えっと2人いて、まあ俺としゅうさんがいるとして、はい
えっと片方の手にロープを持ってますと、お互い。 ロープを持ってそのロープの繋がりで
こう繋がってるねっていうのを感じている。 ですけど、強い絆っていうのはピンピンに張ってるんですよね。
だから その
すごい気になるんですよ。その強い絆がピンピンに張ってるんで。 はいはい。
これを切ってしまったらどうなるかとか 相手はちゃんとつかんでてくれるのかとか
だからすごい相手のことが気になる。その絆、縄を持ってる。 うん。
だから、その
俺の中学校とか小学校の時とかって女子が、はい あの一緒にトイレ行こうみたいな
女子って結構いたと思う。いたんですよね。 えーほんとですか?へー。はい。
トイレ一緒に行こうとか常にそのペアが同じみたいな。 その休み時間も、何やってる時もその2人必ずそのペアでいるみたいな。
あ、ごめんなさい。女子同士ですね。 あ、女子同士です。ごめんなさい。男子に一緒に行こうって言ってくる女子がいたっていう話かと思って。
すいません。ごめんなさい。 女子同士ですね。はいはい。失礼しました。
で、なんかそのグループ分けとかした時もその2人で組むとか、ペアとかグループとかやった時もその2人が一緒になる形に組むみたいなのが割とあって、それはその強い絆でピンピンに張ってるから、もしその相手が別のペアになったりとか別のグループに入って裏で何を言われてるか
言われるかわからないから怖いから。うんうんうん。
その、何だろうな、その監視してるみたいな。はいはいはい。
うん。で、それと、あの
えーと、それが割とその、女子じゃなくて今男子にも怒ってるよみたいなこと。男子でトイレ一緒に行こうみたいな。
あらー、なるほど。 へー。現場で。
そうなった。で、そうそう。で、割とそれはやっぱり家庭の中でも同じようなことが起きていて。うんうんうん。
その、これ切ったらもう切れちゃう。はい。
と思うから反抗もしないし。あー。うん。
あのー、反抗できないというか、うん。はいはいはい。
安心できてないから、反抗期は来ないみたいなこと言っていて。うーん。
じゃあどういう絆がいいかっていうと、うん。その深い絆って言われてる。はい。
感じで縄がこう、下に垂れてて。はい。
全然ピンピンに張ってない。はいはいはい。感じの絆で結ばれてると、うん。
あのー、安心してるから。うん。
うん。なんかこう、何をやっても、私が何をやってもこの絆は切れない。
うーん。っていう風に思うからこそ、うんうん。
あのー、相手を信頼して反抗もできるし。うんうんうん。
うん。なんか、うん。
まあ、反抗期は来るみたいなことを。うん。
言っていて。うんうんうん。
だからまさにそうなんだろうなみたいな。うーん。のは納得したんですけど、まあでも確かにそのシューザンが言って、言われてるように。はい。
歴史の中で言えば確かにその、ね。うん。
学校とかね。うん。がないと。うん。
学校とか、学校とか。うん。
農業をずっとやってるところでね。しかも子供がいっぱいいて。うん。
うん。反抗期が、
来るのかって言うとちょっとね、わかんないですよね。
それも。まあうん。僕もちょっと本当に。あれ聞きたいなってのストーリーかもしんないですけどね。
うん。いや、どこで聞いたかもわかんないあれなんで、ちょっとあてにならないんですけど。
うんうんうんうん。その、でも神話の頃からね、そういう不正の話があるんだったら。
そう、そうですね。不正というか。うん。やっぱりなんか。父を超える的な。
父を超えるとか、ライオンはなんか子供を谷に突き落とすみたいなのがあったりするじゃないですか。うんうん。先人の谷に。うんうん。ありますね。先人の谷とか。
うん。だから割とその、
試練を与えるっていうか、試練を乗り越えて何かをつかむっていうその、ヒーローズジャーニーっていうのはやっぱり昔から。うんうんうんうん。
どの神話にも登場していて。うんうんうん。それが心を打つみたいな。うんうんうん。何千年何万年と語り継がれて残っていて。うんうん。
で、それがやっぱり今のエンタメとかにも。うんうんうん。取り入れられていて。うん。
ハリウッドのストーリーとか特に。うん。それに。今はちょっとね、ハリウッドあんまりですけど。あーそうなんだ。へー。うん。
あんまりというか、その昔みたいにこう。うん。大作っていうか。うん。
日本の映画とかも面白いし。うんうんうん。ハリウッドだけじゃなくて他のとこのね、映画も面白くなったし。うんうんうん。
うん。ハリウッドは最近なんかこうリメイクが多かったりするじゃないですか。シリーズものとか。
ごめんなさい。映画もちゃんと把握してないから。人から聞くことぐらいしか。リメイク?例えばなんかリメイクしましたっけ?
リメイクというか。うん。例えばスパイダーマンが一回ヒットしたらスパイダーマンのシリーズをやったりとか。おー。
あの、マーブルのアベンジャーズをずっとやってたり、エックスメンとかをやってたりとか。はいはいはいはい。
シリーズで続けていっちゃうと。うん。そうですね。なんか完全に新しいやつで切り口で。はいはいはい。新しい監督でっていうのは減ってきてるじゃないですか。確かに。そうかも。うん。
うんうんうん。そう。
だから。うん。
微妙というか。うんうん。昔に比べたらその、ストーリー的にもやっぱり大味なストーリーだよねみたいな。ハリウッドのストーリーって。おー。はい。
日本、最近、最近なのか分かんないですけど、日本人の方がやっぱ繊細なストーリーを作ったりするから、特に漫画とかアニメとか。うんうんうん。
日本の漫画アニメのストーリーに比べたら、ハリウッドのストーリーって、まあ映像とかすごいけど、実写で、実写化するのはすごいけど。うんうん。
やっぱお国柄とかもあって。うん。
ハリウッド、そんなに昔ほど、なんかわーって騒がれる作品って減ったかなーと思ってて。うんうんうん。
分かんないですけどね。うんうん。まあでもね、印象というかね、その人が受ける印象だから。
その不正の話と、なんていうのかな、難しいんですけど僕、僕自身が
対してこう、なんていうかな、先人の谷に突き落とされたら多分死んでただろうし、みたいな感覚で生きてる人間なんですよ。
僕自身がめちゃくちゃ守られて、運良く生き延びてこれたなーみたいに思っているもんで。うんうん。
難しいな。守るのがいいよねっていうふうに思ってるわけじゃないんですけど。うん。
なんていうのかな、難しい。その不正の話とは多分本当は別に、えーと、なんていうのかな、ん?
相反しない話なんだと思うんですけど。はい。あ、大丈夫ですか。今日ね、僕ちょっとネットの回線がちょっと悪いかもしれなくて、
最近ちょっと、光回線を解約、まだ解約しきってないんですけど、もうちょっと解約した想定でやっちゃおうと思ってスマホの
テザリングで今、ごめんなさい、本番なのに試しでやらせてもらっちゃってて、落ちたり、落ちたり声が遅れたりしたらごめんなさい。
はい。ちょっと余計なの挟んじゃったけど。そのー、なんていうのかなー、ほんと難しいんですけど、僕、今の全体の社会の流れに対して
すごく争う必要のないところで争ってるのを、ずっと気がかりとしてそれを原動力にして生きてるみたいなところがあるんですよね。
そういうふうに、なんかメタ認知することで、そんなところで争わなくていいよね、みたいなことを
全然客観的に慣れてないから目くじら立てて争う結果になっちゃってるみたいに思って、そこにある意味継承をならし続けながら生きてるみたいな気分なんですよね。
はい。 さっきの不正の話とかでいくと、喧嘩とかは、もうやれるところまでやればいいんだ、みたいなところがちょっとあるじゃないですか。
本当に危ないところは止めないといけないかもしれないけど、そうでない限りはそれも経験なんだから、やっていくのがいいよねっていうのが基本の考え方だと思うので。
そこのなんか、はい。 基本と言われるとちょっと分かんないですけど。
あーはいはいはい。
ちょっと俺はそう言いつつも、それはまあ一つの考え方であるんで、他の考え方ももちろんあると思うんで。
そっかそっか、でもその意味で言うと、それがなくなってまずいよねみたいなのも、要は大人が子供に対してある意味こう、メタ的な視点で考えてあげてるっていうことですもんね。
なくなってまずいよね。
そういう不正というか、そういう喧嘩するような機械が、もう何でもかんでも守るみたいになっちゃってなくなっちゃうと、それはそれですごいまずいよねっていうのが、
そういう親の視点、父親の視点としてあるっていう話ですもんね。
そうですね、あと結局、ごめんなさい途中で挟んじゃったらなんですけど。
全然、はいはい。
あの、まあ子供は、えっと、
何だろう、その、保育園の先生の話もした、保育園の幼稚園の先生が、最低に入るみたいな、止める、先生だけじゃなくて親も含めて止めることができるじゃないですか、幼稚園とかだと。
で、その止めることによって、いろんな反応を、えっと、子供は学習していって、
泣いて、泣いて大人に来てもらうっていう子もいたりするんですね。
まあ、いましたね。僕もやったことありますね。
いや、俺もやってたし。
で、その、でもそれ真面目に受け取ると、確かに泣いてたら、止めてあげたほうがいいし、もちろん。
ただ、計算で泣いてんな、みたいなのも見えてくるんですよね。
あー、それもあったなあ。はいはい。
あ、こいつ、俺の方今チラッと見たなって。
俺の方チラッと見て泣いたなと思ったんですよ。
俺しかいないときがあったんですよね。
俺が1人大人だけいて、こうやって。
で、なんかこういう、ちょっと喧嘩じゃないけど、いい争いというか、取り合い、理由の取り合いみたいなのが始まって、
で、もうなんかいきなり泣き始めた子がいて、で、チラッと俺の方見て泣いたんですよ。
あー、はいはいはいはい、来ました、みたいな。
でも、それで普通は行くと思うんですよね。
あー、そうですね。
その、どうしたの、ダメだ、どうしたのかな、みたいな感じで行くと思うんですけど、
俺とかは、はいはいはいはい、っていう感じで、もう、あ、どうぞどうぞ、どうしたの、どうしたの、っていうか、
あ、続けて、続けて、みたいな感じなわけなんですよね、俺の場合と。
で、それで、こう、取り合いになったら、よし、じゃあ、強い方が取ろうか、みたいな。
そこでちょっと、うん、取った方が強く行こうか、でもなんかこう、体格差とかもあるから、
ある程度ちょっと僕も手を貸してあげるけど、基本的にはこう、バトルで取ろうか、みたいな感じだったんですね。
うんうんうん。
でも、それやってるとね、あの、かなり浮くんですよね、割と。
あー、そうなんだ。
今の状況が、うん。
そうなんだ、へー。
かなり浮いちゃうし。
うーん。
大変ですね。
手こずって。
うんうん、全然。
今ずっとお話聞いてて。
ちょっと挟めますか。
僕も思うとこあったんで。
たしかに修羅さんのおっしゃるとおり、
いわゆる昭和の家族的な役割としての父親母親みたいなのはもうなくて、
両方とも母親的な、子供を庇護するものとしての親っていうものがスタンダードになってきてるってことは、
たしかに僕もそうだなと思うんですけど。
でもこんなことはあるんですけど、
この時代にそれに対して父性とか母性っていう、
ジェンダーロール的なラベリングをしていいのかというのもやっぱりあると思うんですよね。
母性を発揮するのが父親であってもいいんですし、
父性を発揮するのが母親であってもいいわけですよね。
まさにそうですね。
別にそこが危ういとか修羅さんの言ってることに反論するとかではないんですけど、
家族の外の人とか知り合いのおっちゃんみたいな感じで、
さっきの講演の例でもそうですけど、修羅さんがまさにそうだったように、
父性とか母性を発揮する人が別に各家族の外にいてもいいわけです。
あともう一つちょっと思ったのは、
乗り越えるべき対象みたいなのが、
反抗期での親に相当するもの。
家族関係の中で相手を妥当するみたいなことでもなくてもいいんじゃないかなと。
スポーツでもいいですし、他の活動でもいいと思うんですけど。
それこそ受験とかなんかはわかりやすいかもしれないですね。
いい方向に働けば。
なんていうんですかね。
困るっていう意味も二もないんですけども、
家族の価値観みたいなのがこれだけ変わって、しかも急速に揺られるってとこで、
固定的なロールっていうのは、たぶん獲得しづらいし、
それに固執したままだと、それぞれ不具合を起こしそうな気がするんですよね。
だから子どもを守って抑制するっていう方向性と、
もちろん子どもをある意味危険に晒すことで解放する、活性化させるような方向性。
毎着のロールの塩梅がやっぱり求められるってことだと思うんですよね。
それが日本でいうと固定的な家族間では、母親の母性、
後者が父親の父性というような捉え方をされてきたんですけど、
親の性別とかに関わらず、どちらも場合によって発揮することが求められてるし、
発揮しあえてしないという選択も取らないといけない場面もあるわけで。
しかも、昔と比べるとおそらくシングルマザー、シングルファーザーの家庭も増えてるんで、
それこそ自分の役割を固定化しづらい、むしろしてはいけないぐらいの感じになっちゃうと思うんですよね。
でも自分って人しかいないんで、そんなバラバラなことはできないと思うんで。
その中で、さっきシュラさんがおっしゃってた、コミュニティに属したいというのは、
同じ価値観を持つ人たちだとしても、その中のグラデーションみたいなものをどこまで許容するのかなとちょっと興味あるんですよね。
やっぱり、さっきシュラさんがおっしゃったことの不正的な価値観。
現代の家族にかけてる不正的な価値観を補うとするっていうところで合意は取れてるとしても、
その中のグラデーションみたいなのが結構違うと思うんですよ。
木を使わないけど刃物はダメでしょ、みたいなことがあって。
木も刃物もいいけど木登りが落ちたら死ぬからダメでしょ、みたいなことがあるかもしれない人によって。
この辺のコンセンサスを取るのが結構難しいんじゃないかなと。
今の例だけでも、いわば不正も誤正も両方とも発揮されてるわけで。
この辺のその場その場の合意の取り方っていうか、
その都度コンセンサスを取っていくっていうこと?
それ自体がたぶんこれから生きていく中で、大人も含めて。
特に子ども、これからそれにさらされていくと思うんで。
あの、まぁその、リトルウルフキャンプとか、そういうのにやっぱり参加して、ある意味特殊な感じじゃないですか、そういうのって。
一般の人からすれば、そういう環境で、なんかこう、冒険するようなことをやってたりとかするからこそ、その違和感を感じるわけだって。
だから、でもその中で、なんかもうちょっとこう、なんかこう、できることがあるんじゃないかとか、
なんか、一緒にこう、学び合えるんじゃないかみたいな。
もっと自分も学んでいきたいと思っているので、その方向性が、同じってあれだけど、なんかこう、
ちょっと学び、いろいろこう、子育てについて学びたいよね、みたいな人が集まるには、一旦その不正っていう切り口で、
発信というか。さっきなずくさんが言ったんですけど、別に不正だからお父さんがっていうわけではない。
どっちかというと、俺の、うちの夫婦は、僕が母性が強くて、
あ、そうなんですか。
僕が父性が強いみたいな、感じですよね。
今回の件もじゃあ、奥さんも、なんか、不正的にこう、守りすぎだよねっていうスタッフでいるみたいな感じですか?
そう。だから奥さんの方が大変ですよ。奥さん。
奥さんはなんか、もうストレスであるみたいな。
これ、あんまり言っちゃいけないかもしれない。
ごめんなさい、ごめんなさい。意識出しちゃった。ごめんなさい。
でもそんな奥さんに僕はクレイジーだねって言われたって、よっぽどだなって今思いながら聞いてましたけど。
全然関係ない。前の話で。僕の生き方を話したら、奥さんがクレイジーだねって言ったのを今思い出して。ごめんなさい。全然関係ないのに。
面白いという意味でね。
そうですね。
僕も半分ギャグで言いました。
僕もなんかね、そういう空気みたいにして、やっぱりこう、日本人だからかもしれないけど、保育園でやっぱりそういう、みんながそういう流れになって、しゅらさんが浮くみたいになると、
やっぱりその場で、その今のしゅらかんの、しゅらかんじゃない、しゅらさんの違和感を、しゅらさん違和感が混ざっちゃった。しゅらさんの違和感を、その場でこう、なんていうか、こっちがいいよって、
そこの空気の中でやるよりも、なんかそういう違和感を感じてる人が各地にいるだろうか、そういう人たちの受け皿みたいにしてなっていくと、そのコミュニティはいいよなって思うんですよね。
僕の話と同じレベルじゃ全然ないんでしょうけど、僕も普段、地区の人たちとかと全然交流ないんですよ。やっぱりこう、すごい高齢な方々のいらっしゃる、今までの空気みたいなのがある中で、僕の生き方って絶対理解してもらえないんで、
それをその地区に押し付けようみたいなのは絶対できないから、僕はオンラインにね、逃げ場というか、言葉悪いかもしれないけど、僕の生きる場所を求めてこっちに来てるわけですよね。
なんか何かしら違和感みたいなのがあって、それによって何かが生まれるみたいなのは、なんか大事というよりも、必然的にそうなるよねみたいに感じてますね。
だから、1月28日の配信聞いた時に、やれてるかなチェックみたいなのができたらいいですよね。
そうですね。もう宣言してしまったんでね。やっぱりやらないと。
まあまあでもね、それも自分の中の違和感が原因だったんだろうけど、それがいいふうに解消されてたらむしろ、一回言ったんだから絶対何かやらなきゃみたいにこだわる必要もないしみたいにも思いますけど、
あともう一つ聞きながら、僕の中でさっきの。
次回へ続く。