おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト第1110回をお送りします。
12月23日、天皇誕生日かな?の月曜日7時49分です。
はい、えーと、ものすごく寒い。
マイナス1度っていう表記が見えますね。
マイナスは、たぶんこの冬、関東ではね、一番寒いんではないかなと思います。
先日も、なんかこう、私の中で寒さ更新しましたけど、
今日はもう、明らかにその日を大幅に下回る、相当寒いですね。
当時かな?昨日か今日が当時だと思います。
ちなみに当時って、私もよく知らなかったんですが、
朝が一番遅くなる日は、もっと後なんですね。
なんとなく、体感的に毎年そういう感じってしてたんですが、
正月の方が朝遅くない?って思ってたんですけど、実際そうで、
1月6日ぐらいまでは朝は遅くなり続けるらしいんですが、
日没の時間もこの日を境に。
だから、当時ってのは、両方のピークが来るんではなくて、ずれるらしいんですよね。
たぶん日没の時間は、これからは少なくともどんどん後ろになっていって、
夜が来るのは少しずつ遅くなってくるらしいんですよ。
ただ朝が、朝の夜明けも少しずつは遅くなっていって、
両方とも、朝も早く日が昇るし、夜も日が落ちるのが遅くなるっていうのは、
1月6日を過ぎたあたりかららしくて、
確かにあの辺から急に日昇時間は長くなっていくような感じはしますよね。
寒くなっていきますけど、なぜか、なぜかっていうのが、
気温もきっと日の長さ等々とはずれるんでしょうね。
まあずれるだろうなって感じはしますけどね。
1月が一番寒いっていう人と、2月が一番寒いっていう人と、
東京もなんかこう意見が分かれるという気がするんですが、
これもなんかこう、年によって少し、どこいどこいなんだけど年によって少し違うようですね。
えーと、まあまあ、気候の話を2分しちゃったんですが、
えーと、今日は特にお知らせがあるわけでもないので、
まあちょっと先週はとびとびで、今週もとびとびになる気が、
何しろ今週もお正月が来ちゃいますかね。
まだお正月は来ないか。
来週がお正月か。
それにしても、あのもう寸前ですので、
とびとびになりそうな予感はするんですが、
まあ分かんないですけどね。
正月って結構暇なんで。
とりあえずこう、
えーと、そうそう、今日は精神分析的ホットキャストという、
この訳のわからない名前について、
少しお話ししながら、それを呼び水に入っていこうと思っておりました。
的というのは、精神分析では少なくともないね、と言ってるわけですね。
この的に、なんかね、ロゴとしては、
的だけ色を変えて、斜めにして変なフォントを使いたい、
そういうのをイメージしているんですが、
私はそういう能力がないし、やる気もないので、
なんかこう、ただ普通に書いてあって、
よくわからないと思いますが、
あの精神分析的心理療法という言葉が少なくとも日本にはあります。
海外にもあるんじゃないかと勘ぐってますけど、
僕は勘ぐっているだけです。
サイコアナリティック、
的っていうのがすでに形容詞的ですからね、それこそね。
あの、ここに的つけてるのは精神分析ホットキャストだと、
もはやさっぱりわからなくなるというところと、
あの精神分析でも何でもないよねって言っているだけです。
最近あの久しぶりに山崎孝明さんの
精神分析の歩き方という本を読んでまして、
ここにもうこの精神分析的っていうキーワードが何回も何回も登場するわけです。
それであの精神分析的心理療法って言っても、
そこを厳密に書き分けていけるっていう人は、
もう専門家でなければとても無理。
専門家であったとしても、
まあツッコミを入れられずに書き切るのは困難なのではないかと思いますね。
それぐらいなんかよくわからない、普通に考えればよくわからない世界になってます。
そもそも日本で精神分析、精神分析科と言われている人は、
おそらくですが私の知る限り100名いるかいないかなんじゃないかと、
知る限りってのは本で読んだ記憶が曖昧でありますがという意味です。
1000は絶対ないと思うんですね。4桁はいない。
3桁もいるかいないかなんじゃないかと思うんですよ。
どういう数え方をするかにも多少よるみたいなんですけどね。
この極端に少ない数字、だって4桁はいないんですから。
まず例えばですけれども、知り合いにプロ野球選手がいますっていう人、少ないと思うんですよ。
現役にいますっていう人は本当に少ないと思うんですけど、
4桁はいなくはないはずじゃないですか。
まあそれもちょっとカウントの仕方にもよりますけども、
でもまあ支配下登録で現在一軍ですっていう人が今ストーブリーグ中ですけどね。
25人はいるはずなわけですから、25×6球なんで、
まあ少なくともこの段階でも200名近くの一軍だけってことですよ。
これはいるわけですから、まあ3桁は有に超えていきますよね。
で引退して選手みたいなものを含めていいんだったらもう有に3いるんだけど、
それでも知り合いにいますって人はそうはいないと思うんですね。
2桁ってことになってくると、もうこれは内閣の数ぐらいになってきますからね。
内閣の数って大臣の数みたいなね、一歩間違ったそのレベルですよ。
だから日本で精神分析を正式に受けられる、受けているという人の数はものすごく少ないわけですよね。
で、しかも精神分析というのは定義上、定義によるとなんですが、週4以上やらなきゃいけなくて、
そしてスキナーとワトソンに全く仮に興味がなくたって、犬に餌をやってお座りをしつけるってことぐらいはすると思うし、考えつくに決まってると思うんですよ。犬ってすごいですよ。私は犬を3回飼ったことが実家の方でありますけど、ポテトチップス1袋あればお座りは絶対しつけられますね。
と父が言っておりました。
つまり父は多分スキナーぐらいは知ってるかもしれないけど、行動家族なんて興味持ってる人じゃなかったけども、あれは行動科学ですからね間違いなくやってることは。
だって私アメリカでスキナーボックスで思いっきりラットをレバー倒しするようになったけど、やってることは全く同じですから。レバーを倒したら餌が出る。レバーを倒したら餌が出る。あれお座りって言って、お座りができたらいい子いい子ってやって、頭を撫でてポテトチップスあげればいいんですよ。
だいたい勘のいい犬なら4回やれば身につきますよはっきり言って。
あとはこれをどういう風にやっていくかって話なんで、1時間に1回やるとか、毎回ご褒美をやるのかやらないのか、ランダムでポテトチップスだいたいランダムになっちゃうんですからね子供がやってると。
ランダムにやると行動科学の教科書に書いてある通りでランダムにやると一旦覚えると忘れませんよ。
ランダムなんてね、やったりやらなかったりするんで子供の気まぐれがそこに介入してくる。
だからランダムに褒めるというのは非常に何かを身に染みさせるには良い方法なんですよ。
ということは僕らはだいたいランダムにしつけられてるから、親がしつけたがってることはだいたい身に染みてばっちり身につくわけですよ。
だって毎度毎度これを定常なんとかとか言うんですけれどもね、そういうやり方をすると。
で、このことを使って酒やめさせよう、勉強させよう、なんでもいいですけどね、筋トレさせよう、タスク柔道覚えさせよう、なんでもできますよね、これでね。
だからこの世はとても危険な考えだという意見もあるわけですよ、アメリカの方では。
これって共産主義につながるじゃん、それはまあレッドパージーしていただけのことはあってね、実はすごい警戒されていますねっていうのがよくわかります。
受験を受けた身としては2000年過ぎてたのに、やっぱりコミュニズムじゃんそれみたいな意見って結構学生からバンバン出ましたね。
そうなんですよね。
ちなみにアメリカの学生さんって面白いことに、すごい受験勉強で勉強してくるというタイプと全然違うんで、好きななんて知らないって人普通に心理学科にいますからね。
あれも僕は目が丸くなったんですけど、好きな知らないんだみたいな、でもフロイド知らないって人は一人もいませんけどね。
この辺が日本人の感覚とは全然違う。
ちなみにユング知らないって人はいっぱいいます。ユング知ってるって人はやっぱりすごいスピっぽい方向に興味持っていらっしゃる方が少なくからずいて、
私もそういう話好きなんで、英語を喋る機会を増やしたいということもあって、すっごい相手してくれたアメリカの中年女性の方と仲良くなりましたね。
もうめちゃくちゃスピでした。
星占いから占いからタロットから、もうなんでもそっち系であればあの人と喋ってて英語結構いけるようになったんですよ。
偏っちゃいますけどね。
そういうことから来てるんですよ。
精神分析的心理療法というふうに言ったときに、多分日本ではそれはですね、多くのカウンセラーさんが一般的に納得できるニュアンスがあるんじゃないかなって私は思うんですね。
本読んでて思ったことは上田克久さんのその系の本もあるんですけれども、今ちょっとタイトルが出てこなくなったんでその系の本とか言っちゃってますけど、
たぶんここに書いてあることに一番僕が納得いくのは、作想した歴史ではなくてね。
たぶんこの形状と共感に本腰を入れて、あまり物思いとかまでは行かずにですね、形状と共感に本腰を入れて環境としての母親なりコンテイナーとして機能するっていう、
河合駿さん流に言うと母性的な共感というものを発揮しつつ、話をよく聞き、介入は控えめにし、したがってアドバイスは控えめにするってことですけれども、
してトラウマとか死壁といったものを視野に置きつつ、精神力動的な解釈が必要ならば時々やって、
変異についても目配りをしながらことを進めていって、なんか常識的に良い方向に向かっていくように、
伴奏するなり一緒に走るなりね、作業を行っていくんだっていうのが、日本人の特に心理臨床を目指す方の感覚とニュアンスに納得感を与えるんじゃないだろうかと思いました。
これはなんか今のように喋ってみると、読んでても思うんですけど、なんかよくわかんないけどその辺に納得できそうな感じがするじゃないですか。
しません?ここは僕は日本人的だって思っちゃうんですよ。
なんかこうね、お酒を一回やめたらその度にクーポンを出すみたいな、これは日本人の感性にはなはな合わないなって思うんですよ。
効果出るんですよ、これは。効果出ることは私は朝霞第五小学校の小学校3年のときと4年のときの担任の先生がこればっかりやってたんで、この話先日いたしましたけど、
こればっかりやってたんで、少なくとも子供には効果絶大だってのがよくわかるんですよ。
あの、当時はなんて言ったっけあれ。要するにソプラノの笛ですよね。縦笛って言われてるやつ。めちゃくちゃクラス中上手くなりました。
あれやってるだけで。あれやってるだけですよ本当に。その先生は特別褒めもけなしもしないんですよ。
割と行動科学を熱心にやって、そういう雰囲気の先生ではなかったんですけどね。
普通の女性の先生で、いかにも学校の先生って漢字の方だったんですけど、
やってることはもうとことん漢字から計算ドリルから、それこそ縦笛から、ポートボールっていうボールから、
もう全部それで統一していく、統一するんですよね。
金のワッペンと銀のワッペンと銅のワッペンと青いワッペンと赤いワッペンと無視して、
クラス中に名前とその棒グラフを貼っていって、まあ競争意識は追ってもいますけど、
でも基本的にはいかに早く報酬にたどり着けるかでクラスをマネジメントしてるわけですよ。
もうめちゃくちゃそのクラス一組だったんですけど、
一組は何やらせても優秀だということではいつも話題になってたんですけれども、
まあ日本人の感性には一般的にあってませんね。
親御さん決してよく言ってる親御さん一人も聞いたことがなかったんです。
うちの親も含めてね。
だってあのやり方ってさってみんな言ってましたね。面白いなって思いました、あれは。
実に興味深い現象だと。
勉強できるようになって運動できるようになって音楽できる、特に音楽に効果を発揮するんですよ。
理由はわかりませんでしたが。
だっていいことづくめのようなんだけど、あれをよく言う親御さんはいなかった。
僕はだから、あの行動療法って日本人の感性に少なくとも、
昭和60年代頃のつまり段階の世代と言われている親御さんの感性には、
著しく反する何かがあるんだろうと、当時からなんとなく感じました。
あの時僕はですね、その好きなという言葉を知ったんですよ。
なんかこれは絶対にこの先生のオリジナルではありえないだろうと、なぜか思ったんですね。
そうはとても思えなかったんですよ。
だってあのやり方さっていう風に親御さんが言ってるってことは、
みんなこうやれば一定の効果があるに決まってるじゃんっていうニュアンスがどこかにあったわけですよね。
だからこの行動主義的なものっていうのは、当時そういう言葉をもちろん私は知りませんでしたけど、
どこかに絶対オリジナルがあるはずだと。
しかもそれはアメリカにあるはずだ。
だってあの頃アメリカ来産すごかったんで。
それはその先生とかだけじゃなくて、どの先生ももうアメリカ万歳だった。
アメリカ型民主主義というのは、全てを良くするっていうのに、
それを信じられる時代だったんですよ。経済的にもいろんな意味で。
ただ何かが見えてこなかった時代ってこともあって。
公害とかあったんだけど、公害とかは別に共産主義にもありましたしね。
だからとにかくそういう風な雰囲気があったんで、
絶対アメリカにこれの原型があるんだろうと僕は当たりをつけて、
あの時好きだって言葉を知ったんだと思うんですよ。
てか知ったんですよ。小学校4年の頃だったと思います。
で、私ももちろんめちゃくちゃ感銘を受けて、
一時は全部それにしましたね、自分を。
当時四ツ矢大塚っていう塾に通ってたんですけど、
でも僕は徹底できないんだな、きっとな。
徹底してれば正解ぐらいにはなれたと思うんですよ、さすがに。
徹底できなかったんですよね。でも適用したことは確かです。
行動科学を自分に適用すると。だからお母さんにご褒美もらうんですよ。
僕はその辺は無駄なことをやるのが嫌いな人間なんで、
ドーナツをくれるとかバナナくれるとか、
大半が少なくとも半数以上は絶対この線に行く。
実際にやればますますそうなっていくわけですよ。
話を聞くか、行動変容を徹底するか、ある意味二者卓一的なところがあります。
もう一つが説得するってやつですよね。
だから説得するってのは多分に認知療法なんですよ。
合理的な考え方にやっぱり引っ張っていくってわけだから。
お酒をしこたま飲みます。会社に行けません。どうしたらいいでしょう。
ってなった時に、まずお酒の量を減らそうねと誰もが考えるじゃないですか。
朝からお酒飲むのは少なくともやめましょうねと誰もが考えるじゃないですか。
じゃあどうしてそんなにお酒が飲みたくなるんでしょうねって話に当然なるじゃないですか。
どうしてそんなにお酒が飲みたくなるんでしょうって話になったら、
その人のおそらく自己肯定感がやたら低いだとか、
ものすごく傷つきやすい同じことですけれども、
同じようなことですけどとかいう話になるじゃないですか。
その時に、例えば力動的な話としての環境としての母親が機能してないんじゃないかという言い方って便利じゃないですか。
そして、あるいはですね、自己肯定感がものすごく低いってなった時に、
あなたが仕事ができないっていうのは本当でしょうかって話を是非ともしたくなるじゃないですか。
本当はそんなにできないわけじゃないんじゃないのって話って必ず出てきそうなもんですよね。
仕事ができないとか、遅くて迷惑かけてる、それは本当なんでしょうかねって話しますよそれは。
この話聞けば、普通の頭脳を持っていればですね、もちろんそこで抵抗されるに決まってるじゃないですか。
いやいや先生わかってないですよ。私は実は本当に仕事が遅いんですって言葉がおそらく出てくるだろうなっていうのは、
それこそビオンのあれじゃないですけれども、理解なく記憶なくなんて言ったって絶対そういう言葉が出てくるっていうのを意識してしまいますよね。
先取りしてしまう。で実際に出てくると思うんですよ。
そうなったところから説得というものをするでしょ。やっぱり。
もちろんそこで本当に黙って聞いてるっていうスタイルの人もいらっしゃると思うんですよ。
結局どんなスタイルを選択するかというのはもうだんだんだんだんスタイルの問題になってきますよね。
そして例えば絶対に構造を動かさないとかいうのだって本当に全ての正規の人が守っていると思いますよ。
守っていると思うけれども、確信してそうされているかどうかはやっぱり微妙なところだと思うんですよ。
確信しているのは例えば形状がいいみたいな話であれば、特に最初の頃は確信して形状はいいんだ。
もっと話し聞こうって思うと思うんだけれども、構造を動かさないというようなものに至ってはですね。
確信してはいないっていう人だって別にいらっしゃっても、少なくともその人を責めたいとは思いません。私だったらですね。
だって1秒でも遅れるっていうなら、それは抵抗の現れであると。
教科書に書いてあるからそうなんだろうなって当たりをつけてみると割とそうで面白いなって思うってことあると思うんだけど、
実際にどんな風に思えないなと思いながらも、結論は多い方がいいんで、話をいきなり始めた人をどうしていくかっていうのは相番行き詰まりに決まっているわけですよ。
例えばその仕事が本当に遅いんですと、で、自分が情けなくなるからお酒飲んじゃうんですと、そしていろんな話が出てきますよね。
実は道さんがすごく厳しくてと。
効動的になってみたり、認知的になってみたり、そしてお酒を減らしましょうという行動的になってみたり、普通はここを一生懸命真剣にマネジメントすれば普通は一定の効果は上がると思うんですよ。
だってそういう方は多分なかなか多くの人にいろんな意味でケアされてこなかった可能性があるし、
ケアされるってやっぱりありがたいじゃないですか。
だから普通のやりとりの中で、私は最近とても親しい知人っていう考え方を取ってるんですけど、友人ではないし、
医者と患者ではやっぱり私たちはないし、
その他何であると言っても何でもないところがあるので、もちろん恋愛関係にあるわけじゃないし、親類でもないし、
やっぱりとてもよく知ってる知人同士っていうふうに考えるんですけれども、
ツイッターの逆ですね、Xの逆です。
とても何も知らない緩やかなつながりっていうのが、Xがツイッターが出た頃の歌い文句の一つだったんだけど、
あれと逆ですね。
ものすごくよく知ってるんだけど知人でしかないみたいな、そういう関係かなと。
つまり関係性に向かってるわけですよね。
関係性に向かうっていうのも、なんとなくいかにも関係性って言葉は良くないと思うんだけど、
関係なんだけど、より良い関係、より良い関係っていうのを向かっていくっていうのが、
やっぱり普通の日本のカウンセリングスタイルなんじゃないかなと思います。
もちろん転移があったり東洋ドイツ化があったりして、そこが一筋縄ではいかないとも思うんだけれども、
一筋縄ではいかないんだろうなと推測するわけですが、とはいえ日本人の普通の感性でいけば、
よほどの人でない限りは良い関係というラポールって流行りましたからね。
日本の心理臨床の世界ではラポールって言葉はすごく受けが良かった。
私の知っている、なぜ知ってるかというと、留学中に日本人留学生の大半は、
実際にカウンセラー目指されてるんですよ。心理学であればね。
少なからずカウンセラー目指されている方が多いんですね。
それらの人たちはラポールって言葉はすごくやっぱり好きでした。
それはよくわかる、日本人としては。
ラポールだけじゃダメじゃんみたいなことを言いたくなるのも日本人なんだと思うんですよ。
それはラポールが重視されているっていうのがデフォルトにあるんだろうと思うんですよね。
もちろんラポール大事だっていうのはアメリカでも言うんだけど、でもアメリカ人にはもっとクーポン効くんですよ。
彼らはクーポン制度を、それこそ私の昔の三年一組の先生みたいにですね、
アメリカ中の先生が平気でやります。平気でって言うのもおかしいけれども、普通にやりますからね。
しかもクーポンの先にはドーナツが待ってますから、金のわっぺんどころじゃないんですよ。
その割には統制取れてねえなあと思うことも多いんだけど、
やっぱりあれはアメリカ人の感性に最初から合いすぎちゃってるのかもしれないですよね。
そこまで統制取る気はないってこともあるんだろうと思うんですけど。
そんなこんなで、行動療法っていうのはですね、日本人が思う以上にアメリカ人の方ではしっくりくるみたいだし、
それだけにきっと僕は、敬長と共感みたいなのは、少なくともアメリカのカウンセラーさんは、
日本人ほどは納得感を持ってやるわけじゃないのかもしれないなとは時々思うんですよ。
だって私、それこそ認知行動療法はアメリカで2度受けて、少なくとも正式に2度受けてるんですけど、
これはいわゆるプラクティカムとかいうやつの一環でやったんですけれども、
全然敬長はあんまり敬長もされた気がしない。
僕の英語がどうしようもなかったせいはあるにせよですね。
共感はされた気が全くしませんでしたから、文化の違いがあるんでしょうけど、
共感されてるなんて感じはしないなって思いました。
当時はそれで全然良かったんですけどね。
そんなこんなで、何を言ってるかというと、
この番組は精神分析的っていう表現をとってるのは何を意味してるか。
でだらめですってことを意味してます。
これは僕にとっていつもいつも重視している一つの大きなポイントなんですね。
精神分析では全くないばかりでなく、精神分析的な心理療法ですら全然ありません。
ビジネスコンサルタントです。これはね。
で、コーチングとかでもありません。
私はこの資格がないというのが私のレッテルなんで、資格はないんですよ。
これを埋めることができないじゃん。
日本現在っていうことを一つは言いたいわけです。
こういうことを勝手にやりだした人間を罵ることまでしかできないじゃん。
っていうのが私の今の言い分なんですよ。
批判もできるし、バッシングもできるんだけど、やめさせることは不可能だよな。
っていうのが、さまざまな警告を出すことができる。
最近聞いた警告の中でもなかなか震ってるのが、
佐々木さんの心が痛まないかが心配です。っていうやつ。
心配していただくことはできるけど、
私が心を痛めているかどうかということに頓着せず進むっていうのはやっぱり止めるってことはできない。
これは車の逆走とは違う。これは止められますからね。
車の逆走ならば同行法で止められる。
しかし私がこの勝手に精神分析的なポッドキャストをやっちゃうとかは、
いつも本当にあっさりフロイトになっちゃってますけど、
いつも長寿がと関係があると思うんですね。
だってこれだって普通の心理カウンセリングの中に必ず出てくるじゃないですか。
親が厳しすぎだからあなたは自信が持てない。
これをどんな言い方をしているかによって、
様々な流派ができると思うんですけれども、
でも、話聞き手としては聞こえてくる言葉はこれといつも似てますよね。
あなたはかけがえのない存在なんだから、
もっと自分を大切にしましょうという言い方もあるでしょうし、
もっと具体化していって、
自分自身の幼かった頃の親に傷つけられた自分を抱きしめてあげましょう、
というような言い方だってできると思うんですよ。
それはとても受け入れられないっていう人もいらっしゃると思うんですけど、
これだって言う人、その人のトーンや口調、
声の調子とか、それこそ顔の表情とかによって大きく変わると思うんですよね、
事の効果は。
ものすごくその言葉によって、
ガラッと自分が変えられるような言い方ができる人だっていると思いますよ。
少なからずいらっしゃると思いますね。
もちろんこれは正義の中にって意味ですよ。
だから正義をお勧めしてるって意味ではありませんよ。
なら民間の中にも絶対いらっしゃると思います。
で、そういうのだって同じですよね。
止められはしないじゃないですか。
僕はそこのところを、何て言うんですかね、
強く言いたいわけですよ、ある意味では。
それを止めるほどの根拠を、正義の側は、
もし正義と民間を分けて、しかもカウンセリングというものを独占する必要があるということであれば、
ここを止められる根拠をもっと強く持つ必要があるというのが一つですよね。
精神分析的なものは認められないということであれば、
ただそうすると精神分析的なものがこの世から消滅しなければならなくなるし、
単に二桁の人にもしかするとかかる、
二桁ぐらいかせいぜい三桁の人にしかカウンセリングが開かれてないみたいな話になっていくので、
現段階ではそれは全く現実的ではないですよね。
つまりここに現実原則ってものがあるんですよ、やっぱり。
なぜ民間の人、あるいはもうぶっちゃけ野良カウンセラーという人がいなくならないのかというと、
それは現実原則だからですよね。
深い原則だけで言えば、そんな連中は不快だから一層しろってことはいくらでも言えると思うんですよね。
それは一時過程だと思う。
し、その感性というか感覚はよくわかる気がします。
僕にはわかってないと思いますけれども、やってるぐらいですから近いことを。
このビジネスコンサルタントというものと、だからかぶってこざるを得ない中でやっていくんですけれども、
その中で私がこう感じるのは、さっき言ったようなことを結局やってるのは自分。
認知行動療法風の、ロジャース風の、ユング風では全くないと思いますけど、
フロイディアン風の、そしてなんだかよくわからない風のものをやってるなと思います。
で、結局絶望しないということ、そしてヘルプレスネスというものが、何て言うんですかね。
自作自演に限りなく近いものだということ、これは自分自身についての話です。
私って寄るべないよな、寄るべないに決まってるじゃないですか。
なんか中国でね、極音速ミサイルとかが飛んできます。
寄るべないでしょ。僕とか一瞬で消滅しちゃうじゃないですか、そんなものと喧嘩したら。
なんならそんなことまで言わずとも、宮沢須坂付近に一人で、新聞紙で寝なきゃなんだくなったら寄るべないですよね。
でもこの寄るべなさって、絶対長寿画と関係があるんですよ。
だから私は寄るべなくないんですよ。
寄るべなくない証拠って、一個も見つからなくたって寄るべなくはないんですよ。
で、いろんな圧がここにかかってきますでしょ。
それが皆さん嫌なんだと思うんです。私が思うに。
このレベルのビジネスコンサルタントっていうようなものを受ける可能性があるかないかはわからないけど、
本当に絶望的なレベルでという話でないのであればですね。
やっぱりこう、一定の抑鬱不安の中にいる話っていつもここにあると思うんですよ。
私だって父に言われましたもん。
お前なんか露頭に迷って布団が新聞紙だったら死んじまうんだからな、みたいな。
別になんてことはないですよ、父は。ただそういうことが言ってみたかったんですよ、昔。
まあ今で言うところの酒に酔ってマウントが取りたかった。
タイがないんですよ。そうなるじゃないですか、人間生きてれば。いくらかはね。
つまりこれは長寿がなんですよ。大した長寿がじゃないけど。
私はヘルプネスですね。身ぶるいする。こういうことでしかないんだと本当は思うんですよね。
自信がないフリをしたくなる。自信があるフリをするとひどい目に遭う気がする。
叩かれる気がするし、本当に失敗した時に身の動きどころがなくなるような気がするか。
こういう話になるとなんとなく流れが良くなってくるわけですよ。
さっきみたいな理屈っぽい話みたいな抽象的な話じゃなくて。
でも私はこの話は全部共感っていう話になってるだろうし、平調っていうことでもあるだろうし。
結局は長寿がとかって言うんだから、精神力動みたいなのが出てくるだろうし。
そしてそうやっているとでも結局新聞人が布団になっちゃうから、本当の布団を買うためには行動変容もいるよねと。
実にこうやってみると表面的でつまらない話に終始してる感じがしません?
そうなる、そういうふうに聞こえる、こういう話をしょっちゅう聞いた人にしてみれば、そういうふうに聞こえるんじゃないかと思うんですよね。
そして今のところ、これ以上の特効薬ってものを求めるならば、本当に、分かりませんけれども三感系の抗薄剤とかね、そういう話になってこざるを得ないんだと。
置かれてる状況が、そもそもまだまだ花火が打ち上がってないんですよということです。
花火がね、打ち上がってないんですよ。
そんな状況に我々は置かれているということですよ。
私のようなこういう活動すら、本当の意味で決定的に止められる、あるいは勝手になくなって衰退し消滅していってくれるっていう状況にはまだまだないんですね。
ないからやってられるんですよ。
でも、私は分析的な知識ってものは、結構それでも、だから使わないっていうよりは、構わないから使っちゃうっていうぐらいに実は有効だになり得ると信じていて、