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2021-12-10 40:46

【GMV 511】ナルシシズムをどこまで放置する?

困らない時は困らない、困ったときには助けにくい
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日のCMというよりは、まもなく第4期の書き上げ塾が終わろうとしていると。
もう来週かな?ちょっと正確じゃないんですけど、日曜日で最終回を迎えてしまうんですね。
6ヶ月って思えばあっという間で考えてみるとですね、私の観算では8ヶ月に1冊商業で本が出せれば、
著者的にはですね、編集さんはそれじゃダメだと思うんですけど、それじゃダメというか、多分そういうことでは済まされないと思うんですが、
著者的には8ヶ月に1冊本が作れるといっぱいいっぱいかなと。でもこれだと年に1.5冊ぐらいじゃないですか。
でもすごい売れる場合はこれでいけるんですけど、多分普通の著者のレベルだと8ヶ月に1冊ずつだと多分1人しか食べていけない気がしますね。
今はそれすら難しいかも。電子書籍がそこそこいける人なら1人なら食べていけるかな。家族を養うとかはそれだけではほぼ不可能だと思います。
これって結局紙の衰退と深い関係があるんですね。
本をそもそも定期的に出せる人というのは雑誌の取材とか連載とか、僕もそういう時期もあったんですけど、何らかの形であって、それを並行してやっていけばですね。
あと公演みたいなのも時々あって、全部出せば十分1回食べていけるんだけど、今は雑誌がそもそもそんなにないんですよ。
パッと見そうは見えないかもしれませんけど、私が若い頃、私が本当に会社に勤めてた頃って、例えばパソコン関係の雑誌だけでも月にもしかしたら20冊ぐらいあったんじゃないかっていう。
今は確か1冊とか2冊とかになって、むしろあるのがすごいなぐらいの縮小ぶりなんですね。
当然そこにそれがよっぽど分厚くなったとかじゃなければ、20倍ぐらい厚くなったとかじゃないんで、当然そこにかけてる人はもう激減しているわけじゃないですか。
だから大変なことに実はなっているんですね。
書店に行くと本って結局何万冊年間で出ようともそこに並ぶ数には限りがありますから、減ったり増えたりしてるようには見えないんですけれども、間違いなく厳しくなってはいるんですよ。
そういうのは結局雑誌は大半がインターネット上の情報にとって買われていて、ただ最近すごくネット上の情報の出し方も独特になっていて、
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昔見ないに本当にこれ雑誌の代わりになってるかなっていうと疑わしい気もするんですけど、一旦買わない習慣がつくと雑誌って絶対ないと困るっていう人はそんな多くなくて、結局苦しい状況があると思うんですね。
例えばファッション誌とかは絶対縮小はしてるとは思うけれども、そんなに激減はしてないかなって思うんですよ、見た感じ。
わかんないですけどね、私毎月買ってるファッション誌なんかなかったから。
ただファッション誌ってやっぱりまず練習書籍にとって変わるのは若干難しいじゃないですか、大きさも割と大事だったりしますしね。
強者の人の中には12インチiPadを雑誌代わりにっていう人もいて、そういうふうに全ての人がなると大変なことになると思うんですけど、そういう人はいないんですよね。
12インチiPadを買えば雑誌買わなくていいぜみたいになって元を取るのはほぼ不可能だと思うんで、
さすがに12インチiPadはでかいし、重いし、そして値段も張りますし、雑誌読むためだけに買うってものではないですよね。
というようなこともあって、なかなか簡単ではない分野ですけれども、IT情報っていうのは明らかにインターネットとの親和性が最強に強いんで、どうしてもやっぱり不利かなとは思います。
話が逸れておりますが、要するに今からの時代、本を書くというのは違う意味を明らかに持っていると思うんですね。
私がやってきた頃とは、今でも文献は電子というものの媒体、そこで無料に限りなく近い状態で読めるということを考慮に入れないと、紙だけでやっていくというのは至難だろうなという感じはします。
そういう人も絶対残っていくと思うんですよね。紙しか出さないぞみたいな、そういう漫画家さんもいらっしゃいますしね。
だから今、かぎあげ塾では一生懸命電子書籍化してるんだけど、このラインはやっぱり一つ絶対意識しておくといいかなと。
そしてこれも6ヶ月というのは、つまり紙だから8ヶ月なんですね。
電子の場合は8ヶ月は悠長すぎるのではなかろうかという感じがします。
だからこれはもうここからCMっぽくなりますけど、入っていただいてかつ書いていただければ電子化されるというのが一つの売りです。
この一冊やっておくっていうのも結構大事です。
いつもいつも一冊にまとめるとか、きちっと作り上げるということが紙ほど絶対に重要だみたいな話とはまた違うと思うんですけれども、
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一個かちっとやっておくとですね、割といろんな可能性を考えることができるかなと思います。
これはもうある程度やった感触ってものが必要な世界とも思うんですよ。
紙の本のやっぱり一冊パッケージ化したときにいいことっていうのは持ち歩いてそれを人に示せるということなんですね。
自慢するみたいなんじゃなくてね。
こういうの書きましたからちょっと読んでみてって、読んでくんないですよ大体は。
でももし読んでくれるとですね、そこから何か仕事ができたりいろんなことが起こるんですよ、やっぱり本というのは。
今日そういう話を今しようと思ってるんですけど、話って200ページ分も人の話聞いてくれる人はほとんどいないです。
セミナーってすごいなと時々思うんですけど、3時間くらいかけて講演しちゃうこともあるんですよね。
私研修でもそうだったんですけど、寝ちゃう方もいるけど静かに聞いてくださいますから。
でもあれ居酒屋で3時間1人がトークしてたらもう周りドン引きじゃないですか。
よっぽどその人が話上手ければ別ですけども、まあまあそうはいかないと思うんですね。
ジョゼフ・コンラットという作家が闇の奥という本を書いてますね。
あの話って一人のおじいさん、船乗りのおっさんがずっと語る話を聞くという話なんですけど、あれはやっぱり本なんですよね。
まさに本だなと。あれと同じことをあのおじさんがやったらですね、周りドン引きですよね。
話面白いからって言ってもそんなに聞いてられないじゃないですか。
確かなんだっけ、ど忘れするな。ど忘れしました。すみません。
とにかくそういう形式の小説って結構ありますけど、やっぱり本だから許されることだし、読む方も付き合ってくれるんですよね。
そういうことはあると思います。
私これで30分ぐらい喋っているケースが多いですけれども、ポッドキャストでですね。
これも聞いてくださる方が3桁いるというのは大変ありがたいと思いますけど、本1冊分にはならないですよね。
本1冊分を付き合ってくれるというのは大変なことなので、これもぜひですね、本にまとめておくと。
そうしないと分かってもらえないことって実はいっぱいあるんだけども、
つまり本1冊分ぐらいはまとめた情報が必要だという話っていくらも世の中あるんですよ。
それでは聞かないのが精神分析みたいな世界ですよね。
だから毎日毎日、週に5回だとか、そういうふうにその人と付き合うと。
そうしてようやくその人のことが分かってくるというケースはやっぱりあるわけです。
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本1冊で聞くってことは、それはそれなりにまとまっているっていう話のはずなんですよ。
私、嵐が丘ですね。嵐が丘も覚えている話をおばさんが延々するっていう、そういうストーリー仕立てなんですよね。
あれはどうかな、ああいう話を延々聞くのが好きっていう人もいますからね。
でもそうすると1日がかりみたいになりますよね。
普通に考えるとあれだけの長さの話になると。
そして結局それはお話ですからね。
だから滅多に今のそういうことを実行する手段はないと。
しかも、そして分かるのは1対1で聞いているという、ただそれだけなんで。
本はその辺がやっぱり便利な媒体なんですよ。
コミュニケーションするというだけであれば、電子も紙もないじゃないですか。
あとはもう紙の方がより多くの人にとって、つまり今では相当年配の人にとっては紙の方が絶やすいというだけであって、
どっちでも絶ってきますよね。
これはやっとく価値はあると思います。
その話というのはつまり、この延々語っていられると言うのにドン引きするというのはどうしてかというとそれはナルシシズムというものなんですよ。
で、ナルシシズムというものは自己愛という風に訳すのは良くないと。
あれは、名前はどう忘れました。後ほど言いますが、セシムゼロというもののことなんですよ。
というのは自己愛というふうに訳すのは良くないとあれは
また名前をどう忘れした後ほど言いますが精神分析の人が言ってたんですけど全く そうだと思うんです
自己愛性人格障害というこれは dsm にそういう定義があるんだけどあっちは 重症だと思いますね
自己愛性人格障害って言われている人 あれが進行しすぎるとですね多分サイコパスっていう
やつになっちゃうんだと思うんですね であそこまでの人って操作を見かけないじゃないですか
共感性ゼロで相手のことを搾取しまくってやるぞみたいな態度がめちゃくちゃでか くてもう明らかにどこからどう見てもこの人を好きになるのは
仏道修行を要しそうだなっていうレベルの人 あんまいないですよ
いるぞっていうふうに私のだから前の本で批判されていたんですけどそういう人間も ごろごろいるんだからもっと注意しなきゃダメだよっていうあれはレビューだったと思うん
ですけど 私はそのいなくはないと言うのは知ってますけど
ゴロゴロはいないなって思いますね もし本当にそういう人に次から次へと遭遇するっていう方がいらっしゃるとしたらそれ
よっぽど運がはっきり言って悪いんじゃないかと 運だけで済ませるわけにはいかないんですけども
えっとそれはですねもうあからさまにパラ
とサイコパスっぽい人は僕が見る限り 遭遇率は極めて低い対外の人はもう少し常識的だなと思います
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であのある意味では えっと精神症というのはすべて
ある意味ではナルシシズムが究極のビュー あの
その人の奥底をこの問題を引き起こしているとすれば ナルシシズムだろうと思うんですね
それは 当然のことだと思うんですよ
つまり私たちは原初において甘え甘えさせるみたいな話 あるいは甘えの成立みたいなことを書いたのもつまりナルシシズムってものがベースに
ありますよっていう話をある意味ではしてます つまり人は生物なので
好き嫌いというものあるいは愛情と憎悪というものを
対象的には扱えっこないわけですね 母子関係がニュートラルですってのはおかしいわけですよ
母子関係は相互に愛し合ってますでなければ 一番先に出た時ですよ
その反対に出てしまったらもうトラブルなわけじゃないですか ニュートラルなんですよ好きと嫌いは1と-1なんですよでは進まないはずですよね
赤ちゃんからするとやっぱりお母さんと愛し合ってない関係というのは無理がありますから 最初からそれでは
そういう無理がつまりいろんな問題を引き起こすわけだけれども 最初から生まれつきサイコパスなんですなんてことは
多分ないと思うんですよ 何かがあったはずだとでその何かというのが
えっと初期の頃には結構トラウマという問題が重視されてたんですが えっと今ではですね累積外傷みたいな方がやっぱり
だんだんだんだん一般的になってきたかなと思うんです あれですよイエローカード3枚でレッドカードみたいな
つまりトラウマというものが1個でかいのがお母さんがひどいことをしたから その子がしっかり引きこもりましたということもあるんでしょうけれども
そういうのよりはですね小さな小さな難しさトラブルみたいなものが積み重なって積み重なって いつしか
シゾイドみたいになってしまいましたとかそういう方が自然だと思うんですね ナルシシズムの病理っていうのはつまり
言ってみれば一番最初の赤ちゃんの状態まで戻るってことだから特にそれは感情面でですね その人がスキルの面でまでそんなところにまで戻らないですよ
端も使い方がわかんなくなりました言葉も喋れなくなりました 自分で立てませんみたいなそこまで対抗するなどということはそんなないですけど
象徴的には多々あるわけですよね私も長らくそういうのに近い状態でありました でこの種の私自身の経験ではですねこの種の人間はそれすら自体ですぐにどうこう困る
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かってことはないんですけどなんか人と付き合うのが難しいとか こっちで考えるところの鬱陶しさとか面倒臭さがあるとか
なんかあるいは人に好かれていない気がするとか 不意に妙に寂しくなるとかあるいはこう
恋人はいるんだけど恋人との二者関係以外の人間関係は全部廃棄したいとか そういうなんかですね奇妙ななんつうんですかね
感じに閉じ込められた感じ なんかこう人に好かれてない気がするとかそれって360度なんとかみたいなのもあるとおり
本当はみんなは自分のことどう思ってるんだろうみたいな話にすぐなっちゃうじゃないですか そんなこと考えてたら
これがナルシシズムっていうものが核にある 病気じゃないんですけど
ある種の生きづらさなんですよね で本人がそれでただ生きづらいと全く思わずに済ませるということも今の時代徐々に
徐々に可能になりつつあるんですよね そこでウッドワイブスが言うところのそのカプセルに閉じこもるってやつなんですが
そこでそれを問題とみなすかみなさないかはもうある意味その人の人生観みたいな話になってくるんで
問題とみなさずに済む時にあえて問題とみなすこともないと思うんですが 問題が起きましたとその時にその人があると感じたら
割とこう結構進行していて厄介な事態になってるんですよ ここらへんがポイントかなって思います
別にそれでいいですよ私はっていう一人で生きていきますからっていう考え方はあると思うんだけど
そしてそれでやっていけてる間はいいんでしょう 家にずっと閉じこもっていて仕事もオンラインでやります
買い物もオンラインでやります だから他人とダイレクトに関わる必要なんかないんですと
仕事関係でもちょっと嫌なことを言う人がいたらそういう人はバサバサ切り捨てますと
でうまくいってる仕事も1項でも当たるとすごく収入でかいからそんなにいろんな人間関係いらないんですと
どっかこじれてる感じありますがまあまあなんとかなるよっていう話はあると思うんですね
で そこに無理やりグッドバイオスが介入するとかはないと思うんですよ
そういうことを何かですねミトコウモンが日本中を暗戒して悪人退治するみたいに
倉園さんが日本中を歩き回ってそういうのはいけませんって言って回るっていうのも奇妙な話じゃないですか
同じ理由でカウンセリングが無理やり外からコンコンと叩いてあなたシゾイド大丈夫ですかみたいに言ってるのはおかしいと思うんですよ
けれども今のスキゾイドみたいな分裂的な引きこもりをずっと進行させると
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その人が困った時に割と進行が進んでしまっているみたいな問題はどうなるんだろう
っていうのがあるんですね
これはですね気にしすぎるのもどうかと思うんだけど気にしなさすぎるのも同じくらいどうかと思う部分は
今言ったような事情であります 究極的にはその人が引きこもっている時の
多分ここを一番気にするべきだろうなと思うのはですね 対人関係の有無っていう言い方になるはずなんですが
情緒的に甘える対象が存在しないというふうに私だったら言いたいわけで 精神分析の用語を借りるならこれをナルシシズムと言うんですよ
ナルシシズムが進行しているって言うんですかね 核にあるって言うんですか
ナルシシズムっていうふうなのがテーマとして上がってくるのはこういうところなんだと思うんですね
自己愛とかではない自己愛に違いはないですけれども 自己愛という表現はおかしいんじゃないかなと思うんですよ
自己愛というくらいだったらばやっぱり赤ちゃん帰りって言った方がまだまだずっと近い というか赤ちゃん帰りって言いたいからこそ自己愛ではダメだと思うんですね
赤ちゃん帰りというのはつまり このこのポッドキャストでは説明しているつもりですし
でもちゃんと説明していないからわかりやすくはないと思うんですけど 主要なのはつまりこのポッドキャストで説明している主要なのは2種類の赤ちゃん帰りがあって
一個がウィニコットのいう静かな赤ちゃんってやつですね ゴイングオンビーングの方
つまりですねお母さんが環境としての母親を完璧に演じるとどうなるかというと あまりにも頼りになるから赤ちゃんをずっと静かにしていて欲求もあんまり意識がはっきりしない
お母さんがいるなんてもちろんとんでもない全く意識していない だから赤ちゃんの赤ちゃんの目線や感覚からすると誰もいない
もちろん自分というものはいないんだから観念としての自分がないですからね 自分というものがない
赤いお母さんもいないつまり誰もいない このこの表現をウィニコットが取ったのはそこがいかに静かであるかというのを強調したかった
からだと思うんですけれども つまり誰もいない赤ちゃんいるんですよ
でも赤ちゃんの主観の中でそこに誰かがいるわけじゃないから本当に誰もいない そういう
ここに戻ってしまうとですね成人の人がですね めっちゃわがままな人ですよね
めっちゃわがままな人ですよね 周りの人は環境としてのお母さんなんですよ
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なんていうのかなぁ ある種の仕事でがっくったり疲れていた昭和のお父さんみたいな感じですよ
醤油とってとか言ってるわけですよ 完全になんて言うんですかね
自分一人の世界自分一人の世界というものは自分一人だけでは成立しない自分一人の 世界
そういうものを作っちゃうということですね
そうですね 私が娘の
疲れてる時にゲームに付き合うんだけど私ゲームするわけじゃないですよ アツモリ
アツマレ動物の森ね 娘が一生懸命プレイしていると私はそれを
ソファーに座って黙って見ているわけですね これが環境としての母親が情緒的に
その役割を果たした時のパターン これもある種わがままじゃないですか一人でやりたくないんですよ
そういう話ってですねもっとわがままな感じをするには 昔聞いたんですけれどもある彼氏がずっとゲームしていると
でそのゲームはその女の子は横で見てるんだけど全然面白くないと でもずっとゲームしているのをずっと見てると
で私帰るとか言うと彼氏怒るってこれなんですよね これがえっと
ウィニコットの言う赤ちゃんです その彼女は環境としての母親にさせられている
でそれを引き受ける気がない人に無理やり引き受けさせるとこういうことになるわけですよ
でこういうナシシズムってのもあるんだけど私が思うにですねもう一つのウィニコットの先生をやっていたのかな
まあとにかくウィニコットの先輩格のメラニークライ あの人が言うところの良いおっぱい悪いおっぱい
あのナシシズムの方が世の中ではよく見受けられるかなと思います
えっとこれはですね環境としての母親とかじゃないんですよね 空想している赤ちゃんっていう言い方をする
問題なのはこの赤ちゃんはすげー騒がしいんですよ ウィニコットの赤ちゃんは静かなんですゲームしている彼氏って静かじゃないですか
静かに黙ってゲームしてますよね一人になっちゃってますよね ああいう赤ちゃんは育てやすいんですよ
環境としての母親さえやっておけば赤ちゃん静かですからね うちの子はこっちの方のタイプに近かったけどやっぱりある時
火がついたようになることがあったりしたわけですね こういう時はクライーンの方の赤ちゃんで説明する方がはるかに納得がいく
つまり環境のあの 妄想の中で怯えてるわけですね妄想分裂ポジションにいるわけです
すげー泣く だけど
なんで泣いてるのか周りの人にはわかんないなぜなら赤ちゃんのイリュージョンの世界にいますから なんでそういうことをしているかというとですね赤ちゃんがやっぱりウィニコットのケースでもそうなんだけど
要するにダイレクトに現実とは関われないわけじゃないですか 自分で歩くのもままならないわけですからそこに熊とか出てきたら一貫の終わりですよね
だからお母さんが環境の役割をして赤ちゃんが生きている世界というのは言ってみればその なんて言うんですかねあまりにも都合のよく作られた
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疑似世界なわけですよね で精神的にも同じで赤ちゃんは現実にやっぱり直面しちゃまずいわけですよ
お母さんが本当はどう思ってるとか そんたくとかし始めちゃったら赤ちゃんの心は耐え難いものになるのでだからこう
妄想で自分を覆っちゃうわけですね そういう人が成人になるとやっぱり同じように
今度はわがままなんじゃなくて この人何やってんだろうって感じになっちゃうんですよね
ナルシズムの中でもある意味ではサイコパスっていうのはそうなんですよ 彼らは多分イリュージョンのすごく現実見当が高く見えて人を搾取しているから
妄想の世界にいるように見えないかもしれませんけどどう見たって妄想の世界にある 意味ではいるわけですよ
世界を完全に損得だけで見切っているというそういう妄想を抱いているし その中で得すれば自分はいいんだという
ある種の非常に奥行きの無さがありますよね そこで得さえすれば自分が幸せなんだと
明らかにどう見ても幸せになってないシチュエーションでも俺は得をしたからいいんだって 思えるっていうのはどっかどっかで無理やり見切っているところがあるはずなんです
これ赤ちゃんならおかしくはないんですよ だけども成人がいるとおかしくなっちゃうんですね
このパターンの方が私は見受けるケース多いなみたいな感じがします 冷静になってみるとクレーム出す人っていうのも同じです
一人で勝手に暴れているみたいな だからよく赤ちゃんと似てるっちゃ似てるわけですね
一人で勝手に暴れているわけですよ 一人で勝手に激怒して一人で勝手に暴れていると
だからわがままだって感じはしないんだけど この人大丈夫だろうかって感じはしますよね
もうちょっとこれが極端なの 分かりやすくないケースで言うと
やたら買い物をする人とか妙に旅に行く人とか その辺がだからここの話もそうなんですけども
果たしてそこに介入するべきなのかどうなのかっていう問題は残るわけです やったらこの人別にシーズンでもないのに旅行とかしてるよねとか
やたらとこの人は買い物してるよねっていうケースがあるわけですが 多分その人は
妄想の世界で生きているような少なくともその人にしかわからない文脈というものを作り上げて その中で
これをここに今旅に行かなければダメだみたいな ただそれって例えば写真家の人がそういうことを言うと
いや本当に立派なプロだみたいに思うわけじゃないですか そこでちょっとどっちがいいのかっていう問題は出てくるんですよね
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それは本当にいけないことなのかなっていうのは論外で別にいけなくはないんですよ 自分のお金でやってる限りにおいて
ただなんとなくそこにだいたいそういう方が独身であったりするのは 独身であることもご自身ではちゃんと理由があるわけですよね
こういう旅ばっかりしてるのに付き合ってくれる人はいないからとかそういう話をするから ちゃんとわかっていらっしゃるんで
何にも問題はないんだけれどもなんか妙な感じがするっていうことはあると思うんですね 周りからすると
あまりに突出しすぎてついていけないとかそういう感じなんですが 最初に言いましたよね
かき上げ塾の宣伝がてら言っていたことですけど ずっと喋っている人を見てるとドン引きするって
あれもなんかこう一人で妄想の世界に入ってるような感じが 特にお酒飲んでたりすると的面にあるじゃないですか
ああいう感じですよね 決してゴインゴンビーングではない 誰もそこにいないとかとっても静かにしているとか
黙ってゲームをしている静けさとは全然違うナルシズムがあったりするわけです すごい騒がしくて
主張がましくて何かと
ある意味では落語を見ている時ってそういうニュアンスがあります あれはちゃんとしたものっていうのがあるからあれでいいんですけれども
あれをなんかいきなり目の前の人がやりだしたら この人妄想を見てるんじゃないだろうかって感じがしますよね
ああいう感じですね 一人芝居をやってるっていう感じ
その人にとっては多分格闘している現実はあるんですよ 赤ちゃんは何らかの理由で火がつくほど泣いてるんだけど
周りから見るとそれは一人で勝手に始めちゃったことに見える だからクラインの考えるところの赤ちゃんっていうのは
一人で勝手に暴れてるっていう側面をすごく強調するんですね赤ちゃん まさにイリュージョンの世界
イリュージョン一辺倒の世界みたいな イリュージョンしかそこにはないって言っていいぐらいの世界ですね だから妄想分裂なんですけどね
この2つのナルシズムっていうべきだと思うんですけれども
急速に心情的に情緒的に戻っていくという
そういう問題があって それがですね
やっぱりグッドワイブスという恐れと不安があるわけですよ 私には現実を手に負えないかないし現実と関わるのは怖い
ので引きこもります 結局赤ちゃんの自体の状態まで引き戻させてくれっていう話なんだと思うんですね
このナルシズムっていうのは そこから出らんなくなってくるんですね だからどこまで放置しておくべきなのか
大変難しい周りの人からすると難しい問題があるんですけど あの引きこもりってあるじゃないですか
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明らかにこれは両方兼ね備えてる気がするんですよ クラインの考える赤ちゃんとミニコットの考える赤ちゃんの両方が
織り混ざって登場している 例えばですけど会社に行かないとか学校に行かないと言うのもある程度は
もうそっとしておく だけどそっとしておくと放置するは違うんでどこまでその人をそっとしておくべきなのかっていうのは
割と難しい問題かなと 精神分析の分析家がよく介入って言い方をしますし
カウンセリングではちょっと違う表現に聞こえるけどやっぱり介入って言い方しますが 介入下手をしてやって家庭内暴力にあって大変なことになったみたいな話もなくはないですよね
だからどうやって介入するかっていうのとかいつ介入するかっていうのかな の方がはるかに難しいんですが
その時によく身内の人が特に私たちが何かをしたってわけじゃないって言うと 例えばその引きこもっている人が激怒するとかいうことあるんだけどでも一つ事件を
上げてみましょうっていう話をしてみると意外と何も上がってこなかったりするんですね これ累積外傷っていう
言い方が正しいんだとやっぱり思うんですよ 嫌なことが何度も何度もあったんですよね
一個でかいのはなかったかもしれないけどちっちゃり嫌なことが何度も何度もあったから その人はこうもう人とあまり関わらず放浪の旅に出ながら自分の活動を行うとかそういう
スタイルに切り替わったというか 切り替わったというよりはある意味元にあの
子供帰りをしつつその中で生きていくっていう なんとなくそういうスタイルが確立し始めたみたいなそういうことがあるのかなと思う
さっきも言った通りそれで写真家になりましたっていう素晴らしくうまくいくケースもあるから 一概に言えないと思うんですよ
だけれどもどう見ても風天の虎さんみたいになっちゃってますみたいな でもあれはあれで肯定的に撮られたりしますからね
やっぱり難しいんですよこの辺の塩梅みたいなのは で累積外省なんですが
これがいいか悪いかの話をしたいわけじゃなくて一つは累積外省というものがどう捉えれば いいんだろうっていうのがあるんですが
あれですよね動物愛護的にどうかと思うんだけど マーティンセグリマンっていう人が
ちょっとまた名前厳密じゃないかもしれませんけど 学習性無気力っていうのを
言い出したじゃないですか あれと全く同じような概念はフロイトがしょっちゅう言ってたことだろうと思うんですけど
フロイト派の人たちが 要は犬がゲージから出ようとすると電気ショックを加えられると
でそのうち電気ショックを加えなくなっても犬はもうゲージから出るのを諦めてしまう っていうあれですね
あれすごくこうナルシズムだなーっていうものを感じさせられるんですよね 嫌な目にあったんですよ人との関わりの中で
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だからもうこの中でやっていこうみたいになってしまう そういうのが一つのナルシズムというものだろうと思う
ハリハローのあれも動物愛護的にどうかと思うんですけど 針金ザルの実験もありますねお母さんが針金でできてると
あれはよりひどいと思うんですけど子ザルは抱きつきに行くんだけどそうすると針金が刺さると
これでえっと なんか不良ザルみたいなのができちゃうという実験があります
これも非常に 強烈なインパクトを残し大体強烈なインパクトを残しているのは倫理的に少し問題があり
そうな実験がシニガフでは多いですけどね これも動物行動学の中から出てきた実験だけど非常にフロイト的だなと
実験を読んだ時は思ったんですよ
やっぱりこれも累積外傷ですよね 一度刺さったって嫌でしょうけど何度も何度もやって何度も何度も嫌な目にあうから
外傷が積もって溜まっていくわけですよね
でそういう目に人が会うというのはですね 針金でできてるお母さんなんかいないわけだから
要するにそういう目に人が会うというのは いろんな条件が何度も何度もそれこそ何十万回という回数で
人と会話をするためにちょっと嫌味を言われてちょっと嫌な思いをするとか
大量に積み重なった結果
ウッドバイブスでは積み重ならないんですけどねこれは 積み重なったものは残ってないからイリュージョンなんだけど
積み重なった結果レッドカードになるわけですよ そういう展開の中で
ナルシシズムというものがジュワッと進行する
ジュワッと進行するんですよこれはきっと 特にやっぱり一人一人で
どっちかというとウィニコットみたいに周りを環境に通してしまうのではなくて
妄想というものの中で勝手に怒り勝手に人を下げすぎて勝手にある種の人を理想化し
時々このポッドキャストでもしゃべりますけど 新井ピロヨウさんっていう方かな
書いた隠れミッチやってましたあれヒステリーですけどああいうナルシシズム ちょっと男の人を誘惑して
なびいてきたらすぐ振るものすっごく表層的なやり取りをしてるじゃないですか こういうナルシシズムってあると思うんですよね
私なんかモテて気持ちいいみたいな これをあらゆる男の人にやるとあらゆる男からモテてるような感じがするんだけど
一切交わらない 交わらないことがもう目的くらいな勢いで交わらない
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なんとなくこのナルシシスティックなスタイルというのが徹底的に交わることを避けるっていう部分が大きいかなと思うんですよ
いつも人のことをちょっと関係していくとなんかその人の欠点を言い出すのがものすごい上手とかね
ウェットライブスっていいけどこういうところがちょっとねみたいなのをさらっと こうやって何をしたいかというと
深入りしたくないということだと思うんですね そういう意味でクラインの考えるところの赤ちゃんなんだけど
ウィニコットのと似てくるんですよ 結局のところ静かにしていたいっていうのが奥底に感じられるわけですね
本当に現実と関わっちゃうというものを よくグッドバイブスで現実を見に行くって言いますけど現実を見に行きたくないってことですよ
だから こういう人にとってやっぱり一つ非常に苦手とする世界に
都定制度みたいな世界があると思うんですね そこで揉まれてなんかこう
除外になるみたいなそういう世界ってあるじゃないですか お寿司屋さんとか相撲の世界とかああいうのはダメってのはあると思うんですよ
でも例えば習い事は好きみたいな この辺に微妙なラインがあってそれが良いのか悪いのかみたいな
例えばテニススクールなんて良い例で テニス本気でやったらめちゃくちゃ辛いけどテニススクールでやる分には
良いわけですよね 幸せにっていうかなんて言うんですかね
マイルドにやれる そのマイルドなところでいっつもこういろんなマイルドさというものに囲まれていたいから
えっとなんて言うんですかね ある種の妄想をすごく膨らませてしまう
あのよくあるんですよテニススクールとか行ってるとなんかこう 派閥みたいなのができてあっちの人たちってさぁみたいな話になってそこのグループと
妙に仲が悪いとかそういうのがしょっちゅう僕も経験しました あれが起こりやすいんですよね
すごくこうある意味妄想というものを膨らませているグループ世界ができやすいので なんかこう
なんて言うんですかね 妄想分離スポジションそのものだなっていう感じがするんですよね
えっとそれへんてのは そのワールドそのものが若干ナルシーズムの世界みたいなところがあるから悪い意味では全くないんですよ
あえてそうしておかないとえっと スクールなんて成り立たないってところがあるのでお客様扱いって言うじゃないですか
そういう意味ではあのやっぱりミニコットの赤ちゃん 見るところの赤ちゃんが混ざってるんですけどね
スクールは環境としての母親ですよね 同時にその中で妄想分裂ポジションが噴出すると
スクールの先生だから結構大変なんですよねその辺の調整も多分うまくできないと スクール経営ってうまくいかないような気がします
今うちの娘がちょうど最終期 中学受験
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塾ってそういうところがどうしても出てくるんですねやっぱり 環境としてのお母さんですよね塾も間違いなくても結構厳しいから受験となってくると
妄想分裂ポジションに子供が叩き込まれるわけですよね 頭がいいと頭のいいなりにそういうのに叩き込まれるのですぐグループ同士でケンカになるわけですよね
その辺の調整ってのも塾の先生ってのはできないと多分経営ってうまくいかないだろうなと 話がもっと盛大にそれつつあるんですけど
要はその僕らはそういうものにいつも隣接している気がするんです ナルシズムというものに
病気になる人はほとんどいません 自己愛性人格障害なんてとんでもなくてあんな人がいたらですね
友達すぐゼロになってしまうしそうはならないじゃないですか なかなか
思いっきりサイコパスになりましたみたいな それだとほとんど犯罪も実さないみたいなそういう話では全くないんですよ
そういうところでは全くない だってそのスクールでね友達の悪口言ってるとか
犯罪でもなんでもないんで ただそれもそれで何も問題は起こらないんですけど
問題が起こる方向に舵を切って あまりに長くそれが放置されているという問題はあるかなと
そういうのっていうの難しさはつまりその人は孤立しているわけだから 多分カウンセリングなんか受けに行かないでしょうしね
でも意外と一番何を必要とするかというと カウンセリングだったりするっていうことなんです
そういう人が行くと大変ですよ多分 カウンセラーはずっと悪口言われてたりしますからね
だから訓練ってものが必要になるんでしょうね
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