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2021-05-26 27:17

【GMV 384】笑われるのが怖くて、笑えることを熱心にやること

忘れることは迂闊になって許すこと
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
あの、覚えてるということってあるじゃないですか。というか、折に触れて思い出すとかですね。
えーと、今その繊細三継の本を書いているって話、何度かしてると思うんですが、これ間もなく脱稿なんですよ。
で、この本書いてて、一番割と引っかかってきていて、しかも最後まで問題になるのが、
あの、覚え、思い出したくないことをずっと思い出し続けるという現象なのかなと。
書いてて整理がついてきたっていうのかな、そういう感じなんですね。
あの、このご時世史のかな、この国なので、いくらですね、あの、繊細でひどい目に遭うからといって、
毎日誰かに殴られるとかいう話は、少なくとも私の本では扱わないですし、それはなんかやっぱり、もっと違う問題だと思うんですね。
で、私の経験から考えて、面と向かって、あの、罵声を浴びせられるとかが仮にあったとしても、
その出来事自体から受けるダメージって実はあんま大きくないと思うんです。
あの、そういう経験は普通にあるんですけれども、
一番ダメージを結局残すのはですね、後で自分が何度も思い出すせいだと思ったんですよ。
第一、えーと、まあ、あの、私は時間をかかるからわかるってこともあるんですけど、
一つ一つの出来事が、なんか嫌なメールをもらったとかでもそうなんですけど、数分だと思うんですよね。
10分過ぎるケースはほぼないし、だいたい嫌だって、嫌でやめたいならばですね、やめればいいわけですよね、読むの。
だから、いつでも切り上げられますよね、読む系であれば。
これは非常に大事なポイントだと思うんですが、面と向かって何か言われてるのはそれはちょっと難しいですよね。
嫌だと思ってさっさと切り上げるということは、ある程度心がけることはできるにしても、
直ちにその場を立ち去ると。でも私結構ですね、直ちにその場を立ち去れば、関係ない人間ならばですよ、多分追っては来ないと思うんですよね。
追うってすごいリスク大きいじゃないですか。だから実はですね、ぱっと言われた時に、
サッといなくなるっていうのは結構大事なんじゃないかなと、これは割と子供の頃に考えるようになって、
割とそれでこう自分は助かってきたんじゃないかと思う時も、そんなに深刻な事態はないんですけど、
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でも全くないわけじゃないから、この意外とですね、その場にいて何とかしようとするよりは、
さっさといなくなるのが正解だろうと思うことは少なくなかったです。
これいい大人になっても同じかなと思うんですよね。なんかやっぱり逃げてる人間を後ろから追っかける人って、
かなり危ない感じに見えるじゃないですか、頭から。そうすると多分大概の人はわざわざ追わないと思うんですよ。
特に私意外とですね、何か言われるという相手がご老人になることが多くて、
いつもよく思ったのは、私は走って早いんですよ実は。クラス太鼓リレーとかに何度か出たぐらいは早いんですよ。
この老人が後ろから追っかけてきて私に追いつける可能性は多分絶対的にないなってよく思って、そうすると大体落ち着くみたいなのが割とあったんですよね。
多分今でも何の意味もない話ですが、50m走ならば5秒台で走れる気がするんですよ。
5秒台前半出せたこともあったんですね。多分老人で太った人とかが100mを12秒以内で走るってのは難しいと思うんですよね。
多分そんなことをしたからといって、それただ競争やってるだけなんで、追っつくことにならないですよね。
後ろからやって捕まえるとなと、相手より明らかに早い必要があって、それって結構難しいことだと思うんですよ。
私は後ろからならば、オリンピック選手とかでない限り女性にそうそう追いつかれることはないみたいな、どうでもいい話なんですけどね。
これは結構大事で、何が大事かというと、つまり覚えてなきゃいいわけですよね、一番いいのは。
私もびっくりしたんですけど、セミナーとかで。
私はだいたい一両日で消えるんですよ。
大体の記憶は。覚えておこうとか思い出そうということをしなければ。
ところが、だから私1日引っ張るというのは長すぎるといつも思ってるんですが、人によっては1週間消えないとか、場合によっては1ヶ月です。
この上司に何か言われたのは残るっていう話があって、1ヶ月は絶対長いなという。
で、上司が何かを言った時間って最大長く見積もっても5時間とかだと思うんですよね。
多分そんなに長いことはないと思うんだけど、5時間とかだと思うんですよ。
でも1ヶ月ってのは30日間だから、残りの29日間は余計なことじゃないですか、ある意味。
これは何をしてるんだろうと。
で、まずこう考えてみたんですね。何か嫌なメールが来ましたと。
で、その人のことも知ってる人ですという場合であった場合、ゴニョゴニョやっているうちに何とかしたとしますよね。
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これを覚えておきますよね。なぜなんだろうかと。
ここがさっきの都教祖父のような脱線ではなく、ここがメインのことで。
これを私はここのところを考え続けてみてですね。
仮に完璧に忘れてしまったとした場合、
多分その人と初対面で話す時のように話すだろうなと思うんですよ。
で、その人と初対面で話す時ってのは、結局その人って変化はしてませんよね。
私が何かを、私に何かを言ってきたことによって、その人はより悪人に変わったわけじゃないですよね。
何にも変化してないんですよ。
だから初対面でその人と会いたいした時に、将来のクレームを言われたという、その会った時から見ればですよ。
初対面の時から見て、将来、結局クレームを言われたという時点のことを思えば、
私はその初対面で会った時って完全に無防備だったということになるじゃないですか。
警戒心の強い人から言わせれば、そのようにしてその人と会いたいしたということは、
迂闊であったということになるじゃないですか。
しかしそうすると私の考えではですね、迂闊じゃない人間関係ってないなって気がする。
特に長く付き合えている人に対しては、迂闊でなかった人間関係はないなって思うんですよ。
これがですね、私が悪かったかどうかという話とはまた別に、
私もこの種の話をして、いくつかぶっちゃけ相談とかでもいただいているうちに、
いろんな考え方があるなと思ったんですね。
一つ興味深いのが、意図せず傷つける、傷つけない系の話なんですよ。
意図しなくても傷つけるということは、傷つけた方が悪いって話のご意見って結構散見して、
それを見る限りではですね、じゃあ私が傷ついた場合、
その人間関係は私が悪くても相手が悪くても、そこを突破して私が傷ついた以上、
相手が何の意図もなくても悪かったことになるとすればですね、
そのような人と初対面で仲良く仕事した過去の私は迂闊だったということになる。
そうすると、どんな人間関係でも潜在的には迂闊だなと。
そうすると、迂闊であることを徹底的に排したければ、
あらゆる人間関係は切り捨てる必要があると思うんですね。
これが記憶を残しておくことの意義なんだと。
つまり、初対面でしょうがないですけど、その人が本当はどういう人か分からないから、
一度でも嫌な目に会わせられたということは、
その人はそういうことをしうる人だというふうに認識しておく必要があると私は思っている。
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で、ないならばですね、完璧にもし忘れてしまったら、やっぱり初対面のように接しちゃうと思うんですよ。
だいたい仲良くなろうとしている人には好意的に接するじゃないですか。
それをさせないために記憶っていうのが残るわけですよね。
私はここまで来てですね、あ、ああ、と思ったんですよ。
つまり許すということと完全に忘れるということは多分一致するはずで、
もし完全に忘れてないならば多分許してないんだなと。
これはあくまでもリズメで原理的に言った話であって、
実際にはなかなかそうもいかないような気がするんですけど、
それについて何人かのイメージを持ちながらやってみたんですね。
この人とどんな行き先があったんですか。
完全に初対面だと考えて接するとどんな感じがするだろうと思ったんですよ。
そうすると警戒するんですよ。警戒心が働くんですよ。
働かせようと僕の中で巻き起こるんですね。
巻き起こるというのが泡立つんですよね。
僕の場合はですね、もっと警戒せよと泡立つんですよ。
この泡立ちすごい邪魔だと思ったんですよ。
どう考えてもそうじゃないように接した方がいいと自分は思ったんですね。
この警戒して今後この人はこういうこと嫌なメールも出し得る人だとでも思っていたとしてもですね、
その人が嫌なメールを出す可能性を絶無にすることは不可能なんだと思うんですよ。
つまりこれってミガマイルという無意味なやつと同じで、
私このミガマイルはよく知ってるんですよ。静電気でね。
身構えても身構えなくても痛みに変わりはないんですよ、食らった時には。
身構えた時の方が少し痛くないかというとそんなことはないんですね。
だからこれは無意味なことなんだと思うんですよ。
完全に警戒すれば相手からいかなるどんなクレームももらわないという決定的な確信があるならばいいんですが、
私そういう確信は持てないんですね。もともとそういうタイプの人間じゃないし。
もう一つあるんですよ。とはいえ、どんなに相手の人が傷つく前に努力をしていても、
その人とずっと接していればですね、100日間とか接していれば、
傷つける可能性を絶無にすることは僕の側では不可能な感じがするんですよ。
そうすることに意味はどのくらいあるんだろうと思うと、妻との関係で考えるとゼロだなと思うんですよね。
ただクリスタルでできた家に暮らすくらい、ただ神経を張るばかりでやる価値全然ない。
やっぱりこれも現実的ではないっていう話ですよね。
そうやってずっと押してみるとですね、結局覚えてるということは不毛な感じがしたんです。
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迂闊だと責められたくないだけなんですよ。
でも問題なのはそういうふうにしたからといって、その可能性を摘み取ることができないんですね。
これはできる人がやるのはそれはそれとして、私には無理なのはもう間違いないんですね。
間違いなくできないことをやろうとすることが、覚えておくということと深くリンクしてしまっているので、
忘れるに限るんだけれども思い出してしまうと。
ここで堂々めぐりが起こるわけですね。起きちゃっていると。
基本的に覚えてるのはしょうがないじゃないですか。これはもう脳の機能ですから。
ただ思い出そうとしないことはできるんだろうかと。
ここがポイントだろうなと思うんですね。思い出そうとしない。
人と会う時にはいつも初対面のように考えるんだけれども、良かったことはいいんですよ。
ここが非対照的なんですよね。
その人と会った良かったことは全部思い出すのはいいんだと思うんですけど、
良くなかったことは全部思い出さないようにする。
良くなかったことにするというのが理想的だけれども、
色々記憶の性質上なかったことにするのは難しいので、
一番いいのは積み上げないようにするってことなのかなと。
私のできるレベルで考えてみると、積み上げるというのが一番おかしいなと。
現に積み上げないことはできるんですよ。積み上げることもできるんですけどね。
積み上げないことはできるんですよ。
その人と会った何か一つネガティブなことを思い出してしまうことがあっても、
そういえばあれもあったこれもあったというのをやめることは私にはできるんですね。
これをやらないのが大事だなと。
これをやらないのが大事だということになってくると、
つまり記憶って積み上がらないようにはできるんだなと。
これが最近一つ得た結論ですね。
一番いいのは完全に忘れてしまうことなんですが、
完全に忘れることも不可能ではないと思うんですよね。
例えば私は母との中で結構母はいろんなことを私にある意味しなくていいようなことまでしてきてるけれども、
ほぼ全部忘れてるんですよ。一個も思い出せないんですね。
そのようにして母と会いたいしたからといって、
今後母から嫌な目に合わされる可能性はもう多分ないんですよ。
これなんですよね。もう多分ないから思い出せなくなってるんですよ。
つまり思い出すからにはその可能性があると思ってるわけじゃないですか。
積み上げるということはその可能性を高くしていくということになりますよね。
でも高くはならないんですよね。
なぜかそれは一番最初に会った時のことを思えばいいと思うんですよ。
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やっぱり一番最初に会った時にそう思っていないとしても、
その人が変化するわけではないんですよね。
より悪くなるわけじゃないわけですよね。
長く一緒にいるといろんなことが起こる可能性は結局トータルでは増すでしょうけれども、
その過程ってほとんど意味がないですよね。
この過程に意味があるならば、やっぱり人間関係はゼロにするのが一番いいってことになりますよね。
その嫌な目に合うということが全てであれば。
だけれども実際にはそのいい目の方は、
いい目の方も積み上げるっていう考え方もあるんですけれども、
私それは信じてないんですよ。
脳はいい目に合ったことを積み上げてはくれないと思っています。
これもさっきのとよく似てるんですよね。
よく似てるというか、これはずるい非対称性なんですけど、
やっぱり人間というのも生き物なので、生き物というのはそういうふうに脳は機能しやすいんだと思うんです。
嫌な目に合ったことは警戒するに値するけど、
いいことがあったことを覚えておいても、
その人が次にいいことをしてくれる可能性を積み重ねるわけじゃないような気がするんですよ。
これ相当変な話なんですけれども、きっとそうだと思うんです。
特にサバイバルということを考えると。
だから究極的にはサバイバルということを考えなければいいんだけれども、
これもやっぱりあんまり現実的じゃないので、
現実的な路線としては積み重ねないという。
いいことも悪いことも多分積み重ねない。
これは私は可能だと思うんですね。
昔、笑うセールスが出てきた。
いつかミデロー君という人がいて、彼は記録をつけてたんですよ。
その嫌な目に合った黒星とやって。
あれはつまりあれほど恨みがましい人であってもめちゃくちゃ恨みがましい人なんですけど、
記憶だけに頼っている限りは黒星は数え上げられないということを案に示していると思うんですね。
藤子藤代Aという方は私は非常にそういう心理については詳しい人だと思うので、
なぜなら彼は結構どんよりしたところもありますから。
Fとコンビ組んでていいのは、多分Fの方が能天気なんだと思うんですよね。
だからちょうどよかったんだと思うんですが、
どんよりしたところがあるあの人がああ考えていた。
つまりノートに黒星をつけていかない限り黒星は積み上がらないというふうに案に考えていたということは、
記憶だけに頼っている限り我々はそんなに黒星を積み重ねる能力とかってないと思うんですよ。
だったらやめた方がいいと思うんですよね。
もともとそこで無理をする必要は全然ない。
ちなみにいつかミテロー君、白星もつけてたんですけど、白星増えていかないんですよね。
あれが私は根本的に記憶ってそういう非対称性を持っていると同時にですね。
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だから私は日記とかつけるのをやめたんですよ。
タスクシュートは記録に残すんだけれども、ここは気をつけてるんですね。
記録だけにしようと。
記憶ってやっぱりフラットにならないと思うんですよね。
悪いことの方を覚えておこうとする。
肉体としての生存率を高めるということに熱心なので、どうしてもそういうふうになっていく。
良いことがあったからといって人生増進しないけれど、悪いことを避けていれば死なずに済む可能性が高いですからね。
この次にも余談ですが、池谷雄一さんという脳科学の先生が面白い研究を書いていました。
何か、なんだっけな、ちょっと後で読もう。
具体的に詳しく言うのは忘れたんですけれども、
要するに、老化というのは何か良いことをすることだ、みたいなそういう話が研究であって、
あれは非常に面白いと思ったんですよ。
何かをゲットすることによって寿命を伸ばすということはですね、
結局、年を少なくともその分取るという意味になるじゃないですか。
だから、その過程の中に老化というものが含まれているみたいな研究なんですけど、
もうちょっと詳しく読みますが、
それって要するに解釈の問題みたいな感じもしますけど、
最近の科学の進んでいるのってそういうの多いですけれどもね、
なるほどなと思ったんですよ。
早い段階で死んじゃえば老化ってあんまりしないで済みますからね、ある意味では。
つまり、回避するということと長生きするということが関係があるならば、
回避するということと老化するということも当然関係があってしかるべき感じがしますね。
つまり、白星が積み重ねにくいのと、これは心理的な話ですけどね、似てるなと思うんですね。
白星が積み重ねにくいってことは、黒星だって本当は積み重なるはずないってことなんだと思うんですよね。
すごい思維的な話ですから、結局黒だ白だっていうのは。
明らかに誰が見ても、いつか見てる奥は黒だらけになりそうな気がするじゃないですか。
これ視点なんだと思うんですよね。
ああいうどんより恨みがましくいきまくっていると、
黒いことに人がしてくる可能性も高まるし、しかもそのことをカウントしていくから増えていくはずなんですよ。
だから、ああいうのを見ると意味づけっていうのは、人のはわかりやすいし、できれば避けたいという感じがするんですね。
まして意味づけを数え上げていくというのは、つくづく読めたほうがいいなと思ったりもするわけですね。
最終的には忘れるというのがいいんだけど、忘れるというのは許すってことと同じなんですが、
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許すってことは結局初対面で会うのように、初対面で会ってる時のように会うってことなんですけど、
この時の警戒心ですよね。話が一周して戻ってきてるんですけど、警戒心なんですよ。
二度と会わない人にはそういうことを考えませんから、老人に何か言われるとか。
二度と会わないから結局、ほら、私の記憶がいい加減になるように何を言われたか思い出せなくて、
漠然とそういうことがあったってことが、しかも集合的に思い出せてるだけなんですよね。
記録すれば思い出せちゃうじゃないですか。これが私は数え上げるということに近づくことだと思うんですよ。
そうすると苦労が増えると思うんですよね、どういうふうに考えていっても。
苦労は増やせるということで、白も増やせますけどね。だけれども、白を数え上げましょうみたいなのあるじゃないですか。
人は真剣にしないと思うんですよ。これが大事なんだと思うんです。
人ってこういうことを真剣にはやらないと思うんですよ。
今日あった良いことを3つあげましょうみたいな。なぜかというと、それはサバイブに関係ないからなんですよね。
ところが私は苦労を数え上げるのは、外して健康に悪いので、これはサバイブに無関係じゃないと思うんですよ。
つまり忘れるということならば真剣にやれるんじゃないかと思うんです。
忘れるということを真剣にやるということは、結局許すということを真剣にやるということになるので、
一番最後に結局許せないのは他人なのかというと、少なくとも私の場合そうじゃないんですよね。
それが最終的にやっぱりいつも同じところにきますけど、許せないのは自分なんですよ。
迂闊だと言われる自分なんですよ。その言われることは許せないんだと思うんですね。
最初に申し上げた通り、思い出さなかった場合、いきなり殴られるみたいなことってほぼないから、
残ってるのは唯一いきなり何か言われるってことだけなんですよ。
でもそれって短いんですよね、本当に。本当にそれだけでことが済むならば、本当にわずかなダメージで済みます。
これはトラウマの本にあったんですよね。
電光石火の速度で終わるんだと。
変動体モードの話ですね。このチゾールの濃度を上げると。
電光石火の速さですよ。これも間違いないことです。
私、静電気でわかるんですよ。恐怖心も痛みも電光石火に刺さっていきます。
思い出さなければ多分病ですよね。
この病で人生に致命的なことが与えられるはずないですよね。
問題になるのは事前の考えなんですね。
あるいは思い出してしまうこと。
この2つは私がわざわざやっていることなので、こうして時間を引っ張るんですよね。
病で終わっている数のこの多分体内の起乗をもう1回、もう100回やるわけですよ。
そうすることで自分にダメージを与える。
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代わりに迂闊だと言われる可能性を減らそうとする。
これが釣り合わないということですよね。
最後になんですけれども、最近自分はさっきのアラウセイルスマンもそうなんですけれども、
つまり漫画とかもそうですが、特にブラックな感じのものは、
ブラックというかどんよりした感じのもの。
福道さんという人のも好きなんですけれども、
つまりその人その人の意味付けを読むんだなって思うんですね。漫画なんてものは特に。
先日紹介したトルシストハイみたいなのもそうですけれども、
ナポレオンにどういう意味付けをするかみたいな話じゃないですか。
意味付けを読むんですよ。
他人がすごくよくわかるんですよね。
意味付けが非常に偏っていると。
トルストイくらいの人でもめちゃくちゃ偏っている。
逆に偏っているから面白いんだけれども、
その偏りを読むのが面白いんですけれども、
すっごい偏っているんですよ。
私のも絶対すっごい偏っているわけじゃないですか。
誰のでもそうですけれどもね。
この偏りがなぜなのか。
なぜ自分にはこのまるで家が客観的に家だって思えるように、
目の前にあるものは客観的にこうなっているように思うように、
自分の意味付けが客観的になってしまうのか。
いつも人と話しているとそのことを最近は考えさせられますね。
黒星は黒だ。絶対誰が見ても黒だ。
明らかにそうじゃないんですよ。
そのことが笑うセールスマートは実によく欠けていると思うんですね。
真っ黒だと思っているけど全然他人にはそう見えない。
だから笑えるんですよね。
自分のも絶対そうなんですよ。笑えるんですよ。
つまり、うかつだって言われることが嫌なのは笑われるってことですよね。
ところが自分が意味付けしているのはすでに笑えるんですよ。
ギャグなんですよね、他人から見れば。
クレームが本当に怖くて。
実は相手はちゃんと聞いてくれているように見えているけど、
笑われているんだと僕は思うんですよね。
あれは描き方によっては完璧にギャグです。
ホラーがしばしばそうであるようにね。
美女の足を怪獣が掴むとかってギャグじゃないですか。
美容によっては。そういうギャグマンがありますよね結構。
ああいうふうなもんだと思うんですよね。
意味付けをしている様っていうのは、
それ自体がすでに笑えるものだと思います。
それをやっぱり最近漫画を読んでいて、
笑っている自分がいるってことは、
つまり自分の意味付けもそういうものなんだろうと思うんですよ。
それがまた一つですね、
許すっていう意味では大事かなと思っています。
結局は許す対象は、僕が思うに最終的には自分なので、
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笑われたくないから笑われることをしているんだという感じなんですよね。
そういうふうにちょっと漫画を読んでて思った次第です。
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