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2021-10-04 35:09

【GMV 469】ライフハックではケアできないこと

傷つかないための手法としてのライフハック
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今週の土曜ですね、グッドバイブス勉強会。
シーズン2の第9回かな。もう10回かな。間もなく最終に差し掛かっていると思います。
シリーズではありますが、過去の動画も購入いただけますし、
ただ、前回見ないと今回は分かりませんという内容にはなってないです。
過去8回、1回も見ていなくても、今回からでも特に問題ない内容にはなっています。
今回は役割だったかな、ちょっと全然違う方向じゃないと思うんですけれども、
依頼とそれによって幸せに導かれる役割とか、そういうことだったような気がしたんだけど、
ちょっとすいません、違うかもしれません。興味がある方は、公式ブログ、公式サイトの方からも確認いただけますので、
グッドバイブス勉強会というタイトルは他にまずないものなので、検索で引っかかってくると思います。
PTXからは申し込みいただけます。
先日ですね、コミュニケーショントレーニング、オンライン合宿というかなり独特の試みの第1回をやったんですけれども、
その時、基本グッドバイブスなので、私は実践中なので、完成とかはしないんですが、
若干ちょっと考えさせられることがいくつかあってですね、このPTXも大体こういうことを考えては若干軌道修正するということが必ずしも良い結果を生まないんですが、
でも考えるところはあったから若干の軌道修正をまた考えていこうかなと思いました。
というのは、一つには僕が洗脳されているみたいな話が出ましてね、多分そういうふうに感じられる人もいるだろうなって思うんですよ。
急にグッドバイブスにのめり込み始めて、騙されているに違いないみたいな。
えーと、これはですね、そういうことってすごいまず非常に起こりにくいことなんですけれども、私にはそれは理由は非常に簡単でして、
私は寺で生まれ育ったし、おじいちゃんも坊さんだったと。
こういう人間というのは宗教がどういうふうに信仰に導いていくかということについては、もう赤ちゃんの時から叩き込まれている面がありましてですね、
そんなに簡単にこういう人間を宗教に洗脳するとかっていうのは簡単ではないんですよ。
生まれながら寺に生まれ落ちた人間がですね、宗教に懐疑心とか疑いを抱かないってことはありえないんですよ。
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実際多分、僕が思うに。まして僕の家は祖父もだし、母の家も宗教狂いみたいなところのある家だから、
それはですね、どういうものであるかが、裏の裏までって言うと裏の裏は表なんですが、手に取るように分かる面があるんですよ。
もうなんていうか、一つしかないぐらいパターンが狭くて、人を騙すなんて簡単だって言っている人が考えることは分かるんですよ、この宗教方面であればですね。
それに宗教って面白くて、果敢に来る人っているんですよ。前も言ったかもしれませんけど、例えばうち寺なのに絵幅の承認とかって来るんですよ、聖書を置いていったりしてね。
だからもう本当にそういう世界まみれなので、そこに何の驚きとか衝撃とかはないんですね、逆に。
人が急に宗教的なことに発信するとか目覚めるとか、そういうことを言い出すってことも日常茶飯事なんですよ。そこら中で起きてるんですね、自分の身の周りでは。
だから駅前とかで急に寄ってくる人もいるじゃないですか。あれをやっている人だって知人にいくらもいるわけですよ。
しかも自分の宗派じゃなくてもね。だからこの種の話が初めて聞くみたいな風には、僕の耳にはどうしたって響きようがないんですね。
こういう話は本当1歳、2歳、3歳の頃から山のように見せかけられていて、そんなことしてると罰が当たるとかっていうのもそこら中、おばさんとかに普通に言われていて、しかも論拠みたいな話をするのも大好きな人しかいないわけですよね、周りに。
大きくなるとそうでもないですけれども、そういうわけなんでですね、実は僕の話が大幅にそれちゃったんですけど、
倉須野さんのお話にすごい響いたから急に目が輝き出すみたいなことは僕には起きようがないと思うんですね。それを起こすのって本当に簡単ではないんですよ。
免疫がつくっていうのはまさにこういうことを言うのであって、家中宗教なわけですからね。朝から晩まで宗教的な話をある意味聞かされている家に育つということはですね、
朝から晩までライフ発見の話を聞かされている人に新しいライフ発見が簡単には響かないという現象が起こるわけですね。しょうがないんですよ、これはもう。
そういうことで別に洗脳されてるわけじゃないんだけど、そう見えることはあり得ると思うんですね。
私はタスクシュートもそうだったし、ものすごく原理主義的に行くじゃないですか。これも同じ理由からなんですね。
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片手間にやったのでは効果が極めて乏しいっていうのも、宗教的なものにまみれているのをむしろわかるんですよ。
これはやっぱりアスピリンみたいなわけにはいかないってことなんですよね。物質的にダイレクトに響いてこないものじゃないですか、どう考えでもね。
だからちょっとだけ良いところを取っておきましょうというわけにはいかないんですよね、そもそもなかなか。
これはフットバイブスが良いとこ取りしちゃダメですっていうふうに聞こえるとアレなんで、良いとこ取りもしてください。
タスクシュートも僕はね、つまみ食いでもいいと思います。ただ、僕が携わるとなるともうそれは1-0に近づくんですよ、やるかやらないかみたいな。
一時エヴァーノートもそうだったわけですよ。エヴァーノートも全部エヴァーノートに入れると。例外は一切認めないっていうふうに自分にはしておかないと効果がどうしたって薄まるんですよね。
そのうちやらなくなってしまうことが多い。正直うちのお寺の信者さんにしてもそうなんですよ。良いところだけはちょっと話聞こうみたいにしたらほとんどお寺なんか来なくなります。そういうものなんですよ、これは。
本当、飲めば直ちに効く解熱剤とかとは違うんで、効かないから。効かないものってやっぱりしつこさが大事なんですよね、割と。
ただ、私はだからそういう方面からそういう言い方をするけど、だからといってそうなることを心の底から期待してるってわけじゃないんですよ。
タスクシュート以外は、タスクシュートに一元化しましょうみたいなことは言うけど、そうはならないだろうなってある意味思ってます、心のどこかでは。
これでですね、タスクシュートとGTDを併用しましょうとか言ってると、本当に何て言うんだろう、
なんかこう部分的な取り込みになって、いずれどっちもどうでもよくなる感じが僕はやっぱりしちゃうんで、
ちょっと一時的にでもいいからのめり込んでみましょうと。 多分ね、これをやりたくない理由というのは人はですね、一貫性を保ちたいっていう
すごく現代的な理由があるんだと思うんですよね。 一時的に、例えば僕みたいに精神分析にやたらホットになって、そのうち冷めてちょっと
どっちつかずのことを言い出すとカッコ悪いって思われてるんですよ。 だからあんまりのめり込みたくないと、全てに対して均等なスタンスを持っていて、
そうすると自分があるみたいな感じで、ズレない自分があるみたいな感じでカッコいいっていうのがあると思うんですね。
僕はそういうものにほぼ興味がないので、というのはつまり、それも宗教的な理由かもしれないんですけど、
それで何かを手に入れるのはかなり困難だと思うんですね。 その野球もちょっとやって、テニスもちょっとやって、スキーもちょっとやって、
どれにものめり込まずうまくやれてカッコいいというのはなかなか難しいと思うんです。 そういうスポーツが異常にできる人もいますけどね。
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なかなか難しいと思うので、自分はですね、やる時には大体やだらのめり込むんですよ。
後になって少々言うことが変わっても、そこはもう多めに見てもらおうというか、もともと人間はブレブレだと僕は思っているんですよ。
要するに一貫している人などというのは、むしろ信用ならないと思うんですね。 だって一貫している人なんて、私は生まれ育ったそれこそ宗教なんで、
もうそこら中にいますよね。お坊さんばっかりなわけですよ。 彼らは若い時から老人になるまで80年間全くブレないで同じこと言ってるんだけど、
いや、ぜひやなりたいとは僕は別に思わないんですよね。 そんな感じかな。
だからタスク宗と教みたいなものに絶対にガッツリハマって100年みたいな、そこまでやりたいとは必ずしも思わないですね。
むしろだから一時的に原理主義的にやってみないと、 その紅葉を得にくいからこういう感じでいくっていうふうに思ってますね。
で、なんですけど、
そうか、洗脳ね。 だから私はちょっとやっぱりライフハック側から急に離れたみたいに思われてるんだろうなと思ったので、
そういうわけでもないというところをしばらくちょっとボットキャストで喋っていければいいかなと思ってます。
まぁ結局いつもと喋ることはほとんど変わらなくなってしまいそうな気もするんですが。
で、一番最初に僕が久しぶりに思い出したのが、ライフハックに自分がすごく傾倒する理由は、
手帳が好きだったり文が好きだったりガジェットが好きだったりしているということもあるんですが、
実際には僕は、例えば、
東浦県の北隅屋さんとか、あるスタイルの倉下さんみたいには、もともとそれが大好きとは言い難いところがあるんですよね。
やっぱり彼らの方が好きだなぁとかって、北さんが好きなのはどっちかっていうと、機械とかそっちの方だなって感じがするんですよ。
なんかこうごつい機械とか持ちそうじゃないですか。
僕はあんまりごつい機械とかをそもそも持つのも嫌だみたいなところがあるし、
倉下さんはそういうなんかでかいカメラとか持っているのを見たことがなくてですね、
ノートにアイデアを書き留めていくとか、読んだ本の大事なところを書き留めていくとかいうのが好きだっていう感じがするんですよね。
自分のあるいは考えをまとめておく。
私はどっちもそれほど最初からそんなにのみ込んでいけるタイプでは実はないんですね。
この辺がだから裏切られたとか言われるのかもしれない。
でも、ある程度好きで情報発信をしているうちに、ある意味上手いこと自由に乗るみたいなことはあっていいと思うんですよ。
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ガチガチすげえマニアックじゃないと、そういうものに乗っちゃいけませんってことも別にないと思うんですね。
で、その、なんていうのかな。
ノートとかガジェットとかは、もろん好きなんで今後もそうなんですけど、僕には全く違う別の理由があり、
多分こっちがそれを逆に言うとっていうのかな、ウケたんですよね。
彼らにそういうところがないとは言わないんだけど、僕はそういう部分を強く意識していたところがあって、そういう部分っていうのは傷つきたくないっていうやつなんですよ。
今回書いた本がまさにそういう話でしたけども、HSP的な、僕はライフハックやってる人は少なからずそうだと今では思ってますけど、
普通の人はこれをもう少しうまく隠しておけるんですよ。
僕はこれ隠しておけないレベルでちょっとですね、ひどいんですね。
で、なぜなのかはよくわからないんですよ。
隠しておけない体質だからなのかもしれないし、つまり大してひどくないんだけど、ついつい正直に漏れ出てしまうのかもしれないし、
あるいはやっぱりちょっと傷つきやすさがひどいから隠しておけないのかもしれないんだけど、どっちにしてもこれが結構あるんですね。
これが僕にライフハックに向かわせている重要な要因なんですよ。
必ずしもノート好きとかガジェット好きとかアプリ好きとかサービス好きとか管理好きと言い切れないんだけれども、
とっても自分は気が弱いと思ってたんで、だからライフハックなんですよ。
これは一言は説明いると思うんですけど、直感的にもわかっていただけるんじゃないかと思います。
ライフハックっていうのは人と極力関わらずに済ませられるんですね。
僕はそれもしかもすっごく肯定的に捉えてたんです、このことを。
世の中には人好きの人もいるから別に人と関わること自体が良くないと思ってないんですが、
私が人と関わるのは良くないと思ってたんですよ、心の底から割と。
だからライフハックでいけないと思ってたんですね。
まず第一、人は私と関わるのを好まないから人に関わろうとすると相手が迷惑するって思ってたんですよ、一つには。
もう一つは自分も傷つくと。だからお互いに良いことがないとルーズルーズになってしまうと。
だからライフハックでいこうと。
ズーム越しに関わればいいじゃないですか。
あるいは名前をハンドルネームでお互い知ってるだけならば関係切りやすいじゃないですか。
で、買い物はもろんオンラインで全部済ませて。
えーとなんだな、そうだな、だから代わりに社会生活も営まなければいけませんから、
なるべく滞りなくいきたいですよね。約束を破りましたねとか、締め切り破りましたねと言われるのは摩擦の下ですよね。
だからこれを封じていくと。僕は決してこれを封じるのも上手な方じゃないけど代わりにだから徹底するわけですよ。
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タスクシュートで徹底すると。ここは結構切実なものがあって、良いところ取ってる場合ではないんですね。
絶対に締め切りだけは確実に守るとか、絶対に約束だけはすっぽかさないとか、
時間に遅れそうになったらやたら豆に連絡入れるとかね、実際そういうところが評価されてたこともあります。
2006年、7年、8年の頃は真剣にやってましたから。
で、一元化して一元化するほどやっぱり確実になっていくわけですよ。
サービスを二元化三元化していくと、どこに締め切りのことが確定的に書いてあるのかが分かりにくくなる。
その代わりにいろんなサービスを使うメリットを享受できるってことはあるかもしれませんが、
僕はやっぱりメリットの享受よりはデメリットの封じ込めの方に集中してたんですね。
なぜなら気が弱いから、だと思っていたから。
これが大事だったんですね、私にとっては。
妻系の話でもそうですよ。とにかくこう、起源を取り続けると。
それは宿命づけてたところがあるわけですね、自分には。
起源が悪くなったら記録を残し、何が原因で起源が悪くなったのかを明らかにして、
次からチェックリストに入れて、それはもう二度とやらないように心がけると。
こっち全然うまくいってないんですけど。
こういう考え方をしていたわけです。
これPDCAだっていう人もいるかもしれませんが、PDCAではないような気がするんですよね。
Pが先にないです。
だってどういう計画を立てれば人の起源を損なわないかは僕には分からなかったから、
まず起源を損なるところはしょうがないと。
一旦受け止めて、ただしそれを記録に残し、次にその手当てをする方法を考じると。
一見すごい良いようなんですけど、そうはいかないんですよね。
これは非常に単純なところからグッドバイオスの学ぶ大きなきっかけになったんですよ。
妻の起源はこのようにしてチェックリストを充実させるだけでは決してずっと良い状態には保てない。
過去起きたことは二度と全く同じ形では繰り返さないというのは、どこにでも通じる単純な法則なんですね。
一見そうは見えませんが、やっぱり曇り空は全て違うし、晴れの空も全て違うんですよね。
同じように起源が悪いと一言で言っても、やっぱりそれは全部違うので、
そういうことをやっていても、無限に講じるべき対策が発生するだけで、
決して相手の起源を向上的に良いままに保ち続けることは不可能なんだということを、
むしろ僕はここ10年ではっきりと認識させられているわけですよ。
これいくら繰り返しても、次第かね、ベターにすらならないとあるじゃないですか。
これはもはやライフハックでは僕はないと思うんだけど、
ライフハックな人も言いそうなこととして、そういう人とは別れなさいと、距離を置きなさいと。
僕は離婚こそしてないですけど、そういう戦略を取ってきました。
だから知人も友人も親友も少ないんですよ。
何か嫌なことがありそうになると、こう関係を切っていくと、距離を置くと。
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代わりに記録を残しておくわけですね。
何かこれで管理しているような気になるんですけど、
そうしていくうちに、孤立化していくわけですよね。孤立になっていくんです。
非常にですね、このライフハックを僕のように運用すると、大きなデメリットがあるなと。
それはデメリットではなく、良い人生戦略なんですという方と、
えーとですね、何て言うんですかな、
話をする余地は全然あると思います。
議論をしてしまうと、やり込められたりやり込めたりというのが嫌じゃないですか。
傷つきたくない以上そうじゃないですか。
私は別にそういうことをしたいと思う、するべきではないと思うんですね。
だからこういう話を聞くと、いやそれじゃいけないんですかって思っちゃうじゃないですか。
それがイリュージョンなんですけどね。
僕はそれじゃいけないということを伝えたいわけではないので、
僕が伝えたいと思っていることは、
私はライフハックを傷つきたくないからやった側面がでかいということです。
必ずしもライフハックをプラスの理由だけでやってたわけじゃないってことなんですよ。
プラスの理由でやる部分については、
そのままプラスの理由でやり続ければいいと思うんです。
別に約束すっかさないようにしたり、
締め切りを守ろうとしたりすることはいいと思うんですよ。
私はもう今では、そのつまりですね、
傷つきたくないのを封じる理由でやってた部分は記録もほとんどしていないので、
そういうことをしても、傷つきを抑えることはできないし、
傷つきを抑えるためにとことん孤立化していくことは、
私には受け入れられないから、
それを受け入れればいいじゃないですかという意見は、
受けたまわってはおきますよ。
多分そう思っている方、いっぱいいると思うし、
グッドバイブスに関わってなくてですね、
いっぱいいると思うし、
それはそれで、
私が否定する理由はないと思っています。
ただ、私が傷つきたくないから孤立の道を選ぶのは嫌だって今は思っています。
だから、つまりそういうことをしても傷つくことがなくならないっていうのは、
理不尽だと思うしむしろ、
しかもその孤立化していくというのは、
すっごい自分を生きるのを難しくしてしまう。
そこまでしなくても、実は傷つかなくなる方法はあるんで。
で、ここなんですよね。
内博の人にご希望とあればというか、
これで困っているなら伝えたいというのはここなんだと思います。
孤立化をウェルカムじゃないってことですね。
孤立化になっていってるんだけど、なぜかよくわからない理由で、
あるいは長所的に空虚感があるんだけど、
あるというまず自覚があって、
しかもそれをウェルカムできないっていう人向けに発信していきたいということですね。
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この部分をもう少し強調的に言っていかないと、
佐々木洗脳説みたいになっちゃうんで。
そして結局のところ、
なんて言うんですかね、
その関係を断つ、距離を置く、
ボタンだけの関係で済ませる、
あれですよ、SNSでもそうだと思うんですけど、
ここでも同じ問題が起きてますが、
例えばツイッターでもフェイスブックでも、
フェイスブックは違うんだよね、今ね。
でも最初はいいねしかなかったはずですよ、ボタンは。
よく話題になるアマゾンの星にしても、
1がつくっていうのがネガティブな意味になってますが、
そうじゃないですよね、多分元は。
星1という素晴らしい星を1つ上げますって意味だったと僕は思うんですよね。
素晴らしいからさらにそれが5になるのであって、
3が平均で1はダメだっていう意味では、
物々はないんじゃないかと僕は思いたい。
だからつけないよりは1の方がいいはずだったのに、
今では明らかに4以上だったらつかない方がいいものになっちゃいましたよね。
解釈なんですけどね、こういうのは。
フェイスブックにも良くないねとか悲しいねとかってついちゃいましたけれども、
僕はライフハック系ってのはやっぱりですね、
原則傷つきたくないというのがベースにあって、
いいねしかつけない人間関係だったと構築しようとしたものだったと思うんですよね。
ただいいねしかたとえボタンになくても罵り合うってことはできるんで、
傷つかないってことはないですし、
しかもダイレクトに罵り合うよりも文字列のやり取りの方が全然安全じゃんと、
多分最初思った部分もあると思うんですけど、
やってみると意外とそうじゃないと。
むしろSNSの方が遥かに心のダメージを大きく残すという現象が起きることがあってですね、
やっぱりですね、私が思うにライフハックだから人は傷つかずに済むというわけにもいかないよなと思ってるんですよ。
でも例えばこういうこともあるじゃないですか、
こういうことも伝えていきたいんですけど、
ライフハックだからやりたくないスマホの時間を減らしていけばいいんだと、
簡単に減らないんじゃないですか。
気がつけばスマホ見てるって人はいっぱいいますよね。
この話はライフハックからどういう結果、依存症みたいな話になっているわけですよ。
この辺やっぱりもう少しライフハックではないものでケアしていきたいというのがあると思うんですね。
あるじゃないですか、画面見る時間を30分に制限するとか、
SNSのトータルの時間をiPhoneが測っておいてくれるとか、
親のコントロールみたいなやつですよね、考え方としては。
でも僕は親が自分をコントロールできないのに、
子供だけ画面の時間でコントロールしてもしょうがないと思うんですよ。
僕は子供のゲームの時間だろうとSNSの時間だろうと受験中ですけどね、
一切コントロールも干渉もしないようにしてるんですね。
これはもう一つの考え方ですけど、
この辺はもともと僕にある考え方だし、
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グッドワイブスの影響ももちろんありますね。
こういうことってライフハックのことではないんだけど、
ライフハック的に何とかしようとしてますよね。
でも何とかできてない感じが僕はします。
そして、ライフハックでは何とかできないんだけれども、
グッドワイブスとか精神分析とかで何とかしていくことはできそうだなというふうに私は思うんですね。
これを伝えようということですね。
で、だからなんですよ。
別に洗脳というような話にはならなくて済むし、
精神分析なんていうのはグッドワイブスよりもある意味恐ろしがられてるところがあるんで、
あんなものは受けるのは怖くてとてもやってられないと思われるかもしれないですけど、
それはそう思われるとすると僕のこの伝え方はやっぱりまずいんでしょうけれども、
その辺も薄く反省点かなと思ってるわけです。
ただ反省って罪悪感なんで、
やっぱり罪悪感というのは間違いなくイリュージョンですから、
過去の話ですからね。
たとえこれ昨日の一昨日のその前のポッドキャストでも過去の話ですからね。
イリュージョンであることに違いはないので、
持たないに越したことはないと思うんです。
で、何よりもですね、
個別なセッションを受ける受けないも含めて全てですね、
つまりざわついたらイリュージョンというのを忘れないようにすることだと思うんです。
これは結局どのようなその宗教だろうと精神分析だろうとグッドバイブスの言葉ですけれども、
同じことを言ってる間違いなくざわついたらイリュージョンなんですよそれは。
もうざわついたらイリュージョンっていうふうに、
これ唱えるだけじゃダメなんですけどね。
ざわついた時にこれイリュージョンだっていうふうに考えることができるようにならないと、
それを考える能力を完全に失った時に頼るのが精神分析だと思うんですね。
考える能力を完全に失いつつある時には精神分析が一番やっぱり効くんじゃないかって僕は思うんです。
普通のカウンセリングでこれを考える能力が全くなくなった時には、
対応するのが困難になっていくんではないだろうかっていう感じを抱きます。
ただ、受けに行く時は考える能力を多くの普通の人は回復しますから、
いずれにしてもこのざわついたらイリュージョン、怖いなとか不愉快極まりないって思ったらイリュージョンなんですよ。
ここが信じられるか信じられないかの話をしているだけですね、たぶん。
私もその、なんつうんですか、こう、依然としてざわつく。
もうざわついたということはイリュージョンであることを見失ったってことなんでね。
えーと、ざわついたらイリュージョンっていうのがですね、
えー、な、なぜ見失うんだろうというところから精神分析っていうものをよくこう、
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読むようになったわけですけど、つまり見失わないようにするために。
えーと、心がざわっとするということをライフハックで防ぎたいと思っていたのは、
ずっとその原因があるからだと思ったわけですよ。
約束を守らないと怒られるとか、そこの怒る人に原因を置くわけですよね。
あるいはすっぽかしてしまった自分のミスに原因を置くわけですよね。
そういうことではないってことなんです。
ミスをしないとか怒らないことは大事なんですよ。
でも、ざわつくっていうのはそれとは違うってことですね。
ざわつくっていうのはそういうことが一切なくたってざわつくんですよ。
ざわつくってことはイリュージョンなんですよね。
これをいろんな言い方で、それこそ仏教は割とダイレクトに、
でも倉園啓道さんがその口から、今までの宗教みたいな分野ではないところから、
これをまた少し違う言葉で発したってことが大事なんですよ。
それを聞かないと、きっとそうなんだろうなの意気を出ないじゃないですか。
仏教でも言うわけですよ。一切は空だって。
四季は空だって言うわけですよ。
四季は空だっていうのはイリュージョンだって言うのと何にも変わらないんだけど、
きっとそうなんだろうなの意気を出ないんですね、あれでは。
だけれども、倉園さんは違う言葉で、オリジナルで言ったから、
しかも、生きてるじゃないですか。
ブッダは死んじゃってますけど、生きてるじゃないですか、倉園さんは。
ザワツイタライ、それはイリュージョンだっていうのは、ちょっと違うんですよね。
やっぱり響き方が違う。
これが、そして僕は、僕のようなライフハッカーには必要だと。
知らなかったわけじゃないんですよ。
子供の時から聞いてるんですから。
うちは般若心経じゃないから色足絶句とは言いませんが、同じことは言うわけですよ。
それは知らないわけじゃないんですよ。
信じられるかどうかなんですね。
しかもいざって時に、いざって時は信じられるかどうかよりも思い出せるかどうかです。
もう奥さんに怒られていて、すごい許しがたいって思ってる時は、
全然イリュージョンじゃなくなっちゃってるわけですね。
この時はもう信じられるも何もなく、思い出すことさえできなくなっている。
四季は空だって、響かないんですよ。
それぞれらしく聞こえる、それこそね。
ざわついた時はイリュージョンだもん、響かないんですけれども、
というかその時はもう見失っちゃってるんですが、
それでも身近に生きてる人がそれを口にしていて、
しかも自分発だから、確信して喋ってるわけじゃないですか。
そうするとトイレに入った時にふと思い出すわけですよ。
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そうか、ざわついてるこれはイリュージョンかと。
これが起きるか起きないかなんですよね。
ライフハックはそういう路線ではそもそもない。
別れなさい、距離を置きなさい。
これはもうイリュージョンじゃないって言ってるわけですよね。
この路線は僕には効果がない。
全然なかったわけです。
だから僕と同じような人に伝えたいというのは嫌なんですけどね。
でもライフハックやってる人にはこういう人は少なからずいるだろうと。
なぜならばライフハックというのは非常にジゾイド的なものであり、
ジゾイドというのは精神分析は結局ジゾイドを治すというのは非常に、
治すってことはないにせよ、ジゾイドに手当てをするってことが
非常に重大な自分の存在意義のように捉えてますから、
ある意味ではその点ではグッドワイブスとよく似てくるんですが、
だって防衛って言いますからね、精神分析でも。
防衛って自分を守るってことですよ、情緒的に。
で、情緒的混乱から自分を守るということは、
そういうことをしてくる敵がいると恐れてるってことですよね。
だから分裂症になっていくって考えてるわけです。
ジゾイド、あるいはスキゾイド。
スキゾフェルニアじゃないですよ、統合主張症まではいかない。
そうではなく、例えばジゾイド、分裂症室人格障害とか、
分裂病室人格障害とか、その辺です。
あるいは分裂病的性格とかね、
そういうのをケアしようって考えてるということは、
つまりそれはイリュージョンなんだっていう話をしようとしてるわけ、
てかしてるんですよ。
イリュージョンから自分を守ろうとする、
そういう防衛的な反応を繰り返していても病気が良くはならないですよっていう、
そうは言ってないですが、
案にそういうというか、かなりそういう方向性なんですね。
グッドワイブスも同じだと僕は思うんです。
このジゾイド的な戦略に対しては。
ただ時代がもうほとんどジゾイドに向かってるのに、
ジゾイドはダメだとかっていうのは効果ないと思うんです。
だからそうではないやり方なんだと思うんですよ。
ボタンでネット上にテキストがあって、
それにいいねを付けるというのが人間関係だっていうのはまさにジゾイド的なんで、
ここを全面的に否定したところで何にもならないと思うんですね。
だからそうじゃなくて、
嫌なことがあったら、
そしてそれがどうにもならないと思ったら、
それがイリュージョンであるということを考えてみましょうと。
このレベルだと思うんです。
精神分析なんてある意味、もっと最初にやることは少ないですからね。
もう、なんて言うんですか、環境設定だけをまずマネジメントするみたいな話に
多分今なってると思うんで、
カウンセリングでもその辺は何ら変わらないかなと思うんですよ。
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ラポール、昔の言葉で言えば、ちょっと昔の言葉で言えば、今でも言ってると思うんですけど、
ラポールを確立するみたいな言い方ですからね。
信頼関係をまず形成しましょうみたいな。
なんでそういう話をやっぱり一生懸命するかというと、
ビビってるからですよね。
信頼できんと、人に生であって、
嫌なこと言われると3ヶ月寝込むわけじゃないけど、
それぐらいの情緒的なダメージを受けると。
そういうのを受けたくないからこそ、どうでもいいような、というのも変ですけれども、
スタンプのやり取りだけで、
つまりそのスタンプに怒りマークがあっても、本当は怖くないはずじゃないですか。
実は結構怖かったりするから難しいんですけど、
そういうことなのかなというふうに、
だからそういう話を伝えていけばいいのかなというふうに思っています。
ざわついたらイリュージョンかもしれない。
このぐらいかな。
ざわついたらイリュージョンかもしれない。
これやっぱり、ざわついたらイリュージョンというふうに言い切ってしまった方がある意味いいと思うんですよね。
きっとそうなんだろうでは、
えー、楽になれないことってあります。
ざわついたらイリュージョンなんだと。
イリュージョンだったら、存在しないんですから。
本当はざわつかなくていいはずですからね。
ざわつき止まっていいはずなんですよ。
ざわつき止めるってことが目的じゃないですか、この場合は。
私はざわつきを発生させないというのがライフハックの目的だったと思っているんです。
そういう人はやっぱり僕が思うに、
ライフハッカーの多くを占め売るだろうと。
で、それらの人にライフハックをやめましょうっていう話をしているわけでは全くないから、
そこは全く気にしなくていいというふうに思うんですね。
ただざわつくことはおそらく依然としてあり、
それはそのことを記録に残して、
トラブルを今後発生させない戦略を打ち立てるというのでは、
おそらく、多分そんなことは難しいと思うので、
それよりむしろはるかに簡単な方法があるんですってことです。
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