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  2. 【GMV 398】自己開示が怖い?
2021-06-16 28:17

【GMV 398】自己開示が怖い?

自己抑制しておくと誰かに褒められた気になれる
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日もこの時間になり、昨日に至っては休んだんですけど、
いろいろありましてですね、
簡単に言うと、家族の用事で一日飛ばしたといったところなんですけども、
私のグッドバイブスの一番いい影響というのは、
家庭環境と健康状態に来ているんですね。
これって様々だとすごく思うんですけれども、
やっぱり恐れを抱いて、これは鶏卵で、
鶏卵で、良くなかったから怖くなったのか、
怖がってたから良くなかったのかが、
良くなくなったのかが、何とも言えないんですけれども、
私がとにかく恐れを抱いていたところに、やっぱり効くわけですよ。
だから多分、例えば自分の体のことなんて考えたこともないしっていう人っているじゃないですか、
そういう人は大体健康なんですよね。
健康な人っていうのはそれについて恐れを抱かないじゃないですか。
外して健康ですよね。
私はああいう人を見ると当然羨ましくなるわけですけれども、
羨ましい人に共通しているのは常に考えていないことなんですよ。
めちゃくちゃ健康に気を配っているっていう人で、
非常に私が羨むほど健康だってきた。
見たことがないんですよね、あんまり。
例えば私の母なんかがそうで、
健康について真剣に考えることはほとんど若い頃はなかったように見える。
で、めちゃくちゃ健康なんですよ。風邪ひとつひかないというタイプで。
多分父より長生きしそうですよね。
そういうのってあるよなと、
つまり私は、私にも限らずですけど、
グッドワイブスって基本的にはそういうことかなと思うんですね。
○○について考えるっていうのがそもそも大変よろしくないわけです。
気をつけている人は、
いやいや、そんなこと言っていたらいつか不健康になってって言うんだけど、
自分も先に不健康になっているケースの方が、
僕の目には多く見えるんですよ。
なんでかっていうと、
多分考えるということ自体が何かを害するからなんですよね。
その害するのは考えることというよりは不安になることだと思うんですけれども、
しょうがないじゃんといえばしょうがないんですよ。
人間関係なんかは分かりやすいと思うんですね。
人間関係について不安になるということは、
その人間関係をやっぱり害しますよね。
人間関係って最初から不安視してかかるっていう方もいらっしゃるじゃないですか。
いろんな事情があったんだと思うんですけどね。
そういうケースで人との関係がうまくいきませんっていうのは、
03:02
ある意味非常に分かりやすくて、
だいたいこれも人を羨むほど友人に恵まれていて、
人大好きみたいな人って人間関係についてわざわざ悩まないですよね。
だから多分悩むということによって、
手当てできる部分ってほんと少ないんだろうなというふうには思います。
で、その延長になることなんですけど、
とはいえこれは悩まずにはなかなかうまく、
手がなかなかできていかないものの一つに書くことがあるんですよ。
これも不思議なんですけどね。
書くなんて簡単なことだと思うんですよ。
私はでもそのことにかなり恵まれてきた方で、
書くことで真剣に悩んだことって実はほぼないんですよ。
ほぼないんです。
書いてるもののレベルが高いとかそういうことを言うよりも、
私はそのことについてあまり悩んだことがなかったんですね。
よく言うじゃないですか。
子供の頃の読書感想文とかいうものが良くないという話もいろいろあるんですけど、
僕はそういうふうに思ったことがないんですよ。
あれで苦労したことも一回もないんですよ。
本当に。
読むのも書くのも苦にならないんですよね。
それはもう小さい頃からそうでした。
4歳くらいの時から読むのとか書くのも苦になるというのは不思議でしょうがなくて、
苦になったということはないんですよ。
出来が良いとか、そんなに出来が良かったわけじゃなくて、
大したことはないと思うんですよね。
詩の展覧会に選ばれた、展覧会とかってないか。
文部大臣賞とかあるじゃないですか。
ああいうものに選ばれたっていうことはないんで、
大したことはないと思うんですけど、
とにかく読み書きは苦にならなかったんですよね。
作文用紙を渡されればすぐに書き始められると。
そこでいちいちあれこれ悩んだ記憶がないんですよ。
一度もないです。
これが私がもし人間関係とか、
自分の健康について適応できていたならば、
さぞ自分は健康で、人との関係は良好だと思うんですよね。
悩まないのでね。
だから私はPDCAとかは本質的には好きになれないんですね。
自分の文章をPDCAで良くしようなんて思ったことは一瞬もないんで、
何しろ前に与えられれば何でも書けるっていう感じを持っていて、
それをもうずっと持っていて、
無くなったことはなかったので、
それについてPDを先に立てるという発想を持ったことがないんですよ。
そういうのを習ったことはありますけど、
採用する気になれなかったんですよ。
まどろっこしすぎて。
何かを検討してからじゃないか。
検討してから書くという発想を持たなかったんです。
持たなかった気がするんです。
小さい頃からね。
その方が良くなるというのも信じられなかったんですよ。
今でも信じてないです。
これが書き上げ塾なんですね。
06:00
私はたまたまなんですよ、これは。
こういう方針でいきましょうねと別にクラウドの刑事さんに言ったわけじゃないんです。
私に非常に合致してたのはこの部分で、
私だってライフワークとかを知ってますから、
アウトライナーとかああいったものでですね、
ユリシーズを今使ってますけれども、
ああいったもので、
あるいは超すごいのがありますよね、スクリブラーとかって見ると、
何かこうしなきゃいけないんじゃないかとさすがに思うわけですよ。
そんな風に書いてきた口ではありますけど。
何かそういうのからすごいのが生まれたぞって話を聞くと、
どうしてもああやっぱりそうしなきゃいけないのかなと思っちゃうんですけど、
よく考えてみるとですね、
例えばドステフスキーとかがああいうのを使って書いたとは思ってなかったけどね、当時は。
ありえないじゃないですか、ありえない気しかしないんですよ。
地下室の手記とかをああいうアウトライナーを使って書くかなんて書かないんですよ。
絶対何かね、全く合わない感じがするんです。
もっと構成を良くすることはできると思いますよ。
ドステフスキーの小説の構成ってそんなに素晴らしくはないんで、
ただ構成を良くすれば小説が良くなるのかというと、
それは全くそうは思えないわけですよね。
読めばわかります。
読むのが難しいとかいう小説じゃないんで、
ただ地下室の手記とか読むと多分後味すごい悪いんで、
おすすめは絶対しないです。
何かね、ラブクラフトの読んで本当に何か気持ち悪くなったっていう人もいて、
私はすごいそれは繊細だなって思うんで、
僕はラブクラフトの怪奇談っていうのを読んで、
いやいやいや、なんかもうナンセンスの極みだなと、
なんて言うんですかね、あれですよ、
顔が八個割って牙を剥いているハチメンタコみたいなのが
やたら大活躍する恐ろしい話なんですけど、
面白いです。笑えます。笑えると思うんだけど、
読む人によって本当に何か落ち込むらしいんで、
人によってやっぱり捉え方がすごい様々ですんで、
小説って選んで読んだほうがいいと思いますが、
最近ですね、また脱線してますが、
インスマンスのノイだったっけ、
とにかくタイトルとかすぐ忘れるんですけど、
ラブクラフトの漫画化したというのがあって、
あっちはですね、ラブクラフトの小説で笑っちゃう人にはちょっとおすすめできます。
多分絵にしたほうが怖いですよね、ああいうものって。
文章で書くから何かおかしげなものに、
多分あれ絵にしても僕は深刻に受け止めることは無理ですが、
きっと絵のほうが怖いと僕は思うんですよね。
あの絵の最初の表紙の絵を見たとき、
あっ、これはいけるかもって思ったんですよ。
結構なんか雰囲気出ている。
なんかあるじゃないですか、その怖さの雰囲気が、
怖さの雰囲気ってイリュージョン感が最初から必要ですよね。
09:00
なんか変な話になっちゃうんですけど、
エロさの雰囲気ってイリュージョン感が最初から必要じゃないですか。
なんかこう、リアルであってはダメみたいな、
そんな変な怪物がリアルにいるわけがないから、
なんか写実的とかじゃない気がするんですよ。
なんか登場人物の顔と言っている、
登場してくる人の背景とか、
登場してくる人のセリフと言う最初から変なんですよ。
あれは思い出したくもないねとか、
絵菌にあった絵菌がそんなこといきなり言わないじゃないですか。
なんかこう雰囲気を出そうとしている何かみたいなのがいちいちあって、
最初からお化け屋敷なんですよね。
話がすっとびましたけど、
そういうラブクラフトの漫画版がありました。
漫画版がありました。
僕はちょっと高かったんで、
お金があんまりそういうものがあれば、
塾代に回っちゃうんで、
娘がそういうのを受験に受かったら買おうかぐらいに思っております。
結構やりくりがシビアなんですよ。
それはいいんですけど。
今日はつまり、書き上げ塾のCMをしているわけですが、
書き上げ塾の中でも僕が一番、
ここが良くてここが引っかかるだろうなっていう点がありまして、
いいのはさっき言った通りノープランで書くこと。
これはですね、構成が少々おかしくなったとしても、
そうしてみる価値ってあるんですよ。
私が思うに文章の特化、
本の価値って決して構成にあるはずないと思うんですね。
戦争と平和とか結構言っちゃってますよ、構成は。
トルストイはナポレオンが嫌いでしょうがないんですけど、
フランスからロシアに侵略してきた人ですからね。
結構ナポレオンを悪く言う部分のための論文みたいなのが長いんですよ。
だから構成破綻しちゃってるんですけど、
それは構わず読ませますからね。
ナポレオンについては、要するに戦争ギャンブラーみたいな書き方なんですよね。
偉大なところの何一つない男って言うんですよ。
偉大ばっかり言われている人について、
あ、違った。
長所と言えるようなところの何一つない男っていう表現なんですけど、
やっぱり行き通りが非常に感じられますよね。
でも読ませるんですよ、やっぱり。
だからあんまり美しい構成とか、
言ったものがその本の価値を決めるわけでは全然ないので、
ノープランというのは何かを別に妥協するというわけでは決してないんですけども、
私は唯一の書き方なんじゃないかと実は思っています。
これを言って前にタックさんという方と電子書籍で
この話を、僕のインタビューを起こしていただいたんですけど、
こういう人ってたまにいてすごく自分は恵まれていて羨ましいんだけども、
12:05
真似はできないっていう書かれ方をしたんですよ、コメントで。
私はそれは絶対誤解だと思うんですね。
これしか書けない、書ける方法これしかないと僕は思うんですよ、ほぼ。
アンドラインとかスクリブナーとかを使っても書けなくはないと思うんだけれども、
あっちの方が難しいはずなんですよ。
無理なことをしているはずだと。
これを最初からアウトライナーとかスクリブナーで書くことが簡単で、
よほど極端に文章能力を持っているからノープランで書けるとかじゃないんですよ。
逆なんだと思うんですね。
その発想を逆にしてみるということをずっとなぜかしないできちゃうと、
もともと文章とは字では書けないものなんだっていう思い込みがあるんですね。
プレゼンとかでもそうだと思いますね。
私よく夫婦の会話でアウトラインは立てないじゃないですかっていう話をするんですけど、
そこに難しさがないはずだと思うんですよね。
難しさはない。
先にアウトライン作っておけば会話が滑らかにいくってことはありえないじゃないですか。
私そんなことでできるんだったらとっくにそうしていますからね。
グッドバイブス以前は苦労したわけですよ。
それはアウトラインがしっかりしていなかったからではもちろんないわけですけど、
そのアウトライン使うとかいうことは知っているわけだから、
それでうまくいくんだったらとっくにそうしていますよね。
それでうまくいくはずないんですよ。
僕は同じだと思うんですよね。
本格と言うのでも。
アウトライン作れば本格のほうがうまくいくというのは、
夫婦の会話はアウトライン作っておけばうまくいくっていうぐらい無理があります。
これが2つ目のさっき言った書き上げ塾で引っかかってくる部分だと思うんですけれども、
絶対に実は受け身でやらなければならないんですが、
多くの人は文章をクリエイトするというのは、
完全に能動一辺倒だと思っているぐらいの方もいらっしゃるので、
ここで引っかかっちゃうんだと思うんです。
その問題を解決するために一番最初のワークがあるんですけど、
ここで最初から受け入れがたいと感じる人は結構いらっしゃる気がしますね。
だから私はこれを真剣に6ヶ月やるだけでも、
それだけだと1冊書き上がりませんが、
これを真剣に1冊やるだけで1回6ヶ月やるだけで、
もう価値はあると思っています。
夫婦の会話は会話じゃないですか。
だからアウトライン立たないようにじゃないですか。
この構造と同じ構造が本を書くときもあるんですよ。
これと同じ構造にするためのワークも最初から用意されているんです。
よくできているんですよ、実は。
ここを受け入れられないというのは、
自分の能動的に書きたいという意味になっていくんですけれども、
これが無理なんですよ。
15:01
この無理をツールで補うために
アウトラインとかスクリブナーとかを多分使うんですよね。
ずっと能動で自分から出てこないって話ですよね、きっと。
私がこうやって喋っているのはおかしいという
ぶっちゃけ相談みたいなのもいただいたんですよ。
ずっと能動で出てきているのはおかしいと。
それはずっと能動で出しているわけではないからなんですよ。
私は何かを受けてそれに対して喋っているから、
これは会話みたいにしているんですよ。
相手がいないだけでね。
そこにちょっとトリッキーな部分がありますけれども、
会話をしているんですよ、自分はこの
グッドモーニングバイブスの中でですね。
ブログを書く時も僕そうなんだけれども、
この会話欲求みたいなのは喋っている方が出しやすいので、
こっちに多分シフトしたんですよね。
ノートとか今停止していますが、
要するに会話を文章に起こすよりは
会話を会話のままやった方がやりやすいんですね。
とはいえ、本を書いていますけれども、
つまり全部の会話を文章にしてしまうと
なんかちょっとやっぱり
欲求がいびつに満たされる感じがあって、
喋る方が楽だから。
これは言ったことありますかね。
喋る方が楽だからこうしているわけでは別にないです。
私は書くことが苦になってはいないので、
喋るだろうが、
書くだろうが、
そこに別に違いはないんですが、
このグッドモーニングバイブスだけは喋っているのは
やっぱりこの方が
いろんなものが満たされる感じがあるからなんですね。
これは対話なんですよ。
だから文章を書く時も対話だと思うんですね。
受け身で書いているはずで、
聞かれるのに対して答えるという形をとっています。
実際に誰が聞いているんだという問題が出てくると思うんですけど、
それがワークになるんですね。
こういうからくりがあるわけだから、
自分で全部を出そうとすると、
例えば、
散歩中のインスピレーションを書き留めておいて、
そのインスピレーションを膨らませていくみたいな、
何だか特殊技術を要するじゃないですか、
あれ皆さんが簡単だと思っているのは不思議でしょうがない。
あれは難しいと思いますよ。
朝5時ぐらいにふとひらめいたことがあって、
それを急いでメモに書き留め、
それを5週間ぐらい経ってから、
ある本を書いている時に、
関連事項だとして、
スクラップボックスでも出てきますよね。
関連ノートを見つけてきて、
そこにあるやつを、
たまたまなのか、
何らかのセレンディフィティなのか分かりませんが、
プッシュして、
偶然により再発見し、
あっと思って、
そういえばあの5時の散歩の時にこれを考えて、
まさにこれが、
今日のこの本のこの部分に役に立つから、
ここにはめ込もうと、
それをやるというわけですよね。
割と高度なライファックを使って、
18:00
僕は絶対無理ですね。
これでできた試しがないですよ、本当に。
まして、
これをプレゼンでやろうと思って、
いつそれを思い出せばいい?
たぶんスライド作成中なんでしょうね。
スライド作成中に、
このスライドを作っている時に、
こういうことを喋るはずだと。
喋ることになるインスピレーションが、
5週間前のあの5時の散歩で、
無理。
無理ですよ。
そんなことできるとは僕には、
とても思えないです。
やっぱりそれよりは、
相手が何か喋るのに対して答える方が、
むしろ自然じゃないですか。
つまり、
素晴らしい自分のインスピレーションを、
練り上げて出していくというのは、
高級なことだと思うんですよね。
それは、
せいぜい、
十数分のトークであれば、
十数分の、
もしかすると数分の内容だと思うんですね。
膨らませて一冊にするかどうか、
そもそも分からないですよね、
そのネタが一冊の本になるのと。
あともう一つは、
それを相手が聞きたいかどうかすらも、
分からないですよね。
そんな難しいことを、
しようと思わない方がいいと思うんですよね。
難しいということであれば。
それほどの内容のものが、
朝の5時の散歩の時に考えついたなら、
そこで書いちゃうべきですよね。
だから、
どっちかしかないと思うんですよ。
なぜそれを取っておいて、
有機化して、ネットワーク化して、
ネットワーク化した骨組みをもとに、
文章を書けば本になるという、
ことになってしまうのかと。
そういう考え方って、
私も大学とか高校でも、
習ったことがあるんですけど、
やったことは僕はないです。
一回もないですし、
今まで、
数十冊タイトル書いてきてますけど、
一度も本当にそれをやったことはないです。
それでは多分書き上がらない、
と思いますね。
それで書き上がるという人も、
いらっしゃいますよね。
それで書き上がるという人も、
いらっしゃると思いますが、
むしろ僕はそっちの方が、
すごい才能だと思います。
もう一つあるんですよ。
これは書き上げ塾だけではなく、
いろんなところでも言われているし、
でも書き上げ塾では、
とても強調されていることではあるんですが、
書くということには、
恐れがつきまとう、
ですね。
ここの点でも多くは、
書き上げ塾というのは、
恐れないと思います。
というのは、
グッドワイブスですから、
教えている蔵園家堂さんは、
グッドワイブスの人でもあるので、
グッドワイブスというのはつまり、
恐れないという啓発の考え方ですよね。
それと、
本を書くということが、
セットになっているというのは、
とてもいいことで、
なぜかというと、
怖いからなんですね。
怖いから書けないというのもあると思うんです。
さっき言った、
21:00
怖いから書けないというのは、
あることとしては。
怖いというのは何なのかというと、
私は怖いというのは、
怖さを優先するというのは、
実は特にこのケースでは、
社会性だと思うんですね。
社会が怖いんだと思うんです。
この社会が怖いということが、
私たちはですね、
なんていうんですか、
習慣化するんですよ。
学習効果が出てきちゃうんですよね。
繰り返し恐れては引っ込める、
ということをやっていると、
引っ込めることによって、
これはもう完璧にイリュージョンですが、
引っ込めることによって、
褒められた気がするという人が、
多分いると思うんですね。
つまり、自己開示の逆ですよね。
なんて言えばいいんですかね、
自分を閉ざすんですよ。
閉ざすと、よしよし、
よく閉ざしているって、
完全にイリュージョンですけど、
そんなことを言ってくれる人がいるはず、
ほとんどないと思うんですけどね。
とにかく開示するということによって、
人が不快になると。
ということを事前に、
自分は、
自制したと。
それによって、
社会から褒められた気がする、
ということがあると思うんですよ。
羞恥というのは、
そういう感情だと思うんですね。
あいつはデシャバっているみたいな、
これなんですけどね、
イリュージョンの元。
自分は引っ込めたと。
だから、社会は褒めてくれている、
ような感じがあって。
これが、
社会に向かって、
強化されていくので、
これを繰り返しているうちに、
何か言うということが、
とっても抵抗の強いものになっていけば、
当然、
ものを書くというのは、
とても困難になります。
この自己開示を恐怖するというのが、
多分、書き上げ塾で、
6ヶ月かけて、
少しずつ剥がしていくと。
かなり長く強化された人の場合は、
難しいんでね。
この難しさが、
ちょっと半端に出るんだと思うんです。
自己開示しようとしても、
全く何も出ないっていう人は、
多分、
本を書こうとはしないと思うんで、
出すんだけれども、書くんだけれども、
その時に、
無双して書くんですよね。
分かりにくく書いてしまう。
分かりやすく書くと、
相手に開示して、相手から殴られるかもしれないじゃないですか。
これが怖いのが、
羞恥心なので、
殴られないように書くということになると、
分からないように書くということになるんですよね。
この分かりにくさに、
クレゾンさんが赤を入れてくれるわけですよ。
それが書き上げ塾なんですよ。
自分が怖いから、
分かりにくいように書く。
分かりにくいように書くと、
分かりにくいんで、
分かりやすいようにこう書きましょう。
あって思うんだけど、
その時に不思議な感覚が発生するんですね。
あ、そうか。
自分はこれが言いたかったのかと。
これが言いたかったのかで、
言える嬉しさと。
24:00
言うのはですね、
開示できた嬉しさのはずなんですよね。
当然ですよね。
自己開示できた嬉しさ。
これに制約がかかっていたから、
変な表現になるんですよ。
そしてこれに制約がかかっているから、
生き苦しいんですよ。
生き苦しいですよね。
生きていて自分の開示したいことが、
開示できないわけですから。
最近、ひめのけいさんという方だったと思うな。
生きづらさとかADHDとかの方はことをよく話題にされている。
スパで書かれているライターさんなんですけど、
たまたまあるオンラインセミナーで接点があって、
生きづらさについて書かれてますけれども、
まさにこう書いていることが全部それなんですよ。
自己制御。
自己制御なんですよね。
制御するのめちゃくちゃ大変じゃないですか。
そんなありであらゆるところで自己制御してたら。
だから生きづらいわけですよ。
それがもう癖になってくるので、
文章を書くときに出るわけですよね。
制御感が。
この制御感が奇妙な文章とか、
奇妙な言葉使い。
特に、私もよくやっちゃいますが、
専門用語とかですよね。
専門用語とか、あるいは、
これもよく倉園さんが赤入れするんですけど、
とかなのに一個になっているというやつですね。
なんとかとか、なんとかとかなら、
二つ以上はいるじゃないですか。
なのに一個になっている。
なぜとかを一個なのに使うかというと、
断定したくないからだと思うんですよ。
断言したくないというのは、
やっぱり開示が怖いということなんですよ。
開示は怖いかもしれないですよ。
国会とかでも文章開示しなさいって言われて、
文章はシュレッダーにかけてなくなっちゃいましたとか、
って言うじゃないですか。
あれ、隠蔽すると安全だということがあるわけですよね。
多分あれは開示することができないんでしょうけど、
開示しても何の問題もない文章だったんだけど、
シュレッダーにかけちゃいましたっていう話をしてますけど、
誰も信じちゃいないですよね。
つまり、開示はしたくないことってあるんですが、
とはいえ本格的には、
開示したくないことを開示したいことなんですよ。
そこには葛藤があって、
この葛藤が文章に現れるんですよ。
そうすると、ぐにゅっとして読みにくくなるので、
そこをまっすぐに直すと。
こういう点で、つまり書き上げる意味は全部一応あるんですね。
一応というかあるんですよ。
開示をしっかりやると。
で、その開示をしっかりやるということは、
必ず対話になるはず。
聞かれていることに応えるから開示になるわけじゃないですか。
インスピレーションをネットワーク化してアウトラインにするというのは、
実は自己開示じゃないと思うんですね。
で、その対話というからには聞き手がいるはずなんですよ。
この、僕のこのグッドモーニングバイブスに
聞き手が私の中にいるようにですね。
27:02
聞き手がいるはずなんですよ。
この3つが大事だと思うんですね。
この3つが揃わないと聞き手はいない。
揃わないと聞き手はいない。
開示はしたくない。
そしてインスピレーション頼みになるということになるので
インスピレーションを使って複雑なライフハック操作をして
でもちょっと開示するのが怖いから
なんかこう独特のスキルのかかった文章が出ると。
それは自分で読んでも多分分かりやすくはない上に
ずっきりしないので続けませんということになるんだと思うんですよね。
ここを何とかしましょうと。
そういうお話になるはずです。
もうすぐ、もうすぐというか既に満席になって一度
間もなくもう一回満席になりそうだので
もし興味ある人はあと多分2人募集中ですので
第4期の書き上げ中ですね。
よろしければぜひチェックしてみてください。
28:17

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