2023-03-08 51:25

【746】後悔にとどまらずに平安に向かう

抑うつポジションの「抑うつ」にハマらない

00:05
先送りせず、すぐやる人になる、ポッドキャスト第746回です。
3月6日水曜日16時49分に収録しております。
明るくなったし、あったかくなったし、いいですね。
どうも、どうやら、私としてはこの四季の中で一番苦手な季節は抜けたという感じがします。
グッドバイオス的には苦手とか冬とか言っててもあれなんでしょうけど、やっぱり僕はどうしてもこれは毎年身構えるぐらいのところまではあって、
毎日毎日冬が寒くて暗いわけではないし、いろいろ楽しいイベントも多いんですよね。冬って楽しいイベントが。
しかも私、学生時代はスキーにほぼ冬中行くぐらいな時もあったんで、割と好きな季節ではなくもなかったんですけど、
今はスキーにもめっきり行かなくなったというか、全く行かなくなったんで、
冬の良さというものが年末のクリスマスイベント付近にしか存在しないというところで、
春の方がありがたいなと思いますね。
特に朝が早くなってるんで、娘が学校に行くお弁当を用意するっていうのがあって、朝が非常に早いので、
暗い朝に起きるというのは極力避けたいというのはあります。だから少しでも明るい方が助かりますね。
6時40分に家に出た時にまだ日も昇ってないっていうのは本当に一番厳しい季節ですよ。
40分で全く日が昇ってないってことはこの辺はないんだけれども、
それでも1月の一番暗い頃の学校のある頃、12月の終わりの頃もそうだけど、厳しい季節です。
それが抜けていい気になって、セミナーとかを設定してみておりますので、
よろしければ今ちょっと一つ申し込みいただきましたお一方から、まだ少し残席ございますので、
4月1日ですね、エイプリルフールですがすぐやる人になる先送りセラピーというのを渋谷でやります。
これはオンラインでのご参加もいただけるんですけれども、渋谷でやるというのに一つのこだわりがありまして、
実は渋谷でやるのって結構数年ぶりなんじゃないかと思うんですね。
ほとんどコロナでやっぱりできなくなったんで、渋谷でやりたいなと久しぶりに思ったというのがあります。
これは僕の都合なんで、お申し込みいただく方には別にこの渋谷メリットというのはいまいちあるかないかわからないんですけど、
あるという方はぜひですね。
03:02
これのもう一つ僕が目論んでいるのは午後に開催し、夕方前に終わり、
懇親会に参加しても夕飯前には帰れるっていうのをちょっとスケジュール感として組んでみたんですね。
だから夕方の4時ぐらいには終わって、もしお参加リアルでいただく方がいらっしゃれば、
この後いろいろ渋谷で新しくできたところがあるんで、
懇親会に行って帰ってもまだ多分夜7時半ぐらいに帰れるっていうのを目指しています。
その後夜食べに行ったりとかもいいんですけれども、
そういうところまで行けるのかどうか果たしてわからないので、
お申し込みいただいてから考えていこうと思っています。4月1日ですね。
もう一つお知らせがありまして、第8期の書き上げ塾。
こちらはなんとですね、今見たら残り3席とか書いてあって、残り3席なんだと。
4月の9日開催なんですよ、第1回がですね。
これは6ヶ月続くんですけれども、もう定番サービスとなりまして、
お安くはないんですけれども、高くはないんじゃないかと最近は思えてまいりました。
6ヶ月やりますからね。すごいがっちりやりますからね。
いろんなことがこの間体験できますので、
4月9日に始まり、5月7日、6月4日、7月2日、8月6日、真夏ですよね。
9月3日になるまで終わらないと。
しかもですね、第8期から再び4時間、全部の回が4時間。
これまではですね、3回までは3時間、4回、5回、6回、最終回は3時間という流れだったんですけど、
また全部の回が4時間に戻りましたので、全部で24時間の講義と、
プラス6ヶ月の期間というのがあって、その間プラゾノさんによる赤入れが割とがっちり入るといったものですので、
これはもう残り3席多分、僕のセミナーよりは確実に先に埋まるので、
お値段の割にはというのかな、ぜひこれは早めに検討いただけるといいかなと思います。
今日は先送りセミナーをやるんですが、
そういうものにまだ参加するという気にはなれなくて、
オンラインとかインターネットでこういうのを聞いていればそれでいいという方に向けに、
一つ僕が最近実践して、これはかなりうまくいく感じだなと思っている、
06:00
ワークとは言えないんですけどね。
しかもすごく仮説感満載なんですよ。
まだ十分系統だった検討はしていないのですけれども、
なんで今平安京で出てきたんだろう。平安京の平安。
この感じに至る上で、一番これも人によるんですごくアレなんですけれども、
私なんかが自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
人によるんですごくあれなんですけれども、
人によるんですごくあれなんですけれども、
一番この辺りに我々は通常はいて、
ここをなんとかすれば、平安は遠くない。
そういうところを考えてみたんですよ。
私はこのポッドキャストでは、
これは私の用語でも概念でもないですが、
メラニー・クラインという人のね、
妄想分裂ポジションというのと抑鬱ポジション、
これ厳密にはメラニー・クラインは最初に妄想ポジションって呼んでいたらしいんですけど、
妄想ポジションって呼んでたらしいんですけど 妄想分裂ポジションと今では言うんですよ
精神分析の相性関係論という歯ではそう言うんですね
じわじわとこの歯が広がっていくんじゃないかなって 僕今感じているところなんですけど
僕のような人間がそんなことを予測しても 当たるかどうかさっぱりわかりませんが
なんとなくそんな気がしているんですけど
その妄想分裂ポジションっていうのは これから軽く説明しますけど
要はそれなりに精神病と 昔精神分裂病と言われていた人たちを
どのように診療していくかっていうのを考える上で 役に立つ考え方だったんですね
だから妄想分裂ポジションっていうのは 僕らにとって全く無縁なわけじゃないんだけど
ずっとここのポジションにいますという人は 僕もそうなんだけどあまりいないんだと思うんですよね
たまにこのポジションに足突っ込みますっていうことは 多分普通の人に起こることなんですが
ずっとここのポジションが馴染みですっていう人は あんまりこれを聞いているような方には
僕は想定してはいないんですよね
だから抑圧ポジションの方に 僕らは通常いるわけですよと僕は思っておりますし
僕は多分間違いなくそうなんですよ
この抑圧ポジションの中に平安というのがあるんだけれども
倉園さんがよくおっしゃる 一つ意識とバラバラ意識で言いますと
平安っていうのは多分バラバラ意識では得られないと 倉園さんはお考えなんだと思うんですね
そうすると でも私たち抑圧ポジションにいるにもかかわらず
いつも平安なわけではないわけじゃないですか わかんないけど
人にもこれもよると思うんですけどね
僕は少なくともいつも平安なわけじゃないだろうなって感じを持っておりまして
09:03
それだとつまりバラバラ意識にいて
だからつまりバラバラ意識の抑圧ポジションというのは あるはずの場所なんですね
場所ではないんだけどね
そういう心理的なポジションっていうのかな
そういうポジションにいると私は思うんですよ
もちろん平安な時もあると思うんだけれども
その平安かどうかみたいなものを図解できるのかっていうとですね
図解はできなくはないような気がしますが その図解に差し足る意味はないような気がします
今2つ2つ出てきたから 何4つでね
確かにこの4つを図示することはできるんだけど
でもあれですね
例えば妄想分裂ポジションについて
バラバラ意識なのか一つ意識なのかって考えるのは あまり意味がない気がするんですね
これは後ほど軽く説明しますが
ここはすごく本人にとって意味がない
妄想分裂ポジションっていうのは 現実検討式がぐっと下がってる状態なんで
今自分は一つ意識を目指そうとかもはやそういう状況ではないんですよね
いろんな意味でそういう状況ではない感じがするんです
だからバラバラ意識か一つ意識かっていうのを問題にできるとすると
それやっぱり既に翼薄ポジションに少なくとも 翼薄ポジション意識できていてこその話だとは思います
仮に話を簡単にするために
私は今翼薄ポジションにいるんだけどバラバラ意識だと そういう風なところだとしましょう
この時に一番気をつけるべきことはですね
一つ意識になれよって話なんだけど
この時にとにかく一番気をつけるべきことは 翼薄に落ちらないことなんですよ
翼薄ポジションっていうだけにね
翼薄ポジションのバラバラ意識で一番避けたいのが翼薄状態なんです
もう妄想分裂ポジションに入っちゃった時には翼薄も減ったくれもないというか
もう翼薄どころではないわけですね
つまり妄想分裂ポジションというのはまず 妄想状態に近いというか妄想状態なんですよ
パラノイドの方の妄想ね
日本語の妄想にはですね
イリュージョンっていうのも妄想としばしば訳されてしまって
イリュージョンとパラノイドは正直厳密にはだいぶ違うんで
イリュージョンイコールパラノイドではないですから
パラノイアと
あとデリュージョンの方もあるじゃないですか
幻覚っていう風に訳されるんだけど
あれも妄想って訳すんですよね
妄想は3種類あって
英語ではパラノイア イリュージョン デリュージョンってなっていて
心理学では普通デリュージョンと
デリュージョンって発音じゃダメなのかもしれないけど
パラノイアなんですけど
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パラノイアはですね
やっぱり被害妄想っていうやつの妄想ですね
最近は迫害妄想って言うんだけど
とにかくこうなんていうんですかね
しかもこれはね生ぬるいものではないんですよ
いわゆるあいつ被害妄想チックだよねってのは
それもパラノイアチックでもあるんだけど
そんなもんではないんですよ
例えば窓から100個の目が私を覗いているのが見える
でもそこまで行っちゃうと今度は幻覚になっちゃうからね
そういう気がするぐらいなところまで行って
初めてパラノイア感っていうのが
差し迫ってる感じっていうのがあるんですよね
ただこれもさっき言った通り
様々な状況 心理状態があるんで
簡単に説明できるようなものではない
とにかく迫害妄想というものの妄想
これが妄想分裂ポジションで言う妄想なんですね
こういうのに入業時期
特に2、3ヶ月の子供は陥りやすくて
この迫害妄想を抱いてしまった時に
人が決まってやる心理的な
体制とかって言うんだけど
構えるポジションなんですよね
つまり何をするかというと
スプリッティングするわけですよ
分けるんですね 分けて自分を守る
これがスキゾイド防衛って呼ばれるもので
合わせてパラノイアスキゾイドポジション
だから妄想分裂ポジションなわけですね
これはですね
こうなった時に人は
パニックみたいになるというケースもあるけれども
割と静かにしているまま
心の中ではブルブル震えていて
大変ダラダラ 冷やせダラダラ状態ってこともあるし
その人の様子をただ見ているだけでは
必ずしもそのポジションにいるのかどうかは
分からないわけですね
ただ
これが深刻に進行していくと
もはやごく普通に生活するのは
かなり難しくなってはいきますね
クラザノさんが言う
おかしな行動というものが目につくようになるんですけれども
分かりやすく考えるのが難しいんですよね
なぜかというと僕らは
妄想分裂ポジションで生きていることはほとんどないんですよ
妄想分裂ポジションにはまり込むことがあるんですけれども
これがポジションというのはすごく大事な点で
普通の人でもかなり健康な人でも
はまり込むことはあるんですよ
見ていると分かることはあるんですよ
身近な人であればね
だけれどもこれでずっと生きているって人は
15:01
まあまあ早々普通の生活はしてられなくなるので
やっぱり普通の人で
ずっと妄想分裂にいるよねっていうのは
あんまり考えにくい
僕が繰り返し何を言ってるかというと
発達段階って簡単に言うじゃないですか
言葉喋れないところから喋れるようになりましたとか
だから僕らどうしても妄想分裂ポジションを脱却したとかって思いやすいんですけど
脱却はしないんですよね
これはどんな人でもはまり込み得るところで
何でかというと多分そういう心の構造を僕らが持ってるせいなんだと思うんです
分けるってことは
生存の上ではですね
認識の最初の段階じゃないですか
これだけは絶対必要ですよね
食べられるものと食べられないものを分ける
家族と危険な生物を分ける
必要ですよね
こういうことができないと困りますよね
やがて自国と外国を分けるとか
いろんな分けることで人間というのは
現実を認識しているわけですよ
だから分けることを始めないと始まらないんですよね
やがてミルクと水を分けるとか
ということができるようになってくるわけじゃないですか
トイレに行きたい時とそうでない時を分けるとか
寒い暑いを分けるとかこういうことなんですよ
だからサバイブするためには
分けるってことはまずできるようにならないといけない
だからその前の段階あるってことですよね
このメラニー・クラインが妄想分裂ポジションを言った時に
この段階が発達の最初の段階だとした時にですね
やっぱり異論は出たんですし
異論が出るわけですよ
自閉症ポジションとかさらにこの前の段階というのがあるんだと
発達の最初の段階が分けることによって
発生されるなら
分かれてないその前の段階は確かにあったわけですよね
意識が例えばお母さんの体内の中にもある子も
意識があった時代があるとするなら
妄想分裂ポジション以前とか未満という段階もあるわけですよね
多分ですよ
多分その段階に至ることを私たちは
結構本能的に恐れていると思います
原始的な恐怖みたいな言い方するんですけど
多分もうその状態に認識が
良いものと悪いものすら分けられない状態になるという状態を
これは大変恐れている面があると思うんですよね
これが生まれたばかりのとか
生まれて1時間ぐらいしか経ってない時の
意識の状態
混濁みたいな言い方することもあるんだけど
果たして混濁なのかどうか
本人って絶対泣くことしかできない赤ちゃんですけど
聞いたことはないから分かんないわけですけどね
でもこの妄想分裂ポジションというものを仮に
これは結局仮になんですよ
妄想分裂ポジションここにありますみたいな
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そういうのはないから
それで生後2、3ヶ月の赤ちゃんが
私妄想分裂ポジションに入りましたとか言わないから
結局妄想分裂ポジションなどというのはですね
例の話なんだけど
ただ
やっぱりいろんな人の
それこそ統合室長の方の漫画とか読んでみたりすると
なるほどなっていうのがですね
少し分かる気がしてくるんですよ
そのまんまの話は分かんないです
はっきり言って
なぜならばそういう体験をもう僕らあんまりしなくなってるから
例えば僕らが妄想分裂ポジションに一時的に
それ一時的にというのはせいぜい十数
入り込むようなことがあったとしても
あんなふうにはあんなふうにはというのは
自覚の仕方をするのは
心までずっとその状態でいるのはむしろ厳しいですからね
心理的な圧迫が
強いので
僕らはやっぱり何か違う方法を用いて
ここを脱してしまうと思いますね
そういうところはあると思います
例えばなんだけど
ツゲヨシハルさんのコミックに夜がつかむというのがあるんだけど
彼は統合失調症だと思うんですよね
統合失調じゃないかもしれないけど明らかに妄想分裂ポジションで
ほとんどの時間を過ごしているんですよ
奥さんとかをすぐ殴っちゃうし
いなくなったらいなくなったで
もっと優しくしておけばよかった
あの男の人は奥さん殴りまくって
むちゃくちゃ理不尽なことしてるくせに
いなくなると欲打つポジションに入りかけるんですよ
これがやっぱりね
フラインとかハイマンとか
ウィニコットとかビオンとかの人たちの言ってることって
こういうところには実にあるんだなっていう
漫画家のツゲさんは
そんなことは知らずに漫画を描いてると思うんですけど
やっぱりあの辺はですね
割と対照関係論の教科書どおりの
セリフまでそれっぽいなって感じがするんですよね
理不尽なことをしたということをどこかで自覚していて
わけわかんなくなっちゃってるんだけど
後悔し始める
ここに正気の方があるんだっていうのを
みんな対照関係論の人は言うんだよね
あの欲打つポジションに入りかける瞬間ってものを
捉えてここを大事にしましょうみたいな
僕らはそこにいるんですよ
何が大きな違いかというと
一つには象徴機能が大きな違いを割ってます
僕らはただ現実を分けてるだけではないですよね
この分けるっていうのが
いろんな問題を起こすんだけど
少なくともただただ分けてるだけではないんですよ
ただただ分けてるっていうのはほとんど認識になっていなくて
本当に原始の認識そのものなんですよ
21:02
良いものと悪いものを分けるとか
害になるものと感じ良いものを分けるとか
とにかくただ分けてるだけなんで
分けてるだけじゃどうにもなんないんですよね
分けたもの悪そうなものを避け
良さそうなもののところに行くっていう
たったそれだけの戦略ではどうにもこうにもならない
そして何よりも分けることが
分けることで自分の身を守れると考えるところには
ものすごい原始的な話ですよ
原始的な話だと分けられるってことは
それはものであるってことですよね
僕らはそうじゃないですよね
僕らの分け方はもっと精神的でこみ入ってる
良い性格とかって言うじゃないですか
良い性格と悪い性格っていうのは抽象ですよね
包丁でここに性格というものがあって
良いのと悪いのをざっくり分けましょうっていう
そういうことではないですよね
ここが津玄義晴さんの漫画では描かれていて
すごいんですよ
例えば奥さんは髪の毛を持ってっちゃうみたいな
そのことに主人は
その男の人は偉い腹を立てるとかね
ものに対する奇妙なこだわりっていうのがすごくあって
本当に良いものと悪いものになっちゃうんですよ
抽象化がされてない
多分確かに運動さない頃の子供の思考には
ああいうところがあるんだと思うんですね
だからシンデレラの物語でも
あれはいいお母さんが
時々悪いお母さんに表現するというのを
子供の目を通すと
いや別のお母さんが来ちゃったんだっていう風になるんですよね
あのまま母は絶対同じなんですよ
同じ母親なんですよ
ここに欲打つポジションへの入り口があるんですよ
だってシンデレラの子供が
だってシンデレラのお母さん
シンデレラお掃除を推しとか言うじゃないですか
掃除しろっていう母親は
悪い母親なのかっていうと
これは子供が私をいじめるから悪いんだって言ってるわけなんですよね
つまり
まま母だと言ってるのは多分実母なんですよ
なんだけれどもそこを子供の
良い悪いと言っても
まだ抽象化しきれないので
具体物になっちゃうんですよね
具体物になってしまった以上
良い母と悪い母は別物なんですよ
物として別じゃないと分からないわけですよまだ
良い悪いっていうのはあくまでも例え話であって
良い時もあれば悪い時もある
これはいかにも大人の言いそうなことじゃないですか
子供はそうじゃないってことなんですよね
良い時と悪い時は全く別時間として
24:00
別々に存在するんだ本当はそんなことはありえないんだけど
まだそういう思考状態にあるために
母親が
いろんな母親が登場しちゃうわけですよね
それをまま母と言ってるわけですよね
あるいは魔女とかっていう風に言うわけです
そうするとこのように抽象化できない
思考状態にあるので
夜が掴むわけですよ
明らかに言って多分
妄想分裂のような
妄想分裂ポジションでずっと過ごしてる方が
夜は俺を掴みに来るんだって言われても
なんじゃそりゃって思うじゃないですか
男の人が盛んに訴えてるわけですよね
真夏なのに窓ピシッと閉めて
暑くて苦しいと寝苦しいと
だから奥さんしょうがないから窓少し開けると殴られるわけですよ
夜が入ってきたらどうするんだって言うんだけれども
これがまさに
こういうことなんですよね
まさにこういうこと言うんだよなっていうのを
言う人を僕は何人か知り合いにいるもんだから
これを言われると辛いんですよ
あの奥さんは怒って当然なんだけど
あなたはそんなこと言って私をいじめるけれどって
いじめてるわけじゃないんですよ
あの男の人にとって本当に夜が入ってくるから
絶対閉めておかないとダメなんですよね
灼熱のように暑くても
だけど普通の人にしてみると夜とかが入ってくることはありえないから
夜はものじゃないです
夜ってつまり抽象なんですよね
だからさっき僕一番冒頭の方で
冬は暗くて不安になると
本当は抽象でしかないもの
つまり実在はしないものに
勝手に実在感を与えてしまっている
ここに大きなヒントがあるじゃないですか
そういう感じっていうのが
すごく妄想性の高まりとともに
やってくるわけです
さっき窓をピチッと閉めるって言いましたけど
例えばよくガムテープとか
排気口とかにガムテープを貼る
あそこから侵入者が入ってこられないようにすると
例えば
よくノートパソコンとかに
ウェブカメラみたいなのついてるから
光が出てきそうなところに
塞ぐわけですよ
一つは覗かれないようにするってこともあるんだけど
そもそもそういう方にとっては光線というものは
物みたいになってくるから
脳内に入ってきて脳を脅かす光線みたいな
昔明治時代が始まった頃に
伝心柱あちこちに立ったとき
そういう妄想に駆られたお侍さんが
伝心柱の伝線の下を通るときは必ず刀で
身を守るっていう
27:00
守りながら歩いたって話を
よく笑い話みたいにして習ったんですけど
今思い出したんですけど
僕の小規模ななんとかっていうのと
自分の奥さんのことを書く
それこそパラノイアっぽい漫画家で
すごい上手く書かれるんですけど
福島の放射線漏れの騒動が起きたとき
放射能を物化して書いてましたよね
この辺に放射能があるんじゃないか
ズワワワンとか書いてあって
その言葉自体が面白いんだけれども
具体的に恐怖が
よくわからないものが
恐怖感を感じさせて
それに自分が迫害されてると思えば思うほど
それが物化していくっていう雰囲気っていうのが
多分そういうことを色々聞いているうちに
クラインとかが
そうかこれは赤ちゃんの頃は
全てを物にしちゃうんじゃないかと考えたところに
ヒントがあったんだと思うんですよね
梅塚蔵さんがそういうのを
すごく得意とするというのか
彼の思考そのものなのかもわからないですけども
よくそれを書くじゃないですか
あれホラー漫画なんだけど
人間の本性が暴かれたとか言って
いきなり前任面をしていた人が
バリッと出てきて
明らかに梅塚蔵得意の
ゾンビのようなエイリアンのような物体Xみたいなやつが
出てくるわけですよ
あれを見るとむしろ僕なんかは笑いがこみ上げてきちゃうわけですよ
人間の本性ってそういう意味じゃないですよね
あくまでも人間の本性というのは抽象的なことを言っている
人間は皆腹黒いとか
そういう世界観はつらいけれども
そういう意味ではないですよね
いきなり口からバリッと出てきてここに本性がいたみたいな
そういう本性はいないじゃないですか
だけどいたいっていうのは多分
僕のある意味勝手な言い分であって
彼らのような人にしてみれば
いるものも当然だぐらいな感覚があるんだと思うんですよ
だからゾンビものとかも
みんなそうなんだけど
これが妄想分裂ポジションというものが
深刻になっていった多分
時のものの見え方なんだと思うんですね
だからパラノイアがあって
分けている自分が分けているんですよ
本当はここはすごい大事なところなんだけど
いいものと悪いものにそもそも分けたのは
自分がサバイブするためなんですよ
肉とバイキンのついた肉を分けなければいけないと
ちょっと嫌な話をさせていただくと
名前は出すのやめておきますが
Gいるじゃないですか
Gが悪いものなのは
30:01
これは分けた結果悪くなったわけですよ
例えばいいものとして
パンケーキみたいなのあるじゃないですか
パンケーキはいいものGは悪いもの
この分け方がいかにいい加減であるかは
パンケーキにGがついたらどうなりますか
分かりやすいと思うんですよね
多分ほとんどの人にとって
GよりもGのついたパンケーキはもっと悪いんですよ
でもこれっておかしいと僕は思うんですよね
いいものと悪いものを分けておいて
合体させるとより悪くなるのは論理的じゃないですよね
ミルクとコーヒーを混ぜるとコーヒーミルクになって
中間になるじゃないですか
ミルクが悪いなら混ぜると中間になるんだけどそうはならない
もっと悪くなる
これは都合が悪いという証拠だと思うんですよ
こうやって分けたのは
具体的に生きていく私たちの原始的な分け方だったはずなんだけれども
だったからこそですね
分けておけば安心して生きていけるんだっていう
最初の戦略が
混ざるのは危険だ
混ざったら大変なことになる
混ざったら夜がつかんできたり
電気が侵入してきたり
恐ろしいことが起きるんだっていう風になってくると
防衛が効かなくなってくるわけですよね
だからもっともっと防衛しなければということになって
こんなに暑くても窓を閉めるとか
隙間が一つもないようにガムテープを貼るとか
そういう話にだんだんなっていくんですけど
これがスキゾイド防衛の限界を示しているわけです
分けるんだけども分けきれない
分けきれなくて
なんとかここを支出する
この分離を支出するのが厳しくなってきました
っていうのが分裂という
分裂というのがここではちょっと変なんですよね
分離という感じがするんですよね
妄想分離なんだよなっていう感じがします
スプリッティングっていうのは分裂というよりは分離
この分裂というのもスキゾイドもスプリッティングも
なんでもかんでも分けるっていう言葉が当たってくるのが
日本語のややこしいところだなと思うんですよ
もともとスプリッティングとかスキゾイドって言ってるのは
言葉違うわけですよね
さっきのやっぱり僕は津励さんの漫画が一番でも非常に秀逸だったと思うんで
あの漫画何度も読んでるんですけれども
5年ぐらい前に
読んでるんですけれども
ご主人は奥さんが出てった後に
欲打つポジションに入りかける
もっと優しくしておけばよかったかなこれが大事だってことなんですね
つまりいいものと悪いものは
実は同じなんじゃないかっていう時に私たちは
恐怖を覚えるわけですよ
その妄想分裂から欲打つポジションに移った時に
私たちは恐怖を覚えるわけですよ
33:01
良いものと悪いものは分けることで生きやすくなり
自分が守られると思ってたのに
良いものと悪いものが同じだったら世話ないじゃないですか
実に恐ろしいことが起きたってことになるわけですよ
混ざっているのがデフォルトでしたっていう話
この時にですね
無理なんだけど多くの場合
一度や二度では難しいんですけれども
欲打つポジションに入りつつ
欲打つという状態を脱する
欲打つポジションの時に初めて僕ら
バラバラ意識というものを知るんだと思うんですね
妄想分裂ポジションの時は分からんのですよね
全てが一体化しているような世界のために
分けなきゃ分けなきゃって頑張ってるから
バラバラなんだか一気突入式なんだかなんていうことまで
頭が回らない状態なんだけど
欲打つポジションに入って初めて
奥さんがいなくなった
旦那にとっての奥さんは旦那なのかな恋人なのかな
ちょっと分かんないですけどね
旦那にとっての奥さんはお母さんなわけですね
いなくなって初めてバラバラで
自分は一人ここに置いていかれたということに
気づくわけですよね
この気づきがつまり彼を非常に
後悔させられるし
一人では夜がつかむわけですからね
夜が来たらどうするんだろうっていう
本当の意味で
二人でいようとなんだろうと
夜がつかんでくるから怖いんだけれども
一人になってしまったまま
一人だということに気づいた時に
再びその恐怖感がやってくる
こういう心細さと
妄想分裂と欲打つポジションを
行ったり来たりしている時の
人間の辛さというものを
漫画はすごく描いたなという感じがするんですよね
一番平安からある意味ほど遠いというか
でもそうじゃないんですけどね
近づいているんですけどね
要はバラバラ意識でしかも欲打つポジションにいます
ここを脱することで
平安の方に行けるんだけれども
そのための一つの
心の中の壁なんだけれども
本当にそういう壁はないから
心の中の壁なんですけれども
心の中にあるそこに至るわけにはいかない
一つには
これはウッドバイブスでよく言うところの
罪の意識が発生しちゃうから
奥さんを追い出してしまったのは自分だ
そういう罪の意識が発生してしまうので
反省しなきゃいけない
自分を罰しなきゃいけないということになると
その苦しさが追加されるので
36:01
欲打つポジションにいるメリットというものが
見えてこないわけです
欲打つポジションにいてもただただ
元気がなくなっていて
一人で寂しくて全部自分が悪いんだという気持ちに
苛まれるので
妄想分裂ポジションに戻りそうになる
ここで
一つは
踏みとどまらないとダメなんだろうなと思うんです
この時に踏みとどまる一つの大きな
ハードルが
今言った罪悪感なんですが
もう一つ二つあっていずれも同じようなものなんだけど
もう一つが
もう一つ二つはないのか
とりあえず多くあるのがもう一つだと思うんですけど
装的防衛
装的防衛なんだけど私最近思ったんですよ
それも見つけたんですけど
別のところから
装的防衛って言い方はただ
どこかおかしなところがあると思ってたんですね
装的防衛って離れる人が悪いって意味になるじゃないですか
装的防衛ってこういうことなんですよね
お母さんに甘えようとするんだけども
妄想分裂ポジションでわけわかんなくなって
迫害されていると自分が思って
私は置いていかれるという
例えば置いていかれるとかお母さんに見放されたとか
何もかもが嫌になる
だからお母さんを攻撃しちゃう
ツキゾイド的に悪いお母さんを攻撃しちゃう
シンデレラがママ母と一緒にいるとすごいみじめになるから
ママ母をやっつけるために頑張るみたいな話なんだけど
そういうふうにすることで
せっかく差し出されているものを拒否してしまう
掃除をしろっていうのは悪いことではないんですよ
赤ちゃんだから
おっぱいを差し出されてもこれをかじるとか
飲まないとか嫌々をするといろいろありますよね
これ大人になってもやったときに
妄想分裂ポジションに僕らは突っ込むんだけれども
これってミルクを
差し出している母親は絶対に良い人で
これを拒否している私が
常に相的な悪人なのかっていうのを
僕はよく悩むんですよ
カウンセリングの話なんですよ
ミルクを差し出しているお母さんはカウンセラなんですね
ミルクっていうのは解釈だから
アドバイスとか何でもいいです
とにかくカウンセラがせっかく
おっぱいとしていい解釈なり
いいアドバイスなりをせっかく出しているのに
それを聞き入れることができない
もっと分かりやすい話にするために
例えばタスク管理の
コーチみたいな人がね
せっかくタスクシュートに記録をすれば
39:02
あなたの仕事は良くなりますよと言っているにもかかわらず
その趣旨の人がいやいやタスクシュートつらいんですよ
もういいですよさよならって言ったら
この人が悪いんですかっていうことなんですよ
一見したところタスクシュートやれば絶対上手くいくんだから
って思ってる人からすると
防衛っていうのはこれをローゼンフェルドって人が
陰性治療反応とか言い出したんだけど陰性治療反応なんですよ
せっかくいいものを出しているのに
治療反応として陰性に出たと
私の行為が分からないんだ
妄想分裂妄想なんだ
百害妄想なんだっていうわけで拒否した
でもこれって言い分が一方的じゃないですか
この話はあらゆるところに
よく見られる話だと思うんですよね
争的防衛ってのは別れた人が別れを切り出した人が
悪人なんだろうかって時に
なんかどっちかっていうと悪人だって言ってるように
言ってるようなところがあるわけですよね
いやそれもしかするとタスクシュートを差し出すということに
そもそも問題があったんじゃないのかっていうのが
検討されてないような気がするんですよね
赤ちゃんにミルクを出したお母さんは
善なんですかってことなんですよね
もしかして赤ちゃんはミルクなんか飲みたくなかったのかもしれないじゃないですか
分かんないから
だし大体お母さん正しいって
陰性治療反応なんですけど
仮に赤ちゃんが99%悪いにしても
1%もお母さんに非はない
これ非がある非がないを言いたいわけではないですね
すごく大事なのはここに防衛同一化が起きてるってこと
赤ちゃんはネガティブな状態になってるわけですよね
妄想を抱いているネガティブな状態になってる
そうすると相手も必ず
同じようなネガティブさというものを
投影されているうちに
だんだんネガティブな存在になってしまう
同一化ですね
つまり投影同一化っていうのはネガティブを出されると
ネガティブを浴びせられ続けると
その人は浴びせられたようにネガティブになってしまう
っていう意味なんですね
だから赤ちゃんが嫌だって言ってるうちに
あなたは嫌なママ母だから嫌だって
そういう妄想ね
嫌だって言ってるうちにだんだん優しかったお母さんも
さすがに我慢しきれなくなって
もうあなたのことは知らないという
ママ母のように動いてしまう
これが投影同一化なんですが
陰性治療反応って投影同一化ではないですか
っていう話が
僕はここに必ずあるはずだと思うんですよね
僕も長らくタスクカフェとかやってて
だいぶ昔の話になっちゃうんですけど
5年6年もっと前かもしれないですけど
繰り返し繰り返し
タスクシュートって見た目もエクセルで
42:02
変質業っぽいし
本当にこういう感じだったんですよ
ギシギシに埋められて見てるだけで辛くなる
これをさらに記録を私に取れというのは
苦行をし続けろという人し
そんなことをしてまで
これやるメリットが本当にあるんですか
本当にそれを保証できますかみたいに言われると
これはほとんど臨床的なワールドなんですよね
これを繰り返しやられていると
いやもういいっすよ何回やらなきゃいいじゃないですかって言いたくなるじゃないですか
これを引き出させられているのが東映ドイツカフェなんですよ
こういう風に私が言ってしまうことによって
相手の人はほらやっぱりね
佐々木さんは本当はあらゆる人に
タスクシュートがいいとは思ってないんだと
私みたいな人間にはタスクシュートは
私みたいな人間は結局タスクシュートというものにすら見放されている
そういう風に本当は思ってるんでしょう
本性があるんでしょうっていう
本性がバリッと出てくるわけですよ
バリッとは出てこないんだけどね
本性を作り出されてしまうということですね
だからこの陰性治療反応なのか
防衛同一化なのかあるいは相的防衛なのか
結局僕からすればそれはやっぱりこう
なんて言えばいいんですかね
いやだってそんなにしてまで
別に進める気ないですしっていう僕の言い分は
僕このカウンセリングではダメかもしれないけど
タスクフェなら十分妥当なものなんですよね
多分
でも相手にしてみれば相手がこうやって去っていくと
外から見ればあるいは僕から見れば
相的防衛みたいなもんなんだけれども
相手の人にしてみれば佐々木がもっと
あった言い方をしてもっと優しく
GTDとかにもこういう考え方があってとか
ものすごく柔らかく言ってくれれば
受け入れることができたのにだったのかもしれないですよ
赤ちゃんとかそういうこと言いそうじゃないですか
お母さんがもっとちゃんとわかってくれて
実はミルクじゃなくて涼しくして
寝かしつけて子守唄歌ってほしかったのねと
気づいてくれれば私はそうしたのにっていうのかもしれない
そういうこと言えないから
でもこれを言うと母親の
負担がますます増してしまいますって話になりかねないんですけど
これは母親と赤ちゃんの関係を
あれごりにしたところで
精神分析の話をしようとしてるっていう
シチュエーションだと思ってください
精神分析かやっぱり負担が増そうが何だろうか
そこまで頑張る必要があるわけですよ
うまくいかないことにも意味があるんだけど
うまくいかせるっていうことが
その人の仕事だとするならば
投影同一化が起きていると考えるほうがですね
陰性治療反応が起きたなんて考えるよりは
45:02
やっぱり誠実な感じがするし
実際にあってると思うんですよね
クラノンさんが以前
どんな関係にも交通事故では
そういうのもあるんだけど
10ゼロってことはないっていう話をされてたのと
全くそっくりなんですよね
火が99対1かもしれないけど
なんかあったと
ミルクが攻撃になっちゃってた
おっぱいが攻撃になっちゃってたということが
きっとそこにはいくらかあった
攻撃されてるからやっぱり反撃しちゃうわけですよね
いくらカウンセラーでもですね
そういうふうに見たときに僕らはいつも
ダイナミックな関係にあるのであって
一方に良いものがあって
他方が勝手に
想的に離れていくとか
わけがわかんない危害妄想だけで離れていくと
解釈すると多分
出口がなくなってしまう
抑鬱ポジションっていうのはですね
迫害されて迫害されて
独りになってとても苦しくなって
寂しくなってここにいます
っていうだけではなくて
差し出す人の
差し出し方みたいなものも
そこで検討されてもいいと思うんですよ
実際にはそこまで検討してくれない
ということも多いと思うんだけれども
そこを乗り越えて検討していくっていう
なんつうんですかね
そこまでする筋合いないでしょうっていう
それをやめればですね
これがですねとても難しいんだけど
やっちゃった方がそこを検討できると
多分僕は平安という方向に
大きく踏み出せるんじゃないかなと
今思ってるんですね
つまりあの時お母さんが
もっとこうしてくれればってなかなか考えられないじゃないですか
いやもう私あの時ひどいことしちゃったから
お母さんがあの時起こったのも当然だわって考えがちじゃないですか
これをやめるってことなんですよね
夜はつかむで僕がそのことをすごい考えたんですよ
あの男の人は
反省の方向に向かいそれは改善の兆しだし
いいことだし立派なことなんだけど
あれほど苦しんでいたわけだから
結局あの女の人はもっと
さらに優しくしてあげることはできなかったんだろうか
無茶なようなんだけれども
そう考えることで彼は多分救われる気がするんですよね
結局のところああいう人と
付き合っていける人ってなかなかいるもんじゃないじゃないですか
この辺のことを僕は
48:00
菅義晴は視点として持ててる気がするんですよ
だってあの男の人に
その小刀の話ですけど夜はつかむは
ポータルではすごく同情的に書いてるんですよ
こんなに大変ならああなるよねって感じが
この観点がいると思うんです
結局その観点取るってことはある意味
あの女の人の髪の毛持って去ってったっていうのは
多分だったって感じがするじゃないですか
あれはやむを得ないですよ普通の人ならああなるんだけれども
でももっとできたんじゃないんだろうかって
考えられるってことが
被害者とか当事者がそういう観点を持てると
単に反省だけで
結局彼はビール飲んで夜に怯えて
反省を後悔しながら寝て
夜につかまれてるんだけど
それはつまりそれでは救いようがないじゃないですか
独立ポジションに入りかけてまた妄想分裂で
引きずり戻されているという
その行ったり来たりだけじゃない観点っていうのを
あのコミックの作品がですね
僕は示しているように見えたんですね
こういうことを
多分僕が思うにですね
一番最初にわりと強めに言い出したのが
ビオンだったと思うんですよ
ラインとかローゼンフェルドの陰性治療反応とか
相的防衛ってすごい大事な概念なんだけど
そこを乗り越えていこうとすると
こういう観点が必要になると思うんですよね
これは倉澤さんが言う一つ意識ってものに
すごく向かってる感じがある発想だなって思ったんですよ
両方ともが協力して
もう一歩いけるって感じなんですよね
欲打つポジションにいれば僕らは
まあ例えばバラバラ意識であっても
正常っていう風に精神分析的
精神病理的な世界で
健常っていう感じになるんだけれども
そこは平安とか言ってるわけじゃないんですよね
平安っていうところに踏み込むことによって
なんていうんですかね
だから最初に言った通り妄想分裂ポジションから脱却できるとか
卒業できるってことではなくて
平安に行ったとしてもやっぱり僕らは心の中には
妄想分裂ポジションは相変わらず並存してるんだけれども
非常になんていうんですかね
そこはそういうものとして
そっと置いておきながら
その欲打つポジションというところに
そこを自分のポジションにして
平安っていう生き方を
その時々で選択していく
視界が見えてくる
そんな気がするんですよ
一番その対局にあるのが
心から後悔しているにも関わらず
夜につかまれるみたいな
そういう結局はスキゾイド防衛に
51:00
頼るしかないんだけど
スキゾイドで防衛しきれないことはもう明らかであるという
そういう状況から平安までがどういう風な
位置づけになっているのかを
考えてみたわけですよね
僕なりに
そんな今日はお話でした
51:25

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