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2022-11-14 29:52

【703GMV】自分の意識に全幅の信頼をよせる

広い前意識が味方してくれる

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おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。
今日は11月11日、金曜日の21時12分ですね。
一日一日の日ってやつですね。あと11時11分とかそういうのが話題になっていたのかもしれない。
今日はそういうのを見逃してしまった気もします。
久しぶりにですね、グッドバイブスの実践系の話を今日はしようかなと思っていまして。
というのもですね、最近…別に最近というわけではないな。
いろいろ思うところはあるんですよ。
昨日なんかは、割とコロナワクチンの後遺症?副反応だな。
が結構、当人としては軽く考えてたんだけど、やっぱり結構あったっぽくて。
ロキソニンとか飲んで痛み止めてたんですよね、結局。1錠だけですけどね。
で、頭ぼんやりしてたし、その分、昨日喋ったのを聞いてみてもぼんやりしてるなっていうのを、すっきりした頭で聞き直すとわかるんですよ。
ぼんやりしているからつまらんこと言ってるなってわけじゃないんだけど、ぼんやりしているのはなんとなくわかるんですね。
でもぼんやりしてる時だから、なんかこう出てくることっていうのも面白いことにあってですね。
今、たぶんあれすっきりしてたらこうは言わないなっていうふうに思ったんだけど、でもすっきりしてこうは言わないとなると、つまりこうは出てこないことになるじゃないですか。
だからやっぱりああいうのを聞き直してみると、何でもやっておくべきだなって思っちゃいますね。
やっぱりこう、人は一瞬ごとに別人ですよね。聞き直してみたりすると痛感します。やっぱり違うんだなって思うんですよね。
もちろんこれはいつもすっきりしているって言ってもやっぱり違うわけだから、そのすっきり度がね、必ず違うわけじゃないですか。
だからこうは言わないと言っても、どう言ったのかはその時々になってみなければわからない。
そういう意味では、いかなる出来事についても再現性なんてないんですよね。間違いなくそういうことは感じますね。
最近ますます何かをディスってるつもりはないんですよ。批判したいと思うわけじゃないんだけど、何かを繰り返しですね、改善して、レビューして改善してっていうのはやっぱり違うなと思いますね。
そんなことはあり得ないっていう感じを最近つくづく持ちます。
この一言から考えるに、もしですね、やっぱり何かベストの結果に近いものを得たいと思ったら、というかベストな結果を得たいと思ったら、
03:12
自分の例えば全意識っていうやつ、全意識っていうのは思い出そうと思えば思い出せる意識のことなんだけど、あるいは思い出そうと思えば思い出せる記憶のことなんですけれども、
やっぱり最大限活用しましょうというのを一つ言いたくはなりますね。
メモに書いてあることを読むとか原稿を読むとか、先日国連事務総長が違う原稿を渡されたとか言ってましたけれども、
ああいう人たちは大変だろうなとは思いますけれどもね、しばらく読んでないと違う原稿であることに気づきもしないっていうのはやっぱり何かおかしいと思うんですよね。
その場で喋っているテーマと内容とがあからさまに不一致であるのに、しばらく喋ってから気づくっていうのは、読んでるだけだとしても不思議な話じゃないですか、ある程度。
あんなことが起こるっていうのがね、やっぱり意識が狭まりすぎていると私は思うんですよ。忙しすぎるんだと思うんですよ。
本当に昔、コリーン・ウィルソンという人の意識が鍵穴のように狭くなることがあるっていううまいこと言うなと思ったんですけど、本当にそんな感じですよね。
意識っていうのは広いものだと思うんですよね。いろんなことが同時に意識できて、しかも記憶もできているってことを思い起こせるといったものだと思うんです。
だから私はこの700回超えるに至ってようやくわかってきたんですけれども、それだけの広さを持っているものを邪魔しないというのがとてもとても大切だと思うんですね。
全く準備をしないから、こういうことがようやく見えてきたんですよ。逆に言うとあまりにも準備を今までしすぎていたから、自分の全意識の広さというものがよくわからなく、もちろんよくわからないんですよ。
広いって言っても漠然としていますからね。空とか海の広さと同じで、広いことはわかっても、どういう広さでどんな広がりがあるのかわからないんですけれども、広いなーって感じはあるんですよ。自分の意識でも。
これも大変不思議なことだと思うんですね。でもこういうことは間違いなく言えると思うんですよ。どんなに自信がない人でも、どれほど自己肯定感とかいうやつが低いと言っている人でもね、自分の意識の広さというものは得体が知れないなって感じぐらいは抱いていると思うんですね。
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自分の意識の広さというものはこのような円として完全に描けますっていう方がもし本当にいらっしゃったら、その方は自己肯定感じゃない問題をお持ちだと思いますね。多分僕はでもそんな人がこの世にいるとは思えません。つまりどんな人でも多分こんな風だろうなと思うんですよ。
そうすると事故っていうのは結局得体も知れなければ、測り知れないんじゃないかと思うんですね。ある意味その事故の意識の広がりっていうのはそれがどういうものであれですね。なんかこう宇宙空間みたいな感じのものだって。だって空の広さって結局宇宙空間ですからね。
宇宙空間みたいなものであって、それを否定したり肯定したりする類のものじゃないと結局事故っていうのは自分じゃないですか。だから事故を肯定する否定するって言っても、その事故の肯定されるなり否定されるなりする自分ってものの中に自分の意識って入っているじゃないですか。
その自分の意識という、なんかこう海よりも広いって言った感じのものをね、何が否定できたりしてるんだろうって不思議な感じがしますよね。
もちろんその中から、そのなんかやたら広いところからね、適切な、今喋るべき適切なものが拾い出せますという自信がないですということはあるかもしれないと思います。
それは私もそうですけれども、こういうものほどですね、ただ何かに任せておくべきなんじゃないかって感じはするんですよね。
適切なものが拾い上げられるというか、拾い上げてくれるというか、勝手に登ってきてくれるのを黙って待ってるしかないんじゃないかなという、そんな風には思いますよね。
だって広がりの果てが自分でわからないものが自分の中にあったとして、その果てのないところのどこかに何かがあると、自分のやってることの都合のいいものが上がってくるというのを信じなかったら、どんな方法論を持ってしても多分無理だと思うんですよ。
宇宙空間みたいなところから自分にとって一番都合のいいものを意識的に引っ張り出せるってことは考えられないですよ。
それを何かな、わからないですけれども、Evernoteとかで探せば見つかるっていう風には私には全然信じられないんですよね。
そういうことは無理なんじゃないかなって思うんですよね。ツールのレベル良し悪しとかいう話ではなくてね。
でもそれが自分と繋がっているんだから、自分に対して協力的だと期待したっていいじゃないですか。
徹底的に非協力的ですという風に考えることも、これまた大変不自然な感じがするんですよね。
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だから、Good Vibesで倉園さんなら信頼するっておっしゃるんだろうと思うんですけど、
あんまりあれこれ考えずに任せておくと、多分いいものが出てきてくれるんじゃないかと思っておくあたりで、
上手くいくんじゃないんだろうか。そんなに広いものが自分の中にあるんだとすればですね。
多分、もう一回繰り返しになりますけど、どれほど自信がない人でも、
いや、私のあれはそうじゃないですね。半径1メートルであることが確実にわかりますねっていう人はいないと思うんですよね。
私の意識の広さは、どう見ても半径10センチしかないと、完全に限定されていることは確かですねっていう、そこに自信が持てる人はいないと思うんですよね。
むしろ自分に自信がないというのは、自分があやふやだからだっていう感じが私ならしますね。
むしろこのどこに広がりがどこまで行っているのかわかりもしないことのほうが、その人の自信を奪うんじゃないかなと思います。
でもそれはすごくないってことではないですよね。海の広さは大したことがないとは思わないじゃないですか。
エタイが知れないなというのはわかるんですよ。
南国の海とかの夕方になるとね、私昔、沖縄の、沖縄じゃないな、どっか、とにかく南国の海に行って連れてってもらった時に、
ヘビが泳いでて、ムミヘビで、そういうエタイの知れなさはなかないと思うんですよ。
そこ知れぬとか、測り知れないとか、それはしょぼいってことにはならないような気がするんですよね。
そういう印象を受けないですからね、やっぱりね。
だからもっとある意味、これほどのものが自分自身であるならば、自信を持てるんじゃないかと思うんですけどね。
全然グッドバイブスの話してないような気もしてきたんだけど、これが私が一つグッドバイブスで得たもの、重要なものの一つなんですよ。
これについてやはり調べているうちに精神分析の方に今引っ張られているのは確かなんだけど、
このグッドバイブスを知る以前にはですね、こういう発想が私には乏しかったんですね。
全くなかったわけではないなと今思えば思うんだけど、
非常に制限をかけていたなとは思うんですよね。
やっぱり読み上げられる状態にしておいた方が安心だという。
安心なのは確かなんですよね。
安心なのは確かなんだけど、読み上げられる状態にしておくのが最善だとは思ってなかったんですよ。
最善ってのはそれ以上上はないってことになるじゃないですか。
そうは思えなかったんですよね。
どう考えてもこれはセカンドベストが石の山だなという感じはしていました。
事前ってやつですね。
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今でも状況次第ではそういう選択を取ることはあり得ると思います。
ただそれは残念な選択だなとも同時に思うと思いますね。
これはライフハックとかタスクシュートだからという話とはまた違うと思うんですよ。
私自身の無さから来る話であって、事前に何をすることに決まっているからそうしなければいけないってことはないわけですからね。
例えばこれが社員研修だから突然全意識のことは一切やめて1から10まで全部テキストに書いておきましょうっていうのはやっぱり何かが残念な感じがするんですね。
ライフハックというのは自分に強制されるものではありませんから、
ライフハックすることができるということとライフハックしなければならないという話は全然別じゃないですか。
例えば私今だったらお酒飲めますけど、それはお酒飲まなければいけないって話では全くないですよね。
それと結局は変わらないと思うんですよ。選択の問題でしかないと思いますね。
だからタスクシュートはしてますけれども、タスクシュートをしているということは社員研修のときにメモを読み上げなければならないという話とは全く関係ないと思うんです。
今このごく当たり前のことをくどくどと喋っているのは、ともすると事前にやることを決めて、時間のあるときに用意しておいて決めておいたのを読むということを準備できるのにそれをしないといったことによって失敗したというのを私たちは過剰に恐怖しすぎていると思うからなんですね。
この恐怖とタスクシュートを結びつけないでほしいわけですよ。これとそれとは別のことであり得ると私は今言いたくなっているわけですね。
それによって失敗するということはもしかして絶対になくすことはできないのかもしれないんですけれども、その失敗について考えるという段階で既に信頼していない感じはするんですけどね。
それでもそれによる心配が未然に確実に防いでますという保証がどこかにあるわけじゃないからといって、その失敗に罪悪感を持たなければいけないという結論にはならないと思うんですよ。
ところが我々はそう考えるんですよね。事前に準備をする時間もあった。そして何をしなければいけないのかも知っていた。にもかかわらず事前にセカンドベストを確保するということをしなかった。私は悪い人間であるって話にしちゃうんですよね。
以前蔵野さんがおっしゃってたんだけれども、そうやって罪悪感を持つと自分が小さくなった気がすると。ところがですね、私はこう思うんですよ。
私は昔から気が小さいところがあって、自分を偉く小さく見積もることはあっても、意識が限定されて有限なものだと感じたことは断じてないんですよね。一瞬もないんですよ。やっぱりどんなに自分がみみちくなろうとちっぽけになろうと、意識っていうのは無限の広がりを持っている感じがするんですよね。
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これがさっき言いたかったことなんですよ。自己肯定感がゼロですと言っている人であっても、マイナス100ですと言っている人であっても、意識の広さは無限だと感じていらっしゃるんじゃないかなって思うんですよね。そこにそのことさえ思い出せば、自分の広がりとか可能性っていうものはたちまち元に戻るんじゃないかと思います。
さっき言った準備が不十分だったって罪悪感は、研修時間がですね、例えば社員研修なり、研修って本当に引っかかってくるんですよ。私、研修研修さっきから言ってた、多分これも罪悪感みたいなものがあるせいなんだけど、この研修というもので5時間なりが終わったと、5時間とか長いからネタ切れって起こすんですよね。
だからネタを用意しておかなければいけないとかいった話になってくるんだけど、5時間なりが終わりましたといったときに、終わってみて初めて、ああ失敗だったと罪悪感を抱く人はいないと思うんですね。
その種の罪悪感を抱くのであれば、もう始まって15分目あたりからずっと罪悪感ですよね。このときにさっきの蔵園さんの言っていたちっぽけな自分がどんどん小さくなって危険極まりないですよね。そんな研修、あと4時間ぐらい残ってるのに自分小さくなっていたら大変ですよね。本当にそれから。
いろんな意味でその場から逃げ出したいという状態じゃないですか。おそらく。それが4時間も続くんだから、地獄のような感じですよ。
そのときにさっきの意識の広がりなり、潜意識というものの自分の持っている無限の広がりと強さですよね。
それをどれほど自分がそのときに実は罪悪感を抱こうが身にちくなろうがなくならないというのを思い出せれば、たちまち元に戻れるんじゃないかと思うし、元に戻れればそこから準備していようといまいとベストな何かというものが出てくるはずなんだと思うんですよね。
人に寄らずですよ。
これが夢物語みたいに思われているというのが私たちの受けてきた教育と、私たちが信じさせられているようになった文化価値の文化的な基準というべきなのかな、文化規範といったらいいかな、そういったものの大きな問題だと思うんですよね。
大きな欠陥だと思いますね。
しかもその欠陥がいいものだと思われているので大変始末に悪いんだけど、これ以上我々一般のごくごく普通に働いている人にとって悪いものがないんじゃないかという気すらします。
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私たちはただ普通に黙っていればかなりのことができて、そのために必要な準備というのは、人でも人によってどのくらいまでするというのはあるにしても、そんなに大量に徹夜してしなければいけないなんていうほどのものはないと思うんですよ。
する意味はありますよ、それだけの準備を。
でも、しなきゃできないっていうほどのことはないと思うんですよね。
なのに不安であればあるほど水も漏らさぬ準備にしちゃうと、それは突っ込まれないために、突っ込まれないということだけが目的であればセカンドベストとして機能するんですけれども、そんなことは本当のところ誰もしたくないでしょうと思うんですね。
そして聞いている方にしても、そうであってほしくはないんですよ。
これが昨日の国連事務総長の話を聞いて、ものすごく僕が感じたことなんですよ。
あのような人がアドリウムで面白いこと、それなりに遠い側名のことがしゃべれないはずがないと思うんですよ。
だけど立場がある、その他諸々があって、原稿を読むのがベストだと。
セカンドベストであるにしてもベストだと。
だからとくとくと読み上げるんだけど、全然コップなんとかに、27だっけ、22だっけに、何の関係もないことをずっとしゃべって、これほどひどい話ないじゃないですか。
セカンドベストでもなんでもないですよね、これじゃあね。
でもまあ、違う原稿を渡されたようだって言って会場は笑ってましたけど、それはあれほどの人だから笑って済まされますけどね。
でもこれは私が見る限り、ベストでもなければセカンドベストでもないなって感じがするんですよ。
そして結局それは原稿をひたすら読むっていう状況になっちゃってるからだと思うんですけど、
その原稿に近いものはね、多分私はああいう場面で会場に既に用意されてるんじゃないかと思うんですよ。
これの一体何が楽しくて、あれほど人類の知性の塊みたいな人たちが集合して、あれをやっているっていうことになるのかなと思うんですよね。
私はたまったもんじゃねえなって感じが後ろしちゃいますけれどもね。
これがまず、これがまずっていうか、今日冒頭でお話した私がこう、グッドバイブスでですね、思い出したことなんですよね、結局。
小学生の頃からずっと原稿を読み上げられて楽しかったと思ったことは一度もないんですよね。
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皆さんは知らないですよ、もちろん。
これは僕の感想です。一般の方がどう思うのかわかんないですが、私はそれがどのくらい偉い人であろうと優秀だとされている人であろうと、その人が優秀じゃないって話じゃないんですよね。
だけれども面白いと思ったことはなくて、早く終わってくんないかなといつも思ってた気がします。
第1期の100日チャレンジが終了したんでお話しますけれども、私はノープランできましたって話をしたときにこういうことをいただいたんですよ。
何人もの人が聞いて、これもちょっと僕には奇妙な感じがするんですけどね、聞いているんだから準備をするべきなんではないかと。
聞いている人の数だけの時間を無駄にすることになる。
これ分からないんですよね。私だったら原稿読まれる方が自分の時間が無駄になった日が、これも小学校の頃からしてたんですよ。
準備をするというのは悪くはないかもしれないというか、準備をすること自体はいいと思うんだけれども、ややもするとですね、スライド読み上げられてるんですよ。
私、あれも原稿読み上げられてるのと原則変わらないような気がしちゃうんですよね。
で、そっちだったら無駄じゃないというその感覚がね、私たちが植え付けられた非常にまか不思議な何かだという気がして仕方がないんです。
これはグッドファイブスが原稿読み上げに対して批判しているという話ではないです。
グッドファイブスを私が聞いてこの一連のことを思い出すようになり、自分の全意識というものについての考え方というのもフロイトの話を読んだことを思い出して、これをひたすら考えるようになってきたわけですね。
で、もう一つあるんだけど時間が迫っているので、今日は30分で絶対切り上げなければならないので、また後日にする話を予告だけしておきますけれども、
グッドファイブスで私がこうだいぶここが変わったなと思ったのがやっぱりですね、これを名言するのが難しいんですね。
この名言するのが難しいという話は先日した話と絡むんだけど、怖さというものに対して否定的になったということですね。
怖くなくなったとは言えないんですよ。ここが名言できない部分なんだけど、いろんなものがね。
怖くはあるんだけれども、怖さというものを絶対肯定しなくはなりました。
以前は怖いんだから仕方がないと思っていたし、また怖いんだからやめておくという選択はごく当然のものだとそういうふうに思っていました。
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何をするんでもね。例えば最近で言えば大きなやったこととして、どうしてもこれはもうこうするしかないと思ったからそうしたんだけれども、
本の企画いただいてたんだけど書くのやめました。いろいろやりとりはありましてね。やめる選択をする合理的な理由は見当たらないんだけども、合理的な理由はですね、今までの感じからすれば。
でもこれはもうやめる以外はちょっとないと思ってやめたんですが、以前ならやめなかったと思います。どうしてかというと怖かったんですよ。
直接的には編集さんの機嫌を損ねるという、かなり本当にそんなことがあるのかということと、どうでもいいような理由からそういう怖さがあったんだけど、もっと大きく見るとやっぱりトータルの収入源というものに対して大きなダメージになる、これは間違いないんですよね。
だから怖かったからまず絶対書きましたね。でも今は怖くなくはないですね。怖くなくはないけれども、怖いという理由を肯定しなくなりました。
だから私が怖がっているのは確かだけれども、だからといって書き続ける理由にはならないなというふうに思ってやめたんですね。
こういう判断はグッドファイブシーズンではありえなかった。ありえなかったから私50タイトルもかけたんですよ。私みたいな人間でもね。絶対断らないから。絶対断らないってすごい大きいんですよね。
でも今後はこうはいかなくなるんだろうなって感じはやっぱりどうしてもします。これを聞いてその判断ってどうなのって思われる方はたくさんいらっしゃるとは思うんですよ。
ただ大事なのはここでは判断が正しかったかどうかじゃないんですね。それのみが大事だって皆さん思われると思うんですよ。ある意味。私も以前そう思ってたように。
でも私は言葉の正確な意味で正しいかどうかは唯一のこの場合基準じゃない気がするんですね。
私にとって今の判断の唯一の基準は怖いという理由だけであるいは怖いという理由が主要な理由として何かをやるとかやめるっていうのは選択できないなっていう感じなんですよね。
結果として書くべきだったということになる可能性はあります。ただし、怖いからやることはあるいは怖いからやめるということはあってはならない感じが今の私にはしているんですよ。
怖いですよ。怖さはあるんですけども。怖さがあるからといってそれを肯定する根拠がないんですよね。
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怖さを肯定するというのは自分にとってかなりのコストなんです。いろんな意味でコストなんですよ。このコストが見合うことが人生では一つもないんじゃないかなと最近思うようになりました。
先日お伝えしたストア派の哲学に面白いのがあるんですよね。自分の子供が不良にならないように厳しくしつけなければいけないなどと考えるのは断じてやめるべきだって書いてるんですよね。
自分の子供が不良になるということと自分の子供を不良にしないために自分の幸福を犠牲にするのは決して見合わないって書くんですよね。
これはびっくりしました。ストイックって一般に言われてるもののイメージと全く違うと思うんですね。この一部の。私はこれは非常に正しいというか、こういうふうに判断したいなとはよく思うんですよ。
つまり自分の子供が不良になるかならないかというものを厳しくしつけるかどうかによって決められないでしょうっていうのが一つあるんですね。
ストア派ではよく言うんですけどね。自分の権力みたいなもの、範疇みたいなもの及ぶ範囲外のことの遺憾によって自分の幸せが決定されると思う人は必ず不幸になるって考え方がある。
非常に黒園さんのおっしゃる話と近いこと言うなっていう感じが私は持っているんですね。で、これも大事だけど、この次がすごいなと思うんですよね。
ストア派ってのは自分の幸福を絶対に妨げちゃいけないって考え方なんですよ。ここがストイックってイメージと違うと思うんですよね。
だから結局子供をしつけることによって、しつけるのは構わないんだけれども、その結果がどうなるかはあなたの範囲の外ですと。
だからその結果を左右するために何かをしようと思った段階ですでにあなたは自分の幸福を犠牲にしていると言ってるんですね。
そしてそういうことはどんな結果のためであれやってはいけないんですよっていう話なんですよ。
この発想をこんな時代の奴隷が持つっていうのはやっぱりすごいんですよね。そういう感じが私はいちいちした。その辺との兼ね合いが今日のテーマですね。
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