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2021-10-01 38:01

【GMV 468】信頼して手放す

不安を止めるのか、手放すのか?
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
もうすごい天気です。
とうとうですね、今日オンライン合宿ということになって、
まだですね、なんと今日でも合宿なのにオンラインだから申し込みができるという形になります。
だからですね、例えば今日会社とかでコミュニケーションで苦しいなと思ったら、
夜から明日の朝にかけて、朝にかけてやるわけじゃないけど、
明日、今日明日とありますのでコミュニケーションのトレーニングですね、コミュトレを検討してみてください。
例えば、今朝家庭で揉めたとかいうことがあったら、ぜひですね、今夜からコミュトレありますので、検討してみていただけるといいかなと思います。
対象の値段より下がってますからね、冒頭5万円だったんですけど、今3万円に値下げしております。
オンラインなので結局ホテル付きとかいうわけじゃないですから、ご自宅で寝泊まりされるってことになりますけど、
これは有効費じゃないので、あくまでもトレーニングの参加費用ということになりますので、
僕の感じではですね、カウンセリングとは全く違うし、だからといって多分コミュニケーションスキルをアップする、結局そういうことにはなると思うんですよね。
余談ですけど、これも精神分析の考え方とひどく似てるところがあるなと思うんですよ。
多分フロイドのセリフなんですけど、精神分析というのは、それによって症状が良くなるとしても、それは副産物だという言い方が確かあったんですね。
それでいいのかということも言われなくもなさそうな話なんですが、グッドバイブスの考え方もすごくそれに近くて、
それによって人間関係が良くなるとか、仕事がはかどるようになるとしても、あるいはコミュニケーションが上手になったとしても、それは大体副産物なんですよ。
さすがに精神分析よりはダイレクトに言ってます。じゃないと時間がかかりますからね、もっと。
1日半とか3回とかで効果を上げるにはやっぱりさすがに真っ直ぐな介入みたいなことも必要なんですけれども、
とはいえ、やっぱり僕は副産物だろうとは思うんですね。
だいたいコミュニケーションが上手になるというのは、やっぱり副産物の方が良いと思うんですよ。
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コミュニケーションスキルをとことんテクニカルにやって上手くなるというのだと、内面には不安が強く残っちゃうと思うので、逆の方が良いですよね。
口数が少なくてもリラックスできていれば、この種のことっていうのは大体OKだと思います。
そういう考え方で私は今日やるという話ですね。よろしければぜひご参加いただければと思います。
助言人数は決まっておりますが、多分そこまでは今日中に行くことは、意外とオンラインで申し込めてでも不思議で、
9割以上当日に殺到みたいなケースもなくはないんですよね、これまでの経験で。
やっぱりほら、ギリギリまで迷えるじゃないですか。その日の体調とかも当日になるまでわからないですよね。
そういう意味では、これまでのリアルセミナーってすごい意味だなって思うんですよ。
この辺もやっぱり余談で精神分析とかカウンセリングの話になっちゃうんですけど、
そこをそういうふうに約束した日に来れるか来れないかみたいなのも結構大事な要素だったりもします。
でもオンラインになってくると割とその辺は楽にはなるんですよね。
そこには良いことも悪いこともあるんだけど、良いことの方を享受できていれば、
特に今日みたいな台風ですみたいなことになってしまうと、
そんなことはかつて一度も目論んだことはないけど、伊豆諸島で合宿でしたみたいな、
アウトじゃないですか。どう考えても。
だからオンラインにはそういうメリットがあるのは確かですよね。
ちなみに精神分析というのは、私は実際のところほとんど知らないんですけれども、
多分こういう天候でいけませんでしたというキャンセルをした場合でも取るんですよ、お金。
これすごい大事なポイントなんですよ。
普通じゃちょっとね、今日みたいな日は取らないかも分からないんですけど、
分析家の判断っていうのも大きいと思うんですが、取るっていうのが基本線なんですね。
何でなのだって話になるじゃないですか。
それはですね、多分ここでは散々喋っていることですけど、
母子関係というものを、母子関係を疑似的に設定すると、
そういうことになった場合、それをいつでも断ち切れるっていうことが大事なんだと思うんですね、やっぱり。
疑似的な母子関係って言っても精神が不安定な人がそれをやるわけですから、
のめり込んでいきますよね。
例えば、私がすごい世の中に不信感いっぱいで辛くてしょうがなくて、
精神分析の女の人がやってくれていて大変優しいという状態の場合、
のめり込みますよね。
こののめり込むのはいろんな意味で大事だと思うんですが、
ここで料金の解剤というものがビシッと決まっていなかったら、やばいんですよね、逆に。
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この関係はあくまでも疑似的なものだっていうことを、
都度都度思い出さなければいけない。
だから時間とお金に厳しいんだと思うんです。
必ずしも話を聞いてもらいに行くわけじゃないってことですよね。
その関係性を提供すると、ある意味ではだから、
分析を受けていない時間も受けているのと同じことになるんだと思うんですよ。
だから東方さんの心はどこに消えたでもありましたけれども、
修了を非常に重視するっていう考え方があるんですよね。
一つの文化だと思うんですけれどもね。
そういうことに、僕は今日、
先日、ぶっちゃけ相談で相談いただいた件なんですけど、
正しさを手放すとか、意味づけを手放すとか、
グッドバイブスでは倉園健三さんが本で書かれているんですけれども、
言いますが手放すと。
どうやって手放すんだというお相談になったんですね。
で、私はその手放すっていう言葉を、
まずそもそもどうして選んだかということを
倉園さんが説明してくださったんですが、
私はその手放すっていうのは全く正しいなと思ったんですよ。
それはやっているうちにじわじわ感じていったことなんですね。
手放すというのは必ずしもカウンセリングでは
全く出てこない表現ではないと思うんですけど、
一般的な言葉だから、
必ずしも重要なキーワードとしては出てこないなと思っているんですが、
例えばイリュージョンを止めるでもいいんじゃないかと。
で、私はその止めるでもいいかどうかということよりもですね、
ということよりもというか、
まず私は難しいケースでは止めるということが先に
私の場合ではですね、行われていたなと、
自分はそうしていたなと思ったんですね。
まず止められるようになってから手放すんだなって思ったんですよ。
これはいろんな意味があるんですが、
一番ですね、私がこのことで考えたのは連載のことなんですね。
連載っていいんですよ。
いいって言ったのでは意味不明ですが、
私の仕事の関係者っていうのは、
タスクシュートの最初をやって、
私と仕事をやってくださった大橋裕三さんしか最初はいないぐらいの勢いだったんですね。
今は倉園圭三さんと大橋裕三さんというのが一緒にやっているメインパートナーなんですけど、
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そこにさらに関係して参加してくださっている方と、
その関係性の中でつながっているわけですが、
それとまたもう一線別に私の仕事の世界にはそれだけじゃないということだけど、
つまり本の編集さんというのがいらっしゃるわけですね。
さらにもう少し私の本を作っていくというのが、
連載の編集さんというのがいらっしゃったんですよ。
この関係が難しいなというのがもう最後の最後まであって、
いろんなことをつどつど思い出すんですね。
連載というのは良いってさっきも言いましたけど、
その連載というのは、
本というのは結局出すときに印税が入る。
これが大きいけれども、
純判が出ない場合は一回書いて一回いただいて、
それでおしまいですよね。
連載というのは、
本を出すときに印税が入る。
これが大きいけれども、
純判が出ない場合は一回書いて一回いただいて、
それでおしまいですよね。
次に本を書く機会が別に保証されているわけではないので、
そこのところをすごく考えてしまうんですね。
考えても考えない人もいるかもしれないんだけど、
私は考えてしまうんですね、やっぱりね。
そういう性格があるわけですよ、不安だと。
だからこのGOOD VIBESで私は結構大きかったのは、
この不安を手放すということができずつあるのが大きいんですね。
この不安を手放すことができれば、
フリーランスでいることに不安を覚えることはないんですよね。
でも昔はGOOD VIBESなんか知らないわけだから、
不安なわけですよ。
不安だとどういうふうに考えるかというと、
連載したいんですよ。
本を書くと一番いいのは、連載したものが本になっちゃうということなんですよね。
生産効率的にはそれがベストなんですよ。
よくそういうことを目論んだものです。
目論んだというか夢見たというか、そうであるといいのにと。
ただ今は別にそうは思わないんですけどね。
これ結局不安というものに、
今でも連載しそれが本になれば都合はいいと思いますよ。
ただ、そうなることが私の人生にとって何よりいいことなんだとは思わないんですよ。
そうなることが私の人生にとって何よりいいことなんだと思うのは、
連載してそれが本になるということがいいことだというだけならいいんだけど、
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連載して本になることによって収入と生活の経済面で安定するからいいと考える。
安定するとなると常にお金のことが不安なんですってことになるじゃないですか。
それは当然のような気がするんですよね、やっぱり。
ところがそれはよく考えてみると全然当然ではないんですね。
このことは大事なことだったんですよ。
大事なことだと思うんですけれども、
最初に真っ先にグッドバイブスで黒澤圭三さんに僕が相談したのはこのことだったんですね。
先行きが不安だということだったんですよ。
ところがよく考えてみると先行きが不安じゃない人っていないんですよね。
会社員だったら先行き不安じゃないだろうって思われるかもしれませんが、
今のような時代、会社員だから先行きが不安じゃないってことにはならないと思うんですね。
公務員ならいいのかもしれない。
でも、私最近いろんな公務員の方の結構大きな事件とかを見ていて、
やっぱり経済面の不安がなくなることが将来のことを悲観しなくなることとイコールで結ばれるわけではないんだと。
これはもうこんな話をしても無駄だなと思うんですけどね。
40歳半分くらいまで生きてきて、そういうことを考えるようにはなったんですよ。
例えば今日こんな天気ですけども、早々学校は休みにならないんで、
この辺が公務員の生活が保障されていることと多少関係あるんでしょうね。
娘は学校に行くと事故に遭うかもしれないじゃないですか。
お金何億あろうとそっちの不安の方が大きいんですよね。
これも何と言おうと意味はあんまりない言葉です。
そんなことはないだろうと言われてしまえば、その人にとってそうでないということですよね。
つまりどういうことかというと、手放さなきゃならないんだなってことなんですよ。
子供が危険な目に合わないようにガチガチにホールディングしたいという親御さんがいるのは当然だと僕は思うんですけど、
いくらグッドバイブスで言っても僕はあんまり意味ないなって思ってるんですよ。
僕の中でそういう部分って消えないですからね。
これが消えないということと、
例えばお金がなくなるという心配が消えないということは同じじゃないんですよね。
お金がなくなるという心配は僕は消えると思うんですね。
ここは社会的なものなので、やっぱり人に言われていることってデカいんですよね。
例えば誰かに、誰かにっていうか、例えばですが、本の編集さんとかに、
現にそういう話が出ることはあるんですけれども、
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例えば週に2つの連載を持って行くと、
すごく精神的に安定されているようです、みたいな話をされると。
こういうイメージって持ちますよね。
持つからこそ私のような、ある意味この道に入った時には完全にの素人だったのに、
もう関わらないような気持ちを持ちますよね。
そういうイメージが持ちますよね。
そういうイメージが持ちますよね。
そういうイメージが持ちますよね。
そういうイメージが持ちますよね。
持つからこそ私のような、ある意味この道に入った時には完全にの素人だったのに、
もう関わらず、ちゃんとそういうことを考えるようになったわけですよ。
これって人から吹き込まれているじゃないですか。
親とかもそうなってくれたら安心だとかって言うかもしれないじゃないですか。
うちの親は言いませんが。
これと、娘が事故に遭うのは嫌だって思うのは、
これ吹き込まれているようなことじゃないんですよ。
確信的に自分の中から上がってくることなんですよね。
だからこっちだってグッドバイオスで手放そうと思えば手放せると僕は思うけど、
こっちの方がずっと難しいと思います。
前者、連載からお金を確実にみたいな話はひどく簡単なんですよ。
それはイリュージョンなんで。
そういう人もいるっていうのがイリュージョンなわけじゃないですよ。
でも私の心の中に浮かんでいる、そういう作者さんの精神的に安定しているであろう、
週に2回書いていて、それが本になる。
非常に図式的ですよね。
何を書いて、どういう本になって、どんな絵柄で、読者はどう感じているのか、
一切ここ省いていますよね。
お金と週のルーチだけですよね。
一見したところそういうのって現実のように見えるんですよ。
昨日の話とよく似ていますね。
イリュージョンっていうのは、そういう形をとった時、
人から吹き込まれた上に社会的な形態を整えてやってくる時、
ひどく現実的に見えるものなんですよね。
ただイリュージョンなんてものは、
頭にリアリティというのはこういうもんだぞっていうのを多分、
強制する何かがあると思うので、
昨日言ったようにガスコンロの火消えてないかもっていうのでも、
すぐリアリティを持っちゃうんですけどね。
だから実は社会的な体裁云々っていうのはですね、
より強いイリュージョンを確固たるものにする上では役に立つかもしれないけれども、
実際そんなのなくたって、
どんなことでも、
口頭向け極まりないことでも、
信じ込むということを脳は簡単にしてしまうところはあります。
ありますけど、
特にこの種のお金の不安、
つまり社会的なものを持ってやってくる不安と、
それを解消できるかのような、
またそういうことを実現できている人がいる不安っていうのは、
本当にですね、
それのどこがイリュージョンなんだって人が思うほど、
ある意味ズーズーしいんですよ。
ズーズーしいイリュージョンだって思うんですよね。
これは誰かのせいでは全くないと思うんです。
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そういう話をしてくれた編集さんのせいとかじゃないんですよ。
私の頭が悪いんですよ。
頭が悪いっていうのは、
ちょっと違う文脈ですけど、
こういうろくでもないことを簡単に飲み込んでしまう。
疑ったっていいわけじゃないですか。
私は大学の時代に、
目の前にある木が本当に生えてるんだろうかで
疑おうと一生懸命になってた。
マトリックスの映画みたいな人間なんですよ。
ああいうものをすっごいいつも空想していたのに、
そんな見たことも聞いたこともないようなものを
頭から信じ込むべき理由なんか何にもないですよね。
このまま本だけ出してたら無一文になるのかとか、
まるでそれじゃ詐欺じゃないですか。
あなたこのまま本だけ出しててもダメですよと。
ここに投資しなさい。
簡単に騙されそうじゃないですか。
そういう時こそ、むしろ猜疑心というものを
発見するべきタイミングですよね。
私のところにちょっと投資すれば
将来は連載をすることができるようになりますとか、
簡単に騙されそうですよね。
不安につけ込まれそうですよね。
こうであってはやっぱり良くないんじゃないかと思うわけです。
すいません。
グッドバイブスで手放すという時に
必ず出てくるのは、最初は手放せないわけですね。
この種のことってなかなか。
ただ私は連載というのは実際にやってみると
実際にやってみてるわけです。
結構恵まれてたと思うんですよ。
パナソニック、パソナテックさん。
でも連載とはちょっと違うけどやらせてもらったことがあり、
日経ビジネスオンラインは一番最初の連載ですし、
日経ウーマンのオンラインでもかなり長くやらせてもらっているし、
その他、少なくとも3、4ヶ月ぐらいは
紙の連載もやったことがあるんですよね。
紙の連載は大変ですね。
間が空いてても大変です。
電子の連載は紙の連載に比べれば全く大変じゃないんですけど、
それでもやっぱり毎週毎週となると大変なんですよ。
ITメディアでも書かせていただいたことがありますね。
毎回毎回思うのは、このイリュージョンが厳しくなっていくんですよ。
これを失ってはいけないみたい。
しかも失っていく感じっていうのがあるんですよ。
どっちもイリュージョンですよ。
だって失っていく感じなんて私が持ったところで何の意味もないんですから。
打ち切られるときはパシッと打ち切られますからね。
この時に私はやっぱりですね、
これ早く知っておいたらよかったかなとは思うんだけど、
これももう後から知るんですよね。
ウィニコットの母子一体って非常に強く感じられます。
私は子ですよ。
出版社が連載を提供してくれてお金もくれるところが母ですよ。
21:05
なんならお金はおっぱいですよ。
で、一体になっているときはいいんですよ。
非常に一体になって、
連載をさせてくれる会社と書く私が一体になっていて、
母子がワンユニットになっていて、
その中ですっかりこれで私なんだって思っていられる幸せな時期があるわけですよ。
ところがお母さんは姿を表してしまう。
これが一体になって、
お母さんが対象としての母という表現をするんですけど、
対象としての会社が出てきちゃうわけですよ。
実は会社には会社の都合があるんですよって。
それはそうなんですよ、当然。
でもこっちはそれに一体になっているんです。
一体になっているというのは、
まずお母さんが一体になっているからです。
実はお母さんが一体になっているからです。
そうなんですよ、当然。
でも、こっちはそれにショックを受けなきゃいけない。
会社には実は会社の都合があってね、と。
ミルクも無限に供給されるわけじゃないんですよ、と。
なんならこの数字が、こういう読者の数字っていうのがあって、
実は会社はですね、あなたのために頑張ってるんじゃなくて、
この数字のために頑張ってるんです、と。
そこにお父さんが出てきちゃうわけですよ。
現実原則が出てくる。
お母さんが好きなのは実はお父さんだったんですよ、と。
こういう話ですよね。
外側があったんですよ、と。
で、こっちはですね、一体だったはずなのに、
実は母と自分に分離した、
あげく、母は実はこっちじゃなくて違うところを見てた、と。
いうことに気づくわけですよ。
現後継ですよね。
阻害されてるわけですよ、私は。
この数字がダメになったら、あなたは切り捨てられるのよ、と。
お父さんが捨ててきなさいと言えば、あなたは捨てられるのよ、と。
いうことですよね。
えっ、と思うじゃないですか。
思いませんけどね。
常にこれがでも、ちらつかされればですね、
私は常に母親の顔色を伺うようになるわけです。
えっと、つい顔色を伺ってしまう、私を手放す方法という本が、
えーと、間もなく出ます。
えー、顔色を伺うんですよ、お母さんの。
お母さんに捨てられないようにしなきゃ、と。
そのためには、どこにいるのかもよく分かんないのに、
お父さんの顔色も伺わなきゃ、と。
それは、PVというような数字だったり、
えーと、固有なんとかとかいう数字だったりするわけですよ。
その上下を毎度毎度見ては、
これが高く跳ねているあなたの記事はこういうものでした、と。
そういうのを書けるんだから、どんどんそっちばっかり書きなさいって。
そうは言われませんよ。
でも、要するにそういうことなわけですよね。
で、いやいや、結構最近は、その一番大きい数字まではいかないけど結構いけてるぞ、みたいな感じだったり、
24:01
えーと、今日の読まれている記事、ランクイン5の5位とかに入れているし、
しばらくお父さんも僕をお家に置いてくれるだろう、とか思ってるところで切られるわけですよ。
4月から新しい体制になりまして、
佐紀さんには本当にお世話になりました、とかって言われるわけですよね。
なるほどな、と思いますよね。
で、これが虚勢恐怖っていうことになります。
切り捨てられる不安ですよね。
えー、1個だと思ってたのが実は3つあると。
常にこうですよ、3つなんです。
2つしか意識できないときは、それは妄想分裂ポジションであって、
嫌だ嫌だ嫌だって言ってるだけなんですけれども、お父さんが見えてないわけですね。
お父さんが見えてるときというのは、もう1、2、3ですよね。
えーと、私の心の中にこの構図が一応イメージできると。
愉快なものではもちろんないですよ。
けれども、まあ一応イメージできると。
そして、こう、まあしょうがないなって思うわけです。
でも、このまあしょうがないなの中にはトラウマがある。
非常にこう、なんて言うんですかね、まあ、
ありきたりな言葉だといい勉強になるってことになっちゃうんですけど、
もっと違うものがあるんですよね。
やっぱり非常にこう、私はこの一連の体験が、えーと、すごく良かったなと思うんですよ。
リアルだったから。
えーと、辛いというのはあるにせよ、やっぱりリアルっていうのは良いものですよね。
あのー、図式じゃないんですよ。
頭の中で勝手にでっち上げられる世界とは違う。
そのー、絶え間なく供給されてくるわけじゃ当然ないですし、そんなことはわかってるんだけども、
えーと、自分の中のもっと対抗ですよね。
子供の部分は、やっぱりいつもおっぱいを吸って痛いじゃないですか。
えーと、そんなに高いお金じゃなくてもいいから、
えーと、常時供給されてくるというのはとても安心感がある。
でもそれはやっぱり、雨が降ってくるようにミルクは降ってこないんですよ。
こういう夢を見る患者さんがいらっしゃるんです。
雨が降ってくるようにミルクが降ってきたと。
非常にスキーゾイド的な夢ですよね。
えーと、お母さんというものを非常に求めている自分の心があるわけですね。
それはもう、天なんですよ。
リアルの天なんですよね。
空から降ってきちゃうと。
そうであってほしいと言うこともあるのかもしれませんし、
長らく雨が降ってこないのかもしれないですよね。
とにかくそういうことってありまして、
で、そういうリアルなものっていうものに接するんですよ。
やっぱり会社は母親じゃないし、
自分は子供でもないし、
PVはお父さんではない。
そういうことも当然同時に感じるわけですよね。
まあ当然ですけどね。
でも会社は母親でもあるし、
PVはお父さんみたいだし、
自分は子供みたいなんですよ。
そういう面もあるという。
それがまあ意味づけなんですけれども、
そうやって自分が阻害されたということにショックを受けるんだけれども、
27:05
阻害されるからいいわけじゃないですか。
阻害されるということは現実だってことですよね。
現実にPVは私の外にあるから、コントロールはできないと。
お母さんがお父さんが好きなのはしょうがないことですよね。
あの、倉津野圭三さんの書いたブログを思い出すじゃないですか。
思い出すんですよ、私はここで。
彼らは彼らのものです。
何の問題があるでしょうっていうやつです。
いやいや、問題あるしと思いますけどね。
彼らは彼らのものなんだけれども、問題はあるんですよ。
やっぱりね、できれば彼らは彼らのものであって欲しくないと思っているところがどっかにある。
どっかにあるというのは、自分が非常に赤ん坊っぽいところがあるわけです。
それじゃ生きていけないわけですよね。
でも、自分は生きていけると思えれば生きていけるんですよ。
これが現実ならなんとかなるっていう表現も取られているし、
価値MAXと言ってもいいんですよね。
で、相手の価値がMAXだったとするじゃないですか。
MAXと言わないまでも相手の価値はとっても高いというふうに見なせていればですね、
相手の判断はそれで正解だったって考えるんですよ。
この時、僕はよく娘のことを思い出すんですよね。
娘が、例えば私にはもうできないことをやっている。
バイオリン弾くとか、バイオリンでコンクール出るとかね。
で、今ならば解けますが、
たぶん小学校6年の頃の私では解けない問題をすでに解いていると。
もう娘が自分の判断でやるっていうことをやってもらうしかないよなと。
彼らは彼らのものなんですよ。
何か言いたくなりますよね。
ここはこうした方がいいんじゃないかとかした方がいいんじゃないかと。
これどういうことなのかというと、手放せないってことなんですよね。
もちろん言いたくなりますよね、連載であれば。
佐々木の首を切らない方がいいんじゃないでしょうかと。
でも彼らの価値が高くてMAXであるならば、
彼らの判断は彼らのものなんですよね、やっぱり。
そういうふうに考えないと、私の価値はMAXにはならないじゃないですか。
えーと、私の判断の都合に合わせて彼らが動かなきゃならないとなると、
娘であれば簡単にわかることですが、
彼らの価値は私より低くなきゃいけないことになりますよね。
彼らの判断間違ってると、娘の判断間違ってると、
私の方が正しく判断できるってことになると、
絶対こっちの方が上だってことになりますよね。
ということは、彼らにしかできないことを娘がやって、
私にはそれができないことになると、今度は逆転しますよね。
向こうの価値が上になり、私の価値は下になるということになる。
こういうことが起こるというのは困るんですよ、一番。
30:03
こういうことが頻繁に起こるようでは、現実はちっともなんとかならないですよ。
誰か上の人にハーッてやって使えるか、
さもなく、そうでなければ自分が一番上になるしかないと。
どっちも無理そうですよね。
どっちも無理そうな気がします。
一番上だと思っている人に使えていくというのは一見良さそうですけれども、
極めて危険なことですよね。
それより上の人が出てきたら何が起こるかわかんない。
これさっきのですね、いざとなったら父親に切り捨てられる自分、
つまり一番弱い時の自分に戻ってしまうということを意味するんだと思うんです。
逆にトップに立つということになってくると、
それはもうなんか中国で一番上の国家主席より自分の方が偉くなるまで頑張るって話になって、
到底できそうな感じがしないわけ。
偉くなるというよりは、あれよりも権力が必要だって話になりますよね。
で、手放すって話になるんだと思うんですけれども、
この手放すという言葉には、やっぱり信頼して手放すっていう意味がついてくるんだろうなと。
お金の心配よいというイリュージョンをただやめるということになると、
これは信頼うんのは関係ないですよね。
強引にストップするという感じになります。
とにかくこのイリュージョンが良いことをもたらすことないから止めようと。
最初は私はそうでもするしかないんで、お金の心配は止めようと。
とにかく止めようと。
世の中が信頼できようとできないと。
このロジックはおかしいんだけれども、でも緊急の課題としてですね、
お金の不安というのは結構いろいろ蝕んでくるんで、緊急の課題として止めてたんですね。
でも究極的には今言ったような、信頼して手放す、これしかないんですよね。
多分ここで連載を打ち切られたというのは正しい判断なんだろうということ、
つまり現実にこういうことが起こるのは悪いことにはならないんだろうと。
そういう信頼ですよね。
でも結局これするしかないじゃないですか。
私この今回、一見この話はただ背伸びしたり、
なんていうんですかね、痩せ我慢してるようにも聞こえるんですけれども、
でも最終的にはこういうことになると思うんですよ。
顔色をうかがってしまう私を手放すためにはですね、顔色をうかがう相手は親なので、
どんな親であろうとも、だって私たちは親選んで生まれてきたわけじゃないわけですからね、
どんな親であろうとも、その親を頼りにするしかないわけですよね。
で、私たちは死んでないということは、いやそれはいろんな親がいる、でもむしろ逆ですよね。
いろんな親がいて、ひどい親もいるにもかかわらずですよ。
良い親のところに行けたらラッキーって言うだけでは、信頼してるというか、
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現実ならなんとかなるって話にはなってない気がします。
やっぱりこう、極めてエゴイスティックなっていうこともないのかもしれないんですけれども、
お父さん、自分のことをちゃんとケアもせず酒ばっかり飲んだり、どっか行っちゃったりしているけれども、
でも自分はここまで来られたということは、やっぱり頼ってきたわけじゃないですか。
これを言うと本当にですね、親ガチャみたいな話から一気に大問題になるかなとも思うんですが、
そういう意味ではなくて、自分の立場だけに立ってみてほしいと思うんですよね。
いきなり海から投げ捨てられてたら、もう既にこの世にいないわけだから、
やっぱりどっかで信頼しているしかないような気がするわけです。
つまり、その先の見通しがあるわけじゃなくやってきたのがスタートラインだったわけですし、
年祭終わった時もそうなんですよ。元に戻ってしまうんですね。
見通しなるものが立ったような気がしたけど、実は立ってなかったということがわかると。
でもそれが良いことだったと思わない限りですね、前進めないですし、
結局現実は信用にならないということになってしまいますよね。
信頼できないということになる。しがみつこうとするならば、どうせしがみつかせてはくれないですし。
だからこれはストイックな話とかそういうことではないんですよね。
結局この会社と自分という関係が母子関係だという比喩に例えるならば、
この世と私の関係は母子関係だという比喩に例えるしか最終的にはない気がするんです。
ふとそこがなくなったとしても、なんていうんですかね、奇妙な言い方になってしまうんですけど、
地球という親がいるみたいな感じですよね。
信頼して手放さなければならないものは手放すしかないという。
結局あのセリフに僕はやっぱり戻るんですよ。
彼らは彼らのものですと。
なんの問題もあるんだけど、なんの問題もないんですよね、きっとそれで。
そういうふうにして考えてみると、まだ僕はこうは手放せませんが、
こう手放すのは心理的な話ですよ。
連載は手放せるのかなと。
この連載を本にまとめて、しかもその連載が常時、できれば週に4本ぐらい、
すげえ辛いですけどね、自然とやってくるというその都合のいい生活スタイルというのは、
実際にはもう完璧にイリュージョンで、
36:02
多分そういうことが起きる、起きないというのは、
多分決して悪いことではないんだろうと。
ここに至るまでに1年ぐらいはかかりましたけど、
手放すというのはそういうことかなと。
そういうふうにして読んでいくんですね。
裏野さんはよくよく考えられているんですよ、やっぱり。
全て信頼してっていうのが上につくような、
なんていうんですかね、柔らかい感じの表現がなっているわけです。
やめるとか止めるというのに対して、手放すというのはやっぱり、
柔らかい感じに、雰囲気としてなっている。
私が今、ここの番組でよく精神分析で喋るような話は、
すごくソリッドになりますよね。
たまたま土居武雄さんが、
甘えの構造って本出した時もそうですけど、
甘えって柔らかい意味ですよね。
これはそれに該当する言葉がないから、
欧米の方ではこれが自治なるし沈むとか、
受け身的対称愛とかいう表現になるんですけど、
甘えなんですよ、あれはね。
そうするとやっぱり柔らかい表現にはなります。
学術的にはならないという側面は出るんですけれども、
だからウッドワイルスっていうのは、
全体的にそういうふうに作られているんだという、
そういうことですね。
手放すということは、
そういう感じを象徴している言葉の一つだと思います。
許すっていうのも結局そうですよね。
許すとか、一つ意識っていうそういう言葉も、
多少ともやっぱり、
信頼してっていう言葉が上についてくる感じがありますよね。
信頼して甘えるなんだと私は思うんですよ。
信頼して一時なるし沈むっていう言葉は、
成立しないと思います。
38:01

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