先送りの概念
おはようございます。精神力動的な人生相談第1224回をお送りします。7月23日水曜日、7時57分です。
この時間だとまだやや涼しげなので、そしてもう、こう、あれですね、頭にアイス巻いて、首にクーラーしてるんで、少しは頭がまだクリアな状態で喋れております。
はい、えーとですね、もう早くタイトリングを変えたいぜっていうのと、早くスポティファイの配信にしたいというのがあるんですけれども、
えーと、まあまだですね、なかなか、あの、てんてこまいで、夜になるともう、何しろ朝がね、また部活とかが始まっちゃって、そこを5時起きとかになってるんで、本当に勘弁してほしいんですけど、
なんか、子供の部活に付き合って親が5時に起きてるとかって、ほんと昭和じゃありえないなって思うんですけど、高校生ですからね、もはやね、勝手に起きて言ってくれよって感じもするんですけど、
うちの奥さんがね、もう、まあしょうがないですね、はい。えー、というわけで、えーと、今日はあの話をしたいと思ってるんですけど、
えーと、まもなく、えー、第11期の3カ月チャレンジが、あと1名様枠で、えーと、絶賛募集中ですので、もうよろしければ、えー、あれです。
初回3回がですね、すでに初回2回になってるんで、若干お値段、えー、値下げしておりますんで、ホームページ見ていただくと、3カ月チャレンジで、今ヒットするんじゃないかと思いますんで、あのー、お願いできますと幸いでございます。
はい。えーと、まあ本当にいろいろと、検討に検討を重ねていろいろと、こうですね、中の微妙な調整を、まああの、受ける方にとっては多分何が変わったのか分かんないレベルなんですけど、
やる方はですね、微妙な調整を一生懸命こうかけておりまして、なんとかこうですね、このまだ、あれですよ、あのー、君たちはどう生きるかの中で、なんか宮崎駿さんなんだかなんだか分かんないような老犬者の人が石遊びしてますけど、あのこうグラグラ感が、分かるような気がする。
まあ不安といえば不安だし、不安がなきゃいけないとかの一郎さんも言ってたらしいんですけど、そんなことはいいとして、えーとですね、何の話をしたいかというと、このサービスは何のためにやってるのかと、これも繰り返し繰り返し同じような話してますけどね。
先送り対策というか、先送りというものに対するアプローチの違いは、先送りというものに対する一つの水準の捉え方の違いなんだというのが、最近私が3ヶ月チャレンジについて考えている。
水準というのもいかにも精神病水準、神経状不水準みたいなそういうところからお前借りてきてるんだろうと言われる通りなんですが、思われる通りなんですが、先送りの水準というのが2つあって、一つは先送り水準なんですけど、それだと何の意味もないのでライフハック水準ぐらいにしておこうかなと思うんですね。
ライフハック水準というのは要は、ライフハックによって先送りが十分改善が見込めるという、見込めると思うんですけどね、どんな人でもいくらかは。これが例えば習慣術が大きいかなと思ってます。
だからタスクシュートはあれは習慣力をつけるものなんだよっていう、割と公式の見解に近い見解がある。てか公式の見解が曖昧な感じもしなくはないんですけど、公式見解というところに習慣術っていうのがあると思うんですね。
習慣術というものによって先送りをなくすというのは、これは非常に単純というか明瞭な考え方の一つで、タスクシュートが習慣術であり先送り対策なんだって言ってる方は、このまさに先送りのですね、ライフハック水準を意識してのことなんですよ。
少なくともタスクシュートってそれだけのためにやるわけではないんです。それだけのためだったら24時間の記録が残ることに意味はないと僕は思うんで、それだけのためではないと思うんですね。
特に睡眠中の記録が何になるんだって、眠れないっていう人は、これは習慣だけの問題じゃありませんから。
こういう話になっていくと話がガッと変わっていくんですけど、少なくとも先送り対策のための習慣術ということを考えたときに出てくるのは非常にシンプルな話でして、
今日も明日もね、まだ遠い先ですけれど、確定申告の準備を先送りにしてますと、先送りにし続けてますといった場合の話、例えば部屋の片付けを先送りにし続けてますといった場合の話、
朝活をやろうとしてるんだけど先送りし続けてますとか、何でもいいんですけど、いろいろありますよ、筋トレの先送りとか、今でいうと資格試験の勉強を先送りしてるとか、
こういったものをですね、やったら、例えば近所のお姉ちゃんがチョコくれるとかね、そんなものが何のプラスになるのかって言われるかもしれませんけど、
僕なんかだったら、今じゃ全然ダメかもしれないですけど、大学時代の僕なんかだったら、完璧にこれで勉強ぐらいはしそうな気がするんですよ。
報酬系というものが習慣を強化するっていう考え方、これによって先送りをしなくなる。つまりこの先送りというものはですね、
実は私は抽象表現でしかなくて、しかもそれがいわゆる心理臨床におけるアセスメントに近い何かだと、診断に近い何かだと、先送りというものの診断は実は意味が全くないような気がしてきてるんですね、最近ね。
意味がないというか、ものすごくコンセプトに近いというか、概念に近いものだなと。先送りの中で言ってることっていうのは、
それは毎日勉強しないだったり、それを先送りと言ってるわけですよ。上位概念でまとめあげてるんですよね。
毎日片付けられないのと、毎日資格試験の勉強ができないのと、毎日朝食をキャンセルするのはどれも全く違うと言えば全く違うじゃないですか。
心理と行動の関連
それを先送りという上位概念で束ねてるわけですよね。
エディプス三角をここで作ってるわけですよ。三角形が構成されてますよね。象徴されるもの、象徴するもの、そして象徴する人。
その三者が必要ですよね。これを先送りとしてみなすならば。今のような話、ババババッと喋ると、このラジオ初めて聞く人は面食らうかもしれませんけれども、
これはもう千何百回もやってきたから、これでわかるものだとみなさせていただきますけど、あえて補足するならば、赤い旗が振ってあったからといって、
車が止まる理由はどこにもないわけですよね。赤い旗を振ったら、牛だったら突進してきますよね。
でも赤い旗というのは人間というものが赤い旗を振っていたら、それは止まるってことを、少なくとも運転手はかなりの意識で止まるっていうふうに自然と意識するはずなんですよね。
自然とってすごい大事ですよ。物凄いスピードで近づいてきてるところに赤い旗で、あれが青い旗だったらもう突っ込んでっちゃいますからね、普通に。
こなれたドライバーであればあるほどむしろ突っ込んでっちゃうんで、緑そのものは何の意味もないじゃないですか。
あの、草木かもしれないじゃないですか。草木って変ですけれども、なんか緑っていうものが何を意味してるのかっていう、つまり何を意味してるのかって言ってしまったときには、やっぱり三角形がそこにあるわけですよね。
意味させている人、意味していること、意味されているものっていう、そういう三角形があるはずなんですよね。
シニフィエとシニフィアンみたいな言葉を使うと意味不明になっていくのでやめますけれども、なんか洒落てますけどね、フランス語って。
でもなんかそういうことやってる場合じゃないんで、象徴することを象徴されるものを象徴させる人っていう、この三角形がいると思うんですよね。
先送りもそうですよね。何をもって先送りと言ってるのかというか、何で片付けられないことを、毎日片付けないことを先送りと言って、それで話が通るような顔をしているのかというのは問わない。
むしろそれよりも行動感覚的にですね、それをやったらご褒美をくれるってことになると、やりたくもないことややるのが難しいことでもやっちゃうんですよっていう、そういう哺乳類の性質というのか。
爬虫類だって同じようなことができると思うんですけど、いわば生命体にかなり幅広く分布しているその性質を使って、ライフハック的に先送りというものを解決すると。
そうするとかなり幅広くこの問題解決できるんですよという話をするものだから、これは未来の話になるわけですよ。未来の話になってますよね。
なぜ片付けられないのか、いつから片付けられないのかって一向に問題にしなかったじゃないですか、この話の中で。ここが便利でライフハック的で一体多だというところなんですよ。
私が本を書いたり、セミナーでお話しさせてもらったり、研修講師として行動する時には、このやり方で話をまとめる方がはるかに多くの人に納得されやすく求められやすい。
つまり一体多で、それこそスケールっていうんですか、そういうことをさせたい時にはこの論法が使われるのは当然のことなんですね。
なぜならば全て登場している人がここに10人いるなら10通り、100人いたら100通り、100通りですよ。100通りの事情があるわけですよ。
100通りの事情について1人1人の事情を聞いていったら、1人1分だとしても100人なら100分かかっちゃうじゃないですか。この段階で研修というものは成り立たなくなっていきますよね。
だからそんなことはやってられないので、必ず未来に向かうしかないわけですよ。一体多であればあるほど、多というのが多くなればなるほどね。
その場合少なくとも1つ、三角形は描けるという、トロイト依頼のですね、トロイトが言った現実見当、二次仮定の思考にある人は三角形が描けるものである。
その三角形は特殊なものを意味しない。さっき言いましたが赤い旗を振ってると牛は突進してしまう。そういうふうに特別なものを意味させてはならないわけですよ。
三角形が描けるということは、抽象概念は抽象概念であって、例えば抽象概念には抑上しないことになっているわけですよね。これは非常に重要なことですよね。
その人が極めて個人的に受け止めてしまう何かっていうものがそこに挟まっていると、途端にこの人はそこで思考が停止してしまうので、抽象概念というもの、象徴機能というものが成り立たない、
ぶち壊しになる世界というもの。フロイトが言ってましたよね、転移性恋愛について書いているところの中で、
ドックレースの中にソーセージ投げ込むやつがいるか、みたいなそういう議論ですね。犬はもうソーセージのことで頭がいっぱいになってしまって、ドックレースどころじゃなくなるわけですよね。
ドックレースがぶち壊しになってしまう。だからあまりに特別にその存在にとって意味するもの、もちろんソーセージってのはペニスですよ。
そうでなければ何の意味もないですよ。転移性恋愛でなぜソーセージとドックレースが出てくるのかって話ですよね。
当然そういうことになる。つまりそこに性的なものを持ち込んではならない。なぜ性的なものを持ち込んではならないかというと、それで頭がいっぱいになっちゃう人がいっぱい出てきてしまうからですよね。
つまり先送りにするという話の中で巧妙に避けられているものがありますよね。
ところどころカップルセラピーなんかでは出てきますが、セックスレスの話が先送りの問題になっている場合があります。
私はこれはですね、ケースバイケースかもしれませんが、成り立つ場合は成り立つのかもしれませんが、私はこれで議論を納得させるのはとてもとても不可能だと。
せっかく結婚しているのにですね、セックスが先送りにされると、どっちの性にとってもですね、納得しない人は納得しないと思うんですよね、全然。
これが果たして習慣術で、今日セックスしてくれたらドーナツあげるからって、これで済むかって話ですよね。
だから巧妙に先送り、先送りじゃない、先送りの議論から巧妙に消されているんですよ。
3ヶ月チャレンジの重要性
品がないとかいう理由で、これを素性にあげずに済ませるっていう考え方があるわけです。
すなわちここで、セックスレスでできなくて困っているのか、させられて困っているのか、どちらの人にとってもですね、ライフハックのところにセックスレスの話は出てこないという、そしてそこに行く意味が全く感じられないってことが起きるわけですよ。
ここから3ヶ月チャレンジというようなものの存在感が少し出てくるわけです。
もっともこの話だったら、それこそセックスレスセラピーとかに行けばいいのかもしれないけど、ここで正規非正規、ノラカウンセリング問題みたいなのも当然急速に浮上してくるわけですよ。
なぜならフロイトはこれを扱いましたから。
それは品がないからとか言っているとですね、ライフハック水準で片付けられない人は行き場を失うんですよね。
行き場を失えばいいじゃんっていうのってめちゃくちゃ冷たいじゃないですか。
だから私は精神分析というのは優しいっていうふうに思ってるんですよ。
扱っている窓口で扱っているテーマの幅が極めて広いですからね。
狭めるべきであるっていうのは、僕は一つの病理の反応だと思うんですよ。
それを扱おうとする窓口がこの世にあるだけでも許せないっていうのは、私はそれは一種のPSポジションなんだと思うんですよね。
他人を操作したい。
他人を清く正しくあってほしいという、特に息子とか近くにいる人にはそうあってほしい。
例えば私の母が言いましたね、女性に性欲はないと。
お前のような男には私の息子であるならば女性に性欲はないと思っていてほしいっていうことをやると、自分が後でどんな困ったことになるのかということを彼女はあんまり考えられなかったんですよ。
それぐらい性というものを考える上において、彼女はPS的になってしまう。
妄想分裂的になってしまう。
それはつまり幼いということなんですよ。
ここで真相真理って話に近づいていくわけです。
さっきの三角形が描けるというのはすなわち表層で描ける。
逆に言うと人間の表層意識というものは三角形が描けなきゃダメであるっていうことなんですね。
女性と性欲って話になった瞬間に、うちの母は象徴機能を失うわけです。
象徴機能水準で考える能力を失う。
持ってますよ、当然。そんなのは商業高校しか出てなくたって持ってるに決まってるじゃないですか。
だって母親二級ですからね。二級だということを自慢にしていたわけですけれども、うちの母は。
二級が自慢になるというのはすでに象徴水準というのがわかるわけじゃないですか。
母親二級とは何であるか。母親二級が象徴することを、象徴されることを象徴させている人。
この三角形が描けなければ、全く描けないのであれば、彼女は母親二級が自慢になるという発想を持ちませんよ。
単なる霊長類ではそれは無理ですよ。
彼女は単なる霊長類ではなくて人間なので、うちの母はこの三角形が母規なら描け、
でも性欲と女性になるとぶち壊しになってしまう。
ああもうそんなのは嫌だ、考えたくないってことになって、
お前女に性欲がないんだからね、わかったっていうことになっちゃうわけですよ。
これは五歳児の象徴機能の能力ですよね。
一気に対抗、僕はこれを対抗と言わず未成熟と言いたいんですけれども、
つまりその部分においてはPSポジションから抜け出せないということを意味していると思うんですよ。
つまりそれは他者操作的になってしまう。
そういう汚いことを考える奴はうちの子じゃないぐらいな、そこまでは言わないにしても、
その頭の中にはうんこが詰まっているのと変わらないというふうになるわけです。
つまり私が性的なことを考えると、私の頭の中はうんこだらけになってしまったように彼女には見える、
こういうことなんですね。これは非常に重要なことです。
そうすることによってそういう汚い息子というものを近づけたくなくなるじゃないですか。
つまり息子を失いかねないじゃないですか。
だから息子の頭の中はきれいにしておきたい。
心理臨床とライフハック
つまり他者操作的なわけですよ。
その心の中を操作したいという気持ちでいっぱいになってしまうわけです。
これは私のことだけを考えてねっていうのと極めて近いですよね。
つまりその水準というのは赤ちゃんが叫ぶ。
叫ぶというのはお母さんが煮物に注意を払っているとか鍋焦げるのに注意を払っているということが想定できない。
他者操作的になってしまうというのと基本的には近い水準だということになるわけですよ。
で、らき送りの水準というものは一般にそうではないです。
だからさき送りというのは極めて抽象度が高いところで議論されているわけですよ。
セックスが入ってこないようになっているということですよ。
セックスですね、入ってこないようになっている。
そこでいつも小綺麗な問題になっている。
確定申告の準備ができないとか掃除ができない、整理ができない。
きれいにきれいになっている。
そこでいくらその議論を人前でやっても誰も恥ずかしいと感じずに済むようになっている。
だからこそ一体他で扱うことができる。
だからこそ象徴水準が高い。
だから事情を聞かれることがないわけですよ。
なぜそんなに長いこと掃除ができないのかとか、
なぜ確定申告の話になってくると途端に手が止まるのかということを一切考慮、考慮というか聞かれないですよね。
聞かれるような人数でその話しにくいじゃないですか。
聞かれるような人数というのはですね、私の経験で6人あたりが限界になりやすい。
1体で行くと。1体6が限界になる。
6だって結構大変ですよ。
1人から事情を喋っていただくと10分前後かかる。
6人から聞いた瞬間に1時間かかっちゃうわけですよ。
1時間半のセミナーだったら、あと30分しか喋れないわけですよ。
質疑応答取ってしまったら、もう私が喋れる時間って15分とかになってしまうわけですよ。
だから事情を聞くってのはすごい難しいわけですよね。
でも事情を聞くってのはすごい重要なんですよ。
2人の人がここにいて、確定申告できませんと全く同じことを言っていたとしても、その理由は全く違うんですよ。
しかもご本人も全然わかってないということ、わかっていらっしゃらないということはものすごく多いわけですね。
ここで水準が2つ目が出てくるわけですよ。
先送りのライフハック水準と心理臨床水準と僕が勝手に名付けているものがある。
この間ありますよ。この間はないわけじゃないです。
どっちかに絶対分かれますぜって言ってるわけじゃないですよ。
心理臨床水準とライフハック水準とあるわけですよ。
私は両方にまたがっているところを先送りをテーマにするならば、もちろん別にセックスレスをテーマにしてもいいし、他に不登校をテーマにしていただいてもいいんですよ。
ビジネス森林サポートなんじゃないのって言われるかもしれませんが、それはビジネス森林の中にあるんです。
だってですよ、お父さんがこれから会社に行こうとしていたら娘がしがみついて学校行かないとか言っている。
奥さんはホトホト手を焼いている。困るじゃないですか。
今は普通にとも働きだから奥さんだって早く仕事に出かけていきたいと。少しタイムラグはあるかもしれないけどね。
つまりこれはビジネス森林に絡むんですよ、不登校という問題は。
だから私はこういう話は当然受け付けますということになるわけですよ。
だからさっきのようにセックスレスはダメですとかそういうことを言っている場合じゃないなって思ったのが一つ。
つまり先送りのライフハック水準って言っただけでももうかなり切り落とされてしまう。
なぜセックスをするのか。
ちょっと今日疲れてるから来週ねと奥さんが言ったと。
そして来週になったら今日もまた疲れてるからまた来週ねと言ったと。
この2回か3回の中で旦那はブチ切れるという可能性は十分あると思うんですよね。
この話は結構深刻になっていくんで。
この話をするとこの話だけでももうあと1時間ぐらいは欲しくなるんで今日はしませんけれども。
今日はっていつするんだお前はってこれが先送りなんですけど。
先送りの水準にはライフハック水準だけでは少なくも半数以上は切り落とされかねない。
中間術と言っておけばこと足りるわけではないと思うんですね。
すればドーナツあげるからではしないんじゃないだろうかっていう感じがするわけですよね。
大体それ提案しにくいですよね。
すればドーナツあげるってなんやねんみたいな感じになっちゃうじゃないですか。
しかし報酬刑とはそういうものですからね。
それ自体が嫌悪対象になっているならそればっしーってことになりますよね。
しないのが当然になるじゃないですか。
その時何が起きるのかって話ですよね。
別に不穏な話がした訳じゃないんですよ。
しかしその時何が起きるのかっていうのは大事な話だと思うんですね。
それはそれで一旦いいとしてですよ。
先送りのもう一つが心理臨床水準なんだけれども、
私が最初の三カ月チャレンジを提案するにあたってどう考えたかというと、
セックスレスと不登校の問題
この両方にまたがっているケースが世の中にはあるので、
しかしこの両方にまたがっている場合、
普通多くの人、特にライフハッカーは心理臨床を受けに行きたいとは普通に考えないので、
したがって新しいサービスがいる。
心理臨床をやるわけじゃないにしても、一体他では基本的には未来思考にならざるを得ないところがあるわけですよ。
今100日チャレンジはそこにチャレンジしてるんですけど、
まさに基本的には未来思考にならざるを得ないわけですよ。
ものすごく当たり前のように無視されて、当たり前のように求められてきたんですよ。
私は幸いたまたま数十という本を書業出版したからわかったんですよ。
どこまで行っても私が何をしている人間だって一生懸命説明しても無駄であり、
基本的には未来思考の提案をしてくださいと。
そこには構造的な理由があるんですよ。
一体百、一体千、一体一万、一体十万、一体百万になってくると、
もう未来思考でないものは出てこられなくなっていく。
だから私マインドフルネスというのは必ず頭打ちになると思うんですね。
ないしはマインドフルネスがどこかで歪められて、未来思考にさせられていくだろうと。
宗教ってそういうところはあるんですよ。
一体他になりやすいので、そこで未来思考を語ると予言になってしまうんですよ。
予言しかできなくなっていくんだろうなって私は思うんですよ。
うちはたまたま宗教の家でもあったから、寺ですからね。
仏教って予言と全く遠い宗教だと思うんですけど、仏教すら予言的になっていく。
それは当然なんですよ。
だって一人の偉いお坊さんが一体他で語ってるんですから、そこで過去の話できないじゃないですか。
過去の話をするときに自分の話をするしかないんですよ。
これがギリギリですね。ギリギリよく使われてるパターン。鉄板王道といってもいい。
あとはみんなはこうでしょうみたいな話をする。
でもみんながこうではないわけで、今の時代ますますそうなってきてるんで。
昔のようにみんなが貧困であれば、貧困について、貧困という原因について調べておけばよかった。
それでも貧困という話をすれば、じゃあどうやったら金持ちになれるかという、およそ非宗教的な話をしなければならなくなってくるんですよ。
そしてこの宗教を信じていればお金がザクザク儲かるっていう、とても不思議な教義が世の中ではあちこちで普通に語られることになる。
言い方は変えますけれども、全然普通ですよこれは。
成功法則を語るというものは全て同じようなことをやってます。
当然なんですよこれは。
なぜなら聞きに来ている人全ての事情について耳を傾け、計帳している余裕とか、そもそも形式が合ってないからですよね、ある意味では。
やり方があると言われれば、やり方はありますよ。
ただ構造はこうなってますから、私がビジネッシュ作家というものをしている、今もしてますけれどもしている時において、なかなか過去について語るというのは難しい。
だからチャレンジになります。
そしてなかなかそれで売れるというものではないです。
未来思考の課題
ある意味世の中そんな甘くないみたいな言い方になっちゃうんですけどね。
未来について語らなければ、多くの人と一体他の環境を結ぶのは困難を極める。
だから出版社さんはこれを嫌うと。
なんとか佐々木さんも未来について語ってくれないかと。
でも私はなぜかそういうところを頑固で、頑として拒否する。
決して未来について僕は語ろうとしないので、PDCAですらやがるので、PDCAというのは近未来について語ることになりますからね。
PDCAすら僕は拒絶するので、したがって仕事が来なくなるわけですよ。
これは当然のことであり、誰かを恨んでもしょうがないということですね。
構造上そうなっている部分もあります。
ので、私は3ヶ月チャレンジをやって、ライフハックと心理現象のまたいでいるところにサービスを打つと。
ライフハッカーの人々は基本的に未来思考で生きていらっしゃっているし、
象徴水準を持っていなければライフハックっておかしいですから。
ライフハックってそもそも象徴じゃないですか。
ライフハックに浴場する人っていないですよね。
ライフハックというのは情緒的な対象というよりは、象徴水準そのものなので、コンセプトに近いものなので、
従ってライフハックに行く人が過去思考になる。
過去思考ってわけじゃないんだけど、少なくとも未来思考ですよね。
IT技術とハックなんだから、当然未来思考ですよね。
その人たちの心理現象の世界になかなか行くはずがないというわけで、
3ヶ月チャレンジというものを考案して、ふたを開けてみると驚くことにですね、
ライフハック水準の話をして満足されることはほぼ全くないということに気づくわけです。
いや、終わったのかもしれない。
僕が好んで精神力道の話をして、すっかり嫌がられて速攻辞められたというケースもないわけじゃないと思うので、
これは一概には言い切れないですよね。
でも、過去思考というか、未来思考では片付かないという話にもどんどんなっていくんです。
そのために一対一であんなにお話を伺ってるわけですからね。
ここからどうやって今度は心理現象と切り分けるかというのは、
実はそこはあんまり頑張らなくていいんだというのが最近の結論なわけですよ。
なぜそんなに頑張らなくていいのか。
それはライフハックの人がいきなり心理カウンセリングの目を向けるのが極めて稀なケースであるから、
そこはそもそも被ってないという現実が現実としてありますから、
どれほどそこが建前とずれていても、建前と現実はずれているものなので、
ここは、私がここで多分気にして喋りまくってるほどは、
本当は気にしなくていいんだけど気にしちゃうから私は正確的にこの話は散々、
多分私の独りよがりに近い流れで喋ってたんだろうという気がいたします。
ここから先なんですね。
一般論として、例えば私が何で未来思考とか習慣術というものに納得が全くできていなかったかというとですね、
例えば傷つくということがここでよく出てくるわけですよ。
実際に傷つくということ、あるいは自己肯定感が低いでもいいんですけど、
のなる言葉、それらはすべてライフワーク的な用語に近いと僕は思うんですけど、
つまり、大変未来思考的に解決案が提示されやすい。
傷つかないように心をメンタルを強くするとか、レジリエンスを強くするとか、
そもそも傷つけるやつからどうのかとか、すべて対応策が考えられているわけです。
今後傷つかない。
しかし、過去傷ついた傷はどうするんだっていうのは意外と語られない。
なぜならば、過去について考えてもしょうがないというのが建前なんですけど、
それは嘘で、それはそれぞれの事情について耳を傾けている余裕がないということの表れだと思うんです。
それをやっていると、一人一人からいただくお金が100円、500円では絶対まかないなくなってしまう。
だって1時間で6人しか相手にできないのに、最大で1000円ですって言うんじゃ困るじゃないですか。
したがってどうしても金額が上がっていく。そうすると拒否される。
そして時間もかかる。これも拒否される。
そうしてですね、やっぱりこう、未来志向的になっていくわけですよ。
未来志向なら一体他が打てるんで、一人から1000円でも、100人くれば10万円で、何とかなる感じがするじゃないですか。
傷の扱いと心理現象
2000円なら20万円だから、2時間やってもやってられますよね。
こうしてですね、未来志向的になっていくやつはいっぱいあるわけです。
で、この心理現象水準みたいなところに入ってきたとき、正規・非正規の話は今日は一旦置いといてですね。
過去、過去のその人々の事情について聞いてみると、傷って問題が必ず一定ぐらい浮上してくるわけです。
この傷ってのの扱いは非常に厄介でして、いろんな言われ方がありますけれども、私は大変厄介だなと思うようになりました。
これはやっぱり一筋縄で人々が、多くの人が携わって一筋縄でいかなかったのは、一人の天才の出現を待っている場合ではないんだなと。
で、傷つきますよね。で、終わっちゃうからいけないんですよね、まずね。
本当に、例えばセックスレスなんで、さっきたまたま持ち出したんだけれども、いい例で、セックスって拒絶されると傷つきますよね。
傷つくよ、そりゃあって思うんだけど、そこで話が終わっちゃダメですよね。私はそうなんですよ。
こういうところが全くそうなんです。自己肯定感が低いんです。それじゃダメだろうって思うわけですよ。
そこで止まっても多分何も言えないと思う。それは象徴水準が高すぎるんです。一般論すぎる。
傷つくと言ってもいろいろあるんですよ。先送りにいろいろあるように。
つまり、象徴というのは束ねていますから、三者関係の中で話が通じる話は個人的な話ではないわけ。
ものすごく個人的な話は人に通じない。言葉に直りませんから。
今日、とても怖い夢を見ましたって言っても、二人が考えてる怖い夢は全然違うわけですよ。
したがって、セックスを拒絶されると傷つきますというのと、両親から怒られると傷つきますというのは全然違うじゃないですか。
だから傷つきますというのはダメなものですよ。
せめてもう一段階下げて生々しくいきませんと。つまり夢思考水準まで下げませんと。
やっと言葉に子供の言葉として良いおっぱいとか言い出すわけですよ。生々しいですよね。
つまり、欲張するレベルで傷つかないと、傷って言った時にその傷がトラウマとかカタカナになっていくと、
どんどん象徴水準が上がっていって、対応の仕様がなくなるわけですね。
なのに、そのトラウマという話はカウンセリング受けててもちっとも効果ないんですけど、私にって言うのは当然なんですよ。
だってその人の言ってるところの心の傷と、カウンセラーが考えてるところの心の傷って多分全く違うんで。
全く違う話に、つまりパカッてなんかね、なんか肉まで切れてるようなのにバンドエイド貼ってもダメじゃないですか。
傷と言ってるのも色々あるわけじゃないですか、その傷にも。
あるいは表面から血は出てないんだけど、中はえぐられるように傷ついてるっていう傷もあるわけじゃないですか。
傷と言っても色々なわけですよ。
どうして傷ついたのか、どう傷ついたのか、どういう傷なのかっていう話をしていくうちに、
それは傷という表現がそもそも正しいのかっていうところまで行かなきゃいけないわけですよね。
いや大したこと起きてないんだけどって言いながら一生忘れられないようなことってあるわけですよね。
だからそういうこと、そういう傷の痛みのせいで毎日サキュオピーしてますってこうなったとき、
そういう傷の痛みのせいで仕事が手につかないんですってなったときに、仕事術を聞くということにどのくらい意味があるのかというとかなり少ないわけですよ。
でも仕事してるうちに傷が癒えるってことは起こるんで、この辺が難しいところではありますが、
私はもう傷の話は傷の話に向かうべきだと思うし、
そして傷の話というのは住人と言うのも甚だしいので、一人一人の話になっていかざるを得ないと。
で、せめてもう一ランク、これだけでも不十分だけどもう一ランク下げると自己肯定感が低いというのと、
ナルシシズムの影響
心に傷を負ったって言ったときに、あるいは傷ついたって単に言ったときに、
心ない一言で上司にこう言われて傷ついたって言ったときに、
この二つをセットで自己愛の傷つきっていう方がまだだいぶマシだと思う。
その人の自己愛が傷ついている。
こう言われるだけでもすごく嫌だっていう人はいっぱいいらっしゃると思うので、
ここで一人一人との人間関係が物を言わざるを得なくなるんです。
ラポールってやつですね。
これを作っておかないで、単にトラウマっていう話とかストレスって言って、
それで対処してくださいって言われても、それで対処している限りライフハックになってしまって、
傷の話は一旦置いといて、次回の傷つきを防ぎましょうになります。
普通に考えればそうなります。
だってその自己愛とすら言いたくないのに、もっと生々しいところにまず入れない。
入れないとどうなるのかと。
両親にこう言われて傷つきましたっていう話を聞いたときに、
どう言われましたって聞いたら思い出せないってことが起きます。
なぜだろう。思い出したくないか。
これを抑圧って言うんですよね。
リグレッションかな?サプレッションかな?
サプレスではないんですよね、あれね。
抑圧っていうのはね、隔離みたいな感じ。
中ずりっていう表現もしばしば見受けられるんですけれども、
中ずりって同じ意味じゃないんですけれども、多分精神力道的には。
中ずりってすごい大事な声になる。
こうやって脱線してると、核心から外れてしまいますからね。
思い出せなくなる。
思い出せないことを思い出そうとするから、
意識ってものが必要になってくる。
このあたりから、もうライフワークから遠いんですよ。
そんなことしないで、タイムはセットすればっていうのは、
話が違う話をしているってことなんですね。
それでうまくいくやつもあるんですけど、
そのうまくいくやつと心の傷は全然違うんです。
だからライフワークの話の中では、
そんなこといくら考えていてもどうにもならないじゃないか、
っていう言葉が出やすくなるわけですよ。
つまり未来思考に立たないと、
こっちの話が始められないって言ってるわけですよね。
だからこそ無理なんですよ、その話をいきなりすることは。
いきなりすることは無理だから、
習慣術では多分肩がつかないんです。
つくという世界はあるんだけど、
そこに入っていったとしても、
何か自分が置き去りにされているような気になってしまうと思うんです。
ケースによっては。
だから心理臨床水準とライフワーク水準のちょうど中間点、
もしかするとどっちにもちょっとしか被っていない点というところに、
僕は3ヶ月チャレンジを差し込んでいきたいというように思っていて、
この差し込んでいった先にでも起きることとしては、
どうしてもこの不快な現実というものに対応しなければ、
どうしてもならなくなってくる局面が多々ある。
残念ながらちょっとあるで済めばいいんですけど。
ここから先が自分の仕事なんだなと。
なるべくなるべく、やっちゃいますけど僕は未熟なんでね。
なるべくなるべく不快なものに直面しているということに、
いきなりその痛みに向き合わずに済む形で、
でもそーっと近づく。近づかないってことはできないんですよね。
なぜならそれは傷なんだ。傷とは自己愛の傷なんだ。
自己愛の傷についての考察
我々はみんな自己愛の時代を持っています。
セックスレス本当いい例なんで、ちょっとしつこいようですけど繰り返しますが、
なぜセックスを拒否されると傷つくのかと。
それは人格を否定されたからだみたいな説明があるんですけど、
僕は全く理解できないんですよ。
その説明で納得いく人がいるっていうのがよくわからないんですよ。
よく言われましたよね、昔。会社でも。
人格を否定したわけじゃないからとか、人格を否定してはいけないとか。
全く理解できない。
僕は両親に強く叱責された時、自分の人格が否定されたと感じたことはない。
しかし心の傷は強烈に負う。
私はHSP的だと自分は思ったことがありますから。
HSP的って思うっていうのも、僕からすると今の感じでは、
これ言うと炎上ものなのかもしれないけど、僕の感じでは、
僕にとっては自分がHSP的だとナンセンスの極みだと思うんですよ。
僕は繊細さんではない。
人格否定されたわけでもない。
自己愛が傷ついている。
同じだと言われるかもしれないんだけど、
だったらば僕は自己愛の傷つきと言ってもらいたい。
そうしないと、結局のところHSP、繊細だから傷ついた。
何か分かったようで、じゃあどうしたらいいのか。
繊細でなくなる方法はあるのか。
繊細でなくなることは良いことなのか。
っていうことになっちゃうんですよね。
対応できない気がするんです。
人格を否定するのがいけないんだって。
じゃあ課長がいけないんで、人格否定しない怒り方にしてください。
でもよく考えてみると、僕が例えば怒られているのは、
特則上の発想って言ったときに、
発想の漢字変換が間違っていて、
アイデアになっちゃってたわけですよ、発想の。
特則上発想しましたって書いたのが発想がアイデアになってて、
こっぴどこ怒られた。
あれがどうして人格否定と言われているのか、
到底理解できないんですよね。
要するにそれは変換ミスですかね。
で、私は変換ミスを怒られたということに傷ついてたんで、
決して私の人格が否定されていた気はしないんです。
だから、人格否定っていうのは全く嘘だと思うんですよ。
私はもちろん女性に、多くの女性に拒否されてたんですけど、
あれを人格否定だと説明して納得にかせようっていう、
その発想がピンとこないんですよね。
ピンとこないというよりも、到底受け入れられるものではない。
もっとちゃんと説明してもらいたいと思うんですよ。
そういう話を相談したんであればね。
ここでくっちゃべってるだけなんですけど、相談してないじゃないですか、私。
窓に向かって喋ってますからね。
昔、モテずに気づきましたって話は、ただただしてるんですよ。
昔ね、割と有名なカナとコラボしたときに、
なぜ佐々木さんはモテたいんですか、みたいな話になってしまったことがあって、
あれも大変私は納得がいかなかったという、
その人に文句があるわけじゃないんですよ。
そうなるんですよ。
みなさんそういう、モテたいんじゃなくて、
一人の人に大事にされればいいんじゃないのっていう議論をしたいんでしょうけど、
僕はあまりにも女性に生理的に受け入れられてないと信じていたので、
全くモテないということは、
はっきり言って、
なんだろうな、
ふんべんのような男が近づいていっても納得する心の広さが必要っていうのは、
相手にとっては過酷すぎるだろうって思ってたんですよ。
モテるというのはそういう意味なんですよ。
なんとか人間の男にならねばと思ってたわけですよ。
こういう感覚を持っていたので、
絶対に誰も相手にしてくれないのは当然なんですけれども、
つまり、
なんて言ったらいいんですかね、
相手にとってハードル高すぎるでしょ、それじゃ、っていうことだったわけですね。
あまりにもそれは寛大にも程があるっていうか、
人間を超えちゃってますよね、みたいな。
だからそういうことになぜなってしまうんだろうな、自分っていう。
この人に嫌悪感を持たれる感覚、
なんて言えばいいんですかね、
存在感ってなんだろうなっていう、こういう悩みだったわけです。
ここは伝わらないんですよね、モテたいって言ってしまうから。
ヒモテって言ってしまうからですね。
私がヒモテと言ってるのは、
なんて言えばいいんですかね、
こう、生踏みがずっと夏放置されていて、
非常に悲惨な状態になっているようなものを抱え込んでいるその男が私、みたいな、そういう感じ。
これがヒモテです、私にとってのね。
ちょっと違うんですけどね、これだと物質的すぎるんです。
これを非常に精神化したようなものが私、っていう感じですね。
したがってその、お臭みたいなものとか、汚さみたいなものとか、
もうちょっとこう、近づいてほしくないようなものに、
セックスを表揚される辛さみたいなものを、
受け入れられる女性でないと付き合えないっていう感じを、
ヒモテと私は呼んでいたわけですね。
えーっと、ヒモテの話をしているわけではなくて、何の話をしていたんだ?
つまり、このような事情をそれぞれ抱えているということなんですよ。
このような事情を抱えている私のような人間が言っていることと、他の人が言っていることは違うわけ。
なので、それぞれの事情、なぜそもそもそういうふうに思うようになったのかっていうと、
母が女に性欲がないということを納得しろと言ったから、これが非常に結びついていなかった。
今言うと、非常に簡単にここまでたどり着いたような感じになりますけども、
ここにたどり着くのに私は十数年かかりましたから。
だからここに自分でたどり着くのはとても面倒だっていうか、手間が暇がかかりすぎて仕方がないことなので、
これは自己愛の傷つきなんですよ、完全に。
ナルシシズムの影響
ナルシシズムなんですよ。
ナルシシズムとは何かというと、お母さんの肌の中でべったりしていて、オッケー。
なんなら子宮の中でもいいですよ、肌の中でしょ。まさに文字通り、べったりしていてオッケー。
万能。生きていく上で何の不自由も不足もないっていうその万能感で生きていきたいですって言ってるわけですよ。
無理ですよね。そんな風に生きていきたければ、発想とアイディアをご変換するなよってことじゃないですか。
するけど、するよね。
つまり私はどんな風に完全に眠ったように運転していたら死んでしまいますよね。
そして逮捕されたりしますよね。
好きなように生きていく。
つまり、母親の体内でおしっこして、母親の体内の水を飲んで、母親の体内の水から栄養も取り、
どんどんそれで大きくなり、お腹が痛くなっても全然イシッタこっちじゃなくてお腹を蹴りまくって、
やりたい放題生きていきたいわけですよ。ナルシシズムの極みですよ。
つまりナルシシズムの極みとは、私とはいないのですよ。私とはいないんです。
欲望がそこにあり満たされるということがそこにある。欲望がそこにあって満たされる。
息を吸うように吸うと酸素が入っている。程よく窒素も入っている。
そうして吐けばそれでいいっていう、そういうことをやっているだけで生きていける。
あの、手塚治虫のカプセルなんですよ。
その中だったら万能。何の心配もね、猿田博士が全部やってくれるからなんですけど、
どこからその栄養を取ってきているんだよって話ありますよね。
これが自己愛ですよね。でもそれは傷つく。生きていくと。
あのね、山に登ってみると息切れてくるし、酸素薄くなってくるし、
上司は発送って言っただけでやたら怒るし、母親は女性に性欲がないとか言っちゃってるし、
生理的嫌悪感とか言われるし、傷つくわけですよ。
これは全部自己愛の傷つきなわけですよ。
当然こうであっていいだろうと思ったらちっともそうなってないということ。
だから他者操作的になるわけです。この世はなんてひどいんだろうと思って、
自分にとって常にいいことだけを言ってくれて優しくだけしてくれる女性というものをここに置きたいと。
そうでない女性というものがいたら、その女性というものをそのように改造したいと。
PSポジションですよね。他者操作的ですよね。
だからとてもとてもそのようなふうに世の中できていませんから、
口座を開いたらすぐに100万円が入ってきてほしくて、来月になったら1000万円になっていてほしいわけですよ。
そうするとお金の価値全然なくなっちゃいますけれども、でも私にだけはそうなってほしいと。
他者操作的なわけですよ。なんでそうなってないんだろうってなる。
なんか963円とか書いてあるわけですよ。
印税とか証されていてですね。
先方は2万5千部売れればこんなに素晴らしいお金になりますよとか言ってる。
1250部ぐらいしか売れないと、その人はもう二度と連絡もしてくれないわけですよ、編集さんは。
なんかお振り込みいただくと、なんか6ヶ月ぐらい働いて、
7万9800円とかがお振り込みされたりしているわけですよ。
そして傷つくわけですよ。
なんだこれっていうことになって傷つくじゃないですか。自己愛の傷つきですよ。
そこには傷つけるという意図はないわけですよ。
売れた分だけお金を振り込んでたんだから、むしろ感謝してよぐらいに向こうは思ってるのかもしれないじゃないですか。
だけど僕は勝手に傷つくわけですよ。
なぜなら世界はもっと自分に都合よくできていたはずだったからね。
お母さんがべったり私にさせていた時代は確かにそういう都合の良さだった。
それを卒入だとか分離だとか小離れだとかよくわからないことを言われているうちに、
どんどんどんどん対象を喪失していくわけですね。
そしてどんどんどんどん傷ついていく。
心的現実と傷の関係
傷つくとは何もそこにないということが認められないということだ。
100万円が、お金が振り込まれていないというのが、
それをよく考えれば当たり前なんだけれども、それをなかなか考えて理解することができないんですよ。
どのように上司に言われたんですかといった時に思い出せませんってことが起こる。
思い出せないってことは何もないってことじゃないですか。
何もないものがその人を傷つけることは不可能じゃないですか。
包丁で刺すってために包丁がいるでしょ。
何もないのに傷つくはずないですよ。
でも傷ついてしまったから何もなくなってしまったのに、その傷はなくならないということが起こる。
それはつまり実体のない傷であり心の傷ということになる。
そのようなものをたくさん負っている人は、自分の心というものを肯定できないので、傷だらけなので、
つまり自己肯定感が低いということになるわけですよ。
これをどうしてその背景を全部すっ飛ばして、
人格を否定されたのだとか、心の傷を負ったとか、
自己肯定感が低い、だから何とかしてくれってことにならないだろうっていう、
何とかできないじゃん、それでは。
だって何が起きたんだか何の説明にもなっていないのでね。
傷を負ったからには何かがあったわけじゃないですか。
何もなかったならそこに心的現実があったわけですよ。
この心的現実って言葉が出てきもしないのに、
どうして何もなかったのに傷だけが残ったってことが起こり得たかのようになってしまって、
それに対する対応策というものが出てきうるのかということですよね。
出てきえないで僕は思うんですよ。
だからどうしてもライフワークというものは、
心の傷と責任
次の心の傷を予防ということになってしまって、
今あるこの傷の痛みはどうなるんだっていうのに対しては答えようがないんだろうと思う。
それはライフワークの責任ではないんです。
もともとそういうものなのだから、そこに責任はないですよね。
だからそこの責任をこう言いたくはないんですけど、
責任を果たしたくて、果たしたくてではない。
果たすということがどこかで誰かがやらないわけにいかないんだろうと思っているうちに
サンチャレを始めたと言ったら多分ちょっと言い過ぎな感じもしますよね。