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2023-10-25 49:26

時間の価値は今がマックス【GMV 864】

タスクシュート時間術

https://blog.taskchute.cloud/category/taskchute/


サマリー

グッドモーニングボイスは頭痛と不眠に悩みながら、体調回復とGood Vibesの効果について話しています。赤信号を見た時、自動的に止まることはできますが、ストレスを身体に転化させて負荷をかけるという選択肢もあると言われています。しかし、私たちはそのストレスを抱えることで自分自身を妨げていることに気づくべきだと言われています。タスクシュートという時間管理法について解説し、タスクシュートではすべてのタスクを等価として扱い、体にストレスをかけずに地味な時間や活動も尊重することが重要だと話しています。また、ロサンゼルスの魅力や時間の価値についても語り、自己成長の考え方にも触れています。

頭痛に悩む
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月25日水曜日、朝7時30分、ちょうど、ちょうどというか、7時半です。
やっぱりこのパターンの方が続くんですよね。
昨日の夜に撮るということも考えたんだけど、結局そうはいかず、今日の朝になった。
体調はね、予想通り戻ったんですけど、でも2日、実質2日かかったんで。
あの、珍しくですね、僕はほぼ人生であんまり縁のない頭痛というやつ。
今回は理由がはっきりしてたんで、これで頭痛になったんだろうなっていうのが分かったんで、しょうがないんですけど。
頭痛に悩まされ、かつ気持ちも悪くなり、よくわからない一昼夜半を過ごしました。
で、なんかこういう余計なことを喋るからなんだけど、
方々から心配いただきまして、いや本当に申し訳ない感じが、全然なんてことはないんで。
ただ確かに頭痛は珍しいので、厳しいんだなっていうですね、
久しぶりだな、実感して寝ました。
さっさと寝て、寝れば多分頭痛は僕はほんと縁がないんで、
寝起きして後も朝は頭痛だっていう経験は生涯で一度もない気がするんですよね。
高熱とかワクチン打った翌日とかは別なんですけど、
ワクチンも熱もないのに頭痛がしたっていう記憶がないんですよ。
だから多分まあラッキーなんでしょうけど、頭痛って縁がないなっていう。
不眠と頭痛は本当僕は人生の中で真剣に悩んだことは一度もないという感じがするんですよね。
眠れないで困ったという、むしろ眠くなって困るということは、
運転中めちゃくちゃいっぱいになるんだけど、ものすごいやっぱり恐ろしいことだとは思うんですよ。
運転中に眠くなるってのはとんでもないと思うんだけど、
これはやっぱあるんですよね。十分寝てもあるんですよね。
正直僕はそんなに運転大好きではないっていうことはきっとあると思うんですけどね。
そんな感じで、頭痛と不眠で悩んだことはほぼないので、
今回は久しぶりにかなり強めのが出て、厳しいわっていうのがありました。
それでも頭痛に関しては僕は経験が浅い上にいい加減な人間なんで、
頭痛だとかっこいいみたいなところはどっかにあるんですよね。
かっこいいも下手くりもないんですけど、
腹痛よりはかっこいいみたいなのがどうしてもあるんですよね。
腹痛はしょっちゅうなんだけど、頭痛はほとんどない人間です。
まあまあよかったなっていう感じで。
頭痛と体調の関係
ただ昨日の夜はやっぱりいろんなのがゴテゴテに回ったために、
夜に収録ってわけにはいかず今収録しております。
あとですね、朗報がありまして、僕の勝手な朗報なんだけど、
クラスチャレンジの第4期がおかげさまで満席になりまして、
もうお申込みいただけない状態になっております。
これはもうここから後でというのはないようにして、
4期を実質来週からスタートさせてしまおうと、
僕の頭の中でのことなんですけどね。
なのでここからのご応募はいたしません。
いやもうありがとうございます。
これはですね、何度も言っている甲斐があったというのか、
何度も言っていたからなのかどうなのかはわかりませんが、
とにかくありがたいことに満席になって、
満席は初なんですよね。
これはもう4期まで続いたというだけでも恩の字だったんで、
4期で満席になるというのは1年間ってことですけど、
これは大変私的にはいいニュースですね。
別に悪いニュースはないんですけど、
11月19日のくらどのけいぞうさんとのタスク集との話も出てくる、
くらどのさんとのセミナーをやりますので、
こちらもよろしければですね、
日曜日だと思いますが、
よろしければご参加いただければと思います。
こっちはもうぐっとお安いですし、
別にその後1ヶ月何をするとか、
文章を書くとかも一切そういうものはないので、
話を聞きに来ていただいて、
質疑をしていただいて、
私としてはちょっとしたニュースもここに含めようかなと、
いくつかは思っております。
ツール系の話とかちょこっと、
いつもよりはそういう方面をしていきたいと。
今非常にいろんなところが活発にですね、
主にタスク集とですけどね、
僕の周りなんで動いておりまして、
僕もちょっとiPhoneを今日新しいのが届くとか
言ったこともあってですね、
意外とこっちの方を今ホットにやっているわけなんですよ。
冬自宅的なところもなくはないんですけれども、
そんな感じで、
よろしければご参加いただけると、
いろいろな話ができるんじゃないかなと、
19日お願いしますね。
で、
昨日おとといとGood Vibesおすすめみたいな話をして、
今日もそういう話ができるかどうかちょっと分からないんですけれども、
例えばですね、
体調は先日壊したばっかりで何を言うかってところもありますが、
バッチリなんですよ。
例年なくいいと。
やっぱり50年生きてて50年目が一番いいっていうのは、
あれながら変なんですけれども、
いいんですよね。
これはやっぱり多分にGood Vibesっていうのが関係していると思っているんですね。
簡単に言ってしまえば、
私は体を攻撃している。
簡単に言ってしまえば。
別に僕はそうは言っても、
この精神的に深刻に本当に厳しかったっていうのは、
そう多くないので、人生の中で。
例えばリストカットしてたとか、
そういう本当の意味で分かりやすい攻撃はしてないんですよ、一切。
なんですけれども、
やっぱり内面からですね、
精神的に肉体に責任転換をしたり、
ストレスの重みを肉体に下ろしていたり、
この言い方が近いんですよね。
ストレスの重みを肉体に転換してしまって、
Good Vibesの効果
それで精神的に楽になるっていうこの形をですね、
なんとも思ってなかったんですよね。
これで当然いいはずだぐらいに思ってたんですよ。
これは非常に良くないことでして、
そのことは自分でも全く意識しなかったわけでは、
当然ないんですよ。
やっぱりGood Vibesを聞く前は、
いやもう全くそんなことは、
強ほども意識せずにガンガンストレスを身体にかけてました、
なんてことはないんですよ。
自分でやってるんで、
やっぱりまずいんじゃないかなっていうのは、
心の1ミリも揺ぎったことがないなんてことは決してなく、
いっぱい揺ぎったことはあるんだけど、
でも結局他にやり方がよくわからなかったっていうのは大きいのと、
やっぱり習慣なんですよね。
あとこれをですね、面白いことにまた、
面白いことではないんだけど、
社会は止めてくれないんですよね。
なんかむしろ推進するぐらいの勢いが感じられるんですよ。
例えばアルコール飲んで発散ってあるじゃないですか。
あれって割と社会で止めてはいないですよね。
あれは私はかなり、
先日精神分析、
的心理療法課の山崎さんとお話ししたとき、
あれやばいよねみたいな話を出て、
そうだろうなって思ったんですよね。
アルコール依存症の難しさみたいな話。
専門に近い領域の方なんで、
いろいろとお話が面白かったんですけど、
と思うんですよね。
でもあれって別に普通に悪いことだとされてないじゃないですか。
なんか酒を飲んでスカッとしようぐらいな勢いありますよね。
でもあれは体にかかる負担は重大なんですよ結構。
まず睡眠中の心拍が通常時より高くきちゃうんですよね。
通常時より高くってのは、
普通に起きてる時間帯って、
例えば私の場合は60ぐらいなんですよね。
ジャスト60ぐらい。
ほんとは寝てるときは50キルぐらいの勢い、
49とかまで下がるんですけど、
これが下がらないどころか上がるんですよ。
睡眠中、ほんとにそんなに入れてなくても、
睡眠中の心拍が75キロ、
一方じゃなくて80ぐらいの心拍を記録しちゃうんですよね。
これは知ってたんですよ。
知ってても飲むじゃないですか。
つまりそういう負担って我々は結構気にすると思うんだけど、
やっぱり精神的な負担っていうのはきついので、
知ってて飲むよみたいな。
つまりこれいいことだとは思ってないわけですよ、全然。
グッドワイブスとか知らなくったって、
いいことだと思ってやってないんだけど、
体に悪いことでもしちゃうみたいなところがありまして、
これがやっぱり私の体には大きな負担になっていたんだなということは、
今になると分かるんですね。
負担を下ろしてしまった。
それはまさに倉園圭三さんのお話を受けてってところがほとんど全てなんだけど、
例え話に近いんですけどね、
今日も非常に朝娘を送っていて思ったんですが、
車って赤信号を見たら必ず止まってるよな、
これすごいなって思うんですよね。
時々このポッドキャストでこの話してますけれども、
これこそまさに人間の象徴機能ってやつで、
だって私の小学校とか幼稚園時代、幼稚園時代まで遡ると、
ほんととんでもない悪ガキっつうのかな、そんなことはないんだけど、
全然人の話聞かないし、人の言うことも全く聞かないやつって、
一組に、一組っていうのはクラスっていう単位ですけど、
5人はいましたよね、はっきり言って。
もう絶対無理だろうな、こいつは。
こいつに言うこと聞かせ、勉強させるとか、
ほんと向かないわっていう勘違いをした人。
席に先生がつけって言った、2秒後には教室中を全力で駆けずり回るみたいな、
今はそういう子いないのかもしれませんけど、
いなくはないと思うんですよね、なぜなら毎年いたから。
毎年全クラスにいたわけですから。
僕は思うに、ああいう人たちも免許取ってると思うんですよ、車の。
信号止まってますよね、僕にはちょっと信じられないんですよ、何人かいますよ。
ちょっと、近藤くんとかいたわけですよ。
そういう子は、村山くんとかいてね、すごかったんです。
でも3はほんまいなかったな、なんとかちゃんは。
そういう行動はさすがに、かなりイケイケな女の子もいましたけども、
そうは言ってもやんちゃな女の子もいましたけど、
そうは言ってもやっぱ女の子は、少なくとも先生が席につけと言った、
1秒後に全力で駆けずり回るやつは男だった気がしますね。
これ彼ら、免許取れてると思うんだよね、やっぱりね、取ってると思うんですよ。
赤信号止まってるなんて、ちょっと彼の行動からは信じられないんですよね。
それらの人たちの、その後は僕はよく知らないんですけど、
少なくとも風の頼りではね、やっぱ高校とかでもすごかったわけですよ。
別にそのことに良いの悪いのはないんだけど、
でもやっぱりこう、要するに言われた通りのことではないことだけを
全力でやりたくなる感じのライフスタイルだったわけですよね。
これらの人たちがちゃんと守ってるから、
僕はね、あの赤信号を、黄色だけどイッチャイ的なやつじゃなくて、
赤信号だというのが明らかに分かってて、
交差点の反対側が青であることが明快に分かってて、
全く減速しない車ってのを見たのは人生で2度しかないんですよ。
で、アメリカとかに行くとですね、この村山君どころじゃないわけですよ。
もうなんか法令、法令とは破るためにあるんだぐらいな人たちも大量に見るんですよね。
見るんですよ。私アメリカに行って初めてやっぱりね、
現行犯逮捕の瞬間というのを数度見ました。
日本でほんと1回しか見たことがないんですけど、
手錠かけられた瞬間をアメリカに行くと数度見ることができちゃうんですよね。
それだけ危ないってことなんだけど周りが。
1個はですね、薬を売ってる最中に現行犯で逮捕。
それ僕はね、その一部始終に近い光景をたまたまですけど、
ロサンゼルスで見たことがあるんですよね。
確かにいるんですよ。
ああいう人ですら赤信号止まるんですよね。
すごいことだと思うんですよ、これは。
まさに人間って象徴機能で生きてるって思うんですよね。
シグナルで生きられるんです。
だって止まらなさそうじゃないですか。
わかんないですけどね。
それらの人たちの心理状態からして赤で止まってられるかみたいな勢いで、
赤信号だけど100キロで突っ走るみたいなやりそうな気がするんだけどやらないんです。
ちゃんと減速するってことはブレーキ踏むってことじゃないですか。
僕はこれはある意味信じられないんですよ。
みんな止まってるほぼ100%。
重いことだと思うんですよね。
どんな人でもなんで。
別に生徒会長クラスの人たちだけが止まってるとかいうわけじゃないですからね。
すごいことだと思うんですよ。
この象徴作用を使って、このシグナルを送って体を攻撃してるんですよ。
これが僕は言いたいことなんです。
内面のパワーを体にぶつける
僕は体がこうでなければいいのにとか、こう思ってくれればいいのにとか、
こういう気持ちに気分良くすればいいのにとかいう不満を抱いては、
言葉と精神の力で、この力が僕らはオカルトじゃないんだけど、
めちゃくちゃ馬鹿にならない時があると思うんですね。
だってカットした時ってカットするっていうのも神経整理作用もあるんですけれども、
カットする時に精神の働きじゃないですか。
この時何もしないかもしれないけど、内面のパワーってすごいなっていうのを僕ら感じてると思うんですよ。
これをどこにも外に出してないなら、やっぱりダメージ食らってるのは内だとしか思わない。
2つしかないと思うんですよ。内ってのは心か体だと思うんですよね。
まあ心と体かな。
だから怒りを溜めるということをしたり、怒りを体に、体でストレス発散するってことは、
つまりこれをやっぱり殴るとか、それこそリスカとかとは違うにせよ受けるんだろうと思うんですよね。
この強い象徴作用。やっぱり赤は止まれだみたい。
赤は止まれじゃないですからね。別にあれは宇宙人の車を見たら不思議だと思うんですよ。
あれには力があるのかみたいな。時期を発して車を止めてるのかっていう風に外から見たら思っちゃうと思うんです。
それぐらいスーッと止まりますよね。
あれは精神の働きで止めてるわけですよね。
これを僕らは体にぶつけたりしてる気がしてるんですよ、実際。
だから私はそれをやめることによってめちゃくちゃ体が健康になって、
いやー今までひどいことしてたなって思うわけですね。
思うわけですよ。
これには困ったもんじゃないなっていう。
本日まで行ってこれたのがやっぱり立派だよねっていう感じがするぐらいひどいなっていう感じがするんですよね。
内面のこのパワーを体にぶつけていくとか、削り取るとか。
よく言うじゃないですか、心身を削る。
削ってんのは自分ですからね。
どれほど人が上司のせいで心が削られるとか言っても、削ってるのは自分ですからね。
なぜならば赤信号で止まってるのは自分ですから。
赤信号が自分を止めてるわけでは絶対ないですから。
何もしなければ車止まりませんからね。
やっぱり止めてるんですよ。
象徴作用なんですよ。
自分の心で意味を使って自分の体を動かしているわけじゃないですか。
これとたぶんそっくり同じことを、例えば精神が削られるっていうときに、
象徴的投下物とその影響
人が喋ってるときに自分の精神削ってるんですよ。
どういうふうに何をしてるのかわかんないですよ。
でもその言葉に象徴されるような何かをやってて、
それが自分のおそらくは精神に強いダメージを与えているんだと思うんですよ。
これを止めましょうと。
止めるためには自分がやってるってことにやっぱり気づかないとダメだというのは、
これはもうどうしようもないと思うんですよね。
だから部長なり本部長なりなんでもいいんですけれども、
上役に言われて削られるときってのは、
つまり何か、そこから象徴的な何かが飛んでくる。
バカ野郎とかね。
象徴的ですよね、これはね。
なんていうのかな。
古い言葉なんで面白くもないですけど、
松本先生が象徴的投下物っていうのを説明するときに、
おたんこなすって言うと、
それはあなたはおたんこなすであるって言ってるわけじゃないんだと。
これはその言葉が意味している通りのものをぶつけて、
要するに罵倒してるんだけれども、
ぶつけて、相手が罵倒されてると気づけばいいっていう、
こういうふうに象徴的投下物の話を今ざっくりと説明しましたけれども、
ざっくりとの説明になっちゃいましたけれども、
そういうことなんですよね。
象徴ってのは、相手がその象徴の意味を受け止めない限りは、
意味が全くないですよね。
これは赤ですって、赤なだけでは誰も止まらない。
実際あそこにリンゴをぶら下げておいても止まりはしないと思うんですよ。
これもう意味のないことをしゃべってますけれども。
あれは赤信号ってのはやっぱり、
まさにシグナルなわけです。
で、私たちはシグナルを受け取って、
次に自分で何かをすることでしか、
自分の動きとか自分の精神の行き先とかを変えることはできないはずなんですね。
だから絶対に嫌かもしれないけど、
やっぱりこう、そのバカ野郎とかを受け取ってるんですよね。
それは、私はバカ野郎ですって意味ではない。
あなたはバカ野郎ですって意味ではない。
違うことがそこでやり取りされていて、
それによって自分で自分の精神なりを削るみたいなことをやるんですよ。
これをやめてもいいんだってことですね。
ということが、僕は、
クラゾンの受け取りさんはGood Vibesを通じてよくお話になってると思うんですよ。
これを自分でやめてもいいんだと。
象徴を受け止めるってのは、ある意味しょうがないと思うんですよ。
でもその次にですね、つまり、
赤信号止まないとダメなんだけど、
シグナルを受け取ったからといって、
自分の側にあるっていう話だと思うんですね。
これは間違いなくそうだと思うんですよ。
そうじゃなきゃおかしいと思うんですよね。
言葉をぶつけられたら、
たちまち何かが起こってしまうってことはない。
赤信号が光ったら、
たちまち車が勝手に止まってしまうとか、
足が勝手にブレーキを踏んでしまうってことは決して起こらない。
だから原理、
バビューンって行っちゃった車を、
僕は2回見たことがあるんです。
やっぱ正気とは思えませんし、正気ではないと思うんですけれども、
バビューンって行ってしまう車はあったわけですよ。
赤信号そのものに車を止める力はないんですよ、
皆さんご存知の通り。
決してそれは自動的には起こらない。
必ず自分で、そういう自覚は多分ないですけれども、
自分で足のペダルの踏むところを変えているんですよね。
あれと全く同じように、
自分で自分の心と体と脳を
痛めつける何かをやってるんですよね。
血流を使ってやってるんですよ。
いや、それ止められないんですけどっていうのは
よくわかるんですけどね。
でも止められないはずはないんですよ。
もちろん血流を自分の自由自在に動かすってことはできないんで、
できることとしては、
自分で自分を痛めつけないぞっていう
意識をはっきりさせるというぐらいなものなんですけれどもね。
19日の先取りみたいな話にもなっちゃうんですけど、
これを僕はタスクシュートを通じてやってるということを
そのまんまお伝えするのは
容易ではないかもしれないけれども、
でもタスクシュート系の
今ではセミナーでも僕が喋ってることは
全部ここに集約されるとは思っています。
タスクシュートを通じて、
全部選択なんですということです。
ストレスの管理と選択肢
全部選択なんですということ。
そして全部選択できるんですってことですね。
全部自動反応なんですみたいに
思われている方が結構いらっしゃる気がするんですね。
全部自動反応であるということは
絶対ないと思うんですよ。
ただそういうふうに感じてしまうと。
感じてしまっているだけのことでしかないと。
信号を見て止まるというのも
反自動的に行われている気がする。
そういう感じがするというのはその通りだと思うし、
ましていってストレスをためて
自分で自分を苛むとか知的の根に刈られるのは
反自動的に起きちゃっている感じはすると思うんだけど、
これは絶対にコントロールできる部分。
要するに止めようと思います。
止まるはずなんですよ。
これもそんなに
強制とか
達人の技とかはいらない。
いらないものなんですよね。
それこそ赤信号の時
自分は選択して止まっているんだなっていうのを
自覚するくらいの
難易度でできることだと思うんですよ。
というかことなんですね。
じゃなければ
私こういう能力はそんなに高いわけではないので
瞑想修行とか日々してますとかいうわけでもないので
できなかったと思うんですよね。
倉園さんにただ言われたぐらいで。
ただ言われて少なくとも数週間のうちに
概ねできるようになり
それを継続していられるということは
やっぱりやろうと真剣にすれば
できないことではないんですよ。
もともとそういうのが得意だったってことではとんでもなくて
私はどっちかというと対人関係では
ひたすらビクビクするっていうですね。
喋ってても情けない話にしか聞こえないんで
別段これを言いたいわけではないけれど
対人関係ではとにかくビクビクする以外に
あんまりこれといったスキルを持ってない
スキルでもなんでもないですけど
とにかくビクビクしてるだけだったんですよ。
だからこれが自分にできるようになるってことは
他の人はできるだろうっていう感じがやっぱり
それは他の人になってみたことのない私には
確たることは言えませんが
多分できるんじゃないかなっていう感じは
僕よりビクビクする人もいるとは思いますけど
ほとんどではない人の方が多く見えます。
だからこれを真剣に
試みることによってですね
そんなに対人関係で
対人関係でってんじゃないんだけど
身体を痛めつけるなどという方向に
反自動的に持っていくっていう以外の選択肢はない
なんてことはないわけですよ。
で私は幅広く見ると
皆さんやってしまうというのはやっぱり
最初に散々今日言ってる通り人間は
症状機能を使えますから赤信号を見れば
みんなが止まりますから
僕とは違うやり方にせよですね
なんかこう対人ストレスを身体に転化させて
身体にその負担を負わせて
発散という言葉の名のもとに
それ以上の刺激や負荷を与えるというやり方は
みんなやってるんであれですよ要するに
すっげー辛くなったからサウナにガーッと入って
水風呂に入るみたいなああいうやつです。
別にそれがいけないとかいいとかいう話とは
これは違うんですよ。その前にむしろやってることの
問題なんですよね。サウナと水風呂だけであれば
短時間で済むので
そんなにあれだと思うんですよね。その前に
医療のストレスを全部一旦身体に置く
だからそれを身体への刺激によって
発散できる気がするわけじゃないですか。
ある程度本当にそうなのかもしれないけどある程度本当にそうだとすると
余計ヤバい感じがするんですよね。
本当は心が持っていたストレスをただ身体の上に
何て言うんですかね。流し込んでるだけのようなものであって
発散が仮にできるにしても
発散するまでの日々はどうなってるんだよ
っていう心臓とか
脳とかそういうところに行っちゃってるわけ
じゃないですか。ある意味。
全部が全部じゃないですよ。そういう風に考えたから
全部そうなるっていうような話でもないですし
それじゃオカルトになっちゃいますからね。
ただいくら行くばっかりにせよそういうことを
やるというのをやめると
身体は想像以上に
言ってみれば
本来の何かを発揮してくれるものなんだなと
それは私がむしろ得意としない分野ですけども
あるんですね。そういう機能が必ずには。
それを僕らはかなり
邪魔立てしている。少なくとも
そういうストレスを流し込むみたいなことではないにしても
ストレスを置くことで邪魔になっちゃうんですよ。
そういうストレスを置くことで邪魔になっちゃうんですよ。
ストレスを置くことで邪魔になっちゃってるっていうぐらいのことは
言えると思います。これは
本当に人によってやり方も違うし
そのプロセスも変わるんですよ。ただ
どっちにしてもやめといたほうがいいということと
どっちにしてもやっちゃいがちだと
なぜなら途中言った通り
これを人は止めないですってね。
やってて悪いことじゃないだろうぐらいに
思ってますから。で、これを
どか食いによって飛ばすとかそういう風になってる。
どか食いでなんで飛ぶかっていうと、これはもう分かりやすいんですよね。
いわゆる報酬系が働くから
その時のネガティブなものが
一緒に、体と一緒に飛んだ気がするんですよ。
で、まあ
途中口走っちゃったんで、ついでにそのまま
行こうと思うんですけど。
タスクシュートとは
どうしてタスクシュートを通じてやるようにしているかというとですね。
これがちょっと分かりにくいかなと思うんですけれども
これって結局
いつどこでこういう事態になり、いつどこで
この体にシグナルを送って
ストレスを
預かってもらいたがることになるかは
分からないじゃないですか。そうですよね。
これがいつ起きるかなんて分かってるぐらいならば
それを回避するようにしますよね。
だから僕は
タスクシュートでは今それを
あまり強調しない約束ではないけれども
流れにはしてあるんですけど、それは正しいと思うんですけどね。
でも私は24時間やっぱり撮るわけですよ。
つまりいつこれが起きるか分からないので
いつ起きても同じだと思うんですよ。
それが食事の最中であろうが
娘の送迎であろうが
仲がいい人とやってることであろうと
愉快なことをやってる時であろうと
何であってもいつであっても起き得る話で
だから逆に言うとですね
これを起こさないという
全時間においてこれを起こさないという
方向性でいくならば
ここで僕の時々
言っているやつですね。
タスクは全て等価です。
等価なんですって話になっていくんですね。
どのタスクをやってる時も
心がけるべきことって変わらないと思うんですよね。
グッドバイブスでもそうなんだけれども
これをやってる時だけは
グッドバイブスでいいけど
こっちでやってる時は攻撃してもいいとかって話にならないじゃないですか。
どんな時でも同じ方針でいくってことはですね
ある意味どんな時も同じであるっていう話であって
行動っていうのは
認識の名称で呼ばれるから
いろんな行動があるように見えるけど
要するに同じだと思うんですよ。
等価なんだっていうのはそういうことで
等しい。価値もそうなんだけど
あらゆる意味において基本等しいっていう感じがするんで
原稿書いてる時はグッドバイブスでいいけど
トイレに行く時はバッドバイブスでいいよねみたいなことは
起こらないと思うんですよ。
そういうことをやっていると
そのトイレの時に何が起きるかわかんないんですよね。
何かとんでもないことが起きてたちまち心身を削りまくるみたいな
そうするとお金を全時間に波及していくんで
結局それはそういう例外規定を
設けるわけにはいかないんですね。
話がちょっと
膨らんでしまうというか広がっちゃうんですけど
だから等価っていうとですね
僕は前にも
対談本で
話させてもらった内容に近づくんですけれども
さっきロサンゼルスで
原稿版逮捕を見たっていう話をしたんで
ロサンゼルス行った時に思ったんですよね
何者かになるっていう話を
皆さんよくされますよ。
何者かになるために
タスクを等価として扱うわけにはいかないんだと
僕はそういうふうに言われたことはさすがにないけど
おっしゃってることはそういう意味になるんだと思うんですよね。
毎日毎日
食事とか
私がタスク中途でよく言うやつね
睡眠とかトイレとか
学校に子供を送るだろう
食洗機に皿を入れるだろうということばかりでは
ダメだから
私はもっと違う時間の
使い方をする人間になりたいんだということ
なのかもしれないですけど私ロス行った時思ったんですよ
でもそうはいったってですね
やっぱり誰でしたっけ
ロックスジャパンでしたっけの人みたいに
あそこに手形を残して名前を掘れるほどの
意味がわかんなくて
あの手形のところ行ったことあるんですよ
それも大学留学中の仲間と行くという
僕が憧れている行動ができたんですけども
めっちゃつまらなかったんですよ
そのことが言いたいですよね
僕意味がわかってないから当時はさっぱりわかってなかったんですよ
手形をそこに残すということすら知らずに
ここなんだよ
正午ここなんだよ
手形が残ってるなって思って多分有名な人ばかりなんでしょうね
でも私はそれを見て眠いなー
みたいなこと以外は何も感想がなくて
今だってXの人が残すって
すごいことなんだろうなーってニュース見て思ったけど
何の考えもわからないんですよね
つまり何が言いたいかというと
ロサンゼルスに行きました
確かに走ってる車はポルシェとかばっかりだったと思う
あんまり僕は車にも興味がないときてるんで
やっぱり高級っぽい車だなーと思っただけなんだけど
これに擦ったりしたくないなーとしか思わなかったんですね
つまり
彼らにしてもですね
僕はタスクシューターだから
彼らがタスクシューターをつけてるわけは絶対ないんだけど
つけたとした場合
やっぱり時間の85%以上
これは少なく水持ってですよ
85%以上は睡眠と食事と
お風呂とホイールと
なんなら食器を用意するとかが
埋めてるんですよ
彼らのようになったら
タスクの時間が全く違う
もっとワクワクドキドキに満ちた時間になるはずは
絶対ないんですよ
夢も希望もないって言うんですけど逆だと思うんですよね
つまりこれができるということは
彼らの生活に匹敵するくらいのレベルの生活を
既に僕ら送ってるってことだと
私は思うほうがいいって思うんです
こういう話なんですよ
本当は
信じられないと言うんであれば信じられないかもしれないけど
でもですね
代理的でいっぱいのお風呂に入っても
うちの真剣材とプラスチックでできてるお風呂に入っても
あんま変わんないと思うんですよね
多少は違いますよ
そう日の木作りの温泉とかは気持ちいいけど
そこは変わんないと思うんですよ
確かにランチョンですかね
ロスに行った時に食事して思ったんですけど
日本で
4000円くらい出せば
味で言えばこれにするものは食える
高かったけど高いところで食べてみたりもしましたから
ロブスターとかですけど
でも味で言えば
日本で4000円高いですよ
出せば多分これくらいのものが食える
そしてこれを毎日食いたいとは思わないなって感じがしました
でも美味しかったですよ
ロサンゼルスの80ドルくらいするロブスターは美味しいです
間違いなく美味しかったけど
どうかなーって感じなんですよね
これってつまり
ハリウッドのスターになるとかいう話になるのかな
って思うんですよね
ハリウッドのスターになるとかいう話になると
全然話が飛ぶじゃないですか
もちろんタスクシュートに
まさか僕と同じような時間で埋まってるわけはないんだけど
結局8割くらいは
まさにこの8割くらいはなんですよ
これは控えめな数字なんだけどね
日によっては95%は多くの人が望まない
地味な時間で埋まっていくんですよ
地味な時間の重要性
そして日々を無駄にしているって
人によってはそこまで言うんですけど
でもこれらのことが無駄であればですね
残りの5%の活動が有意義だっていう話をした時に
例えば僕の場合その有意義の
多分誰もが一応認めてくれる有意義なのは
本の原稿なんでしょうけど
5%はないんですけどね
でも5%だとしてそれを50%にしたら
嫌で嫌でしゃあないと僕は思います
50%って12時間ですからね
毎日12時間本の原稿書くなんて僕の人生観ではありえない
それだったら物書きやめます
たまにやるっていうのは別ですよ
10時間書く日が1日もあっちゃ嫌なのかって言われると
そんなことはないですが毎日ってなったらとんでもないですね
私だったら絶対嫌です
それだったら娘と喋っていたりゲームしたりしている時間が
8時間ぐらい持ってるほうがはるかにいいと思う
それはもう価値観もあると思うんだけど
でも
10時間原稿書くっていうのは
やっぱり僕は価値としては等価だと思うんですよね
はっきり言えば食事のほうが
生きるのには有効なんじゃないだろうかとさえ思うけど
それはちょっと違う意味になっちゃうんで
そうではなくて
つまりその時間にやるべきことも変わらないんですよ
やっぱりですね
まずさっきの文脈で言えば
ストレスを体に転化したりはしない
これを原稿書いている最中とかは
ぱんぱんやります
本当に原稿さえ書ければいいモードに入っていって
ちょっとでも疲れてくるとですね
体に投げるんですよ
原稿書きながらコーヒー飲まない
これは昔そういうスタイルに憧れていた
30代中盤くらいの
かなり若かったと今では思うんだけど
アホだなと思うんだけど
コーヒー飲みながらガブ飲みして
原稿を書き殴るみたいなのが
いいっていうね
物書きっぽくてかっこいいっていう感じがあって
12杯くらいは飲んでいた時期があって
めっちゃなんつうんですかね
情でした
急性カフェイン中毒になっちゃうんですよね
なっちゃってたんですよ
夢見ればめちゃくちゃ悪夢だし
冗談みたいな悪夢なんですよ
ハロウィーンのお化けに
追っかけられるか飲まれるか
追っかけられるのは怖いんだけど
飲み込まれるっていうのは
気色悪い感じなんですよね
平所の感じと近いんだろうなと今思うと
思うんですが
コーヒー10杯くらい飲んで原稿いっぱい書く
すごいいいみたいな
ぶっ倒れそうになっていて
ますます物書きっぽくていい感じだと思ってたんですよ
そこにダメだなって思うんですよね
つまり
効果じゃないんですよそういう時間の使い方って
すっごく時間の使い方に楽さを設けていて
さっきの話に出てくるような
地味な時間の次と
派手な時間があるみたいに思っていて
派手な時間何してるかっていうと
体を痛めつけてるんですよ
人間っていうのは
ストレスを受けるんだけど
ストレスそのものは精神は派手だろうと地味だろうと
受け入れないんです
受け入れないものをどこに置くかっていうと
他人にぶつけたりして感触を起こして
それがスタイルになっちゃう人もいるんだけど
僕はそういうことができない人間だから
自分の体に投げる
それをコーヒーで飛ばすみたいなことをやっていて
ますます体に負担が増えていくんです
意味がわからない時間の価値観
ただこれだけの
かなりしょうもないことなんですよ
これがかっこいいと思ってやってるわけだから
だから
効果だってのは大事だなって思うんですよね
効果なのは結果でしかないんですけれども
でもそんな風に
当時だってタスクシュートつけてましたから
そんなことをやっていても結局なんだかんだ原稿の時間は
やっぱり2時間を突破するのは難しいんですよね
これは他の書き物を全部合わせれば突破してましたけど
原稿そのもので2時間突破する毎日などというのは
早々遅れるものではなく
やっぱり睡眠と食事とお風呂とトイレなんですよ
だってそりゃそうに決まってますでしょ
そうに決まってないとやっぱおかしいと思う
生き物なんで他の生物はそもそも
精神的な時間みたいなものは持ってないわけですから
24時間の中に
ほぼ間違いないですけど
うちの目高とかはゼロですからね
間違いなく食事と睡眠とトイレだけで
できてるわけですよお風呂とね
ずっと水の中にいますからね
だからその通話創立風に身体は動くものなのに
僕らはそこに精神の時間みたいなものを
持ち込みたがる
すごく象徴作用で動く時間みたいなものを
持ち込みたがる
言語と象徴の世界に生きていたがるんですよ
本書いてると多分にそういう時間になりやすいんで
でもそれはやっぱり限度があると思うし
そこもやっぱり10日には使わないと
他の時間全域にですね
おかしな身体的な負担っていうものを
まん延させることになる気がするんですよね
そういう意味では僕は
ロサンゼルス行った時に思ったんですけど
ここの生活の方がむしろ苦労が大きそうだな
って感じがしたんですよ
その何者かになるとか人かどのものになるというと
あそこ何かを承知しないといけないんですよね
そういう意味では僕は
ロサンゼルスの魅力と退屈な時間
私の友達の女の子はいなかったんですけど
男女で行くという
まさに自分が大学時代に憧れていたものが
まんま実現してめっちゃ退屈で早く帰りたくて
相手だってしょうがなくて
やっぱロサンゼルスで僕にとって面白いものって
何もないんですよね
驚くべきことに
ロブスターぐらいだったんですよ
音楽がわからないってこういうことだったんだな
ギター屋さんに行って
いろんな人がそこで時間を長く費やすんですけど
僕はギターって高いんだなっていうのを
一つ一つ確認して
この時間をどうすればいいんだろうっていう感じで
本当に困ったっていうか
途中寝てたんですよね
ギター屋さんで寝ちゃうみたいな
っていう風に
だから僕の中でロサンゼルスに行って
一番これを見てきたから
ロサンゼルスに来た甲斐があったって思えたのは
麻薬販売の現行犯逮捕のシーンなんですよ
でもあれはやっぱりちょっと
生で見るのは難しいんで
本当に7時ぐらいなんですけど
西海岸なんでまだ日はあるんですが
暗くなってきたところでふっとそういうことがあって
いきなり逮捕されてるというですね
あれを見てロサンゼルスに行った甲斐はあったな
ぐらいな感じで
今だったらもうちょっと有意義な時間の使い方するんですけど
あれとロブスター以外何も覚えてない
あとはもうひたすらギターと手形とポルシェが
私にとってはどうも意味がよくわからなかった
というだけなんですね
思うにタスクシュートじゃないんだけど
要するにタスクシュートじゃないんですよね
24時間のうち
これはタスクシュートの結果をわかったことですけども
はっきり言って95%は地味な時間です
僕これ人形になるとかなんないとか関係ないと思うんですよね
だからこの時間の使い方を
動かすことによって
ハリウッドスターになりましたというところまで
目指すとしたって結果変わらないんですよ
そしてそれは
つまりそこを逆に考えちゃいけないと思うんですよね
それではもう夢も希望もなく諦めるってことですか
ではないんですよ
時間の価値と自己成長
僕が思うに逆だと思うんですよね
ほぼ今すでにハリウッドスター並みだと思う方が
おそらく僕は真実に近いと思うんですよ
実際何が違うのかって
言うとですね
大理石のお風呂に入れるという違いはあるかもしれないけど
何が違うかっていうと
自分のことを知ってるという人間の数が増える
っていうだけの違いのような気がします
それ以外には多分
時間の上に記録される時間の
質とか喜びとかストレスとかは
原則全く変わらないんじゃないかっていう感じすらします
一方違うと
ストレスに関しては増えそうな傾向を持つだろう
だから僕は結局
ハリウッドのスターになれないけど
慣れたとしてあそこに手形で賞後捧ぎって書けたとしてもですね
僕がその時一生懸命やってることは何かっていうと
体にストレスを添加しないという心がけを
倉園慶三さんの教えに従ってですね
体にストレスを添加しないと
体に罪はないと
体はニュートラルなって体というものが
精神のストレスを一心に受けて
心身を削り取られる日々を送らなければいけない
言われは全くないってことをずっと
時間は10日だっていう
発想の下でですね
何をやってる時もこれをやってれば間違いない
っていう意識で
体に向き合ってことを
手形残して名前を掘っても
どうせやってるだろうなって思うんですよね
それが一番大事だと思ってやってるんだろうなと
あとは自分の仕事を嫌いにならないみたいな
昨日とか一昨日に話したような話です
それだったら全然今と変わらないじゃないですか
ただ自分の名前を知ってる人が
今の1万倍ぐらい増えるかもしれないんだけど
それっていいことでも
なんでもないことのような気さえするんですよ
もちろんこれを好むって人はいると思う
だからそういう人にとっては
私が言ってる通りの感じには響かないし
100万人の人たちが知ってるということ自体が
全くやることが変わらなくてもいいんだ
っていうことはあると思います
だからそれを目指す人ってのは当然いるだろうし
いっぱいいるわけですよ
目指さない私のような
全然そういうものに変がなく生きてきてるっていう方が
少ないのかもしれないとは思うんですよ
それはそれで全然いいと思うんですよ
ただ時間の使い方は変わらないだろうとは思うんですよね
これはですね
僕の15年の経験ですよね
とりあえずの
明治的には15年
本当はもっと長い経験で
知ってきたことだと思うんですね
QOLは知りませんが
QOTは
時間の価値というものを
多分今がMAXだと思うんですね
あそこに手形を残せるようになった日がMAXでは
きっとないと思うんです
49:26

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