2022-02-16 39:17

【GMV 554】赤ちゃんはなぜ夜泣きするのだろう

不適切な意味付け
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
3月にですね、
グッドバイブスな子育てというテーマで、
これは新しいセミナーなんですけれども、
倉園さんと協賽でやることになりました。
告知も始めてあるんですけれども、
テーマとしては新しいじゃないですか、
今まで講師も女性いないですし、
完全に男性だけでやるというのが、
まずちょっと珍しいんじゃないかなと思うんですね。
もちろん、子育てというテーマである関係上、
女性関係なんですけれども、
男性も歓迎したいかなというのが、
一つちょっとあります。
要するに今って、
わりと難しい状況なんじゃないかなと思うんですよね。
自分もしてみた関係上、
多くの場合ですけど、
お母さんほど自分の役割というものが、
カチッと決まるわけではないというかも、
最初から完全に自分の役割が
完璧に決まるなどというのは、
男性の場合はちょっとなくて、
何らかのポジションみたいなものを
取ることになると思うんですけれども、
ありながら、何をやってもあまり、
よほどうまくというのかな、
よほど完全にできなければ、
ほめられることはないわけですよ。
この状態がですね、
辛いと思ってしまうと、
本当に結構大変かなと思うんですね。
ちょうどですね、料理が非常にできない人、
実情が、
厨房に立った時のポジションの無さなんですね。
できることがないわけだから、
大変だと思うんですよ。
これもですね、辛いと思うと、
なかなか大変で、
だからといって、辛いと思わなければいい
というわけにもいかないんですが、
私は昔、居酒屋で働いていたことがあるんですね。
スタッフがメインで、
ホールスタッフでやっていたんですけれども、
ダイニングの方に絶対に回らないというわけにはいかないんですよ。
ダイニングの方にホールスタッフが回ってもですね、
できることは事実上ないんですね。
ああいう超専門的な調理場で、
そういうところで、
03:02
そっち側の人はそっち側の人って決まってるんで、
人手が足りないから回るんだけれども、
回ってできることはないから、
非常に所在のないことになる。
あれと似てると思うんですね。
一歩間違う男性の育児というものは。
そういう人のためにもなるかなと。
幸いと言いますか、幸いなんだけど、
私は一通り、もうおおむね一通りですね、
思春期はまた別として、
子育ては一旦目処がついたところまで来てるんですね。
もうすぐ中学生になって。
そういう所在のなさから始まってですね、
自分のポジションというものが
ある程度はっきりしてきて、
ずっと自宅にいるという関係もありますけれども、
なぜ男が責められがちになるのかと。
これはですね、多分、
本当は昔から変わらないんだけど、
昔のお父さんは偉かったから、
単純にポジションが上だったから、
できなくても怒られることはなかった。
その時代はポジションが下がったので、
偉いわけじゃなくなったので、
自然とですね、
できなければ怒られるんだけれども、
できないわけですよ、多くの場合。
で、できることももちろんありますし、
別の難しくないこともいっぱいあるんですけど、
この場合の難しさというのが、
みんなではないんですが、
今時を反映してスキルになっているんですけど、
そのスキルじゃない部分も多いわけです。
で、どんなにですね、
ここも大事なんですが、
どんなに完全にやれたとしてもですね、
責められる時は責められるはずなんですよ。
原理上。
これは、なんていうのですかね、
これもやっぱり僕のホールスタッフの経験なんですが、
店が殺人的に混んでいる日、
ビールの初祭りとかやった場合ですね、
あるんですよ。
こういう時に怒られない人っていないんですよ、基本的に。
どれほど完璧にできるスタッフでも、
怒るスタッフの人は別ですよ、怒り役だから。
だけども、怒るスタッフ役の人以外は
全員怒られるんですよ。
なぜならば、店のキャパを
基本的には超えた場合にはですね、
完全なんてことはないけど、
完全であろうとなかろうとですね、
店からのクレームもトラブルも
絶えなくなるんですね。
そういう状態で、何とか回っていればそれでいいのであって、
私もそういうのをあれは学ぶ
大変いい機会だったんですけど、
06:02
これすごく聞いてても、そういうのには絶対絶えられないと思う人もいると思うんですよ。
でも、僕なんかもそう思う口なんだけど、
そんなことはないんですよね。
面白いことに、
よくラクビーみたいな試合で、
その時は骨が折れても痛くないんだけど、
後でものすごく痛くなるみたいな話ってあるじゃないですか。
あれは聞いた話だから自分は分かりませんけど、
でもスキーとかでそういうようなことって時々あるんですよね。
あれ何かというとですね、
多分その時の心理状態って通常と違うんで、
通常の感覚からすると、
ちょっと自分じゃ無理だなって思うようなことでも、
その場に投げ込まれると何とかなっちゃったりするんですよ。
こういう状態に近い時っていうのは、
その割と大丈夫だったりするんですね。
全然これの話はグッドファイルス的じゃないんだけど、
子育てにも、
どうしてもそういうシーンで突きまとうんですよ。
二人の夫婦関係の中におけるキャパは、
もう特に超えているという時に、
どっちがどういう原因でとか言い始めても、
しょうがないんですよね。
何らかの意味で不機嫌にはなるし、
ずっと子供が機嫌よくというケースに
関しても、もしかしたらあるのかもしれないですが、
普通は夜泣きとかしますよね。
ちょっと今日夜泣きのことをですね、
考えたんですよ。
当日も夜泣きの話をテーマにしたいかなと、
少し思っているんですけれども、
まだ1ヶ月くらいあるから分かりませんけどね。
夜泣きというのが、僕はやっぱり、
どんなに仲がいい関係であったとしても、
そもそもどんな子でも普通夜泣きはしますからね。
もちろん全然しない子っていうのも、
もしかするといるのかもしれません。
ただそれは、普通はそのことに期待したり、
夜泣きをしないように育てようとかはあり得ないので、
夜泣きとかはするんですよ。
夜泣きをすると、夜泣きをされて、
機嫌がよくなる人っていないです。
夜泣きということになればですね、
断続的にうとうとっとしては起きる、
うとうとっとしては起きる、これをやればですね、
普通の人は不機嫌になるものです。
だけれども、
なんて言うんですかね、これも、
つらいんですけれども、
ここでですね、通常言われているような問題が
必然的に起きなくてもいいわけですよ。
夫は一生干されるとか、
一生冷たくされるとか、
そういうことは別に必然性はないんですね。
ここにも強い意味付けがあるんです。
もう一つですね、
夜泣きというのがいろんな問題になるのはですね、
赤ちゃんの立場にしてみると、
あそこはすごいいい例だと思うんですけど、
09:01
赤ちゃんにしてみると、
親は夜泣きという状況で
必ず失敗しなければいけないんですよ。
すみません。
この必ず失敗するというのが、
本当にこれは先に知っておいたらよかったなと思うんですけど、
もう一つ、セミナーではどういうふうにお伝えすればいいのか、
考えておるわけで、
だから今実験的にしゃべっているんですけどね、
ガンセラーとクライアント、
つまり相談に来る人に対してですね、
ユニコットが言ったことですけど、
必ず分析科は失敗しなければいけないという
言い方をしているんですね。
というか、多分僕が思うに
必ず失敗するはずなんですよね。
失敗というのがすごく重要で、
失敗されてみたときに
患者さんはどういうふうに
自分が対応できるかというところが、
最終的には勝負どころも一つになってくると思うんですね。
赤ちゃんというのはまさにそういうものを
夜泣きを通じて学んでいるんです。
だから夜泣きがあるのかどうかは知りませんが、
たまたま夜泣きというものが
進化の過程で入り込んだのかもしれませんが、
といったって、
全ての動物が夜泣きするわけではないですからね。
ただ、
なんで夜泣きするのかということはともかくとして、
夜泣きというものをするということは
親はミスっているわけですが、
毎晩毎晩ミスっているわけですよ。
何がミスなのかというと、
ここの番組ではよく言う、
ニードをニーズに切り替えることに、
ニードに対する適切なニーズを
与えられていないんですね。
これも必然的に絶対起きることなんです。
なぜなら赤ちゃんは寝たくないわけだから。
でもそこを寝させるわけですね。
眠くなるまで待てばいいじゃないかという
言い方もあると思うんですけど、
そんなことは絶対できないはずなんですよ。
だから必ず眠くもないのに、
あなたは眠いという意味付けをされてしまうんですね。
泣くわけですよね、きっと。
多分私はそういうことなんじゃないかなって思うんです。
水も欲しくないのに水を出されて
水飲まされれば赤ちゃんは泣きますよね。
これは恐怖だと思うんですよ。
でもこの種のことが起こらないと
大変なことになってしまうんですよ。
でもこの種のことは起きますから、必ず。
心配はいらないんですけどね。
つまり、
満たしたいニードというものがあるんですよ、
私たちには。
しかし、それが適切なニーズに変わるかというと
そんなことはないんですよ。
そして、適切なニーズというものは
本当はないんですよね。
私たちはお腹が空いているときだって
お腹だけが空いているわけじゃないし、
12:01
お腹が空いているときに
血糖値を減ればいいということで
点滴すればいいのかというと
それで満足する人はほとんどいないと思うんですね。
つまり、ニードをニーズに変えるというのは
不適切さが必ずそこに含まれなければ
おかしいんですよね。
絶対に完璧には満たされない
何かがあるはずが残るというのかな。
そういうようなことを
ウィニコットという人は
独特の言い回しで
しぶとくおっしゃっているんですが
そういうことなんですよね。
完璧に満たされるということは
ありえない話であって、
完璧に満たされてしまったら
ここにまた独特の矛盾があると思うんですけど
完璧に満たされてしまったら
欲望を持つ必要ってなくなりますよね。
欲望というのはラックですから
不足ですから
欲望を持つ必要がない赤ちゃんというのは
多分
極めて危険な感じがするんです。
ただ、実際にそういうことは
ほぼ起こりません。
夜泣きはしますよね。やっぱりね。
なぜなら赤ちゃんは寝たくない。
暗いところは怖いですからね。
だけど、これを
繰り返し繰り返し
強引に身づけされているうちに
眠いということをマスターするし
寝ても大丈夫だという
認識を持つに至るんですよね。
ここが第一歩になると思うんですよ。
いわゆる自立というもの。
早い子では
早い子も遅い子もないか。
でも、やっぱり反抗期の前に
これを学ぶんだと思うんですよね。
この後に第一次の反抗期が来ますよね。
多分。そんな気がします。
よく言うところの
イヤイヤ期みたいなのも
典型的に出てくる子って
どのくらいいるのかなと思うんですよ。
イヤイヤ期っていうのは
どんなことでも常に
イヤイヤ言ってるわけじゃないですからね。
そういう子もいるんですけれども、きっと。
うちの妹なんかもそうだったから。
この第一次の反抗期で
あろうとなろうと
いうような気はするんですが
ニードがニーズにならない
というか
そんなニーズはないのに
無理やり意味をつけられるという
その間違った意味づけ
というのが
私たちの
人間関係では
トラブルの当然元になっている
わけですし
もちろん親子関係でも
この種のトラブルは絶えないわけですね。
勉強したくないのに
勉強の必要性というものを
勝手に用意され
勝手にしたいことにさせられる。
どっちに好んでも
ダメですよね。ある意味。
勉強したくないからというのを
押し通すのも問題だし
私勉強大好きだからというのも
問題だとされたりするわけですよ。
実にめんどくさいんですよ。
子どもとは本来
どうあるべきかというのを
全ての人がなぜか持っているために
意見が一致することが
ほぼないなって私はしょっちゅう思うんです。
あらゆる人が異なることを言いますから。
そしてみんな自信満々ですからね。
どういうわけか。
みんな子どもだったことの
15:01
記憶があるから
自信満々なんですよ。
私はこうされて嫌だった。だからこうするべきではない。
という理屈をほとんど
人の数だけ
その正しさがあるくらい
子育てに関する
正しさというのは
耳たこだなというくらい
あらゆる人がうちの子についての
意見を申し述べていくわけですよ。
一つ一つを
私の中で消化して
これも多分一つの子育てなんだと思うんですけど
消化をして
基本的にはスルーすると。
なぜかというと結局
無理だからなんですね。
絶対に無理なんですよこれ。
あらゆる矛盾した意見が
必ず自信満々に
しかも結構専門家だったりする
というケースすら
少なくない。
それもですね
単に人文的な子育て論なら
全然いいんだけど
理科学的なものですら
しかも両方医者だったりするんですから
これは無理だなというふうに
ここを早々に無理だと
認識するのも
必要なんじゃないかと
思うことがよくあります。
こういう話は
ないけど、例えば
人参ジュースみたいな話でも
絶対飲ませるべきだという人と
絶対飲ませるべきでないという人が平気でいるんですよ。
しかも両方とも科学的根拠を
持っていて両方とも医者さんだったり
するわけです。
その意見を聞かなくったって
どっちのご機嫌も損ねるはずなんですよね。
目の前でやれば。
だからやめといたほうがいいんですよ。
信念と言うんだけど
そんなものはなくてね。
私にも全然ないです。
ないほうがいいなと
ツクツク思うんですよ。
持ってると本来それって
どうでもいいことだったはずなのに
その人と喧嘩しなきゃならないじゃないですか。
私は人参ジュースを飲ませる
主義なんですということになると
飲ませちゃダメだった人と
喧嘩しなきゃならなくなりますよね。
それが自分の親だったりするわけですよ。
絶対これはいいことないんで
全ての意見を聞いておいて
全部するするということに
しておかないと
非常に面倒くさいことに
しかならないと思うので
お小遣いとかいい例ですよね。
あげるべきだという人と
あげるべきでないという人と
多すぎるという人と
少なすぎるという人と
不幸な話になってしまうんで
だからこういうことほど
グッドバイブスって
役に立つことはないなと
正しさをさっさと手放すに限るんですよ。
何してもいいと思っておかないと
それをすると
致命的なことになって
必ずいう話が出てきますから
夫婦喧嘩とかね。
夫婦喧嘩などというのは
いいと思ってやる人はいないと思うんですよ。
でもやむを得ずやるものですよね。
子供の前だけではやめておくとか
それこそ耳たこなわけですけれども
そうできるなら
そうしたいところではあるんですけど
そうはできないんですよね。
必ずそうなっていく。
それに子供というのは
18:01
人にも子供にもよるんですけど
非常に敏感なところがあって
してもいない喧嘩を
勝手に
勝手にアンテナを立てて
勝手に感知しちゃったりもするんですよ。
そうすると
非常に難しくなってきますよね。
そんなことは考えないほうがいいと思うんですよね。
したほうがいい
したほうがいいって人はいないと思うんですよ。
あれしたくてしてるもんじゃないですからね。
こういう風に
いろんな話があるので
それも心理学的に来たり
精神分析的に来たり
嘘っぱしですけどね。
というかデタラメですけれども
子育て論的に教育論的に
先生として
先生というのはよく
一番よくわかってるなって私は思います。
先生というのは口出しほとんどしてこないですね。
問題のない子であれば。
やっぱり数多く見てる
ってのはこういうことなんだろうなっていう
気がします。
ほとんど言ってこない
一番言ってこないのが
自分の意見を言ってこないのが
先生だったりするんですよ。
世間のイメージとは全く逆なんですけど
だいたいそういうもんなんですよね。
それはそれとして
という話をしていてですね。
つまり夜泣きなんですよ。
なぜ夜泣きかというと
もちろん夜泣きについても
ありとあらゆる意見があります。
それを一つでも耳に入れると
すっげー自分が辛くなります。
一つにそういうことが必ずあります。
夜泣きの対処法というのは
これも千差万別で
自分の子供に対してでなかったら
多分絶対やる気にならないと思うんですね。
なんつーんですかね。
ランダムになる目覚ましが
ずーっと
なっているみたいな
そういう認識でいる
感じなんですね。
この認識もちょっと微妙なんですけど
スヌーズをしているようなもんですよ。
夜泣きに対処するというのはね。
でもすぐなると。
すぐ起きてまたスヌーズをして
寝ると。
頭は朦朧としてきます。
私、娘の夜泣きの
横で寝てた時に
娘が勝手に
起き出したという事件があったんですね。
だけどおかしいと思ったんですよ。
まだ歩けないはずだ
と思ったんだけど
歩いてどっかに行こうとしているので
必死に止めていたら夢だったんですよ。
でももう夢というべきなのか
幻覚というべきなのか
微妙なラインです。
あまりにも眠い時に
何度も起こされていると
ああいう現象が起こるんですよね。
いわゆる統合失調のような
原始というのとは
全然違うんですけど
無有量に近い
無有に近い症状だと思うんですけれども
非常にリアリティというか
私はやっぱり
ああいう経験を経てみて
倉園さんの言う事は
実に正しいと思うんですよね。
人間は夢を見ているようなものなんですよ。
起きてるも寝てるもないんですよね。
あの時私はもちろん寝てたんでしょうけど
全くリアリティのレベルで言うと
起きている時と
21:01
何ら変わらない。
ただ娘がまだ歩くはずはないんだな
そう思いながら対応していたところだけが
ちょっとおかしいんですけど
はいはいがやっと
というレベルでしたからね当時は
まさか起きてるはずはない
なんか普通に歩いてたから
ヨタヨタはしてたけど
絶対変だとは思ったんですけど
なんで今日急に歩けるようになったのか
と。でもそれ以外は
ちゃんと暗かったし
ちゃんと自分の寝ている畳の部屋だったし
マンションだったんですけどね
当時はね
そういうのがあって
非常にこう
びっくりするほどリアリティがある
ああいうのを
無有病って言うんだろうなと思いますね
だから私たちは
寝てるのと
同じですよね起きてても
視覚というものに意味をつけて
しまってるから
もう自分の
見たいように世の中を見てしまってる
見たいようにっていうのは無意識を含めるから
本当にそれが自分が見たいと
思ってるかどうかは
大変本人には疑わしいんですけど
間違いなくその人が見たいと思ってる
通りに世の中を見てしまってるんで
だからここに成功とか
失敗とか価値があるとか
ないとか好き嫌いは
やむを得ないとしても
正しいとか間違ってるとか言っても
意味が全くないんですね
自分が好き勝手に
意味づけている世の中に対して
いいも悪いも
自分でいい悪いというものは
これが良くこれが悪いものだった
ということを正しく認識している
と思って言ってるんですけど
それはもう夢なんで
実際にはねやっぱり
昔最近思い出したんですけど
例えば会社の課長に
直接面と向かって怒られてる時は
しくじったような気もするし
恥ずかしいようにも思うんだけど
全く夢なんですよ
現に私はそれを
今朝寝床で思い出して
こういうのをイリュージョンって
言うよなとだってもうその課長
生きてるかどうかすら分かりませんからね
でもあの時はそう間違いなく
感じたんですよね
内的対象なんですよね
内的対象としてのあれは父親かな
父親を投影してるんですよ
人が怒った時というのは
これを
同時進行でとっさに思い出せれば
多分もう
問題は完全に解決するような
気がします
それが恥であれ
怖さであれ
悔しさであれ
同じです
同じというか意味付けですね
つまりニードがそこにあります
私たちもね
怒られていて
ネガティブなニードがあると
ここに名前を付けるんですよね
その人なりの
育ってきた家庭環境なり
教育歴なりを反映した意味を
例えば恥ずかしい
という意味を付けます
それは間違っています
最初に言った通り
24:01
寝たくもないのに眠いという意味を付けられるように
私は恥ずかしい目にあってる
という意味を付けてるんですよ
その人なりに
全く同じシチュエーションに置かれても
この家長に
思い知らせてやりたいという
つまり喧嘩腰になる人もいますよね
全く多分
同じような心理状態
全く同じような
身体反応が起きた時に
僕らはそれに意味を付けるわけです
恥なのか悔しさなのか
あるいは怖さなのか
あるいは
会社を辞めたいなのか
何でもいいんですよ
それらは全て間違ってるんだけれども
自分はその意味付けというものに
すっかり慣れてるんで
眠くもない時だって眠いっていうことってあるじゃないですか
お腹ほんとは空いてないのに
お腹が空いたら何か食べたい
そういう問題がありますよね
これは全て
おそらくは母親機能によって
意味が間違って付けられてるんですが
僕らもその意味付け
ニードニーズに変えた時に
間違ってるとは考えません
しかもそれをとりあえず
そのニーズに従って行動しておけば
何か体調よくなったりしますから
つまりここにあるんですよ
全部間違ってるのはダメです
そういう問題がカウンセリングにはあります
お腹が全く空いてない赤ちゃんに
繰り返しミルクを飲ませてしまうというのは
少し前に問題になった話で
精神分析の人が
しばしば書かれるんですけど
ああいう常に間違った意味付けをするというのは
全く違う問題がありますけれども
ほとんどの場合
少々ずれた
だいたい適切な意味付けを
繰り返しするという間違いを犯すんです
この方が私たちの
生活には馴染んでますよね
これを経て
初めて眠るってことが
できるように多分なると思って
私は多分なんですが
夜寝ることができる人は
みんな精神的には多分
健常な方にもっていけるはずだって
思うんですよ
寝るってのは
甘えとよく似てますよね
受け身的な能動的な
行動ですよね
非常に変な言い方になりましたけれども
甘えるというのはつまり愛されたいと願う
とバリントが言った言葉ですけど
愛されたいと願う
すごく
受動的ですよね
受け身的対象愛というのは
ややこしい言葉ですが
非常に受動的です
だから甘えって言葉が出てきたときは
すでに甘えはしくじってるわけですよね
甘えたいとか
言ってる段階で甘えられてないし
あいつは甘えてる
って言った段階で甘えることに
失敗してるわけですよね
適切に甘えが満たされてる間は
表面化してこない欲求で
これは眠いというのと
よく似てると思うんですよ
気がついたら寝てる
寝落ちとかって言いますが
ああいうのとああいう風であるべきで
あるのが望ましくて
眠いってなってんのに寝られないからこそ
眠いっていうのが
明瞭に出てくるわけですよね
甘えるというのも
27:01
全く同じで
私たちが
こういう不適切な意味付けっていうんですかね
不適切な意味付けを
せざるを得なくなった時に
する意味の付け方は
そこにそういう意味が
どれほどないかと
どれほどないかってのも
もうちょっとあれなんですが
怒られた時とかがそうです
あるいは誰かが
怒ってる時がそうですよね
ニードなんですよそこにあるのは
ニーズではないんですよ
怒ってるという行動はすでに不適切行動
しかなくてまず間違いなく
それによって
目的が達せられることはないはずです
私も
最近何度かそれを経験して
つくづく思うんですね
怒るということほど
これはだから
夜泣きと同じだなと思うんですよ
夜どれほど怖い
寝たくない
親と一緒にいて遊んでいたい
と思ったって
それは無理ってもんじゃないですか
いずれそれを納得するしかなくなる
寝るしかない
手から離れるしかない
わけですよね
甘えというものはああいう時に
如実に現れて
甘えたいんだけれども
甘えるということは寝るということになる
寝るということが一番甘えられてない
ということなんですよ
それが夜泣きなんだと思います
杉吉晴さんが夜が怖い
っていう漫画を
ほんの2、3ページかな
夜に襲われていく男の
その昼間の
狂気ぶりを
よく描かれている方で
天才だなと思うと同時に
よしちょっと病んでんじゃないかなと
これがわかるというのはね
多分あれが赤ちゃんが泣く理由なんでしょうね
それが絵に描かれているんですが
すごいなと思いました
なるほどなと
なんか夜が襲ってくるんですよね
夜が来るなのか
そういうタイトルなんですよ
前衛的といえば
前衛的なんだけれども
非常に考えさせられるというか
みんな
あれを経てきているんですけれどもね
大人になってもああだということは
辛いとは思うんですよ
大人になると
あれを違った解釈しかされなくなってしまいますから
不眠症とかって言いますよね
そして睡眠導入剤を
もらうみたいな
話がすごくあさっての方向に
そうじゃないですよね
赤ちゃんは
あやしてほしいわけじゃないですか
あやしてほしいということは
母親に抱かれてたいということですよね
母親に抱かれてたいという要求は
私たちは
私の感じですが
等しく
完全にすでに
満たしきられてなければいけないと思うんですよね
それが
自分の中の母親機能を
機能させると
私が思うところなんですけど
30:01
どうやったらいいんですかと質問されてしまうんですが
どうやるかと問われれば
人を甘えさせてみて
その能力が
自分にあることを自覚するより
他ないと思うんですよ
甘えるというのはつまり
一つ意識ということなのであって
どうすれば一つ意識になれるのかという質問は
一つ意識になろうと
頑張りましょうという話になっていく
と思うんですよね
それは愛しましょうという話と全く同じですけれども
それが
難しいという話であれば
嫌いじゃないもの
どちらかというと好きなものを
見ればいいと思うんですね
これを
無機質に見る人っていうのは
多分
その対象に対して
ある程度恐怖感を抱くと思うんです
話が分かりにくいと思われると思うんですけど
例えば私窓って好きなんですよ
これはおかしいですよ
窓というものが
好きが嫌いだの対象になってない
つまり私は夢を見てるんです
窓を見てるわけじゃないんですよ
私は窓ってものが好きなんだけれども
つまり
まずここで抽象化してるじゃないですか
一つ取りたもこの世の中に窓というものはないですよ
ガラスの板であったり
様々だったりします
透明だったり
曇っていたり
それを全部窓と総称して平気でいるわけですよ
そして窓がしかも好きだとまで
抜かすわけですよ
なぜか窓に意味を付けたんですよ
私が
あのガラスの
外と内を仕切ってたり
部屋と部屋を仕切ってたりするものを
外と内を仕切っているものですね
これを窓と名付けたんですよ
しかも私はそれを好きだということにしちゃってるんですよ
つまり窓を愛しちゃってるわけですよ
これは意味付けですよ
完全に
で多分私の中の母親機能が機能してるんでしょう
簡単に言うと窓に甘えさせてもらってる
という認識を持ってるんですよ
私は
そんなこと窓はしてませんから
甘えてるわけです私が窓に
だから窓が好きなんですね
でこういう風に考えた時に
ニードがニーズ
ニードがニーズに変わってるんですよ
窓を愛したいというニードが
ニーズに変わって満たされていて
そのようなことを表現するのは変ですから
普通は何も思わず
私は客観的に窓を見ているという
愚かにもそう考えてるわけですが
私は夢を見ているように窓を見ているだけなんですね
これができればですね
自分を甘えさせるということはできるはずなんです
私が
私にしてみれば窓が好きなように
自分を見ればいいわけですよ
そうすれば自分を甘えさせるということが成立するんですね
これをどうすればいいのかとは
聞かれても答えようがないんですね
ただ
ある種の人
つまり意味付けを徹底的に廃してしまった人
恐怖から
これを自閉的に見ることになります
あれはただのガラスだという
考え方を持ちます
でも人間にはこのままの
見方はできないんですね
唯物的で物質を物質だと見て
それを科学的に見ているから
より客観的だということにはならない
33:01
結局それは
知覚してしまっているから
それがただ我々が窓に
意味付けているような意味をつけずに
窓を見ているだけのことであって
それがより正確だということにはならないんですね
より物質的に見ているから
例えばそういう人は手品に騙されにくいとか
いろいろあるんですが
そういうことがあったとしても
結局その窓に
何の意味もつけられていないという
ものの見方になってしまう
これを自閉的って言うんですね
あれです
お化け屋敷に行ってもちょっとも怖くないわけです
でもその人はたぶん
お化け屋敷を怖がらないために
自分の意味付け機能を
全部停止させたんですよ
非常に極端な場合はですね
それでは人間社会で
生きていくのは不可能になっていくので
意味付けというのは
しないわけにはいかない
特にポジティブな方は放っておくに限るんですね
問題はネガティブな方の
意味付けですよね
ニードに無理やり意味をつけたニーズ
無理やりニーズに意味をつけた
ニードに意味をつけているわけです
だから夜が怖くなって
杉さんの書いた夜みたいに
夜が怪物で
なんかこううねうねしたもので
夜が全体的に人を襲ってくるという
そういう恐怖の意味付けに
囚われるわけですね
これは自閉の逆ですね
そこまで我々は
いちいち意味をつけないものに
強烈な意味を与えると
ああいう恐怖症が生まれるわけで
たぶん私は
人が怒っている時というのは
みんなあの状態に入るんだと思うんです
何らかの形でその人は
お化け屋敷にいるような感じになって
そしてプラスチックのお化けは
ものすごいに恐ろしいものだと
でもそれは恐ろしいはずですよ
やっぱり
その人が
三歳児とかであれば絶対に怖かったはずです
夜一人で
お化け屋敷に投入されれば
学校の夜とかでもいいですよね
一人で閉じ込められたらさぞ怖いですよね
なぜ怖いのかは
わかんないじゃないですか
ただ怖いんですよ
その怖さというのは自分が作り出している
そしてこれがですね
たぶん夜眠れないという現象の
一端を担うんだと思うんですね
子供は泣くわけですよね
これを
どうこうしよう
というのはないと思うんです
私は
これをどうこうするのは
ナンセンスだと思います
夜は怖くないと何度言われようと
あんまり意味がないですよね
怒っている人に向かって
それは怒るほど怖い話じゃないと
自分もそうです
怒っている時に
これは怒るほどのことではないというのは
もう千回から一万回から
もう百万回ぐらい
自分に言っていますが
自分が聞く耳に戻るとしないんですよ
それぐらい
損なわれるという恐怖感というものが
根深くあって
もちろんこれも
親によって不適切に意味付けられた
たぶんそういうことだと思うんですね
36:01
先生かもしれませんし
友達かもしれませんが
いずれにしても不適切に意味付けられた
意味付けというのは
全部不適切なものなので
ある程度の不適切さを含むものなので
絶対に完璧な意味付けなど
というものはありえないので
そういう意味で
原理的にやむを得ないんだけど
この不適切な意味付けというものを
今日は自分で
自分でやったものだから
自分でやめることもできるんですよね
僕も何度も失敗しておりますが
時々成功する
今朝も課長に
怒られた時のシチュエーションに
何の意味も付ける必要が
今やなくなっているということを
ああいうのならできるんですよ
半分夢を見ているのも間違いないですから
寝床での話ですからね
ああいうのならできるんですよ
それに対して
それでも身体反応らしきものが
発生し
今日はそれを起きるのに役立てちゃったんですけど
心拍数が若干に性を高める
本当にですね
人間というのは
つくづく
意味で生きているなと
意味を食べているなという感じがしますね
そこに意味もしない人を
脳に描いて
心臓の鼓動が速くなる
よく考えるとこれは
大変不思議なことですよね
心拍が速くなる
いかなる必然的な理由はないですね
でも
間違いなく僕らが
誰かに対して
腹を立てている時に起きているのは
こういうことだと思うんですよね
要するにプラスチックのお化けが
私たちの心臓を
速くする
本当はそんなことはできるはずがないので
私たち自身が
能力を使って頑張って
イメージして速くする
そのイメージが
客観性を持っていると
何て言うんですかね
そんなものがあるはずがない
客観性ですよね
もうやめておきますが
昔私が
マンションを買った時に
ゼロがいっぱい並んだ
でかい数字がボンと入ってきて
一時的に借りたからですね
それがボンと消えていく
あの感覚と似ています
お金というのはそういうものなんだと
思うんですけれども
そこに僕はリアリティを
持っていかなかったんですよね
ドンと大きい数字が入って
ドンと大きい数字が消えていく
そしてローンというものが発生する
そういうのって
やっていくうちに
リアリティ湧いていきますよ
でもそれまでリアリティが湧かないんですよね
そういうものにリアリティを与えているのは
僕らの意味付けだと思うんですが
そういう能力を僕らは備えている
ということだと思うんです
その時に
身体反応が発生するのが
最もリアリティがある
間違いなく赤ちゃんの心拍数も
上がっている
血圧も上がっている
39:00
本当に怖いんだということを訴えている
しかも
にもかかわらず夜の暗い中に放り出そうとする
放り出しているわけでは
決してないけど
放り出そうとしているから
親を恨むんでしょうね
39:17

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