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2024-09-20 46:45

なぜ「先送り0」を目指すのか?【1057】

害を減らせるなら、依存は悪くない。
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00:06
おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、1057回をお送りします。
9月20日、金曜日、8時2分です。
そろそろこの残暑も終わってほしい残暑。すごいですね。
9月のもう20日ですもんね。下旬にもなろうというのに、二宮で33度を超えるというのは、ちょっとあんまないかったですね。
去年までですらあんまりなかったような気がするほど、すごいです。
この土地は32度はあんまり超えないんですよね、今までだったら。
ここ5年だとしてもってことですよ。
でも今年はもうなんかバッチリ超えてきてますもんね。これはもう本当にまずいんじゃないかと。
うちの目の前にあるしょぼいガーデンでもですね、なぜかナスがバンバン鳴りそうだという、完全に季節感がずれてしまってますね。
真夏みたい。というか真夏ですよね、この暑さは。
今私は10月13日の仕込みを一生懸命やっておりまして、日曜日ですね。
これはリアル回になりますので、これを聞いていただいている方がどのくらいご参加いただける、そもそも場所にお住まいなのかすらわからないんですが、
人望帳でやり、かつオンラインハイブリッドではありません。
それなりのお値段になってしまってるんで、できれば午後半分を、つまり1時から5時まで会場は抑えてあるんだけど、
ここを目一杯使ってやりたいなと思っておりますんで、よろしければですね、ご参加、ご検討いただけると。
2万円とかはしないようにしますんで。
この日にはですね、今日お話しする先送りに焦点付けして考えていくと。
先送りというものをですね、ようやく私は本題に入ってしまいますけど、
私癖として捉えるっていうのかな、ある種のアディクション、依存症って言ってしまうと、昨日も言いましたけど症状みたいなんで、そこまでは言わなくていいかなとは僕は思うんですよね。
一歩手前、アディクション一歩手前として考えたいと思っているんですよ。
そんなにだって、まず先送りをいくら繰り返したからといって、そうそう健康は損なわないし、そう思っていらっしゃらない方もいるんだけど、他人にもさほどの迷惑は実はかからない。
03:00
これがアルコールを飲みまくり、家族を殴りまくるっていうことになってくると、これはなかなか大変なんですが、そうではありませんからね、ここはね。
ここのところ、私は横道誠さんのとか松本敏子さんの本をわりと読み漁っていて、当事者にとっては何をしてもあんまり、ここ難しいですけどね、周りは避難しますよ、そりゃ。
やっぱり親父が飲んだくれて殴ってきました。避難しますが、やっぱり飲んでる人は本当大変なんだよねっていう、ここはもういつもの通りのですね、クライアントは同情されるべき存在だと。
可能なら治療的共感というものは当然受けていいはずだと。ただ、普通の人はやっぱりそれは無理だと。言うなら専門家とそうでない人を分ける一番簡単な指標はですね、治療的共感をしようとするかどうかだと思っていいと思うんですよね。
できるかどうかとまでは言えない気がしてきました、最近はね。治療者は治療的に共感しようと。普段だったら共感できなくても、お金もらってるんだから共感しようとしてればもうそれは基本専門家と言えるんじゃないかなって感じがします。
まあこれはゆるゆるすぎて、それこそ公認心理師とかの方に同意されるとは僕は思いませんけれども、私だったらでも正式の人が治療的共感しようとしたんだけどできませんでしたって言われても、もうなんか腹は立たないな別にって思うんですよね。
避難に値しないような気がそれはします。一方で、治療的共感をしようと、だからつまり私はカウンセラーだからこのアルコール依存の人に普通の人は共感できないだろうけど頑張って共感するよっていうこれがあればもうそれは専門家なんじゃないかと思うってことですよ。
それだったら野良でもできるんじゃんっていう考え方もあると思うし、できる人もいると思うんですよ。でもできる人の数はおそらく訓練を受けた人の方がパーセンテージとしては多いだろうなとは思いますね。
このくらいじゃないかなぁと思うんですよね。そしてもう一つ専門とそうでない人のちょっとした違いというか割と大きな違いは、専門家はお金を受け取ることにおそらく罪悪感はない。
これは僕はね、いやいやいい加減な話だと思わなくはありませんが、でもまあそういう世の中構造になってるんだからしゃーない。野良の人はここは気をつけるべきだろうと僕は思います。
06:01
お前野良カウンセラーですらないのにって言われればその通りなんですが、資格がない者は資格がない者なりに言いたいことが言えるというのがこの番組の。こういう言い方をしている段階ですでにそうなんだけど、野良カウンセラーの人がよくよく気をつけるべきことはお金を取ることに罪悪感を持たないってことなんですね。
ここで罪悪感を持っちゃうとやっぱり正式な人とは差がついてしまいますよ。あの余計な罪悪感をとにかく追加しないってことはとても大事だと思いますね。私の考えでは私の考えとは言い難いかもしれませんけどね。
ここが私のgoodvibesのインストールした部分なんですよ。だから罪悪感は持たないっていう風に自分で自分で決めていく。難しいのはわかるんだけれども、ここで罪悪感を持ってしまうと仕事でしかしやってる人はでも仕事なんだから仕方ないじゃん。
正式の資格なんて持ってないけどそんなこと知ったことじゃないよっていう壮的な態度が出ちゃうと思う。大態度っていうかね、壮的な気持ちが燃えてアクティベートされてしまうと思うんですね。
これを避けるためにもこれは絶対に少なくともユーザーとか参加者さんにとってのメリットは何もないのでこの発想は。やっぱりそうじゃないと思うんですよ。正式であろうと非正規であろうと、非正規っていうのは最近ここの場面で扱うの不適切かもしれませんけど、非正式であろうとやっぱりお金は取らないと始まりませんから。
もし1時間に1000円2000円でやっちゃいますとですね、その人は他で稼いでしまうんですよ結局のところ。
で、他で稼げてるからこれはまあいいやってなるとここでもまた壮的になってしまう。無理やり自分を元気づけて無理やり自分を正当化するっていうことをやり始めてしまう。やっぱりそれは誰にとってもメリットない話なので、だから倒作的って言うんだけれども。
正式ってのは倒作がしにくい構造を持ってるってことですからね。こういう言い方をするならば。
だからお金は取る。そしてそこには自分が適切な値段だと思えばですね、歯はありますからやっぱりね、正規だとしても。
私が知る限り例えば50分8000円から1時間13000円までは経験をしているし見たこともあるんですね。5000円違いますからね、わずか10分の違いで。
だから幅はあるんですよ。でも大体自分が食っていくために1時間時給いくらにしておくと、まあ余裕を持って食えるかっていうのは大体計算できるじゃないですか。
09:02
そこから過度に外れ値にしなければ基本は適正だと思うんですよね。万だから高いとかいくらだと安いっていうのはないと思うんですけど、ただその時給で30日間フルで働いても食えないっていう数字は安すぎるとやっぱり思うんですよね。
少なくとも自分が食えるのか家族が食えるのかってあるじゃないですか。だからそれはあると思うんですよ。
その辺を含めてですね、もらうことに罪悪感を抱かないというのが、ガウンセラーというのが非正規式だとしても求められる多分態度だろうなと思いますね。
非正式だから効果なくてもいいから安くてもいいっていうのって、いろんな意味で妥当なようでいてそうではない気がします。
フリーミアムモデルみたいなのはまた別だと思うんですけどね。
そして、少し違う話になるわけですが、最近先送りをアディクションと捉えられるようになったと。アディクション以前というふうに捉えるようになったんですね。
そこで最近久しぶりにこの話題ですが、先送りゼロって本をチェーン松崎さんと強調で書きましたけど、このタイトルは後から振り返ってみると上手いこと言ったなって思うんですね。
ゼロは目指すべき指標かもしれないけど、別にゼロじゃなければいけないというわけではないんですよ。
だから上手いこと言ったなと思うのは、先送りをしないためにはとにかく自責するなっていうのを割と強調してるわけですね。
先送りの真の原因は〇〇って書いたあの〇〇ってところが自責なわけですが、
そういう不整理をしたくなるほどここに言ったっていうのは、先送りをしても自責はしないようにしましょうねっていう意味があるわけ。
ですがタイトルは先送りゼロなんですよ。
この2つはですね私はやっぱり両方言っておく、ここに両極がある。
つまりいくらしても責任を取ったり罪悪感を持ったりする必要はない。
けれどもゼロっていうのは一つの望みとして持ちたいというようなところ。
先日お伝えしましたね。
イギリスでは今知りませんけどね本当は。
でも多分本当なんだと思うんですね。
安全な消毒針を使って微量のヘロインを月間注射するという治療がなされていると言ったことが書いてあるんですね。
モノの本には。
12:00
というか松本俊彦さんの本には。
これはびっくり僕はしますね。
だってダメ絶対って日本ではポスターが今ではないかもしれないけど結構僕も見ましたよ。
絶対ダメなんですよ。
一滴でもダメなんですよ。
松本さんは松本俊彦さんですね精神科医の依存症の専門としていて。
しかし自分はニコチンを吸うと言っていらっしゃる先生はですね。
だってちょっとでも入れたら依存症になるっていうのは明らかに間違ってるだろうっていうふうに書くんですね。
酒のことを考えればすぐわかるわけですよ。
酒一滴でも飲んだらみんなアルコール依存になるかっていうと絶対そうではないですよね。
チョコレートボンボン食べたらアルコール依存になるって言ってるようなもんですからね。
一歩間違うと。
で松本さんはよくこのことを所々で書いてらっしゃるんだけど。
あの言論とかでも喋ってますけど。
アルコールというのは弱い依存物質ではないと書くんですね。
結構強いんだと。
つまり依存症に比較的なりやすい傾向があるんですよっていうことを書くわけですよ。
これを合法としているにも関わらず。
あのある種の違法ドラッグはダメ絶対と書くのは全然合理的なわけではないんだと。
これは僕はですね。
アルコール依存症っていう人はこの国にもアルコール乗員者の1割程度あるいはそれ以下とされてるんですけれど。
ここから考えてもなんでじゃあ通常いつも飲んでいる物質はいつも服用している物質は必ず依存症を引き起こす。
だからこの特に物質の依存症は気をつけるべきなんだっていうのが一応日本の社会の依存症だと思うんですね。
依存症は気をつけるべきなんだっていうのが一応日本の社会の考え方なんだけど、つまり行為に対しては比較的甘いわけですよ。
だけど物質に対してはなけに厳しいわけですが、なのにどうしてアルコールはいいんだっていうのが全然答えになってないわけですね。
アルコール乗員者の90%程度は依存症にはなってないわけですね。
比較的コントロールしようと思えばできるわけですよ。
で私はこれはもう確実だと思うんですね。
というのは私は夏はアルコールを週1回程度入れるんですよ。
BRですけどね、2%程度です。2%とかでも全然ダメなわけじゃないですか。
1滴でもダメなら2%は当然ダメですよね。まして私は乗員ですから。
ただし冬は全然飲まないですよ。冬ビールうまくないですよ僕にとっては。
こういうことは可能なんですよ。特に努力をせずと。
ということはですね、多分ある種の物質を週に1回吸引した程度で、
どんなケースでも依存症になるとはとても言えないというのは僕は全く正しいと思うんですよ。
で今ではもう日本のその昔ながらの発想は影を潜めまして、
15:04
間違いなくある種の行動は依存症であるというふうに考えられるようになりましたよね。
だから野の汁とかそれこそSNSとかそういったものも全部が全部じゃないけど、
でもじわりじわりと広がってきてますよね。国際標準に従ってるっていう部分も大きいんで、
日本のローカルな発想が後退してきているっていう言い方もできると思うんですよ。
ICDとかああいうやつですよね。診断マニュアルが国際健康保険みたいなそういうジリマさんが、
そういうようなやつを参照するようにしてるから、そこに乗っかっちゃったらもう、
物だけに限るべきなんだっていう発想はなくなっていくわけですよね。
で例えばギャンブルは有名じゃないですか。ギャンブル依存は明らかにあることになってるんで、
大筋コンセンサスとれてる。ギャンブルというのは物質吸引じゃないですよね。
パチンコしに行ってパチンコ玉飲んでいくわけじゃないんで、やっぱりパチンコするものであって食べるもんじゃない。
血管注射するわけでもないわけですよ。
そういうふうに考えていくと、依存というのが物質乱用によるものだけに限るんだっていうことはなくて、
先送りは当然のことながら先送りという物質はありませんから、これは行為なんですね。
で私はそれはもちろん国際標準に先送り依存症などではありませんから、
ただ忘れちゃいけないと僕は思ってるんだけど、あのリンダ・サバティンが書いたね、
いろいろとツッコミどころはないわけじゃない本ですが、無事の人にはわけがある。
あの本は明らかにこの線、つまり心理的な意味での先送りというものを治療の対象にした、
かなり早い段階で登場した本なんですよ。
で私は自分の中ではずっと先送りはこの系譜は踏んでるつもりなので、
全然違うようなこと書いていることがあったとしても、意識の中ではこの線には沿ってるつもりなので、
先送りゼロも当然のことながらその線に沿っていますし、
そういうふうに考えていくと治療の対象というのは僕はあんまり好まないんだよね。
ケースによってはそういうことも言えるかな。
少なくとも先送りというのは何らかの依存的な流れのバリエーションだと思うんですね。
だから先送りゼロっていうのは健康かもしれないけど、先送りは別にゼロじゃなくてもいいと思うんですよ。
これをコントロールして扱えるんであれば、先送りというものは少なくとも僕はアルコールよりは全然いいと思うんですね。
いろんな依存のものは普通に重複していくんですよ。
1個だけになるっていうのもケースとしてあって、それはそれで非常にやばいんですけど、
18:04
つまり寝ても覚めても酒のこと考えてるっていうのはやばいじゃないですか。
寝ても覚めてもギャンブルしかやりたくないみたいなのもそれはそれで依存度が非常に強いんだけど、
一方で重複ってあるわけですよね、当然。
私見ましたネバダ州って、ネバダ州はギャンブルの町ですから。
カジノでぐでんぐでんに酔っ払っちゃってる。
二重にやばいなって感じがするんだけど、つまりアルコール依存でギャンブル依存。
全然珍しいことではないわけですね。
この依存先を増やすっていう有名なセリフがありますよね。
ただあれにはいろいろな条件があると思うんですよね。
多いのはいいと思うんですよ。
依存先が20種類ぐらいあれば非常にどこかに過剰にかかることはない。
ただ結局それが依存症であった場合は、その人の仕事とか生活を破綻させるということは十分起きる。
なんでなのか。物質はわかりやすいんですけど行動はどうしてなのかというと、
やっぱりここで僕は精神分析が出てこざるを得ないと思うんですね。
つまり一時過程に頼りすぎている。
依存というのはつまりですね、言うなら一時過程に頼ることだなと思うんですよ。
人間は二次過程、つまり現実原則で生きる必要があるんですよ。
やっぱり人間は社会的な生き物だから、人と一緒じゃないとやっていけないから。
ただ二次過程だけでは人間はとても生きていけない人が多い。
多分9割9分は二次過程だけでは誰も生きていけないか、
お釈迦様みたいな人はちょっと別かもしれないなっていう程度なんですね。
だからそういう意味では一時過程の依存というものが必要になる。
これをするってのが過剰になるとパーソナリティ障害ってことになっていくんですよね。
松木邦博さんの図式によるとそういうことになる。
それはすごいわかりやすくて素晴らしい発想だというか、非常に私は感銘を受ける考え方なんだけど、
これを言いすぎるとみんなパーソナリティ障害になってしまうんですよ。
一時そういう風潮が日本でも広まったことがありますよね。
ビジネス書に人格障害の本が登場して、人格障害マニュアルみたいな感じの本がワーッと出てきて、
私も乗っかりたいなと思ったことがあったんだけど、乗っからなくてよかったなと思うんですよ。
人間は変わるってことですよね。
この人間は変わるっていうのはアディクションについてでもそうですよね。
この人間は変わるっていうのはアディクションについてでもそうだし脅迫症についても常に意識しておくべき発想だと思うんだけれども、
ここに行ってしまうと話がまたそっちに脱線していくのでちょっと戻しますけれども、
21:00
つまりパーソナリティ障害の流れってのは確かに一時過程の温存であり一時過程の乱用なんですよね。
それは非常に多くの場合依存症と流れが一致してくると思うんです。
つまり究極的にはストレスがあるから依存物質に頼るとか、ストレスがあるから依存行動に頼るわけですよ。
簡単に言うと上司とか配偶者とか子育てがやってられなくなるから酒を飲み酒に溺れるとかギャンブルに走るとかそういう話になってくるんだけど、
でもいくらかはそれが必要だよねっていう政本さんの発想っていうのは私はつまりハームリダクションなんですよね。
ギャンブルはしましょうと。
ただそれで家庭を破綻させたり仕事が成り立たなくなるほどまでいくのはコントロールしましょうってこれでも一時過程の温存でもあるわけじゃないですか。
回復回減速を使ってストレスに対応する。
このストレスって何なのかってことは実は別にそこをそんなにクリアにしなくてもいいじゃないって考え方もあると思うんですよね。
だからその横道誠さんか、一宗教二世の人みたいに子供の頃神のバスだと言ってベルトで鞭打たれたみたいな人がストレス抱えてるのは当たり前だから、
いやそれはもうトラウマになるよねという話からそういうストレスがあるから、
物質乱用にせよ、性って言っても彼が言うには僕と全く同じだなと思ったんだけど、ひもてだからひたすらマスターベーションでしたみたいなことが書いてあるんですが、
それは僕がこの辺で言うのがセキララすぎるって思うかもしれませんけど彼の本読むとそんなレベルでは全然ないんですけれども、
バリバリ書くんですけれども、だから非常に面白いんですけどね。
そういう話だと仮にしてもストレスっていう風に、トラウマとかストレスっていう風に表現されてみると、やっぱり私はですね、むしろそれがマイルドな人にとってこそ分かりにくい。
我々ストレス感じてますよ。
これはもちろん日々ね、ちょっとツイッターで嫌なものを読んだりしただけでもそういう気持ちにはなるんだけれども、
それはトラウマかっていうと別にそういうわけではないと思うんですね。
私はここには精神分析を持ってくる方が僕の感覚にはすごいしっくりくるなって思うんです。
少なくとも2つ、もう散々この番組でもお話しした通りの2つ。
1つは欲打つに耐えられないってこと。
僕はやっぱりそれがストレスなんだと思っております。
ストレスと言われているものの重要な問題。
つまり自分は万能じゃないんだというか、はっきり言ってここがすごい難しいところでもあるんですけどね。
24:07
でもはっきり言って無力でちっぽけな存在だなっていう、これに耐えられないっていう人はいっぱいいらっしゃるんですよ、やっぱし。
もう少し単純に言うと、例えば夫婦喧嘩とかしても奥様にやり込められてシュンとなる。
男としてそうはありたくないよねって少しでも思うと結構でかいストレスになるんですよ。
この話はちょっとジェンダー的にあれかもしれないけどそういうのではなくて、もっとサクッと捉えてほしいんですよね。
まあ要するに夫婦喧嘩するとストレスになるというのはそういうことを言ってるんだけど、僕はそこにはいちいち欲打つがあると思ってるんですね。
欲打つポジションの欲打つが。
自分は万能じゃない、そして正しいのかもしれないけどその正しさを押し通せもしない。
そういう惨めな感じがするっていうのにすごい耐えられないっていう人が結構いるということです。
そういう時に不意にゲームをするなり、不意に酒を飲むなり、不意にタバコを吸いたくなると。
この時いつもいつもそういう欲打つ感に苛まれて頻繁に欲打つ的になり、頻繁にタバコに手を出すというこの頻繁さがどの程度になっていくかでそれがハーム、つまり害になるかどうかが変わっていきますよね、当然。
逆に言うと、そういうストレスがあったとしても今はタバコの吸う時じゃないなとかいうことができるんだったらばコントロールが効く。
その場合ハームは当然少なくなっていくからそれならいいんじゃないですかっていう。
それをどう捉えるかって思うんですよ。
だから松本さんの方面ではタバコの方を言うっていうよりはタバコのコントロールもすると思うんだけども、
そういうアディクションコントロールをするという話よりも、自分の惨めさとか自分の無力感というものを自分で抱えられる、つまりコンテインですね、抱えられるようにしましょうと。
自分が抱えられるときは自分の環境も環境としての母親ですね。
松木邦博先生とカウンセラーみたいな人が抱えてくれていることに気づきましょう。
ますます惨めになるじゃないですか。奥さんにやり込められましたっていう風にカウンセラーのところに行って、カウンセラーにそうですかって言って、
人にこういうものを抱えてもらわなければやっていけないほど自分が惨めったらしい存在だということ。
しかもそこに金を払う、時間もかける、そういうのが嫌だっていうのをしかしタバコに持っていっちゃダメだよねっていう話をしているんですよ。
精神分析の方では、あるいはカウンセリングの方では。
で、おそらく松本さんの方とかいわゆる精神科医の方でもそういう風にも今や持っていってるんじゃないかと思うんだけれども、
わかんないのでここは言及しない。ただハームリダクトできればいいんですっていう、少しはタバコ吸ったっていいんですよと、そういう風に今は変わってきてるってことですね。
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極端に言うとイギリスとかでは少しはそういう時にヘロインやってもいいんですよっていう話になってきてるってことですよ。
だから先送りなのをSNSはいいじゃんってことなんですよ、僕の感じでは。
だってアルコールが良くて、仕事中アルコール飲むってところをイメージしてほしいんですよ。
アルコールが良くて、国によってはもうそういう時にやむを得ない、ヘロインもやむを得ないって言うんだったら先送りはいいじゃないですか、全然。
ここで人と人の間に差別感情を持たないっていうのは絶対出てくると思うんですよね。
いやいや、世の中にはそういうどうしようもない奴らはいるかもしれないけど、俺は先送りもゼロにするよっていうのを頑張ろうとするとハマりますよってことですね。
これが僕は先送りの真の原因は自責っていうことの意味だと思っております。
この差別感情がどっかにあるとハマると思うんですよね。
人に俺は頼らないんだっていう人は影で、多分影に回るしかないと思うんですよ。
人に頼ってない、人に頼ってしまうと人に見られますから、人に見せないんですよ、弱みを。
この話はいわゆる男らしさみたいな話の中でしょっちゅう出てくるテーマですけれども、人に弱みを見せないということは物に頼るしかなくなるんですよ。
その物というのがVRであろうとも、よくできたゲームであろうとも、よくできたドラマや映画であろうとも、僕は何にも変わらないと思うんですよね。
それがいずれその人のハームになっていく、害になっていくところまで信仰せざるを得なくなる。
つまり人は一時過程と自分の弱さを認めないというのはつまり社会的な意味なんだけれども、
社会的な弱さを一切認めることなく、かつ一時過程だけに頼っては決して生きていけるようにはできてないという、
これはカラクリが表面化するところのプロセスに依存症というものがあるんだと思うんですよ。
ややこしくなりましたけどね。
その話、自分が無力感を認めるとか、惨めったらしい自分というものをコンティニューできるようになるという話は、
Good Vibesのいわゆる価値マックスで、傷つかない私というのとどう両立させてるんだって突っ込まれたことはほぼないんですが、
私は突っ込まれてもおかしくないポイントだとは思っています。
この話をするとそっちにまた流れてしまうので、この話はまた後日かな、大事なポイントなんですけど、私は両立すると思っているってことですよ。
両立するんだけど、すっごい説明は10分ぐらいはかかる。
30:00
ここから10分かけるともう一つの話に行けなくなるので、今日パスですね。
続きがありまして、一つはストレスと言われているものの正体、自分の惨めったらしさを抱え込んでおけない。
これは本当に広範囲にある気がします。
故に他人にそれを投げるんですよね、自分の惨めさを。
相手のことをもっと惨めにする。
夫婦喧嘩みたいなときにこれが現れますね。
自分が惨めになりそうだと。
結局男女平等とか言ってるけど、結局夫にやり込められる。
これを何とか絶対阻止したい、私は惨めな女ではないってことのために、ものすごい夫を怒鳴り散らすみたいな感じで、何とかこいつをシュンとさせることによって、自分は惨めではないということを現実に立証させようとするっていうことをやると、
かなり自己愛的かな、あるいは境界的な、ボーダーっぽい感じになりますね。
お互いやるんですよ、これは。
ほぼ確実にお互いやる。
つまり罪の意識を投げ合って、倶楽部の慶忠さんがグッドバイブして言うときにはそれが起こってるし、
よく対象関係の中で、惨めさを相手の中に押し込めるって言ったとき、同じことを言ってますね。
で、これと酷似しているんだけど、もう一つのストレスが、その万能感というものをですね、万能感にこだわる。
万能感にこだわるとすごい気分良さそうな感じがするんですよ、自分万能だってことになる。
ですが、この万能だというのは必ず空想にとどまるんですね。
精神病状態になってしまえばどうだか分かりませんけど、私はその話はしてないので、
3ヶ月セッションで参加される方々とか、100日チャレンジに参加いただいている方々は、
この僕は精神病精神ではないという前提で考えておりますので、
そうすると万能感はそのままは保持できない。どうしても万能空想になってしまう。
万能空想になった目で現実を見るとすこぶるストレスフルなんですね。確実にそうなる。
あんまり言いたくないのでぼかして言いますけれども、
ある種の日本のやや極端な政治、極端だというと本人にとっては私が中道なんだってみんな思ってるんですからね。
でも一般的に言うとやや極端な方々は、日本というのは右から見ても左から見ても最悪の国なんですよ。
なぜならば彼らは万能感を持っているからなんですね。
私が思い描いている通りに日本人がみんな動けば素晴らしいユートピアになるにもかかわらず、
なんでこいつらはこういう動き方をして、こういう党に投票して、こういう世の中を作り上げて、
そこで安住していやがるんだ、バカじゃねえかって思うとストレスフルなんです。
33:03
真剣にこう考えている以上は非常に不愉快なんですね、この感じは。
これを割と僕らはみんなやってるんですよ。政治じゃないと。
政治でこれをやると、いわゆる極端な思想になっていくんですけども、政治じゃなくたってやるんですよ。
だから万能空想には正しさがあるんだけれども、これはつまり正しい世界は万能であるっていう、
自分の万能感がそこで満たされていくんですね。
でもそのような現実が、現実はそうでないことは、現実検討能力のある彼らには確実に見えますんで、
現実はそうなってない。まるで地獄だってことになる。
地獄だってことになる場合もあるし、ひどいってことになる場合もあるし、
ろくでもねえってことになることもあるし、価値がないってことになることもあります。
これ野球とかでもできますからね。
自分の万能な理想のオーダー、オーダーっていうのは1番から9番までの打順のことなんだけど、
僕だって毎日理想のオーダーはこうだみたいなの、すぐ考えなくてもできちゃうんですよ、そういうのって。
で、今日のロッテのオーダーとか見るじゃないですか、全然違う。
なんだこのクソオーダーはみたいに思うんですよ。すごい不愉快になる。
だから万能空想というのは、不愉快を作り出すことがあっても快適な世界を作り出すことはまずない。
だからこれがあると当然ストレスになります。これをみんなストレスと呼んでおります。
これね、ロッテのオーダーとかどうでもいいんで全然いいんだけど、これが会社とかになったら嫌だと思いません?
例えばそれも自分が携わっているスタートアップ企業で、万能空想すぐ抱くじゃないですか。
こういう企画を通してみんながこれに沿って俺が思い描いている通りのプロジェクトを、
日時起源をね、しかも無理なく自分が作ったプラン通りに動けば、
どんどんこの会社は成長するのに共同創業者は全然違うことをやっている。
なんてことだろうって感じる。
こいつに任せておいたら最悪だから、俺がいつか取って変わらなきゃなと思っているという段階で、
非常にストレスフルだと思うんですよ。しかもこれは自分の収入に直結しているんで。
もうこれがね、このプロジェクトを通してこの会社を素晴らしく成長させれば、
iPhone Pro Max 16とかもすぐ側近で買えるのに、
この前はすごいと思っていたんだけど、ろくでもないJ松崎ってやつがね、
なんかタスクシュートクラウド2にいつまでもこだわってるから、
自分はこのiPhone 7とかを一生懸命使ってなきゃならないんだっていうことになったら、
ものすっごい現実っていうものの価値が下がった感じがするじゃないですか。
この感覚はおそらく僕らみんな持ってる。
僕は今Jさんの方は持ってないですけど、この人は僕より全然できるなって思いますけども、
でもこう思う人が世の中にいても別に全然不思議はないですよ。
36:04
これが万能空想だし、これは一時過程そのものですね。
非常に幼児的なものの考え、感じ方かな。
感じ方ですよね。
つまり何が幼児的っていうのは、
世の中には快と不快に分化できるんだっていう感じを抱いているってところが、
幼児がまず最初に身につけるべき感覚なんですよ。
この感覚がないと、おしめにうんちがついていても不快じゃないってことになっちゃうんで、
泣くことすらなくなるんで、非常に問題があるわけです。
快不快原則は絶対で、
これを僕らはまず持たないと生きていくのが困難になってしまうので、
だから一時過程の確立っていうのが、幼児にとっては急務なんですよ。
ただこれは、確立して卒業はできないという対象関係論の方に僕は組みしているんで、
ここから卒業できる人は、僕の考えではいない。
それはお釈迦様レベルね、やっぱり。
かなり頑張らないと無理だと思うんですよ。
だってこれ、人が果たして、
蜂が刺しても別に不愉快じゃないって話になりますからね、今度はね。
ここを卒業するってことになる。
大概僕らは理不尽にも蜂に対して腹立てるじゃないですか。
どう考えてもあれ理不尽だと思うんだけど、蜂は刺しただけなのに、
多分蜂は死ななきゃならないですよ。蚊ですらそうですよね。
蚊に刺されると不愉快でしょ。
そしてパチンってやって殺すでしょ。
蚊は刺しただけなのに、死ななきゃならないわけですよ。
これが快不快原則ですね。
僕は殺しますからね、普通にね。
蚊は刺しただけだから可哀想だから外に逃がしてあげるよ。
なんならもっと血吸ってとかは思いませんからね。
それをそれで、なんか僕はどこか違う人になってる気がするんで、
思う人いるかもしれません。
多分僕はそれはお釈迦様になってるというよりは、
欲打つポジションに入り込みすぎていて、
蚊を殺すのすらも罪悪感を抱くってことだと思うんだけど、
それはストレスがなくなったって話ではありませんから。
その人は心優しいかもしれないけど、
これを心的マゾキ、マゾキズムって言うんだと思ったんですけどね、確かね。
そういうことはあるかもしれない。
ですが、それは決してストレスがなくなった世界ではなく、
さっきの欲打つ的なストレスにものすごく苛まれるので、
そうした方が依存から無縁でいられるってことにはなかなかなんないですよ。
悟るってことはこういうことではないと思うんですね。
ただ、私たちの大半はそういったストレスがなくなって、
そもそもそうではない。
ここは回復解原則で押し通すはずです。
つまり僕らはPSポジションとDポジション、妄想分裂ポジション、
つまり蚊をバチンってすぐ叩く場合によっては、
その後も蚊に対して腹を立てている妄想分裂ポジションと
欲打つポジションを併存させてるんです、心の中で。
どっちかだけになることはない。
多分ないと思いますね。
だからこの妄想分裂ポジションは万能空想と正しさをセットで持ってて、
非常に不愉快になりやすいので、こうして不愉快に。
39:04
回復解原則と言いながら僕は不快原則と言った方がいいと思うんですね。
基本不快感というものがある。
この不快感はもちろんストレスになるので、
この不快感を吹き飛ばすために、だってほら蚊に刺されて赤くはれると
なんかこうスッとする薬とか塗るじゃないですか。
あのスッとする薬っていうのはつまり製薬会社さんが
回復解原則の解をここで付けてくれるんですよ。
で、あのスッとするものに依存症とまでは言わないまでも
ある種の常習感を持っている人いるじゃないですか。
さわやかテイスティーですよ。
だからスッとするわけ。
スッとする薬を飲み、スッとする薬を塗り、
サウナに入った後に水風呂でスッとするわけですよ。
整うとかってそれをさらに言葉を追加する。
スッとしたいわけですよ、私たちはみんな。
このスッとするというのがつまり
回復解原則における一つの依存のパターンだと思うんですね。
スッキリしませんから。
また日本はこういうバカ政党がのさばっていて
余計な税金を取られてって言うと全然スッとしないじゃないですか。
そこになんかこう爆弾でも落ちたようなイメージを持つと
スッとするのかもしれない。
だからスッとするっていうのはとっても危険なんですよ。
私はなるべくスッとしないように頑張ろうと思うんだけど
それが親的マゾキズムにつながりかねないんですよね。
この辺もめんどくさい。とてもめんどくさいっていうか
非常に入り組みやすいということですね。
もつれていくのでいちいちほぐしていかないと。
考え方としてはほぐしていかないと。
特にこの場合はやっぱり同じ話に戻ってくんですよね。
この怒りを抱え込めるか。
さっきは欲打つを抱え込めるか。
コンテインできるか。
コンテインしまくってると気分がどんどん悪くなっていくっていう課題がありますからね。
だからここでグッドファイブスでは許すってのが出てくるんですよ。
許すってのがここで出てこないとずっと怒りをコンテインし続けて
怒りで自分がヘトヘトになるみたいなそういう事態を招きかねないので。
あるいはこうスッとするものに常習的になってスッとする依存症みたいになってしまいかねないので。
そういうことを何とかするために許すとか愛するって話が出てくるわけですよね。
クリスチャンだってもうほぼそうじゃないですか。何度敵を愛せよじゃないですか。
そういうふうにつながってるんだと思うんですよ。
けどそれは簡単なことではありませんから私が考えるのはやっぱりもう一周戻ってハームリダクションになるわけ。
つまりスッとしましたと。このスッとするののハームは自分の身体とか心身とか他人にとってどのくらい
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爆弾とかになるとハームするじゃないですか。非常に。
だからこのハームをどのくらい少なめに収めることができるかと。
その時にまたもう一回戻ってくるんですよ。
いやもう妻を殴りたいんですみたいなことを松木先生みたいなところに行って話すと。
あるいは当事者同士で本当になんかジェンダーとか言ってるけど耐えられないよねみたいなことを話すと。
これによって全然違う効果を得ることができる。
だからこの当事者研究とかカウンセリングっていうものでやってることは原則やっぱり同じことなんだと思うんですよね。
一緒に抱えてもらうことによって自分で抱える辛さを減らすことができる。
その減らすことができるシステムというものを自分が持っていると思えれば自分はもうコンテイン。
自分がそれに抱え込まれているという感覚を掴むことができるんですよ。
途中お話ししたこの話とカチマックスとか傷つかない自分はどう繋がるんだっていうのはここに繋がるんです。
だって倉田さんはグッドバイブスで一つ意識って言いましたからもともと一つだったんだっておっしゃってましたからね。
つまり敵を愛するというよりは敵と自分は一つなんでもともとはね。
だからここで許すのも愛するのも実は難しいことは何もないはずだっていう観点に立脚するわけ。
この観点を取るってことと私は結局私たちはコンテインされてるっていう感じに一致するってことは同じことになると思うんですよね。
そうすると惨めだという感じというものを抱くというのは私が一体一つ意識っていう世界に生きちゃうとめちゃくちゃ惨めになるわけです。
私対宇宙みたいなそれは惨めです。
でも私が宇宙みたいな観点に立つとこの惨めさは消滅するというそういう発想なんだと思うんですよね。
このだから私と世界は一体とかそれが難しいならば私と松木さんに抱えられている状態ということは抱えられている私たちは一つみたいな感じ。
結局抱えているものを外へ外へと広げていくと世界みたいになっていくんでここから先はもうはっきり言って何て言うんですかこういうの。
理屈ですよね。僕の頭の中ではそういうふうになってたはずだと。
自分の親の親の親の親の親はご先祖様ですみたいな発想と同じなんですけど、
外へ外へ外へと持っていってもともとその一番外側まで繋がっていたはずだっていうのはもうこれは私弁ってやつなんですけど僕の感覚の中では。
所詮は言葉の話になってきつつあるんですよ。
直感的に分かるのは自分は多分この両親から生まれたんだなまでは直感的に分かる。
あるいは自分子供持ってるからね。3代までは直感的に分かるんですよ。
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あるいは自分が家にコンティニされてるぐらいの感覚は十分掴める。
昔子供の頃に母親にコンティニされてた。これは全然分かる。
この辺を使ってあとは自弁的に広げていく。別に宇宙まで広げなくてもいいと思うんですよね。
どっかまで広げていく。2,3重に広げていくことができればですね。
もともとこの一体世界とか一体の世界の中で、
それこそ一体俺対家族みたいになって、
つまりこの分断して敵対関係になればなるほど無力感って募っていくんだという話。
なので全てが一つであればそういう惨めさというものとか、
その世界に対する腹立たしさみたいなもの、
つまり自分が万能でなければいけないという感じは消失させることができるという
自弁が成り立てばですね。
どっちかといえば自分が惨めであるっていう感覚をいつまでもそこにこだわりたいとか、
自分が正しくて他の奴らはスッとするために消し去らなければっていうのを抱えているのは辛いんで。
だって実現できないんで。で実現させると大変なことになっちゃうんで。
実現させない方がはるかにベターなんで。
っていうところまで持っていけた時に先送りをしてスッとするっていうことをしなくても済むようになる。
ただしそれをゼロにしなくても別にいいような気がする。
でも一旦ゼロという旗を見ておくっていう感じの、
今日は宣伝でしたね。
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