1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 仕組みとパターンへのこだわり..
2024-06-06 50:27

仕組みとパターンへのこだわり【GMV 997】

母子世界と自立の葛藤。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月の6日ですね、なんだっけ、なんかあるんですよね、こういうきつな数字なんですよね。
6月6日、木曜日、7時44分です。
少しここ最近の30分に集中していた時間がずれたんですけれども、
ゴミを手間取ったというだけです。
昨日はあれですね、久しぶりに年配が止まって、ロッテですよ、よかったです。
うーん、実に危ない試合で、もうほとんど大逆転、さよなら負けかと思って、
嫌になって途中で見るのをやめたんだけど、とりあえず勝っててよかったなと思いました。
お知らせなんですが、昨日もお知らせしましたね。
6月22日の土曜日に、白渦さんという認定トレーナーの方と、
タスクシュートのセミナー、割とがっつりとタスクシュートセミナーをやります。
最近、タスクシュートクラウド2がですね、J松崎さんがもう開発中の2が、
すごい勢いで変化を遂げていて、毎日使うたびに少し何かが変わっているという、
ある意味、連日使うツールとしてはどうなんだそれっていう突っ込み方もあると思うんですけど、
僕はこれα1だと思っているんで、これぐらいであるのがいいだろう、毎日ある意味。
ちょっとワクワクしますからね。何か必ず変わっているんですよ、どこかしらが。
割と大幅に変化が遂げられていて、何か昨日までと全然見え方が変わったなっていうことすらあってですね。
あとものすごい多機能でびっくりしますね。
ちょっと数人で作ったツールとはとても思えない。
だから今の時代ってある意味本当に凄まじいなと思います。
昔だったらあれは、昔っていってもいろいろですが、
たぶん2、30年ぐらい前ならあれは本当に大企業がものすごい数の人数を投入して、
やっと作れるような、もともとあるんでしょうけれどもパーツみたいなものが、
それが2人とか3人とかで作っちゃうんですね。
もちろん企業だから、そうは言ってもJ松崎株式会社は企業なので、
個人がただただ頑張ってるっていうのとは違うんですけれども、
それにしてもこんなにありとあらゆるものが補入されているのがブラウザ上で動いてしまうんだと。
なんならiPhoneでもやろうと思えばやれますしね。
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あんまりまだiPhoneでやろうっていう感じにはなってないですけど、
でもちょっと前に比べると全然iPhoneでもやれてしまうんで、
特に横とかにすれば画面すごいなと。
これを20日までにはまだだいぶ変わるでしょうから、
その頃のセミナーというのはちょっと面白いことがお伝えできるかもしれない。
なるべく面白いことをお伝えしたいかなとは思っています。
お知らせもそこそこにさっさと本題に入ろうと思うんですが、
最近ですね、本当にようやく久しぶりに、
本格的に読み出したのは初めてメラニー・クライン、
妄想分裂体制みたいな本を読んでいるわけです。
いわゆる妄想分裂ポジション、PSポジションってやつですね。
これが赤ちゃんの中でどのようにものすごい詳しく書いてあるなというのを、
ようやく理解しながら読めるようになったんですよ。
そもそも、やっぱり翻訳って難しくて、妄想分裂体制って書いてあるんですよね。
体制って姿勢みたいなね、この体制をとるみたいな感じの、
妄想分裂ポジションすらそんな略語になっちゃっていて、
本当にこう読んでいて何が難しかったのかがよくわかりますね。
ほとんどの単語の意味が知ってないとわかんない。
知ってないですよ、やっぱり。
一般教養の世界とかけ離れてますもん。
この界隈でしか出てこない単語が満載みたいな感じ。
もう本当に何て言うんですかね、何の説明もなく、
いちいち客注はついてるんだけど、客注の中の略語すらも、
解説すらもですね、またしても満載なんですよ、専門用語に。
しかもその界隈でしか通用しない専門用語に満ち満ちているので、
一般書として出すにはなかなか不適切な、不親切ですよね。
でもしょうがないとは思うんですよ。
あれの解説を始めてしまうと、この解説側が一冊の本ずつになっていくっていう、
本当に何て言うんですかね、闇というのはおかしいけど沼だなっていう、
精神分析って沼だなって感じがやっぱりしますね。
何て言うんですかね、全然詳しくない人に何の解説もないプログラミングの本があって、
それが一般書のような顔をしていますみたいな感じですね。
そりゃあやっぱり分かりにくいに決まっているよなと。
ただそれが一般的な世界の話でもあるだけに、そこがプログラミングとは違って、
プログラミングなら手出さないじゃないですか、ある意味。知りもしない。
建築の専門書とかもそうだと思う。だから専門書と変わらないんだけれども、
扱っている世界が一般の親子関係とかだからややこしいんですね。
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私がですね、クラインの本をそうやって曲がりなりにも読めるようになって読んでいるうちに、
私が言いたいことがだんだん分かってきたんですよ。
私は一応やっぱり長らくライフハックで食わせてもらった人間なので、
ライフハック界隈に向けてるんだなこれと。
そしてどちらかといえばですよ、これはあんまり意味がないんだけど、
まず一応念頭に置いたのは男性なんだっていう話があります。
これは私の話を聞いている女性の方にあんまりがっかりしてほしくはないんですけれども、
しかもがっかりしていただく理由は何もないんで、
ただ私自分がやっぱり男だからっていうのと、
例えば東京ライフハック研究会とかある種の会なんかは、
39人中39人が男子みたいなことがあるんですよ、割と。
女性はいましたが受付に1人いましたみたいなね。
そういう感じだったので、やっぱりどっちかっていうと男の人の顔がどうしても思い浮かびやすいのは、
これはもう避けがたいかなと。
面白い話を伺ったことがあって、
私とか蔵野慶三さんのような、
メンタルよりというかほぼメンタルの自己啓発っぽい界隈は、
特に男性が主催している場合は来ている人は女性ばっかりなのが多いですっていう話を何回か伺ったことがあるんですよね。
これは多分他のところでは事実そうだから、
私も何回かそういう会合に行って驚いたことがあるんですよね。
女性しかいないっていう感じ。
男性も中にはいるぐらいな感じで、
まさにライフハック界隈とは真逆の男女比率だったりするんですよ。
で、これが私たちのところでは半々に近づいているのはなぜかっていうと、
多分今のような事情があるんだろうと。
どうやっても同列には語れないんですけどね。
ライフハックではないし、いわゆるちょっとスピリチュアル星占い系とも違うんで、
やっぱりだから同列には語れないんですけれども、
男女比が同率に近づいていく成りの理由はあるかもしれないなと。
このことがどうしてよぎったかというとですね。
男女が非対称の世界だからなんですよ、結局は。
精神分析は。
だからフェミニズム向けが悪い。
でも私はそれは全く議論ではないんだよな、これはとやっぱり思うんですよ。
だってこの非対称性は人為的に作り出されたものじゃないんですよ。
たとえ男女差別は人為的に作り出されているとしても、
子供を産めるのが母親だけなのはこれは人為的に作り出されている話ではないんですよね。
これは生物学上の定義に沿ってるに過ぎない。
むしろこういう未来には遠いのか遠くないのか知りませんが、
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未来には男性も子供を宿すということはやるのかもしれない。
SFの世界みたいに。
そうなってくると話が大きく変わるなとは思うんだけれども、
今はまさにそうでは全くないので、
どうしようもないという感じがするんですね。
そしてやっぱり誰もが特に対称関係論を読んでいくと思うことだと思うんですけど、
どんどんどんどん何かが起きたタイミングが前へ前へと向かっていくじゃないですか。
フロイトが最初に想定したのは、
はっきり言ってヒステリーの上流階級の話だから、
思春期に近い課題でしたよね。
それがあっという間にエディフスコンプレックスという話になり、
ハンス少年とかが超有名な事例、
超有名といったって今は知られてないにしても有名な馬とハンスの少年の話みたいな、
4歳5歳6歳とか一桁の少年の話に遡り、
さらにメラニー・クラインがそれを、
2歳1歳でもエディフスはあるんだっていう話を始めて、
そしてついにウィニコットに、
メラニー・クラインの友達のような弟子のような人だけれども、
人はもう最早期って言い出したわけですよ。
つまり生まれた初日から10日。
この精神分析の界隈には大きなインパクトを与えた、
ある意味精神分析とは、
フロイトとは特に相入れないのかな、
オッド・ランクの出生外小説っていう、
生まれた時のショックがトラウマになってるんだよ全人類はみたいな、
そういう話が始まって、
ついに生まれる前に言っちゃったわけですよ。
これを戻せば戻すほど、
母体というものは女性であったっていう話にならざるを得ないわけですよね。
親とは母親を意味するっていう色濃さっていうのかな、
濃さがどんどん濃くなっていくわけですよ。
だって戻れば戻るほど当然そうなるわけですよ。
さっき言ったようなまだ我々はSFの世界に生きてないから、
子宮にいた時も親は男でしたってことはありえないわけですよね。
オッド・ランクの出生外小説は、
精神分析の範疇外と多分されると思うんですけれども、
接近してますよね。
ものすごくビオンとかミニコット塗ってることって、
結局はその辺に時代を遡らせてるわけです。
本当のところ統合失調なり、
極めて重度の白外妄想における質検討式、
つまり現実がよく分かってませんっていうのと、
生まれたばかりの赤ちゃんにとって現実がよく分かってませんっていうのは
違うのかもしれないけど、
告示していると見なしっていうのが、
対象関係の方の精神分析が考えてる考え方なんだろうと思うんですよね。
こう考えると、すごく分かりやすい話っていっぱいあるわけですよ。
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現実が分かってないよね、最早期の赤ちゃんは。
そりゃ当然ですよね。実際は目もよく見えてないわけですからね。
なんかちょっとでも嫌なことがあるとものすごく泣くよねと。
そういえばちょっとでも嫌なことがあるとものすごく動揺して、
異動性みたいな簡単に起こるとか、ものすごい叫び出す人がいて、
あれがそのような状態の人だと考えてみるとですね、
対応の仕方が見えてくるじゃないですか。
下手にそういう人に対して駅で怒鳴るなとか言い始めて、
口論になるっていうのは妥当ではないですよね。
もしそういう仮定が正しいんだとすれば。
だって生まれたばかりの赤ちゃんに向かって、
ここは病院だから静かにしなさいっていうのはおかしいじゃないですか。
そんなことが分かるわけがないですから。
そういうことが分かるわけがない状態っていうのが、
我々にもあるんですよっていう話をしているわけですよ。
この話がどこに、さっき言ったライフハック界隈っていうところの
どこにつながるのかと言いますと、
ライフハック界隈につながってるわけではないんだけど、
私がやっぱり今まで生きてきた文化から、
割と一番つながりやすそうなところがどこかというと、
脅迫と私から見るとですね、脅迫、特に男性。
脅迫症、男性のヒステリー要素。
身体化に近いんだけど。
そこからちょっとずれて行動化。
そして、そうは見えないんだけど、男性の接触障害保産。
いちいち男性の男性の言ってるのはこういうことなんですよ。
つまりそれらは性的に女性に惹かれるヘテロでありまして、異性愛なんですね。
ところがその異性愛が、私の感じではですね、
これはライフハックがそうだって話じゃないですよ。
ライフハックがそうだという話ではなくて、
私自身がそうだし、この感じがあるんですよね。
例えば手帳なりガジェットなりというものが、
身の回りを取り囲んでいると幸せだっていう感じがする。
そして計画が、すごく計画っていうものが好きだし、整理ってことが好きだし、
だからお宮敷に住んでますみたいなイメージが湧かないってことなんですよ。
百均に行って収納グッズをいっぱい買ってきて、
引き出しにほぎれいなラベルをどんどん貼って、
先日販売された千葉雅也さんのセンスの哲学なんかにあったような、
無印良品大好きみたいなね、そういう感触。
私はあれはセンスがいいって言えると思うんだけど、
ひどく無機質に見えるっていう感じもするんですね。
引き出しはいちいち透明だし、どれもこれも同じに見えるし、
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文具王の高畑さんだったっけかな、
無地の靴下、全く同じ柄の7足替えみたいな話、
14足替えだったっけかな。
そうすると9丁通りの、あの人は2の会場みたいになって、
9丁通りの靴下のどれを2に引っ張り出しても左右がバッチリ揃って、
しかもそれが全て毎日同じ柄だと、
いちいちセンスについて何も考えずに済むぞっていう
ライフハックを強調されていて、
私も一時、会場での場の場を和ませるために
必ずこれを採用させてもらってたんですけれども、
高畑さんって面白い方で話が飛んじゃってますけれども、
ライフハック会に来てもらったこともあるんですよ。
その時に割と全身にベリベリですよ、
マジックテープですよね、貼っておいて、
これがかっこ悪いと思うような女性とは一緒にいたくないっていう、
これを言える人ってやっぱすごいなって思ったんですよ。
でも私はこの話を聞いている時に、
ある意味文言王でもそれを思うんだなっていうのに
感心させられたんですね。
やっぱりこれがダサいとか女性が言うっていうことについて、
この人の感覚もちゃんと受信しちゃうんだなっていうのが、
そんなことを面倒向かって言われたことがあるとは思わないんですよね。
でもそういうことは言われ得るんだよっていう、
なんて言うんですか、これは。
文化的な煽りみたいな、ニュアンスみたいなやつ。
そういうこと言われ得るよねって言うと、
みんなが笑うっていうのが分かるって言って、
ある意味面白いじゃないですか。
私はこれを今は恋愛という観点では見ないっていうことなんですよ。
これは母子、つまり母と息子の観点で見るものだって思うんですよね。
そうすると全身をマジックテープでつけてると、
あんたそれみっともないわよって母親が言ってる感じ。
この方が説得力を感じるんですよ、私は。
今となってはですね。
モテるモテないっていうのもそう感じるんですよ。
結局母親に承認されるか、拒否されるか。
この話の、いやいや母親に拒否されて何が困るんだよっていう時には、
もうその人は20歳過ぎてたり、20歳過ぎてないにしても、
先日任天堂レナさんの母の時間のところで、
息子の反抗期について話があったんですけど、
反抗期ってやつはですね、やっぱり私はこれを言うと、
だから精神分析って本当に難しいんですけど、
でもこれを言うしかないと思うんですよね。
近親相関恐怖だと思うんですよ、不安でもいいや。
つまりお母さんとイチャイチャしてられないっていうこれを、
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全面に打ち出さなければならないという不安なんだと思うんですよ。
それぐらいイチャイチャしちゃうんですよ。
これはつまり、もうこの単語は僕は妥当じゃないと思うんですけど、
リグレッション、対抗を自分でやっぱり恐れてるんだと思うんですよね。
いや僕はもう大人だからねって言いたいってことなんですよ。
で、大人ぶりたいってのは、一番見えやすいところ飛行なんですよ。
飛行ってのはつまり、12歳の12歳は早いからです。
13歳の少年がおっさんになると飛行になっちゃうんですよ。
あれはだから、これがかっこいいと思えるところに面白さがあると思うんですよね。
車の運転はする、バイクかもしれないけど、
タバコを吸う、酒を飲む、金遣いが荒い、
というのは要するに全部おっさんなんですよ。
これを全部おっさんがやってしんばしでやる限り、
誰も何も文句は言わない。
言うかもしれないけど、原則とがめられる筋合いはない。
でも13歳の子がやるとみんなにとがめられる。
で、それに対して悪態を作っている。
これは非常におじさんなんですよ。
で、このおじさんを貧欲やるとどうなるか。
このおじさんを貧欲やると、
少年が軽いパソコンを使い、
カレンダーを見て予定を睨みながら難しい顔をして、
メガネをかけてですね、
そしてこうびっしりと予定を埋めて、
コーヒーを飲み、まあもういいですよね。
つまりライフハックな感じがするってことなんですよ。
成長を急いでるっていうことなんだけれども、
なんで成長を急ぐのかと。
で、なぜ成長を急ぐにあたって、
ある種の傷つきが始まるのかっていう話が、
全部、全部と言って僕はいいと思うんですけれどもね、
全部ライフハックの世界にはあるなっていう、
センスの哲学を読んだ時も思ったんですよ。
どうして無印良品はあんなに無機質なんだろう。
なんでMacもそうですけれども、
いちいち銀色で模様はなく柄もなく、
非常にある意味女性的でない。
だから東京のライフハック研究会ではそうだったんですけど、
女性が綺麗にコーディネートされた花柄のMacを持ってきて、
みんながおおって言う。
あれは何なんだろうなっていう感じをね、
僕はいつも抱いていたんですよね。
女性の方がこの種のことに照れがないっていうのかな。
私は無機質は照れにしか見えないんですよね。
千葉さんの見解とは大いに異なっている気もするんですけど、
分かんない。
ある意味同じなのかもしれませんが、
どっちでもいいです。
私の感じているところではね、
21:01
やっぱりあれはあの無機質さってのは要するに、
これあともう突拍子もないことを、
ただ気分で喋っちゃってますけれども、
でもこの例えは良くないとは思いますが、
本質的にはそういう話なんじゃないだろうかって方に、
僕は欠けてるってことですね。
あの無機質さは近親相関不安だと思ってます。
つまり、
いや僕はもうお母さんとイチャイチャなんかしてられないんだよって、
言ってるように聞こえるってことですよ。
なぜかというと、
イチャイチャしたいから。
これをつまりですね、
先日も臨床例にあったんですけども、
あまりにも母子だけで生活しているとしていて、
あまりにもその状態が続いていて、
トラウマになっている男の人が、
美少年愛好家になっているっていう話なんですね。
これも出すところに出すと文句言われる話だなって思うんだけど、
でもその臨床例として美少年愛好家だったらしょうがないんでね。
事実なんで。
で、それに対する解釈なんですよね、これは。
やっぱりお母さんとイチャイチャするっていうことに対しては、
すっごくと自分の自立を阻んでるっていう、
なんて言うんだろうな、
拒否感というのか、
この感情に身を任せていたら、
いつまで経っても自分は赤ちゃんだっていうこの感覚から、
逃れ出たいっていうのが強いんだと思うんですよね。
愛情の対象をもう女性にすることすらはばかられるというか、
嫌だと。
これをやるとどうしてもお母さんを連想する。
だからこの、私が男性に言ってさっき言ったのは、
男性の脅迫症とか、男性のヒステリーとか、
男性の身体乖離とか、男性の行動かと言っている、
男性のをいちいちつけてみたのはそういうことなんですよ。
母親への愛が異性愛と一緒になってしまう。
で、女性はこの問題だけはですね、
一応生まれながらにして回避できるようになってるんですね。
異性愛である限りはですね、
異性愛である限り、
すべてが対抗を意味することだけはですね、
自動的に避けられる。
むしろ大人びた方向に向かうことができる。
だからババ・レイコさんも書いてましたけれども、
お父さんのお茶は私が入れるというふうに女の子が言うのは、
大体社会のどの家庭でも少なくとも日本においては歓迎されやすいんだ。
つまり、近親愛的な方向に向かったとしても、
これは成長に向かっている感じがするんですよ。
これが男子の場合、
対抗に向かっている感じがしちゃうんですよ、どうしたって。
だから恋愛というものは、
子供帰りみたいなものを意味してしまうということを恐れてるんですよ、内心。
特に大人ぶりたい年頃の男の子たちは。
おっさんになりたくて仕方がない男の子は、
おっさんになるのがすごく目に見えやすい形だと不良っぽくなるし、
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目に見えにくい形をとるとエリートっぽくなるんですよ。
でもやってることはたぶん大して変わらないんですよ、これは。
で、私にはもう今は思える。
で、その時に無機質に、無機質にと何しかなっていくんですよね。
少なくとも、
タバコ吸ってしゃがんでる少年たちが、
鼻柄のズボンとか履かないじゃないですか。
鼻柄でもいろいろあるんですけれども、
フェミニンライクではないですよね、ああいう時絶対に。
それには訳がありますよね、ということなんですよ。
まして、赤ちゃんの着るような、赤ちゃんパジャマみたいなの絶対着ないじゃないですか。
一本は違うとそのようなコスプレになっちゃってるケースもなくはないような気もするんだけど、
普通はないですよ。
つまり可愛らしくありたくないわけですよ。
そんな感じがするんですね。
ここまでは全然いいんですよ、なんてことのない話をしているつもりなんですね。
ここからなんですよ、課題は。課題というのか問題は。
このようにして、言ってみれば、自立へ自立へと向かいます。
だから掃除も片付けも、すべてが自立へと向かっているわけですね。
特に無機質なもので整理をつけていくというのは、
知的生産みたいな雰囲気を帯びてくるってことの、知的生産がこうだって話をしてるんじゃないですよ。
ここも誤解されやすいんだけれども、雰囲気を帯びるってことの方が大事だって言ってるんですよ。
だってタバコとかバイクとか、そうじゃないですか。
大事なのは雰囲気ですよね。本当におじさんになりたいわけではないんですから。
知的生産っていうのは、本当にここがすごい微妙なんですよ。
本当に研究がしたいのかどうかっていうのが疑わしいっていう方がいいんですよ。
本当に研究をするだけになってしまったら、もう無機質もへったくれもないわけじゃないですか。
つまりそれは、言ってみればファッションでは済まなくなってしまうでしょうってことなんですよ。
本当におじさんやってる人はファッションでおじさんやってるわけじゃないじゃないですか。
要するに男は辛いようでやってるわけじゃないですか。
不良少年というのはそうではないってことですよね。
この対抗というものに対抗して、言ってみれば背伸びして、問題行動というのか問題はない行動の場合も含めてですね。
大人になる、つまり自立するという方向にグッと力をかけていく。
本当にグッと力をかけるわけですよ。
この時しかし、本当に本当の意味で環境としての母親を失うということは、
どれほど、この言葉も古いな、昭和でね、どれほど突っ張ってても、
本当に本当の意味で環境としての母親を失うというのは絶対ダメなんですよ。
それは到底甘えられないっていうようなレベルでは済まなくなってくるから。
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明らかにわかるのは、いわゆる非向っていうのは、行動としては問題行動かもしれないし、
やけにそっちを重視するっていう職業の人もいらっしゃるでしょう、当然。
でも、あれは質検討式ではないですからね。
現実検討はちゃんとついてますからね、明らかに。
自分の見ているものと心の内と外の区別がしばしば非常に曖昧になっているというケースは、
見ているだけでも感じるんだけれども、
でも質検討式ではないですからね。
明らかに現実と夢の区別はついていると思うんですよ。
いわゆる非向っていう行動をとっているケースにおいてはですね。
あれを夢だと思ってるわけじゃないと思うんですね。
これは何を言ってるかというと、
つまり環境としての母親というのは例えば言葉を与えています。
絶対そうですよね。
両少年は日本語を喋ってるじゃないですか。
聞いていて意味不明の言葉を喋ってるわけじゃない。
何か時々意味不明になることはあるけれど、
やっぱり日本語を喋ってるんですよ。
伝わる言葉を。
うるせえとかね。
あれは日本語じゃないですか。
絶対。
ビークワイエットとか言ってないわけですよ。
ものすごい大事なことなんですよ、これは。
つまり私たちっていわゆるライフハックでも何でもいいんですけど、
ファッションであるからおままごとだと言ってるわけではないんですよ。
おままごとなんだけど、
おままごとかどうかが重要なわけでも、
そこが非難の対象なわけでも、
皮肉を言ってるわけでもないんですよ。
大事なのは支えている環境としての母親は、
すでにある地、確立されているんだけれども、
そこをものすごく拒否的に自分が出ている、
ここに葛藤がありますと言っているだけなんです。
だけっていうのも変ですけどね。
ここに脅迫症というものが生じる余地があるわけですよ。
だってそうじゃないですか。
いくらお父さんぶりたくてお父さんがお父さんがつって、
弱いから市内を持ってお父さんになろうみたいになったとしてもですね、
しても言えないと困るじゃないですか。
お金もないと困りますよね。
つまり環境というものは何らかの形で支えてくれているのが
もう大前提なわけです。大前提。
この環境が支えてくれているということに対してですね、
この種の行動はつまり自立へ自立へと向かうということはですね、
自分が環境としての母親にならないわけには
どうしたっていかないわけですよ。
そりゃそうですよね。
だってどういうダボダボのズボンだって
やっぱり選択しないってわけにはいかないじゃないですか。
で、したくないですよね。
だとすると誰かにしてもらうしかないわけじゃないですか。
女の子とかがしてくれるのかもしれないけれども、
事情は様々ありますよね。バイクだってそうですよね。
実際のところは全部のバイクが盗まれたものかどうかっていうのは
相当無駄がわしいわけじゃないですか。
30:01
しかもメンテナンスもいるじゃないですか。
ガソリンも入れなきゃならないじゃないですか。
これらのことは全て結局のところケアなんですよ。
で、自立を急いだということは
ケアも急がれねばならないはずなんですね。
今日は盗んだバイク系の話に集中しているようなんですけど
これを全部実はライフハックに読み換えてほしいんですよ。
私の脳内ではそうなってるんで今。
すごくここはポイントなんです。
自分のこの話の中ではポイントなんですね。
例えばほぼ日手帳であろうと、
例えば最新式のApple Pencil。
なんで新しいiPadではApple Pencil2すら使えないのか
私は大変それはちょっと行き過ぎなのではないかと
言いたくなっているんだけど
とりあえずApple Pencil。
なんでもいいですが、
例えば15、6歳の子がうんと背伸びして
ノートは全部iPad miniにしてるし
僕はねっていう授業も全て
スクシュートクラウド2で管理してるんだよと。
全部教科ごとにObsidianでうんたらかんたら
もういいですよね。
そういうことですよ。
ケアは誰がするんだってことなんですよ。
全部ケアしなければならないわけですよ、本当に。
誰がそもそもそのお金出したんですか
っていうことも言いたくなるんだけど
それは一旦置いておくとしてもですね。
ケアはしなきゃならないじゃないですか。
皆さん結構めんどくさくないですか。
いろいろなガジェット持っていて
いつも最新のOSのアップデートを夜のうちにして
全ての充電が満充電になるようにしておいて
下手ってきた充電の充電器は買い替えて
最近話題になってましたね
佐々木俊直さんがツイートしてたのかな。
なんかこう古くなったアンカーの充電器みたいなの
膨れ上がってきて
いつ大爆発はしないまでも
でも家に爆弾置いてるようなもんですからね
一歩間違うと。
だからそういう古くなった充電器とか
ガジェットとかどうすんだとか
全部ケアなんですよ。
つまり自立を急いだ以上は
ケアも急がねばならないわけですね。
そもそも自立を急いでいる
原因の一つに大きな不満と不安があります。
うるせえみたいなことを言うってことは
不満だってことじゃないですか。
私はすごくいい気分で
心地よく快適に暮らしてるんだけど
自立しなきゃなんないから
ちょっと2倍ぐらい太いズボンを履いて
僕と持ってきましたっていう子はいないわけですよ。
自立を急いでるってことは
それなりの事情があるはずなんですね。
つまり非常に簡単に言ってしまうと
ここでまたしても
フェミニズム問題で出てくるんですけど
お母さんが何かをしてくれた。
それはおそらく
もちろん覚えてる限りにおいては
10歳の頃にね
勉強についてうるさく言われたとか
33:00
いい学校に入れとずっと言われてきたとか
それはお父さんも含むんだけれども
なんですが
そういうお家であるのに
1、2歳の時はすっごく優しくて
本当に愛情たっぷりで
愛情でしたみたいなことはないんですよね。
あんまりね。
やっぱり1歳の頃から
ここまで早く来なさいみたいな
1歳1ヶ月になったんだから
漢字の練習しなさいみたいな
それはないかもしれないけど
そういうことが起こっていた可能性が
いろんな形がありますよ。
教育熱心だったとばかりは言えない。
放置してたのかもしれないし
パチンコ行ってたのかもしれない。
これが悪いって言ってるわけじゃないですよ。
別にパチンコだって行きたくなるじゃないですか。
これただ
こういうふうに言えるのは
その人が世話をしてもしてなくても
本質的に困らない
ガイアの言うことであって
世話される赤ちゃんは
そうは絶対に受け取ることができない。
アジャセコンプレックスってやつですよ。
お母さんはあっち向いてしちゃダメってことです。
絶対自分の方だけ向いてろ。
なぜなら
お母さんは私だからなんですよ。
つまり
投影同一化ってのは
その段階で始まってるはずだし
その段階こそ
強く始まってるはずだし
赤ちゃんっていうのは
愛憎の世界にどうしたって生きてるんで
愛情たっぷり
あるいは憎しみたっぷり
どっちかになりやすいわけですよ。
なぜならば
欲求不満が致命傷を
受け取ってくるからですね。
先日つくづく書いてて思ったんですけど
豊か人的時に書きましたが
生命にはリズムがあると
岡野健吾さん書いてましたよね。
ミルクが今もらえなくても
後でもらえるということが
分かってる赤ちゃんは
貪欲にならずに済むんだと。
ちなみに
ここに面白さがあると思うんですけど
さっき言った
僕が言いたかったのは
こういうことなんですよ
15、16歳の少年って貪欲じゃないですか。
15、16歳にしては
最新式のiPadとか
やたらと高性能のバイクとか
なぜ欲しがるんでしょうか。
彼らは
急いでるんだと僕は思うんですね。
なんで急くかというと
リズムがおかしかったんじゃないかって思うんですよ。
やっぱり。
いきなりですね。
お母さんが
さすがに
最早期の10日目までは
お母さんの世話でたっぷりだけど
もう私キャリアが忙しいので
それどころじゃないからって言って
例えば誰か
男の人に預けるみたいな
赤ちゃんから見ると
何が起こるかというと
何て言えばいいんですかね
永遠の意味というものが
信と信頼のどっちかを
選択させられるっていう事態
大変なんですよ。
なぜならば何が永遠という意味なのかが
まだ寿命というものも知らない人にとっては
混乱の対象でしかないからですね。
私書きましたけど
一度チョコレートを食べてしまったら
いつ次もらえるか
36:00
わかったものではない
っていう恐怖っていうものを抱えてしまうと
永遠というものが
永遠に欲求不満を意味しかねないんですね。
ここに
リズムというものの重要性が
現れてくるんですよ。
ところでですね。
ところで
いわゆる仕事術には
このリズムというものに対する
不信感が渦巻いてますよね。
僕これ昔から気になったんですよ。
脅迫症というのは
リズムに対する不信感だと
ある意味を思うんですよね。
リズムというものが
自然ってリズムを刻むじゃないですか。
春夏秋冬がそうですし
一日もリズムでできてますよね。
黙っててもそうなりますよね。
黙っててもミルクをもらえて
黙ってても満足し
お腹がすいたら
お腹がまたすき
そしてまたミルクがくる。
寝たくなったら眠り
起きたくなったら起きる。
このリズムは自然に任せておいても
大丈夫っていう風になっているのが
恐らく環境としての母親が
極めてよく機能している場合の
パターンだと思うんですが
そうでないと。
急にお母さんいなくなるとか
里親にいきなり出されるとか
ちょっとこれも古い言葉ですけどね。
それこそベビーシッターがいきなり
すぐに子育所に行ってみたり
幼稚園に行ってみたりと
いろんなパターンがどんどん変化すると
なってくると
早い段階でその子は進化を覚えますよね。
現実世界
宇宙のリズムというものに
任せていると
自分は決して心地よくは生きてはいけないんだ
っていう風に少なくとも思うじゃないですか。
そして
次に
生き急ぐじゃないですか。
何のためにお父さんになるのを急いでいるのかというと
格好の良くなさそうな
おっさんになりたいからとか言う人はいないと思うんですよね。
そうではないですよね。
権力が欲しいってことじゃないですか。
つまり
世界のリズムに不信感があるから
俺がリズムを作る
っていうわけなんですよ。
2つここで必要なものがありますよね。
1つは2つのうちの
1つは権力。
じゃなければお金。
どっちかというと権力志向な感じがするのが
いわゆる
車系のパターン。だからバイク系ですよ。
どっちかというと
お金の力で何とかしようとするのが
iPadで身を固めたがる
少年だと思うんですよ。
これは何を狙ってるかというと
つまり母親を
自分の独占家に置こうっていう話だと思うんですよ。
ここで
その子が
愛好をこんなに避けているその子が
つまり
絶対に赤ちゃんなんかに戻るわけにはいかないと思っている
その子が欲しがっているのは
まともな母親なんですよ。
で、まともな母親というものは
しかし
自然のもの、つまり不自然の人だと
信用がならないので
人工物になっていくんですよ。
つまり
それが
iPadと
例えば何でもいいんですけれども
39:01
要するに
具体名は出しませんが
土地すれば
最近では定期便
というものもあるじゃないですか。
定期便ってまさに
生命のリズムですよ。
ミルクが、ミルクじゃないんだけど
毎月届く。
これは八本柄じゃないですか。
運鏡としてのね。
お金があれば
お母さんは買えるんですよ。
今の時代。
定期便でね。
切れ目なく
自分にとって
一番都合のいいものが
パックっぽくなってくるじゃないですか。
そういう仕組みというものは
母親だってことですよね。
で、これを
権力によって手に入れても
金力によって手に入れても
いいんですよ、別に。どっちだって。
大事なことは
行き急ぐってことですよ。
これをやるのに、実は男女はないですよね。
別に盗んだバイクで走り出すのに
男である必要はないじゃないですか。
女性でも構わないわけですよ。
だから
ましてやですよ。
iPad mini
その他諸々を手に入れるのが
男でなきゃいけない理由なんて
ほんと何もないわけですよ。
無機質なものに身を囲まれるっていうのは
男でなきゃいけない理由なんて何もないわけですよ。
なんなら
20足の真っ黒い靴下を
全部買うのが女性であっても
別に全然構わないわけですよね。
こうして私たちの
何故かよくわからないんだけれども
ある種の世界観はですね。
仕組み家という名前の
環境都市の母親を手に入れる
世界っていうものに
何か
文化が
文化が塗り替えられていくというのかな。
そういう感じがある気がするんですよね。
ここでさっきの
男のはいらなくなるんですよ。
脅迫っぽくなる。
それは
リズムを確実に刻むってことです。
人によりますよ。もちろんね。
だけれども毎月1回は
必ず水が届くとかね。
紅茶が届くとかコーヒーが届くとか。
これは全部ミルクっていう風に
精神分析では呼ぶんだけど
それは大名詞みたいなもんです。
水ですよ。
水であり
殺虫剤だったりもする。
ガーデニングのための
詰め替えのものが
春になると届く。
そして
時々いらっしゃるじゃないですか。
これが届かないとめちゃくちゃ激怒する。
これは
ミルクの時間がやってきたのに
お母さんが来ないと叫ぶっていうのと
やっぱり
気を逸にするっていう説明は
理にかなってると思うんですよね。
つまり非常に
ルーティーンに
うるさくなるわけですよ。
そして
もう一つが
身体勢回避。
言いたいんですけれどもね。
42:01
身体勢回避ってやつよね。
これらのことは
ポチするってのはどういうことを
意味しているかというと
ポチッと押して
これでOKですか。
最終の購入完了ボタンを押す。
ここには最小限度の
コミュニケーションで
済んでるっていう良さがあるわけですよ。
つまり
それは何の証拠もないのに
どんどん推論を広げていると言われる
はそうなんだけれども
お母さんとのコミュニケーションが
ミスコミュニケーションなわけじゃないですか。
そうした子に
してみれば、なぜお父さんになるのを
急いだかというとお母さんに不満だから
ですよね。俺は俺のお母さんを
手に入れる。そしてそれは
人間である必要はもはやない。
つまりコミュニケーションという子の
自然物は信用がならないわけです。
自然の摂理と
自然のパターンが信用ならなかったのと
同様に、だから人工のパターンを
作り出して自分の身を固めているわけだから
ここでもう一つ信用の
ならないのがコミュニケーションですよね。
だから人間って信用ならない
ってことなんですよ、これは。
コミュニケーションが信用ならないと言っても
問題が起きないわけじゃない。
例えば宅配ボックスに入れろと言ってるのに
なぜかピンポン押し上がるみたいな問題って
常に起きるわけですよ。
だから叫ぶとか喚くとか
怒鳴るっていう
そういうこう、これはリグレッションで
対抗の一種だと思うんだけれども
そういうことが起きるということはあるにせよ
結局それでは
ままならないことはいっぱいありますよね。
会社に行けば会社に行ったで
だってこれお金稼かなきゃならないんで
会社に行けば会社に行ったでですね
やっぱりミスコミュニケーションは
上司とか同僚の間で
必ず起きると。
で、こうなった時に
私たちはですね
このパターンは
自分には
すごく厳しいなっていう
感じを抱くはずなんですよ。
このパターンでは
自分は
快適ではないと。
その時一体どうやって
これを伝えるのか。
いやパターン変えればいいじゃんってことになるんだ
と思うんですけど、だからパターンが変えやすいように
人工的になってるんだけど
そうは言っても
パターンを変える
その自分が選べるパターンにも限度が
ありますよね。
急に拒慢の富を得るわけにいかないんで
そんなパターン試してると思うんだけど
パターンに行き詰まった時に
我々はですね
身体からのメッセージが出るんだと思うんですよ。
このパターン無理っていう
そういうパターンを
自分に強いるじゃないですか。だって
仕組みというものが
自分を幸福にするんなら
仕組みのために人は生き始めますよね。
だから朝起きて
ここが意外と面白いところなんですよ。
母親を手に入れるはずだったんだけれども
いつしか母親の奴隷
奴隷みたいになってるわけですよね。
朝早く起きて、信じられないほど早く起きて
信じられないほどマラソンをして
っていう話を始めるわけじゃないですか。
これは
45:00
すべてが
仕組みが完成していくために
しているその人なりの
なんていうんですかね
自然のパターンを
上書きするためのパターン
でもそれは自分の身体という自然が
それに対して悲鳴を上げ出すんですよ。
その時に身体は
何かメッセージを発してくる
ジンマシンとかね
胃が痛いとか腰が痛いとか
頭が痛いとか深いな
症状として現れるんですよ。
きっとこれを僕は
ヒステリーと呼ぶんだろうなって思うんで
そしてこれにかかっている
という人は今は
明らかに女性より男性の方が多いような気が
今言ったような事情でするんですよ。
お母さんの奪い合いをやってるせいだろう
っていうのが一つなんですけれども
もう一つは
ここに対して容赦ないのが
男性なんですよね。男性社会って
ここに違う理由なんだけど
伝統的に容赦ないんですよ。
よく言うじゃないですか
身体が痛いの痒いの言ってるんじゃない
みたいな相撲の世界みたいなやつですよね。
だから
身体に対して無知を打つのが
好きなんですよね。
これをやると身体の方が
怒ってくるわけですよ。別に不思議な
話ではないと思うんですよね。
で、この全体の
最終的な目的地
ってのはですね
VRに近いものだろうなって思うんですよね。
近くそのものを
変えたくなるじゃないですか。
そもそも現実が信用ならないのに
現実の風景見る必要ってないわけですよね。
朝が朝であって
草木が生えてる必要は
別にないわけですよ。
全部もっと自分に都合のいい
風景が見えた方がいいはずで
だからですね
最終的にそれっていうのは
自己愛に向かうだろうと
つまりナルシシズムなんですけれども
ここに向かうしかないだろうって
感じがするんですよね。
ナルシスはあれですよね
自分しか愛せない罰
ってものを下されて
そのために自分の姿を見てですね
それに惚れ込んだと。
これ面白いですね。自分しか愛せない罰
っていうのの中には
自分と他人が見分けられない罰が
含まれてるわけですよ。
だからナルシスっていうのは
もう言ったかもしれませんけれども
めちゃくちゃあぐぼれて思い上がってるって
話じゃないんですよ。だって美少年なんだから。
彼が自分の美しさに
惚れるってのは当然なんですよ。
世界で一番美しいんだから。
おかしなことではないんですよ。
めっちゃブサイクなのに
俺美少年って言ってたら
それは相当微妙な思い上がりなのかもしれないけど
彼はめっちゃ美少年なんだから
自分で自分に惚れ込むのは
おかしくはないんですよ。ただ
あそこの問題は惚れ込んだ相手を
自分だと思ってるせいで
痩せ細っていくっていうやつなんですよね。
僕はこれはですね
こういうこと言うと
怒られるのかもしれないけれども
仮想現実ってことのような
気がするんですよね。自分に都合の
いいものだけを自分に見せるってのは
自分だけが自分
自分が好きなのは自分だけ
っていう世界じゃないですか。
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究極的には
世界のリズムを自分のリズムで
塗り替えるってのはそういうことになりますよね。
お母さんが
おっぱいをくれるタイミングに
信用がならないから
自分で自分におっぱいを出す
仕掛けというもの
仕組み化を実現したわけじゃないですか。
それの究極形態というのはつまり
仮想現実だと思うんです。
現実というものが
気に入らないので
自分という現実で
現実をこう
見えなくするわけじゃないですか。
あれはすっごくこうやっぱり
物質の世界だと思うんですね。
だからこの
ヒステリーというのと
もう一つ
今日は話として飛ばしたんですけど
総極ってのがありますよね。
つまりいいおっぱいと悪いおっぱいですよね。
悪いおっぱいはないんだけど
でもお母さんが
どっか行っちゃいましたとか
それこそギャンブルに行っちゃいましたっていうときに
おっぱいがないと。そうは人は考えない。
悪いお母さんがいる。
その上が私という赤ちゃんを
いじめているというふうに
考えてしまうんですよ。そんなつもりはないんですけど。
ただギャンブルに行きたいだけなんだ。
これもまた不審感ですよね。
そして総極を
素晴らしいお母さんと
最悪のお母さんがいるんだ
ということ。同一人物なんだけど
同一人物だっていうのがもう
耐えられないわけですよ。
それじゃいつ裏切られるかわからない。
だからこそ素晴らしいお母さん
一色にしていくっていう考え方が
つまり理想化ってやつで
これが総極性障害の
大元にあるんだろうと思うんだけれども
そこまで言わなくても
バイポール的
世界ですよ。つまり
ヒロクロ的な世界。
完璧でなければ最悪である
ってやつだけれども
この辺は全て
一色とになっている。
そして全体を
今の良いおっぱいと
悪いお母さん。そして
身体症状みたいなやつ。
そしてパターン化。
それから
仮想現実。
これらを全部
かなりマイルドにして
精神病水準から程遠い
典型症水準なんだけど
さらに現実とやっていけるレベルまで
抑え込んだところに
意外と私たちの生き方っていうものが
その難しさが
見えてくる感じがあるんですよ。
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