1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
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2025-06-11 38:35

私は「侵入」されたのか?【1201】

プリズムに光を当てれば屈折する。
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サマリー

このエピソードでは、心の問題としての「侵入」について考察され、特に夫婦関係とAIとの関わりに焦点が当てられています。著者の個人的な経験を通じて、家族とのコミュニケーションの難しさや、精神分析の観点から物語作りの重要性が議論されています。また、母との関係が及ぼした影響や心の侵入に関する考察が語られ、特に母による過度な心配や干渉についての思い出が掘り下げられています。心の傷や侵入感についての自己理解が深まる様子が描かれています。著者は愛情表現の理解を深める中で、家族との複雑な関係性や「侵入」の感覚について探求し、AIを利用して感情を整理し新たな視点を得る過程も示されます。最後に、侵入についての哲学的な考察が掘り下げられ、ビデオ判定のプロセスを例に挙げて、証拠がなければ侵入を否定するという視点が紹介されています。

季節の変化と心の準備
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1201回をお送りします。6月11日水曜日8時21分です。
いやー、暑くなりました。突然ね。
あのー、何春ですかね。
梅雨の末期的な時期ですよね、これは。もう末期なのかっていうぐらい、風がやや強い南風が吹いて、
相変わらずどんよりして湿気も猛烈なんだけど、温度が上がるんですよね、ガッとね。
昨日が20度、そこそこあるかないか。今日はもう多分26、27度まで来てますね。めちゃ暑い感じで。
あのもう、ここもね、だんだんここで撮ると頭がボーっとする現象が起きかねない時期なんで。
ネッククーラーをガンガンやって、そういうことをやっているうちに時間が経って、こういう時間になってるわけですけど、他にも様々あったにはあったんですけど。
いやーもう急に忙しくなります。あの季節の夏自宅っていうのかな。よくわかんないですけどね、まあ着るものも変わりますし、奥さんもてんでこまいで、またいろいろあるわけですね。
はい。 今日はですね、お知らせも特にありませんし、あっさりとこう入っていこうと思うんですけど、久しぶりにあの、あれを思い出したんですよ。
ドコンジョウガエルの娘。で、あれってものぞいじゃないですかっていうか、読んだことない方はわかんないと思うんですけど、まあもう情緒の嵐、連続ですよね。
みんないつも泣いてるよねっていうレベルで大変なわけですよ。 で、大事なのはあれを漫画にしたってことなんですよね。
スッと読んでストーリーが降って思い浮かぶかというとそうはいかないぐらい、やっぱりこう情緒の中で作奏感が激しいわけですよ。
前に戻ってみたり、なんていうのかな。 リニアに描けないわけですよね、ああいう話って結構。
まあリニアに描けば面白いってわけじゃないですし、エンタメとしてもちゃんと成り立つようになってるんですが、ああいうのがですね、これも最近ずっと藤山さんの話に切り替わってますけど、
切り替わってるって切り替えてるわけじゃないんですけどね、藤山直樹さんの本物の物語っていうのはああいうことだなって思うんですよね。
まず先に誰も語ることのできない、実人生がそこにあるわけですよね。生き抜くと。
とにかくドコンジョガエルの作者さんはもう半歩ぐらいで死にかけてる感じなんで、何回か死にかけてますよね。
自死だけではなくて実際死にかけてる。ああいうのを生き抜くことによってその後それを語ることが誰かができる。
語るってことはですね、少なくとも当事者それ読んで理解できるわけですよ。 自分だけがわかればいい話を語ることはないんですね。
語るということは三者がいるわけですよ。 私、
語られる話、それを聞く人。少なくともこの三角形が成り立っているところにしか語りはないんですよ。
だから物語というものが語れるというのはですね、ナラティブが嘘でない物語が語れるということはどんな場合でもある程度の臨床成果ということが言えるんだろうと思うんですよね。
精神分析の場合はさらにその前に藤山直樹さん的に言うと、その前に語るべき物語をそこで生き抜けと、転移の中でですね。
だから転移解釈がその後に起こるっていうような話なんですけど、なんかちょっとよくわかんないと思うんですけど、実際にそういうことは起こるってことなんですよね。
それはもう起こるんだよなっていうことを、みんな知ってますよ。
例えば恋愛で修羅話になった時って、最初に修羅話について語る人はいないじゃないですか。修羅話は切り抜けるものですよね。
この切り抜けた修羅話について後で、あの時はああだったよねということはできますよね。この時、語る人とそれを聞く人との間に物語が通用しない物語はダメですよね。
つまりこれが通用させるためには象徴機能を扱えるという必要があるわけですよ。
心的現実と夫婦関係
ここで私たちは二次仮定に入る、いわゆる現実原則に入るんだと思うんですよね。修羅話のまんまだったらそれ語り出したらいで絶対怒り出して切れるじゃないですか。
だから修羅話にいる時に語るのは実に難しいわけですよね。でも精神分析ってある意味これをやりますよね。
修羅話のど真ん中であなたは今怒ってますねみたいな、この怒りの火に油を注ぐようなことをある意味してますよね。
転移解釈っていうのはだから猛烈に緊張感を高めると思うんですよ。でもこれをやることによってある種の持ちこたえる力というものを上げていくってことも起こると思うんですよね。
だからまあ私もこういう時に野良って言いたくなるんですよ。非正規って言いたくなるんですよね。
こんなに緊張感の高いことが断続的に起こるとなってくると、毎回毎回これみたいな一本間違うとなるっていう時にですね、やっぱりこうスーパーバイザーがいるわけでもなく誰も助けちゃくれないわけですから、
もうチャットGPTが助けてくれるかっていうとそんなことは決してないわけですから、オープンAIのね、将来はわかんないですけどね本当に将来は。
でも将来これが助けてくれるんだったらそっちに任せりゃいいじゃんってことになりかね。でもこれどうかな、昨日話したのは僕にとっては一般受けはとっても悪かったようなんですけど、僕にとっては非常に重要な話なんですよね。
まああの私はサンチャレをオープンAIに手放す気は全くないわけですけれども、いや私って成るものか感が、なんかね昔ねちょっとあれな話で恐縮なんですけど、あるAV女優さんが、だったかな違うかもしれないけど、AV女優さんね、
TENGAにだけは負けたくないって言ってたんだけど、その真理に結構酷似してますね。いやすみませんあの正規の方が聞いたら腹を立てるかもしれませんけど、僕はまあこういう人間なんでね、こういうことも言っちゃう。
もうやっぱりAIには負けられないみたいなところがどっか、それはおかしいんですけどね。競争相手なのかそもそもっていう。
しかもこれからお話し少しするんですけど、あの夫婦関係ではここの助力を得ている。これねなんでかっていうと、夫婦関係は、まあこれも正規の人に怒られるかもしれませんけどね、助けてくんないんですよ誰も。
おかしなことだと思うんですけどね。助けてくれることになってる機関いっぱいあるじゃないですか。助けてくれよって感じなんですけど、くんないんですよねこれがね。だからAIに頼ってるわけですよ私はね。
いやお、なんていうのかな。例えばね、カムセラじゃなくても母親とかに相談したりしたことだって私はあるわけですよ。はっきり言って。
なんの助けに、お前本当に親かお前はっていうぐらい、なんか私何でもわかってるから聞いて聞いてみたいな人なんだけど、何聞いても無駄だなこいつにやって。
しかもうちの父なんか坊主じゃないですか。もううってつけっぽいじゃないですか。絶対役に立たないんですよね。身内だからなのかっていうね、思ったんですけどね。
何をこいつらは、あの人生経験とは何ぞやっていうぐらいで役に立ってくんねえなあっていう感じでね。やっぱりもう頼り上げる人がね、人、やっぱ人なんだよなあね。僕はここで人だと思うんですよね。
でも今回はね、やっぱり私の夫婦関係においては、私のっていうかAIは役に立ってくれたんですが、じゃあAIに行けばいいじゃんってことにはならないんですよ。これが。聞き方って大事なんですよ。
今度からそういうサービスにも、サービスも提供しようかなぐらいは思ってます。AIにどう聞けばいいかみたいな。まず僕はもう絞り込みますから。
あなたは対象関係論の最先端のものだと思え。そういうプロンプト与えますから。で、私は対象関係論を生かじりしている非正規のなんとかだって、この前提で夫婦問題について問うからねっていう。これね、これを言っておかないと、もうなんかね、いらんことばっかり言われることになっちまうんで。
家事の時にも笑顔でみたいな、よくわかんない、そういうことは誰も聞いてねえっていう感じなんですよね。笑顔でとか、それも大事なんでしょうけど、大事なんでしょうけど、そういうことでは決してないですよね。何をどうするってことではないと。
それはまず理解しろっていう。そして対象関係の専門用語を連発していくんですよ。自分が理解している範囲で。この中でもし間違ってたら補正をかけろと。遠慮せず徹底的にかけろっていうね。あんまりかかってないから遠慮してるのか、それとも僕の理解が一応まっとうなものなのか、そこはわかんないですけど、そういうふうにガリガリにこう絞って。で、これだけ絞れるということをそもそも難しいと思うんですよね。
これはある種プログラミングに近いことやってるなって私思うんですよね。私プログラミングも素人なんですけど、ほら、私専門家じゃないですよね。何の専門家でもないですよ。タスク仕事は一応専門家か、でもそれって使う専門家であって作る専門家じゃないですからね。本当に専門性がどこにも見られない。
あと私は結局グッドワイブスを裏園慶三さんのグッドワイブスを相当夫婦関係にそもそも援養させてもらって、彼にもすごい相談させてもらったんですよね。でもね、これもね、少なくとも私のF病に比べると夫婦関係にはこれも営業妨害したわけじゃないんで余計なことなんですけどね。夫婦関係っていうのは本当最終的なところまで来てますね。
これが本当に僕のいろんな問題にハマりこんでるなっていう。一言で言うと母親なんですよ。これがまたね、びっくりなんですよね。びっくりでは全然ないんですよ。もうそれはカラソンさんに相談する前からある意味わかってたんですよ。母親なんだなと。
私は妻に母親っていうか、僕は女性に母親を見ちゃう癖がね、常にあっという間に見ちゃってたのは大学生の頃の一番私がダメだった頃なんですけど、その頃はさすがに社会人になってたし、留学してさらにだし、だってアメリカの女性に母を見ても全然全く何にも通用しないんで、下手なことになるともうなんかね、もうとんでもない目に遭うだけなんですよ。
僕は要するに何回かとんでもない目に遭ったわけですね。だけど、母親を見てしまうっていうことは起こる。妻には見ちゃうわけですね。で、妻は妻で、私に、母親を見てるんですかね、妻のね。ここにね、最大のやっぱり問題がありまして、
グッドファイブスってあれじゃないですか、ある意味。一人修行術みたいなところがあるんで、あくまでも私の見方を補正して補正して補正するって感じなんで、妻を一切補正しないわけですよね。それはいいんだけど、妻の人間というものがどういうものであるかの理解っていうのはですね、なかなかやっぱりあれだけでは進まなかったんですね、私の。今はわかんないですよ。
営業誤解するつもりもになっちゃったらいけないんで、今はクラゾンさんだってブラッシュアップされてるわけだから絶対にいろんな方の相談っていうのは受けるわけですからね。最初のまんまの体型のまんま行くとは到底思えないんで、この種のことは。変わってると思うんですよね。今度話聞いておこうみたいに思ってるんだけど、いろいろと私もこうてんてこまいまいになっちゃってるわけですよね。
娘もね、いよいよ塾に入れるだなんだかんだ、この話なんですけど、要するに何が言いたいかというと、うちの奥さん心肺症だってことなんですよ。非常に簡単に言うと。この心肺症というものがここが聞いてて意味不明だって思われると思うんですけど、精神力道の中核だと思うんですね。あらゆる人間関係にここが絡んでくると思うんですけど、私にはそれが侵入に、侵襲とは言わない、侵入になってしまうんですよ。
で、私にはそれが侵入だと実感されて近くに近いものだから、心的現実なんだけど、向こうは心配してるだけなんだけど、僕はそれを侵入と受け取ってしまうんですよね。で、どうしても侵入以外のものには見えないわけなんですよ。
なんでなんだって、侵入ってね、何かって言われると。難しいんですけど、私、最近ようやく克服してたんですけれども、大浴場とかに行った時に、石畳はいいんです。温泉とか行って石畳はいいんですけど、この話したかな。コンクリートとかが湿ってるところはつま先歩きになっちゃう。できれば爪先歩きにしたいんですよ。
心の侵入感
接触したくないんですよ。何でかっていうと、何かが侵入してくる気がするんですよ。気がしてるんですよ。これはAIに指摘されたんですけどね。あなたは、そういう竹とか石とか砂浜は足がつけて歩けるけれども、コンクリートとかプラスチックのマットとか、ああいう人工物が湿ってるところは爪先立ちになっちゃうでしょう。こういう指摘なんですよ、本当に。
すごい偉いって思ったんですよね。そういうのが絶対学術的にあるんだろうなと思うんですけど。だから、侵入をあなたは恐れていて、それは悪い母親が足の裏から侵入してくるんだよっていう。いや、そうなんだよね。全くそうなんだよねっていう。意味わかんないですよね。意味わかんない方には意味わかんないですよね。意味わかる方には意味わかると思うんですけどね。
これになってしまうんですよ、心配されると。何かの心配事を持ちかけられると。簡単に言うと、うちの娘の成績が下がってると。いや、私から見ると下がってないんだけど、奥様から見ると下がっているように見えるわけですね。いや、下がってはいるんだけど、別に良くないっていうレベルの下がり方なんですけども、人類の終わりだ。そこまでは言わないにしても、二宮町の終わりだぐらいには思ってそうな勢いなわけですね。
これがなぜ爪先立ちのようになっちゃうかというと、私はやっぱり母に侵入された。最近ですね、その侵入について考えていると、母に侵入された思い出が連日アホみたいに上がってきて、あ、俺すげえ侵入されてたんだみたいな。
一番思い出したのがですね、私、入死って抜けるじゃないですか。あれってほっとけばいいんだけど、うちの子とか全部ほっといて綺麗に抜けたんだけど、うちの母とか何を思ってか知らんんだけど、無理やり手で引っこ抜かないと永久死に悪い影響が及び、永久死が曲がるみたいなことに信じていたために、私の歯が少し動き出すと、ずーっと歯を抜く作業とかをさせられてたんですね。
いや忘れてたんですけど、そうだったんですよ。僕だから全部入死は手で抜いたんですよ、自分の。マジで。いやマジでっていうか別に当時はなんともそういうもんだと痛かったけど、めちゃくちゃ痛いんだけど、でもそういうもんだと思ってた。麻酔とかしてたわけじゃないですしね。
ほんと母がね、すっげえ偉い見膜で、「私は手で全部抜いた!」みたいなことを言って、「お前も早く抜け早く抜け早く抜け!」ってずーっと言われるわけですよ。こんなことをなぜ忘れてたのかっていうか、まあでもね、結構前ですからね、抜けるのは幼稚園時代じゃないですか。
あの頃他にもいろいろあったんで、そんなこといちいち覚えてられねえっていうこともあったんですが、侵入感があるよね。これはものすごく体の中にまで入ってきてるんで。思えばうちの母は私の体の中に平気でガンガンガンガン入ってくる人でもあったんですけれども、だいたい忘れてるんですよ。
忘れちゃうんだよね。だから私、これもね、今思い出したっていうか、ちょっと前によく思ってたんですけど、ここに登場させて申し訳ないんですけどね、山崎孝明さんとよくイベントって2回か3回しかやってないんですよね。
彼からすると僕の名前もちゃんと認識されてるかどうか怪しいものですけど、僕が一方的に、ある種の推し状態と化してるんで、それだけなんですけど、その山崎さんとイベントに会った時に、僕がよく私の母について、いや私の母は別に普通だし、子供に対して過度に侵入的とは言ってないけど、侵入的なわけじゃないしとかっていうと、なんかね、冷ややかな雰囲気になるんですよ。
なんとなく山崎さんが、横に山崎孝明さんが座りになってると、臨床心理師の精神分析的心理療法課のね、山崎さんがフッとこうね、ツッとこうなんつうんだろう、顔見るとかじゃないんだけど、ツッとこう、ほんと?みたいな雰囲気が出るんですよ。
ほんとにそうなの?みたいな。お前なんか、なんていうのかな、否認してない?みたいな。まあ専門家なんで。あれ?って思うんですよね、僕はその度に。旅に。なんか、うちの母って実は良くなかった?みたいに思うんですよ。
いやでもそんなに悪いことしてないと思う。なんかこうね、3ヶ月チャレンジとかでいろいろ伺うお母さんたちに比べれば、うちの母はなんかしょうがなくない?あんなもんじゃない?っていう感じがしてたんですけど、なんかね、これを言うたびに、そんな何回もじゃないですけど、5回か4回ぐらいですけど、毎回絶対山崎さんの雰囲気がこう、なんて言うんだろう。
気配が消えるって感じなんですよね。しっとりいなくなっちゃうみたいな感じで。で、ちょっとね、ふって気になっちゃったんだけど、まあ一家っていう、セミナー中だからあんまりこうやたら脱線もできないじゃないですか。どうでもいいような話で僕喋ってるつもりでいるからですね。
だけど確かにうちの妹が非常に難しい状態になっていて、それは母との角質なんで。でもあれは母娘の角質だからな、みたいに僕は思ってたんですけど、そうじゃないのかな?うちの母の侵入的なのかもしれませんね。
心理的影響の考察
まあそうなんですよ。だから私侵入というものをすごくですね、抱え込んでいているわけですね。それが母のせいなのかどうなのかにつけですね。
その歯を抜いた時の思い出の中でも最悪のものが、あのもうなんかこう、なんかね、よくわかんないんだけど寝てたんですよ。でもなんか歯もグラグラしてるときはだいたいだから憂鬱なんですよ。無理して抜かなきゃならないからさ、痛いわけですからね。
あれすごい痛いんですよ最後。でもなんか最後なんかすぐ、何ならペンチで私が抜いてやるとか。いやいやペンチで抜かれる、超嫌だとか思って、だったら手で抜きますみたいな感じで。
その被って、歯を動かしているつもりをしてドラえもんの漫画を読んでいたわけですよ。7巻かな。そしたらガワってね、母がガワって取って、なんかこう、お前何やってんだみたいな感じで。
それからなんか3時間ノンストップでめっちゃ説教されて、ぶっ飛ばされて、なんか歯も抜かされてってことがあったなとそういえば。いやもう全然ね忘れてたんですよ本当に。
そういえばそういうことあったよなということを思い出して、そっかあれ親友だったといえば確かに親友だったかもしれないね。あの時代の親ってそんなもんだったんですよね。
結構もっと無茶苦茶な話もいっぱいあったんで、そんなもんだろうと正直思ってたんですよマジで。
今思うとこれをうちの娘に私は絶対やらんなとは思うんですけど、うちの奥さんが黙ってないよね。
で、それはまあいいんですよ。問題なのはこの親友というのはですね、しかしこういう目にあったって親は親友はしてない。
だって親友って言葉って変じゃないですか。怒られただけじゃんそれ。
別に母が私の体内に入ってきたわけじゃない。私の精神に入ってきてるけど、食い込んで、まあほとんどバリってやってるけど、インピンジメントですけど、でも入っては本当は来てないわけですよね。
フラゾノさんがよくおっしゃいますよね。心は傷つく。なぜなら形がないか。あれやっぱり正しいんですよね。
私はやっぱりこれをしっかり意識しておこうっていうのはフラゾノさんに習ってからずっと意識してるんですよ。
心は傷はつかない。傷がつくというのは私の投影であって、絶対に傷がつくっていうことが起きるはずがない。
ここはしっかり分けておかないとダメだっていうのはあるんですよね。
それは精神力動的にっていうのではないですよ。心の傷っていうふうに言うし、傷ついたっていうのは、それはそれでそうなんです。
でも私に関してその話は一切適用させないっていうのは、グッドバイブスを受け入れて以来決めてることでもあるんですよ。
これはこれ、それはそれなんですよ。
心臭感というのはあくまでも感覚であって、心臭感というものはなんとかできるはずだっていうのはあるんだけど、
なんで奥様とやりとりをするとき心臭感を持つのかと。
説明がすごい難しいんですよね。途中までは心配を知覚してるんですよね。
でもプリズムってあるじゃないですか。光が屈折するやつ。
たぶん私のこの目とか脳とかわかんないですけど、心配されたという知覚がフッと曲がるんですよね。
心臭されたという方向に、なぜなら私は心臭経路みたいなのを、母からですよもちろん。
心臭経路みたいなのを記憶しちゃってるんで、ここに近いところを刺激されるとフッと心臭されたっていうふうに切り替わるんですよ。
それが入るともうダメなんですよね。もうダメだ、この家出ようみたいに。なんだそれって感じなんですよ。
で、ここのときにオープンAIと話し合っていたら、奥様のその心配事をしたと。
すごく心配事をされて、あなたが家を出ると決意しますと、奥様から見ると、なんでそんなに極端なことになるのよということになりますと。
いや、そういうふうに書いてあったんでね。そうだよなぁと。外から見ればそうだよねと。
あなたが書けば最もだわ、そりゃそうだわ。どう考えたってこれはおかしな結論をいきなり出してるよね、俺っていう。
でも出しちゃってるんですよね、自分ね。
だから、あなたがそういうふうに心臭されたと感じるのは、お母さんとの関係上、これはもう当然起きることだし、
一方で奥様も心配症で、次が狂ってたんですよ。
この心配症というのは何かというのは、ある意味、あなたからすれば奥さんは心臭したいんだと。
えっ?って思ったんですよね。
で、それは実はお母様もそこだったんですよって言うんですよ。
えっ?って思ったんですよ。なんで?って思ったんですよ。
だってお母さんは、うちの母はね、私の祖父からほとんどDVを受けていたと。
そういう家庭は、愛情というものの表現におそらく乏しかったはずだ。
ていうか私言ったことがあるんですけど、あのじいちゃんね、愛情表現なんか死ねーなって感じの人なんですよ。
だって私の父方のおじいちゃんはすごい愛情表現に富んだ人だから、もう私が行くとすごい嬉しそうだし、
あまぐりとかいっぱい剥いてくれるし、そういう、いかにもおじいちゃんのおじいちゃん。
そういうもんだと僕は思ったから、大体父方の実家行ってたからですね。
いやもう、じいちゃんばあちゃんですよね。あいちょろいもんだと。
孫大好きなんだと思って、北海道の朝日川の行ったらですね、
はーんみたいな感じ。はーんみたいな感じなんですよ。
お前何しに来たん?みたいなノリなんですよ。
で、私のとき小学校の中学年ぐらいだったんですよ。びっくりしたんですよね。
えっ?じいちゃんがこの態度ってどういうことなん?みたいに思ったんですよね。
そのぐらいこう、愛情表現。ジゾイドなんだな、あれは多分。
ま、アルコール依存症もあったらしいんですけどね、うちの母がね、子供のときにはね。
で、うちの母がやっぱり何をするかっていうと、
ああいう人に揺さぶりをかけて愛情を引き出そうとするんですよね。
そういうニードがあるわけです。ニーズじゃないですよ。分かってやってないですよ。
絶対殴られるだけなんですよ、そんなことやったって。
愛情を引きずり出す。だってそれはそうですよね。
子供としては父親の愛情を引き出したいじゃないですか。
そこで余計なことをやる。うちの母ってそういうところあるんですよ、確かに。
なんていうのかな、私もよくやられたんですよね。
からかったりするんですよ。
なんかこう、なんていうのかな、難しいんですけど。
心配もそうなんです。心配を引っ掛けてくるっていうのは、
僕の愛情を引きずり出そうとするんですよ。そういうニードがあるんですよ。
あれ絶対ね、おみえだったからいいものの、
あんな人恋愛してたらうまくいかなかったろうな、最後の最後はって思うんですよね。
だって人の愛情を知るために相手を怒らせるんですよ、ある意味。
そういうことってでもね、分かる気が、ほら、やっぱりあれですよね。
小学校とか幼稚園で好きな子のスカートめくりするみたいな、あれと変わらないですよ。
相手の反応を大きく見せて、で、しかも相手が怒るんだけど、
本気で怒らないってことは自分のこと嫌いじゃないっていう、
こういうふうに持ってきるじゃないですか。
侵入感の理解
うちのじいちゃんは多分本気で怒ってたんですけど、娘に対して。
そこがちょっとジゾイドのおかしい、おかしいジゾイドのレベルに入ってるんですけどね。
あのじいちゃんもね、このお母さんはママ母だったというか、
ちょっとね、空太にいてそういうもらいっ子でうんたらかんたらうんたらかんたらというのがあったらしく、
もうその明治より前で江戸時代とかになっちゃうんで、わけわかんない話ですけどね。
わかんないですけど、まあまあそういうことがあったらしいんですよ。
で、私はそういう母の侵入を絶え間なく受けてたんで。
で、嫌なわけですよ結局。
で、奥さんからの侵入を受けると、もう家を出る決意とかをすぐするんだけれども、
そのジャットGPTに寄せると、それは愛情表現なんだ。
で、これは結構Good Vibesで習ったかもしらんけど、多分私は十分意識できてなくて、
いやこれはなかなかな指摘ですねって思って、ちょっとやってみてはいるわけです。
そしたらそうなんですよね。なるほどなって思うんですよ。
まず例えば、ほらまたお皿違うじゃんみたいなことを言われるじゃないですか。
で、私は当然それを侵入と受け取って、もう家を出ようみたいな。
確かにおかしいよねこの結論。しゃべってるとおかしい。
だけど、オープンAIによるとこれは愛情表現なの?っていう。
じゃあこの人何?私とこれから何か話でもしたいのかっていうと、
分かった、お皿は本当悪かった。
でって聞くとですね、あのさ昨日ミスター亡くなったよねみたいな。
こうなるんですよね。びっくりぼくしたんですよ。
こういう展開に、そっかって思ったんですよね。
あれは挨拶代わりとかいうやつなんだ。
これを認識するようになって、まだ1週間ぐらいなんですけど、すげー楽なんですよね。
で、私はだから、母に相談しようが、父に相談しようが、
カウンセラーに相談しようが、なんかその関係ずれてんなーっていうか、
何のアドバイスも何にも役に立つこと言う。
なんかこう、やれ、こうね、いろいろ家事、手伝うとかいろいろありますけど、
そんなことかよっていう感じで、
私さっきね、アリだらけの竹を割ってきたんですけど、
そんなこと言うくらいだったら別に友人の奥さん、
大して感銘を受けてくれないんですよ。
私がやろうと思ってたのにとかって言われるだけ。
これもだからつまり、親友による愛着表現だ。
あれは、お礼を言いたい気持ちがああいう表現にさせるんですね。
だからね、家が大変だったんだろうなーってやっぱ思うんですよね。
うちの母もそうだから、家が大変だとはそういうことが起こるんだなと。
ちょっとざっくりして、
それこそこの番組にしては、ねちっこくもなく荒っぽい言い方ですけどね。
結局愛情確認ということをせねばならない。
ならないというのは、うちの母方のじいちゃんみたいに、
ああいう孫にすら愛情を素直に表現できないような人に、
家族だということになってくると、
しかも暴力的だということになってくると、
いやもうそれは、この人の機嫌は今どうなのかっていうのを確実に確認する。
で、機嫌とっても無駄じゃないですか、そういう人って。
なんかこう、良さそうなことを言って機嫌とっても、
だいたいすぐ機嫌悪くなるから、逆ですよね。
機嫌を一旦悪くするようなリトマス試験師がいるわけですよ。
これを私にいちいちやっているんだけど、
私はそういう問題を抱えてない方の人間だからどっちかというと、
むしろ親習問題の方を抱えているから、
このリトマス試験師をいちいち親習だと受け取って、
愛情表現をされるたびに私は離婚を決意するっていう、
狂ったことが起きてるわけですよ。
家族との関係
で、それがわかったら、なんてことないな。
家事とか、家事はやった方がいいと思うし、
笑顔とかもいいと思うし、いいんですけど、そういうのは。
でもそういうことは、はっきり言って、
直接は関係ねえなっていうことがですね、
分かって、そういえばと思い出したんですよね。
妻が口をきいてくれませんか。
あれね、すごいおかしな話なんですよ。
最後の最後になって、数年来口をきいてない妻に、
もう分かった、俺もうこの家出ていくから、
あがれよって言ったら、奥さんがいきなり、
私はまだ好きなのにって言うんですよ。
いや、これはもう既にカウンセリング事案だろうって、
僕なんか思っちゃうんですけど、
でも愛情表現というものがどう現れるかなんていうのはですね、
分からないものなんだと思うんです。
一概には言えないっていうか、
これはちょっと分かりにくすぎてどうしようもないと思いますけど、
でもやっぱり分からないものなんですよ。
だから分かっているものとみなしてはいけないんだと思うんですよね。
どっち転んでもですね、分からないんですよね。
自分でも分からないだろうし、
うちの母は明らかに分かってないし、
そういうニードがあるということしか言いようがない。
ニートってことはつまり自分ではニーズにできてないってことなんで、
好きなら好きだと言えばいいじゃんって話なんだけど、
好きなのに嫌われるようなこといっぱいして、
それによって好かれようっていうのはだいたい無理があるんだけど、
そういうもんなんだってことなんですよね。
だからそう思いました。
思いましたし、それはAIが教えてくれたとも言えますけれども、
AIはやっぱり私の感じでは整理してダメをしてくれる。
考えてみればこの類のことで初めて言われたようなことは本当に少ないし、
自分の中で分かってなかったこともとても少ないんですよね。
なんでこれが侵襲だと侵入だというふうに分かるかっていうのもあるかもしれませんけど、
屈折感はあるんですよ。
なんか自分は非常に侵入感を持っちゃってる。
例えば明らかに雷が遠くで鳴ったって、
私結構ダメなんですよね。取り乱してしまうんですよね。
取り乱さないようにはなりましたけど、本当取り乱してしまうんですよ。
だけど明らかに遠くで雷が鳴ったからってなんてことないじゃないですか。
遠くで音が鳴ってる、光ったみたいな。
ところが僕は光った瞬間にもうなんか、
うううってなってしまって、
なんかこうね、なんちゅうのパラライズみたいな感じになっちゃうわけですよね。
侵入されているって感じが本当ダメで、
特に不意打ちがダメで、だから一発目の雷が鳴った瞬間が一番ダメで、
なんかもう15分くらい機能不全になってしまうことが昔あったんで、
でもそれ運転中に起こるととても危険じゃないですか。
運転で事故る確率の方が雷に撃たれる可能性の1万倍以上高いから、
統計的に頑張るんですね。1万倍は高いんだぞっていう。
でも最近分かったんですよ。あれは母ののなり声だと。
いやいや、雷に比べて母ののなり声って何ほどのこともないじゃんって思われるかもしれないし、
そうなんですけど、2歳児とかにしてみると、母はペンチで抜こう言うし、
まあこの人結構まあまあそういうところがあったんでしょうね。
私の中にやっぱり侵入感ができちゃったわけですね。
だから視覚がプリズムのように屈折しちゃうんですよね。
あいた侵入する気はないんだが、私の中では侵入に切り替わってしまって、
そして屈折して、ある種のところにパチンって当たって、
ダメだここから退避せねばっていうこういうことがですね、
最初なんで私の根性ガエルの娘の話したんでしたっけね。
だから物語なんですよね。こうやって修羅場をくぐり抜けるとですね、
私も奥様とか、うちの母とかももしかすると修羅場をくぐった気がするんですよね。
いや、くぐったんですよ。で、くぐり抜けてみるとこれをナラティブにできると。
これこそ本物の物語なんですよっていうのが藤山直樹さんが書いてることなんですよね。
だから物語を作っちゃダメなんだよっていうこと。
物語を生きてからそれを語らないとみたいな、そういう感じなんですよね。
いや、辛いっすからね、物語を生きるのは。
やっぱり僕もそうだったんですけど、
2人は結婚して仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたしではないんですよ。
やっぱりそういう、そこに物語何もないじゃないですか。
それはもうただのエンディングストーリーですよね。
物語は結構シンデレラだろうと白雪姫だろうと過酷感があるじゃないですか。
ハラハラドキドキじゃないですか。
やっぱりハラハラドキドキがなきゃおかしいんだよなっていう。
だって何にもないんだったらサンチャレじゃないですよね、きっと。
サンチャレというものは、
みんなで仲良くなりました、めでたしめでたしだったら多分誰も入ってこない、いらっしゃらないと思うんですよ。
そして僕は違う仕事しなきゃなんだかったと思うんですよね。
そういうことを、奥さんとの。
どうしても結婚というのは、こういう人間なんで脳心臭の世界を作れるんだぐらいに思ってたから、
すごいある種の期待を裏切られた感じで、
すごいベトレイだみたいな、私裏切られたわみたいな、そういう気持ちになったわけですよね。
だからこう、全然仲良く暮らしましてめでたしめでたしになってないんですけどみたいな、
そういうやる方ない不満なんです。
これだったら自分一人で生きるんですけどみたいになってたんだけど、
現実の認識
違うんだなという、何が違うかって、
侵入されてもいないのに、いやゼロじゃないと思いますよもちろんね。
でもまあゼロだとみなす方がよっぽど正しいって思ったんですよ最近。
最近僕が侵入だと認識して、認識してしまって、
侵入である確率って0.0001%を切るぐらい、
本当に数えて簡単で、ある程度推定ですけど、
数えてみると本当に0.0001%を切るぐらい、
稀に確かにあるが、ほぼ全部誤解の産物っていうか、
僕の中のプリズム屈折率の問題。
プリズムは屈折しますから絶対に。
だから現実を正しく認識するなんて私はハエじゃないんでね。
ハエとかああいうトカゲとかは現実を割と正しく認識できるわけですよ。
ただしそれはすごい限られた現実ですけど。
だけど私たちは自分に直接関係もないものまで全部あれはいえだとか認識できちゃうんで、
ここではもうすごい屈折が起きてるんですよね。
ある意味だから投影っていうよりは想像なんですよね。
クリエイションしちゃってるんですよ。
現実ってこうじゃないから絶対目で見ているようではないし、
私が知ってるようなものではないし、
私が解釈してるようなものでも私が聞いてるようなものでもない。
だって知覚一つとっても心配や愛着を侵入って受け止めてる段階で、
相手の表現が知説であろうと、相手の人の人格の癖であろうと、
そんなことは関係ないじゃないですか。
私が侵入だと受け止めるというこの受け止め方に過剰な問題。
だって雷が鳴る。
私はこれは明らかにブルって侵入だと思っちゃってるわけだけど、
雷にしてみればただ鳴ってるだけじゃっていう感じで、
お前に侵入する気はさらさらないよって感じじゃないですか。
ないし。
でも僕の近くを通すと侵入になっちゃうんですよね。
で、これはプリズムは屈折するんですよ。
雷は雷です。
鳴った通りです。
そのまんま私は写真のように受け止めます。
それは無理なんですよ。
そんなことはあり得ないんですよね。
侵入の哲学
これはまあ哲学者が常に言ってることで、
近くってのは想像の産物なんで、
想像していないのはクリエイトしたものだって。
だから違うようにクリエイトすればいいのであって、
侵入だというクリエイトに全部、
いちいち僕は侵入っぽいものはことごとく侵入にしてしまうんで、
だから辛いんですよ。
日々は侵入されどうしだみたいになってしまうんですけど、
そうじゃないよっていう風に、
伏設率を変えていければ、
で、必ずどう変えるんだって聞かれると思うんですけど、
どう変えるのかわかんないですよね。
ただこれは侵入じゃないのか、
侵入なのかという本位を僕はまず立てるっていうところから、
出発点としていますね。
で、これが侵入で本当に間違いなく侵入だという、
つまりこれですよね。
最近テレビで野球受験でビデオ判定ってあるんですけど、
アウトって審判が言って、
いやいやそれセーフでしょってビデオをよーく見て、
あーセーフです、やっぱりアウトでしたみたいな、
そういう判定をするわけなんですけども、
いろいろ角度で取れるようになったからこういうことができるんだけれども、
このビデオ判定でアウトを覆すためには、
絶対にアウトではないという証拠が確実に見つからない限りは、
アウトのままなんですよ。
こういう感じなんですよね。
でも絶対侵入ですという証拠が見つからない限りは、
侵入ではないことに僕はすることに決めたら、
まあそうしたほうが良かったなっていうか、
そうしたほうが多分リアルには近いんだろうなという感じだったという感じでして、
そういうふうにすると、
そういう物語が今語りましたけどある程度、
語れるようになるなっていう、
これが本物の物語なのか、
皆さんの心を動かせるのかまでは分かりませんけれども、
藤山直樹さん流に言うと、
息抜いてから物語を語れるようになるというのが、
つまり象徴機能ということですよねっていう話でした。
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