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2020-08-24 25:01

【GMV210】傷つくメリットには気が付きにくい

辛さがメリットとは感じられない
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おはようございます。グッドモーニングバイオスです。
先日ですね、クラゾン慶三さんとの協調
F1.0で生きる技術がですね、無事発売されました。
Amazonでももうすでに、本当は表記では今日だったんですが、
実際にはすでに発売始まっておりますので、よかったらチェックしてみてください。
この本の中にクラゾンさん自身のエピソードで、傷つくメリットについて書かれている部分があるんですね。
この傷つくメリットというのは、心の傷とか気持ちが傷ついたと。
それから回復しないとかいった、割とありがちな、最近では繊細さんの本っていうのが売れてるんですけど、そういった方面ではあるあるな話題なんですけど、
この傷つくところから回復しないって、現代ではですね、たぶん一番ありがちな苦しみなんじゃないかと思うんですね。
で、これから逃れられない理由の一つとして、
もちろんいくつか原因はあるんですが、少なくとも一つとして、傷つくということにはメリットがあって、
そのメリットを求めて、ある意味では無意識に近いとしても、自分で自分を傷つけるように持っていっていると。
もちろんそういうことに遭遇するようにとまでは言わないんですが、出来事があって、もう忘れてもいいんだけど忘れられないとか、
何かことあることに思い出してしまうというのには、傷つくことのメリットがあって、そのメリットがある限り、
これは行動心理学でよくあるやつですけど、
ネズミが迷路を通るのは報酬があるからだと、最後にチーズがあるからだと。
だから同じようにですね、傷つくメリットを求めて自分を傷つけてしまうという構図があるので、そのメリットを手放さない限り、
なかなか傷つくことから逃れられないのではないかという展開があるんですね。
で、
これに対しては、傷つくメリットはあるのかもしれないが、自分ではそんなものが認識できないという、
批判ではないんですが、それを見つけ出せるものなら見つけて、
手放してみたいものだという、手放したいというご意見もあるんですよね。
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どうしてこれが見つけづらいのかということをちょっと考えてみたんですね。
傷つくメリットが見つけにくい理由は、実際にはそれが快適だったりするわけではないからなんです。
私たちのメリットという言葉に対するイメージとして、なんか良いことがある。
基本的に良いことがあったら気分が良くなるという感じを持っております。
なんかこうね、人から褒められたり、いいねがたくさん付いたりすると、基本気分が良いわけです。
私たちは報酬というものを基本的には気持ちが良くなるものと捉えているので、
気持ちが良くならないと、そこに報酬があったということには気づきにくいんだと思うんですね。
メリットがあったけど報酬としては全然気分が良くはならない。
傷ついているわけですから、気分が良くならないというのは、どこにメリットがあるのかわからないということになると思うんですよ。
これが傷ついた時のメリットというものを見出しにくい。
私たちが実は隠れたメリットと呼んでいるもの。
隠れたメリットを求めて繰り返しやってしまうようなことのメリットというのは非常に見つけにくいんですね、この理由で。
つまり報酬はあるんですが気持ち良くはならない報酬。
そういう報酬があるんですね。
これが隠れたメリットにまつわる諸々の悩みを生み出す理由なんじゃないかと思うんですね。
隠れたメリット、気分も良くなりもしないメリットとは一体どういうことなのかというと、
例えば、東京無職日記というコミックがあるんですよ。
最近は言うの多いですけど、4コマで半分辞伝みたいに、非常に字逆ネタを中心にどんどん展開していく、
一歩間違うと引きこもりで失職してしまいそうな主人公が過労死で頑張っているという姿を自分の描いているものなんです。
人間関係が苦手で繊細なんですよ。
彼が東京無職日記と言いながら、必ずしも無職じゃないんだけど、彼があるタイミングでですね、
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ああいうのってふとしたタイミングで起こることなんですけど、結構調子良く働いていたにもかかわらず、
仕事が異常に激無になってきて、
ついにですね、会社に、アルバイトに近い形なんですけど、出社しなくなってしまうのですね。
で、
どころかそこの社長さんというのがすごく独特の熱血型の人で、これ以上電話をしてですね、
これ今日も来ないつもりだったらそっちに押しかけて行って、引きずり出してやるって言うんですよ。
それで、慌ててこう出社していくというエピソードがあるんですけど、その時に面白いセリフがあって、
まあ落ち着いた後で話し合うんですけども、本当にそんな大変な病気だったら、
ずっと引きこもっていただけだけじゃ大変なことになっちゃうじゃないかってその社長さんに言われて、
いや、今回のは重度のけびょうですっていう、
漫画なんで本当にこのセリフ言ったのかわかんないですけど、私はこれが隠れたメリットだと思うんですね。
重度のけびょう。
自分で自分を傷つけるというのはけびょうじゃないんですけど、
メリットはあるんですよ。ただし、辛くないはずはないんですね。
なぜならば、辛くなかったら、自分をすらごまかせないと思うんですよ。
学校あんまり行きたくないうちに本当に熱が出てくるってことはありますね。
で、医者に行ったら熱以外には多分ですね、病状は認められないと思うんですよ。
つまり、それはけびょうなのかどうなのかって判定できないと思うんですね。
なぜならば、究極的にはわからないことだからだと思うんですよ。
逆の話があるじゃないですか。
昔、野の医者が笑うという、野の医者はか笑うという本を紹介したんですけど、そこに面白いエピソードが載ってて、
台湾では、
何かの病気に関しては、注射を打たないと治らないっていうことがあるらしいんですね。
文化的ななんとかっていう表現を取るんですけど、とにかく医療人類学、なんかそういうような名称なんですよね。
注射を打てば治るっていう認識を持っていると、本当に注射を打つと治るんですよ。
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本当の病気であっても。
でも薬を入れるわけにいかないから、栄養剤を入れるんだそうです。
これはそうだと思うんですよね。逆のパターン。
つまり、重度のけびょうは病気になるし、
フラシーボは病気を治療するんで、ここのところに明瞭な線引きをすることにはほとんど意味がないというか、できる人がいないと思うんですよ。
で、そう考えてみると、
例えば、病気になることにより会社に行かずに済むし、
傷つけられることによって、何にもしないというメリットは生まれるんですが、
何にもしないからすごく気持ちよく快適に過ごせるわけがないと思うんですね。
なんならば、傷ついたからちょっと昇進の旅行に行くと、旅行に行けるじゃないですか。
でも旅行中ずっと気が塞ぐんですっていう言い方をする人がいると思うんですが、
当然だと思うんですね。なぜならば、その旅行が非常に開放感に満ちていて、
楽しさでいっぱいでお土産もたくさん買ってきましたではダメじゃないですか。
で、やっぱり
停歳を整えるというのは少しおかしいんですが、
昇進の旅行はちゃんと
塞ぎ込んで、
美味しいものも少しも美味しくなかったし、綺麗な景色も目に入ってこなかったと言えるようでなければならんと思うんです。
そうしないと格好がつかないですよね。
だから、メリットはある。
会社に行かなくて済むし、人に同情してもらえたりもするし、旅行にも行けちゃうかもしれませんが、
でも気分は晴れないと思うんですね。
だからこの種のメリットは、メリットが見えにくいのは当然で、
つまり病気は気分が悪いじゃないですか。
東京無職日記でも読んでて思ったんですが、あの重度のけびょうは、
けびょうかもしれないけれども、
実際に私が病気になってもあんなに辛くはならないなっていうほど辛そうなんですよ。
つまり病気だから辛いとは限らないんじゃないですか。
あの重度のけびょうは、辛いことこそ大事なんですよね。
あえて症状を言うならば辛いってことなんですよ。
だからそれはものすごい辛いと思うんですね。
辛さが症状の核であるということは、
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身体を何しようと病気じゃないんだから、薬を飲もうと何をしようと辛さが抜けないってことになりますよね。
病気ってそうじゃないじゃないですか。
私最近ちょっと熱中症のけががあって、胃腸の具合はあんまり良くなかったんですけど、
四六時中辛いわけじゃないですからね。
それはつまり核となるのが、
下痢だったり、なんか食べてたら申し訳ないですけど、
なんかこう足が冷える割に頭の熱が取れないとかそういう症状なんですよ。
でも辛さの核に、この病気の核に辛さはないんですよ、別にね。
辛い時ありますよ、それ。
でも辛さが核なわけじゃない。
ところがあの重度のけ病は辛さこそが核なんで、辛いんですよ、ずーっと。
それがメリットなわけじゃないですか。
だからメリットを実感できないのは当然なんですよね。
メリットはつまり、辛いからこそ恐ろしい会社に行かなくて済むんですよ。
行った方が辛くないかもしれないんだけれども、
恐ろしいからそういうわけにはいかないんですよね。
傷つくということにはそういう側面がきっとありまして、
だから気楽なわけじゃないということですね。
メリットを得ているからといって、いいねがいっぱいもらえた時のような気分とか、
ボーナスが入った時のような気分とか、そういうもんではなくて、
ずーっと辛い。それがメリット。
いかにもですね、傷ついている時に私たちがはまり込んでいる感覚と似ていると思うんですね。
こんなことを考えていても何にもならないのに、
どうしてこんなに辛いことをずっと考えちゃうんだろうってよく言うじゃないですか。
私も昔よく思ってたんですよ。
なぜならば、辛いことに意味があるからなんですよ。
で、辛くないんだったら何もないわけですよね。
そしたら普通に活動できちゃいますよね。
そしたらまた傷つけられるかもしれないじゃないですか。
問題はここにあるのであって、
辛いんで嫌なんですけど、それがなくなっては困るんですよね。
というメリットだと思うんです。
だから、傷つくことには実は隠れたメリットがあるんですと言われて、
なんか気分のいいことあるだろうかと思って探しに行ったり、
なんかこう明らかにわかりやすいプラスになることが自分に起こるだろうかと思ってはいけないんですね。
そんなものはないんですよ。
そうじゃなくて、もっと遥かにおぞましいマイナスを何とかして回避できている代わりに、
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非常に辛くて嫌な気分をずっと背負い込むというのを、
トレードオフで持っておかなきゃならないっていうことだと思うんですね、これは。
どっちも嫌だというわけにはいかないんですよね。
なぜならば、辛さによって回避するっていうことを選択してしまったので、
ここに入り口があったんだよっていう話が第9話だったか8話だったかに書かれています。
私が今喋っているよりも遥かにですね、わかりやすく書かれております。
まあ、なのでよかったら書店とかでもお手に取っていただければ幸いですっていう、
CMにする予定だったわけじゃないんですけれども、
なんとなくそういう風な流れになってきたので、ここでもう一回CMを挟んだわけです。
で、怖いという話が、怖いだけじゃないんですけど、傷つくというのにはいろんなことがありますが、
あのですね、私最近これは明日また話そうと思っているんですが、
謝るというのの私たちはメリットをもっと確実にするべきだと思うようになりました。
自分が繊細だったり機械が弱かったりすると思っているならましてやですね、
私も謝ればいいんだって思うようになりました。
で、よくこれ、謝ればいいと思っているとかっていう話になりやすいじゃないですか。
グッドバイブス的に言うと、要は手を抜かずに謝ればいいんですよ。
謝るということのメリットは小さくないなと思うんです。メリットというか意義ですね。
これを私たちはかなり過論しているから謝れない。
一つは、これはよくクラウドの慶同さんがグッドバイブス的な文脈でお話しされるんですが、
自分が評価するように、自分が他人を評価するように、私たちは自分のことも評価する。
謝るということもですね、人の謝罪をどう受け止めているかによってすごく自分が謝る時の意欲に左右すると。
これはあらゆることについて言えることですけどね。
ついでに言うならば、逆も当然成り立つので、自分が謝る時の気持ちの入れようによって、
人のからされる謝罪の多分意味が変わってくると思います。
これはですね、傷つくという問題をかなり根本的にではないかもしれないですが、
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かなりの部分、解決に導いてくれるのではないかと思うんですね。
だいたいそうなんですが、私たちはいつも忘れがちな、傷ついている時というのは分離させられているではないですか。
言ってみれば、孤立している感じというもの、だから傷ついている時の同情って大事なんですけれども、
分離させられそうになった時には、よく言うところに与えるっていうやつが大事だと思うんですよ。
この話、今パパパパッと喋ると込み入っている話をひどくスキップしてるんですけど、
謝罪ってのは、罪を入れるとあれなんで謝るにしておきますが、謝るというのは与えるってことだと思うんですね。
で、逆に言うと謝ることによって与えることができると思うんですね。
謝る時に何にも与えない謝り方だと、多分謝ればいいことになってしまうんですよ。
そうすると謝られた時に私たちは何にも得ることができない感じがすると思うんです。
これは多分表裏一体ってやつなんですね。
謝ることによって与えられるものがあって、そうすると、これもプラゾンさんがよく言うことですけど、
無くならないものしか与えられ続けられないので、私なんかの場合ですとお金を払いまくるとかできないので、無くなるから。
私たちの手元にあるものとして、時間と、いわゆる愛の選択もそうなんですけども、
愛の選択と謝るという選択は多分イコールになっていくんじゃないかと思いますが、
謝るという選択はやっぱり無くならないんですよね。
謝りまくったために謝れなくなったみたいなことは実際はない。
謝れないっていう話あるんですが、あれは多分謝ればいいと思っているからなんだと思うんですよ。
謝ればいいと思っているということによって、謝るということが無意味なものになるので、
と感じられるので、謝れないのではないかと思うんですね。
プライドの話もちょっとここ絡むんで、そんなに簡単ではないんですけど、
ただ私はこう、ライハック的な言い方をするならば、
どうはいえライハックにならないんですが、傷つけられたらですね、
相手に対して手を抜かずに謝るというのが、
多分特に自分が繊細だというのであれば一番いいやり方なんじゃないかと最近よく思うようになりました。
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その時に傷つくメリットを同時に得ているということは多分ありえないと思うんですね。
傷つくメリットを同時に得ながら手を抜かずに謝るということは、
原理的に言っておかしいような気がします。
口先だけで謝っておきながらですね、
自分が、あ、違うな、逆だ。
心の底から謝っておきながら、自分が傷つくことによってメリットを得るということはできないような気がするんです。
逆に多分、例えばその人と二度と会いたくないから、
口先だけで謝っておいて、自分はすごく傷ついて、
だからその人に二度と会わない、すごく理にかなった行動だと思うんですね。
で、その心の傷のことをごく簡単に忘れてしまったら、その人にまた遭遇する可能性が高くなるじゃないですか。
その時に、そういう関係で居続けるにもかかわらず、謝る時は口先だけっておかしいと思うんですよ。
つまり、この話は本当はですね、分離し続けたい人に対して、
分離し続けたい人のことで傷つき続けるから辛くなるんですよね。
非常に矛盾しているようなんですが、会社の上司に傷つけられて、そのことを忘れられないというのは本当はおかしいんですよ。
傷つくことの最大のメリットは、その人に二度と会わなくなることのはずなんです。
でも会社の上司って毎日会うじゃないですか。今はわかんないですけどね。
毎日会わなければならない。
毎日会う人に対して心の底からその人のことを苦痛に思い続けるというのは本当にメリットがないので、本当は。
だから東京無職日記のあのシーンはすごい正しかったと自分は思うんですよ。
二度と会わなくなるために重度のけびょうに陥ったんですよね。
で、彼はそれまでずっとそうやって生きてきたんですよ。
だけどもあの社長が極めて得意な人だったので、お前から来ないんだったら俺が会いに行くって言ったから、やむを得ず会うことになったわけですね。
その時に重度のけびょうにかかっている場合じゃないから治ったわけですよ。
そういうものだと思うんですね、この傷つくというのは一面。
で、あの時彼は結局心の底から謝ることになったわけです。
だってそうするしかないですもんね。
だからこのメリットの厄介なところはですね、その人に二度と会わないという選択ができるなら、このメリットは正しいと思うんですよ。
その人のことを考えただけでも気持ちが悪くなる。正解だと思うんですが。
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例えば奥さん、例えば旦那さん、良くないですよね。
だって毎日絶対顔を合わせるのに、その人のことを考えただけでも気持ちが悪くなるのではどうしようもないわけですよね。
メリットがメリットとして機能しない。
だからメリットがメリットとして機能させるためには、というかそうじゃないんだよね。
メリットが機能しちゃいけないんですよね。
そういうふうに捉えてみるとですね、辛さが発生しないというわけにいかないでしょうけれども、
そこまで辛いという状態がずっと続く、ずっと続いてしまうような持っていき方っていうのは、やっぱり手放したいところですよね。
そういうことを覚えていたらまた明日もお話ししたいと思います。
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