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2023-11-07 49:25

どうしてやる気をハックするしかなかったか?【GMV 871】

物語と原空想。

サマリー

彼は留学から帰ってきてもやる気が足りていないと感じ、やる気を発掘するためにライフハックに取り組んでいます。当時はライフハックの黎明期であり、お金を稼ぐ方法も限られていました。しかし、彼は仕事ができるようになり生活も落ち着いてきたものの、風の音が気になり、新たな問題が生じました。彼はやる気をハックするためには、警戒心を持たずに安心して生きることが重要であることを理解しました。そして、彼は自立に対する強い不安や自己価値感の低さがやる気の欠如につながることも明らかにしました。自立を急ぐ教育により、彼は自分自身の物語を創り上げた結果、依存心が生まれました。内的世界の物語を強く意識しすぎると、本当の自立ができないことに気づきます。彼たちは自立を求めていますが、その中には甘えも含まれています。やる気を出すには愛の選択をすることが重要であり、愛があるのに動けないということはありません。彼の内的空想が現実化することはなく、そのためにアメリカまで行ったのですが、これを実現するためにVRゴーグルを使うことになるでしょう。

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月7日火曜日の朝7時48分ですね。
なんとシャツ1枚で収録していて暑いんですよね。
ここは海沿いなので、このミニ台風だかわからないけれども、ちょっと直撃感がありまして、南風がガーガー吹いていてですね。
今日はすごい天気です。
11月とはとても、みんな言ってますけど思えなくて、すごい荒れた天気ですね。
東海道線が5分前後遅れています。
こういう話をすればアクセスいけるのかな。
いや、いけないだろうな。
ですのことは、アクセス対策なのかわからないこのショートをやって何の変化もないという。
どうなんだろうな。少しはあったのかもしれませんが、しばらく続けてみますけど。
二宮の天気予報はしないので、安心していただければと思います。
11月のお知らせは、最近ずっとやっている19日を除くとあんまりないな。
これはもうちょっとですね、なんとかするべく随時頑張って、告知頑張っていこうと思っておるんですけれども。
11月のお知らせは現在のところあんまりなくてですね。
11月になって3カ月チャレンジの最新第4期が始まったばかりなんですけど。
こちらおかげさまでやや順調だったところで、来年はもうちょっと頑張って。
来年だったら途端にこうできなくなったりするとかね。
そういう鬼が笑う的な話がないように頑張っていきたいかなというのが今せいぜいですね。
あんまり本当にないんだよな。
100日チャレンジも第5期が半分過ぎて、第6期が現在ちょっと。
第7期はですね、かなり変則的なものになる予定で、
募集人数も大幅に増やさせていただくということになると思います。
これもまた準備的次第ね。
100日チャレンジ第7期。
おそらくこちらはですね、完全無料とはいかないまでも、
お値段も安くさせていただこうと思っているので、
ちょっとね、いろいろとお祭りをしたいというところもありまして、
今非常に鋭意準備中なんで。
こちらはちょっと、なんとなく分かる方は分かりますよね。
鋭意準備中なのは僕が頑張っているというよりは、
J松崎さんが今石にタスクシュードクラウド2と、
これが一周この辺りでの決定版になるであろうと。
これあんまり早まってですね、すぐ先走って告知しちゃうと、
彼らが今一生懸命プログラミングしている真っ最中だと思うんで。
ライトは僕からすればもうほぼ完成に近づいており、
これも先走ったことを言うと、
開発者のZoeさんが迷惑されるといけないんで、
これぐらいにしておきますけど、
そういった状況でこのカーニバルをやりたいということがありますので、
11月中にもしかしたら第7期の発表はできるかもしれない。
これも諸々の条件が必要なので、
まだちょっと確実ではないけども、
遅くとも年内であることは確実なので、
楽しまれる方は楽しみにしていてください。
そういうわけで、僕が忙しいというよりは、
忙しくなっているところもありまして、
でも始まれば当然忙しくはなるだろうなというのもあります。
今日はですね、
昨日の続きにしたいと思ったんですけども、
昨日僕はやる気がなかったんで、
やる気発掘を延命に考えてですね、
結局私がまず、実務的な意味でというのも変ですが、
現実に生きていこうという意味ではですね、
とにかくやる気が足りてないなというのがあって、
ある意味留学での第1の目的じゃないんだけど、
第2の目的はね、やる気というものの問題を解き明かしたいというのが、
主要な欲求だったんですね。
そうは言っても、留学もはかばかしい成果をあげたわけでもなく帰ってきて、
だから私はどうやってこれで生きていこうかというのが大問題だったわけですね、当時。
30代半ばまで差し掛かって、職はないし、何もないわけですよ。
ただ留学に行って帰ってきただけで、
普通はね、ドクターってPHDってやつね、取ってくるじゃないですか。
あれ取れば、当時は結構難しいところもありましたけど、
さすがにサイコロジーのドクターともなれば、
そういうのはなんとかなるはずだったんですけど、
私の場合、ドクターなんか全然取れずに、マスターすら取れずにですね、
バッチラー持ってた、バッチラーってのは要するに学士です。
大学出ましたってだけね。
アメリカの大学出ただけなんですよ。
これでは食べれないですよね、アメリカの心理学士持ってる日本人とか。
何の意味もないわけですよ、これは。
今でも日本の臨床心理師は多分、
アメリカのドクターとかは効くのかな。
ドクターは何かのプラスにはなるかもしれないけど、
それだけで心理師になれるわけじゃないと思うんですよね。
とんでもない状況だったわけですね。
それは幸い、大橋英通さんという方に拾っていただいて、
なんとか食えるようになったんですけれども、
その話はしばしばしましたので、ここは全部端折りまして。
ライフハックの黎明期
一緒にやらせていただいたのがライフハック系だったわけですね。
でも大橋さんはライフハックという言葉をガンとして使わなかったし、
私はライフハックに実は、
昨日お話しした通り、
それほどの期待をかけていたわけではなかったので、
タスクシュードは全然別なんですよね。
僕の中で、タスクシュードというのはライフハックの、
僕の中では最先端で、
唯一これにのみ実は期待をかけていた。
当時はEvernoteにも一定の期待はかけていたんですけれども、
あれは結局使い物になるまでに、
ついに今になってますからね。
今一番ちゃんと使えてる気がしますね。
iPhone15で普通に動く。
特にダウンロードとかしておかなくても普通に動く。
やっとメモ機能がちゃんとしたなっていうのが、
あれから何年経ってるんだって感じなんで、
これから頑張ってくれればいいかなっていう感じはしますけれども、
当時はまだ期待をするばかりの、
期待先行型のものでした。
そもそも私が大橋さんと最初に、
日経ビジネスオンラインというところで連載始めさせてもらってた頃は、
Googleがただ多分無かったと、
無くは無かったと思うんだけど、
普通にみんなGmailが使えてたわけじゃないと思うんですよね。
50人招待できるとか、よくわからんことを言ってた。
Gmailがですよ。
だからGoogleはあったかもしれないけど、
普通に検索するのはYahooだったし、
Yahooのページに、
今日のなんとかとかトピックに取り上げられると、
すごいアクセスが増えるとか、
そういうのをまだみんなで頑張って目指していたという、
そんな時代でしたから。
ライフハックも黎明期で、
黎明期はいいわけですよ。
お金にはそれほどになるわけじゃないんですけどね。
黎明期はいいんですよ。
私の一番最初に書いたライフハックスって本は、
ちょうどその頃に出したんですけど、
最初で最後の佐々木のいい本だとか書かれてますからね、
Amazonで書評でですね。
その後は金儲けに走ってダメになっていったみたいな、
私の中では全然そういう路線の変更とか、
当時はまだ一切なかった。
その後、いくらか路線を動かしていくっていうのはあったんですけど、
だって当時そんな路線ちょっといじったくらいじゃ儲からないですからね。
金儲けに走るって言っても、
そんな良い方法があるなら教えてくれよぐらいな勢いで、
もう金儲けに走りようがなかったんですよ。
やっとAmazonのアソシエートも出た頃だったんで、
どうすれば増えるようになるんだろうみたいな、
僕の収入のほぼ全部は当時はね、
日経ビジネスオンラインさんのいただいていた連載現行料でしたからね。
ライフハックに期待
実に恐ろしい話ですよね。
だって雑誌の連載現行料って食っていくなんてとんでもないことじゃないですか。
打ち切りになったらたちまち食えなくなるってこと、これは意味してますから。
しかもあれ、当時オンラインだったから、
単行本になるという話も存在しないわけですよ。
紙の雑誌であれば、一定の連載を続ければ、
それを単行本にするとかあるわけだけど、
それすらないわけですよ。
やってくれたかもしれないけど、そういう話にはならなかったし、
しかも当時はまだ、いわゆるKindleがなかったわけですよ。
だからオンラインのものをKindleパブリッシュにすることすらできないという。
これでどうやって金を儲けるんだのは、
それ全部やっても儲かるっていうことにはならないんですけどね。
本当に世の中の人の見る目ってのは面白いなと思いますね。
私もライフバックで金儲けとかしてみたいわっていう。
その後、いろんなことを強引に駆使すればできなくはない世界が
徐々に実現していくんですけど、
当時は無理だったですね、確実に。
SNSもなかったし、ミクシーとかがあったのかな。
でもあれはSNSと言えなくはないのかもしれないけど、
なんかちょっと違いますよね。
Twitterで大々的に拡散するぜみたいな話とは違うんですよ。
私、今でも覚えているんですけど、
当時は日記サイトみたいなものがまだあって、
ブログじゃないんですよね。
その前の段階で、
割と手動で日付とかを動かしていかなきゃいけないという、
非常に無理のあるシステムだったんですけど、
一番最初は百式さんっていうのが割と流行ったんですけど、
あれブログではなかったんですよね。
すごい人気ブログとして有名だったと思うんですけども、
その前からですね、
僕日記サイトで侍魂っていうのを結構愛読してたんですけど、
あれはすごいアクセス数だったんだけど、
あれでお金が稼げるってことはなかったんじゃないかと。
今思うとすごい、
すごい早すぎるとしか言いようがないんですよね。
どうされてるんだろうな。
侍魂で食えるのかな。
どうもその辺がよくわからないけれども、
金を儲けるものに繋げる方法がない。
やっぱり当時はまだまだ紙の雑誌がパソコンの世界でも主体にあったわけですよ。
ということはつまり、そっちに仕事がなければダメってことなんですよね。
そっちにお金は流れていくわけですから、
お金払って人々は雑誌買うわけですよ。
雑誌ってのはタダでは手に入らないから。
だからそっちにはお金は流れていくんだけど、
オンライン上ではお金のやり取りってまだ当時はなかったんですね。
本書くだけじゃダメなわけですよ。
ライファックスなんて本書いてても、
その印税で終わってしまう。
その印税っていうのが当時の、
当時はそれなりにでも文庫でも本出させていただいて、
何の話をしてた?新書か。
新書でも本出させてもらってたんで、
そうだなあ。
40万ぐらいでしたかね、本一冊出して。
でもそれで終わってしまうわけですよね。
もうこれでは金儲けは無理ですよね。
まあまあ、そんなわけで話としてはですね、
やる気のなさと新たな問題
元に戻しますと、
私はライフはあくまでもやる気のなさというものをカバーする。
でも当時仕事ができて生活も落ち着きつつ、
実家で生活してましたからね。
金は儲けられなかったから実家で生活してたんで、
落ち着いていてですね、
割とやる気になってきていたわけですね。
ただ一つ大きな問題があったのは、
風の音がするんですよ、これ。
やる気がですね、基本は無いわけですね。
少しぐらいは芽生えても原則は無い。
凍結させてますからね。
ここがポイントなんですよね。
愛を凍結させる。
気持ちを凍結させてますからね。
だから基本的には、
基本的には何て言うんですかね。
警戒心で生きてるんですね。
警戒しなくていい相手を探すっていう人生なんですよ、基本的に。
家は大丈夫でしょ。
大橋製造さんも、僕は非常にその辺は単純なんで、
理解が一致していれば警戒はしなくなるんですね、基本的には。
あんまり難しいことをこういうところで考え始めると、
キリがなくなってハマるんで、
そういうことは当時から意識してたんですよ。
やる気がなくて気持ちがないのに、
警戒心を募らせて生きまくると、
キリがなくなってしまう。
今に比べれば、当時は無用な警戒心をいっぱい、
キリがなく発動させてたんだけど、
そうでもですね、病的なレベルというのとはちょっと違った気がするんですよね。
やっぱり僕は虐待とかされてたわけじゃないですからね。
で、なんでこういう話が出てくるかと言いますとですね、
結局僕がやる気がない最大の理由は、
気持ちを凍結させてたから。
グッドバイオス流に言うと、愛を凍結させていて封じ込めていたからなんだけど、
その力が怒りなんですけどね。
これってどこから来るんだろうと。
母からのプレッシャー
昨日は簡単に母に振られたからで済ませたんですけど、
母には母の事情があるわけですよ。
私の自立を急がせたらこれに尽きるかなって思うんですね。
特に当時はまだ男の子、長男っていうのは、
うちはそこまでそういうのにうるさくなかったけど、
でもやっぱり、例えばうちの宗教なんて、
女性は坊主になれませんからね。
男尊女卑がはなはなしいわけですよ。
住職は偉いわけですよ。
男は偉いだけじゃなくてね。
そうすると住職の長男なんで、
自立しなければならん。
これの意味はよくわからんでしょう。
でもこれの意味は雰囲気なんですよ、はっきり言って。
雰囲気で決まってくるんですね、こういうことって。
やっぱり寺の長男は急いで自立しろみたいな。
なよなよしていってはいけないわけですよ。
ところが私はものすごくなよなよした人間だったんですね。
これは母に言わせるとなんだけどね。
だからこの母は焦ってたんですね、内心では。
このなよなよした息子を何とか早く自立させなければっていう。
だからそういうのがはしばしに出てくるわけ。
これを意識の上ではあんま別に何かしてるつもりはないです。
すっごい無意識に出るんですよ。
ここまで来ると何かを疑いたくなるじゃないですか。
そうなんですよ、母はね、ほぼあれは虐待を受けてたんですね。
めちゃくちゃ暴力的だったんですよ、私のおじいさんという人が、母方のね。
すぐ手が出る。すぐ罵倒する。
すぐとにかく殴るわけです。
ちっちゃい女の子じゃないですか、母なんてきっと。
8人兄弟の4番目で、そういうのって戦後間もなく、ほぼ戦中ですからね。
重視されないわけですよ。
8人兄弟の4番目の女の子だって、扱いが雑、極まりなくなるわけですね。
そういう家に育つとどうなるかというと、母は家畜な性格なのですが、
実はその家畜は極めて表面的なものなんだけど、非常に自立する志向になるわけですね。
これは当然ですよね。
そういう家で育てば多分すぐ、僕はそういう家で育ったわけじゃないんで、最初すぐはわからなかったけど、
非常に自立心が旺盛になってしまう。
こんな家出て行ってやるっていう風になるわけですね。
好きあらばこんな家は出て行ってやる。
現にうちの母は埼玉まで来た時に実家、朝日課なんだけど、
もうそれは全然全く寄りませんでしたよね。
全然実家に戻らない。
いかに自立したかということを、愚かな母から言わせれば、馬鹿な父親に見せつけると、
この新年が僕は幼い頃から形成されている母からすると、
なよなよしている自分の息子とかとんでもないわけですね。
なよなよしてるんじゃねえっていうことになるわけですよ。
女みたいになるなっていうね。
単純ですかね。
うちの母は男みたいになったってことが自分の心の中で極めて強い自尊心に直結してるわけだから、
女みたいな息子になってしまうっていうことが当然許せないわけですね。
元に戻っちゃうからね。
こういうことを全部意識してるわけじゃないですよ。
かなり無意識なんですよね。
全く無意識ではないんだけど、かなり無意識なんですよ。
とにかく一番いいのは、理理しいってやつなんですね。
私は理理しくないんですよ。
理理しくないにも程があるんですね。
ここに母のある種ジレンマがあって、
だから家を早く出したいっていうのがすごいあるわけですよ。
これが私の中にものすごく恐怖心になっていて、
マッチューリの少女と家なき子を愛読すると。
でもこれはですね、当然のことながら、
この辺が精神分析なんだと思うんですけど、
この物語はサイコの物語ではないよね。
サイコって一番古いってことですね。
どうして私が女性というものになびきやすく、
性欲と愛情を取り違えてしまって、
私だから当然じゃない、当然だと思うんですよね。
大学の頃に彼女が欲しいっていうのは、
それは性欲だろうって思われると思うんですよ。
それは性欲なんだけど、
性欲って自立に向かいますよね。
ここがエディプスコンプレックスですよね。
話はしょってるように聞こえるかも、
分かりにくいかもしれませんけど、
性欲って自立に向かうじゃないですか。
性欲って家を作り出しますよね。
家族というもの。自分の。
つまり性欲というものが、
四歳児の男の子が持っちゃダメだという
エディプスコンプレックスの極めて典型的な話って、
結局お母さんは俺のものだからって言ったときに、
性欲と自立への不安
お父さんがお前どうやってお母さん養っていくつもりだよ
っていう話になるわけですよ。
ここに性欲ってものの基本的な機能がありますよね。
性欲には機能がある。
つまり家族を作り、家を作るという機能がある。
で、私は性欲がなかったわけですよ、ほぼ。
不思議に聞こえるかもしれませんが、
そんなに彼女が欲しくてなぜ性欲がないかというとですね、
家を作れる自信がどこにもなかったからですよ。
家なんて作れっこないだろう。
で、私はそういう意味で、
自立に対する強い不安があったわけです。
これは当然なんですね。
だって私が結局欲しいのは母の愛なわけだから、
自立とかしたくないわけですよ。
でも母は家を出るということを、
私に非常に強くプレッシャーをかけているわけですね。
無意識の中で。
だから私は家を出なきゃという意識が強いんですね。
だから家を出るとなると、相方が欲しくなるわけですよ。
ここに性欲の鋒がのようなものは確かにあるんだけど、
鋒がでになっちゃうんですね、わたしの場合。
彼女は欲しいが、セックスはしたくないんですね。
私それがですね、如実にそれが現れてしまったことがある。
これが如実に現れたのはどういうことかというと、
不能ですよ、要するに。
そういう問題に私はすごく悩んだことが、
悩むんですよ、これになると男は。
これがですね、数年続いてすごい厳しかったんですよね。
私この時に、女性というものは男性を求めるものなんだということを、
ものすごい勉強しました。
当時は、当然母がこういう人なんで、
性ってのはダメなものなわけですね。
母はもう精神的には男子になるっていうのがあったわけだから、
セックスでなよなよすると、とんでもないわけですよ。
どういうことが起こるかというと、
彼女とかを欲しがる男はつまりダメなわけですね。
私だからすっごいその辺で母とはこじれたんですね。
私は大学に行ってもすぐ教学とか行きたがるんだけど、
母はできれば男子大学みたいな、中央大学みたいな。
ディスってわけじゃないですからね。
あるいは工業大学とかに行かせたいわけですよ。
あるいは医師になってほしいみたいな。
そういうのは明らかには何になってもいいって平気で言うんですけど、
嘘なんですよね。嘘というか、本人はわかってないんだな、あれはね。
で、私はとにかく男子、男子男子した男になってほしいのに、
女子のいるところ、女子にいるところに行きたがる。
私が男子校に中学に行ったときに、母がことのほか喜んだのは、
有名子立だったってことがあるんだけど、
決してそれが第一の理由ではないんですね。
だから私はあんまり知的であるということに興味が向かなかったし、
知的生産とかがピンとこないのもわけがあるんですね。
母は決して私を頭のいい男にしたかったわけでは、
本音のところではないんですよ。
母は私をですね、武将みたいにしたかったんだと思うんですね。
だから、なんだかんだ習わせてることがそうなんですよね。
水泳とか野球とかスポーツに向かってる。
多分、世の母親が男の子に望むことって、
頭が良くて運動神経抜群とかだと言うことないんでしょうけど、
だいたいどっちかになりやすいじゃないですか。
どっちかというならば、母はですね、
なんていうんですかね、要するに運動系に行ってほしかったんだと思うんですね。
そういうのが間違いなく無意識にあったと思うんだけど、
ただ、母という人は非常に自立に、独立っていうものをすごいさっきも言った通り、
家が家だったから思考するので、馬鹿は嫌いなわけですね。
ここがややこしくて、要するに結局のところ、
ただ体育会系でスポーツ万能だけで、
それで食えるというほど簡単じゃないじゃないですか。
水泳の選手で食えるかっていうと、
オリンピックまで行っても難しいってことになっちゃうんで、
結局のところ頭が良くなってほしいってなってしまうんですが、
ここに妥協的なものが感じられるんですよ、実はね。
これはもうね、言っててすっごい細かいこと言ってるなって思われるかもしれませんが、
親子だとやっぱ分かるんですよね。
本音のところでは、私がやっぱこうないもないをしていて、
勉強だけはできますみたいなのは嫌なんですよ、母としてはね。
どちらかと言うと、喧嘩で負けません。
泣くことはないです。
走るの早い。
だから僕、走るの早いっていうのは、
母がすごいむやみに自慢にしてたんです。
母自身走るのも非常に早いんですね。
私からすると、
私立中に行く人間が走るの早くても何もならないわけですよ。
なのに母は走るのが早いっていうのが、
何かにつけて僕の話をするときに、
この子走るのは早いとかって言うわけですよ。
つまり、私の中でそういうコンプレックスが強くなっていきますよね。
勉強できてもしょうがないなって。
どうしても出るんですね、こういうふうになっていくと。
だから、向かないのに頑張っちゃう。
向かないのに野球部入るみたいなことをやらかすんですよ、私はね。
で、そこでいじめに会って嫌な思いをする。
自立の教育と依存心
これを僕は自分の人生では繰り返すパターンになったわけですね。
で、それはまあいいとして。
つまりこれはですね、自立を急いでいるわけですね。
ところが私にとっての自立っていうのは、
見てみれば彼女に頼り切る自立なんですよ。
ひもなんですね。
ひもになりたいという欲望がもう強いわけです。
しかもセックスもしないみたいな。
これ絶対女の人には好かれないですよね。
要するにこれは子供になりたいっていうことなんですよ。
男の子にさせてくださいということ。
一番したくないのが自立なんですね。
だから、この時に母の考えというのがいかに間違っているのかという。
つまり母はそうだったんだけど、性欲というものを嫌うから、
当然こういう人はですね、自分も男なんだから性欲なんか嫌いに決まってるわけです。
これを母はですね、女子とは全員そういうもんだっていうふうに、
私の中でこれを転移なんですけどね、要するに。
そういう女性感を私に植え付けるわけですね。
そうすると、私は女性にアプローチしなきゃならないんだけど、
全然できなくなるわけですよ。
なぜなら女性とは男が好きじゃないということになってるから。
非常に難しいわけですよね。
私の頭の中ではね、どうすればこれを何とか乗り越えられるんだろう。
しかも僕は性欲で向かっているつもりでいるから、
基本的に性欲で向かっていくわけです。
にもかかわらず、いざことが及ぶ範囲になると何にもできなくなってしまうという
アホみたいな事態を自分で引き起こすんですね。
だからこれをやるとですね、
もう本当に相手からすると屈辱的なものが当然ありますんで、
大変厄介な問題になっていくわけですよね。
これはすっごい僕はここまで条件が揃っているのに、なお分かんなかったんですよ。
なぜこうなるのかというのは全然分かってなかったんですね。
コーヒー飲みすぎかなとか、わけわかんないことを考えちゃう場合ですね。
コーヒー何の関係もないんだけど。
あるいは当時はよく飲んでたからビール飲みすぎかなとか、
ビールは多少関係あるか、
でも関係があるとは到底思えないのに無理やり関係づけるわけですね。
それっぽいものをネットとかで見つけるとやっぱりそうなのかとか思っちゃうわけです。
アルコールのせいにすると。
このわけのわからない因果率を脳は平気で自分を納得させるので、
絶対僕はやっぱり話がいきなり飛びますが、
かき上げ塾で言ってるのは正しいと思うんですよ。
のでからはいけないと思うんですよね。
コーヒー飲みすぎたから立たないとか、ナンセンスだと思いますね。
全然からでものででもないと思うんだけど、
僕の頭はそれで納得しようとしてたんで、
こういう因果率を人は早く信じ込む。
どんな陰謀論でも納得されるだろうなっていうのはこういう時によく思います。
自分の頭の中でしっくり来るわみたいな。
しっくり来ないじゃないですか。
でも当時はしっくり来てたんですよ、これで。
こういう風になっているので、自立というものがですね。
ようやくでも僕も前の構造とかですね、読んで読んで、
フロイトとかも何度もさっぱり理解できないまま実は読んでいて、
なんとなくこれは古い物語に影響されているんだということがようやく分かって、
マッチューリの少女と家なき子までは行き着いたんですね。
これが私に多分悪さしているだろうとは思ったんですよ。
本当に家がなくなる恐怖っていうのがあったんですよね。
必ずと言っていいほど夢で寒空の中ですね。
なぜか外で寝ていてですね。
なんだか顔見知りに唾を吐かれて、
殴る蹴るの暴行を受けて火つけられるみたいなね。
そういう夢を見るわけですよ、時々ね。
逃げ惑ってるわけですよね、自分はね。
すっごいだよだよしてるんですよ。
ありとあらゆるものが一つの点に向かっている感じが今なら分かるんだけど、
当時は当然これはこういう夢を見るのはやっぱりビール飲みすぎだからな、
みたいなそういうノリになっちゃうわけですね。
だからビールを減らそうみたいな、そうしてロツボにはまっているわけです。
ビール減らしても夢変わらないから。
この物語はこの前があるわけですね。
つまりここに今ここの転移ってものが出てくるんですけど、
古い記憶を呼び覚ますというだけでは十分じゃなくて、
やっぱりその記憶はどうしてできたのかっていうのが大事なんだけど、
これはもう親の教育の悪影響だってぐらいにしか僕は当時思えてなかったわけですね。
自立を急がせるということは意識は当然しているから、
自立を急がせる教育になってしまうわけですよ。
母は教育熱心だった、だからいけなかった。
だから私は彼女が欲しくなってお酒を飲んで悪夢を見るとか、
絶対わけわかんないじゃないですか。
でも僕の頭の中はこんなぐらいで納得してたわけですよ。
そしてやる気が出ないなと。
やる気が出ないんだから超整理法で何とかしようとか。
もうなんて言うんですかね。
半分正気を書いてるなって気がやっぱしますよね。
でも僕はこれでオンラインマガジンで連載書いてたわけですから、
難しいんですよね。正気なのか正そうでないのかをはっきりさせるというのは。
今の方が正気に近いと思うんですけれども、
そういう何て言うんですかね。
客観的な指標があるのかって言われるとそういうもんではないだろうな。
当時は夢見てたようなものですが、
だったら今だって夢見てるようなものなんじゃないのかというのは、
私からすると非常に受け入れやすい発想ではあります。
目が覚めるというのはぶったですけどね。難しいことですね。
家がきっこの前の物語は、
これはもう僕が頭の中ででっち上げた物語に違いないんですけれども、
これを原空想と精神分析では言うんですね。原空想。
思い出せませんね。
0歳1歳の頃に人間の脳が物語というものを形成できつつ、
ある時に空想する。
生まれて最初に意地。
これが原光系、つまりフロイド派なんで
お父さんとお母さんのセックスを見ちゃったってことなんだけど、
そうでなかったとしてもですね、
とにかく自分というものが周りというものに対してですね、
つまり内的世界を持つってことなんですよ、要するに。
心の中に空想世界を持っちゃうと。
良くも悪くもないんですけどね。
これが万能空想ということになるんです。
どうして万能空想かっていうと、
心の中の物語は何だってできちゃう。
私たちが持っている原空想の後に来やすい物語としては、
やっぱり日本人なんで桃太郎が来やすいですね。
あれは非常に小さい子供の心にビビットに来る。
僕もそういう印象が残ってます。
どうしてかというと、
自分の原空想にあった物語が現実に語られると思うじゃないですか。
これが理由ですよ。
私たちがドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとか、
最近ではゼルダの伝説が東洋に売れてるのが。
これが理由です。
心の中に私たちが意識できない物語を作って、
それとよく似た物語が現実に語られだすと、
おおって思うわけですよ。
しかもその中でゲームもできちゃうとか。
これが今の時代のすごいところ。
非常に衝撃を受けてみんな感動するわけですね。
だって自分の心の中で意識しきれないほど、
昔に作った物語が、
もっと洗練された形で目の前に現れるんだから、
それはやっぱり飛びつきますよね。
この原空想が私の場合には、
家無き子がおそらく響くような空想だったから、
簡単に言うと家無き子の劣化版だということになるわけですよ。
これはもう今話せばわかる通りですね。
これを私の母と父が、
おそらく父も一緒になって、
私に物語ってしまったわけですね。
つまり、なよなよしていると、
世の中じゃ生きていけないんだぞっていうのを、
うんと子供に向けて喋るような調子で喋る。
そういうテレビを親が見ているのを、
子供もわかる部分はほぼない、当然ね。
原空想と物語の関係
そういうふうにしてでも自分が見て、
見たものを使って空想を始める。
それは非常に地理滅裂な空想なんだけど、
その中には必ず恋しいお母さんがいて、
でもそのお母さんに家から出されて、
寒空の中でものすごい酷い目に遭うという、
そういう物語が僕の中にきっとあったわけですね。
それが家無き子を見ることによってですね、
読むことによって、
実はでも持続の子供でしたみたいな、
そして最後はハッピーエンドでしたみたいな、
感動するでしょ。
これを僕のそういう原空想を持った子供が、
その物語を読めば絶対感動しますよね。
しかも良い方に向かってブラッシュアップされてるわけですよ。
これがさらに洗練されていって、
洗練なのかわかんないですけど、
マロの方が出来がいいと思うんですけど、
僕の脳内では繰り返し繰り返しこの物語が、
更新され更新され更新されていく。
これは松木さんという方じゃなかったか、
ちょっとわかんないですけどね。
対象関係論の本の中に出てくる説明ですね。
それを僕がダイジェストにしているというか、
まさに私そういうことをやってたんで心の中で。
心の中でというか空想の中でですね。
繰り返し繰り返しブラッシュアップしていくと、
自立と依存の矛盾
どういう話になるかというと、
家を出ますと、家無き子なんでね。
母とは見限りをつけて家を出ましたと。
そして素敵な女の子が現れて、
その子がいろんなことをしてくれますと。
めでたしめでたし。
何にも家無き子から変わってないわけですね。
その女の子が貴族役なわけですよ。
今の時代に貴族はいないから、
何でも出来る有能な、
割とバリバリなんだけど、
でも私にだけ優しい。
なぜなら私はそこの家の子だから。
家無き子なわけですね。
こういう風に話をブラッシュアップしていくわけですね。
それに合致するような現実世界に生きようと頑張る。
ところがそれに上手くいかないので、
この間はその家無き子の
ルローの旅のような心境を持ったまま、
彼女は出来ないってだけなんだけど、
アトピーにはなるしね。
そういう風に、
そしてきっと路頭に迷うであろうみたいな。
そう言いながら実家でのんほど暮らしてるんですけどね。
ここに甘えってものがあるわけですよ。
つまり内的世界というものは実現しないんですけれども、
実現することがたまにはあるんですけどね。
でも実現しないわけです。
この内的世界の中のストーリーというのは、
私だけじゃなくて、
すぐ私たちはなぞらえて現実世界の中で、
そういうもんでしょう、当然でしょうみたいな顔をして
生きていくわけなんですね。
実際にはそうではないんだけど。
実際にどうなのかっていうことに気づくってのが
たぶん自立なんですよ。
この内的空想でやってる自立ってのは、
すごく空想的な自立なんですね。
ここにこだわっている限り、
自立にならない。
結局のところそれは、
親の物語を生きているだけなんで、
依存になってしまう。
自立と甘え
なんだけれども、本人はこれこそが自立だと思ってるから
超がんばるわけですよ。
いろんな万能的なものが入ってます。
私の場合は彼女が万能だったんだけど、
もちろん知性が万能だって人もいるし、
もっと非常に分かりやすい。
ここまで分かりやすいと極端なんだけど、
お金が万能だって人、当然いますよね。
自立なんでね、テーマは。
結局これは、
親からの愛情の世界に生きている、
それが内的世界の始まりなんですけど、
その中には、
当然、自立というものが含まれているわけですね。
親は子供の自立を多少とも願っているから。
で、自立を結局のところ、
内的世界の中で、
こう、あまあまに生きていきたいんですけれども、
そこから自立しなければならない。
その時に新しい内的世界を作り出しましょう。
これがエリフスですよね。
私、お父さんになります、みたいな。
だから、自立して新しい父親的世界を、
結局、私はこれは、
ある種不毛だなって思ったんですけれどもね。
父親の世界に出てきて、
父親になって父親の世界をまた作るってわけですから、
だからここでですね、
やっぱりその人その人の、
子育て感みたいなものが出てくる。
ないとおかしいと思うんですね。
同じものを踏襲すると、
同じ失敗を繰り返すことになっちゃいますんで、
ここでやっぱり、
私はそこは、
一応過労死で気づいたっていうのは、
自分自身意識化できたんで、
子育てには一応、
反映させているわけですよ。
自立を急がせないという。
下手にやってしまうと、
やっぱりこんなに甘くしていては、
世の中に通用しないんではないか、
みたいな恐怖感が出てくるわけですね。
この恐怖感は当然、
私の母が強く持っていたから、
私に当然コピーされているのは、
当たり前なわけです。
こういう時に、
例えばGood Vibes流にカウンターするわけですよ。
対抗して、
いや大丈夫だかっていうのを、
少々強がりでも、
ここで母のプレッシャーを押し留めていく。
母のプレッシャーとしても、
具体的に母が電話をかけてくるわけではないので、
そんなことをしなくても、
私の心の中で、
母が騒ぎ出すということが、
実際に起こるわけですね。
これが内的対象の話ですけれども、
こういう風にして、
話が進行していくので、
やっぱり新しく、
自立した家というものを作ったらですね、
そのルールに、
どのくらいそのルールが、
原空想から来ているのか、
つまり原空想は、
親の空想なんですけれども、
そこからどのくらい来ているのかというのを、
認識できると、
この問題の解決策に、
相当程度近づけるんですよね。
私はもう今、
やる気発掘の最大のやっぱり、
解決策は、
この愛の凍結を解除することです。
これに尽きる。
これをやっておけば、
やる気というものは、
自分の中からいくらでも出せる。
この話をすると、
すごい羨ましがられる可能性があって、
どうすりゃいいんですかって、
言われるかもしれないですけど、
これはですね、
多分失望されると思うんですけれども、
非常に簡単なんですよ。
そこを賢にあるんですよ。
やる気というのか、
気持ちというのかを発揮する、
きっかけというのか、
機械ですね、機械。
これはそこ賢にあるんですね。
なんなら愛を、
なんていうんですかね、
愛で、
愛の選択をするって言ったかな、
くなどぐさんは、
グッドワイブステクラスのけいぞうさんはですね、
愛の選択をする。
非常にそこ賢にあるんですよ。
で、できなくてもいいんですよ。
私がいつもすぐに、
即座にできたかというと、
そういうわけではないので、
できなくてもいいと思うんですよね。
できないってことに気づけば。
で、できないってことに
気づいたときに、
そのできないと言っている、
言っているというか、
できない感じっていうのは、
自分は好んでいるかどうかっていうのも
大事だと思うんですよ。
いろんな意味でですね。
多分好きになれる部分があると思うんですよ。
そこが自分の自立だと思っているから。
でも嫌だなと思っている部分もあると思うんです。
そして、
愛を発揮しないということ、
つまり、
愛を発揮しないというのは難しいんですよね。
言い方が。
怒りの選択っていうふうに
クラゾンさんがおっしゃるんだけど、
怒りだと思えない人もいっぱいいると思うので、
怒りというのを、
ここに定義を持てばいいだけなんだけど、
要するに、
愛を使わないっていうときに、
これが自立になっているのかどうか
っていうことを
検討すればいいと思うんですね。
愛を使わないのは、
多分僕は自立を思考しているからだろうと思うんですよ。
つまり、
そんな甘いことでは通用しないっていう人は、
通用するやり方は甘くない
っていうわけじゃないですか。
通用するためには、
ちょっとは残酷だったり、
過酷なことをしなきゃいけない。
この辺に、
怒りというのか攻撃というのか、
要するに、
分離っていうのは、
そういう話なんだけれども、
そんな甘いことでは通用しないよ
って言ってる人っていうのは、
苦いことをやらなければダメなんだよ
っていう話をしているはずなんですよね。
何らかの意味。
雰囲気で喋ってるときは、
よくわからないかもしれませんけれども、
例えば、
難しいんですけれども、
いろんな意味がここにありますよね。
子供が勉強したくないって言ったときに、
そんな甘いことではって言ったときには、
嫌でも勉強しなければいけないとか、
眠くても勉強しなければいけないとか、
お腹が痛くても勉強しなければいけないとか、
そういう話ですよね。
つまり、
お腹が痛いということに対して、
私はケアしないよって言ってますよね。
親が言うんだから。
突き放すよって言ってますよね。
ということは、
逆に考えてみると、
その親がですね、
子供に好かれたいなと思ったとき、
いやお父さんはあの時ケアしてくれなかったから、
私もしないよっていう態度に、
こういう話はしょっちゅうあるんだけど、
出られる可能性を含みます。
愛の選択
それでも私は厳しくしたいんだ、
っていうときに、
分離ってものを覚悟しなきゃならないじゃないですか。
ここに、
えっと、
ここにですね、
よく愛のムチって表現があるんだけど、
愛情があるが故にこうやってるんだ、
っていう話があったとして、
これをそのまんま、
そのまんま受け止めるのは多くの場合無理だけど、
そのまんま受け入れたとします。
愛があるが故に、
分離の選択をするんだっていったときに、
お互いが、
一見冷たくなってもいいんだっていったときに、
例えば、
でもいつかわかってくれるっていう気持ちがあったとすると、
それは甘えですよね。
だからここに甘えはやっぱり残っているわけですよね。
つまり、
ストイックに走ったとしても、
えっと、
ストイックに走ったとしても、
自分がイメージしている自立ってのは、
その通りなのかっていうと、
多くの場合そうではないはずなんですよ。
やっぱり、
いつかこの子もわかってくれるだろうって思ってるとすると、
それは親の側の甘えですよ。
わかってくれなくてもいいんだって思って、
完全に距離が空きました。
でも、
娘は自立して頑張ってます。
自分も、
老後が一人ぼっちだけれども、
頑張ってますっていったときは、
その人はやっぱり何かに依存しているはずなんですよ。
何にも依存していないってことは、
考えられないと思うんですよ。
でも、私には妻がいるとか、
心のどこかでは、
何かを持っていると思うんですよね。
そういう人生とは、
そういうものだみたいなのも、
一つの甘えだと思うんですよ。
だから、
ここから完全に逃れるってことができない、
という風になっていくと、
えっと、
やる気を出すというのは結局のところ、
なんていうんですかね、
甘えるってことになるんだと思うんですよね。
他にはあり得ないと思う。
このストイックな、
相当無理やり力を発揮しているときにすら、
甘えというものが低流に流れていることが、
ほとんどなんで、
これはですね、
実際にそれを選択するときに、
意識すればまず確実だと思うんですよ。
意識一切せずに、
そんな甘えことではダメだっていうだけで、
スルーすると、
分かんなくなってしまうんだけれども、
そこに、
苦いけれども頑張るっていう意識が、
きちんと働いていると思うんですよね。
それに気づけばですね、
別に、
愛による選択ということが
できなかったとしても、
まずそこを意識するっていうことが、
私の場合には、
すごく有効に作用したんですよ。
つまり、
やる気を出すというのは、
その前段階に、
絶対に愛の選択ってのが、
凍結されたままでは無理なんですね。
実際には。
愛の代替物
あの、
なんていうんですかね。
完全にストイックだけで動いていた、
なんてことは一回も多分ない気がする。
だいたい、
お金があるから大丈夫ってのは、
じゃあその時はやる気が出ないから、
仕事しませんって話ですよね。
やる気は出ないってことになりますよね。
お金はあるかもしれないけど。
つまり万能なものに
追っかかる時っていうのは、
私たちはそれを愛の代替物にしているつもりでいるんだけれども、
そうはなってないんですよ。
愛であるってことは、
動けるはずなんで。
そうですよね。
愛があるのに動けないってことは、
ないわけですよね。
非常に極端な話をすれば、
何か食べるってことは、
その食べ物を愛してるってことになりますよね。
口の中に入れて、体の中に入れちゃうわけですからね。
で、
これを代替物として、
点滴で注射しますっていう話になった時には、
遺伝として自分は受け入れるっていう体制は
整ってると思うんですよ。
そうでなかったら、
それはもう、
医療虐待みたいな何かになってしまいますよね。
無理矢理点滴打ちとかね。
そういうふうなことは、
私たちの世界では、
滅多なことでは起きない。
だから、やる気がゼロです。
っていう時の代替物として、
例えばお金ですとか、
さっき私が途中で言ったような、
万能な彼女ですとか、
自分は何にも発揮しないという意味なので、
やる気の代替物にすらなってはいないんですよね。
実際には。
もっと言うと、
そんな現実は実現しないので決して。
私、原理、
私の内的空想は、
ついに実現しないままでしたから。
内的空想の現実化への欲望
これに長らくこだわってたんですよね。
結局、
これを夢、
この夢をリアルで見るために、
アメリカまで行ったわけですよ。
これって、
すごく今時のバーチャルリアリティで
ゲームするっていうのと似てるじゃないですか。
構造は同じですよね。
原空想を人々は持ってると。
親の与えてきた空想を子供は持ってて、
それで物語を紡ぎ始めましたと。
もちろんそれは覚えてないんだけど、
何度も何度も何度もブラッシュアップして、
それに相当するような桃太郎とかを読むと、
今度はそっちを何度も何度も何度も読む
っていうことになって、
どんどんどんどん、
自分の原空想を元にした、
何度も何度も何度も
自分の原空想を元にした
内的な空想が広がっていくんですよね。
これと全く同じ、
この気持ちを完全に
満足させるようなものを、
なるべくリアルで
見たいから、
VRゴーグルをかけて
見るわけじゃないですか。
おそらくそういうことだと思う。
これは完全に、
お前の世界に完全な形で実現させて、
完全に浸りきりたいっていう、
欲望だと思うんですよ。
これは絶対に、
リアルの
愛の世界の
大会にはならないはずですよね。
今の話からしても。
空想に生きようって話を、
最初からしているわけだから。
意識はできていなかったとしてもですね。
だから、
これを、
このめちゃくちゃややこしい構造を、
引っ張って出して来なくてもですね、
一番最初のところに戻れば、
いいわけです。
親に愛されたかった気持ちと埋め合わせ
親に愛されたかったんだよねってことなんですよ。
だから、
それを実現するためには、
こう愛せばいいわけですよ。
こうじゃなくてもいいわけです。
結局。
でも、
この話は一致しない感じがすると。
どうしても、
親に愛されなかったという気持ちを、
こう愛するという形では、
埋め合わせではないんだけどね。
これが要するにリアルな形の、
おそらく唯一の形だと思うんですけれども、
それではダメですというのであれば、
それがやっぱり、
そこを成立させないように頑張っている。
代わりに、
なんとか代わりのもので、
埋め合わせたいと思っている自分の、
その代わりのもので、
どう埋め合わせているのかというのに、
意識を回せばいいんだろうと思うんです。
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