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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1320回をお送りします。
2月19日、木曜日、8時9分です。
なかなか暖かくならないというか、まあならないわけですけど、そんなにすぐには。
最近はですね、なんかこう、物を買ってるんですよね。
たぶん聞いたことも見たこともないと思うんですけど、
昨日、神田雄という会社のですね、ミーティングプロ360という、9万円もするウェブカメラを買いまして、
すごい、いわゆる清水の舞台的な決意を表したんですけど、
まあでもこれはですね、ぜひ欲しかったというところでもあるんですよ。
最近こう、3ヶ月チャレンジかつ100日チャレンジで合わせて、
まあそうですね、3ヶ月で延べ、延べですからね、延べで言いますと、
延べ200から300人の人とお話しさせてもらってるわけですね、3ヶ月で。
だいたい1日3、4人は確実に行くという感じで、
ウェブカメラってすごい大事だなと、言うならスピーカーとマイクなんですけど、
かなり良いのを買うと違うんだなということが、まあ当然なんですが、
一番さっき言ったやつのすごいところはですね、
スピーカーとマイクが同じところにありながら、羽織らないんですよ、絶対に。
で、しかも複数の話者をAIで切り分けてくれて、
なんなら顔認識もそれをやってくれるというすごい代物で、
これなんかなんていうのかな、これの大型版があったら、
完全に昔ね、新型コロナの19が流行った時にやってたような、
ライブをオンライン配信するっていうようなことに限りなく近いことがやれるんじゃないかという感じが、
てかできるんですよね。ウェブ会議用に作られたカメラなんですけど、
10人だったら同時に喋っても、もう切り分けてくれるんですよ。
普通だったら、いわゆる僕知らないんですけど、これで非常にタスクシュート総計算が問題になったんですけどね。
タスクシュート総計算はこれ1台で回し切ることは不可能ですけど、会場の人数から考えても、
でもオンライン配信はこれで相当程度いけるだろうなって感じはしたんですね。
私が普段やるようなミニセミナーのやつだったら、
オンラインオフライン同時配信は完璧にやれるなと。やるかどうかわかんないですよ。
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だからといって、それがしたいのかっていうとまたちょっと違うんで、だからすごい悩んだんですよ。
毎月のようにこれやりますって言うんならね、すぐ買うんですけど、すぐ買ってたんですけど、
毎月のようにこれをやるご時世ではないんですよね。
毎月これやったところで、多分オンラインにしか人来なくなってしまいそうな気がするんで、
だったら別にオフラインの会場を抑えてあんなのを、えさかほいさか持ち歩いていく理由がありませんから。
てか、なんかまるでね、トラサトルさんので見たっていうのが大きいんですけど、去年ね。
去年見たのに、だから悩んでるわけですよ。悩んだわけですよ。3ヶ月ぐらいはね。
あれ、総決さん前に買っておけば、総決さんはだいぶ違うもの、違うその、負担はうっとむんと減ったなって思うんですけどね。
負担が減るレベルなんですよ。総決さんあれ1台では回せない。
あれ10台ぐらい買えば回せるんですけど、あれ10台買うと80番ぐらいになっちゃうんで、ちょっとそれをそれで難しい話ですからね。
しかも10台買ってどう配置するか問題って出てきちゃいますからね。
まあやっぱ微妙だなっていう。しかもそれ総決さんの時以外絶対使わないしね。やっぱり微妙だなって感じはしますね。
でもこのオフラインオンラインの同時配信という、実はテレビ局みたいなことを、ミニテレビ局みたいなことをやっぱりするには、
プロの人たちがいるわけでも機材となるようなカメラがあるわけでもない。またやっぱりこの話続いてるな。
まるでこれ世間紹介のYouTubeかなんかみたいじゃないですか。やめていきなり本題に入ります。
本題はあれですよ。
まあ先日から先日来やってる、ちょっとよくわからずに喋っている、定義性恋愛すごいヒントになってるんですよね。
なぜ定義性恋愛だけは定義を説明する上で、ああもう簡単にできてしまうのかという重大な謎の一つですよ。
みんななぜか恋愛定義を話せばわかった気がするという、非常に興味深い現象だと考えてみると思うんですよね。
だって恋愛経験なくたってわかる気がするじゃないですか。
僕なんか恋愛経験なんてほぼないに等しいんじゃないかという人間なんで、恋愛経験がなくても定義性恋愛は理解できるっていう、
すごい、まあわかんないですよそれはね。
でも多分ビヨンが描いてる定義とかだと、みんな絶対本投げ出すと思うんですよね。
でもフロイトの定義性恋愛の論文、あれ多分読まれてることほとんどないんですけど、すごい秀逸の論文なんですよ。
フロイトってものすごい人だなって思うんですよね。
あのビヨンの訳わからなさからすると、フロイトの話はなぜはそもそも訳わかっちゃうんだっていう、訳わかるけどね普通はね。
でもフロイトは定義知らずに定義を扱う章例ドラを書いていて、しかも十分わかりやすく、ある意味ヒルメロみたいですけど、面白くもあるっていう、あれやっぱり稀有な才能ですよね。
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天才と言われるだけのことはあるなって感じがしますね。
フロイトはみんなどっかで読んでるんですよ。
あるいは全くいやもう絶対嫌い一生見たくもないって言ってる人すらフロイトの英気が手を受けてるんですよ。
そういうのが天才なんだろうなと思わなくはないですが、今日はフロイトの話では全くなくてですね。
まあまあまあやっぱビヨンの話なんだよね。
今僕は一生懸命ウィニコット読みながらビヨンを理解しようという、またこうある種の方向性でなければ意味不明なことやってるんですけど、
なんで私はそもそもビジネス書作家としてスタートしてるのにこんなことやってるのかなと思って、
一つ目にですね、今日読んだ、今日ってか昨日読んだ、どっちでもいいんですけど、前々から読んでいて意味が全然わかんないと、
まあビヨンのはほとんどそうですけど、床に一片の鉄が落ちたっていう転移のね、印象例なのかな。
確かこういう表現なんですよね。一片の鉄が落ちたって言うんですよね。
なんじゃそりゃって感じじゃないですか。
で、それでもうビヨンは解釈が入ってて、その解釈が多分ヒットしてるんですよね。
あの、あなたは私に近づけないんでしょうみたいな連結への攻撃っていうタイトルなんで、
まあ連結、まあこれも連結って言葉もすでに電車じゃないんだからって感じがしますけど、
でもまあビヨンはやっぱ言葉の使い方がすごいですよね。
取り込みとか、同一化とか、そういうメタファーにいかないんですよね。連結なんですよ。
絆とすら言わない、人と人の連結なんですよね。
その後、まあリンクってやつですよね。だから経営リンク。今我々リンクって言うじゃないですか。
だからその例えば、それこそURLリンクって言うじゃないですか。
URLってどこにも動きないじゃないですか。
リンクとか言ったって、なんか昔朝日新聞だかなんか大新聞に、
なんかアダルトサイトの摘圧の時にあからさまにリンクが間違っている。
あの、単純だかな。間違って、あからさまに間違ってるって言うと言い過ぎか。
でも猛烈に誤解を招く、当時インターネットってものすごい黎明時代だったから、
ああいう風に書いちゃうしかなかったのかもしれないけど、
リンクってのは住所が書いてあるだけじゃないですか。
なんかこう、線でつなぎであったわけですよ。このギザギザの線とかで。
リンクみたいな。ウェブ、あの悪い暴力団のところにつながっちゃっていて、
こんなに悪いぞみたいな。いやいや、つながってないから。
住所書いてあるのは問題かもしれないけど、そういう風に書きなよっていう感じ。
要するに、あのアダルトサイトの住所が書いてあったっていうことが問題となって摘圧。
まあそれで摘圧できんのかよって感じなんだけど。
新聞にああいうスーパー誤解図式みたいなのがあっさりばっちり書かれてるのを見ると、
まあそりゃ捕まっちゃうかもねっていう感じ。
やってることがいいとは言えませんからね。
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でも、よくほら、あれはあれで違法なんですけど、電柱とかに貼ってあったりするじゃないですか。
ここに電話すると女の子といいことできるかもよ的な、
なんか非常に絶対電話するのはやばいだろって感じの電話番号が書いてあるってことと、
リンク、リンク、つないであるってこととは違う。
なんかその線を何とか伝わったらその会社に行けちゃいそうですみたいな、
そういうのとは電話番号書いてあることは全く関係ないじゃないですか。
だからリンク、連結への攻撃ってすごい表現だなって思うんですよね。
超先進的だなと。
だからさっぱりわかんないわけですよ。
人と人とのつながりを断ち切る。
要するにアルファ機能ってのはリンクなんだっていう話なんですよね。
でそのリンクに対する攻撃がなされるということは、
これはビヨンが結局言うことだし正しいと思うんですよ。
テニーというのはその中でクラインと全くある意味逆なんですよね。
だから本当にビヨンって人は慎重だし偉いなと思ったんですよ。
ビヨンは結局クラインに波紋されてないわけじゃないですか。
でももうリンクっていうことを言っている。
リンクってのは相互リンクですから。
リンクっていうことを言う段階で連結への攻撃とか言っている段階で
すっごいクラインに寄せているようだけれども
言ってることはウィニコットなんだと思うんですね。
コンテイナーって言ってしまったらもうクラインは怒ったと思うんですよね。
だって逆転位を認めなかったわけですから、クラインは。
要するになんていうのかな。
クライン流に言うとそれは正しいと思うんですよ。
正しいと思うんだけど、要は患者に苛立たせられましたみたいなことを言うわけですよね。
逆転位として。
そうするとクラインは容赦しないわけですよね。
なんで患者に苛立たせられたってわかるんだ。
あんたが苛立ったんでしょうみたいな。
こういうことなんですよね。
転位と逆転位ってそういう問題を必ず含むじゃないですか。
いや赤ちゃんが泣いて投影同一化して赤ちゃんが泣くから泣かされる母親にさせられるんですっていう話なんですよね。
でもそれはクラインに言わせるとあくまでも赤ちゃんの心の中で起きている劇場版赤ちゃん空想劇場なのであって
あなたは怒っている人ではないし悪い人になってるわけじゃないでしょうと。
だから投影同一化がすごいギリギリの線なんですよね。
そういう役割をするということとそういう感情にさせられたから私は逆転位にさせられたんですっていう言い方は
なんとなら無責任だってことだと思うんですよね。
ここでみんな悩んでるわけですよ。
訓練受けたから逆転位が使えるんですっていう昨日の話もしましたけど
逆転位は使えないんだよって美音は言うわけですけど
中期とか後期の方でですけどつまりクラインの死後の話なんですけど
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で私はそういうふうに言われるとなるほどだと思うようにはなりましたが
実際にセッションやっているとこれは一体私の感情なんだろうか
相手から持ち込まれたんだろうかってこの線で考え始めたら多分無理だと思うんですよね。
答えの出しようがなくなる。
その線で考えてはいかんのだろうなっていう感じがするんですよ。
これやっぱりあくまでも一者心理であって
自分の責任に対しては相当軽く考えているかほぼ全く考えていないかになっちゃうと思うんですよ。
逆転位ですっていう段階ですでにハイマンなんですけど逆転位ですっていう段階で
よっぽど気をつけないとアウトだろうって感じがするんですよね。
これだと使いにくいなって感じもするんですよね同時にね。
臨床やってるのかそうでないのかというとやってるわけじゃないんで
別にいいじゃんっていう言い方をすると
ただそうすると今度は何を自分がやってるのかわからなくなるぐらいノホーズになっちゃうんで
結局のところよくわかんないなっていうところで終わるわけですよ。
私の気持ちの上ではですね。
でもそこで一片の鉄が落ちたなんですよね。
一片の鉄が落ちたというのはつまり床に落ちたというのは
そこが分析空間である以上
心的現実として精神病水準だと思うんですけど
一片の鉄が落ちたとクライアントさんが言うというのは
この鉄をあなたは受け止めてくれなかったんですねっていうニュアンスが入ってるわけですよね。
ここにBeyondのやっぱり徹底的に2社で行くぞっていう
受け止めてくれなかったから落ちたんであって
そんなのだってクライアントの妄想に決まってるじゃないですか。
一片の鉄も床も床に落ちても何もしてないわけですよ。
それは妄想なんで
これを例えばですけど
旋防という概念で考えていけばですね
なぜ鉄が必要だったか
それは私をその鉄で買いそうとしたのではないか
こういう考え方は確かにあると思うんですね。
私もよく思ったんですよ
自分が何かに旋防する
オリジナルに旋防するなんてことはよく起こることですから
オリジナルに旋防するというのは
私が勝手にやってることですよね
つまり私のなんていうのかな
独りよがりというのかな
独りよがりではないな
独り相撲ですね
この話は藤山直樹さんという人がですね
藤山直樹さんが
なんだあれは
私詳しくないですよね落語で
二階ぞめきっていう落語の話をしていて
なるほどなと思った
そんな落語があるのね江戸時代からって思ったんですけど
要するにお金持ちなんですよね
若旦那が吉原に行って
吉原通いをしているわけですね
それをお父さんがよしとしないと
15:02
要するに風俗街に通い詰めてるわけですよ
仕事もしないで
なんだけどこの若旦那は
実は冷やかししかしないって
ここにすごい分かりやすい病理がありますよね
すごいでもその辺が心理が
全然だって江戸時代ですからね
結局のところその人は
成功に至ることができないわけですよね
あくまでも冷やかしに行って
道とか歩いてお金とか使って
そうしてなんかチヤホヤとかされて
表面的なやり取りしかしないわけですね
そこで番頭さんが一見を案じて
2階にバーチャル区間を作ろうと
すごい先進的な話だと思ったんですよ
バーチャル吉原を作るわけですよ
そこで若旦那は結局
冷やかししかしないわけだから
ここが若旦那のお父さんが考えていることと
若旦那が考えている吉原通いが
意味が違うわけですよ
若旦那は簡単に言うと今の風に言うと
VRやっとけば済むんだけど
お父さんからすると絶対芸者買いまくってるわ
とんでもねえわっていう感じがしてるわけですよ
お父さんの目線からするとセックスしないんだったら
吉原行く意味何もないでしょって感じなんだけど
若旦那はもっとある意味現代的っていうか江戸時代なんだけど
バーチャルでOKっていう人だから
2階にバーチャルを番頭さんが作って
2階がすげえ想像しいぞみたいなことを
お父さんが言ってるみたいな落語なんですけど
つまり独り相撲っていうのは
親的空間でその親的空間には
欲望と不安が渦巻いてるわけですよね
まさにクラインの描いた世界なんですよね
不安が渦巻いてるからその人は要するに
ことに及べないわけじゃないですか
あくまでも吉原の通りを歩いてりゃ楽しいっていうね
昔ね
うち男子校だったんですけど
私の部活は科学部だったわけですけど
科学部で受付をやるのが楽しいって言ってる男の子がいて
いやーなんていうか
我々だよなっていう私もそんなもんだったんですけど
さすがにそれは楽しくねえと僕は思ったんですけどね
結局のところ女の子が
名前書いてくださいとかって言えるじゃないですか
これがすごい吉原の通りを歩くってことと
似てる気がするんですよね
そこでの表面的なエリティが楽しいと
高校生はそのぐらいがいいと思うんですけど
要するにそういうことですよね
バーチャルなわけですよ
バーチャルではないけど受付はリアルにありますけれどもね
すっげー楽しそうだったんで
今頃はきっといい官僚でいいお父さんになってるに違いないと
思いたいところなわけですけど
結局のところ我々は
18:00
そっから先ということになると
めんどくさいしややこしいし大変だしということで
ある意味それは楽なわけですよね
でもその楽っていうの背景に
強い不安があるっていう風に考えるのが自然だと
つまり店員には強い不安が渦巻いているはずだと
だからメラニック・ラインは非常に
その辺が鋭くて
店員と不安はセットだみたいな言い方で
少なくとも臨床に乗ったらそうですよね
不安から目を反らすなとひたすら店員を解釈していくんだ
これは確かに
力がありそうな臨床家の言葉だなって感じがするんですよね
本質を絶対から反れない
っていう感じがありますよね
いきなりビヨンの鉄なんですよね
鉄が落ちたと
これはでもクラインの見方とはやっぱり違うなって感じがするんですよ
鉄が落ちたところまではクラインの見方の通りでも
いけるんですよ
だからそういう解釈もありますよねって
すっげえ気を使ってるんですよビヨンは
でも明らかにそっちが言いたいわけではない気がするんですよね
鉄が落ちた責任は誰かって問うてしまうんですよ
クライン流に行っちゃうと
戦亡って結局のところ戦亡していることが
良くないよねみたいなニュアンスが出ちゃうじゃないですか
感謝できるようになりましょうみたいな
それってその人の心の中の努力じゃないですか
相手が児童であったことも見落としちゃいけないと思うんですよね
クラインの場合特に
どこかそこには教育的なニュアンスが入ってきてしまっていたのかもしれないと
アンダフロイトとあんなに大喧嘩してたぐらいですから
今のは洒落じゃないですよ
アンダフロイトはやっぱり教育でいいんだっていう考え方なんですよ
お母さんがちゃんとやってくれなくても
私たちがちゃんと養育しましょうと
第二の母になっちゃいましょう的なノリですよね
こういうポジションって精神分析ではすごい批判の的にある意味しますよね
だけどアンダフロイトが言ってることですからね
フロイトの娘さんで
事実上の第一人者ですからね
ユングとかがどんどんいなくなっちゃってる後の話だから
そしてアメリカに渡って
アンダフロイトって巨人なんですよねある意味ね
だから養育すればいいから保育園作るっていうような話になるし
精神分析にするなんてとんでもない
これはこれで常識的に正しいような気もしますけどね
でもクラインはそこは全然
大論争時代で大論争して
そういうことではダメだっていうことで
戦亡と感謝みたいな
そういうかなり難しいことを子供にもさせるわけですよね
ワークスルーしろっていうことですよね
感謝できるようになりましょうと
先日もお話ししたシンデレラですよ
シンデレラはママ母に全然感謝してないわけじゃないですか
ここにさっき言った
一者心理的なものの見方だと
これはクラインよりもなお素朴な一者心理
でも非常にシンデレラってクライン的に見ると
21:02
分かりやすい話だと思うんですよね
母は二人に分かれてしまっている
つまり実母とママ母に分かれている
ここまでは全ての子がやることだと僕は思うんですよ
ただちょっと年がいってるんだけど
シンデレラがいくつかなんて結局分かりませんから
スプリッティングですよね
良い母と悪い母に分けていると
悪い母はママ母だから容赦なく掃除とかをさせると
でも実母だって掃除とかさせるだろうなって思うわけですけれど
それを思わせてくれる
コンテインしてくれる人がいないんですよね
シンデレラ家にはどういうわけか
だからなんか彼女はしくしく泣いてるばっかりで
掃除とかしないじゃないですか
でも彼女は良いものと悪いものを分けて
自分はいいものになってるんで
明らかにあれは不当な扱いなんですよ
しかも連れ戸二人のお姉さんは意地悪で
何もしてくんないしね
ここでまたポイントがすごくあると思うんですよね
あのお姉さんは本当に連れ戸なのかっていう話になってくるわけですね
だからお母さんがママ母なのかそうでないのかによって
話が全く違ってくるわけです
外傷的か抑動的かの違いですよね
すっごい僕はここが大事だと思うんですけど
ママ母なのか実母が機嫌が悪いだけなのかは
シンデレラには分かんないことなんですね
かつシンデレラは性欲というものが
なんだかも分かってない
だから一体舞踏会に何をしに行くのかは
彼女には多分分かってない
何よりも絶対に分かってなさそうなこととして
これは当然分かっているはずはないんですけれども
一体全体これが現実なのか夢なのかも
彼女には分かることではない
あの心理状態の段階では
とにかくママ母なのか実母なのかが
シンデレラにはついに分からなくなりつつある
ってことが非常に大事なんですよ
だから常識的に考えると2歳児未満と考えるのが
妥当なんじゃないかという感じがしますけれども
そうやって考えていくと
一者心理に閉じ込められている間は
無意識的空想の世界から一歩も外に出られませんよね
クラインが指摘した通りです
この時代まだ現実と接触してはならない
ディレイをかけろっていうわけですよね
まだまだ現実と接触できる年齢ではないと
でも誰か現実と接触させないと
どうしようもないわけですよ
ここのところがクラインのある意味不思議な感じがするところなんですよね
どうやって現実と接触すればいいんだ
そういう世界からスタートしたと考える場合にはっていう
ここに問題があるし疑問があるっていう風に
多分捉えたのがミニコットだと思うんですよ
下手に接触するとトラウマになる
しかし接触が遅れすぎると
その人はいわば環境としての母親を
24:02
対象としての母親だと理解できる時期がやってこない
つまり感謝できるようにならない
だから感謝できるようになる時には
トラウマティックなことがあるはずだっていう
ここが画期的なんですよねミニコットも多分
そこで助けになるものとしての移行対象ってものが
移行するためには必要になるんだっていう
こういう発想なんですよ
ほぼ同じ発想をビヨンもしていると思うんですね
だから危険なもの
つまり一辺の鉄は
預かっておかなければいけない
ここで短くていいからディレイしろっていうことなんですよ
すぐ現実に対応させるなと
もちろんこれはクライアントさんの話をしてるんですよ
クライアントさんはすぐに現実に対応させようとすると
つまりいわばPSポジションにいるので
何かを投げましたと
それに即答しちゃダメだっていうある意味
実はですねいるのはつらいよという
戸畑海人さんが書いている本の中で戸畑海人さんが
心理師は2歩遅れるせいで
デイケアの偉い女の人というか
仕切ってるような女の人
ただエバってるだけのようにも見えるんだけど
戸畑私は見てたからねって言ってめちゃくちゃ怒られてるんですよ
でも心理師は2歩遅れるんだ
つまり即答しちゃダメなんだっていう
心の叫びがあるわけですよね
即答するとビヨンの一辺の鉄
でもここが面白いじゃないですか
デイケアにいらっしゃる人の中には
精神病水準かボーダーラインのような人って
もちろんいらっしゃるはずなんですよね
だから即答しちゃいけないわけですよそれらの人たちに
しかし即応しろって言ってるわけですよ
現場で頑張ってる人にしてみると
何か下級の時が起きたのにちょっと待ってください
今コンテインしてますからお前ふざけんなみたいな感じになって
戸畑私見てたよあんた全然動かなかったじゃない
何やってんのみたいなこういうことになっちゃうわけですよ
なっちゃってたわけですよねきっとね
心理師はみたいな感じで戸畑さんは心理師なんで
でもあそこに行ったら戸畑さんは心理師じゃなくて
福祉師なわけですよというかお前福祉師として
来てるんだからそういうコンテインばっかりしてないで
手足動かせやってことになっちゃうわけですよね
でもやっぱり戸畑さんはその100ページぐらい後で
だから繋がりが全然見えなくなるんだけど
どうして戸畑はそうやって
ずっと利用者さんたちと喋ってられるのっていう話をして
喋ってられませんかって言ったら疲れる
疲れるさって言うんですよね沖縄の方言なんで
疲れるわけですよ即答ばっかりしていると
即答しているということはある意味PSを投げ合ってるんで
一辺の鉄を投げ合ってるようなもんなんですよ
鉄が来た危ないからすぐ返すみたいな
すぐ返さないにしても何か対応で問題を流そうとしている
27:00
下手な答えをするのが良くないのは分かるんで
どんな人でもでも普通の福祉士さんたちは疲れるわけですよ
それはちゃんとプロっぽい対応してるわけだから
相手を激怒させるとか動揺させるとか
トラウマ与えるとかそういうことはしていないんだけど
だからこそ尚のこと疲れるわけですよね
でも戸畑さんは話してられるなぜかというと
コンテインするっていうことをつまりアルファ機能を使うってことを
そういうふうには書きませんよ
そういうこと書いてるとあの本は10分の1も売れませんから
アルファ機能を使うっていうことを書いてないんですけれども
そうかなるほど疲れるのかみたいなことを書いていて
うまいこと書くわけですよ
みんながそこに納得できてかつ気分が悪くならないように書けるんですよね彼はね
そういうところがすごいんだなってよく思うんですけれども
いずれにしてもそういうことが書いてあるわけです
100ページぐらい遅れてつまり2本遅れるわけですよ
まず考えて消化する次にそれを下読して返すっていう
2ステップを踏まなければならないので
だから一片の鉄をあなたは私の中で安全に置いて
それを戻すというふうにすることを期待したんですね
かなりこれに近い解釈をする
そうすると患者はみるみる落ち着いていったっていう
つまり一片の鉄が落ちたときは患者は殺されたようだっていう表現を取るわけですよ
要するにめちゃくちゃ傷ついたぞって言ってる
これすらわかんないですよ普通の
僕読んでも最初意味全くわかりませんでしたもん
そして思い出すことがあるわけですよ私の憎しんのことでね
そういえばなんかお腹触ったときめちゃくちゃ怒ってたなという
そういうことがわかるわけですよ
実際にお腹を私が触れるということはお腹が
つまりここがクラインの言った通りで
それは私が持ち込んだものなんですよ
お腹がちょっとなんか最近お腹がねえみたいな
これは私の事情なんですよ
だけど私の憎しんにしてみると私の憎しんはもう完全に
環境としての母親の世界から一歩でも出るとすぐに
めちゃくちゃにボロボロになるみたいなそういう精神状態になったから
いやいやいやいやと
その私のせいでお腹が痛くなったみたいに見えるじゃないか
っていうわけですよね
だから一片の鉄が床に落ちたのは
つまり私が持ってる鉄をあんたが持っててねっていう
ナイフだって考えてくださいね
私が持ってるナイフをあんたに預けたからね
あんたそれにしばらく刺されておいてね
これはちょっとなかなかのものなんですけど
でそのことを美音が気づくことなく
自然と応答してしまったために鉄は床に落ちるわけですよねきっと
わかんないですよ
これは僕が読み込み読み込み読み込んで
なんとかかんとか僕なりに解釈して考えたことです
で私が一番近い経験をしたのは
30:00
お腹さすってた時にめちゃくちゃ怒られたことと近いなって思ったんです
妹はまだ怒れるから正気に近いんですよ
怒ると一層おかしな感じがしますけど
一辺の鉄が床に落ちたとかって言ってるだけだと
怒ってることすらわからない
怒ってるんですよあれは多分ね
でもわかんないじゃないですかこの言い方では
だから怒られれば怒られてもわかんないけど
怒られればまだなんかこうわかった気がするわけですよ
これは結局私があなたに余計なことを言ったりさせたりしたせいで
お腹が痛くなったというのが許せないっていうことになってるんだけど
それはちょっとラーメンの油がちょっと年だし未消化なんで
これがだからまたクラインの言う通り
あなたのそれは苛立ちでしょ
あなたが持ち込んでるんでしょって言ってるわけですよ
確かにその通り私は訓練を受けてるわけじゃないんで
訓練を受けてるわけじゃないプロではないって何が言いたいかというと
これから肉親に会いに行くから
ストレッチして準備運動ばっちりしてお腹空かせて
体調抜群で行くぞってなってないってことなんですよ
フラッと言っちゃってるわけですよそりゃそうですよね
だけどミニコットに言わせるとここでチャンスがあるわけですよ
あなた失敗しましたねと
つまり抜群の体調で行って
ご兄弟とニコニコ機嫌万全で行って
お腹とか絶対さすんない人間で行けばよかったんだけど
さすっちゃいましたねそれ失敗ですよ
それ失敗なのかって感じなんだけど
それ失敗ですよねと
そうしてそういうところに誤解というものが生まれて
これは大チャンスなわけですよ
この誤解はなぜ生まれたかについて解釈し
考えて解釈し下読してコンテインすれば
コミュニケーションのチャンスが生まれると
意味不明なやりとりをばっかりしてるだけだと
シンデレラとママハハみたいな関係になっちゃうんで
あれコミュニケーションなわけじゃないですか
掃除をしろとか言っているわけですよね
そうするとママハハにいじめられましたという反応をすると
というコミュニケーションなわけですよね
直接コミュニケーション
でママハハは気づく必要があるんですけれども
親なんで気づかないわけですよね結局ね
つまり両者が異なる世界に生きていると
両者は気づくことができないわけですよね
でそれは我々はしかしそういうもんじゃないですか
ティエス・エリオットでしたっけ
我々はお互い牢屋に住んで
命名の鍵を探しているっていう表現を使って
主観に閉じ込められてるって言ってますけれども
僕らは主観に閉じ込められているんで
コミュニケーション取れないんですよね
本当のところ相手が何に苦しんで何を考えているのか分からない
私が言ったもう尻滅裂ですけれども
ビジネス著作家なのになぜこんなことをやっているのかというと
やっぱり私は2本遅れたいからなんですよねある意味では
33:01
速答が求められるんですよ
今だって今手がけている本が3冊ぐらいありまして
速答しろ速答しろ速答しろっていうのが
要するにジェミニさんあたりに徹底的にメッセージを
編集さんからのメッセージを要約すると
要約を5回ぐらい繰り返せば
つまりこれは速答しろということだっていう
速答したように書きなさいということ
朝起きられずに朝が起きられないがために
仕事が滞り先送りが発生していますっていう時には
速答しなさいってことなんですよ
朝起きられないんだから朝起きられないわけじゃないですか
朝起きられないという人に
では目覚ましかけましょうっていうのが速答なんだけど
目覚ましをかけるということは
朝起きられないに対する答えじゃないじゃないですか
でも不思議とこれで通ってしまうんですよね
そうですよね大きな仕事がありますと
であったら次の一手を考えましょう
おかしいじゃないですか
次の一手が考えられて
例えばそうですね3ヶ月チャレンジこれからやりますと
じゃあ次の一手として
ウェブサイトのタイトルを考えましょうと
あるいはメルマガの今メルマガの登録とか
やってますけど一通も出してませんけどね
ちなみに3ヶ月チャレンジの人は
黙ってても読めるようにしようっていう風にしてます
ただ私はまだ一通も書いてないんで
話が盛大にそれてるようですけど
メルマガを作りましょうとフォームをセットしましょうと
いやいやいやしゃうん
いやいいんですよそれで別に
ビジネス書にはそう書いてあります
そして皆さんがそれで
さすがためになりましたとかってレビューに書いてあって
そういうもんかなって思うわけですよ
だってフォームを作れませんって人に対しては
どう答えるんですかね
作り方を覚えましょうではないですよ
フォームを作る気がしませんですよ
じゃあさらにチャンクダウンして
そのフォームのURLを考えましょうなのか
いや考える気がしませんって言ったらどうするのか
こういうことに関しての何もないじゃないですか
いい加減にしましょうよみたいになっちゃうじゃないですか
どっかでこれなんですよ
このいい加減にしましょうよは何なのかってことなんですよ
誰かがそういうふうに作家なのか知りませんけれども
コーチの人なのか分かりませんが
いい加減にしましょうよっていう
言いたくなる日が絶対やってくるんですよ
言わないかもしれないけど
この時何が起きたのか
いい加減にしましょうよを言うってのは
めちゃくちゃ楽ですよね
いい加減にしましょうよを言って
相手がやるってことは
お期待できるってことは
大変私は幸せな世界だと思うんですよ
このいい加減にしましょうよを
1000回ぐらい言われてきました
私は傷ついているんですって人はもはや
そのように分かりやすいことは言ってくれないと
私は思うんですよね
一片の鉄が落ちたみたいな表現になってしまうわけですよ
36:02
そこまではいかないでしょう
だけど私がどうしてこの一片の鉄の話を
こんなに読み込みたいかというと
結局ここで起こっていることは
ビジネスショーの世界では
起きないことかもしれませんけれども
結局のところことの真相が分かってもいないのに
私たちは即答だけを求められるっていう事態が
起こっているわけですよ
即答しておくと何かためになったことが
言えたような気がするような
からくりの中に生きてるんですよ
このからくりは危ないだろうっていう感じも
するわけですよ
別に危なくないですよ
これでいいんです
これでいいんだけれども
多分これでは手は全く動かないという人も
続出するんだろうなというのも
事実あると思うんです
例えばポモドロテクニックでやりましょうと
25分タイマーをピッてやると
なぜか手が動くんです
それはそれでいいですよね
ただしなぜ手が動くのかっていうことですよね
だってピッとしてもピッとしなくても
同じじゃないですか別に
ピッとしたからといって手が急に動き出すような
そういう脳に電磁波とかがいくわけじゃない
その方がよっぽど危ないし
いかないですよね
この25分のタイマーをピッとやっても
ピッとやればやるということになってきたときに
起きていることというのは
これは僕は定義だと思うんですよね
今ならば
ここには社会的文化的圧力でもいいんですけれども
やっぱルールとか規範みたいなものがあって
ピッてやられると動き出すっていう
そういうシチュエーションを
これまでに我々は作り出されてきたと思うんですよ
ここには不安がありますよね
ピッとやったのに手を動かさずにいると
何が起きるのかと
この不安というものは
つまりこの不安の先には
もちろんわかりませんよそれは
人それぞれです
でもお母さんがめちゃくちゃ厳しかったと
テストで100点以外の点を取ってこようものなら
何かをビリビリにされたり
なんだりかんだりということがございました
という話になったときに
このピッの意味は
つまり母親を案に呼び出す
っていうのか
意味していくじゃないですか
悪いお母さんでしょうけど
つまりシンデレラから見た
ママ母が見えてくるじゃないですか
ママ母は実母だと考えた場合は
本当困った子だってことになるじゃないですか
でもママ母は本当にママ母だってことになってくると
これは外傷的体験だってことになってくるじゃないですか
お父さんが急に再婚したお母さんは
異動的にシンデレラをガンガンいじめてるのかもしれないじゃないですか
そしてそれは心理師にはわからないことじゃないですか
結局のところ
だからここで立ち止まる必要があるわけですよね
いやお母さんもそんなに悪意はないですよ
これは本当のお母さんなんですよシンデレラって
言ったら鉄が落ちるかもしれないじゃないですか
だからそれはわかんないことですよね
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どうすりゃいいんだよってことになるじゃないですか
だから二歩は絶対遅れないとならないですよね
この二歩遅れるときに心理師にねじ込まれてるもの
シンデレラ側からねじ込まれてるものはなんだ
っていうことになってきたときに
実母かママ母かわかんないってことなんですよ
でもシンデレラにはそれがわかってないことも
わかってないわけですよ
だからこれをニードって言うと思うんですよね
ニードをニーズに変えていくっていうのは
そういうことだけどとても危険なことなわけですよ
だってニードをニーズに変えるということは
現実を突きつけるってことになるじゃないですか
あなたは王子様とセックスがしたいんですって
誰も言わないでしょシンデレラに
めちゃくちゃじゃないですか
それはお問い話の中に書いてすらないことじゃないですか
だけどそういうことじゃないっていう風に
明けすけに言う人だったら言うかもしんないじゃないですか
つまり直面化になるわけじゃないですか
でもそれはニードをニーズに変えてるわけじゃないですか
シンデレラは自分が何をしたいのかがわかってはいない
わかってはいない状態のまま
ディレイをかけられるべきなんですよ
タイムラグをここで用意されるべきなんですよ
ここであなたの性欲がっていうのは
つまり直面化であり
現実を教えてしまっているわけですよ
しかし
しかし
心理的認証っていうのは
王になるじゃないですけど
あるいはノーイング
知りつつあることなわけで
真実に迫ろうとしているわけですよ
一体全体王子様と何がしたいのか
そもそも舞踏会に行って
王子様がいるって誰が言ったのかっていう話なわけですよね
大体どこの家とも分かんないような娘さんがいて
いきなり王子様がその人と
踊ったり結婚したりするっておかしいじゃないですか
ということはあれは
空想なんだという話にもなりますよね
空想なんだってことになってくると
どこまでが現実でどっからが空想かは
聞いてるだけでは絶対わからないことなはずなんですよね
だけれどもこれをただただ
分からないままにしておいただけでは
どうにもこうにもしようがないので
何らかの形でその人が受け入れられる形で
分かるようにするということが
しかし分かるようにされたくないことが
連結への攻撃なんですよ
なぜならば我々は連結しないと
物事が見えてこないようになってるからなんですね
我々は世界を直接知覚してないので
松木さんすごい良い事例を書いていて
外にワーッと水が落ちてきたと
小さい子がアッアッアッアッって言ってる
感動していると
その子は雨の何たるかは知っている
だけれども雨という言葉は知らない
雨という概念も知らない
だけど外に出たら濡れるということは知ってるし
雨が降ってくるということも知っている
こういうことってあるじゃないですか
だから連結していく必要があるんですよ
例えばアッアッって言ってる子に向かって
雨だねっていうのは一つの連結ですよね
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体験と言葉と音声を
あるいは文節を連結していくわけです
雨だねですからね
アとメをくっつけてますから
そしてアとメとダとネをくっつけてますからね
そしてこの音の刺激っていうのが脳の中で
連結されていきますよね
我々の自我はこうやって統合されていきますよね
雨だねだけではどうしようもないですけど
雨が降ってどうのこうの
っていう物語を作ったりするわけじゃないですか
それはつまり言葉が連結されていくと
言葉というかこの場合はアルファ要素なんですけど
アルファ要素がつながっていくと
夢が出来上がっていくわけですよね
あるいは夢思考でも物語思考でも
神話でもいいんですけど
そういうものが出来上がっていくと
そういう話をカッパの川流れみたいなコンセプトに
概念ですよね変えていく
そのためにはまた連結が必要ですよね
この連結を壊している間は
その人は夢の世界あるいは夢未満の世界から
前へ進むことができないんですよ
でアルファ要素すらバラバラにすると
ベータ要素が現れるっていう話なんだ
ベータ要素が現れるというか
ベータ要素からアルファ化すらできないっていう
だから赤ちゃんのアアアすら言えないっていう状態が
つまり幻覚妄想的な世界ということになるわけですよね
そこではもうある意味何でもかんでも
バラバラにしかもつながったりつながらなかったりするんで
意味というものが非常に誤解に
しかも不安をベースにした誤解に
連結の動機は不安なので
違った連結への攻撃の動機は不安なので
だからお腹に手を当てると
うわーってなるわけですよ
絶対許さないみたいになるわけですよ
そうすると一挙手一投足できなくなるじゃないですか
あなたは私のために何をしてくれるのっていうのが
兄弟の問いなのかもしれませんけれども
腹に手を当てても怒られるということになってきたら
もはや何もできないわけですよね
何かをすればどんな怒りをかうか
例の地雷を踏むってやつですよ
そこら中に地雷だらけなわけです
でも明らかにシンデレラの世界ってそうじゃないですか
だって操縦しろなんていうのは当たり前のことですよね
これを言ってお母さんが鬼のようなママハハだっていうことになってる
つまり地雷なわけじゃないですか
当たり前のことを言うことは全て地雷になっているわけですよね
でもそれはママハハがコンテインできてないから起きてることでもあるわけですよ
ここに二者を見ないと
コンテインするのは別にママハハでなくてもいいんですよ
姉でも誰でもいいんだけど
誰もコンテインしないから鉄が床に落ちるわけですよね
そういうことに私は気づきましたというふうにビヨンが言ってる
これはつまり戦亡という文脈を明らかに逸脱しているはずなんですよね
だからこれを発表できるようになるまでに
彼は10年ぐらい多分
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これを発表できるように10年待ったってわけじゃないんだろうけど
でもやっぱり10年近く彼はいろんなものを待ちに待ったんだろうなって感じ
これがなんか前期と中期のビヨンを分ける
全然言ってる方が逆じゃんぐらいな勢いがあるんですけども
それぐらいやっぱりこの無意識的な空想をベースに見るっていうことと
本当に外側に問題がやってきたっていうことを見るっていうことを
両方をそれこそ連結するっていうことの難しさだなっていうふうにすくすく思います
これをどっちの責任なのかって必ずこの問いに入っちゃうんですよ
考えてる間はやっぱり僕らはなかなかここを抜け出せないという
バーチャルを抜け出せないわけですよ
2階に作った仮説の吉原みたいなものから抜け出せなくなっていくっていう
抜け出せなくはないはずなんですけれどもね本当のところ
そのために考えるっていうことが出てくるわけですよね
考えることは連結のためにやってるという適切なっていう言い方になるんでしょうけど
つまりいやいや急にママハハ現れるのはおかしいではないですかと
いきなりかぼちゃが馬車になってしまうのはおかしいではないですかと
ただしそういうことが起きなければならなかったほど
これは困った事態なんだあるいは困った事態が起きていた
あるいはそのように思うしかなかったこれらのことが全て考えるということですよね
そしてということがこのお嬢さんに起こっているんですよということを
このお母さんにも考えてもらわないとなんですよ
この人が本当の母だろうとママハハだろうとやること変わんないはずだというのが
多分コンテナっていう思想なんだろうなというふうに思うんですよね