあるがままの私というのは
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完全に無価値で空っぽであるという苦しみなんですよ。
これがあるという苦しみを抱えて生きていかなければならない
そういうだから人生そのものなんですけど
それはあるがままの私は空っぽであると。
何かを、数字ですよね。
物と交換可能な数字を持っているという状態で
ようやく人生というものが人並みかそれ以上に満たされていくということは
私自身が裸のまま生まれてきますがその時の価値はないっていう
生まれてきたその時には価値が全然ないっていうね。ゼロだっていう。
ゼロなのが本質的に何も他のものを持ってない時の自分だっていう
この感覚の辛さを思う必要があると思うんですよね。
私はそういうふうには自分のことは感じない。
価値マックスだとかまでは言わないにしても
お金が全然なく妻子がいなくて裸のままポンとあったら
さぞ大変で苦しいかもしれないけど価値がないという感じは抱かないんですよ。
それは私は生まれた時に持ってなかったと思うんですよね。
もし価値がないというふうに誰かが思っているとしても
その奥様でなくてもですね。
生まれながらにしてそういう気持ちで生まれてくる人はいないと思うんですよ。
ガガちゃんはそういうことについて何かを考えはしないと思いますけどね。
動物見てると感じるんですよ。
鳩とか少女とかいろいろおりますがそこらへんに猫とかも。
価値ない。お金持ってないし。
そんなふうに感じているようには見えない。
生まれながらにして価値ないというふうにして
そういう思いとともに生まれてくる者っていない。
僕だけが例外であるって考えにくいんですよね。
それはやっぱり投影の結果だと思うんですよ。
つまりそれは醒められる夢だと思うんですよね。
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